第7話 奇遇ですね
「奇遇ですね、透さんっ」
行きつけのスーパー『グローブストア』で声をかけてきたのは、花だった。
手にはカゴを持ち、その中には既にいくつも野菜が入っていた。
「一緒に登下校とかはしないって言ってなかった?」
「これは登校でも下校でもありません。それらについて抜け駆けは禁止、と取り決めはしましたが、偶然なら仕方がないというものです。それに、複数のチラシを見比べた数人が、近隣ではここが最も買い物に適していると共通の判断をするのは、おかしいことではないでしょう?」
にこにこと笑う花を見て、思わずこっちも笑ってしまった。花はいかにもエルフのお姫様といった上品な顔立ちではあるのだが、どこかあどけなさが残っている気がした。咲と言い争いをしているときの表情なんかは、まさにそうだ。
そんな花が、ちらっと俺のカゴを見た。中々に恥ずかしい。なぜなら、中に入っているのは値引きシールが貼られている、いわうるおつとめ品ばかりだからだ。ケチな奴だと思われただろうか。
「きちんとバランスよく食事をなさっているんですね。お野菜が多いのも、一般的な高校生の自炊としてはとても立派に思えます。もっとも、一般的な高校生は自炊をしないものだと認識していますが……」
あ、よかった。そっちの話か。
「苦手なものが無いわけじゃないんだけどな。知っての通り、ウチは親が放浪している家庭だから、体調でも崩そうものなら命に関わると思って、かなり気を遣ってるよ。そのせいか、ここ数年、風邪ひとつ引いてない」
「すごいですね。それでいて、自分でお金の工面もなさっているんですよね」
「いやぁ、そっちはあんまりちゃんと出来てないかも。セールコーナーを見て、使ったことのない調味料があったらついつい買っちゃうし」
言いながら、俺は彼女達エルフ族の食事情について尋ねるチャンスだということに気付いた。せっかく異世界の住人が身近にいるのだから、色々と話を聞いてみるのは面白そうだ。
「そういえば、エルフの食事ってどんな感じなんだ? イメージ的には、菜食主義なのかなー、なんて……」
「そうですね……こちらの世界で言うヴィーガンの方々ほどではありませんが、植物性の食べ物が中心ではあります。ずっとずっと古い時代から、自然と共に生きることを大切にしていますから、野菜に果物、穀物が主ですね。もちろん、美味しい水や清らかな空気も欠かせません」
なるほどなるほど、と俺は頷く。
「健康的な感じだな」
「はい。自然の恵みを大切にして生きることは、心身の健やかさを保つことと合致しますから」
そこまで言ってから、花はハッとして慌てた様子で言葉をつないだ。
「でも、肉や魚をまったく食べないというわけではありませんよ。特別な機会や儀式の際には摂取しますし、こちら側の世界の影響を受けて肉食を好む人が増えてきているのも事実ですから」
「なんか、こっちの世界の食生活の歴史と似てる感じだな。花自身は?」
「私は、そうですね……」
買い物かごを後ろ手に回しながら、花が天井を見上げる。今のところ、中には肉も魚も入っていなかったはずだ。
「一族の中には、長の血に連なるならば菜食に限れ、などと言うエルフもいますが、私自身は、そこまで食にこだわりがありません。伴侶が好むものをつくりますし、一緒に食べたいと思います。それがどなたになるかは、まだ分かりませんけれど」
「そ、そっか」
雪の肌のハイエルフに微笑まれて、思わず顔が熱くなる。蛍光灯の灯りの下で見ると、彼女の青い瞳は少し濃さを増して、静かな湖畔の澄んだ水面を思い起こさせた。
俺は少し迷ったが、もうひとつ、質問してみることにした。
「ダークエルフは違うのか?」
俺が咲を意識している感じがして、気分を害さないだろうか――という俺の不安は、あっさりと払拭された。気分を害するどころか、嬉しそうに口を開いてくれたからだ。
「食事に限った話ではありませんが、咲達ダークエルフは、私達ハイエルフよりも基本的におおらかですよ。個人主義といいますか、食べたいものは食べたらいいし、飲みたいものは飲めばいい、という感じです」
言いながら、花がクスクスと小さく笑いだす。
「ひとつ思い出しました。咲ったら、何でも一度は食べてみないと分からないって、天然のマンドラゴラを生でかじったことがあるんですよ」
「マンドラゴラって、たしか、根っこが人の姿をしていて、抜くと叫ぶとかなんとか……で、薬の材料になるんだっけ? 映画で見たような気がする」
「よくご存じですね。元は薬用でしたが、今は食用にも品種改良が進んでいて、市場には養殖モノが並んでいます。でも、咲は、天然物の方が味がいいかもしれない、と言って、山中から探し出して、抜いて、水洗いして、そのままひとかじりです」
カゴを持ったまま身振り手振りをする花の表情は、いかにも楽しげだ。
「それは、ワイルドというか、チャレンジングというか……で、どうだったんだ?」
「苦くて食べられたもんじゃなかった、ですって。しかも、私も実食の場にいたんですけど、咲がまさに噛もうとした瞬間、マンドラゴラの表情が驚愕に染まっていて、それが可笑しくて可笑しくて……」
咲の話をしているときの花は、心から嬉しそうに笑う。親しい、という言葉では表現しきれないような、深い感情と絆が感じられるような気がした。
てっきり、婚約者の座を奪い合って対立するライバル関係なのかと思ったが……
「花と咲って、本当に仲良しなんだな」
「ええ。咲は私の大切な友達であり、信頼できる相棒のような存在なんです。家族とは違いますが、私の人生に欠かせない存在だと思っています。彼女のしなやかな強さには、敬意を通り越して憧れもあるくらいで――なにか、意外でした?」
「あ、ああ――イメージ的に、ハイエルフとダークエルフって仲が悪いのかな、っていうのと、自分でいうのもなんだけど、取り合いになってギスギスしないのかな、って――」
「あっ!!」
不意に声がして見ると、そこには制服から私服に着替えたダークエルフが立っていた。わなわなと拳を振るわせているようだ。店内に、外から吹き込んだにしては強すぎる風が走る。
「は~な~~! あんた、抜け駆けは駄目だって、自分から言ったくせに!」
「たまたまです。奇遇なことに、帰りがけに寄ったお店でお会いしたんです。ね、透さん」
「え~と……一応」
約束をして落ち合ったわけではないから、奇遇といえば奇遇――だろうか。
「……そっか、そういうことか。わざわざ私に「高校生が制服のまま買い物に出かけるのはあまりよくないらしいから、着替えてから行った方がよさそうですよ」なんてアドバイスをしてくれたのは、このためだったワケね。私が一旦家に帰って時間差をつくらないと、透と二人きりになれないもんね」
花の笑顔が固まった。
「――あ、咲が挑戦したいと言っていた納豆、特売でしたよ?」
「知ってるわよ! 一緒にチラシを見てたでしょうが!」
言い争いを始めた二人を置いて、俺はそそくさと特売の鳥ムネ肉を探しにその場を離れた。