表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ルドルフとアドルフ  作者: 大野 錦


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

16/20

第14話 ルドルフ・ダスラー

14話目です。よろしくお願いします。

第14話 ルドルフ・ダスラー



 バイエルン州北部のヘルツォーゲンアウラハのアドルフ・ダスラー邸にて、ある若い男がサッカースパイクを手に取り、チェックをしている。


「どうだ、フランツ。この新作は?」


「ダスラーさん。相変わらずいい仕事をしますね」


 フランツと呼ばれた男は感嘆して頷く。

 フランツ・ベッケンバウアー。バイエルン州の州都ミュンヘンを本拠地とする、FCバイエルン・ミュンヘンの選手であり、西ドイツ代表選手。

 どちらもキャプテンを務めている。

 

 バイエルンも西ドイツ代表もアディダスと契約しているので、ベッケンバウアーは最大の広告塔だ。

 そして、ベッケンバウアーはしばしばこのようにアドルフ・ダスラー邸を訪れていた。


「然し、スポーツの大会であのような惨劇が起こるとは。私も、いや私たちも若い頃は何も考えず、国民社会主義者ども(ナチス)に協力していたから、偉そうなことは言えんが……」


 アドルフはため息をつき呟く。

 兄と共にあの愚かな党の党員になった事と、それからの自分たちの愚行を反省するように。


 1972年のミュンヘンオリンピック。

 この大会で一番の有名な出来事を上げれば、「ミュンヘンオリンピック事件」であろう。


 パレスチナ過激派組織の「黒い九月」が、イスラエル選手たちの宿舎に立て籠もり、イスラエルのアスリートやコーチたち計11名を殺害した事件だ。


 故に、1974年の西ドイツワールドカップは、各国の選手たちは厳重に保護され、徹底された治安対策下で行われた。


 少し前。

 アドルフはルドルフが肺癌を患い、危険な状態だと知らされていた。


「……そうか」


 それを伝えられたアドルフは、それだけを言ったのみ。

 なので、それ以来、周囲はルドルフの容態についての話は避けた。



 1974年7月7日。

 オリンピアシュターディオン・ミュンヘン(Olympiastadion München)での決勝戦は、西ドイツ対オランダ。


 この大会はヨーロッパ勢の活躍が目立った。

 大半の選手は40年代から50年代初めの生まれ。

 物心ついた時は、親世代は戦後の復興で忙しい。やることと言えば、一日中仲間とボールを蹴るだけ。


 特に第二次世界大戦で独ソの分割から始まり、ワルシャワを破壊され、国土に甚大な被害を受けたポーランドが躍進している。

 2年前のミュンヘンオリンピックでは、ポーランドサッカーチームが金メダルに輝いている。


 大会への予選時には、66年の優勝チームのイングランドを退け、本大会では3位決定戦で前回優勝国のブラジルに勝ち、エースのグジェゴシ・ラトー(Grzegorz Bolesław Lato、1950年~)は7得点を決めて、大会得点王になっている。


 ポーランド、西ドイツ、オランダ等は当時技巧派が揃った、驚異のチームだったのだ。


 オランダのエース。唯一2本のストライプスのユニフォームを着た、ヨハン・クライフには、ベルティ・フォクツ(Hans-Hubert „Berti“ Vogts、1946年~)がマンマークで対応する。

 だが、フォクツは所属するボルシア・メンヒェングラートバッハでは、技巧派の攻撃的サイドバックとして鳴らしていた。


 細かい動きが出来る技巧派を、同じく細かい動きが出来る技巧派で封じる。

 時折サッカーの重要な試合では、そのような戦術を用いる場合がある。


 ベッケンバウアーも、若き日の66年ワールドカップ決勝で、相手イングランドのエース、ボビー・チャールトン(Robert „Bobby“ Charlton、1937年~2023年没)をマンマークしていた。


 結局、西ドイツは敗れ、ベッケンバウアーの攻撃センスを無駄にしたこの戦術は、西ドイツでは長く批判されるが、この試合でチャールトンがほぼ抑えられたことは事実で、半ば監督であるベッケンバウアーは自身の体験から、この対クライフ戦術に確信があったのかも知れない。



 試合開始早々。西ドイツはボールに一切触ることなく、センターサークルからウナギのようにヌルヌルと、西ドイツのペナルティエリア内へドリブルで侵入したクライフを、ウリ・ヘーネス(Ulrich „Uli“ Hoeneß、1952年~)が倒してしまう。

 

 このPKをヨハン・ニースケンス(Johannes Jacobus „Johan“ Neeskens、1951年~2024年没)が冷静に真正面に決め、開始2分でオランダが先制する。


 前半25分。

 オランダのゴール前までドリブルで侵入したベルント・ヘルツェンバイン(Bernd Hölzenbein、1946年~2024年没)を、今度はオランダの選手が倒してしまう。


 このPKを一際異彩を放つ風貌の、もじゃもじゃの髪とひげ面のパウル・ブライトナー(Paul Breitner、1951年~)がこちらも冷静に決めて、西ドイツは同点に追いつく。


 前半43分。

 ライナー・ボンホフ(Rainer Bonhof、1952年~)が右サイドをドリブルで突破し、オランダゴール前まで迫り、マイナスの折り返しを入れる。


 このボールの先には誰もいなかったが、瞬時に反応した選手がいた。

 自身の背後に転がるボールに、共に並走していたオランダの選手を、バックステップして振り切りターンしながら、右足を振り抜くとボールはオランダゴールに吸い込まれる。


 決めたのはゲルト・ミュラー(Gerhard „Gerd“ Müller、1945年~2021年没)。

 その異常なまでに得点に特化したプレーぶりは、„Der Bomber der Nation“「国民の爆撃機」と呼称される威力。


 クライフは最初のPKを貰ったプレー以外、ほぼフォクツに抑えられ、2-1で西ドイツの2度目のワールドカップ優勝が決まった。



 この年。

 既にルドルフ・ダスラーは肺癌に蝕まれ、余命いくばくも無い状態であった。


 西ドイツのワールドカップ優勝の数カ月後。

 ルドルフ・ダスラーは1974年10月27日に亡くなる。享年76歳。


 ルドルフ最期の日。

 アドルフはルドルフの家からフリードルの電話を受ける。


「……そっちへ行って、抱擁はしてあげられないけど、『私はあなたとの間に起こった全ての事を許し謝る』。そうルディに伝えてくれ」


 これがひょっとしたら、ルドルフ・ダスラーが生涯最後に伝えられた言葉かもしれない。


 ルドルフの告別式に、アドルフとケーテは、彼らの長女を参列させたが、アディダスは以下の事務的な声明を出したのみ。


「ルドルフ・ダスラー氏の逝去を悼みます。故人に関してのコメントを当社は控えさせていただきます」


 奇妙なのは、ルドルフは遺言で後継者に次男のゲルト(Gerd、1939年~2020年没)を指名していた。

 長男のアルミンはアディダスと、いやアドルフの息子のホルストと激しい争いをしていた。


 ゲルトはプーマのフランス支社の責任者なのだが、同じフランスに住む、3歳上の従兄ホルストのやり手ぶりにただ驚嘆するだけ。

 時にはホルストからパーティに招待され歓待も受けた。

 ホルストからすると、アルミンとの後継者争いをさせる後押し的なものだったが。


 恐らく、アディダスとの、アディ一家との闘争に、病を得てから疲れ切ったルドルフは、両家の和解への一縷の望みとして、ゲルトを指名したのか。


 但し、株式の大半の所有と、敏腕弁護士を雇ったアルミンは、プーマの分裂を防ぎ、二代目として君臨する事に成功する。


第14話 ルドルフ・ダスラー 了

ルディとアディは70年代の初めに数回こっそりと会っていたようです。

ただ、人目に付くところだと大騒ぎになるので、グランドホテルや空港のラウンジなどと、慎重に場所を決めて、2人きりでゆったりと会話をしていたそうです。



【読んで下さった方へ】

・レビュー、ブクマされると大変うれしいです。お星さまは一つでも、ないよりかはうれしいです(もちろん「いいね」も)。

・感想もどしどしお願いします(なるべく返信するよう努力はします)。

・誤字脱字や表現のおかしなところの指摘も歓迎です。

・下のリンクには今まで書いたものをシリーズとしてまとめていますので、お時間がある方はご一読よろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
■これらは発表済みの作品のリンクになります。お時間がありましたら、よろしくお願いいたします!

【短編、その他】

【春夏秋冬の公式企画集】

【大海の騎兵隊(本編と外伝)】

【江戸怪奇譚集】
― 新着の感想 ―
感想返しの中にもあった、ヨハンニースケンスさんが、亡くなったという話、ちょっと、ビックリしていました。いや、歴史の中の人なので、同じ時代に生きているって思ってなかったんですよね。ヨハンクライフさんと同…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ