第10話 古エルフ語
いつものごとく孝志が「ようツキミサト、今年の芸術選択は何にする?」とでかい声で聞いて来たとき、俺は、これはチャンスだと思った。
例によって聞き耳を立てている花と咲に聞こえるように――といっても、聞こえないように言っても聞こえるのだろうが――俺は「今年は音楽にするよ」と答えた。
「おいおい、マジかよ。どういう風の吹き回しだ?」
「書道も美術も、筆を扱うのは苦手意識があるからな」
「それは去年も聞いた。それで工芸を選んで、廃材だけでつくったとは思えないクオリティの棚をつくって、先生に絶賛されたんだもんな。今年もそっちに行くのかと思ってたけど……実は、人知れずロックに目覚めて家でギター弾いて練習してたとか? モテか? モテ目的か?」
「違うって。ただ、新しいことに挑戦するのもありかと思ってさ。音楽は元々嫌いでも苦手でもないし」
工芸の授業は好きだった。他の三つと違って、実用的なものを造るという主旨も気に入っていた。
ただ、今回はそのこと以上に、花と咲、どちらかでいい、エルフの『歌』を聞いてみたいと思ったのだ。
まだ小さかった頃、両親と一緒に見たファンタジー映画に、エルフの音楽家が登場するシーンがあった。竪琴を奏でて美しい歌唱を披露するその姿は、子どもながらに目を惹かれたものだ。こんなのは現実にはありえない、と思いながら、心のどこかでずっと憧憬として残っていたのだろう。
花か咲、あるいは両方に、正直に「エルフの歌を聞いてみたい」と言えば、喜んで応じてくれるかもしれない。だが、いちクラスメイトとして関係をスタートして欲しいと言ったのは俺の方だ。都合よく手のひらを返すわけにはいかない。
だが、音楽の授業の中なら、堂々と彼女達の歌を聞くことが出来る。どちらかが音楽を選択してくれれば、映画の中にしかなかった『エルフの歌』を聞くチャンスがあるはずだ。
姑息にも、俺が音楽を選択すると分かればどちらかは同じく音楽を選ぶのではないか――という発想に至り、俺はそれを口にした。
「そっか。まぁ、透らしいっちゃ透らしいかもな」
「なんでだよ」
「飽きっぽいじゃん、お前。ひとつのことが長続きしたこと、ほとんどないだろ」
「普通に傷つくな、それ……ま、事実だけど」
孝志は去年に引き続き書道を選択するとのことだった。理由も去年に引き続き、先生が唯一女性だから。俺とは違って、ある意味、初志貫徹の男だ。
午後になって、オリエンテーションの会場に行ってみると、そこにはふたりのエルフがいてくれた。思わず表情が緩みそうになり、慌てて引き締める。あくまでもクラスメイトだ。もっとも、ただのクラスメイトだとしても、彼女達と同じ教科になって喜ぶのは、他の面々がそうしていることを思えばおかしなことではないのだが。
「校内で話題もちきりのお二方が、どちらも音楽を選んでくださるとは、光栄ですな」
自身も市の吹奏楽団に所属しているという音楽教師が顔をほころばせた。初老ながら、いつもピシッと糊のきいたシャツを着ていて、知的で涼やかな印象のある彼は、男女問わず生徒の中で人気があった。
「古来、エルフ――妖精や妖怪といったものは、音楽の世界で題材となってきた存在です。しかし、それらそのものが音楽を奏でるというのは、ついぞ聞いたことがありません。さて、自己紹介がてら、御国の音楽についてお話を聞かせて頂けますかな。もちろん、披露してくださっても構いませんよ」
おいおい、そりゃ無茶ブリじゃないか――と俺は驚いたが、例の二人は我先にと前に躍り出た。やる気満々だ。その内心には、婚約者の座を得るためのアピールがあるのだろうが、それを分かりやすく露わにするようなことはないだろう。
「それじゃ、せっかくなので、一緒に歌いまーす」
咲がパッと手を挙げた。褐色の、華奢といえるほど細い腕。
隣の花は、どことなく緊張した面持ちに見えた。
「…………すぅ、」
――咲が歌い始めてすぐ、目頭が熱くなった。心が震える、とでも言うんだろうか。抗いがたい感情の奔流に驚いていると、どうやら周りもみんな同じような状態であることが分かった。先生は号泣している。
聞き覚えの無い言葉が、ア・カペラで音楽室に美しい旋律を響かせる。エルフ族の言語だろうか。耳がうっとりする。歌う咲の姿も絵画のように美しいはずなのに、自分の意識は視覚ではなく聴覚に注がれた。
そこに、花の声が重なった。
どう喩えるべきか、言葉が出てこない。父がどこかの国から送ってきた、ものすごく手触りのいい、絹だったか何かの織物を、もっと上等にしたような――それでいて、透明で、重ね合って――思考することすら困難だった。酔いしれる、という感覚を、人生で初めて味わった気がした。
「この余韻に浸ることこそが芸術鑑賞です」
そう言った先生は、教室の前に置いた椅子に座り、腕と足をそれぞれ組み、瞑想の体勢に入ってしまった。
残された生徒はどうしていいやら――と困ることもなく、先生と同じように恍惚とした表情で中空を眺めている。
すごい時間だった……と帰宅すると、家の前で鉄にはちあい、彼女らの歌の話をした。
「そりゃ、古エルフ語だな」
「古エルフ語?」
「魔力を込めることの出来る言語だ。おそらく、意中の異性を虜にする類の念を込めたんだろうが、互いにターゲットがかち合ったせいで打ち消し合ったんだろうな」
「それじゃ、ほかの生徒がうっとりしてたのは――」
「余波だな。まぁ、効果時間は短いし、健康を害するようなもんでもないから、心配は無用だ。それにしても両手に宝石抱えて、うらやましいこったぜ、透よ! ガッハッハ!!」
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