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24 これが私のセカイ!

「なんやかんやあって、ユカリたちは本日6人でのダブルデートという、ちょっとよく分からないイベントを敢行しようとしていた」

「誰かこのヘッタクソな狂言回しを捕まえてくれねぇか?」


 6月10日。関東も遂に梅雨入りし、天候が不安定な時期ですが、本日は見事な快晴。外へ出かけるのに大変適した天気と言えます。


「久々の東京ねスグル! やっぱり人が多いわ!」

「僕が久々かどうかは知らないよね。いや久々だけどさ」

「もうわたしはちょっと疲れたわ。人ゴミは苦手」

「どうしてまたこの二人までいるの……?」

「すまねぇ源さん、オレがデートにまで漕ぎつけるにはこうするしかなかった……!」

「それなのにユカリまで誘ってくれるよくばりアキラくん! ユカリは困ってしまいます……!」


 ここは東京都台東区・上野恩賜公園(うえのおんしこうえん)。中でも上野動物園の前に、6人――(すぐる)(あきら)躑躅(つつじ)野分(のわき)(ゆかり)・エーデルワイス――の高校生たちが集まっていたのです。



   ☽



 事の発端は、水曜日に遡ります。

 部活が休みの日で暇だった優と陽は、マクドナルドで会話に花を咲かせていました。


「源さんとデートがしたい」

「はやくない?」

「いや、ようやくだ」

「いうほどそうかな」

「ようやくだ」

「ようやくだね」


 優が微妙な表情をしていることも、陽は当然分かっていました。


「スグル、お前の言うことも分かる。今の関係でいきなりデートに誘うのは()()()も同然だ。オレはそんな無様なマネはしねぇ」


 相手に意識すらされていない状態で()()()()()()したところで意味はない、それは理解していると主張する陽です。

 彼はビッグマック片手に続けます。


「故にこそオレは今ここで、ある一つの問題に触れなければならない。かねてより気づいてはいたが、あえて見ないようにしていた悲しき事実についてだ」


 野性味溢れる大口でハンバーガーを瞬く間に平らげてから、陽はとうとうそのことを口にしました。


「お前が一番よく分かっているだろうが――おそらく()()()()()()()()()()()()()()()()

「ヨウ、それは……」


 優には友人が破滅へ向かおうとしているように思い、それを止めようとしました。

 しかし陽は待ったをかけます。


「いや分かってんだよ、みなまで言うな。同情もいらねぇ。元よりこれはそういう勝負だ。お前の悪友やったまま彼女も作ろうっつーんだから、こうなることは避けられない定めだった。むしろ今回は、最初からそうと知ってる分やりやすいくらいだ」

「…………」


 マックシェイクのストローに口をつける優の表情は暗いものでした。


「そう浮かない顔をするな。お前がそういう星の元に生まれた人間だってことは、昨日今日知ったわけじゃねえんだ。なんともねえよ」

「……そうか」


 彼らは確かに朋友で、また男の友情をよく分かっていましたから、感謝や気遣いをわざわざ口にすることはありませんでしたし、それを咎めようとする気も勿論なかったのです。


「故にこの芝蘭堂陽は思考した。思考し、その果てに、一つの解答に到達した。……今回は、お前を利用させてもらう」

「というと?」


 実はこの時ほど優が感動と喜びのあまり気狂いのごとく叫びたくなった瞬間もそうありません。


 ――この僕の強烈な運命を前にへこたれぬ男!

 

 優は陽の心の強さにほとんど平伏したようなものでした。


「ダブルデートだ」

「へえ」

「若者の性の乱れの象徴のような概念――二組のカップルが共にデートをすることで、気恥ずかしさやマンネリの解消など、様々な効果を望めるデート方式だ」

「ダブルデートは僕もしたことないよ」

「スグル、お前が源さんを誘ってくれ。お前の誘いなら、100%乗ってくるはずだ。オレはユカリの奴を呼び出す。んで、当日は4人で行動する」

「それだと、狭衣が」


 優が危惧したのは、それが結果的に縁にとってぬか喜びになってしまうことでした。

 そのことに考えが及ばない陽ではありません。


「……自分のケツを拭くぐらいの能はある」

「なるほどね」


 優はもう一つ言いたいことがありました。


「別にいいんだけど、それって4人で普通に遊びに行く感じにならないか?」

「ま、そこが懸念点だな。意識させなきゃ意味ねぇのに、『日常』感は邪魔になる。そりゃ仕方のないことだ。だが、悪いことばかりじゃねえぞ。この形式なら心理的ハードルは低い。なら向こうも誘いに乗りやすいだろうよ」「うーん……」


 優はあまり納得していませんでした。

 このままでは結局、自分とエーデルワイスが共に行動することになってしまう。なんとかして、陽とエーデルワイスにデートをさせる方法はないものか……と。

 そこで一つ考えたのです。


「……ツツジとノワキを巻き込もう」

「は?」



   ☽



 どういう経緯か、今度は優が私たちをデートに誘ってきた。私は息をするのも忘れて舞い上がり、すぐノワと共に了解の返事を送っては、その日を恋焦がれていた。しかしどうしたことか、いざ現地に着くとそこにはエルと優の後輩、そして見知らぬ男が一人。

 訝しんで問い質せば、「デート自体は三人で回るよ。ダブルデートなんだ」と優は快活に答えた。ならばもはや私が三人を気にする理由はなかった。無関心と言えば嘘になる。エルもあの子も美しい女であり、男の方もかなりの美男子であることには違いなかった。けれどもそれは所詮、一般性の内側における程度の話であって、今の私には、優を差し置いて彼らを優先する理屈を見つける方がよほど困難だった。今の私は私が大事に思う優とノワとなにより関係したい。


「楽しみね、スグル!」

「そうだね」


 気がかりが解消された私は、私が今いる場所をよく知るために辺りを見回す。上野公園、上野動物園前。芋を洗うようだった駅周辺とは打って変わり、この場所はとても広く、人の隙間を吹き抜ける風も都会のそれとは思えず心地いい。視線を石畳の地面に落としてみても、定期的に清掃が入るのか、それほどゴミは落ちていない。どうしてもホームレスのイメージが強い上野公園は、存外綺麗なようだった。

 私たちが用があるのは上野動物園。上野駅の公園改札から出てすぐ、あの大きく掲げられた『上野動物園』の白い字に出迎えてもらえた時、私は確かにあの上野に来たのだと実感した。本日は休日ということもあり入場券売場の行列はかなりの長さで、まだ並んで1分も経たない私たちの後ろにも、既に長い人の列ができている。なにより驚いたのは、列のあちこちから多種多様な言語が聞こえてくることだった。上野は外国人観光客の割合が高い。それも皆、殊に西欧人は、私ほどではないにしろ美男美女ばかりで、人種による遺伝子の差を無性に感じた。どうやら後ろに並んでいる大学生らしき集団も、私たちと同じく都外からやってきたおのぼりさんのようで、茶髪のパーマやワックスで固めたセンター分けが目に付く彼らは、その列の長大さにまるで遊園地のアトラクションのようだと言って笑っていた。

 上野動物園と言えば、やはり目当てはジャイアントパンダという人も多い。特に一昨年産まれた双子の「シャオシャオ」と「レイレイ」、この二頭は最近屋外の放飼が始まったばかりとあって、彼らを見るのに現在は90分待ちと書かれたスタンド看板を目にしたほどだ。パンダは確かに貴重でかわいいかもしれないが、世界に一人だけの私の方がもっと貴重でかわいいので、わざわざ90分も並んで見る必要はない気がした。

 中学の教科書に出てくる井上ひさしの『握手』では上野公園の葉桜が描かれていたけれど、5月も過ぎた現在の桜の木々にはすっかり緑が差している。イチヨウやカンザンなどの桜木に囲まれているのは、遥けき青空を望む小松宮彰仁(こまつのみやあきひと)親王の銅像だった。今を盛りの青葉が地面に落とす木下闇(このしたやみ)には人だかりができている。その場に置かれたスピーカーから聞こえてくる音によると、日本チャンプを名乗る大道芸人の路上パフォーマンスが終盤に差し掛かっているらしかった。なにやら感動的なBGMが流れ、芸が成功するたびに周囲は律儀に歓声を上げている。それは結構なことだと思うけれど、しかし80を数えようかというその人だかりのうち何人が、ほど近い木陰(こかげ)に所在なげに佇むもう一人の大道芸人に気づいているんだろうか? そこの貴婦人然としたお母さん! あなたも、あの有名な白黒に塗られたパンダの郵便ポストに(もた)れる愛娘ばかり見てないで、少しはそのおっとりとした人好きのする笑みを、あなたの遥か後方で小さくぽつねんと立っている轗軻不遇(かんかふぐう)の大道芸人にも向けてあげられないかしら? 彼は今、世界に裏切られたような、たいへんな寂しさに駆られているの! ――そう告げたい気持ちを私は必死に抑えた。

 ――私はなんでこんなことを考えるのかしら? 私は優を除いたこの場の誰よりも美しい! 例えばさっきみんなでお参りした上野東照宮、その幟り旗(のぼ  ばた)と共に路傍に並べられていた行燈の画の中に見つけた、江戸の上野山下(うえのやました)に立つ艶やかな着物の女! 私はあいつにだって絶対負けない至高の美しさを持ってるわ! “年は十六、花は上野の盛、月は隅田川のかげきよく、かかる美女のあるべきものか”! なのになんで……。

 実を言えばその理由は分かってる。しかしそれを認めるのを、私のちっぽけなプライドが許さなかった。だから私は、もうじき正午に差し掛かる時間の経過に耐えかねた空腹にこそ、この心の靄の遠因を求めた。その自覚的な瞞着(まんちゃく)は昔からの悪癖で、もはや治す手立てのないこれを、私は人から隠すのに長けていた。故にこう考えることができる。朝ごはんを食べてからもうどれだけ経ったかしら。生きていたら人はお腹が減る。普段は美しくないために気にも留めないそのどうしようもない生理、極めて無感情で、機械的なつまらない反応を、私は今だけ愛することに決めた! こんなことならさっき上野東照宮の石造鳥居を通った時、その横に見かけた昔ながらの小さなお店で、なにか軽くでも食べておくんだった。たしか焼き鳥なんかが売ってたし、あれなら優と分けて食べられた。また一つ彼の所有するところの美しさを、私に近づかせることが叶ったはず。空腹が満たせて、優もこっちに来てくれるなんて、なんて幸福なこと! 私はあの時無理やりにでも優をお店に誘わなかったことを強く後悔した。

 とはいえ、私の後悔、もっと広く言えば負の念が、そう長く続かないこともよく知ってる。私は私とはもう、生まれた時からの付き合いで……――


「高校生6人です」


 あらゆる夾雑物(きょうざつぶつ)を取り除いた、玲瓏(れいろう)たる音色が、私のセカイに降り積もる雑音を切り裂いて、魂に飛び込んできた。優の声だ。そう思って右隣を見上げた私の視線は、抗いがたい不思議な魔力で彼の喉仏(のどぼとけ)尖頭(せんとう)に引き寄せられた。その平らな沃野に突如現れた乱暴な急勾配を見せつけるような優は、「はい」と一言添えてかわいらしいテンジクネズミの入場券を私に渡した。……やっぱりこの人がセカイでいちばん美しい。だってあの私が常々所有したがっているところの美とはまた違う、肉体と精神の足並みが揃わない不統一な行進をまでこの人は、魅力的に見せてしまうのよ。――人は美しいものを前には沈黙してしまう。言葉を尽くして語るのも忘れるほど、そのものの美しさは容赦のない自然体だから。けれどその洗練された美が、私にはたまらなく悔しかった。彼を見つめることがそのまま惨めな敗北であるような気がしたし、また彼を認めるのは、ほとんど私の美に対する自傷行為にも思えた。私が美しいもの、殊に優の前では口を大きく開けて言葉を尽くしてそのセカイを塗り固めようとするのには、そういう理由がある。そうしなければ私がたちまち嘘になってしまう。だからまさに今! 私は眼前に去来する嘘が、この寂寞(じゃくまく)がなにより恐ろしい……。


「ねえツツジ、なにしてるの。置いてくわよ」

「ノワ!」


 ほとんど反射的に叫んだ私に、ノワは「ツツジはいつも元気でうるさいわね」と呆れたみたいだった。

 私は全身全霊で無二の親友に飛びついた。ノワの白く透き通った髪が揺れて、パフのような心地よさで私の腕をくすぐった。


「最近多いわね。急に抱き着かないの」

「ノワは全身やわっこくて、抱き心地がいいんだわ!」

「たんと堪能なさい」

「胸が当たらなくて抱きやすいのも好きだわ?」

「殺すわよ」


 昂然とするノワの感触を確かめながらも、実のところ私は彼女の頭越しに、パンフレット置き場の前で多くの衆目を浴びている優を見ていた。


「入口でずっとそうしてるつもりか? 僕は構わないけど」


 優は皐月晴(さつきば)れの清々しい陽を浴びて私たちを見守っている。真昼の太陽を見上げる黒髪が神話のように白くハレーションし、彼の態度から生じる気だるさはその神気(しんき)によってひた隠しに隠され、代わりに美青年に特有の、あの卑怯な余裕と明日への憂いとが、無防備な彼をしかと護っていた。


「今行くわ!」


 次はあれ、あの美を抱きしめなければならないと身を引き締めたところで、私たちのデートは開始された。

たかが高校生のデートで東京まで出てくるなんて、お金はどうしてるの? 「私が奴隷としてみんなの分まで全額負担! 車が無理なら新幹線に乗ればいいんだわ!」

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