36 ――ありがとう。
開いた口が塞がらないとはこのことだった。
……意味が分からない。源さんが、スグルの彼女? あいつと彼女が付き合ってた?
だったら、今までのはなんだったんだよ。
オレがやってきたことは、全部茶番だったってことじゃねえか。
オレはなんのために、ここまで来たんだ?
スグルが何を考えているのか分からない。理解ができない。
どうして隠していた? あの二人が付き合っているだなんて、噂すら聞いたことがなかった。
いつからだ。
昨日か。一昨日か。
上野動物園のデートか。急接近とまではいかずとも、和やかな雰囲気だったはずのあの時か。
市民プールに行ったときか。オレがあまりにヘタクソすぎて、源さんとユカリの二人に迷惑をかけちまったあの時からか。
オレが水泳部に体験入部したときか。ようやく源さんと面と向かって会話ができたと喜んでいたあの時には。
いや。
オレがあいつに、恋愛相談を持ち掛けた時には……すでに、源さんはあいつの彼女だった?
いや。
分かってる。本当はもっと前なんだろ。もうずっとなんだろ。最初から――
――最初から最後まで。オレがやってきたことは、今までのすべて、無意味だったんじゃないか。
オレがあいつを頼って、あいつとバカみてぇなことを話し合ってた間……あいつはずっと、オレがこうなることを分かってやがったのか。
分からない。何が起きているのか。なぜこんなことをするのか。それに何の意味があるのか。
親友のことだってのに、理解できねぇ。
積み重なる疑問は、悲しみを通り越して、空虚な怒りさえ呼び起こす。
……その怒りのままに暴れられたら、少しはせいせいしたかもな。
あいにくと、冷静だ。いや、果てしない無気力だ。
拳を振り上げる気にもならん。
その場に突っ立ってるので精一杯だ。
でもそのおかげで、このお粗末な脳味噌だけは無駄に張り切ってやがる。
――親友? オレはそう思っていた。あいつと同じクラスで、いつもつるんでるから、なんとなくわかった気になっていた。
よく考えたら、まだ1年ちょっとだ。高校からの付き合いでしかない……うわべだけの関係。だった、のか。
ああ。オレ、あいつのことなんも知らねえわ。
あの『更科優』。世界的な『更科優』。アホほど有名な『更科優』。バカイケメンで、笑顔を張り付けたような顔面で、人当たりがよく、当然モテる。ゆえに、それ相応の苦労をしてきた――
――んなこと、ネットでググりゃ三秒で分かることじゃねえか! 世界中の誰もがその程度のこと承知してんだろが。
あいつと1年以上もダチやってんのに、オレは表面上の理解しかしてなかったわけだ。滑稽だ。喜劇だ。残酷だ。
でもしかたねえだろ? 男の友情なんてそんなもんだと思うんだよな。別に分かり合おうともしない。実際分からない。だがなんとなくつるむ。分からないままつるみつづけて、なんか上手くいっちまう。お互い分かった気になってるに過ぎない、だがそれで何の問題もない。そういうもんだろ?
だが、ちげぇよ。
オレはそこにすら及んでいなかった。
オレが分かった気になってたのは、『更科優』っつープロフィールだけ。あいつじゃねえ。
――いや、てか、待てよ。
なんでスグルの話になってんだ。オレは源さんと話してたんだぜ。
なら、オレは何を思うべきだ? オレが真っ先に受け止める事実は――
「………………アキラ、くん……」
撓んでいたプレートが弾かれたように、意識が現実に連れ戻される。
振り向けば、そこにはオレを呼んだ女生徒。小生意気な後輩。
「……んだよ、ユカリ」
暮れなずむ晩春の空の下、オレ以外に誰もいなくなったはずの屋上に、ユカリが立っていた。
もはや見慣れた、鎖骨の辺りまである栗色の髪。桜色に潤う唇。白くつんとした鼻。愛嬌のある目元。そこから流れる涙。
「――……は?」
ユカリが、泣いていた。
ぽろ、ぽろ、と――
なにか、すごくショックなことがあったみたいに。
まるで、ひどく心を傷つけられたみたいに。
「なんで、お前が……」
オレの想いを全部、そのまま吐き出すみたいに。
「オレも泣いてねえのに、お前が泣いてんだよ……」
静かに、静かに、泣いている。
「だ、だって……!」
溢れ出る涙を袖で拭いながら、震えた声で言葉を紡ぐ。
「意味、分かんないじゃないですかっ! なんで、なんで……先輩たち、付き合ってたって……そんなの、ユカリだって……知らなくて……っ」
悔しいのか。悲しいのか。恨んでるのか。怒ってるのか。それに対する自己嫌悪か。
その激情の正体までは分からないが、ユカリも源さんとは親しかったんだ。泣いたって許され――
「アキラくん、あんなに頑張ってたのに……!」
――――。
「ユカリ、全部見てましたよ……? アキラくんが、先輩のために努力してるところ……」
――――。
「それ、なのに……」
――――ああ。
「それなのに、あんなの…………ないじゃないですか…………」
ぽろ、ぽろ、と――
自分事のように、後輩が涙を流し続けている。
その慟哭が、オレの目を覚ますようだった。
「……ああ……」
――ああ、そうか。
「……オレは、源さんに振られたのか……」
言葉にしたことで、実感が伴った。
「もう、次はないのか……オレは、失恋したのか……」
どこか曖昧だった世界が、ここが、今は現実なのだと理解できる。
オレが真っ先に受け止めるべきこと。
オレはまず、それを認めなきゃならなかった。
「……アキラくん。ユカリに、話してください……」
オレの手を取って、優しさで編まれた言葉を、ユカリは贈る。
「アキラくんは、どうして先輩が好きだったんですか……?」
ともすると、傷口に塩を塗るような質問。
それはオレが今、一番考えたくねぇことだ。
それはオレが今、一番向き合わなきゃならねぇことだ。
時間が解決してくれる、だとか。無理に解決することじゃない、とか。
そんな耳障りの良いことは、言っちゃくれない。
ここで、すべて吐き出せと。
自らの心に、あらゆる過去に、今ここでご対面しろと。
この手厳しくも優しい女は、言っているのだ。
「……ああ、そうだな……」
だから、だからこそオレは、こんなにも穏やかな気持ちで語ることができる。
この後輩の厳しさに耐えるには、これくらい大きな悲しみが必要なのだ。
つまるところ、今しかなかったわけだ。
後輩の女子に慰められるとは、男失格もいいところだ。この間はこいつに人間失格だと言われたが、反論できねぇな。
「大した話でもねぇが、聞いてくれるか」
「はい……アキラくんの言葉、ユカリに聞かせてください。全部全部、覚えてますから」
――それほど語ることもないくせに、夜の帳が下りた屋上でのそれは。オレが言葉を尽くすには、かなりの時間を要した。
オレとユカリ、二つのものが衝突して、その間に生まれた時間は、皮肉なほどに美しかった。




