⑥迷子のジンジャーブレッドボーイ
新天地へ向かう人々が眠る、静かな船の中。船長をはじめとした一部の船員たちは、先ほど起こった揺れの影響を確認するために船内を見回っていた。今のところ、運航に支障は出ていない。
船員の一人が貨物室を検める。ここに納められているのは、乗客たちの新生活を支えるための道具。新天地においては彼らの命綱と言っても過言ではない。
そんなこの部屋にひびが生じ、貨物が飲み込まれそうになっている。
船員は即座に対処へと動いた。このような事態に対応するための資材、設備は各部屋に備えられている。ひびを速やかに塞ぎ、船外へ流出してしまったものは無いかと室内を検める。
一着の作業服だけがどこにも見当たらなかった。おそらくこれだけが、ひびを見つけるまでに船外に出ていってしまったのだろう。
確認を済ませた船員は胸をなでおろした。被害の少なさに、ではない。無くなったものが作業服だったことに、である。
あの作業服は賢い。自分が船から落ちたことに気が付いたら、時間はかかっても自力で戻ってくるだろう。
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一人の少年を乗せた車が農道を走る。
日差しは柔らかく風も心地良い、そんな清々しい天気とは対照的に、少年の表情は曇っていた。
「やっぱり、二脚と四輪じゃ乗り心地が違うなぁ。走っている感じがしない」
この、マイルスという名の少年が乗る車は、数日前まで二本の足で歩いていた。
後輪が足、前輪が腕に置き換わった、農作業用の歩行機械だったのだ。豪農であるマイルスの父が、家業の手伝いをさせるため息子に買い与えた。
だがマイルスは、不注意による操作ミスでそれを転倒させてしまった。本人にケガこそ無かったが、その分機械の方は割りを食った。
乗り手をかばうために取った姿勢は関節に大きな力がかかり、結果その四肢は動かなくなってしまったのだ。
腕と脚、丸ごとの交換が必要なほどの故障ではない。歪んでしまった部品さえ交換すれば直る程度のものだ。
だが、マイルスの父はそれをせず、代わりに手足を車輪に換装することを選んだ。
自分は息子を甘やかしてはいないか。
あれもこれも買い与え、用意することで息子の学ぶ機会を奪ってはいないか。
そのようなことを考えていた彼は、今回の出来事を奇貨として「かわいい子には旅をさせる」ことにしたのだ。
決して安くは無い作業機械の修理代金、それを立て替えずに自分の手で稼がせる。家業の手伝いをしても良いし、他所で仕事をしても良い。
乗り物が無ければ何もできない辺鄙な土地柄なので、最低限の足として車は持たせている。街の方で仕事を探しても構わない。
「父さんの言うことも、分からない訳じゃないんだけどなぁ」
それでも、面倒なものは面倒だ。
できることなら少しでも早く修理代を稼ぎたいが、割りの良い仕事はそうそう見つからない。だから、今も彼は家の雑用を任されている。
農地のはずれにある森、昨日そこに「何か大きなものが落ちてきた」と近所の農家から父へ、連絡があった。その「落ちてきたもの」が何なのかを確認するのが、彼に任せられた仕事だ。
マイルスは車を停め、森へ分け入り落ちてきたものを探し始めた。
この辺りの空は貨物船の航路になっていて、まれに荷物が落ちてくる。今回もそういったコンテナが落ちてきたのだろう、そう当たりをつけていた彼が目にしたのは、全く予想外のものだった。
「……何だこれ?」
薄茶色の、大きな幌布のようなものが木々の枝に引っ掛かっていた。落下傘にしては大き過ぎるし、詰め物がされているのか多少の厚みがある。
近づいて触れてみれば、余計にそれが何なのか分からなくなってくる。布とは思えないような手触りと、これまでに触った何とも異なる奇妙な弾力。材質も、用途もまるで分からない。
「少し、離れてくれませんか?」
どこからともなく声が聞こえてきた。声の主を探して周囲を見回していると、今度ははっきりとマイルスに呼びかけてきた。
「わたしはあなたが触っているもので、立ち上がろうとしています。危ないから少し離れてもらえますか?」
正体不明の何かの呼びかけに困惑しつつも、マイルスはその場から離れた。
「この辺でいいかい?」
「はい。それでは立ち上がります、周りの方はご注意ください」
気球のように厚みを増し、人型になったそれが二本の足で地面に立つ。顔に当たる部分に、笑顔のように見える模様が浮かび上がった。
「ご協力、ありがとうございます」
「……えーとじゃあ、いきなりだけど質問良い? あなたは何者で、どうしてここにいるの?」
全くもって正体不明で、話せる何か。面倒なことが嫌いなマイルスは率直な質問をぶつけてみた。
「わたしは特別製の作業服で、次の仕事場に行くため船に乗っていたはずなんですが気がついたらここにいました。何かの手違いで船から落とされてしまったんでしょう、まったく困ったもんです」
「ふ、服!? 歩行機械じゃなくて?」
「服です。試しに着てみますか?」
それの胸から腹にかけて裂け目が生じ、広がり、服の留め具のような金具が現れる。留め具のスライダーが下り、露わになった内部には、ペダルとレバーのついた椅子がひとつあるのみ。
立て膝の姿勢になり椅子を胸から突き出したそれが、マイルスに座るよう促す。
「本当に良いの?」
そこらで売っているような歩行機械は、こんな風に考えて話をすることができない。
マイルスが知る限り、それが可能であるのは各国の王室、貴族が擁する魔神やそれらを基に作られた一部の機兵のみだ。父に連れて行ってもらった観兵式で実物を見たことを、彼はよく覚えている。それくらいしか、お目にかかる機会は無い珍しいもののはず、なのだ。
「危険な使い方をされないのであれば、構いません」
「でも、持ち主の人に悪いよ」
「それも心配ご無用。落としたわたしを、回収しに来ない人たちですよ? あなたがちょっと着てみたくらいで目くじらを立てるなんて、わたしが許しません」
「……それじゃ、お言葉に甘えて」
いかにも高級機らしい、我の強さが感じられる答え。こんなに良い服が着させてくれるというのに、応じないのは失礼だし損でもある。
マイルスは意を決して、それが差し出した席に座った。
「着用を開始します。シートから落ちないようご注意ください」
転落を防ぐための処置なのか、服の宣言と同時に手と足がカバーで覆われ、席の出てきた手順が逆回しに実行されていく。そしてそれが終わると、白かっただけの服の内面に外部の景色を映し出された。
「……すごい」
「着用完了。着心地は気に入ってもらえましたか」
「うん。すごい、すごいよ!」
全周に映し出される外部。そして外れなかった手足のカバーは、身体の動きを直接反映する操作機構だった。内でマイルスが動いた通りに、この服も動く。
彼が知る限り、これらは最高級機種の特徴だ。これを逃したら、二度と乗る機会は無かっただろう。
「ずっと乗っていたいくらいだ」
「それはよかった」という言葉と共に、図形で表された服の表情らしきものが映る。外から見えるそれと同じものなのだろう。
「2年くらいまででしたら、構いませんよ」
「えっ!?」
マイルスにとっては望外の申し出。歩行機械があればという事情も合わせて、本当にありがたいものだ。
「自力で合流するためにかける期間は、長い時間がかかっても構わない決まりなんですよ。それに、運んでる最中にわたしを落としても気にしない人たちのところに、急いで戻りたくないので」
最後のが本音じゃないかと思うところはあるが、本来の持ち主に文句を言われないのであれば断る理由は無い。
「それなら居られるだけ、うちに居てよ」
「分かりました。ではユーザー登録をお願いします」
「登録?」
「指で名前を書いて、その後私に改めてお名前を教えてください」
内面に表示される景色の手前に薄く、紺色の四角形と「あなたのお名前は?」という文字が現れる。マイルスは指示の通り、指で空中に署名をした。
「マイルス・エヴァンス、僕はマイルス・エヴァンスだよ」
「ご協力ありがとうございます。登録完了しました」
「服さんには名前ってあるの?」
「わたしですか?」
もちろんあります、と答えた服はもったいつけるような間を開けて名乗った。
「私の名前は『星系開拓用極限環境型作業服 ジンジャーブレッドボーイ』です」
表示された服の表情は、得意げに見えるものだった。
「な、長いね……」
「まあ、『ジンジャーブレッドボーイ』の部分だけ覚えてくれればいいです。半分以上は肩書なので」
「じゃあ、ジンジャーって呼べばいいかな」
「構いません。今後ともよろしく、マイルス」