第6話 第二次世界大戦 総力戦演説、クルスクの戦い
6話目です。よろしくお願いします。
第6話 第二次世界大戦 総力戦演説、クルスクの戦い
1
„Wollt ihr den totalen Krieg?“
「諸君らは総力戦を望むか?」
壇上の男がよく通る声で叫ぶと、会場の多くの人々は、„Ja!“、„Ja!“と右腕を上に挙げて応えるように叫ぶ。
„Wollt ihr ihn, wenn nötig, totaler und radikaler, als wir ihn uns heute überhaupt noch vorstellen können!“
「諸君らはそれを望むのか? もし望めば、より総力的で徹底的だぞ! 私たちがそれを今まったくまだ想像出来うる以上にである!」
„Nun, Volk! Steh auf, und Sturm brich los!“
「今こそ、国民よ! 立て、そして嵐を巻き起こせ!」
聴衆たちは熱狂と興奮の中で拍手をし、立ち上がり皆同じ叫びを発する。
„Sieg Heil! Sieg Heil! Sieg Heil!“
「ジークハイル! ジークハイル! ジークハイル!」
スターリングラード敗戦後の1943年2月18日。
国民啓蒙・宣伝省大臣のヨーゼフ・ゲッベルス(Paul Joseph Goebbels、1897年生まれ)がベルリン・スポーツ宮殿で総力戦演説をしていた。
2
徹底的な総力戦。
戦争に不要なスポーツシューズの営業をしていたルドルフ・ダスラーは、同年3月に徴兵されてしまった。
ルドルフは1898年生まれ。
1943年だと、45歳になる年齢だ。
ルドルフが配属されたのは、ポーランド中部のウッチ市(Łódź)。
最前線からは遠いが、彼はアドルフに次のような手紙を書いている。
「俺はお前もライフルを持ち、このような任務につけるのなら、会社の閉鎖申請だって躊躇わないぞ」
明らかに弟が本国に残り、徴兵されない事に憤っている。
だが、本国ドイツとて、安全ではなかった。
ダスラー一家が住む、ヘルツォーゲンアウラハにも連合軍の空襲がやって来る。
連合軍のドイツ本土に対しての空襲に関してだが、昼間はアメリカ陸軍航空軍のB-17が、夜間はイギリス空軍のアブロランカスターの両爆撃機が担当していた。
住民たちは即座に防空壕へと避難する。
避難したアドルフは苦々しく罵る。
「やつらめ、また来やがった!」
同じ防空壕にはルドルフの妻フリードルと子供たちも居る。
アドルフが連合軍を罵ったのは明白だが、近くでそれを聞いたフリードルは、自分たちに言われているように感じてしまった。
ダスラー兄弟の亀裂が少しずつ始まる。
3
城塞作戦(Unternehmen Zitadelle)とは、マンシュタイン元帥を初めドイツ軍首脳部の多くが、ヒトラーを説得して起したクルスク突出部(ほぼ関東一都六県の領域)への攻撃案である。
ヒトラーはスターリングラードの敗北と、北アフリカ戦線が芳しくないのを理由に、東部戦線は現状維持を考えていたが、マンシュタインはここでソ連軍に決定的な打撃を与えないと、予想される西側連合軍の反攻に対抗出来ない、と判断していたからだ。
クルスクは文字通りソ連軍に因り城塞化され、塹壕を初め各種防御態勢が構築され、この城塞に配置されたのは、133万の兵、火砲2万門、戦車と突撃砲3300輌、航空機2650機。
対するドイツ軍は90万の兵、火砲1万門、戦車と突撃砲2700輌、航空機2050機。
更にクルスクの後方では、ソ連軍の予備兵力70万が控えている。
この頃から、ドイツ軍にはV号戦車パンター、VI号戦車ティーガーI、フェルディナント重駆逐戦車などが配備され始めている。
1943年7月5日。
クルスク突出部の北部から、ギュンター・フォン・クルーゲ元帥(Günther Adolf Ferdinand von Kluge、1882年生まれ)が率いる中央軍集団が、南部からマンシュタインが率いる南方軍集団が、攻撃を開始する。
両軍とも強固なソ連陣地を突破していくが、やはり途上で止まってしまう。
ソ連軍最高司令官代理のゲオルギー・ジューコフ元帥(Georgy Konstantinovich Zhukov、1896年生まれ)は、このようにドイツ軍を攻撃させ、進軍が止まったところで予備兵力も含めての反転攻勢を企図していた。
この反転攻勢には、クルスクの北のオリョールを奪還するクトゥーゾフ作戦、クルスクの南のハリコフ(ハルキウ、ウクライナ第二の都市)を奪還するルミャンツェフ作戦も含めた、一連の戦略である。
4
南部方面では、プロホロフカの戦いと呼ばれる、大規模な戦車戦が起こっている。
諸説あるが両軍合わせて、最大で1500輌近くもの戦車と突撃砲が、プロホロフカで交戦したとされている。
7月12日。クルスク南東部に位置するプロホロフカにドイツ軍が展開する。
ソ連軍の予備兵力を中心とした一軍が、駅のあるプロホロフカを目指すと読んでいたからだ。
制空権を握ったドイツ空軍による、猛爆撃に晒されるソ連軍は、ドイツ軍の戦車に次々に撃破されて行く。
このソ連軍が一方的に叩きのめされたのは、主に次の3つの理由からだ。
一つは、予備兵力に配備された戦車は、T-70を中心とする軽戦車だった事。
一つは、主力戦車のT-34も未だ戦車砲がF-34(76mm戦車砲)であったため、新型のドイツ戦車を打ち破るには打撃力が低かった事。
そして、最後の一つは、混乱からだろうが、自ら造った防御陣地に嵌ってしまった事だ。中には塹壕の中に落ちて行くソ連戦車さえあった。
処が、この戦術的なドイツ軍の勝利時に、ヒトラーはツィタデレ作戦の停止を命じ、クルスクの北のオリョールと南のハリコフの死守を命ずる。
10日に連合軍が北アフリカからシチリア島に上陸し、戦力を西部戦線に割かなければならなかったのだ。
北アフリカ戦線の枢軸国軍は、同年5月に連合軍に既に降伏している。
この時、アフリカ軍集団を率いていたのは、ロンメル元帥の後を継いだ、ハンス=ユルゲン・フォン・アルニム上級大将(Hans-Jürgen Theodor von Arnim、1889年生まれ)である。
スターリングラードの二の舞は御免だ、とドイツ軍の将軍たちは勝手にオリョールとハリコフから撤退し、ソ連軍がそれぞれを奪還する事に成功する。
一般に、クルスクの戦いの終りは、ハリコフのソ連の解放の8月23日とされている。
夏季の戦いで、ソ連軍は初めてナチス・ドイツ軍に勝利した。
第6話 第二次世界大戦 総力戦演説、クルスクの戦い 了
クルスクだのオリョールだの、これらのロシアの地域が、最近ニュースでふつーに取り上げられて、びっくりしています。
さて、大戦中ドイツはこのように相当の都市爆撃を受けていました。
もちろん、報復にドイツ側もイギリスの都市爆撃をしていましたが。
V2ロケットも有名ですね。
V2……、うっ、なんかピアノの音が聞こえてきて、TKさんの歌声が……!
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