表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

145/171

13 十六夜日記 四

 《更科優》!


 《更科優》、あなたという存在が、私にとってどれほどの脅威であることか! 

 はじめ、彼をテレビで目にした時は、さして気に掛ける相手ではないとさえ考えていた 私より美しい存在というのは我慢ならないことであるが、所詮は画面の向こうの話であって、実際に面と向かって出会った際にはどうとでもできるだろうと腹を括っていた これが私の手痛い誤算であった

 

 彼がそのマスクを外して、私の前にその〈顔〉を現した時、私は彼のあまりの美しさに、くらくらと眩暈がした なにか世界が根本的に終わってしまうのではないかという衝撃を受けた


 これまで私を中心として、私以外のすべてのものは私に向かって差し向けられていた 

 《十六夜躑躅》という美しい主体は、〈他者〉の〈まなざし〉を〈感受〉し、他のあらゆるものを同化し吸収することで私というセカイを表象していた

 

 この世界において、《更科優》だけが思いどおりにならなかった

 彼だけは、私のうちに収まってはくれなかった


 どれだけ《更科優》の〈まなざし〉を、声を、〈言葉〉を、存在を、〈顔〉を《十六夜躑躅》という絶対の神の元に同化しようと努めても、その〈顔〉は絶えず私の所有の元から逃れて、私の理解を超える存在として、私に対して立ち現れてくる たとえ現在において彼の〈顔〉の《美》を吸収しようとしても、それを超えたと思った次の瞬間にはふたたび《更科優》は《十六夜躑躅》をまったくの外部からまなざし、《十六夜躑躅》へ〈話し〉かけ、《十六夜躑躅》に対して笑いかけてくるのだ 私の把握をつねに超え出る者、〈他者〉として絶えず私に己の〈無力〉を痛感させるのだ そのたびに私は彼に負けてしまう、泣かされてしまう 彼の〈顔〉が《十六夜躑躅》よりも美しいかぎりにおいて、私は絶対に彼を捉えることができない それまで私の神であり、絶対者であったはずの《美少女》《十六夜躑躅》の牙城が、主権が、覇権が、《更科優》の〈顔〉によって揺るぎはじめている この絶対的な世界に起こる揺るぎ、眩暈、痙攣というのが、すなわち〈他者〉の兆しである 


 私は〈他者〉と出会ってしまったのだ


 一体、《更科優》とはなんという〈神秘〉であるのか

 彼が私の名を呼び、私に美しくやわらかく笑いかけるたびに、これまで疑う余地もなく絶対的な一者であったはずの、〈美しきもの〉であったはずの私の魂が、激しく震えてしまうではないか


 彼の全存在が、私の魂を悩ませる このような「苦悩によって」導かれる「自らの孤独の痙攣」のうちに、私は究極の〈他者〉との邂逅を、真に美しき者の姿を感じ取ってしまったのだ たとえばそれは、存在するはずがないと言われていた伝説の龍が、たなびく彩雲のあいだを飛翔する姿をひととき垣間見たような衝撃、私の絶対のセカイが根底から覆るような激震、私という存在の死の間近にある苦悩であり、私はここにおいてようやく、アンドレ・ブルトンが『ナジャ』において「美は痙攣的なもの以外ではありえない」と書いたあの言葉の、本当の深い意味までを理解することができるのである 私は確信する、〈痙攣的な美〉は、《共鳴》するのだと

 

 なぜなら、私はこんなにも震えている

 《更科優》という〈痙攣的な美〉=〈正義〉ゆえに、私は震えている

 絶対の孤独を食い破って彼の所有物になろうとするこの主体の震撼、自己から抜け出そうとするエネルギーの震え――すなわち《痙攣》

 私の魂は、もうどうしようもなく、《更科優》の〈顔〉の美しさに、絶え間なく《痙攣》している……


 私にはもはや、〈痙攣的な美〉である《更科優》「によって」《痙攣》する、彼と連関する一つの記号の《痙攣》、客体として、やがては《更科優》に〈まなざし〉を向けられるただの存在者となってしまう未来だけが、気長に待っているかのようなのだ!


(追記:私のなかに依然として残り続ける信仰が、シュルレアリストたちの反カトリシズム的作品群の宿す「痙攣的な美」を、よりいっそう悩ましく淫靡に意味させるのだ エルンストのコラージュ・ロマン三部作の、「無原罪の御宿り」を扱き下ろしたブルトンらの、ニーチェの「神の死」に影響されたデ・キリコの「生の無意味」の、あの凄まじい涜神が、「痙攣」という中間項によって、ただちに《更科優》へと結びつけられ私を惑わせるのだ! 2023年 8月14日)


 この了解不可能な全き〈他者〉は、私にとってとても都合が悪い! 

 私は《十六夜躑躅》という虚構、私のセカイ、勇敢なる孤独を守るため、無理を押し通してでも彼の《美》を超越しなければならない!


(追記:私は〈他者〉と関わるために《十六夜躑躅》の仮面を被ったのだったが、暴力性を発揮するという仕方でしか関わることができていなかったのだ だからこそ、どうにもならない真の〈他者〉である《更科優》を前にして、私はこれほど恐怖している この頃の私の言い分を素直に聞くならば、私は優以前にも〈他者〉と出会っていなければおかしなことで、優との出会いに特別な意味など感じなかったはずである であれば、この慄きはなんであろうかという話になるのだ 感受による〈他者〉との邂逅? そのようなものはすべて自己欺瞞であり、私はこのとき初めて、優という絶対的な〈他者〉と出会ってしまったかもしれないのだ! 〈他者〉を求めていたくせに、実際に〈他者〉を前にしたら今度はそれを排斥しようとはどういう料簡であろう しかし、それほどに《更科優》との出会いは私にとってのすべてであった そうでなければ、私のこの優への気持ちに説明がつかないではないか! 2024年11月27日)


 そのために私は、今こうして頭を捻らせている


 さて、そこで私はふたたびレヴィナスの力を借りようとして、しかし彼の哲学では絶対に超えることのできない溝があると感じた

 では、レヴィナスと私の違いはなんであるかと考えた時、それは《美少女》か否かということである

 レヴィナスはちょっと眼光の鋭いだけのおじさんであって、《美少女》ではなかった


 レヴィナスのいう〈顔〉とは、一貫して〈他者〉の〈顔〉のことであり、私のように自己の美しい〈顔〉! などと言った世迷言は口にしなかった

 だから彼は「私が〈顔〉とか〈他者〉とか言うとき、それは私が〈他者〉をどのように捉えるかという問題であって、〈他者〉が私をどのように捉えるかということは問題にならないのです」などと言っている そもそもレヴィナスにおいては、〈私〉と〈他者〉とは絶対的に非対称な、交換不可能な関係であり、〈私〉の〈顔〉などということはありえない

 サルトルやデリダにしても同じことであり、近代思想においては、他我の問題というのは問題にすらされないか、主観性によって回収されてしまうのだ


 しかし、しかし、私は《美少女》である! 男と異なり、女とは存在そのものが価値であるような性別である

 私は客体的な《美》を備えた少女であり、他者からまなざしを向けられたところで恥ずかしがるようなことはない存在なのである

 だから私の思考にはどこか、「他者から見た私」という視点が多分に含まれている(追記:理解できるならそれは〈他者〉ではないし、理解し尽くせないなら〈他者〉であり〈無限〉の観念なのだから、この話はまるきり意味がないではないかと思いながらも、なおこれを書いている私は、読み返してみるといかにも偏狂である 2024年12月22日)


 これを可能とするのもまた〈美〉である 〈美〉は私を「私たち」にまで押し上げ、〈他者〉の複数性のなかに私をも包括する 

 また、〈正義〉=〈美〉の倫理的秩序は普遍的に妥当するとはいえ、そのことは個別具体的な非普遍的倫理性を軽視しない むしろこれを両義性と理解することで、〈正義〉の地盤は盤石なものとなるだろう 厳格なる〈正義〉は己の身を滅ぼすのだ


 私はこの曖昧さの上に立つ「見られること」を問題として、〈まなざし〉を考え、これらをどうにか《更科優》に対しても味方につけなければならなかった


(追記:ここらへんになってくると、かなり話の運び方がボロボロというか、諸所に無理が出てきている 私は自己保存を急ぐあまりに正当性を見失っていたのだ 2023年9月3日)


 そこでようやく私はエロス、恋愛を問題にしようと思った


 レヴィナスは『全体性と無限』において、主体は〈女性的なるもの〉という〈神秘〉に惹かれて、それを〈渇望〉〔欲求〕し、手に入れようとするのだが、〈女性的なるもの〉とは〈私〉の手から絶えず逃れゆくもの、そういう絶対の他性という〈神秘〉そのものであるために、いつまでも思い通りにならず、それゆえに余計〈渇望〉してしまうのだと論じ、このような主体の特殊な様態を、〈愛撫〉という行為のなかに見出した


 私はかつてこれに絶望した 繰り返すが、レヴィナスのエロス論では、〈女性的なるもの〉はどうしても所有しきることのできない〈神秘〉性そのものであり、それゆえに〈他者〉たりえる、ということになっているのだが ここで、社会的な、心的な性別は問題ではないとレヴィナスは言っている レヴィナスはいわゆるジェンダーの話をしているわけではないのだ しかし、やはり私がレヴィナスのエロス論に則り、主体として〈他者〉を希求することの困難を感じたのは事実であった ボーヴォワールが指摘したように、男性優位の思想であり、主体として女ははじめから前提とされていないかのようなのだ


 しかし、この状況においては、すなわち《更科優》との関係においては、私はむしろそれを望ましいとさえ思った


 現状、《更科優》が《十六夜躑躅》の〈顔〉を〈渇望〉〔欲求〕している気配は無に等しいが、これはむしろ可能性である 理性を働かせよ

 《更科優》にとって《十六夜躑躅》という存在を、所有原理の元に従わせたい悩ましい〈他者〉という位置にまで押し上げるのだ

 私が彼にとっての〈他者〉として、〈渇望〉されればよいのだ 私は《美少女》である、女である 〈女性的なるもの〉が〈渇望〉されるものなのであればこそ、それが可能だ


 すなわち、私はどうにかして《更科優》を惚れさせればよかったのだ


 ひとたび私の〈顔〉を見てしまったが最後、もはや私に対して無関心ではいられなくなるこの《惚れ》、私という〈他者〉へ向かって自らを《恋心》として差し出すこの形としての奉仕……そのような心的状態に陥るまで、《更科優》を魅了してしまえばよいのだ!

 〈女性的なるもの〉とは、レヴィナスに言わせればもの性の極致であるのだが、その背後には〈絶対的他性〉が隠されている

 《更科優》をこれによって〈強迫〉するのだ!

(追記:ここで「心的状態」などと言っていることからも、私は明らかに超えるべきでないものを超えて思考している どれだけ気を付けても、すぐ感情的になってしまう 2023年 11月23日)


 「最初の経験は、愛せよという命令」であるというような出来事の地点にまで、彼を引っ張ってくることができたら

 その時こそ、私は彼のあの暴力的な〈美〉を乗り越え、〈他者〉と倫理的に関係するための《十六夜躑躅》を守り通すことができる


 私が美しい女である限りで、男の彼は絶対に私を所有したがるはずだ 私はこれまで丹念に丹念に、《美少女》《十六夜躑躅》という虚構を構築してきたのだから 「いつたん此世にあらわれた以上、美は決してほろびない」と高村光太郎が言ったように、《美少女》は《更科優》ごときに同化されたりしないのである!


  

 ……以上が現時点における、私が把握し制御しているつもりの《十六夜躑躅》幻想である これからなにかが変わることがあるだろうか?

 十六という古来から女にとって最も華々しいとされる季節を迎えて、私の人生は間違いなく大きな分岐点に立っているという感覚がある 彼のことを考えただけで、私はこの日記をビリビリに破いて塵として燃やしてしまいたい気持ちに駆られる 


 私は今も震えている これは私という女の、心の弱さだ この痙攣を、私はなんとしてでも止めたいと思う そしてそれがいつになるかは分からないが、私が彼を乗り越えて、震えることがなくなったそのとき、私はふたたびあの誇り高い孤独に立ち返り、そこにおいてようやく絶対的ななにかに到達することができる気がしている それがなにであるかは私にも分からない むしろそれは、理解できないことによってなにかなのである それに触れ得るかについては、まったくの、予期せぬ〈未来〉の私に期待する(あるいはそれは、期待することさえできない〈未来〉である)


 レヴィナスは、〈未来〉とは〈他者〉であると言った


 』



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ