第7話 第二次世界大戦 ノルマンディー上陸作戦、「秋の歌」
7話目です。よろしくお願いします。
第7話 第二次世界大戦 ノルマンディー上陸作戦、「秋の歌」
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1943年7月25日。
イタリアの最高指導者、ベニート・ムッソリーニは失脚し、逮捕監禁される。
イギリスとアメリカを主軸とする連合軍が、シチリア島からイタリア半島に上陸し、後継のイタリア政府は連合軍との休戦を要求する。
無条件降伏しか認めない連合軍は、ドワイト・アイゼンハワー大将(Dwight David Eisenhower、1890年生まれ)により、9月8日にイタリアを降伏させる。
アイゼンハワーは、フィリピンの軍事顧問をしていた、ダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur、1880年生まれ)の副官をしていた。その1935年時の彼の階級は少佐だった。
8年で大将にまで昇進し、1944年12月にマッカーサーとアイゼンハワーの、この曾ての上司と部下は共に元帥に昇進する。
イタリアの脱落かと思われたが、監禁されていたムッソリーニを、ドイツ軍の特殊部隊が救出に成功し、イタリア半島は、ローマ以北のムッソリーニを首班とする「イタリア社会共和国(RSI)」が成立し、イタリア半島は内戦状態へ入る。
このRSIはドイツ軍の支援も受けていた事もあるが、頑強に戦い、連合軍と共同参戦軍のイタリア軍は足止めを食らい、ヨーロッパの第二戦線とはならなかった。
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ヨシフ・スターリンは度々西側連合軍に第二戦線の要求をしている。
現状、精強なドイツ軍の大半を相手に戦っているのは、殆どソ連軍だけであり、西側諸国がフランスに上陸して、西からドイツへの進撃を要請していたのだ。
クルスクの戦いの勝利後、完全に東部戦線の主導権を握ったソ連軍だが、ドイツ軍の巧妙な撤退作戦でしばしば少なからぬ損害を被る。
だが、85mm戦車砲を搭載し始めたT-34が再びソ連軍の中心戦車に復活し、更にIS-1重戦車と、その後継のIS-2重戦車が1944年から、運用され始める。
ISとはヨシフ・スターリンの頭文字だ。
クルスクの敗戦後。ドイツ軍はずっと西のドニエプル川(ドニプロ川)の西岸まで撤退した。
ロシアやウクライナを流れる河川は、一般に西岸が高く東岸が低い。
高地の西岸に強固な陣地を設けると、対岸の低地に対して攻撃を加えやすいのだ。
ドニエプル川の東岸に達したソ連軍は、この対岸の高所に位置するドイツ軍の攻撃で損害を被るも、西岸へ渡る橋頭保を築きつつ、1943年11月6日にはキエフ(キーウ)の解放に成功する。
このドイツ軍の撤退時の焦土戦術と、ドニエプル川の渡河を目指すソ連軍との戦闘で、キエフを初めウクライナの各地は激しく破壊された。
1943年11月28日から12月1日まで、パフラヴィー朝イラン帝国の首都テヘランで、アメリカとイギリスとソ連の首脳会談が行なわれる。
ソ連はスターリン。アメリカは大統領フランクリン・ローズベルト(Franklin Delano Roosevelt、1882年生まれ)。イギリスは首相ウィンストン・チャーチル(Winston Leonard Spencer-Churchill、1874年生まれ)。
この会談でヨーロッパの第二戦線として、北フランスへの西側連合軍の上陸作戦が正式に決まる。
因みにチャーチルは終始、第二戦線はバルカン半島から、と譲らなかった。
西へと進撃するソ連を牽制したかったのだろう。
最終的にはローズベルトの説得で折れたが。
3
西側連合軍の上陸作戦が近い事は明白であった。
何しろ多くのアメリカ兵を初め、カナダ兵などの150万人もの将兵がイギリス南部に、1944年5月までに溢れかえった。
若い兵士たちはイギリスの若い女性たちをナンパする。
最高司令部では作戦準備が進む。
連合軍の遠征軍最高司令官アイゼンハワーと、地上部隊の最高司令官バーナード・モントゴメリー大将(Bernard Law Montgomery、1887年生まれ)を中心に、上陸地点の選定と決行日と欺瞞作戦を展開する。
上陸地はカレーとノルマンディーに絞られたが、前者はブリテン島から近い代わりに、地形が複雑でドイツ軍の防備も厚い。
後者は少し遠いが、西のコタンタン半島を奪取すれば、その後に補給物資や増援軍を送るのが容易だ。
こうして、ノルマンディーの上陸を悟られない欺瞞作戦が展開される。
カレーに偵察機を飛ばしたり、あるいはずっと北のデンマークやノルウェーの上陸作戦だと偽情報を流したり。
これに対するのは、西方総軍司令官ゲルト・フォン・ルントシュテット元帥(Karl Rudolf Gerd von Rundstedt、1875年生まれ)とB軍集団司令官ロンメル元帥。
モントゴメリーは北アフリカ戦線でロンメルを破り、連合軍の北アフリカ戦線の勝利を決定づけた将軍である。
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ルントシュテットもロンメルも連合軍の上陸地点はカレーと見ていた。
それより両者は決定的な対立をしてしまう。
海上からの戦艦の艦砲射撃を恐れたルントシュテットは機甲部隊を後方に置き、敢えて上陸させてからの殲滅を主張し、ロンメルは全軍を水際に配置して、敵の上陸の阻止を主張した。
ここで最悪の仲介人が出てくる。
ヒトラーが両者の意見の折衷案を提示して、機甲部隊を二分して、水際と内陸部の配置を決めてしまう。
精力的に視察するロンメルは、次第に上陸地点がノルマンディーではないか、と思い始める。
ロンメルはノルマンディーの海岸に、満潮時には見えなくなる、地雷を初め様々なトラップの設置を命ずる。
6月。ドイツ軍は気象班からのノルマンディー一帯は6月初旬に気候が荒れる、との報告を信じ込み、10日までは攻撃は無いと、大半の軍首脳部が休暇を取ってしまう。
ロンメルも妻の誕生日祝いと、軍の指揮権に関してのヒトラーとの会談のため、4日にドイツ本国の自宅に戻ってしまった。
アイゼンハワーは犠牲の少ない満潮時の上陸を希望していたが、モントゴメリーは敵に宿敵ロンメルが居ると分かると、様々なトラップが海岸に仕掛けられているので、干潮時の上陸を主張し、上陸決行は干潮時と決定する。
6月1日から3日の英国放送協会(BBC)のフランス語放送で、ポール・ヴェルレーヌ(Paul Marie Verlaine、1844年~1896年没)の「秋の歌(Chanson d'automne)」の第一節の前半が朗読される。
5日の22時15分には、この第一節の後半が朗読された。
これの意味するところは、「今より48時間以内に上陸作戦を開始す」。
フランスのレジスタンスに向けての暗号である。
ドイツ軍諜報部もこの「秋の歌」の意味する事を知ったが、散々偽情報に振り回されていたので、これもその一つと思い込んでしまった。
BBCが堂々と正情報を流すなどと思わなかったのだろう。
翌6日。空挺部隊が先ず主要な箇所の占領を行ない、大小5000隻もの艦隊が迫り、5つの箇所からノルマンディーの上陸作戦が始まる。
第7話 第二次世界大戦 ノルマンディー上陸作戦、「秋の歌」 了
この後、しばらくして、ある出征したカナダ兵とあるイギリス人女性との間に、あのエリック・クラプトンさんが生まれています。
もし、ノルマンディーでなくチャーチルの主張が通り、バルカン半島だったら?
クラプトンさんはこの世にいなかった!?
れ、レイラ~!
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