36 存在の動揺
【御簾納さざれ】
どうしてあなたは、そんなにも――
「疾ッ!!!」
「ガフッ……」
まほろば02を振るえば、累はあっさりと吹き飛びました。
けれど油断はできない。
「破アアアアアアアッ!!」
わたくしは、最大まで魔力を込めて――まほろば02を、投げ飛ばします。
――ドッガアアアアアアアッ――……!!
『グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ……!!!』
凄まじい音を立て、剣は少女の体ごと壁に突き刺さりました。
『イ……イタイ、痛イ……!』
ブリキのおもちゃのように不気味な動きで抵抗するも、累はそこから抜け出すことができません。
無事に拘束することができたようです。どうやら、力そのものはそれほどでもなかったようだ。
「助かりましたわ、シラガミ様」
『さざれも今やおにーちゃんの彼女ですから、私が助けるのは当然のことなのです』
「それでもですわ」
霊力の使えないわたくしの攻撃が累に通じたのは、シラガミ様が感じ取った〈恋心〉という霊力を、わたくしの攻撃に付与してくれたからにほかなりません。
そういう意味では、彼女にもお礼を言わなければなりませんわね。
「協力感謝致しますわ、菊子さん」
『ふんっ、《真景》に捕らわれちゃったスグルの手助けをするだけだもの。あなたなんてほんとは八つ裂きよ』
「その、《真景》というのはどのような妖術ですの?」
――スグルさんとそのご友人が、累の発する光に包まれた。わたくしやシラガミ様はなんとかそれを防ごうとしたものの、霊力には干渉できず……お二人は……
「これが……スグルなんだわ?」
十六夜……ツツジさんが、ちょうど自身の目線の高さほどのところで空中浮揚している二つの御魂を、物珍しそうに眺めています。
眩いばかりの光を発するもの、爛々と山吹色に輝くもの。
スグルさんと、そのご友人の御魂ですわ。
おそらくこれは《真景》とやらの影響。
あの後、お二人の体は光のなかで消滅に、この場には裸形の御魂だけが残されました。
「死んじゃったんだわ?」
平坦な声音が逆に怖いですわ。
『ああそうさ! こいつらは死んだ! 御魂だけになった存在はじきに滅びへと向かう! もはやそう長くはないぞ! ザマあみろ! お姉ちゃんを気狂いにした罰さ』
スグルさんの停止命令によって、歩行中の姿のまま固まっている助という妖が、叫びます。
「あなたはちょっと黙っててくださいまし」
「また殴り飛ばされたいんだわ?」
『危ないからあまり近づいてはいけませんよ、ツツジ』
触れるだけならば、誰でも幽霊には触れます。けれど、彼らの特殊な「存在しない存在」としての御魂にダメージを与えることは、霊力を持つ者にしかできないということでした。
「安心してくださいまし、ツツジさん。御魂が肉体を離れることは、魔術師にはよくあることですわ。御魂の意識さえ明瞭ならば、いくらでもやりようはありますの」
「肉体は魂の牢獄なんだわ!」
「はい?」
「なんでもないんだわ。要するに、スグルはまだ生きてるんだわ?」
そっとスグルさんの御魂を撫でながら、ツツジさんが言います。御魂はその球体の外側が核のようなもので覆われており、そこは御魂の顕現時、肉体的に接触可能な唯一の部位だ。
「問題は、意識が内面へ閉じていることですわ。これではこちらから御魂へ呼びかけることができませんもの。それが恐らく、《真景》の効果なんでしょうけれど……。菊子さん、この《真景》とはどのような術ですの?」
『それが……分からないわ。そんな術があるなんて、知らなかった……』
『だろうさ』
と、助がまたなにやら口を挟みます。
『菊子お姉ちゃん、お姉ちゃんは、自分が《累》の支配者だと思っているけど本当のところは違うんだ。僕や僕の生き写しである累と、菊子お姉ちゃんには断絶があるだろう、だから知らなかったんだ。そもそも考えてみなよ、だってボクたちは《累ヶ淵》だぞ? 名前からして累が主だろう。そうさ、ボクらの怨みの中心は累、ボクとうり二つで生まれてきた呪い子なのさ。
だから累は《真景》、本当の姿を求めるんだ。累はそれを知らずに生まれたせいでボクに似てしまったからね。本当の自分を知っていたらそうはならなかった。だからそれを見つけるために、魂の奥深くへ潜るのさ。理性や意識を超越したところの魂にね。人によっては大したことない術だけど、事情持ちにはこれが効くんだ。ひどい奴はそのまま帰ってこられないよ。本当の醜い自分と向き合わされるんだからね、いつまでもそれを直視できないのさ。ボクの見立てではあの二人のうち……』
「話が長いんだわ」
『ぎゃっ』
ツツジさんが、ぐしゃ、と顔面に容赦ない殴打。助はその場に、パラライズ状態のモンスターのようにビクビクと痙攣しながら倒れます。「動くな」という命令の実行中に、外部から無理やり体を動かされたものだから、おかしくなっちゃったんでしょう。
『そんな……わたし、《累》のそんな事情知らなかったわ……』
と、菊子さんがショックを受けるのですが、
「幽霊同士の事情なんてどうでもいいんだわ。スグルだわ。スグルはどうすれば助かるんだわ?」
「……あなたは相変わらずですわね、ツツジさん」
「……そうだわ? さざれだってそう思うんだわ、こんなの、三文芝居じゃなければなんなんだわ? そんなもののために、スグルが後回しにされていいはずがない。〈幽霊〉は所詮、影にすぎないんだわ」
どうやら今のツツジさんは、珍しく腹を立てている。彼女が負の感情を昂らせているところを、わたくし初めて見ましたわ。美人は怒らせると怖いというのを正に体現しておられますわね。
そして、だから。
――本当に、いつも。そんな風にあなたは……
だからわたくしも、きっと……
「えぇっと、スグルさんのことですけれど……助の話が真実なら、わたくしたちにできることはありませんわ……。ただ、そのお二人の御魂を傷つけないように守っていることくらいしか……」
ツツジさんは黙って、シラガミ様へ視線を寄越しましたが、
『《真景》が妖術であり、私たちが存在である以上、私たちが《真景》にたいして物理的・魔術的干渉を行うことは難しいでしょう』
「…………………………」
わたくしとシラガミ様、両者からやれることの少なさを告げられたツツジさんは、死んだように押し黙って助を見つめます。
「分かったわ。なら、仕方ないんだわ! シラガミ様、先にエルノワの方を見つけるんだわ!」
『それなのですが、どうやら彼女たちはこの付近にいるようなのです。ただ、これもまた位相がズレており、なんらかの妖術の影響下にあるものと思われます』
『そ、そうなの助……? あの二人にも、さっきの術をつかったの?』
菊子さんは先程から、その輪郭がぼやけております。彼女はもう長くはないのでしょう。
『いいや、僕と累は、あいつらの御魂をかどわかした。今頃見当違いな錯覚のセカイで死にかけてるだろう。運が良ければ生きて帰ってくるよ』
「リノたちにもなにかしたんですの!?」
『さざれ、忘れているようですが、ノワキは半妖です。彼女たちの妖術に有効な力を持っています。そう簡単にやられてしまうことはないでしょう』
反射的に叫んでしまったわたくしを、シラガミ様が宥めてくださいました。
「………………………………」
そこでわたくしが、自らの未熟さを反省する間もなく、重圧を伴った沈黙のツツジさんが、またしても助の目の前まで近づいていき……
『は? なに、今度はボクはなにもしてな――ぶぎゃっ……』
地面におかしな体勢で寝転がる助の顔を、靴の底で思い切り踏みつけてしまいます。片足を上げ、ぐりぐりと――自身と相似の顔を踏みにじりながら、彼女は怖いくらいに冷やかな目をしていました。
眼下の彼女を、もはや意識外のものとして無視さえして――虚空を見つめ、呟いたのです。
「――私が私でないなにかによって動かされている。ううん、私たち。この恐ろしい影を見た気になっている私たちみんな……。舞台上の俳優のように、台本を読み上げるように、物語を進行させていくために。人間性が剥がれ落ち、会話の文脈はしばしば乱れ、私たちの意志は暗闇の支配によって覆い隠されてしまうんだわ。今は、そういう事態のただなかなんだわ。その原因は〈幽霊〉、生と死のあいだの者。……さっきから、生きてるって感じがしない。不快だわ」
あくまで調子の変わらない独り言のようでした。
わたくしには、彼女の言っている意味がよく分かりません。
けれども彼女の冷静な言葉のなかに、どこか苦しみのなかでもがきつづけるような痛切さを感じたのは、わたくしの気のせいでしょうか。
「分かったわ、今だけはスグルの気にかけた、この美少女〈幽霊〉菊子に免じて、幽霊に怯え、恐怖に追い詰められて仲間を頼ってしまう、か弱い女の子になってあげるんだわ」
「あ、あの、ツツジさん……?」
わたくしが、一体なにを言っているのかと、ツツジさんに訊ねると、
彼女はおもむろにわたくしの方を向いて、言うのでしたわ。
「さざれ、ちょっとお話しましょう、ゆっくりおしゃべりするんだわ!」




