25 ゆっくり休むんだわ。
6人は、半分に分かれて園内を回ることにしたようです。優は躑躅と野分、陽がエーデルワイスと縁、という具合に。
「じゃ、じゃあね? 更科くん、二人になにかされたらすぐに呼んでね……?」
「うん」
「ほらほら、行きますよ先輩! アキラくん!」
「アホ、そっちは売店だろが! 土産袋抱えて園内回るつもりか!」
「エル先輩もほらほら! 先輩はなに見たいですか? ユカリはバクが見たいです!」
「えっと、バク……どこかな……」
「ここです!」
陽たちは入園してすぐの売店で、園内マップを開いてもたついているようでした。
「パオーン! 象だわ! 私の方がかわいい!」
「ツツジの言う美って動物的なかわいさも含まれるのか?」
「ううん!」
「そっか」
優たちは象を見ていました。
「わたしもう疲れちゃったわ」
「ノワキは人ごみが苦手なんだな」
象の檻から通路を挟んで向かい側に置かれたベンチに、歩き疲れた野分と優は腰を下ろしました。
「ツツジと先に行ってていいわ」
「ノワキといたいんだよ」
「またそんな思ってもないこと」
「形から入るタイプなんだよ。いつか本音になったらいいと思う」
「いつかね」
「今日が思い出になる頃には、きっとさ」
「急にキザったらしいわ」
「ここに書いてあるんだから」
と言って優は、ベンチの端を指さしました。そこには銅のプレートに『思い出ベンチ』とあります。
「寄付されたものだってよ」
優はスマホで調べて言います。
「わたしたちの対極みたいね」
「他人に施すことが……。ノワキ、君はもう少し自分の優しさを自覚した方がいいよ」
「わたしは自分がなによりかわいいの」
「本気で言ってるんだから笑えないよね」
「……なにがよ?」
話が見えない野分は不満そうに眉を寄せます。
「ノワキがとてもかわいいって話だよ」
「わたしはとりあえずかわいいって言っておけば喜ぶ、ツツジみたいなのとは違うわ」
「でも褒められて悪い気もしないだろ」
「それが本心ならね」
「どうすれば本心だって伝わるかな」
「ならまず、その涼しい笑顔をやめるのね」
野分はどこか弾んだ声音でそう言いながら、腰を上げ、先を行く躑躅を追いかけていきました。
☽
「やっと追いついたよ」
優と野分が躑躅を見つけた時、彼女は水中を泳ぐシロクマを見てはしゃいでいたのです。
「ホッキョクグマ! 私の方がかわいい!」
「もしかして全部の動物にそれやってるのかしら」
「つまみ出されちゃえばいいのにな」
「毎週動物園に通って、この世界のあらゆる動物より私の方がかわいいことを確認するのが私の趣味だわ!」
「へぇ、動物園巡りか。かわいい趣味だね」
「ポジティブな偏向報道だわ」
優はもういちいち躑躅の戯言に付き合うのが馬鹿らしく思えてきたのでした。
「エサの時間だわ!」
その時ちょうど、飼育員がシロクマにエサを与えているところでした。
「わたしたちもなにか食べましょう」
「でも、さっき通ってきたところはかなり混んでたよな」
東と西に分かれる園内にもフードショップはいくつかあり、正門側である東園の売店はどの時間帯も大混雑なのでした。
「西園に移動するわ?」
「そうしましょ」
☽
東園から西園へは、その二つを結ぶ「いそっぷ橋」を渡って移動します。
その手前にはモノレールがあり、以前はこの日本最古のモノレールが東園と西園をピストンしていたのですが、現在は運休状態でした。
「運行再開するかしら? 乗りたかったわ……」
「高校生3人でか?」
モノレール乗り場の前で悔しがる躑躅を置いて、優と野分はいそっぷ橋を渡ります。
「まあ、いい景色ね」
景色の開けた場所まで来た野分が、欄干に手を掛け呟きます。眼下にはまだ開花には至らない蓮の葉に埋め尽くされた不忍池と、その中に聳える六角形の弁天堂。
「後ろのビル群がなければもっと……あら?」
言いかけた野分は、一つの違和感に気づきました。
「ねえスグル、ちょっとこっち来て」
「なんだ?」
「いいから、ここに立って」
両肩を掴まれた優は、半ば強制的に先ほどまで野分が立っていた場所に立たされました。
「……あ、少し揺れてるな」
そこは橋の端で、少しばかり撓むのでした。
「たまにぐらつくね」
「でしょ? 揺れるでしょ」
「……」
なにが面白いのかころころと笑う野分の顔を、優は見つめます。
「いつもそんな感じってのは無理か?」
「?? なんのこと?」
「ノワキがとてもかわいいって話だよ」
「だからわたしはそんな言葉じゃ……、……もう。おかしいわね」
少しは本心に近づけた気がした優なのでした。
「ママー、見ててー!」
時を同じくして、小さい男の子が、いそっぷ橋手前の擁壁に飛び掛かり、なんとかその壁を登り切ろうとしているようでした。
「うーっ、わんわんわんっ! ……ぎゃうんっ」
その横では、躑躅が同じことをしようとして、擁壁の上の柵に捕まったはいいものの、勢いを殺しきれず、壁に膝をぶつけて血を流しているところでした。
「知り合いだと思われないようにしましょ」
「そうだね。先に行ってようか」
「わたしコビトカバが見たいわ」
「珍しいんだっけ?」
「待って――い、痛い……!」
膝の傷を消毒して絆創膏を貼る躑躅。彼女はよく他人――野分やクラスメイト――に暴力を振るわれ怪我をするので、手当には慣れていたのでした。
☽
「スグル、このお団子おいしいわ! 食べる?」
「わたしがもらうわ」
「どうぞ!」
三人は西園・不忍池の畔に展開しているカフェで昼食を取っていました。不忍池にせり出したテラスは景色が素晴らしく、暖かな陽光と爽やかな風が心地よい、行楽にはぴったりな場所なのでした。
「このお弁当、見かけによらず意外と重いね……」
優は白米としいたけでパンダを象ったかわいらしい弁当と、フライドポテト、オレンジジュースを頼んでいました。
「スグル、はい。あーん」
「いやだから、弁当がわりときつくて」
優の頬にフライドポテトを突き立てる野分は小食なので、ハンバーグサンド一つでお腹いっぱいになっていたのです。
「まだちょっと足りないわ? 追加でそのお弁当頼んでくる!」
財布を握って席を立った躑躅に、こいつマジか、と優と野分は顔を見合わせます。彼女はちょっとした健啖家でした。
「まあ、四六時中ぎゃーぎゃー騒いでればカロリー消費も激しいのかな」
「ノリで驚いちゃったけど、そうね。あの子は昔からよく食べて、よく動く子だったの」
「節制を促せば落ち着きも生まれるかな」
「帰ってきたら食事を取り上げましょうか」
「虐待みたいで心が痛む」
思ってもないことは明白でした。
「食べるなって命令したら? 奴隷なんでしょ」
「なんだって奴隷なんて……」
「まだ言ってるの? 男らしくないわ」
「いつまでも言うよ。僕はもっと普通でいいんだ」
そう言って微妙な表情を浮かべる優が、野分はなんだか放っておけないのです。
「わたし、困ってるあなたを見るのが好き」
「めちゃくちゃ性格悪いじゃん」
「えっと、そうじゃないの」
「ただいまだわ!」
帰ってきた躑躅の右手には竹皮パンダ弁当、そして左手には焼きそばが置かれています。
優と野分は目と目で分かり合いました。
「ツツジ、その焼きそばは僕が」
「そっちのお弁当はわたしが食べるから、あなたは遊んできていいわよ」
「なんで⁉」
楽しいお昼を過ごす三人なのでした。
☽
「フラミンゴだわ! 私の方がかわいい!」
「思ったより色が濃いのね」
「ベニイロフラミンゴって書いてるし、そういう種なんじゃないかな」
「ぶんぶんぶんぶん!(頭を左右に振りだす躑躅)」
「なにしてんだよ」
「求愛の行動!」
看板の解説には、フラミンゴは繁殖期にダンスのような求愛行動をするのだと書かれていました。首を振るのはその一種です。
「あらかわいい」
「野分の保護者目線に安心する」
「わたしにばっかり押し付けないで」
「私はスグルの奴隷!」
「お前奴隷としてなにかしてるっけ?」
「くぅーん……」
奴隷、奴隷と形式だけが先行して実際的な行動は何もしていないことは本人も自覚していたので、泣き真似でやりすごそうとしたのです。
「ノワキ、この女泣けば許されると思ってるよ」
「そういう子なの、分かってあげて」
「お前はこれからもそうやって守られて生きていくのか、ツツジ。あんまり社会を舐めるなよ」
「発言はともかく発言者が致命的ね」
世界から守られている更科優なのです。
「僕は主人公の説教パートって嫌いじゃないんだ」
「ああいう押しつけがましいの、わたしと同じで嫌いそうなのに。どうして?」
「僕を理解できてるんだろ?」
「分かってもらう努力もしない人が、分かってもらおうとしちゃダメなの」
「まさに僕のことだな」
「人が人と分かり合おうとするところに美は生まれるのよ! スグル、あなたのこともっと教えて?」
「ツツジの言う美がいよいよ分からないな」
「もっと私のこと知って? 知り合うんだわ?」
「僕らはもう友達なんじゃなかったか?」
「友達以上、知り合い未満の主従関係だわ!」
「人と人の関係を表す言葉が一つとは限らない的なこと、いつも言ってるものね」
適当におしゃべりしながら歩いていた一行は、気づけばキリンやサイ、カバやオカピが飼育されているゾーンに移動していました。
「オカピだわ!」
これまでにないくらい強い反応を示したのは躑躅でした。
「私の方がちょっとだけかわいい! でもあなたもとってもかわいいんだわ!!」
躑躅は目を爛々とさせて檻にしがみ付きました。マナーが悪いのでやめましょう。
「なにあれ、黒いシマウマ」
「上野動物園に移動したオスのトトくんだわ!! トトくん久しぶり、十六夜躑躅よ!」
躑躅はあらゆる動物の中でオカピが一番好きなのでした。
「ねえスグル、あなたは知ってた?」
「オカピ? まあ名前くらいは」
オカピは脚にシマウマに似た縞模様がありますが、実際はキリンの仲間の偶蹄目で、その長い舌を使って草や葉を口に運ぶのが得意な、森林に生息する動物です。世界三大珍獣にも挙げられるオカピは絶滅危惧種であり、日本ではこの上野のオカピをいれて5頭しか飼育されていません。しかし、その縞模様と黒褐色で彩られた姿の美しさは「森の貴婦人」と呼ばれるほどで、一部にはたいへんな人気のある動物でした。美しいもの好きの躑躅もまた、その一人だったというわけです。
「ズーラシアぶりだわ、元気だった?」
オカピは当然しらん顔です。それでなくともこのようなお転婆な少女、動物には迷惑千万でしょう。
「トトくんは私たちと同い年なんだわ?」
「え、じゃあ多分わたしより年上じゃない……」
野分の誕生日は2月2日でした。
「ねえスグル、コビトカバがいるわ」
「ああ、ほんとだ」
自分が年下と分かり、動物相手にマウントをとれなくなった野分はその場から去ってしまいました。優もその後を追うように移動します。
躑躅は名残惜しそうにしながらも、オカピに手を振ります。
「トトくんまたね! 元気でいるんだわ!」
人の声に応じるはずもない森の貴婦人は、ゆるやかな歩みでその身を木々の蔭りの中へ隠します。未来をも見渡せそうな黒いつぶらな瞳には、気の遠くなるような青空と、たなびく白雲が浮かんでいました。
「カバさんの牙には小鳥が止まるのよ。凶暴さの中に見せる優しさ」
「あれは僕にはない優しさだよね」
「あなたのその嫌ったらしい俯瞰癖はどうにかならない?」
「ノワキ、僕を嫌いだろう」
「これって真実の愛だと思うの」
「調子いいね」
二人は水中をゆるりと泳ぐカバを見ていました。
「ハシビロコウだわ! 私の方がかわいい!」
すると、遠くから躑躅の声が聞こえてきたので、二人は保護者として向かわなければならないのでした。
☽
三人は両生爬虫類館の傍のベンチで休憩タイムです。
「ハーゲンダッツ」
野分は目の前の自販機に、ハーゲンダッツのバニラ味を認めました。
「そんな長居しないから」
「貸し1よ」
「奉公の押し売り」
「スグル! 写真撮って!」
見ると躑躅は、近くにあったコモドドラゴンの像に跨っていたのです。
「そういうのを恥ずかしがらずにやれるのは、とてもいいと思うよ」
「さっきの壁登りも!」
「弁えろよ高校生が」
優はスマホを取り出し、若さという一瞬の輝きを惜しみなく振りまく少女を永遠の時の中に封じました。
「あなたもandroidなのね」
「Iphoneアンチだから。ノワキもなのか?」
「ええ。ミーハーの極みみたいなツツジだけ仲間外れ」
「どうせネットサーフィンくらいしかしないのに、高すぎなんだよあれ」
「androidはダサい!」
「ノワキ、ここからは二人だけでデートしよう」
「積極的ね、いい傾向よ」
「私を道化にするのはやめて!」
ここ二週間ほどの自分の扱いに少々不満がある躑躅です。
「さあ、そんなOSの好き嫌いとか思ってもいないことばかり語り合うのはやめて、ここから先は本質しか許されないことにしましょう」
「急にノワキの無茶振りが始まった」
「私たちがそういうものに何度も近接しながらも、やっぱり咫尺のところで避けてしまうのを薄々分かってて言ってるんだわ……」
「ほら、ねえスグル、こういう話題の方が躑躅は正気になるのよ」
「いいから動物園デートしようよ」
この場の誰も本気ではないので、一行は何事もなかった風に物見を再開しました。
「お土産屋さん!」
三人は南へ移動中、先ほど昼食を摂った店の横の土産屋で足を止めました。
「ここでプレゼントを渡して、好感度アップのチャンスよ」
「僕が君たちを好きになりたいんであって、君たちを僕に惚れさせたいわけじゃないんだけど」
「ハーバード大学の研究によると、プレゼントは贈られた側だけじゃなく、贈った側も相手を好きになる効果があるんだそうよ」
「微妙にホントっぽい出まかせはやめてくれ」
「奴隷への労わりっていうのがあると思うわ!」
「厚かましい女だな」
二人があんまりねだるので、優は抵抗の無駄を悟って即座に白旗を上げました。
「分かったよ。どれか好きなものを一つずつ買ってやるから、選んで来い」
「やった! ありがとうスグル!」
「デート相手に言う台詞ではない気もするけれど……」
喜色満面の躑躅、どこかしっくり来ていない野分……ともかく二人は商品を物色していきます。
「スグル、パンダのマスク!」
「もうそろそろマスクは良くない?」
「帰りの新幹線は密だから!」
「行きはしてなかったくせに」
「ねえスグル、この双子のパンダのブローチ」
「高い。重い」
「そうね、こういうのは付き合ってから」
「ノワキはちょくちょく僕に好意があるフリをするよな」
「わたしのこと好きになりたいんでしょ?」
「どうせ好きになるなら自然体のノワキがいいよ」
「あの1万円する大きなパンダが欲しいわ」
「遠慮って大事だと思う」
「これから暑くなるし、扇子もいいと思うわ!」
「やめとけ、竹の扇子なんてお前すぐ折ったりして壊すだろ」
「スグルは私のこと舐めすぎだと思う……」
「その膝に貼られた絆創膏をはがしてやろうか」
「べつのにします」
「やっぱり普段使いできるものがいいわね」
「マグ……いや、フリーカップか。いいじゃないか、パンダの絵がかわいらしい」
「これなら使うたびにあなたを思い出せるわ」
「今日中に僕を攻略する腹積もりか」
「そうやってすぐ冷静ぶって」
「そういう性分なんだ」
やいのやいのと賑々しい時間が流れ、二人はようやく店を離れることができました。
「オカピのぬいぐるみ!」
結局買ったのはそれでした。
「ツツジ、好きだねその子」
「大好き!」
「あなたがそこまで言うの珍しいわね」
散々誰にでもかわいいかわいいと連呼しているので意外に思われますが、躑躅が直接好意を口にする相手は、わりと限られていました。
「それぐらいかわいくて、私は好きなんだわ? いい、今日からあなたはウズリよ!」
「名前付けるの早いのね」
オカピの名前は彼らが生息していた地域の言語、スワヒリ語から取られることが多く、「ウズリ」はスワヒリ語で「美しい」という意味なのでした。彼女は日本語しか話せませんが、「美しい」という単語だけは20の言語で言い表すことができました。躑躅は誠実なのです。
躑躅のトートバッグ――彼女はわりに機能性を重視して、ポシェットなどはむしろ持たなかったのです――からは、ウズリがひょっこりと顔を覗かせていました。
「ノワキはらしいと言えばそうだけど、よかったのか。形に残るものじゃなくて」
野分が買ってもらったのは、カワウソのパッケージがかわいらしいタルトケーキでした。
「形として残ると、別れた後に惨めじゃない」
「ちょっと先を見据えすぎだね」
「冗談よ。なくなったら、また来ればいいわ。そうしたら、またなにか買って。ねえスグル」
「……まあ、この関係が続く限りは」
優の歯切れの悪さを照れと受け取った野分は、静かなゆったりとした喜びを心に感じるのでした。
オカピのトトを偲んで
モノレールの廃止と撤廃を知らされたツツジ「(´;ω;`)」




