35 あ、赤ちゃんの作り方ぐらいは知ってるんだわ!
台所に立ったノワキが、まな板の上でトントンと包丁を動かす音が聞こえてくる。
家にいる時の彼女は例に漏れず黒の着物を身に纏い、髪を後ろで一つに纏めている上、今は割烹着もしているので、思わず後ろから抱き着きたくなる不思議な魔力がある。
……やっぱりノワキは、家に帰るとノカゼ成分(?)が強まるんだろうな。
「もう少しでできるから待ってて」
ノワキが前を向いたまま、そんなことを言ってくるのだが……
「ああ」
遠目で見てるだけで分かる。普段から料理してる人の動きだ。手際が良すぎる。
この分だと、あの弁当はあえて不味く作ってたんだろうな。本人は全力のつもりで。
「今日も父親はいるのか?」
「いつもあの部屋にいるわよ」
奥の襖は閉められており、昨日のようにテレビの音が漏れているということもない。
近づいて、そっと襖を開けてみると……いた。昨日と同じ姿勢で、大の字になって寝ている、ぐうたらなクソ野郎が。
見れば見るほど不潔な男だ。だらしなくたるんだ頬に、伸び放題な青髭。知性の低そうな顔立ち。薄汚れたタンクトップ。腹が立つ。昨日と違ってズボンを履いているだけマシか。
「……何作ってるんだ?」
僕は今度は台所に行き、ノワキの横にしゃがみ込んだ。
そしてシンク下の収納スペースを開ける。
「もうすぐだから、待ってて」
「うん」
扉の裏側の包丁差しに使っていないものがあったので、軽そうなのを一丁抜き取った。
「……なにしてるの?」
包丁の柄をしっかりと握りしめた僕がキッチンから離れていくので、それを訝しんだノワキが振り向いて訊いてくる。
「すぐ終わるよ」
僕は襖に向かって歩いていき、更にその奥へと足を踏み入れた。
そのまま進み、いびきをかいて寝こけているノワキの父親の前で立ち止まる。
「死ね」
包丁を逆手に持ち替えてから、勢いよく奴の心臓めがけて突き下ろした。
――ドッ!
と畳の上に包丁が刺さってしまう。今この瞬間まで眠りについていたはずの男が、その場から消えていたのだ。
避けられた。完全な不意打ちだったというのに、どういうことだろう。
「…………てめぇ。なにしやがる」
その機嫌の悪そうな声は、頭上から聞こえてきた。
見上げれば、数歩離れた場所にノワキの父親が立っている。
油断なく僕の右手に握られた得物を見据えるその目は、完璧に意識が覚醒しているそれである。これは下手を打ったかもしれないな。
「そっか。村いちばんの武人なんだっけ」
「――!」
引き籠って衰えているだろうと思っていたが、この様子では、反撃を食らったら僕が殺されてしまうかもしれない。
「なんでそれを知ってる。あの村の人間か?」
自分たちの事情を知っている僕を警戒するように睨みつけるノワキ父。
「いや、僕はただのノワキの友達だよ。事情は別の奴から聞いた」
「じゃあこれはなんのマネだ……!」
ノワキ父は憤怒の形相だ。自らの命を脅かされたのだから、当然の反応だろう。
「ムカつくから息の根とめてやるんだ。誰も僕を咎めやしない」
畳から包丁を引き抜いて、僕は今度こそ鈍色に光る切っ先を、奴の胸に――
「なっ……なにしてるの!」
突き立ててやろうとしたところで、ノワキが驚愕に目を見開いてやってきた。
その女を見て、僕は一つ聞いておきたいことがあるのを思い出す。
「なあクソ男、お前昨日こいつをノカゼって言ってたよな。あれどんな気持ちで呼んでたんだよ」
「あァ……? いきなり意味わかんねぇわ」
「まあいいだろ」
「……そうだなぁ」
唐突な僕の質問を怪訝に思いながらも、ノワキ父は答えてくれる。
「……よく知らねえが、ノカゼが死んでからこいつ、イカレちまってよ。自分を母親と混同してやがんだ。そんで生前のノカゼよろしく俺に従順なもんだから、そう呼んでやってんだよ。面白いもんだぜ? ノワキは俺のこと死ぬほど憎んでるってのに、ノカゼ呼びすると途端に優しくなりやがる。傑作だよなぁ」
「――は、はは」
その正直すぎる発言に、僕は思わず笑い声を漏らしてしまう。
「おい聞いたかノワキ。こんな真正のカス人間にお前は今まで尽くしてたんだぞ。さすがに愛想も尽きたか?」
「……スグル、なんでこんなこと……」
「答えろよ!」
「……っ……」
僕が語気を荒げて催促すると、ノワキは肩をビクつかせて語り出した。
「――スグルが言うことも分かるわ。でもね、違うのよ。わたしがしたくてしてるの。わたしがね、この人を支えたいの。だから……」
「………………くっ、はは……」
僕は――
「――ふっ……はは、はははははははははははははははははははは! あはははははははははははははははははははははははははははははは!!」
彼女のあまりのおかしさに、あまりの滑稽さに、柄にもなく大笑いしてしまう。お腹を押さえて、その場に膝をつく。
「スグル……!?」
「気味わりぃ野郎だな……」
だってそうだろう? 一体なんだその執念は。なんだこの喜劇は。わたし、わたし、わたし! それっていったい誰のことだろうな!
壊れた玩具みたいにアイアイアイアイアイアイ……それに巻き込まれて、王様面してる父親も!
みんなバカみたいだ。ようやくわかった。
ここには誰もいないんだ。この家にはもう、誰もいないんだ。
「くっ、ぷ、あははは……あー、お前も可哀そうな男だな、お父さん!」
「……は?」
「だってそうだろう? こんな不気味な女どもに死ぬほど愛されて……踊らされて……惨めだよなあ!」
ああ……よかった。
怒りが……引いていく。
理解できたから。この男が……僕の脅威でもなんでもないのだと、理解できたから。この苛立ちが、意味のないものであることが、解明できたから。
この男は脅威ではない。この父親は恐怖に値しない。そもそもノワキはノカゼであり、ノカゼ本人は当の昔に失われているのだから。
僕には今のこいつは、ただ幻想と戯れているだけの子どものようにしか感じない。
「舐めてんのかてめぇは」
「その価値もないだろ? せいぜいノカゼと……くくっ、ノカゼと仲良く暮らしてろよ」
ああ、よかった、よかった――
――またしても、僕から母さんを奪おうとするような男は、いなかったのだ。
「…………はぁー、久々に笑わせてもらったな。大満足だ」
昨日からずっと気になっていた胸のつかえが取れ、大変晴れがましい気持ちだ。カーテンで閉め切られた臭い部屋だというのに、世界が輝いて見える。
「もう君たちどうでもいいよ」
それと同時に、目の前の、笑ってしまうほど悲惨な家族への興味が失せる。
不知森だの、カネコリサマだのという胡乱な人間どもに、これ以上関わっていられない。
「僕はもう帰るね。ばいばい」
ここにいる理由がなくなったので、踵を返し、この場から去ろうとする。
「待って、スグル!」
それを引き留める……この女。
「まだ、わたしの料理――」
「はぁ?」
こいつは……この期に及んでなにを言っているのか。
「――うるさいな! 僕を見ない女なんかに用はないんだ!」
ノワキ父とこいつは別だ。こいつはノワキだのノカゼだのというくだらない理由で、僕を、更科優を軽視する。
無理やり僕の方を向かせてやろうとも思ったが、もういい。このクレイジー女一人に無視されたところで、よく考えたら痛くもかゆくもない。ただノワキと同じように、僕だってこいつのことを気にしなければいいだけの話だ。それだけだ。
「だ、だってスグル、学校ではわたしのお願い――」
「僕が本当にノワキの料理を食べに来たって、まだそう思ってるのか? 違うよ、僕からノワキを奪おうとする男を殺しにきたんだ! でもそんな奴いなかった! いたのは笑っちゃうほど間抜けで滑稽で愚かに狂った父と娘、あるいは父と母だけ! だから僕はもうお前らはどうでもいいんだ!」
「ど、どうして……」
「黙れ! それ以上口を開くな! 僕をイラつかせるな! せっかく今、いい気分なんだよ!!」
「スグル――きゃっ!?」
これだけ言ったというのにまだ僕に歯向かおうとする女に頭が来たので、僕はノワキを突き飛ばして家を出た。とにかく走った。もう二度とあんな家とあんな奴らは目にしないで済むように。ひたすら全力で。自分でどこに向かっているかも分からないで。ずっと、ずっと――あ!
頭が痛い、頭痛がする、頭が割れるように、潰れそうに、ひしゃげそうに? 痛い! 痛くない!
「僕の気分を害するあの家族はなんだ……僕の世界を、澄み渡る僕の世界を、完全で、完璧で、単純明快な、確かな僕の王国をおおおおお! …………。……そう、なんだよ。ねえ聞いてごらん、僕は分かってしまったんだ、あの男は僕の世界に不要なんだ。だから殺す。殺そうとした。僕が殺そうとしたら、死ななければならないんだ……君もそう思うよね?」
見知らぬ通行人、これは僕が理解するモノであり、僕が世界にあることを許した一つである。
「え……あ、私、ですか……?」
「君もそう思うよな! ハイと言え!」
「ハイ」
「そうだよなあ!!」
呵々と笑い声を上げる。実に正しい。よし、お前という一つの事象がある、それを認めよう。大いに休め。
「ほら見ろ! やっぱりそうだ、僕なんだ。この世界は僕なんだ。僕の思うままなんだ! ああ……そうだな、もう一度。そうだ、僕は東京へ行きたい!」
この全身を支配する、倦怠感や恐怖にも似た、わが身が内側からそのエネルギーによって暴発してしまいそうな苛立ちを、上手に鎮めるために。
この薄皮一枚引っぺがしたら、たちまち炭酸が溢れるように中身が世界にぶちまけられてしまいそうな、とにかく時を急くような憤りを紛らわすために!
「東京へ行く! 僕は次の瞬間、東京にいる! 僕がそう思った!」
――すると次の瞬間、僕は東京にいた。
「ははははははははははははははははは!!!」
数秒前と比べて、かなり空は暗くなっているが、これは些事である。……いや、それすらも、なにかの比喩表現だろう。おそらく僕の全能に世界が慄いていることのメタファーである。なんせこの世界は、あらゆるものがなにかに対するアレゴリーだ。
さて、次の確認行為。不知森野分という我儘女の偶像破壊に、僕は専念しなくては!
というわけで、僕はこの大都会で、道行く美少女を何人か見繕ってホテルへ連れ込んだ。エルと付き合って以降、他の誰かを抱くということはなかったので久々である。
あまり多すぎても面倒なだけなので、4人ほどに留めた。焦ってはいけないのだ。性豪であることが、そのまま英雄ということにはならない。あくまで嗜みでなければ恰好がつかないではないか?
僕は倹約家なのだ。
そんなことはどうでもいいので、僕はさっそく目の前の女どもを屈服させる作業へと取り掛かる。
2時間ほど物色した甲斐もあり、十六夜躑躅や不知森野風に並ぶような見目麗しい女を揃えられた。
一人目は、ほどよく日焼けをして褐色の、健康的でスラリとした体形の、スポーティな美少女である。高校一年生で、陸上部だという。レンタルできるコスプレのなかにユニフォームがあったので着せてみたら、様になっていた。胸が小さいのと貫通済みだったのは残念だが、人生で初めてできたという彼氏の話をさせながらのプレイはかなり盛り上がった。
「まあまあ。70点」
「鬼畜♡ 絶倫♡ 最優秀主演男優賞♡」
二人目はいかにもな陰キャだ。長い黒髪にそばかすが印象的な、眼鏡をかけた根暗女。全体的にダボッとしたシルエットの服を着て、とにかく自信なさげだった。なにをするにも受け身でイラついたので、最初に10分ほど優しく抱きしめながら、容姿や性格を適当にたっぷり褒めてやったら、簡単に発情顔を晒して股を開いた。脱がせてみると隠れ巨乳だった。この見た目なら絶対に喘ぎ声はオホ声だと思っていたのに、そうではなかったのが頭に来たので綺麗なオホ声が出せるようになるまで調教してやった。全体的に雰囲気が、付き合ったばかりの頃のエルに似ていて興奮した。
「あんッ♡」
「違うだろぉ!」
「お゛ッ……おほおぉ♡」
「大いによし。85点」
三人目は少し趣向を変えて、ランドセルを背負っていそうな美しい少女を捕まえてきた。黒髪ぱっつんで、無垢そうなくりくりのおめめがかわいらしい人形みたいなその女は、ツツジをそのまま一回り若返らせたような見た目だった。聡明そうなサツキとはまた違う、いい感じに頭の悪そうなメスガキの魅力がある。正直、かなり期待していた……のだが、現実は非情であった。とにかく未成熟なので、狭くてキツくてまともに抽挿も行えなかった。エロゲではロリはかなり好きな部類だったのだが、やはり虚構と現実の差というのがあるのだ。適当に見抜きで顔射して終わらせた。60点。
四人目。美少女というより美人という風貌のフランス女だったので連れてきたのだが、なぜか妙に抵抗するので不思議に思っていると、そいつは魔術師だった。魔術を使おうとする素振りを見せたので何発か殴っておいた。……しかし、これは面白いことになった。
「僕はずっと疑問だったんだよ。ズミやさざれが、僕の魅力が効かないとか言ってるのが。あれは厳密には効かないんじゃなくて、耐性があるだけだ、耐えてるだけだ。だからあいつら相手に、僕はどこまでやっていいのかずっと怖かったんだけど……ちょうどいいし、君で試させてもらうね」
最初はかなり反抗的だった。僕が襲い掛かると、ひっかいてきたり噛みついてきたり、とにかく逃げ出そうとじたばたしていた。ウザかったので、他の三人に命じて押さえつけてやった。善良な魔術師であるそのフランス女は一般人に危害を加えたくないらしく、これが有効だった。ベッドに組み伏せて、じっくりと、丁寧に口説きながら愛撫してやった。日本語はカタコトだったが聞き取る分には問題ないようで、僕の言葉は通じていたらしい。初めの10分、20分ほどは親の仇のように僕を睨めつけていたが、それを過ぎると急にしおらしくなり、むしろ向こうから求めてくるようになった。どうやら、僕に抵抗するための魔力が切れたようだ。個人差はあるだろうが、約30分か。それだけあればズミやさざれも落とせることが確認できたので、気分がよくなった僕は存分にこの女を抱き潰してやった。かなり具合がよかったので何発も膣内に射精すことができた。
「90 points……やっぱりそうだよな。所詮魔術師って言ったって、女なんだ。人間なんだ。こんなもんだよな」
「……♡」
最後にその4人をベッドに並べて、全員が気絶するまで犯した。その日は特別に調子がよく、全く疲れを感じない。僕はどこまでも漲っていた。
抱いているのは人ではない。犯しているのは記号である、属性である。僕は欲望のままに道具で遊んでいるのだった。精神は肉体の付属品である。それは捨象される。僕は認めない。それが気持ちよく、それがいいのである。
だが――
「……だめだな」
最後の一人が、魔術師のフランス女がうつ伏せになって寝息を立て始めても……この胸の空虚な穴が、埋まることはなかった。
もっと……もっと直接的に、不知森野分をレイプしなくてはならない。
「……そうだ」
思いついたことがあったので、僕は床に脱ぎ捨ててあったズボンのポケットを探る。たしかここに……あった。
それは1枚の写真。
いろいろな関係が変化した、僕らの一つ目の転換点。6月14日に、三手白神社の境内で、ツツジとノワキと3人で撮ってもらった、デートの記念写真だ。
「よし、よしこれだ!」
僕はベッドに上がり、写真を枕に立てかけて、そこに向かい合う。
僕はいつになく硬直している。僕はいつになく熱く滾っている。その切っ先は、寸分たがわず写真の中のノワキに向けられている。
間近に迫った僕の顔に、ほんのりと頬を染めているノワキ。それをツツジに指摘されて、照れ隠しとばかりに彼女の足を踏みつけているノワキ。
こいつを汚す。この女に汚れを味わわせる。僕の白濁の色で、その匂いで、窒息死させてやる。
「…………」
させてやると、決めたのに……
「……なんでだ」
どういうわけか。
「なんでだよ!」
手に……力が入らない。
この身は、この尖塔は、これほどに痺れを切らして吠えているというのに。
その研磨を――体が拒んでいる。魂が疎んでいる。……どうしてだ。
「なぜだ! なんの力だ! この……この!」
力任せに、枕を殴りつける。その衝撃で写真が落ちそうになったので、僕はどうにかキャッチして元の場所に戻した。
「どうなってるんだ! ……お前らなんとかしろ!」
すぐ横で愛液と精液まみれになっている女どもを怒鳴りつけるが、ぐったりしたまま無反応だ。役立たずがよ!
……落ち着いて、もう一度、ノワキに向かってこの剣を握……れない!
「クソクソクソ……なんでだ!」
全裸のまま、僕の僕だけの高揚感を邪魔する謎の力に苛まれて、全身を掻きむしりたくなる衝動を、必死に堪える。
「クソがぁ……ッ!!」
「――なにしてるの、優くん?」
「――……!」
いきなり水風呂に投げ込まれたかのごとく、心臓をそっと握られているかのごとく――
意識が……急速に冷めゆくのを感じる。
今、いま。
……この場に聞こえるはずのない声がした方へ、顔を向ける。
そこには……
「えへ……浮気現場だね? 優くん」
ゆるやかに波打った長い金髪を揺らす、僕の彼女……源エーデルワイスが、柔和な笑みを浮かべて佇んでいた。
ツツジ「私をそのまま小さくしたような美少女……そんなのいるわけないんだわ! 十六夜躑躅は唯一無二!」




