20 奴隷少女の生きる道!
序章、最終話です。
優は心底面倒くさそうに、突然現れた躑躅に対応します。
「なんだお前、ストーカーか?」
「蝙蝠と燕ね」
「さざれとの会話でノワがスグルに会うって聞いたから、追いかけてきたのよ!」
「さざれ誰だよ」
「今いいところだったのに。邪魔しないでくれる?」
「嘘っぱちだわ! だって話の区切りがよさそうなタイミング窺って出てきたもの!」
「ツツジって人に気を遣えたんだ」
「私をノワと一緒にしないで!!」
野分は躑躅を基本的に馬鹿で向こう見ずな顔だけの女だと思っていますが、躑躅も躑躅で野分のことを、自分よりかわいくないくせになぜかいつも偉そうな厚かましい女だと見下していました。それを正直に口に出して言い合えるだけまだ健全だという見方もできます。
「そんなことはどうでもいいのよ、スグル! 話があるわ」
躑躅はつかつかと優に詰め寄り、途中で優の後ろに引っ付く野分に驚くなどしながらも、腹を割って話し始めました。
「僕にはもうないよ。話すことがない。話せない」
「それは逃げてるのよ。傷つかないために空を飛んで、そのまま降りてこられなくなった間抜けだわ。そんなの許さない!」
「なんで君に許してもらわなきゃいけないんだよ」
「そうしないと、私はあなたを理解できないままだわ。それはイヤ!」
「だから、ツツジが泣こうが喚こうが僕はどうでもいいんだよ」
「私はよくないわ! なんとしても、麗しの更科優をこの目に映してみせる!」
今日の躑躅はもう覚悟を決めていたので、普段よりいくらもしつこく身勝手でした。
「どこまでも自分勝手な奴だな」
「これって自分勝手なの? 分からないけど、とにかくこれが私なんだわ。でも別にそれでもいいわよ、だって私はかわいいから!」
「その君が言うところの“かわいさ”が僕には見えてすらいないって話だったよな? 君のルールに則れば、ツツジが僕に逆らうのはおかしいだろ」
待ってましたとばかりに、躑躅の瞳が輝きます。ここで彼女は勢いを増しました。
「ええ、だから、私はスグルに逆らわないわ!」
「……どういうことだ?」
「今まで私より美しい存在に会ったことがなくて、そんな関係考えたこともなかったけど――あなたとは、上からどころか、対等な関係でもダメだったのよ!」
優に冷や汗が流れて嫌な予感を知らせます。
「私これまで誰に対しても上からで、それが当たり前だったわ。だからあなたに会った時、せめて対等にって思ったのよ。でも、それすらも私の驕りだったわ。それじゃあなたは見えない。あなたも見てくれない。だからきっと、もっと別の関係があると思うの!」
優の心臓は早鐘を打ち、彼はいつになく硬い表情をしていました。
「最初は私もびっくりして、そんなの私の美が奪い去られるだけの敗北だって思ったけど、違ったのよ!」
「つまり、ツツジはどうしたいんだよ」
躑躅はずっとこれが言いたくてしかたがなかったのです。
「だから私――あなたの奴隷になるわ!」
優は頭痛がしました。と同時に、すっと熱が引いていくのを感じました。目の前の女に失望したのです。
反して躑躅、いよいよその弁舌は中天にまで昇り燦燦と輝きます。
この時の二人はまるきり光と陰のようでした。
「私は、スグルに逆らわない! あなたの言うことを私はなんでも聞く、ほんとうになんでもよ。だってそうだわ、あなたの方が美しいんだもの、あなたが命令して、私がそれに従う、それが新しい関係だわ!」
深い嘆きに沈んだ体とは存外羽のように軽いのだと実感する優は、ほとんど躑躅を睨みつけるようにしながら、口を開きます。
「なあ、これは僕が節穴だったのか? ふざけるなよ。僕のために人権もプライドも捨ててなんでもする、そういうのが僕は一番嫌いなんだよ。僕が最も見たくない人間なんだよ。お前は自分がないのか。お前の取り柄なんてそれくらいだっただろ、その唯一の取り柄すら自分から捨てるのかよ」
優の言葉に悲歎の色を読み取った躑躅は、やはり例の得意の美しいものを認める瞳で、その言葉の裏の痛みまでしかと理解したのです。
だから躑躅の言葉はこんなにも落ち着いていました。
「私の矜持は、そんなにやわじゃないわ。そこらへんの見知らぬ男の奴隷になるならいざ知らず、私より美しい存在の慰み物になったくらいで、砕かれるようなものじゃないの。それに私、自信があるわ? だってスグル、私の名前を憶えてるでしょ? 私の声も、高校も、学年も、口調も、そして……」
躑躅は先週そうしたように、その陶器のような小さな両手で、スグルの頬を撫でて言います。
「私のこの体温も、知ってるはずだわ。……更科優は見えていなくても、十六夜躑躅を知ってるわ。なら、私はあなたの奴隷のまま、それでもあなたの言うところの『見たくない』ものにはならない自信があるわ!」
この暴挙には優もさすがに言い返してやりたくなりました。元来優は聡い子なのです。
「急に理論が飛躍したぞ。お前は自分が信じるところの美に従って僕と関係しようとしてるんだろ、それでなんで声とか触れたとかの話が出てくるんだよ」
それは躑躅には簡単な道理でした。息を吐くように躑躅の言葉は紡がれます。
「それは誤解だわ? どうしてどっちかだけだと思うの? 私たちが女と男だからそう感じるの? やっぱりまだスグル、私を分かってないわ! だってここにいる私もあなたも、肉体と精神、どっちかだけじゃ存在しないわ? 私はそのどちらもこの目で認めた上で、それを飛び越えたいの!」
ぱっと優から手を離した躑躅は、確かに彼の全身が目に映る距離まで下がって、それはそれは嬉しそうな表情で続けるのです。
「それで私はあなたと関係しようと思うのよ。先週まで私たちは互いを曖昧に捉えたまま見ようとしてて、だからダメだったんだわ。この奴隷と飼い主という強い言葉が、私とあなたの関係付けの契機なんだわ! 私にとっての美と美が関係する新しい方法の一つ! ……どう?」
「めちゃくちゃだ。僕には理解できない」
「ええ、私も今のあなたが理解できない。だからとっても醜く見えて、だからこそ私はあなたを理解したいって思うの! だから奴隷になってあげる……ううん、私が下なんだから、してくださいね。スグル――私を、十六夜躑躅を、あなたの奴隷にしてください!」
全部言い切った躑躅の肺はもう悲鳴を上げていました。息の切れて呼吸の休まらない、それでも笑顔を絶やさぬ女の顔に翳る一種の艶やかさに、優は怖気を震わせました。
言葉を奪われていた先ほどとは打って変わって、今度の優は言いたいことが溢れて止まりません。
「そもそもの話、奴隷を好きになれる奴がいると思うのか?」
「クラスのオタクくんたちに聞いたわ! 今は主人公が獣人奴隷を買って彼女にする話が流行ってるって! スグルもそういうの好き?」
「そういうのは好きだよ」
「やっぱり!」
「でも現実に欲しいわけじゃないんだよね」
「そんなことないわ!」
「日本語通じてるか?」
「私みたいな奴隷が好きなのよね!」
「急にバカに戻らないでよ」
二人が押し問答を続ける横で、不快感を深めていたのは野分でした。
「ねえ、ちょっと待って。わたしを除け者にしないでくれる?」
すっかり気分を害してしまった彼女は羅刹女のように柳眉を逆立てて、語気も強めに躑躅へ言います。
「スグルはもうわたしを好きになるって言ったの。ツツジが今更奴隷になったところで無意味よ。帰って?」
その憤怒に調子よく相乗りしたのは優でした。
「そうだよ。どうして僕らがそんなはちゃめちゃな、ツツジの遊びに振り回されないといけないんだ。僕はノワキを好きになるよ」
しかし躑躅には野分の怒りが分かりませんでした。
「どうして? ノワはそのままでいいのよ!」
「……どういうこと?」
「誰にとってもこれが一番いいわ? だって、スグルが好きになれるかもしれない相手が二人に増えるんだもの! とってもお得だわ! そうして三人で関係に入っていけば、スグルが私たちを見てくれる日もぐっと早まるはずだわ!」
果たして躑躅はそう喝破しました。それは躑躅には警戒する必要すらなく進むことのできる当然の道でした。
「そ、そんなの……」
「ノワキ、こんな奴の言葉に耳を貸すな!」
躑躅の言葉によって呼び起こされた困惑と悲哀と猜疑の感情は、しかし……
――あれ、でも。その方がスグルのためになるかも……。
……考えれば考えるほどすんなりと、野分の慈愛の心によって融解されていったのです。
故に野分、十も数えないうちに顔を上げて、
「……確かにその通りね」
「おい、裏切るのかノワキ!」
躑躅の意見に全面同意です。
「分かってくれると思ってたわ、ノワ! ありがとう!」
これには躑躅もぱっと笑顔。喜びのあまり野分の両手を取って恋人繋ぎ。野分もさして嫌がる風でもありません。
二人は確かに親友なのでした。
我慢ならないのは優です。
「ちょっと待てよ! 僕はノワキを好きに……」
「好きになりたい、ならこの方がいいじゃない。あなたがわたしを好きなら問題よ。でもあなた、まだよく分からないけど、とにかく誰でもいいから人を好きになろうとしてるんでしょ? なら、わたしとツツジ、選択肢は二つあった方が合理的よ」
「すごいすごいわっ、ノワ、よく分かってくれてる! やっぱりノワは私の次にかわいい!!」
躑躅にとってはこの上ない誉め言葉のつもりでしたが、野分は青筋を立てていました。
――なんでだよ、こいつらおかしい……いや、よしんばツツジの言うことが真実だったとして……ああ、ああ……もう、僕はなにをしてるんだ。なにがしたいんだ。……はぁ。もう、いいか。だって、どの道僕は、こいつらを……
「ねえスグル、これはそんなに悪い話じゃないと思うわ」
「私のこと、奴隷にしてください! スグル!」
目の前で自分を見つめる二人の美少女。未だ無視できぬ心のわだかまりもそのままに、優は混沌に身を投じる覚悟を決めたのです。
「……分かったよ。もう好きにしろ」
自棄とは少し違います。優はたしかにこの選択が自分を良い方へ導いてくれることを期待してこうしたのですから。
「ホント!? 私のこと奴隷にしてくれる?」
「ああ。ツツジは僕の奴隷で、僕は変わらずノワキを好きになろうと努力する。それだけのことだろ」
「そうよ! それだけでいいの! やったわ!」
喜色満面の躑躅はその場でぴょんぴょん飛び跳ねて言います。
「今日から私はあなたの奴隷よ! よろしくね!」
「ああ、よろしくツツジ。さっそくだけど服脱げ。胸揉ませろ」
「え゛……。……わ、分かったわ……。……。……ほ、ほんとにしなきゃだめぇ……?」
躑躅は顔を真っ赤にして、制服のリボンに手を伸ばす挙措などはそれはもう鈍いものでした。優の分かりきった冗談も真に受けるほど、今の躑躅には余裕がなかったのです。
「こんな調子で本当に奴隷が務まるのかよ」
「いいじゃない。とにかくあなたとの関係を絶たれたくなかったってことでしょ。かわいいわ」
「そんな生易しいものじゃないだろ……」
――羞恥に目を回す躑躅。
――そんな微笑ましい親友の姿に表情を和らげる野分。
――そして、自らの行く末を思い鬱屈した感情を蓄積させてゆく優。
「脱ぐときは勢いよ、ガバッといきなさいツツジ。親友の恥はちゃんと見ておくから」「ス、スグル……お願いだわ、命令、取り消して……?」
この世で最も美しい三人の、歪な関係が形成された瞬間なのでした。
躑躅のと見比べた野分「な、なによ。わたしだって、揉めるくらいはあるわよ。……あるわよ!」
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