⑫男運のない私、だと思っていたけど……?!
佐野樹里亜は自分の誕生日に彼氏と行ったレストランで、別れを告げられた。そのヘラヘラした態度に呆れはて、捨て台詞を残してレストランを後にした。その帰り、自宅最寄りの駅にて上司である主任と会ったのだった。
「つ・ま・り、私と別れたいというのね!」
私は向かいに座る男に向かって、きつい視線を向けながら吐き捨てるように言った。
男はビクッと肩を震わせたあと、ヘラリと笑った。
「そんなに怒るなよ。お前だって俺の彼女ってことで、周りに対していい思いをしてきていただろ」
「何、馬鹿なことを言ってんのよ。あんたの彼女だからって、どこにいい思いをする要素があんのよ」
「出世有望株でハンサムな俺とつき合っていたんだぞ」
真顔で返されて、私は開いた口がふさがらない。
こいつはいつの間に、ナルシストの自信家になっていたのだろうか?
そんな疑問が頭をもたげる。
確かにここ二年ほどは同期の中でも頭一つ抜きんでていたけど、それでもまだトップの成績というわけではなかったよな。
カリスマ的な先輩がトップに君臨……もとい、立ちはだかっ……んんっ、ゴホン。
とっても素敵で敵わない先輩がいらっしゃるのだから。
私が呆れすぎて言葉が出てこないのをいいことに、こいつはいかに「俺はスゲー」のかを、語りだした。
その自慢は、仕事については、私がフォローをしていたことを都合よく忘れているようだ。
一々あの時の相手の反応がどうの、この時はこうして相手側に喜ばれただのと、全部私が助言やら手助けしたことを、自分の手柄のように話している。
確かにそれでこいつの評価が上がり、出来るやつと思われるようになったのは確かだったけどよ。
私も自分の彼氏が認められるのは嬉しかったから、何も言わずに喜んだ。
けど、改めて聞かされると、ほとんどが私のフォローによるものだと気がつく。
まあ、仕事だからフォローするのは当たり前と言っちゃ当たり前だったんだけど……。
けど、そのことを忘れて、すべてが自分一人でやったかのように言うこいつに、愛想がつきた。
私の心情などお構いなしに、自己陶酔感に酔ったこいつの自慢は女性にモテる話へと変わっていた。
かなりムッとしながら料理を口に運んでいたけど、あることに気がついて私の手は止まった。
それは……。
さっきこいつは私とのことを「付き合っていた」と過去形で言っていなかったか?
その事実に気がついたことで、さすがにもう話に付き合えないと思った。
私は、両手に持っていたナイフとフォークを置いて、ナプキンで口元を拭う。
それを軽くたたみ、テーブルの上に置きながら立ち上がる。
「リップの色を変えたことを指摘したら『すごい、気がついてくれたのね』なんて言われてさ。それからだよ、彼女からアプローチを……って、おい。まだ食事の途中だろ。どこに行く気だよ」
「これ以上、あんたにつき合ってらんないから、帰るわ」
「待てって、樹里亜」
テーブルから離れようとした私の手首を掴んで引き留める、やつ。
それを乱暴に私は振り払う。
「忘れているようだけど、今日は私の誕生日なの。それなのに、あんたがプレゼントにくれたのは、他の女性とつき合うことにしたからという理由の、別れ話」
そう言ったら、やつの顔は引きつり、手の力が緩んだ。
私はすぐに手を引いて、再度掴まれないように、一歩離れる。
周りのテーブルから視線が飛んでくるけど、そんなことに構ってらんない。
「でも、よかったわ。そんな最低な人ということが知れて、別れることが出来るんだもの。あんたは常務の娘さんと仲良く過ごしな。ああ、そうそう、わかっていると思うけど、最後くらいここの料金はあんたが払えよな」
そう言うと、私は踵を返して店の出口へと向かう。
「ねえ、別れ話だって」
「どうやら男の方の心変わりみたいね」
「えー、信じらんない。彼女の誕生日に別れ話ってー」
「最低な奴だな」
「上司の娘に鞍替えかー。そうだとしてもこれはないわよね」
「ああ、そうだな……クッソー、マジかよ。邪魔すんなよ(小声)」
「というかさ、ちっさい男ね。彼女のあのセリフだと、今までデートの代金を男のほうが出すことって、ほとんどなかったんじゃない」
「その浮いた分を他の女に回してたのかよ」
「もっと悪く考えれば、何やかやと理由をつけて、デート代は彼女に払わせてたのかも」
「男の風上にも置けないやつだな」
「ねえ、あの男って、他に言い寄られた自慢してなかった」
「彼女がいるのに堂々と浮気していたなんて、クズよね」
通り過ぎるテーブルからザワザワと聞こえてくる声を聞きながら、レジの横を通り過ぎる。
その時にチラリと店員をみれば、ニコリと笑顔で「またのご来店をお待ちしています」と言ってくれた。
どうやら、やつから料金を受けとってくれるようだ。
「とても美味しかったです。最後まで食べられなくてすみませんでした」
と、謝ったら「お気になさらずに」と言ってもらえた。
他の手すきの店員が扉を開けてくれたので、私はその人に「ありがとうございます」と言い、店から出た。
店員は「後のことはお任せください」と言ってくれたので、私は安心して駅へと向かって歩いて行った。
―・―
「佐野?」
自宅最寄り駅を出たところで、後ろから声をかけられる。
振り向くと、主任がいた。
ここに住んで一年近くなるけど、今まで出会ったことはなかったから、本当に驚いた。
「主任、お疲れさまです。主任も、この駅だったんですね」
「ああ、そうなんだ。佐野もだったんだな」
和やかに会話をしながら、並んで歩きだす。
どうやら家があるのは同じような方向らしい。
だけど私はすぐにそばのコンビニの前で立ち止まる。
「主任、私、ちょっと寄りますので」
「あっ、俺も買いたいものがあったんだ」
ここで……と続ける前に、主任に言われてしまい、一緒にコンビニの中へ。
カゴを手に持ち、一瞬躊躇したけど、すぐに私は開き直ることにする。
そう、この後やけ酒をするために立ち寄ったのだ。
ついでに言うと、先ほどのディナーはまだ三品目のポワゾンを食べ始めたところだった。
真鯛だというからゆっくり味わおうと思ったのに、あいつの言葉に一口食べただけで、残すことになった。
あのお店を予約したのは私だ。
あいつが「樹里亜の誕生日なんだから好きな店にしていいよ」と言ったから、ずっと行ってみたかったあの店にした。
ついでに言うと、付き合って四年経つし、最近はいい雰囲気になっていたから、そろそろプロポーズ……などと、考えたりした。
記念になるならそれなりの店で、と思ったり……。
それなのに、この会話の直後といっていい三日後から、彼に私の課の後輩が近づきだしたのだ。
最初は気にしなかったけど、噂で常務の娘だと知ってから、嫌な気持ちがしていた。
そうりたら、先ほどのあれ……というわけだ。
ひと月経つ間に落とされたということだろう。
ムカムカする気持ちを押さえながら、適当にチューハイやカクテルを選んでカゴに放り込む。
それからつまみになりそうなものを物色しながら、やはりちゃんとご飯も食べないとおもい、総菜も見繕って入れる。
少し多くなったけど、明日の朝用におにぎりも買うことにして、レジ待ちの列に並んだ。
「佐野、カゴがいっぱいじゃないか」
後ろから声をかけられて、また驚いた。
てっきり主任はもう買物を済ませて出ていったと思ったから。
「いいじゃないですか。私が何を買ったって」
「この量って、買い置きにしても多すぎないか。やけ酒をするわけでもあるまいに」
呆れたような主任の言葉に、私はとっさに返せなくて唇を噛む。
「佐野?」
不審そうに聞く声に答える前に、レジが空いて私の番になった。
「主任、お先です」
レジへと行って、電子マネーで支払った。
商品を詰めてくれた袋を受けとって店の外に出ると、主任が待っていた。
先に会計が終わった主任が店を出て行くのが見えたから、先に帰ったと思っていたのに待っていてくれたようだ。
「佐野の家はどっちだ」
「こっちの方です」
答えたくないけど、一縷の望みに掛けて、マンションがある方向を指さした。
「そうか、同じだな」
そう言って主任は歩き出したので、私も並ぶように隣を歩く。
「それで……」
と、珍しく主任は言いにくそうに言葉を発した。
普段は歯切れよく話す人なのに、躊躇いながら言葉を口にするのが珍しくて、つい主任の顔を見るために見上げてしまった。
そうしたら、心配そうな顔をした主任と目が合って、思わず立ち止まった。
「小耳に挟んだのだが、今日佐野は、ディナーに行ったんじゃないのか。そのために定時で上がれるようにしていただろう。なのに、ディナーを食べ終わって帰るには、早い時間だよな」
私は主任が知っていたことに驚いて、目を見開いて主任のことを見つめた。
「もしかしなくても、彼と喧嘩をしたのか」
「……どうして、そう思うんですか」
私は辛うじてそう訊き返した。
主任は私が手に持つ袋を指さした。
「さっきの俺の失言に佐野は何も返さなかっただろ。あれが図星だったとしたら、という推測だ」
主任はため息を吐きながらそういった。
どうやら、先ほどの失言を悔いているみたいだ。
「気にしないでください。私は気にしてませんから」
そう言ってニコリと笑った。
……笑ったはずだった。
「お、おい」
主任は焦ったように声をあげた。
それから両手に持っていた荷物を片手に纏めると、ポケットからハンカチを取り出して、私の目に当ててきた。
平然としていようと思う気持ちを裏切って零れた涙は、堰を切ったように次から次へと溢れてくる。
泣き出した私の涙を拭きとろうとしてくれる主任。
その私たちを見ながら通り過ぎる人の視線が痛い。
主任が泣かせたわけではないのに、これでは主任が悪者と思われてしまう。
そう思うのに、涙は止まる気配を見せなかった。
「仕方がない」
主任はそう呟くと、私の肩を抱くようにして歩き出した。
「すぐそこに俺の家がある。一先ず、そこに行くぞ」
私は主任に連れられて、徒歩三分くらいのところにあるマンションへと入った。




