第5話 まずは友達から
「――つまり、花と咲、どっちが俺と一緒に登校するのかで揉めてたってことなのか?」
「大事な事でしょ? だって、恋愛感情の芽生えと、共有した時間の長さって密接に関わるって聞くし。さらに、それは最終的な透の決断を大きく左右するに決まってるもの」
「――で、花は、そもそも婚約者決めに前向きだったのは自分の方だから、自分が優先されるべきだ、と」
「世界樹に誓って、紛れもない事実ですから」
花が鼻息を荒くする。こんなに綺麗なハイエルフでも、鼻息が荒くなるんだなぁ。
「夕方にも言いましたけど、咲は元々、この件には後ろ向きでした。偉大な人物の生まれ変わりだからと言って自分の好みの男性とは限らないし、他人が決めた定めに従うのは風を愛する民のとるべき道じゃない、って」
「そうなんだ」
「確かにそう言ったけど、実際に会ってみて、気が変わったのよ」
「理由を言ってください。そうでないと、到底納得できません」
花に凄まれて、咲がぐっと顔を強ばらせた。ハイエルフがダークエルフを圧倒している。少しの逡巡の後、咲は観念したように小さく口を開いた。
「だから、その――透の顔が、好みだったから、よ」
顔を真っ赤にする可憐なダークエルフ――を見て、俺の顔も、自分で分かるほど熱くなった。
反則だ、これは。今なら、木登りをした豚とハイタッチできる。
「ちょ、ちょっと、なんですか、この雰囲気は。透さんのお顔が好みだったのは、咲だけじゃありません!」
ボリュームを上げながら花が言い、顔を真っ赤にした。ハイエルフの肌は真っ白なせいで、ダークエルフよりも紅潮がはっきりしていた。耳の先まで真っ赤だ。
「とっ、とにかく……私と咲、どちらが透さんと登下校するべきか、透さんの意見を聞かせていただけませんか?」
そう言われてもな、と俺は頬を掻いた。
実は、二人の説明を聞きながら、俺の中では答えははっきり決まっていた。それをどう伝えたら波風が立たないか、その工夫が必要かな、とは思っていたが。
「冷静に、まずは最後まで聞いて欲しいんだけど」
適切な言葉を懸命に探しながら、俺は言葉を紡いだ。緊張した面持ちで、ふたりのエルフが俺を見る。前のめりになると首周りの肌がよく見えてしまうから、ちょっと控えてほしい。
「一緒に登下校は、ちょっとないかな、と」
ふたりの眉間に皺が寄る。そして今にも泣きださんばかりだ。それでも口元に力を込めたまま黙ってくれているのは、必死に自制してくれているからだろう。室内に風が吹いたのは、気のせいだということにする。
「最終的に、俺がどちらかを、その――婚約者として選ぶとしても、今はまだ顔見知りってくらいだ。二人は俺のことを知ってくれているみたいだけど、直接関わって知ったことではないわけだろ。それならやっぱり、自然に、いちクラスメイトとしてスタートするほうがいいと思うんだ。それで、顔見知り程度のクラスメイトなら、普通、一緒に登下校はしないかな、と」
目の前にルームウェア姿のエルフがふたりもいる状況で、『普通』という言葉のなんと空虚なことだろう。我ながら滑稽だなと思いながら、話を続ける。
「しかも、俺は取り立てて目立つところのない、ありふれた一般人だ。それに対して、二人は学校中で注目の的。そんな二人――あるいは三人が急に一緒にいるようになったら、やっぱり不自然だろ」
花と咲が互いの顔を見合わせる。どうやら、この世界における俺の立ち位置を理解して――
「婚約者候補だから、と明言すればよいのではないですか?」
「男の子って、注目されたら嬉しくなるもんなんじゃないの?」
――ない。
「ふたりが来た世界――『向こう側』だっけ? そっちではどうなのかは分からないけど、少なくともこっちの世界では高校生同士が婚約することなんてまずあり得ないし、みんながみんなスポットライトを浴びたいと思ってるわけじゃないよ」
俺自身が、注目を浴びて悦に入るような性格ならよかったかもしれない。だが、あいにくとそういうキャラじゃない。日常は平穏な方がいい。
「わかりました」
花が静かに息を吐き、スッと姿勢を正した。今度こそ、分かってくれた感じがする。
「では、私と咲、どちらが透さんとより早く、より親しくなれるかの勝負だということですね」
「い、いや、勝負っていうか……」
「まずは友達から、っていう流れで男女交際に発展するケースが多いという話は聞いてたし、『こっち側』では奪い奪われ、寝取り寝取られは日常茶飯事だもんね」
「ねと――?」
「ということで、咲。事前に調べた中にあった、二人で授業を抜け出して保健室で――というのは、当面はナシですからね」
「分かってるって。屋上のパターンも、体育館倉庫のパターンもってことよね。」
「それらはいったい、どこの世界線の話……」
言いながら、俺の脳裏にいくつかの大人向け広告のバナーが思い浮かんだ。恥ずかしながらそういったコンテンツにお世話になっている身としては、彼女らが何から『こちら側』の男女の関わりを学んだのか、心当たりがある。藪蛇になりそうで、俺はそこに言及するのをやめた。
それとも、もしかして、俺が知らないだけで、世の高校生達は付き合えば、授業を抜け出し、保健室でいちゃつき、屋上で密会するものなのか――いや、そんなはずはない。そんなはずはない……よな? 誰か、俺に『普通』を教えてくれ。
「それでは、あらためて……まずは『いちクラスメイト』として、よろしくお願いしますね、透さん。でも、透さんも、必要以上に私達を避けるようなことはしないでくださいね」
花が不安そうな表情になり、目に見えて耳の角度が下を向いた。思わず、どきんとする可愛さだ。
「も、もちろん」
「ご近所さんでもあるわけだから、こっちの生活についても色々教えてよね」
花の前に身を乗り出して、咲が言う。
「ちょっと、咲! 今は私が透さんとお話をしていたんですよ!」
「ごめんごめん。透への気持ちが先走っちゃって、ついつい、花のことが視界と意識から外れちゃった」
「もう! 貴女は昔からそうやって――でも、今回ばかりは譲れません! きちんとふたりで取り決めをしましょう!」
「別にいいけど、自分で自分の首を絞めることになると思うよ~?」
二人がバチバチと音が聞こえるほどに火花を散らす。
居心地の悪さが増す前に、あるいは何らかの魔法に巻き込まれる前に退散しよう。
「じゃ、じゃあ、俺はこの辺でおいとまするよ」
「はっ、はい! おやすみなさい、透さん!」
「急に呼び出したのに、きてくれてありがとね、透。このお礼は必ずするから」
ぐっとダークエルフの顔が接近して、どきんと鼓動が強くなる。
花に腕を引っ張られた咲と、咲を非難する花に丁寧におやすみを言って、俺はエルフの棲家を出た。
でも、いちクラスメイトの家に、あがったりはしないよなぁ。そんなことを考えながら、俺はようやく静かな我が家で眠りを迎えたのだった。