19 ねえスグル、はじめてのおつかい、ちゃんとできるかしら?
予期せぬ闖入者を前に、二人はとんと困ってしまいます。
「源さん、どうしてここに? 5限は移動教室だろう?」
――どの口で言ってるのよ。
「その、ノートを忘れちゃって……取りに来たんだけ、ど……」
エーデルワイスは見てはいけないものを見たような素振りです。事実、彼女は野分を直視できませんでした。
野分も野分で、余所の学校に不法侵入している罪悪感からか、優の背中に半分ほど隠れてしまいます。
野分は優の制服を引っ張って言います。
――どうするの? またさっきみたいに笑って誤魔化す?
――彼女とは普段から話してるから、あれは効かないよ。
――……どうするのよ?
――頑張って誤魔化す。
「更科くん。その人、誰……って、聞いてもいいのかな……」
どこか気まずそうに、スグルに尋ねます。
「源さん。この人は……部活の先輩なんだ」
――後輩の次は先輩?
――どっちでもありえそうな見た目してるだろ、ノワキ。
――それは褒めてるの?
「……陸上部の?」
――あなた陸上部なの?
――そうだよ。初耳だっけ?
――とても。
――ほら、ノワキ。自己紹介しないと。
どこまでも飄々とした優に悪態をつきたい気持ちを抑えて、野分はエーデルワイスに向き直りました。
「わ、わたしは……八幡。八幡宮よ」
「八幡先輩……ですか」
「……ええ」
世界で最も知られたアジア人こと『更科優』や、多くの罪を犯してヤフーニュースにまで取り上げられた『十六夜躑躅』ほどではありませんが、『不知森野分』も他者を顧みない雪女、絶世の美少女として地元では話題でした。つまり名が知られている可能性があるため、偽名を使ったのです。有名人は苦労が絶えないのでした。
「なんで……先輩は、更科くんと一緒にいるんですか?」
「……それ、あなたに言う必要ある?」
――それは悪手だろノワキ。
――咄嗟に理由思いつかなかったし、半分くらい本心よ。
「あります。更科くんは私のクラスメイトなんですよ、気にするのは当たり前じゃないですか」
エーデルワイスの声はにわかに怒気を孕んでいました。挑発するような野分の声音に少々困惑と焦燥の念を覚え、それが普段穏やかな彼女の怒りを呼んだのです。
「あのさ、源さん」
「更科くん、一緒に理科室に行こうよ。授業はサボっちゃだめだよ……」
「源さんが心配してくれるのは嬉しいよ、ありがとう」
――ねえ。なんでこんな奴に気を遣うのよ。
――遣うだろ、そりゃ。
「でもさ、僕と源さんが一緒に戻ったら、またややこしいことにならないかな。ほら、僕は僕だからさ」
クラスメイトからあらぬ疑いを掛けられやしないか、と。そう危惧するフリをした優の言葉を聞いて、エーデルワイスは自らの進退に迷います。
「で、でも……。……ぁ」
――そうして視線を泳がせるうちに、彼女は偶然、野分の着ている体操着に縫われた『更科』の字に気づいてしまいます。
「…………っ」
当然それですべてを理解したわけではありません。そのような超越的な理解力、優でもなければありえないことです。ですからエーデルワイスはそれとは別の感覚から、こう思ったのです。
――これ以上、この二人が一緒にいるのを見たくないな……。
「あとで行くからさ」
「……分かった」
「後から追いかけるから」
「うん。待ってるから、ちゃんと授業出てね、更科くん」
彼女はそれだけ言い残し、自身の机からノートを取り出すと、今度は優の方を振り向きもせずに立ち去ってしまいました。
教室はしんと静まります。
「……誤魔化せた?」
「どうだろうね」
「あの子、しつこくて苦手。わたしのこと睨んでたし、あなたに気があるんじゃない?」
「さあね」
「ねえ、聞いてる?」
「聞いてるよ」
三度話しかけて、ようやく優は野分の方を見ました。
「親友が彼女を好きなんだ」
「あなたにも友達がいたのね」
「ほら、プールの時の」
「わ……わたしをいじめるのがそんなに楽しい?」
「面倒くさいな」
「次は風呂に沈める気なのね?」
野分は市民プールの件が相当堪えていたので、それを想起させるようなワードは禁句だったのです。
「ヒス気味なのは無視して話すけど、僕が素っ気なかったのは、ノワキをそろそろ帰そうかと思ってたからだよ」
「そもそもどうして教室にまで連れてきたの」
「人を好きになるなら、相互理解って大事だろ? ノワキに僕のことを知ってもらいたくてさ。僕という人間が日頃、どういう場所で過ごしてるのかってことを」
「だんだん分かってきたわ」
野分はたしかに優の目を見て言います。
「ねえスグル、今のは本音だったのよね。本音をそんなつまらなそうに言う人いないわ。難しいのよ」
「さっき言ってた言葉の重みみたいな話か。分からないな」
「だから苦労してるんでしょ。あなた、親類にもそんな風なの?」
「…………」
言われて優、考えます。どうなのだろう、と。優が他者から見た自分を考える時、つまり客観視をした時、その視座は常に変わらず完璧である自負がありました。その自負が裏切りに遇うことを望みながら、これまでの人生でついにおおむね忠実であったためです。誰も優に、上から言うようなことはなかったのです。
「ねえ、いいわ、スグル。いいわよ、だからまずは帰りましょう。もう今日は授業いいでしょう」
野分はとにかく優が気になってたまりませんでした。自分が目を離した隙にふらっと屋上から飛び降りそうな優が怖くて心配だったのです。
「……僕が源さんになんて言ったか忘れたのか?」
「わたしを優先してくれないの?」
「いや……。ノワキは……僕を優先したんだもんな」
「そうよ。よく気づけました」
野分が差し伸ばした手を優は取りました。本当によく気づいたと言いたいものです。
☽
水分高校と白住学院の周辺には、二つのコンビニがあります。水分高校から徒歩2分の場所にあるミニストップ、白住学院とその最寄り駅のちょうど中間に位置するローソンの二つです。
二人はミニストップに寄りました。
「まだ自転車あったわ」
「よかったね」
「よかったのよ」
野分は陳列棚をざっと眺めて優に言いました。
「えっちな本でも買ったら?」
「もう売ってないんだぞ」
「そうなの?」
「二人とも本当に自分以外に興味ないよね」
「それにして」
「はい」
優はペットボトルのお茶を手に取ります。
「それに、グラドルって嫌いなんだ。もし僕に惚れたらと考えると怖くて」
「発言だけ聞くと非モテを拗らせておかしくなった人みたい」
「一周したのかもしれないね」
ふと、野分はレジ奥のパネルに目を向けます。
「今はベルギーチョコなのね」
ソフトクリームでした。
「食べたいのか?」
「わー奢ってくれるんですかーありがとうございますー」
「無理しなくていいよ」
「コーンね」
「はいはい」
「ちゃんと自分の分も買うのよ」
「……分かったよ」
「こちらのレジどうぞー」
返事をしながら、優はレジに立ってお茶を置き、例の笑みでこう言いました。
「ベルギーチョコソフト二つください。二つともコーンで、無料で」
「……分かりました」
用もないので外で待ってようかと考えていた野分は、優の理解を超えた行動に詰め寄ります。
「なにをしてるの?」
「こう言えばなんでもタダでくれるんだよ。人間の社会ってチョロいよね」
「そうじゃなくて。いつもこんなことしてるの?」
「ノワキがいる時だけだよ。これからはそうしようかなって」
「どうして」
「会計の時に財布を出す男はモテないんだろ?」
「あれはそういう意味じゃないでしょ」
「……難しいな」
困ったように笑う優に飽きれる野分でした。
ちゃんとお金を払った二人は、ソフトクリームを持ちながら、コンビニの前に並んで立ちます。
「……あなた、今日は隙が多いわ」
「ノワキを好きになると決めて、ノワキが見えないことも教えた。言っただろ、相応のやり方だよ」
「そのやり方、ダメダメね」
「ダメダメか」
「だめだめ」
「……そりゃあ、あのままならツツジは好きにできたと思う。他の女たちと同じように、適当に受け答えして、たまに笑って愛想よくしてれば、勝手に向こうは僕は好きになるんだ。人間っていうのはそういう風にできてる。もちろんノワキも例外じゃない」
「……でもそれだと、あなたが好きになれないのね。だから無理してわたしの方に近づこうとしてるの?」
「自分勝手だと思うか?」
すると野分はソフトクリームを舌先でチロチロ舐めながらも、目線は優の方へ見上げるように向けました。
その視線が、見えない傷跡を労わる様に、優の整った顔を優しく撫でます。
「ねえ、先週までのあなただったら、わたしにそんなこと聞いてきた?」
「なんだその長年の付き合いみたいな台詞は。僕たちまだ知り合ってから、会うの4回目だぞ」
「それにしてはわたし、あなたを理解できてると思わない?」
「……思うよ。多少は、多分ね」
「褒めていいのよ」
「ノワキはわりと最初から馴れ馴れしかったよね」
「わたしはいつもこんな感じなのよ」
どこかで聞いたような返しを聞いたとき、優はちょうどコーンまで食べきったようでした。
……それが合図だったかのように現れたのが、例の少女……
「――見つけたわ! スグル! いっぱいたくさん考えて、いちばんいいこと思いついたわ!」
ここ一週間、優が避けていた十六夜躑躅でした。
野分の好きな味は? 「珈琲ソフト」




