第11話 ベルンの奇蹟
11話目です。よろしくお願いします。
第11話 ベルンの奇蹟
1
1954年6月16日から始まった、サッカースイスワールドカップは以下の出場国とフォーマットである。
グループ1
ブラジル、フランス、ユーゴスラヴィア、メキシコ
グループ2
ハンガリー、トルコ、西ドイツ、韓国
グループ3
ウルグアイ、オーストリア、スコットランド、チェコスロヴァキア
グループ4
イングランド、イタリア、スイス、ベルギー
各グループの前に記した2チームはシード国で、シード国が非シード国との2試合をして、1グループで計4試合をし、順位を決める。
総当たりでないので、必然的に順位決めのプレーオフの試合が発生する。(当該チームの直接対決や得失点差の考慮が無いので)
非シード国の西ドイツは優勝候補のハンガリーと同組になったが、トルコはシード国の中では比較的力が劣る。
そして、直接の対戦はしないが韓国は参加国で最も力が劣る。(ただし、その韓国に日本は予選で、1-5、2-2と敗れている)
2
西ドイツの第1戦はトルコ。
相手はシード国だが、無難に4-1で勝利する。
第2戦のハンガリー。
ここでヘルベルガー監督は主力選手を温存させて、引き分け狙いの試合を企図するも、3-8で一蹴されてしまった。
ところがこの試合で、ハンガリーの中心選手である、プスカシュ・フェレンツ(Puskás Ferenc、1927年~2006年没)が負傷し、以降の試合に出られなくなる。
グループ2の首位は、韓国と西ドイツに9-0、8-3で完勝したハンガリーだが、1勝1負のトルコと西ドイツのプレーオフは、見事に西ドイツが7-2で勝ち、ノックアウトステージ(決勝トーナメント)の進出を決める。
トーナメントは奇妙な事になった。
優勝候補のハンガリーは、ブラジル、イングランド、ウルグアイの強豪の山に入り、西ドイツは比較的楽なユーゴスラヴィア、スイス、オーストリアの山に入った。
トーナメントのベスト8の初戦。
西ドイツの相手は難敵ユーゴスラヴィアだったが、何とか2-0で勝利する。
そして、ハンガリーの初戦はブラジルだったが、後に「ベルンの戦い」と称される、非常に荒れた試合となる。
両チーム3人が退場となり、結果は4-2でハンガリーが勝ったが、試合後ブラジルの選手たちやスタッフらがハンガリーのロッカールームに襲い掛かり、大乱闘を起こす。
試合内容より、この選手たちのラフプレーと、試合後の乱闘で、違う意味で有名となったワールドカップの一戦だ。
3
準決勝は西ドイツ対オーストリア。ハンガリー対ウルグアイ。
西ドイツはオーストリア戦を6-1で勝利し、見事に決勝進出を決める。
ハンガリーと前回王者ウルグアイ戦は死闘となった。
前半でハンガリーが2-0と優位に進めるも、後半にウルグアイの反撃で2点を返され、延長戦へ突入。
コチシュ・シャーンドル(Kocsis Sándor、1929年~1979年没)が2得点を決めて、ハンガリーが4-2で勝利する。
ウルグアイはワールドカップで初の敗戦をし、その後の3位決定戦でもオーストリアに3-1で敗れてしまう。
決勝戦は西ドイツ対ハンガリーと決まった。
ブラジル戦での乱闘。ウルグアイとの延長にもつれ込んだ死闘。
ハンガリーは満身創痍で、エースのプスカシュも負傷が完全に癒えていない。
決勝の地。7月4日のベルンは午後から雨が降り続けていた。
「雨か……」
西ドイツ代表キャプテンのフリッツ・ヴァルター(Friedrich „Fritz“ Walter、1920年~2002年没)が呟く。
彼は雨の中の試合を得意としていた。
彼だけでなく、多くの選手が1920年代生まれ。
つまり、第二次世界大戦を兵卒として過ごした者が大半である。
ヴァルターは東部戦線に配属されたため、敗戦後にソ連軍の捕虜となり、ルーマニアの収容所で数カ月間過ごしていた。
雨の多いぬかるんだ地で、当地の警備員たちとサッカーをしてたおかげか、雨中でのプレースキルが磨かれたのだ。
4
プスカシュはこの試合に強行出場する。
ヴァルターとプスカシュの両キャプテンがペナントを交換し、午後5時にイングランドのウィリアム・リング主審の笛で試合が開始される。(リング主審はグループステージのハンガリー対西ドイツでも笛を吹いていた)
ハンガリーのコチシュがペナルティエリア内に突入しシュートを放つも、西ドイツの選手に当たる。
そのこぼれ球に素早く反応したプスカシュがネットを揺らす。
前半6分。
西ドイツゴール前。
GKのトーニ・トゥレク(Anton „Toni“ Turek、1919年~1984年没)とDFのヴェルナー・コールマイヤー(Werner Kohlmeyer、1924年~1974年没)が交錯してボール処理を誤り、チボル・ゾルターン(Czibor Zoltán、1929年~1997年没)がボールを掻っ攫い、無人のゴールを押し込む。
前半8分。
開始10分と経たず、2-0とハンガリーがリードする。
直後の10分。
左サイドに流れた、ヘルムート・ラーン(Helmut Rahn、1929年~2003年没)がハンガリーゴール前へ、低速クロスを入れる。
それをスライディングしながら、マックス・モーロック(Maximilian „Max“ Wilhelm Morlock、1925年~1994年没)が得点を決める。
更に18分にはヴァルターが蹴った左コーナーキックがファーに流れ、そこに詰めていたラーンがゴールを決め、同点とする。
その後、前半はハンガリーのヒデクチ・ナーンドル(Hidegkuti Nándor、1922年~2002年没)が度々決定的なシュートを放つが、GKのトゥレクがビッグセーブで防ぐ。
「監督! ハーフタイムになったら、選手たちのスパイクのスタッドを交換しましょう!」
アドルフはヘルベルガー監督に進言した。
5
ハーフタイム。アドルフは叫ぶ。
「みんな! スパイクを脱いでくれ! スタッドを変える!」
キャプテンのヴァルターがアドルフの意図する事に気付き、チームメイトを促す。
「ダスラーさんの言う通りにスパイクを脱ぐんだ! 急げ!」
こうしてアドルフはハーフタイム中に、選手たちのスパイクのアウトソールの土を取り除き、スタッドを取り換えた。
特筆すべきは、アドルフが用意したスタッドの長さは様々で、特に長いスタッドを取り付ける。
後半が始まった。
豪雨ではないが、試合開始前からずっと雨が降り続け、ピッチは荒れてぬかるんでいる。
後半に入ってもハンガリーの猛攻は続き、コールマイヤーが前半のミスを帳消しにする、ゴール前での2つのクリアをし、トゥレクも何度もシュートを弾く。
84分。
ハンガリーのペナルティエリアから、ヘディングでクリアされたボールをラーンが収め、エリア内へと細かく進む。
周囲にはハンガリーの選手が揃っていたが、動きが悪くラーンに対するチェックが甘い。
ラーンの右の軸足はしっかりと安定し、そのまま左足を振り抜くと、ボールはハンガリーゴール左隅に吸い込まれた!
„Tor! Tor! Tor! Toooooor!!!!“
その直後の86分。
プスカシュがネットを揺らすも、リング主審は副審がフラッグを上げていたのを確認して、そのジャッジを有効と認める。
„Kein Tor! Kein Tor! Puskás, abseits!“
終了の笛が吹かれ、試合は3-2で西ドイツが優勝した。
第11話 ベルンの奇蹟 了
>>Das Wunder von Bern<<
同名の2003年の映画の邦題に合わせて、「奇跡」ではなく、「奇蹟」にしました。
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