第3話 俺の意志はないのか
「ひとつ聞きたいんだけど」
本当は、ひとつどころか、聞きたいことが山ほどある。
エルフなのに日本人の名前なのはどうしてなのか。
魔法は使えるのか。
そうだとして、学校中が当たり前のようにふたりを受け入れたのは何かの魔法なのか。
寿命は永遠なのか。
それならば、ふたりは見た目通り高校生の年齢なのか。
どうやって別の世界から来たのか。
逆に、こちらから行くことも可能なのか。
次から次へと疑問は沸いてくるが、今は、俺自身に関わることだけは確かめなければ。
「どちらも選ばない、っていう選択肢はないの?」
二人の表情が固まった。
いや、だんだんと、花の目にも咲の目にも、うっすらと涙が滲んできた。
「急な話で驚かせてしまったことは謝ります。でも、そんな、いきなり拒絶しなくても……確かにまだ十七歳相当の年齢で、ハイエルフとしては幼稚で、未熟ですが……」
――気のせいか?
花の周りに、目に見えて霧が立ち込めてきたように見える。
これって、まさか、エルフの魔法?
「族長の娘としての私達の立場を分かって、なんて言わないわ。私だって立場に振り回される生き方なんてしたくないもん。でも、だからこそ、人と人としてっていうか、関わりをもつ猶予が欲しいっていうか……」
今度は、咲の周りで風が巻き始めた。
間違いない。
このふたり、魔法の一種なのか、感情の高ぶりに連動して自然現象を引き起こしてるぞ。
察するに、ハイエルフは水の力、ダークエルフは風の力を持っているんだ。足元は既にしっとりと濡れ始め、草は不自然なほど渦状に倒れている。穏便に話を進めないと、このまま台風か竜巻でも発生するんじゃないか。
「ちょ、ちょ、ちょっと待って! 別に、ふたりが駄目とかそういうのじゃないんだって!」
傍から見れば、とんでもない光景だろう。魔法云々を抜きにしたって、高校生が二人の女子高生を、しかもとんでもない美人を泣かせてるんだから。
「つまり、その、フツーの高校2年生である俺が、婚約とか結婚とか、血を残すとか、そういうことは考えられないっていうことだよ」
「でも、先程もお伝えした通り、透さんはフツーの輪廻転生をして生まれたわけではありませんし……」
「俺にはその記憶も自覚もないわけで、それにほら、なんといっても、そもそもまだ未成年だし」
俺の必死の弁明に、二人は互いに顔を見合わせた。花と咲、ふたりの横顔が見つめ合って、夕日が差し込むと、一枚の絵画が出来上がった。さっきまで細かな水滴が発生していたせいで、小さな虹までかかっている。
「こっちの結婚って、何歳から出来るんだっけ?」
「この国の場合、以前は男性が18歳、女性は16歳からでしたが、今は、男女ともに18歳からです」
そうそう、俺も中学校の社会で勉強した。
話せば、ちゃんと分かってくれる人達――いや、エルフ達のようだ。
「透の誕生日は?」
「3月です」
「じゃあ、少なくとも、高校を卒業する頃には結婚出来る、ってコトね」
ん?
「大体そういうことですね」
「話が早いじゃん。それまでに考えてもらって、卒業のタイミングでどっちか決めてもらえばいいのよ」
「そうですね。考えてみれば、人生に関わる重大な決断ですものね」
「急いては事を仕損じる――って、確かこっちにもある言葉よね」
雲行きが怪しくなってきた。
「あらためて――透さん、こうしましょう。私達も、貴方が卒業するまで一緒に学校に通います」
「それで、卒業式の日に、どっちにするか答えを出してよ。それならいいでしょ?」
とんでもない話だ。
ふたりがエルフかどうかは、この際、脇に置いておくとして、性急すぎる。
戦前のお見合い結婚じゃあるまいし、他の誰かが決めたシステムで相手を選ぶなんて馬鹿げてる。
そうだろ。
だって、まだお互いのことをろくに知らない、名前くらいしか知らないような関係で、人生のパートナーを選ぶ、あるいはそれに向けた約束を取り付けるなんて、ありえない。
「駄目……でしょうか」
「透……」
――こんな顔の二人に、ここまで接近され、潤んだ目で懇願されて、YES以外の答えを出せる男なんて存在するのか?
異常な自然現象を避けるために、というわけではなく、俺は了解せざるを得ないのを確信した。大体、話の流れが急転直下っていうだけで、俺から見てこの二人が絶世の可愛さだっていう事実は確かなのだ。
「わ、わかった」
差し込む夕日の光よりもずっと明るく眩しく、二人の表情が弾けた。ただ――
「でも、二人はそれでいいのか? 前世の俺……賢者トーリンだっけ? についてはよく知ってるんだろうけど、俺自身のことなんて――」
「月見里 透、3月9日生まれ、現在16歳。ご両親は古美術や骨董品の収集家兼バイヤーで、世界中を飛んで回っている。目利きの確かさと巧みな交渉術で一財を成しているが、そのために一人息子の透さんは中学入学時からほぼ独り暮らしの状態。進路希望調査などの保護者承認が必要な書類は、いつも自分で書いて誤魔化していた」
「昔から争いごとが嫌いで、近くで揉め事が起きると仲裁のために率先して動いてきたのよね。その際に用いる手法は、あえて当事者達よりも感情的になることで周囲を冷静にさせるっていうもので、親しい友人からは『仲裁の達人』とからかわれていた、と。このあたりは、賢人トーリンの生まれ変わり、って感じがするわよね。もっとも、高校に入ってからはそういう動きを控えているみたいだけど」
どれも、間違いなく俺のことだ。それに、記憶が正しければ誰にも話したことのない内容も含まれていた。
「……どういうこと?」
「お気を悪くさせてしまったらごめんなさい。でも、貴方の存在は、私達エルフにとってそれほど重要なんです。身辺について、つぶさに調査するほどに。だから、私も咲も、貴方のことはよく知っていますよ。知った上で、婚約者の候補としてここにいるんです」
胸の奥で、じりじりと込み上げる。評価され、女子から好意を向けられているという未経験の事実が、俺を有頂天になるまで引っ張り上げようとしている。調子に乗るな、と自分に強く言い聞かせる。俺という人間が、急に立派になったわけじゃないんだから。
「けど、俺なんてフツーの……どころか、中堅どころの高校に通って、それでも平均以下の点数もとるような、何の取り柄もない奴だぞ。体育も音楽も美術も、どれも人並みっていうか、才能がある感じじゃない。由緒正しいエルフのお姫様に見合うような感じじゃ――」
俺がそう言っている間、咲はずっと俺を見ていた。どこか嬉しそうな笑顔だ。
「透って、ドーナツ、好き?」
「ドーナツ? まぁ、割と」
「私って、ドーナツがあったら穴よりもドーナツに目が行く方なんだ」
無いものに目を向けるより――ってことか。
屈託のない笑みを向けてくれる咲が、さっきまでよりもずっと魅力的に目に映る。外見的な美しさに意識を奪われていたが、それよりももっと別の何か、人を惹きつける魅力のようなものがある人のようだ。
「さ、さぁ、今日のところはこれまでにしましょう!」
焦った様子で花が手を叩いた。隣の先はあからさまに口を尖らせて、隣の色白なハイエルフを睨みつけている。
「アドバンテージをとられたからって、強引にシメに入らないでよね」
「べっ、別にアドバンテージをとられたなんて思ってません! ただ、透さんはこれから食事の支度をするわけですから、あまり時間を割かせてはいけないと思っただけです。それにほら、私達もあらためて鉄さんのところに顔を出すように言われていたでしょう」
「はいはい、そうでしたそうでした。それじゃ、また明日ね、透」
「あらためて、明日からよろしくお願いしますね、透さん」
「あ、ああ……」
輝くような笑顔の二人に対して、俺はぎこちなく、笑顔ともいえないような曖昧な表情を返すので精一杯だった。とりあえず、今日は惣菜を買いこんできて正解だった。今からしっかりと料理をする気にはなれそうにない。