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ルドルフとアドルフ  作者: 大野 錦


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閑話2 メキシコシティーオリンピック(1968年)

2回目の閑話です。よろしくお願いします。

メキシコシティーオリンピック(1968年)といえば、サッカー全日本が、開催国のメキシコとの3位決定戦で2-0で勝利し、銅メダルに輝きました。(オールドサッカーファンはサッカー日本代表を『全日本』と言いますね)



 ◆ ◇ ◆ ◇



周知の通り、日本サッカー代表(男子)がオリンピックでメダルを取ったのは、このメキシコシティーオリンピックだけです。(2024年時点)


釜本邦茂(かまもとくにしげ)さん(1944年生まれ)が得点王に輝きました。


ところで、この日本代表の選手たちはアディダスのスパイクを履いていたのですが、左ウィングの杉山隆一(すぎやまりゅういち)さん(1941年生まれ)だけはプーマを履いていました。


さて、なんで日本は銅メダルを獲得できたのか?


よく言われるのは、ドイツ出身のデットマール・クラマーさん(Dettmar Cramer、1925年~2015年没)の指導の賜物だ、とされています。


実は、クラマーさん。あの「ベルンの奇蹟」の監督のゼップ・ヘルベルガーさんの弟子的な方で、ヘルベルガーさんの影響を大きく受けています。


また、アディ・ダスラーの数少ない友人の一人で、しばしばアディの家に赴いては、楽しく歓談していました。(なのでアディダスとの関係は深いです)


クラマーさんが日本に指導に来ていたのは、主に1960年から1964年です。(その後もちょくちょく来てますが、とりあえず「東京オリンピック1964年」関係で)

年によって滞在期間は様々ですが、この4年間の日本の滞在時に、トップ選手の指導だけをしていただけではありません。


例えば、東京のある大学で、各大学のサッカー部の選手たちを集めて、指導をしていたのですが、学生たちをつかまえては、こう聞いて回っていたそうです。


「君はどこの出身だ?」


「はい、私はZ県の出身です」


「では、Z県の君の出身学校で、Z県のサッカー部員を集めて指導しよう」


そう言って、時折日本各地の高校に赴いては、当の出身大学生をアシスタントとして、高校生の指導をしていたのです。


で、学生たちはみんなびっくり。


クラマーさんって、身長が低のに(161センチくらい)、キックでものすごい距離のボールを蹴るのです。


ある指導を受けたサッカー部の高校生曰く。(身長175センチくらい)


「クラマーさんって、あんな小さいのに、とんでもないキックをしてボールがすごい正確に飛ぶ。これはすげぇ、と思った」


クラマーさんは大学生のアシスタントと指導した高校生にこう言っていたそうです。


「日本のサッカーが強くなるのには、君たちが大人になって、子供たちをこのように指導することだ」


彼らが社会人になって、ある程度余裕が出てくる1980年代。(あの例のサッカー漫画がブームになるころ)


日本各地の少年少女サッカークラブに、当時クラマーさんの教えを受けた、この方々たちの多くがボランティア的なコーチとなっていきます。(当然、そのクラブで指導された子供たちが、大人になったらコーチへと……)


クラマーさんは「日本サッカーの父」と称され、「日本サッカー殿堂」入りを果たしています。


彼が日本各地の高校生たちを指導し、大人になって余暇があったら、子供たちの指導をするように、と言い続けていたのは、現在の日本サッカーの礎の1つなのかな、と個人的に思っています。



【日本男子オリンピックサッカーのピックアップ】

・1936年(ベルリン):「ベルリンの奇跡」と呼ばれる、ベスト16でスウェーデンに3-2で勝利するも、準々決勝でイタリアに8-0で敗北。イタリアは大会優勝

・1964年(東京):準々決勝でチェコスロヴァキアに敗北。その後の順位決定戦で、ユーゴスラヴィアと対戦し1-6で敗れる。ユーゴの得点の内、2得点はあのイビチャ・オシムさん(1941年~2022年没)

・1968年(メキシコ):上述の通り。準決勝でハンガリーに敗北。ハンガリーは大会優勝

・1996年(アトランタ):グループリーグでブラジルに勝利。3チーム(日本、ブラジル、ナイジェリア)が2勝1負の勝ち点6で並ぶも、得失点差でグループリーグ敗退。このグループリーグで日本に勝ったナイジェリアが大会優勝

・2012年(ロンドン):準決勝でメキシコに敗北。メキシコは大会優勝

・2020年(2021年:東京):準決勝でスペインに敗北。3位決定戦でメキシコにまさかの1968年のリベンジを喰らう(1-3で敗北)

・2024年(パリ):準々決勝でスペインに敗北。スペインは大会優勝


んっ? 日本に勝つ国って、ひょっとして大会優勝しがち?



 ◇ ◆ ◇ ◆



また、このメキシコシティーオリンピック。色々な問題を起こした大会としても有名です。


当時はベトナム戦争の真っ最中。


また「プラハの春」と呼ばれる、ソ連のチェコスロヴァキアへの武力侵攻が起こっていました。


アメリカではキング牧師が暗殺されています。(1929年~1968年4月死去)


メキシコでも学生運動が活発で、普段から警察が目を光らせている状態。


なので、平穏に行われる大会と思われていませんでした。


実際アフリカ系アメリカ人のアスリートたちは、参加ボイコットを表明していました。


結局出ていたのですが、200m走で、ある出来事が起こります。


1位がアフリカ系アメリカ人のトミー・スミス。(1944年生まれ)


2位がオーストラリア人のピーター・ノーマン。(1942年~2006年没)


3位がアフリカ系アメリカ人のジョン・カーロス。(1945年生まれ)


表彰台で、この2人のアメリカ人選手は、OPHR「人権を求めるオリンピック・プロジェクト(Olympic Project for Human Rights)」のバッジをつけて、シューズを脱ぎ黒いソックスで立ち、黒い手袋を両手につけて拳を上に付き出す……はずだったのですが、うっかりカーロスが黒手袋を忘れていたので、スミスが自分の手袋の片方を渡します。


片方だと格好がつきません。スミスはプーマのシューズを履いていたので、表彰台に上がった際、一方の手には黒手袋、一方の手にはプーマシューズを掲げました。


この予期しない行動にプーマは大喜び!


事情がよくわからん人からしたら、「俺はこのシューズで金メダル取ったどー!」とアピールしているように見えますもんね。


プーマとしては宣伝してくれてラッキーでしょう。


ところで、オリンピックはこのような政治的な活動は禁止です。


なので、スミスもカーロスも批判にさらされ、大会中に選手村から追放され強制帰国されるのですが、かわいそうなのは2位のピーター・ノーマン。


彼はシューズも脱がず、黒手袋も掲げませんでしたが、2人の行動に理解を示し、OPHRのバッチをつけて表彰台に上がりました。


彼も母国オーストラリアで、オリンピックで政治的な行動をしたと非難され、スミスやカーロスとは別に、その後の選手生活や人生を苦難と共に過ごして亡くなります。

彼の葬儀にはスミスとカーロスが出席していました。



 ◆ ◇ ◆ ◇



2つの「分水嶺」(?)な話でした。

さて、閑話は終わり、話の再開です。

次回は第13話です。よろしくお願いします。



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【短編、その他】

【春夏秋冬の公式企画集】

【大海の騎兵隊(本編と外伝)】

【江戸怪奇譚集】
― 新着の感想 ―
メキシコの銅メダル? クラマーさん? 確かに、クラマーさんが居なければ、オリンピック出場すら、難しかった気がします。 JFAとスポーツメーカーの蜜月も、無かったと思います。 けれどもけれども、…
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