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29 本領発揮

【芝蘭堂陽】



「うおああああああああああああああああ!?!?」


 ――机の影から出たオレは、ワケも分からず『それ』にチョップタックルをかました。そうしなきゃ、なにかが致命的に手遅れになる気がしたから。


 ……触れる。なら、いける。


 オレに組みつかれて真後ろにびたん! と倒れた『それ』はとにかく両腕を振り回し、全身に勢いをつけてオレの拘束から逃れようとする。


「アキラくん!?」


 オレも正体不明のナニカにいつまでも抱き着いたままなのはいい気分ではなかったし、なにより背後のあいつに心配をかけるわけにはいかないってんで……


「うぉらッ――!」


 うつ伏せだったオレは体勢を横に倒し、そこから起き上がる勢いで『それ』の水下に強烈な肘打ちを一発入れてやる。


『――っ』


 『それ』が呻き声らしきものを上げている間にオレは後退し、ユカリを背に隠すようにポジショニングする。


 さて、こっからどうする?


 あの『ひたひた』音を鳴らす『それ』に気付かれ、襲い掛かられた。咄嗟に反撃したが、どれだけ効いてるかもわからねえ。


 オレとユカリは教室の奥にいて、『それ』は出入口付近に立っている。


 この場で倒す、ってのは無理そうだ。


『…………痛い……痛いわ……ひどいわ……』


 その証拠に、オレが呼吸を止めるつもりで鳩尾にエルボーをクリーンヒットさせたはずの『それ』は、もう何事もなかったかのように起き上がって、流暢に喋り始めやがった。人、なのか? まあ人であれなんであれ、とにかく、尋常ならざる特異な暗闇の主だ。まともにヤり合うのは避けたいね、こちとらちょっとガタイがいいってだけの、一般高校水泳部員なんだ。


 ……どうにかして、後ろのドアの方から逃げられるか?


(……それしかねえか)


「ユカリ」

「はい」


 オレは、ユカリの手をぎゅっと握る。血潮の流れた手の平のあたたかさは、ユカリの生きている証だ。ユカリは、ここに生きているのだ。万一にも、このぬくもりを失わせてはならない。


 命に代えても守りたい存在がいる。こんなに嬉しいことはない。


「すー……はー……」


 オレは深呼吸一つ、覚悟を決める。


 さあ、いくぞ芝蘭堂陽。

 世界の命運を背負うような主人公でなくとも、せめて惚れた女一人守れるくらいの男ではあろうぜ。 


 そう心に強く言い聞かせて、オレは運命の数秒間を――


「とりゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」

『きゃあああああああああああああああああああああっ!?』


 ――どんがらがっしゃーん。


 隣の教室の壁を突き破りながら『それ』にライダーキックをかます八月一日の姿が、一瞬で目の前を通り過ぎて行った。



   ☽



【更科優】



 ズミが突然『妖怪レーダーに反応アリ!』とかなんとか喚いたかと思うと、全身に魔力と霊力? を纏い、校舎の壁を何枚か突き破るドロップキックで『それ』もろとも闇の向こうに消えていった。


「無茶苦茶するな、あいつ……」


 僕は彼女の後を追いかけて、ガラガラと崩れる教室の穴をいくつかくぐり、ようやくヨウたちのいる教室までたどり着く。

 教室内はズミの攻撃の余波で机やら椅子やらがぐちゃぐちゃに乱されており、その一角にヨウと狭衣が呆気に取られた表情で座り込んでいた。さもありなん。


「大丈夫か? 二人とも……なんかよく分からないけど、幽霊に殺されそうになったとか……」

「お、おうスグル……。幽霊……あれは幽霊か、そうか……」

「い、今の、八月一日先輩ですよね? なんですか、あれ……」


 当然のことながら二人は混乱していた。


「いや、こっちが聞きたいくらいでね。僕もなんも聞かされてないけど……多分、あいつ霊能力者かなんかなんじゃないかな?」

「はあ……」

「まあ……幽霊がいたら、霊能力者もいるんですかね……?」


 なかば思考放棄気味の僕らがそんな発展性のない会話をしていると、暗闇の先からズミのキンキン声が聞こえてきた。


「幽霊の正体見たり累ヶ淵! こら、大人しくせい! まあまあ強めの霊だけど、ホズミックちゃんほどじゃないね! 魔力も霊力も扱える八月一日家の血を舐めるでないぞよ!」

『いっ……痛いっ、痛いわっ、やめて、離して!』


 声のする方に懐中電灯を向けると、そこでは死装束の黒髪少女の幽霊に対して、ズミがマウントポジションを取って彼女の頭をポカポカ叩いているところだった。


 いじめ?


「おやおや、この累ちゃんは美少女ですなぁ。ぐへへ、ちょっとくれぇ味見させてもらおうじゃねえかあ……よくもズミちゃんたちを殺そうとしてくれたなぁ!」

『いや、やめっ……きゃぁ~~~~~~~~~!?』


 ズミが幽霊少女の白装束に手を掛け、力任せに引っ張る。

 少女の抵抗虚しく……その衣装は、ばさっ……。


 まんまとズミに剥かれてしまい、黒髪の幽霊美少女はあられもない姿を僕らに晒してしまった。


「お、着痩せするタイプなのか? エル並みだな……」


 思わず口を突いて出てしまう。後悔も反省もするつもりはない。


『あ、あぁ……スグル、スグルだわ……! どうしよう、スグルにわたしの恥ずかしい恰好、見られちゃってるわ……!』


 と、おっぱい丸出しで涙目の幽霊はなぜか僕の名前を呟いて、頬をぽっと赤く染める。


 ……僕は反応に困って、とりあえず、


「とても綺麗だと思うよ」


 初めての子に言っておけば間違いない台詞ナンバー1を言うのだった。後ろでヨウと狭衣がドン引きしてる声が聞こえてくるが、きっとこれも怪異の仕業で幻聴なのだろう。


『……うれしい……♡』


 僕の言葉を受け、その青白い肌を耳まで真っ赤にした幽霊は――


 ――ごおおおお――ごおおおお、ごおおおおお――


 校舎全域に、地鳴りのような音が鳴り響き――その音に呼応するようにして、少女の周囲に淡い青色の粒子のようなものが、びゅんびゅんと飛び交い始める。


『キレイ……スグルが、わたしのことキレイって言ってくれた……それってもう、わたしのことが好きってことよね……わたしと結婚したい、わたしに子供を産ませたいってことだわ、そうなんだわ……!』


 ――ごおおおお――ごおおおお、ごおおおおお――


「わ、わ、わ、わ!? ちょ、ちょっとどういうことですのん!? この累ちゃん、どんどん霊力が大きくなっていくんですけど!!」

 

 淡い光の巡る速度は勢いを増し、その粒子の輝きは目に見えて強くなってゆく。


 幽霊少女――累? の上に乗っていたはずのズミが、ちょっと焦った感じの形相で叫ぶ。

 まるで、地下から噴き上がる水を、頑張って堰き止めようとしているかのような姿勢で……


『スグル、スグル……わたしもよ、わたしも好きよ、大好きよ、愛しているわ……スグル――!』

「あ、キューちゃん天才だから分かっちゃった! この累ちゃん、スグルくんへの恋心が力の源なんだ! だからスグルくんがこの子の好感度UPするような選択肢選んじゃったせいで――」


 ズミの言葉の途中で、


 ――ごおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!

 

 ひときわ強い地響きの音が鳴り、累はついに太陽よりも眩い光を放つようになった。


 そして。


「――今のこの一瞬でズミちゃんの霊力を上回って、もうわたしじゃ押さえつけられないくらい強力な霊になっちゃったってワケですね! ――なにしてくれちゃってんのおおおおおおおおおおおお!」

『うるさいわ』

「ぎゃああああああああああああああああああああああああ!?」


 今の今まで累の上で泣き喚いていたズミが、青白い光の波動によってぽーんと吹き飛ばされていく。あの鼓膜が破れそうな悲鳴も、すぐに聞こえなくなった。

 

 ……あれ、これ結構ピンチなんじゃない?


『その子もよ。――わたしのスグルに近づかないで!!』

「――、ユカリッ!」


 誰が標的にされているのかすぐさま察知したヨウが、狭衣に手を伸ばすも――


「アキラく――」


 一瞬、遅かった。

 累が人差し指をクイと曲げると、狭衣はその場からふっと姿を消してしまった。


「ユカリっ……」


 ヨウの手が、空を掴む。 


「……ユカリ……? ――ユカリいいいいいいいいいいいいいいい!!」

『うふふふふふふ……』


 ヨウが絶叫する背後で、ズミが累と呼んでいた少女が不気味な笑い声をこぼす。


 僕はゆっくりと振り向いて、彼女と向かい合う。


『スグル、スグル……ちょっと待っていてね、すぐよ、すぐにみんな殺して、わたしとあなた、二人だけにしてみせるから……♡』


 幽霊だからなせる業なのか、比喩ではなく本当に瞳のなかにハートマークを浮かべて、そんな恐ろしいことを宣言する、累――


「えっと、キミは累、でいいのかな」


 正体不明の怪異に、僕は相対する。


『……! は、話しかけてくれた……! スグルが、スグルから、わたしに話かけてきた……ど、どうしよう……なんて返したらいいの……? け、敬語がいいかしら? いきなりため口でいって、はしたない女だと思われたらいやだわ……』


 ズミが飛ばされ、狭衣が消え、ヨウが慟哭した――


『わ、わたしは……《累》の、菊子ですぅ……♡』


 それだけの時間があった。それだけ、考える時間があった。十分な時間だ。

 この少女に対して、僕がどう対応すべきか? もう答えは一つだ。


 ――この少女は、なにものか?


 ――幽霊か?


 ――否だ。


 彼女は――女だ。


 僕に惚れている、一人の女だ。ちょっとばかり人間じゃなかったりするが、所詮は僕に惚れてしまうような有象無象の女の一人に過ぎない。


 そして――幽霊だろうがなんだろうが、女ならば――堕とせる!


「菊子」

『ひゃい……!』


 僕は――逃げるのではなく、むしろ彼女に歩み寄り、菊子の手を取る。


 幽霊だが、触れる。これなら――いけるぞ。


『ち、近い近い近い……すぐ近くにスグルがいるわ、こ、こんなっ、ふとしたはずみに唇が触れ合っちゃうような距離に……あうぅ……っ』


 これまで僕は、「この世に」僕に惚れない女はいないと思っていた。


 だが――範囲拡大だ。たとえあの世の住人であろうと――女である以上、僕に夢中にならないなんて不可能なんだ!


「誰かを殺す暇があるんだったら、僕を見てほしいな」

『え、あぅ、あっあっ、あの……スグル……あ、えぅ…………』


 水見式の話でもするかのように()()()()しまう菊子と、強引に視線を合わせて。


「菊子。二人きりになれる場所にいこう。これ以上、ヨウに菊子の裸を見せたくないからね」

『や、やぁ……そんな、いきなり優しくしないでぇ……うれしすぎて、おかしくなっちゃうぅ……』

「菊子、なあ、菊子……僕に、君を独り占めさせてほしい。いいな?」

『……はひぃ……』


 しっかり合意を得たので、僕はおめめをぐるぐる回して夢見心地な彼女の腰に手を回して、彼女を近くの教室に連れていく。


 さて、僕が《更科優》であるということの意味を、君に教えてあげるよ――菊子。

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