㉓きみという愛の花よ、どうか
雨が多い六月。「ほっとけない」からはじまる、映画のワンシーンのような片恋の物語。
―きみという愛の花よ どうかまた微笑んで―
失恋をしたきみに、僕は恋をした。
遠ざかっていく大きな背中を、黙ってみつめるあなたの横顔が、あまりにも美しくて、
偶然通りかかった僕は、きみから目が離せなくなってしまった。
大学の並木道の気温がさっきよりも低い。どんどん重くなる灰色の雲。湿った土の匂いがする空気。キャンパスを往来する人々はどこか急ぎ足で、僕は雨の気配を知る。
僕の足はとまったまま、きみの視線はうごかぬまま。
あなたに気づいてほしいけど、みつめられる自信はない。
世界はふたりだけを残し、どんどん移り変わっていく。
やがて、凛とした立ち姿のきみの瞳から、ぽろりと涙がこぼれおちた。
一気に疼きだす胸と、じりじり焦がす嫉妬心。
「そんな男のこと、忘れてしまえばいい」なんて、でかかったけど、喉の奥にひっこめる。冷静になれと自分にいいきかせた。
―そのつらい記憶は あなただけのもの あなたにしか分からない 特別なかなしさ―
きみのことを知りたい。いったいどんな女性なのだろう。どんなことが好きで、どんな風に笑うの?
どうか教えてほしい。
ダメ、だろうか……。
気づけば、雨のはじまりが、ぽつりポツリときみにおち、しだいにすべてを叩きつけるようなどしゃ降りとなった。
ショートヘアーの毛先からしたたりおちる滴。
濡れて重くなる服にどんどん体温を奪われそうな華奢なからだ。
誰もいなくなった大学のキャンパスで、震えるようにうつむいてしまった横顔。
この雨は、きみには冷たすぎる。
勝手にからだが動いていた。もっていた傘をひらく。
「バッ」と音がし、ザーザー振りの雨のなか、僕は歩くたびスニーカーで雨水の束を撥ねとばしながら、かまわず進んだ。
目をつむって泣きだしてしまったきみに、僕はしずかに、傘をさしだす。
―涙が枯れはてたそのときには。
泣くのを終わりにして変わりたくなったそのときには。
どうか、あなただけの、新しい花を咲かせてほしい。
前よりたおやかに、やさしく笑えるようになったあなたの花は、
どんな花よりも、何よりも美しい―
そんなことを想いながら、僕はかすかに微笑んでみせた。きみを安心させたくてできるだけひかえめに。でもせいいいっぱいやさしい気持ちで。
戸惑うあなたの濡れた瞳と、僕の視線とが、はじめてぶつかった。
ふるえるきみの声をきいたら、あなたの涙も笑顔も、きみのすべてを独り占めにしたい、そんな紅い花が、僕の胸に咲いた。
僕は想いをそっと秘める。
会話のない静寂のなか、雨音だけが大きくひびきわたる。
6月の新緑の並木道に、たち込める土と草とコンクリートの雨の匂い。
きみと僕の、ふたりだけ。
きみが、さしだされた傘のなかで、涙の雫をぬぐった。
とまっていた時間がゆっくりと動きだし、新しい時間を刻みはじめる。




