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 どうしてこんなにも無気力なのだろう。なぜだろうか。

 なんにもやる気がでなくて、どれだけ寝てもすぐに疲れてしまう。体がだるい。たいして運動したわけでもないし、仕事でストレスを溜めているというようなこともないのに。

 どうしてだろう。どうしてだろうか。中学時代に太宰治ばかり読んでいたからだろうか。高校時代に村上春樹を読みふけっていたからだろうか。大学時代に……

 いや。本音のところでは、こんな具体例はどうでもいいんだ。私は、具体例には興味がない。そうやって、個人的経験をチマチマ思い浮かべていたってなんにもならない。それはどうでもいいことだ。

 胃がムカムカするのだろうか。頭が痛いのだろうか。自分のことなんだから、それくらい分かってほしいものであるなあ。

 私は小説を読むことがある。それは純文学だったりライトノベルだったりするけれども、気分によって読めるものと読めないものがある。

 今のような無気力状態で、変に文体の凝ったものなんか読まされたら、ページを埋め尽くす文字のあまりのわずらわしさに、たちまちに切り裂いてやりたくなるものである。

 ビョーキの「私」の沈痛な独白がだらだらと続くようなのは特にダメだ。あんなのを読まされたら頭のなかでそいつらの声が無限に反響しておかしくなってしまう。

「ああ、ああ、ああ……」

 私は頭までくるまっていた毛布から顔を出して、傍にほったらかしにしてあった文庫本を手に取った。

 それにしても体がだるい。上半身を起こすのも億劫だ。重力に逆らう気力がない。重い重い体が重い。

 本のタイトルは『うつ病のガブリエルと恋するドカ雪女』、売れ行きが悪く2巻で打ち切りになったライトノベル。私が10年以上前に書いたやつ。

 久しぶりに、気まぐれに、冒頭部分を朗読してみる。

「『うつ病のガブリエルが受胎告知をバックレたせいで、マリアはとんだ被害を被った! かわりに何も知らされていない天使が代役として、マリアの元にやってきて言うのだ。「デブですか妊婦ですか」「えっと?」「あなたのお腹の膨らみは脂肪ですか赤子ですか」「脂肪です。私はただのデブです」聖母マリアの嘘っぱちによって、この世にイエスが生まれることはなかった。かわりに戦後、マリアは靖国の母として顕彰されるに至る。なぜならこの世界には十字架が示されなかったのだから。』」

 頭のなかが薄荷のように冴え冴えとしていくのを感じる。ああ、やはり自分が書いた文章を読むのが一番だ。なぜならこれは私の呼吸のリズムそのものなのであるからして。

 他人の小説ではこうはいかない。

「『国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。』」

 やはり上手くいかない、読み上げることができない。リズムが乱れてしまう。これは、私のものではないからだ。私の一部ではないからだ、どうしたって私のものにはならないからだ。

「『智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。』」

 これも私のではない。私のもつ音の流れではないから、声にしたときに、布地が毛羽立ったような微妙な感触がする。落ち着かない。 

「『蜂谷(はちや)ムニカは不幸体質である。これはこの学年の生徒なら誰しもが知っていることであり、いわば俺達にとっての常識だった。』」 

 これこそが私のライトノベル! 『蜂谷(はちや)ムニカの蜜の味(シャーデンフロイデ)』、そこそこ売れてる。既刊6巻。ぜひ読んでね!

 よし、生きよう。

 ベッドから起き上がった私は、そのまま部屋の中央に仁王立ちし、『うつ病のガブリエルと恋するドカ雪女』(814円〈本体740円+税〉)を読み進める。物語は、性別不詳の慈善家ラフカディオ・ウッフーン・アッハーンが家の前で行き倒れているドカ雪女を介抱するところから始まるのだが、ところで、先程から限界だった尿意が限界を超越してしまった。湿ったパンツをゆっくり脱いでは、パンツのウエストゴムの部分を摘まみ上げてトイレへ向かう。汚らしい。朝食はバタートーストにしよう。某女子アナくらいバターを大量に塗って食べてやるのだ。そうすることによって私は生の活力を取り戻す。そういうことに決めた。



 ◆◇◆◇◆



『この世界の岩波文庫は天の小口がきれいに切り落とされている! その上リラダンとラマダンは兄妹で、エクリチュールとアバンチュールとアバンスールは三つ子だというのだから、これはもうとうとうお手上げという具合なんだ』


 スマホに打ち込んだ胡乱な文章。私はこれでも小説家なので、こんな意味不明な作文をしていても仕事中という言い訳が利くのだ。まあ小説家と言ってもライトノベル作家であり、ポストモダン文学の専門家とかでは決してないので、上の文章はなにか文学的に意味のある高尚で深淵なものではなくして、高熱にうなされたエンタメ作家の譫言ということになる。そんなあ。


 私はいよいよダメなんだ。もう終わりなんだ。


「私はいよいよダメなんだ。もう終わりなんだ」


 私は裏寂しい公園のベンチに腰掛けて、いかにもといった具合に項垂れることで、とうとう首吊りを思案している絶望的な中年男性の雰囲気を演出する。おかしな言い回しだが、つまり作家というのは、公園のベンチに座ること一つとっても自己を客観視しながらでないと気が済まない、気持ちの悪い人種なのだ。こういうことを言うと、今の時代、すぐに「主語がでかい」だのなんだのと茶々を入れてくる人間が現れるものだが、私はむしろ、そろそろ「デカい主語で語る勇気」が礼讃される時代がやってくるのではないかと睨んでいる。男とは貧乳が好きな生き物なのだ。


 小説家、すなわちコメツキバッタのお仲間である私は、はて、どうしてこんなところに来てしまったんだったっけか。

 この街を訪れるのは、約10年ぶりである。いちおう、「戻ってきた」という言い方になるのだろうか。この街は、まだ私にとって「戻ってくる」場所だろうか。もはやそうではない気もする。どうして引っ越したのか。オタク的に換言すれば、「この街は嫌いだ。忘れたい思い出が染み付いた場所だから。」ということになるのだろう。人に歴史あり。どうでもいい。


 もっとも、この公園はたしかに生活圏内ではあったけれども、それほど頻繁に目にする場所でもなかった。足を踏み入れたことはついになかったように記憶している。ベンチが二つ並んでいるほかには、ブランコも滑り台も砂場すらもないような貧しい公園である。

 そんな公園、誰が使うんだと思われるだろうか。これが意外と、近所の若奥様方が幼子を散歩に連れてきたりするのには、このくらいの狭さがちょうどよかったりするものなのである。あんまり広いと親の目が行き届かないから不安になるのだ。

 

 だからこんな厳しい冬の昼下がりにだって、猫の額ほどの敷地内では、近所の子供たちがキャッキャ騒ぎながら遊んでいたりする。

 「うだつの上がらない中年男性」を全力で演じる私のような粗大ごみには目もくれず、やれお前がドロだのケーだの言い合っていてとっても楽しそう。私も混ぜてほしいなあ。


 ネットでは最近の小学生はヒカマニだの、淫夢だのといった汚らしい趣味にハマっているともっぱらの噂だが、バカバカしい。こうして公園で鬼ごっこだかドロケーだかに興じる子供たちを見ていれば、そんなのは真っ赤っかの嘘っぱちなのだとすぐにわかる。いつの時代も変わらない。男子は気になる女子のひらひらスカートに手を伸ばして令和的倫理観によってネットに吊るしあげられるのであるし、女子は女子で自らの幼さを棚に上げ、男子の頭の悪さを上から目線で批評することによって自己陶酔と優越感に浸ることの快楽を幼い脳みそに刻むのである。ああなんと微笑ましいことか。やはり私もあそこに混ざってしまおうかな。


 ここで私が次に「とまあ、それは半分冗談として」と書いたとする。するとこれを読む者は「いや、半分は本気なのかよ!」という古き良きツッコミを気持ちよくクリーンヒットさせることができて、疑似的に作者と読者の双方向的コミュニケーションが行われてたいへん愉快な読書体験が成立するのかもしれないが、私は恥ずかしながらあまりそういうのでは売ってこなかった。私はそういうベタなノリが怖くなっちゃって微妙に外れたことしか書けなくなっちゃったタイプの残念ライトノベル作家である。なにが鬱病のガブリエルだよ。……何の話だったっけか。


 そうそう。


「うーむ」


 ――……先程から、いやに視線が合う幼女がいるのである。


 鬼ごっこに夢中な同年代の子たちからは少しばかり距離を取り、彼らの輪のなかに混ざろうともせず、かといってハブられているわけでもなく、ただ無言でちんまりと佇んで、こちらをじーっと見つめているミステリアス意味深よーじょ。


 見られてる。見られている、だろう。私の願望ではないはずだ。たしかに私は彼女に見られている。

 まんまるくりくりおめめをぱちぱちと、そんなに熱心に見つめちゃって、どうしたのかな。私に惚れちゃったのかな。それなら幼女様には悪いことをした。いまは仕事が恋人なんだ。君の想いには応えられない。


 あんまり見つめ合っていると近所の親切な奥様たちが法の走狗を解き放つのも時間の問題なので、私はゆっくりと瞼を閉じることにした。寝ているふり。電車内で座ってるとき、目の前に巨乳のお姉さん(自分よりもはるかに年下の!)が立ちはだかってきた場合などは、こうするに限るんだ。同様に、現代では電車内にて、手に持ったスマホを顔の位置にまで掲げていると、なんとびっくり盗撮の疑いをかけられかねないのが令和の社会である。ゼロ年代のインターネット言論空間であーだこーだと騒がれていた相互監視社会も、いよいよいくところまでいった感があるなあ。そういうときは手帳型ケースにするとスマホのカメラが隠れて怪しまれないよ。存在そのものが怪しいとされる独身中年男性のライフハック!


 ……それにしても、さっきの幼女はあまりに迂闊だ。この私に、目を閉じさせてしまったのだから。現象界と最も強いつながりを持つ視覚を遮断した今の私は、想像力の世界の住人である。

 ゼロ年代に想像力をたくましくさせて育った私のようなオタクに隙を与えてしまったのだ。この私の世界においては、なにをしようと許される。実際に私は、想像力の世界じゃなければとても許されないようなお話を書いて、たまたま許されたり許されなかったりしてここまで生きてきたのだ。

 私が自分の作品のなかで、いったい何度、幼女のパンチラ描写を採用してきたと思っている。何度、私が幼女を引ん剝いてきたと思っている。ロリータの柔肌について書かせたら、私の右に出る者はいないのではないか。残念ながらそんなことはない。なぜならラノベ作家というのは別に文章力が求められる職業ではないからである。とにかく面白いストーリーを考えるのが最優先。読者を笑わせたり泣かせたりドキドキさせたりするのが私たちの仕事なのであって、純粋に純粋な言葉と戯れる耽美的なオナニーはどこか別のところでやることなのだ。私がわざわざ幼女の全裸描写やエクスタシー描写を血走った目で文章化しなくたって、イラストレーターがもっと素晴らしい仕事をしてくれるんだから、この件はそれで済んじゃう話だ。泣きアニメ。いったい、インターネットの浸透は小説家からその神秘性を剥奪したではないか。現代の作家は、太宰だの中原だのといった社会不適合者的な昔の文豪像とは違うのだ。そこらへんのサラリーマンと変わらない社畜なのである。日常のちょっとした出来事からすぐに連想ゲームを始めるステレオタイプの作家像は過去の物。それは小説家ではなく、妄想家なのである。

 なにが言いたいかというと、いまも私に熱い視線を寄越してくれている幼女、きみを頭のなかでぐっちゃんぐっちゃんに凌辱するような想像力と文章力を、私は持ち合わせていないということなのだ。現実は非情である。無為な思索である。これが私の人生か。なんだか悲しくなってきた。あんまりずっーと目を瞑っているものだからどうにも眠くなってきてしまったぞ。このまま永遠の眠りについてしまおうかな。


 それもまた一興だったのだが、まだまだ死ぬのが怖くもある三十八歳バツイチ独身男性(職業:ライトノベル作家)はとりあえず目を開けることにした。


「うわぁっ」


 ギョッとした。そろそろ四十にも手が届くかというおっさんがガチのビビり声を上げてしまった。


 目の前、というかもう鼻と鼻がつっくつかどうかという超至近距離にまで、先程の幼女が迫り来ていたのだ! 無垢そうなまなこで私の顔を覗き込んでいた。驚きすぎて体がベンチから5センチくらい浮いた。危うく浮いた拍子に唇と唇が触れちゃって人生一発アウトになるところだった。幼女とは、コンプラと倫理でガチガチに固められた現代社会におけるヒエラルキーの最上位なのであるからして! ぅゎょぅι゛ょっょぃ……これなどは私の時代のネットスラングである。まったく、小学生は最高だぜ! とかも最近はもうあんまり聞かないよね。平成は遠くなりにけり。「イエスロリータ・ノータッチ」の「イエス」の部分すら許されなくなってきている。私が『うつ病のガブリエルと恋するドカ雪女』の冒頭で「イエスが誕生しなかった」と書いたのはその文脈なのであった。まさか。


 それにしても、どうして目の前に幼女が? よく見るとこの幼女、とても愛くるしいではないか。幼女なんて皆愛くるしいだろうと思ったそこの貴方、貴方はロリコンだからそう考えるのであって、元とはいえ妻子持ちだった健常者の私に言わせれば、一口に幼女といっても千差万別。女というものはこの年頃からすでに美の萌芽が見られるのであるからして、残酷なことに現代のルッキズム社会においては、幼女ですらそのジャッジの対象になってしまうのである(過言)。私は一介の小説家として、物事の観察眼には一家言あったり、なかったり。ラノベ作家の観察眼とはなんぞや。まあつまりラノベ作家は《美少女》の専門家というわけだ。とうぜん幼女の体系にも詳しい。けっして個人的興味とか趣味とか嗜好とかそういうのはぜんぜんまったく関係ないのである。本当に。二次元美少女を賛美するオタクが現実の幼女について博覧強記を誇るのはアウトなのではないか? しかし待ってほしいのだが、ルッキズムの知見から言えば、年を重ねるにつれ劣化の激しいとされる西洋のロリが、創作においては成長後も美人であるなどは、まさに二次元の《美少女》における「虚構/嘘」の比重が「嘘」に振りきれている恰好の例であって、現実から世界を再構築する「虚構」の綻びの発見である。ここにこそ現実と虚構との奇跡的な結節点が露わになっているのだと言えるのではないか。村上春樹は、小説を書くためには小説を死ぬほど読めと言っていた。一事が万事そういうことなのである。虚構のロリを書くためには、現実のロリについて詳しくなければならない。以前、同じことを担当編集に力説したら無視されてしまった。無視はよくない。


 ようするになにが言いたいのかというと、この幼女様、そんじょそこらの小学校じゃお目にかかれないような絶世の美幼女なのである。ご利益とかありそう。とりあえず拝んでおこう。なむなむ。


「あの」


 わあ向こうから話しかけてきた! どうしよう。幼女相手ってどんな言葉遣いすればいいんだっけ。


「な、なにかな。どうしたのかな。あんまり話しかけると事案だよ! 最近は『事案発生』とか『おまわりさん私です』みたいな懐かしい児ポネタも、現実の性犯罪を助長させるからと自粛する時代なんだぞ! オタクも知らぬ間に社会進出しちゃって、いっぱしの社会の一員になっちゃって、倫理とか常識とか守った言動しないといけなくなっちゃったんだよ! だからこれ以上私に近づかないでくれ! 私を人間に戻さないでくれ!」


 オタク特有の早口(これも若干死語)で捲し立てる私に、幼女は「えぇ……」とドン引き顔。自分よりも二回りも三回りも若い女の子に見下されるの、癖になりそう!


「えっと……どうしてそんなに慌てているんですか?」


「慌ててないよ。これが平常運転だよ」


「それはそれで心配になるんですけど……」


「こんな見ず知らずのおじさんを心配してくれるのかい? 母性本能かなあ。将来はいいお嫁さんになるんだろうね」


 これはさすがに捕まっちゃうかなと思いながらペラペラ口から流れるままに言葉を紡ぐ。後悔はしない。私は、私の言葉によってこの世界と決闘すると決めた人間だからだ。


「おじさんという年齢には見えませんが……あの、失礼ですが、おいくつでしょうか」


「そういうきみはいくつかな」


 幼女のジト目(必殺技)。


「……。……11歳です」


「いいねえ!」


「あの」


「ごめんごめん。私は今年で38だよ」


 それを聞くと、幼女は目を丸くして、


「……見えません」


 よく言われる。「人生で苦労してこなかった成人男性に特有の幼い顔立ち」みたいな見え見えの挑発ツイートにガチギレしちゃうくらいには、その自覚がある。単にあまり老けない体質のようで、私は未だに二十代前半に間違われる。


「……なら、本当にこの人で合ってるんでしょうか……でも、こんな変な人が、本当に……?」


 幼女はなにやらブツブツと、私の顔をちらちら見ながら独り言。

 どうも私のことを探していた様子だが、イマイチ踏ん切りがつかない感じで二の足を踏んでいる、といったところだろうか。その自信なさげな表情も煽情的で愛らしいなあ。


「えっと、私になにか用かな? 借り物競争で『将来の旦那様』のカードを引いちゃったのかな? それなら喜んでついていくけど」


「いえぜんぜんまったくそんなことではありません。ただ……お兄さん、お名前はなんというんですか?」


 質問ばかりの幼女。年齢と名前を教えちゃったらそんなのはもう夫婦みたいなもんだ。ぜひ教えてあげよう。


「“勢野(せの)すとーん”」


 幼女から二度目のジト目を引き出すことができた。これまでの人生の不幸の帳尻が、フルスロットルで合わせられている音がする。


「……それ、偽名ですよね」


「偽名じゃないよ。私はもう、20年近く『勢野すとーん』だからね」


「……どういうことですか?」


 こてんと首を傾げて、思案顔幼女。かわいいなあ。ちっちゃいなあ。


「ペンネームだよ、私の。いくらきみが幼女といえど、さすがに本名は教えられないからね」


「ペンネーム? 小説家さんなんですか?」


「うん? うん、まあ、物書きだよ」


 小説家ではあるんだけど、あるんだけどね。でもなんというか、小学生の女児が裸になったり、中学生の少女が孕まされて結婚したりするライトノベルを書いている人間が、「私は小説家です」なんていうのはどうも後ろめたいというか。せいぜいが「物書き」である。


「物書きのおにいさん?」


 そうそう。ちなみに由来の方は、「勢野(せの)」は当時大好きだった女優の名前から音だけ拝借したもので、「すとーん」は本名からの連想ゲーム。音の響きが某家庭用ゲーム機みたいだとネットで囃される(しかもよくよく考えているとそれほど似てもいない)くらいで、さして面白みのないペンネームだが、こいつもすでに成人済みなのだと思うとこれが少しだけ感慨深いのであった。


「……できれば、本名を教えてほしいんですが……」


「それは、さすがにちょっと」


 名前まで控えられたら、バイバイしたあとにこっそり交番に駆け込まれでもしたら一瞬で身元を特定されてしまう。ペンネームの時点でアウトなような気もするが、とにかく本名はダメだ。絶対におしえてやらない!


「そこを、なんとかっ」


「ダメダメ。こればっかりはダメ」


「…………」


 しゅん、と落ち込んでしまう幼女。叫んでしまいたい。体が二つに裂けるようだ。早く楽になりたいと私は思った。


「……どうしても、ダメですか……?」


 おっきな黒目をうるうる~とさせて、女児特有のミルクみたいな甘い匂いまでさせちゃって、胸の前でぷにぷにの両手を合わせて、上目遣いで懇願する、じゅういっさいの女の子!!!


「――私は、美影(みかげ)更科美影(さらしなみかげ)だよ」


 もう人生とかどうなってもいいや。幼女とのお戯れより優先すべき社会規範なんて全部忘れた。私は《美少女》の元に自由である。


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