⑦『前世はお針子』うすらとんかち女子が恋に目覚めるまで。
高校3年になり、生徒会役員としての最後の仕事をする青井美羽と生徒会長渡辺一海の恋模様。全部で5700文字あり、企画として4000文字までなので、美味しいところはこの後かも。
青井美羽は脚立を支えていた。高校生が学校ですることにしては、ちょっと珍しい。
6段上の天板に、生徒会長が立っている。
すらりと長い脚。横に広げられた両腕。均整が取れすぎていて、教会に掲げられた十字架を裏返したように見える。
「背中、デカっ……」
美羽は眩しいワイシャツに見惚れながらつぶやいていた。
全校女子生徒の憧れの的の生徒会長と、がらんとした講堂でふたりきり。
彼氏持ち女子でも「目の保養」と言い訳してつい眺めてしまう会長、渡辺一海。
だが、言い直そう、憧れているのは恐らく美羽以外の女子生徒全員だ。
生徒会長は講堂の緞帳に、在校生からの「新入生歓迎の言葉」をぶら下げようとしていた。
明日は入学式だから。
掛け軸は毎年恒例で、3学期に文言を募集、書道部が毛筆をふるい、春休み中に表装されている。
ちょっと前まで「もっと右」「左肩下がりになった」とか、ステージ下から指示を出していた副会長・佐藤莉奈は、「じゃ、後はよろしくね」と先に帰ってしまった。
「莉奈は最後の最後まで、勝手だな」
美羽の頭の上から、明るめのバリトン・ボイスが降ってくる。会長の機嫌は悪くなさそうだ。
この入学式準備で生徒会役員の任期は終わる。
午前中あった始業式の最後に壇上に上がり、会長が退任の挨拶、美羽も頭を下げた。
高3になってしまったというちょっとした焦りの気持ちとともに。
クラスの顔合わせやHRの後、作業がずれ込んで午後1時。
はしご下で美羽はあらぬことを考えていた。
「背中、白いから大きく見えるのかな……? お父さん、普段白着ないから……」
ブレザーを脱いで頭上にいる会長は、身長180センチ越え、肩幅もある。
雑用を率先してこなすデキる男に見惚れたならいい。
美羽の場合は……。
「ヨーク、あのヨークのせいだね。逆三に見える。2枚合わせでしっかりした接着芯入り、あ、生地が厚いのか、オックスフォードかな、それにしてはしなやかに体包んでる……」
シャツに惚れたらしい。
「何ぶつぶつ言ってんだ?」
降りてきた声と同時に、脚立が見えていたはずの美羽の視界は、その真っ白なシャツに遮られていた。
「うそ、これ、ロイヤルオックス……?」
美羽は渡辺一海の腕の中に納まるかのように、ぐっと上半身を寄せた。
「おい、そんなに近づくと抱き締めるぞ?」
「ほぇ?」
「自覚、なしかよ……」
全校きってのイケメンだと言われる顔が、20センチ身長差の向こうから困ったように笑いかけていた。
「はしご片付けてくるから待ってろ。駅まで送るよ」
「いいよ、こんな真っ昼間に……」
美羽は慌てて断ってはみたものの、イケメンは譲りそうにない。
「会長が生徒会長でなくなれば、もう話すチャンスもない……今日は莉奈さんとは別行動みたいだし、駅までくらいなら借りてもいいか」
一海は副会長の佐藤莉奈と付き合っていると専らの噂だ。才色兼備のお似合いカップル、英語の成績ではいつもトップ争いをしているらしい。
会長の凄いところは理系文系問わず成績がよく、高2最後の模試では全国レベルだったとか。
「余裕なんだろな、人生何でも……」
数学にどんどんついていけなくなっている美羽はため息を吐いた。
壇上に無造作に投げてあった会長の制服が美羽の目につく。
埃をかぶっていた。
ステージは他の生徒会役員、総務と会計の子たちが掃除済み。なら、緞帳から落ちてきた汚れだろうか?
美羽はエチケットブラシを鞄に入れてなかったことを思い出し、大きなブレザーを左手にぶら下げ、エンブレムの辺りを右手の甲でパシパシとはたいた。
「痛ぇ、そんなに叩くと痛いんだが?」
会長は、ステージのソデから戻ってくると胸元を押さえた。もちろん、美羽がはたいていたのは制服の胸辺りで、会長が押さえたのはワイシャツの。
身を捩って痛がる一海の姿に美羽は吹き出して笑った。相手も笑っている。
生徒会役員の任期は一年近くあったのに、書記の美羽は会長と雑談した記憶はあまりない。
打ち合わせ中は議事録を取っていたし、イベント前となると誰に言われるともなく、必要だと思われる下準備を始めていた。
『裁縫オタク』『前世はお針子』と友人に言われるだけあって、美羽は段取り立てて物事に当たる性格。
しつけがズレればどれ程うまくミシンをかけても出来上がりは悲惨だと身に沁みている。
まず何をしなくちゃならないか考えた美羽が動き始め、それを会長たちが手伝う、といった作業パターンでこの役員任期を乗り切ったといってもいい。
「最後まで、ありがとな?」
会長に面と向かってお礼を言われた。
「それはお互い様で……」
「いや、オレや莉奈は立候補して役員になったが、青井は違うだろう? 書記は先生に頼まれてだって」
赤面しそうになってうつむいたまま、美羽はブレザーを持ち主に向かって突き出した。袖を通す音がしている。
例年、生徒会会長選挙に勝った者が会長、次点が副会長。それ以外は自薦、他薦、内申書狙いだったり、美羽のように先生に懇願されたりして役員組織はできあがる。
会長と書記の立場はとことん違う。
数分後、最寄り駅に向かってふたり歩いていた。
「なあ、オレ腹減ったんだけど、どっか寄ってかない?」
一海は悪友たちをラーメン屋に誘うような軽さで訊いた。
「あ、私、お昼持ってきちゃってて……だから……」
お断りのつもりで口にした美羽の言葉はなぜか一海を喜ばせた。
「じゃ、オレ、何か買ってくる。駅横の公園で食べよ?」
会長は美羽の返事も聞かず、通りの先に見えていたコンビニに向けて駆けていってしまった。
公園に一本だけあるソメイヨシノはもう散り、その代わりに、ポセイドンの三叉戟を思わせる赤い枝のハナミズキに花が開いていた。
近くのベンチに、美羽は座った。
春の日差しが思ったより暑い。戻ってきた一海はブレザーを脱いで腰掛けた。
美羽はお弁当箱を開く。もし作業が長引くようだったら必要かも、と用意した小さなおむすびが四つ並んでいるだけだ。
一海はコンビニ弁当。
美羽が食べ終わるころ、一海はレジ袋の中身を空け始めた。
紅茶と緑茶、小さなアップルパイ、モンブラン、白玉クリームぜんざい、ティラミスにみるくプリン。
人気コンビニスイーツのオンパレードだ。
「お世話になったお返し。好きなの食べて?」
美羽は目を丸くした。『恩返しイベント』だったらしい。
「食べてくれないと、いくらオレでも完食はムリ」
会長は優し気に微笑む。
一般女子は会長を、凛々しい、クール、カッコいいというけれど、美羽は思いのほか表情豊かで気配りのできる人だと知っている。
強引とか押しつけがましいとか思えればよかったのだが、美羽の健康的な胃袋は、デザートは別腹、「いや~ん、食べた~い」と思ってしまっていた。
まんまと会長の思惑に乗せられた。
紅茶とぜんざいという組み合わせを手にした美羽に、みるくプリンを食べ始めた一海が尋ねる。
「青井は大学、行かないのか?」
「うん、専学。早くから決めてたから、それで先生に生徒会押し付けられた……」
「偉いな」
「何が?」
美羽は困惑した。
進学校に入学しておいて、1年過ぎる頃には大学には行かないと決めた。それを褒められたことなど今までに一度もない。
「やりたいことがわかってるってことだろ? 何系の専門学校?」
「服飾……」
モードとかファッションとかいう言葉は恥ずかし過ぎる。
隣にいるモデルでもできそうな男は、
「ファッションデザイナーになりたいとか?」
と結構突っ込んで訊いてきた。
美羽は首を横に振った。
「ううん。パタンナーがいい」
「それ、何する人?」
一海には初耳の職業らしい。
「型紙作る人。デザイナーでもパターン引けたほうがいいけど、最悪、こんな服が欲しいってデザイン画だけ描ければいいのね。それを実際に服にするためには、こんな形の布とこんなのをこう縫い合わせないとダメですよって」
「服の設計図作る人か?」
「ま、そんなもんかな……」
美羽は母親が手作りしてくれる服の着心地良さを知っている。
既成の型紙から補正して作ってくれるのだけれど、よく「パターンが悪い、何このカット! シルエット出せてないじゃない!」と悪態を吐いている。
美羽は会長にもう少し説明を加えようと思った。
「女の子ってね、決まったサイズの服に自分を合わせようとして悲しくなったりするのよ。みんなそれぞれでいいのに。ちっぱいを大きく見せたい人もいれば見事なのを隠したい人もいる。周期によっては下半身デブになる日もあるし……」
「それ以上言うな……」
隣でイケメンは耳を赤くして固まっていた。
「ご、ごめん」
美羽は口を押えて俯いた。男の子に言うことじゃなかった。
「もう一つ何か食べろ」
静かに発音された語気に押されて美羽はモンブランを手にする。一海はアップルパイ選んだ。
「その学校、どこにあるんだ?」
「東京に出ようと思ってる……」
「東京か、そりゃあいい」
「どうして?」
「大学が数限りなくある」
モンブランに付いてきたプラスチックのスプーンを咥えた美羽の頭の上には、クエスチョンマークが並んだ。
一海は一度手に取ったアップルパイを開けずにベンチの上に戻すと、体を心持ち美羽のほうにずらす。
「オレは自分が何になりたいのかわかっていない。どこの大学に行きたいのかも選べないでいる。1学期中には決めたいと思ってるんだが」
「それは偏差値が良すぎて選択肢があり過ぎるせい……」
「でも今、東京にある大学にするって決めた……」
「そ、それってどういう意味……?」
「オレを見ていてくれないか? 1年間支えてくれたように、これからも」
美羽の顔はハナミズキの花よりも熟れたピンクに染まった。
「自分でもどんな男になれるのかわからない。医者になるのか弁護士になるのかって周囲には言われるが、自分の心に響かない。ひとつだけわかっていることは、青井、おまえが好きだ……」