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幕間 八月一日九の脱コミュ障計画!!(これまでの復習)

海水浴旅行(前回の話)から1週間後くらいのお話です。

九「今日みなさんに集まっていただいたのは他でもありません」


 水分高校の空き教室。円形のテーブルと、それを囲むように配置された椅子に座る、美少女たち。


 (いちじく)躑躅(つつじ)野分(のわき)、エーデルワイス、さざれ、皐月(さつき)


皐月「あの、姉さん……? どうして私まで――」


躑躅「しっ! 静かにだわ、サツキ」


「「「………………」」」


 現場は神妙な雰囲気で保たれている。


九「私、八月一日九と言えば、コミュ障であります」


さざれ「そうですかしら……?」


 九はゲンドウポーズで、コクリと頷く。


九「われわれは一般に、美少女と呼ばれる容姿を持った存在です。容姿に優れた者は、幼少期から周囲にちやほやされて育つため、容姿に優れない者に比べて、高いコミュニケーション能力を得やすいと、されております」


野分「わたしたちにはあまり当てはまらないと思うけど」


九「しかし! しかしなのです、皆さん」


エル「人の話を聞かない……」


九「私は《隠者》なのです! 環境とか性格とか諸々のあれで、あまり人とかかわらずにこの年になってしまった《隠者》なのです!」


 ダンダンダン! とテーブルを両手で叩き、自らに視線を集める九。


九「そこで…………みなさんに、巧みなコミュニケーション術を伝授してもらおうと、そう考えたのです」


エル「あ、そういう集まりだったんだ」


 自分たちがここに集められた意味を解した美少女たちは、互いに顔を見合わせる。

 一様に、微妙な表情をしていた。

 この場を代表して、躑躅が発言する。


躑躅「人選ミスだと思うんだわ」


 うんうん、と頷く一同。


九「ではまず最初に、私から言いたいことがあるのです!」


 九は当然のように躑躅の話を無視をして、会話を進める。


さざれ「まず人の話に耳を傾けるところから始めたらどうですの?」


九「ずばり、最初の議題は!」


 前のめりになった九は、堂々と述べる。


九「【他人の話に興味を持てない】のです!」


躑躅「あ、ちょっと分かるんだわ」


野分「どうでもいい話されるとムカつくもの」


エル「いやでも、これは話題によるんじゃない?」


さざれ「ですわよね。たとえば自分にとってよく分からない話をされたら、興味が持てないのも仕方のないことですわ」


エル「だよね。というかさ、相手に興味を持ってもらえるように話すのも大事だし、一方的にズミが悪いってわけじゃないと思うよ」


皐月「たしかにそうかもしれませんが……」


 と、ここで皐月が発言する。


 エーデルワイスと九は「誰だろうこの子」と首を傾げている。


皐月「自分の知らないことなら、むしろこちらから色々質問してあげたりして。そうしたら相手も喜んでくれますし、会話も盛り上がります。――大事なのは、相手に歩み寄ろうという考えなのではないでしょうか」


エル「この話の最後に行き着くはずの解答みたいなのがもう出ちゃったんだけど」


野分「でもそうよ。結局『興味のない話題』が発生しちゃう時点で、多分お互いに足りない部分があるの」


さざれ「分かりますわ。発話者は、相手を自分の話題に引き込むための努力が足りておらず、聞き手は、相手から面白い話を引き出そうとする努力が足りていない、ということですわよね」


皐月「お二人の言う通りです。会話とは、一方的なものではありえません。互いに相手を分かろうという気持ちがあって初めて、楽しい会話というのは生まれるのではないでしょうか」


野分「サツキ、あの姉のもとで育って、よくそんなまともで素直な子になったわね」


皐月「私はただ、姉さんの真似をしていただけなんですけど……」


さざれ「姉の数少ない良いところだけを上手に吸収したんですのね、えらいえらいですわ」


皐月「え、えへへ……」


 一つ目の話がまとまろうとしていたところで、


九「いや、なんか違うのです」


 九が不満を呟いた。


躑躅「うん、なんか根本からズレてる気がするんだわ」


九「やっぱりそう思いますよね、レンゲちゃん。順序が、逆ですよね」


躑躅「そうなんだわ、分かるんだわ?」


 九と躑躅が勝手に分かり合っていた。


九「歩み寄りと言いますが……そもそも、第一に『興味が持てない』のです。たとえば私はスポーツに興味がないのですが、オリンピックの話を振られた場合、もうその時点で興味がなく、どうしていいか分からないのです」


躑躅「そうなんだわ! そこで分からないながらも、『今って日本は金メダル何枚なの?』とか、それでなくとも『今回ってどんな感じなの?』みたいな、そういう質問ができるのは、その時点で『多少なりとも話題に興味がある』証拠なんだわ。私たちは初めに『興味がない』から、この手の『どうでもいい質問』すら思い浮かばないんだわ!」


九「つまりこうなのです。みなさんは『歩み寄り』から『興味』を生み出そうとしていますが、それは倒錯しており、『歩み寄り』は『興味』によってはじめて懐胎されるのです。しかるに私たちは『興味』を持たない。それゆえに、『歩み寄り』も不可能ということ。……」


さざれ「今ツツジさんは、例に出すという形で質問を思いついたじゃないですの。それと同じことを会話でもやればいいのではありませんの?」


躑躅「それはもう全く違うんだわ、そうなんだわ、ホズミックちゃん!」


九「そうです、全く違います! われわれは『興味のないものに興味を持つ』仕方、その手続きについて話をしており、このことの不可能性、あるいは困難を『形式』によって説明することは容易なのです」


躑躅「私たちの『〈オリンピック〉云々という発話』と『〈メダル獲得数〉云々という質問』という一連の思考は、この『形式』を思考する枠組みなんだわ! それは会話とはまったく異なる場所で生まれるものだから、むしろ簡単なんだわ! でも、実践という段になると、もう構造が違いすぎてよく分からないんだわ……」


エル「何が言いたいの?」


九「どうしたら、他人に興味を持てますか」


躑躅「だわ」


エル「それもう会話云々の問題じゃないんじゃない?」


野分「ツツジはそれ以前の話よね」



   ☽



九「二つ目の議題に移ります」


一同「はぁーい」


 九がフリップを用意する間、美少女たちは先程の討論について振り返っていた。


エル「でも意外だったなー、ツツジって他人に興味を持ちたいとは思ってるんだ」


躑躅「うぅーん、一応……?」


 なぜか歯切れが悪かった。


さざれ「なんにせよ、よいことですわ」


皐月「姉さんが真人間になってくれる日をいつまでも待っています……!」


 九の準備が終わった。


九「それではいきます、ででん」


【会話は趣味が九割】


エル「そうかも?」


皐月「そうでしょうか……?」


躑躅「サツキくらいの年齢だと、まだ趣味とか関係なく話せるから実感湧かないかもだわ」


九「これはずっと言いたかったことなのです。インターネットなどにもいろいろなコミュニケーション術が転がっていて、私はあの手の技術を何度も参考にしたりしたのですが」


エル「ああいうの真に受ける人いたんだ」


九「しかし、しかし、結局は無意味でした。場をつなぐためのトークとか、ただの情報交換とか、そういう段階なら多少効果はあるのですが、その先! パーソナル情報を開示し合う段になると、途端に話が合わなくなってしまいます」


野分「無駄に難しい言い方してるけど、要するに、共通の趣味がないと関係が長続きしないってことね」


九「そういうことなのです」


野分「それはそうでしょ。陰キャと陽キャとかいう区別も、結局は趣味とかコミュニティの質の差によって生まれるもの。本当は、性格なんかは二の次で……」


躑躅「私、スグルとノワが話してる時、たまに疎外感を覚えるんだわ……」


野分「ツツジはいつも空気読んで愛想笑いしてくれるから助かるわ」


躑躅「気づいてたんだわ……?」


エル「まあでもたしかに。趣味がサウナ・ウイスキー・筋トレ・お笑いの人間と、アニメ・ラノベ・エロゲのオタクじゃ、たとえ性格が似てても長い付き合いは難しいよね」


野分「そういうわけでツツジ。スグルは諦めなさい」


躑躅「今そういう話じゃなかったんだわ!」


皐月「えっと、八月一日さん、で合ってますか? 八月一日さんの趣味はなんですか?」


九「魔術師なので、趣味というよりは半分仕事で、魔術学を……あと、そのお隣の民俗学、文化人類学も好きです。完全に趣味といえるのは、哲学くらいです」


エル「ふざけてるの? 人と関わる気ある?」


野分「キューちゃん、あなたに最適なアドバイスをあげるわ。――人文学はカス。いますぐやめなさい」


九「そんな……」


野分「ねえエル、あなただってそう思うでしょ」


エル「できればズミの味方してあげたいけど、これはノワの言う通りだよ。なんか、ひたすら内向的っていうか。よくないよ」


躑躅「あんまり悪く言っちゃだめなんだわ! 70年代あたりから、文学と哲学も他者とかかわろうとしはじめてるんだわ! そこらへんやればいいと思う!」


さざれ「そういう学問的なことは分かりませんけれど……そもそも、別に趣味の話をしなければいけないわけではないではありませんの」


皐月「そうですよ。人と一緒にいて、その時々に見たもの、聞いたものについてあれこれ語り合うことも、立派なコミュニケーションの一つです。そうだ、八月一日さん、旅行などはいかかでしょうか!」


さざれ「それがいいですわ。旅行は今サツキが言ったようなことを、いちばん手っ取り早く実践できますでしょう。旅先での経験は、『共有の記憶』となります。それは他者との強固な関係への第一歩ですわよ! 先週、海へ行ったのだってそうなったではないですの!」


九「旅行ですか……」


さざれ「あれ、不満そうですわ」


皐月「お嫌でしたか……?」


九「ダメじゃないです。けど、まず誘うのがハードル高いですし、あまり仲良くない人と旅行しても楽しくなさそう……」


エル「趣味を増やすのはダメなの? そんなさ、文学? とか暗いのばっかりじゃなくて」


九「なんというか、興味のないものに無理やり手を出すのは違う気がするのです。もっと自然体のまま仲良くなりたい」


エル「無理やりなんて言ってないじゃん。ちょっとでも興味のあるものとかないの? そこから手を出していくとかさ」


九「まず、新しいこと始めるバイタリティが……。というか、趣味に関しては今の状態でかなり満足しているので、その上新しい何かを始めるというのはちょっと……」


エル「めんどくさ(ふぅん、そっか)」


躑躅「エル、逆なんだわ」


野分「その考えで今までぼっちだったんだから、じゃあ努力するしかないでしょ」


九「でもそうやって自分を無理して偽って構築した関係ってなんか虚しいと言いますか。結局それって上辺だけの付き合いってことではないですか。それはむしろ今までの私の得意分野でしたが、それが嫌だったから、今こうして悩んでいるのです」


野分「本質的な関係? とかそういう話。オタクが好きなやつね。あなたは本物が欲しいのね」


九「そういうことになります。常識によって形成された関係はどこか空虚であり、本物の関係というのはいつもそのような人間的社会的諸関係を越えたところにしか生まれないと思うのです」


野分「今こうしてわたしたちとペラペラ喋ってるのは? これはもう趣味の話題抜きで話せてるってことではないの?」


九「ノーカンです。だってみなさんって変じゃないですか」


野分「殴っていいかしら」


躑躅「ホズミックちゃんは多分、あれなんだわ、大衆が大衆であることを認めるべきなんだわ。世界は残念ながらそういう風にできていて……」


九「はい、分かっています、だから今は、どれだけ自己を解体せずに、社会とスムーズに接続できるかという、その微妙な度合の探り合いのさなかなのです。自己に固執しすぎて内に閉じこもるのは避けたいですが、かといって社会に対して自己を解体しすぎた結果、虚無が広がるのでは意味がありませんから……」


躑躅「それはそのまんま私の悩みなんだわ……わんわんっ、ホズミックちゃん、なんでもっと早くそれ言ってくれなかったんだわ! いろいろ話したいんだわ……!」


九「私からすれば、レンゲちゃんはこの問題を上手く乗り越えることができているように思えるのですが……?」


野分「弁証法的、螺旋階段!」


エル「ノワ、無理にエロゲ知識で張り合わなくていいよ」



   ☽



 その後、躑躅と九の話が長くなりそうなのを見越したエルノワが、力技で区切りをつけた。


エル「あれだね、ツツジとズミを一緒にすると、一生意味わかんない話しちゃうから、隔離だね」


躑躅「もっとホズミックちゃんと話したいんだわ……」


野分「別にいいけど、今はそういう時間じゃないの」


 躑躅と九は、隣同士でも対角線上でもない、ナナメの席に座らせられることとなった。


九「次のフリップの準備が終わりました」


【高校から急に友達が作りにくくなった】


九「私は最近強く思うのですが、青年期の自意識とはなぜああも気持ち悪いのでしょうか」


 躑躅が賛同しかけたのを、エルが止めていた。躑躅に喋らせると、また話がややこしくなると感じたのだ。


九「思いませんか? 人間ってなぜか高校からいきなり社会人として【意識的に】共同体を作りはじめ、帰属意識に自覚的になり、それを守ろうと躍起になる、ほんとうにくだらない自意識……」


野分「その言い方だと、キューちゃんは、小中は普通に友達いたの?」


九「特定の誰かと仲良くなることはありませんでしたが、そうですね」


野分「じゃあまだいい方でしょ。わたしは小学校でたくさんいじめられたもの」


九「しかし、最初から完全にハブられるより、中途半端にコミュニティの内側にいながら浮いている者の方が辛いというのはありますよね」


野分「あぁそう、あなたもそうなのね。弱者の代弁者のフリをして、はじめから『いない(ことになってる)者』の痛みには見る目を向けないの。そうやって一生、底の浅い不幸アピールしてればいいわ」


九「でもなんというか、あなたは『独りでも大丈夫な人』じゃないですか?」


野分「は? 優しい両親のもとでぬくぬく育ったお前が口出ししないでっ!」


皐月「そこ! 異常者マウント合戦はやめてください。見ていて情けないです。ノワ姉もどうしたのですか、いつになく攻撃的ですよ」


野分「……昔のことを思い出して、ちょっとムキになっちゃったの。ごめんなさい」


九「私も、すみません……かつて『常民』だけを問題としてそこに含まれない人々を無視していた民俗学畑の悪いところが出てしまいました……」


エル「一々そういうのに絡めてくるのウザいよ」


野分「いいの、エル」


エル「そう……?」


さざれ「まあまあ。……話を変えますけれど、わたくしたちの世代はコロナのせいもありますわよね」


エル「あれね。緊急事態宣言って中2と中3の間だっけ?」


躑躅「あの期間で人と話す方法忘れちゃったんだわ」

 

野分「わたしたちはまだマシな方でしょ。えっと、二個上と五個上かしら?」


エル「あー、その世代は入学と同時だからヤバそうだよね」


九「でも大学って、中高ほどそういうの関係あるのでしょうか。滑り出しの重要性というか……」


さざれ「想像つきませんわね。なんとなく自由なイメージがありますが……」


野分「Twitterみてると全然『人生の夏休み』ではなさそうなことは分かるわ。あれって当時は大学制度がゆるゆるだった氷河期世代の親が無責任なこと言ってるだけでしょ」


九「先月名前変わりましたから。X(旧Twitter)」


野分「それいちいち指摘してくるやつホント死んでほしいわ」


躑躅「そうなんだわ? Twitterやってないからよく分からないんだわ……」


皐月「姉さんはアカウント作るとすぐ炎上するのでやらなくて大丈夫です」


九「なんですかそれ」


さざれ「ツツジさん、前にTwitter始めたら名前と高校を特定されてしまったんですわよ」


野分「白住じゃなったら余裕で退学だったわね」


エル「でもそのおかげでツツジのことは会う前から知ってたんだよね。ネットのおもちゃとして」


躑躅「そうなんだわ?」


皐月「あれどうにかできないのですか。クラスメイトの男の子に『お前のねーちゃんってこいつ?』とスマホ見せられて、姉さんの画像が映ってた時は気絶しそうでしたよ」


躑躅「ごめんなさいだわ……」


野分「無駄に写真写り良いのもムカつくわ、あの一枚」


エル「しかもあれで奇跡の一枚ってわけじゃないのが本当にイラつくよね。実物の方がかわいいとか」


躑躅「えへへ、褒められてるんだわ?」


さざれ「多分貶されてるんですわよ」


九「――私たちはなんの話をしているのですか!!」



   ☽



エル「ごめんごめん、脱線しちゃった」


野分「それでなんの話だったかしら。ツツジのカスTwitter運用?」


皐月「八月一日さんのコミュニケーション力上達教室ですよ、ノワ姉」


九「その言い方も結構心に来るけど……まあいいです。ではそろそろ最後の議題です」


【どれだけ傲慢で無神経なら〈会話〉できるんだ】


躑躅「……………………」


エル「え? どういうこと?」


さざれ「今までの中で断トツで意味不明ですわ」


皐月「解説お願いします」


九「私は思うのです。会話とは〈他者の時間の簒奪〉であると。私があなたに話しかけると、あなたは足を止め、私の方を向いて、自らの時間を消費して、私の話に耳を傾ける」


エル「まあそりゃそうだね」


九「その時間で、本当なら、あなたはもっと有意義な時間を過ごすことができたはずなのです」


さざれ「……ええと?」


九「あなたは、私の話を聞くよりも、もっと楽しいことをして、過ごすことができたはずなのです。私があなたに話しかけたことで、あなたの大切な時間を奪ってしまった。これはビジネスシーンでは当然の礼儀です。『この度は、貴重なお時間を割いていただきありがとうございます』との定型文は、われわれに潜在的にこのような意識があることの表れなのです。私から言わせれば、『会話するのが好き』という人は、自らの快楽のために他者から時間を略奪することを良しとする、傲慢なエゴイスト以外の何者でもないのです。今こうしている間も、みなさんから貴重な時間を奪い、身体をここに拘束させ、私に意識を向けてさせている、という身勝手さ、私のエゴイズムに、心を圧迫され、気が狂いそうなのです。頭のなかで、絶えず私は謝罪しています。私はみなさんによって、あらゆるものの簒奪者であり、私がもっとも罪深いのだと……」


野分「それは……穿ちすぎ。その手の、『俺の貴重な時間を奪いやがって。話しかけんなよ』という考えの人間はたしかにいるわよ。でも、世の中はそれほど心の狭い人間ばかりじゃないわ。一歩踏み出してみれば、善意に触れることだって……」


九「あなたがそれを言うのですか。人間の、裸形の悪意を煮詰めたようなインターネットに精通しているあなたが、それを言うのですか」


野分「ひと昔前のエロゲをおすすめするわ。絶望のなかから希望を見いだす人間賛歌は、ゼロ年代エロゲの十八番だもの」


九「しかしそれで、どうにかなりましたか。どれだけ創作物が人間は悪いところばかりではないと叫んでも、それで少しでもわれわれは救われましたか。いえ、あるいは自己意識に関する問題は、その手の創作物によって一定の解決は得られたのかもしれません。しかし、やはり、そこから社会にコンタクトしていく方法については、これまでのコンテンツはどこまでも無責任なのです」


躑躅「…………それで、どうするんだわ?」


九「え?」


野分「ツツジ?」


躑躅「それでホズミックちゃんは、やっぱり、悪意に正面から向き合っちゃうんだわ? 乗り越えるのではなく、悪意そのものに身を曝し、喪失ではなく社会に対してバラバラに解体された自己のなかから、かろうじてそのような【何者でもない私】という形で【私】を掬い上げることで? それじゃいつまでたっても同じなんだわ!!」


九「ですから、今はその試行錯誤の最中で……」


躑躅「意味ないんだわ! それが甘いんだわ!!」


エル「だから躑躅、今そういう変な話は――」


躑躅「黙って!!」


エル「!?」


躑躅「だからみんなダメなんだわ! キューちゃん、ううん、八月一日九、あなたたちはそうやって自己意識の頑迷の克服に倫理を要請して、無抵抗でいるから! だから虚無なんだわ! いいや違う、現代ではもはや虚無ですら挫折し、その効力を失い、限りなく透明に近いどころか、完全な透明になってしまったんだわ!! それでいいの!? それで人間なの? 生きてるって言える!? 私は嫌だわ、だから力を選択した! この〈十六夜躑躅の美少女性という暴力〉を、《美少女》という幻想を、私は自ら創造したんだわ! これが有効である限り、私は生きてるって言える! あなたはどうなの!? そうやって一歩踏み出しただけでなにか変わった気になって、いつまでも空気みたいに人生を消費するつもり!? なら人間なんかやめちゃえ!! VTuberでも見てろ!!」


九「…………」



   ☽



 突如として乱心し、《会話にならなくなった》躑躅を力づくで退場させた後、暴力性の排除された俄作りの平和による議論が続けられる。


九「不味い鮭って明太子と同じ味がしますよね」


「「「「「(急になんの話……???)」」」」」


九「あ、いえ……場の空気をリセットさせるための、小粋なジョークというか、激おもろトークで場を沸かせたくて……」


野分「そういうの要らないわ」


九「はい」


エル「まあさっきの話に戻るけど。あれね、会話が他人から時間を奪う、みたいなの。考えてみたけど、ズミが言うことも一面的にはそうなのかも……とはなったけど、でも、それはあくまで会話の前提であってさ。そこから、さっきの話にもあったけど、いかに相手を楽しませられるか、とかを頑張ればいいんだよ。私が会話によって相手から時間を奪っちゃうのは、もう仕方ない。そこで悩み続けるんじゃなくて、その先で、私と話したこの時間が、相手にとって損ではなかった、って思わせられるようなトークをするよう頑張ればいい、っていうか」


さざれ「そうですわよ。あまり物事の悪い面ばかり見つめるものではありませんわ」


九「そうなのでしょうか……それは、相手の善意を利用しているように思えるのです」


皐月「というのは?」


九「相手が楽しい思いをしてくれているから、私の傲慢は許されているんだ……というのは、相手が私のために向けてくれた感情を、私の罪を解消するための道具として利用している感覚があり、そのとき私は世界一残酷なエゴイストであり、それが、それが、辛いのです」


エル「ふぅん……ズミ、いろいろ考えてたんだ?」


九「え?」


さざれ「一つ一つの物事をそこまで真剣に捉えられるのは、それだけあなたが誠実な証拠ですわ」


九「……………………」


野分「スグルにしてもそういうところがあるから。あなたたち、ちょっと似てるのかもしれないわね」


皐月「あの、八月一日さん、姉さんと話が合うみたいで、今日あの人すごく喜んでいたので、どうかこれからも姉さんと仲良くしてやってください!」


九「よく分かりませんが、心が軽くなった気がします。今日はありがとうございます」


 九が絶望し、議論は終わった。

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