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第12話 ストップウォッチ

「それじゃ、タイムの計測よろしくね、『月見里くん』」

「わ、わかった」

「ちゃんと見ててよ?」


 春にしては強い日差しの下で、咲の新緑の瞳がきらりと光る。

 俺は多くの男子と、一部の女子からの嫉妬の視線をひしひしと受けながら、緊張した手でストップウォッチを構えた。

 1000mのタイムをペアで測定しあう授業で、女子の人数が奇数であることが、俺と咲を引き合わせていた。男子の中から誰かひとり測定を手伝ってほしい、という話になり、先生の気まぐれで俺が選ばれたのだ。


「大丈夫だ、一番速く走り終わる奴の測定だから」


 こうして、俺は咲のタイムを担当することになった。

 咲は、既にクラスで男女両方を虜にしていて、早くも何人かにアプローチされているらしい。だから、彼女の覚えをよくしようと狙う男子、あるいは女子が「どうしてお前が」という目で俺を見ている。タイムを計るというだけで針の筵になるのだから、婚約者候補らしいと知れたら命が危ないかもしれない。


 独特な緊張感を漂わせて、スタートラインに女子が並ぶ。走る距離の違う俺達男子と、測定役になっている女子がそれらを見守る。

 タイム測定といっても、目的・目標は人によって様々だ。

 体育教師は若い男で、去年から常々、体育は健康管理だと言っている。実際、中学時代にやらされたように変に競わされたりすることは今までにもなかった。いわく、こういった長距離走も、無理のない、気持ちよく走れるペースを探るためにやっているとのことだった。

 ただ、当然と言うか、中にはレースとして全力で走る者もいる。


「前回の短距離も速かったよな、ダークエルフ」

「陸部の男子よりスピード出るってよ」

「オリンピックレベルなんじゃね?」


 そういう真面目な視点の会話もあれば――


「スタイル良すぎ」

「目に焼き付けとこうぜ」

「俺はハイエルフ派だな」


 ――そんな会話もある。


 高い位置の太陽が、グラウンドを暖める。草は新緑の季節に相応しく、青々と茂り、微風になびいている。校庭の周囲に立ち並ぶ背の高い木々は、風にそよぐたびに葉をざわめかせた。

 パンッ、とピストルが鳴り、一斉に女子達が駆け出した。

 咲はすぐに先頭に躍り出た。ペースはぐんぐん上がり、リードはどんどん広がっていく。


「あのスピードで1キロも走り続けられんのか」


 誰かの驚嘆の声に、誰もが同感した。

 黒い肢体は風になって、あっという間に疾走を終えた。ドキドキしながらストップウォッチを止め、それを咲に渡しに行く。ふぅ、ふぅと肩で息をする咲は、汗ばんだ顔で、心なしかいつもより晴れ晴れとした笑顔だった。


「どうだった?」

「タイムは――」

「じゃなくて」

「あ~――」


 彼女がどんな感想を求めているか、分かっていないわけではない。逆の立場だったら――つまり、俺が運動能力に長けていて、好意を持っている相手がそれを見ていたというなら――褒めてほしいし、認めてほしいと思う。そこまでいかなくても、やってやったぜ、と心の中でドヤ顔を決め込んでいるだろう。

 咲の期待の眼差しがキラキラと眩しい。


「かっこよかったよ」


 フワァッ、と渦状に風が巻いた。

 褐色の肌でもはっきり分かるくらい、咲の顔は紅潮していた。

 それを見て、俺も思わずどきんとしながら顔が熱くなった。こんな人から好意を向けられていて、婚約を視野に入れられているなんて、あらためてとんでもないことだ。


「あ、ありがと」


 そう言いながら、咲がストップウォッチを受け取る――のを失敗した。細い指の間から、黒い機械が滑り落ちていく。


「あっ」

「あっ」


 手から零れ落ちた小さな機械は、そのままグラウンドに着地し、コッ、と音を立てて背中を向けた。俺の目には、ボタンを下にして落ちたように見えた。

 ふたりの間にきまずい沈黙が流れ、互いに顔を合わせて、苦笑しながら頷いた。

 意を結して、俺はかがみ、ストップウォッチを拾い上げ、画面を咲の方に向けた。


「マーフィーの法則――だっけ」

「え?」

「食パンを落とすと、バターを塗った面が必ず下になってしまう、っていうユーモア」


 彼女が言わんとしていることを察して、手首を返す。なるほど、ストップウォッチはしっかりとボタンを下に着地して、リセットさせてしまったらしい。


「ごめん――俺がちゃんと手渡さなかったから」

「ううん、透のせいじゃないって。私がちゃんと受け取れなかっただけ。それに、一瞬だったけどちゃんとタイムは見えたから大丈夫」

「タイムが見えたって?」

「うん。落下する間に、画面がこっちを向いてくれたでしょ?」


 咲は平然と言ってのけ、そのタイムを口にした。それは、俺が記憶していたタイムとぴったり一致していた。一瞬にも満たないような短い時間だったのに、とてつもない動体視力だ。


「咲、すごいな……」


 呟くと、さっきよりも強く風が巻いた。ハッとして見ると、咲の顔がまた真っ赤になっている。


「そ、そんなにリアルに褒められたら、照れちゃうってば」

「次、男子、行くぞー」


 体育教師の声がかかり、俺は慌ててスタートラインへと駆けた。背中に、咲の「がんばってね!」という黄色い声が届いた。

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