第9話 向こう側の感覚
「ポストに入れるだけでいいんですね」
「ああ、すまないな。今時、個人情報の絡みもあってこういうのはお願いしないことになってるんだが、月見里なら大丈夫だろう」
二人の様子が心配だったから、好都合と言えば好都合だ。言われた通りポスティングするだけのつもりではあるが、彼女達の耳なら、足音を聞きつけて顔を見せてくれるかもしれない。それで元気そうなら一番いい。俺は厚手の封筒をふたつ受け取り、丁寧に鞄に入れた。
帰路につきながら、二人の顔を思い浮かべる。婚約云々は別として、クラスメイトとして、あるいはよき隣人として彼女達の身を案じるのはおかしなことではないだろう。あくまでも、友人としてだ。
そうは思っても、清楚なハイエルフと凛々しいダークエルフのふたりに会いに行く、そのことについて高揚感があるのは紛れもない事実だった。俺だって健全な男だ。可愛い子に会うのが嬉しいのは、自然な反応だ。
ふたりの暮らすアパートが見えてきた。だが、同時に、仁王立ちするシルエットもひとつ、見えてきた。あれはたしか……
「よぉ、月見里 透」
野太い声に、緊張感を覚える。
頑強、壮健、ゴツイ、漢らしい――とにかく、そんな言葉を複数詰め込んだような体つきの、髭面のおっさんが、腕を組んでアパートの前に立ちはだかっている。面識はあっても、挨拶を交わしたことが何度かあるくらいだ。
「そうかしこまるな。エルフと関わりを持ったからには、今後は必然的に俺とも関わることになる。もう隠す必要もねぇから言っちまうが、俺はドワーフだ。名は鼠持 鉄。あらためて、よろしくな」
ドワーフ――俺の知る限りでは、ドワーフというのは手先が器用で、地下資源の細工に長けており、その多くが戦士でもある種族だ。そして、最大の特徴は、髭面と、人の腰ほどまでしかない低い身長。なるほど、確かにドワーフだ。
「怪訝そうな顔だな」
「あっ、いえ、そんな……」
「俺も自覚はあるんだぜ、鼠持なんてドワーフらしからぬ苗字だよな」
いや、そっちじゃなくて、そもそもドワーフがずっと近くに住んでたってことが驚きなんですが。
「まぁ、俺達『向こう側』の住人が『こっち側』で名乗ってる苗字は、あくまでも『こっち側』に来るときにあてがわれたもんだからな。下の「鉄」こそが俺を表す名前そのものよ。あのお嬢さん方同様に、気軽に鉄さんとでも呼んでくれや」
髭面で満面の笑みを浮かべ、ガッハッハと彼は笑った。なんとも豪快そうなタイプだ。
「先生に頼まれて、ふたりに届け物が」
「おう、そりゃご苦労さんだな。いったん、俺の方で預かっとこう。一応、あの姫さん方の保証人兼保護者、および後見人で見届け役だからな」
封筒を受け取りながら、鉄さんが俺をじっと見る。何か言いたげだと感じ、俺は分かりやすく首を傾げて見せた。
「んで、今のところはどっちがお気に入りなんだ? この前、遅い時間に足を運んだからには、ひとまずやることはやったんだろ?」
思わず噴き出してしまった。単刀直入が過ぎる。
「何を恥ずかしがってやがる。婚約を申し出てきた女に、何を遠慮することがあるってんだ。婚前交渉だ、婚前交渉。そんなかしこまったもんでなくても、今日び、高校生なら珍しいことじゃねぇだろうが」
「ひ、人によります。少なくとも俺はそうじゃないし、彼女達とも、まだ友達か、それ以前でしかないんで」
「んー? 今時アタマの固い奴だな。少なくとも、あの二人はそうなる覚悟もしてきてると思うがなぁ」
どんなファンタジー作品でも頑固者として描かれるドワーフ族に「頭が固い」と言われるとは。
やれやれと思いながら、頭の中には二人のエルフの、服の間から見えた肌がちらついた。いかん、いかん。
「まぁ、例えその気があったのせよ、今日のところはやめてやった方がいいだろうがな」
「そういえば、体調不良って話でしたよね」
「いわゆる病の類ではないんだがな。『こっち側』に慣れるまでの辛抱だが、俺も苦労したからな」
世界の違いによる体の異変――ということだろうか。
今一つ要領を得ないでいる俺に、鉄さんが口を開いてくれた。
「簡単に言うと、体内に魔力を溜め込み過ぎたことによるオーバーフローだ。想像しにくいかもしれんが、『向こう側』の大気は魔力で満ちててな。それに引っ張られるというか、溶けだすようにというか、体内の魔力も自然に外へ外へ流れ出ていくんだが、『こっち側』ではそうもいかん。何らかの方法で小出しにしてやらんと、内に内に溜まって、具合が悪くなっちまうのよ」
「何らかの方法、というと?」
「手っ取り早いのは、魔法として放出することだな。一応、その辺りの説明はしてやったはずなんだが、まぁ、一度なってみないと実感は湧かなかったろう。もっとも、魔力が溢れそうになった状態でいると、感情の高ぶりで魔法が漏れ出たりするから、前兆はあったとは思うんだがなぁ」
あった。確かに、二人が感情を高ぶらせたとき、霧が立ち込めたり風が吹いたりしていた。あれは、彼女達の魔力が蓄積しすぎて漏れ出ていたからだったのか。
「ましてや、あの二人はエルフ族の歴史の中でも有数の魔力の持ち主だ。適度に発散しないと、このあたり一帯を吹き飛ばす天変地異が起きかねん。お前さんも、気付いたら教えてやってくれ」
ガッハッハ、とドワーフは大声で笑った。冗談にしては笑えない、と思うのは、まだ俺が『向こう側』の感覚を理解できていないからなんだろう。
「今後、あのふたりと付き合っていく上で、何かと『向こう側』の知識が必要になったりもするだろう。ご近所づきあいの延長線だ、気軽に俺んとこに聞きに来い。悪くはしねぇから」
心強い言葉だ。どうやら、ドワーフという種族は面倒見がよい――
「そんかわり、関係が進んだら、逐一、詳細を報告するんだぜ。なんたって、人間とエルフの色恋沙汰なんざ、滅多にお目にかかれるもんじゃねぇからな!」
――だけではないかもしれないが、ひとまず、頼りにはさせてもらおう。