⑪Darkness~やがてキュウになる
世界はいくつもの次元が重なり合って存在している。
『現実』と呼ばれているものもまた、重なり合った次元のうちのひとつ。
重なり合った次元は互いに不干渉であるべき。
それこそが創世神の意志。あるべき秩序。
だが、どんなに精巧な創造物にも歪みやほころびは出てくるもの。
歪みやほころびは次元の壁を侵食する。放置すると、混沌をもたらす【深淵】が現れてその次元の『現実』は崩壊してしまう。
それを正す役割を神から与えられたのが、管理者・【秩序】。
【秩序】はほころびを観察し、その次元での自浄の力を見つけ出す。
次元の壁を侵食する【ダーク】を消す、【イレイサー】。
これはとある『現実』での、【ダーク】と【イレイサー】の戦いの物語である。
「……今度こそ見付かるよな」
髪を無造作に伸ばした青年が疲れた声で、ボソッとつぶやいた。
季節は春。時刻は夕暮れ。
眼下に広がる街は、黄色い夕陽を浴びてきらきらと光っている。
どこにでもある地方都市。
適度に都会で適度に田舎な、のんびりとした街。
それを見下ろす小高い丘の上に今、ふたつの人影があった。
ひとりは先程、疲れた声でつぶやいた青年。
ややくたびれたブルーグレーのスーツと白いカッターシャツを身に着け、地味なネクタイをだらしなく結んでいる。
しかし、無造作に伸ばした乱れた髪といい、たたずまいにある投げやりな気配といい、スーツ姿に相応しい堅気の職業についている者には見えない。
強いて言うなら、一昔前のターミナル駅によくいたキャッチセールス……が、彼の雰囲気に最も近いかもしれない。
「それはわからない。ただ可能性は高い」
響きのいい冷たい声がそっけなく答えた。
彼のそばに立っている、硬質な感じに整った容姿の細身の女性だ。
黒のパンツスーツに中ヒールの黒いパンプス。
清楚というか禁欲的というか……、葬儀場のスタッフのような印象でもある。
彼女は、高級ブティックのマネキンを思わせる美貌に相応しい、形だけ美しい笑みを口許に含み、言った。
「【ダーク】の気配がかなり濃い。【深淵】が今にも口を開けそうなくらい、この街の底で蠢いているのが感じられる。惹きつけられている可能性は高い」
青年は皮肉そうに片頬を歪めた。
「【ダーク】の気配は感じられるのに【イレイサー】の気配はわからねえ。あんた結局はポンコツじゃないの? え? 管理人さんよう」
弄るように青年は言うが、彼女の硬質な美貌に感情のゆらぎはない。
「ポンコツかどうかは私の知るところではない。私の使命は、【ダーク】の溜まり過ぎによる【深淵】の発生を抑制すること、自浄作用を促すことだ。それ以上ではない」
青年の瞳に、やるせないような倦んだような影が差す。
「はいはいわかっておりますよー。自浄作用ガンバリマース」
棒読みの彼の答えに、彼女は真顔のままうなずく。
「いい心掛けだ。相棒がいればお前も仕事が楽になる。点ではなく、面、さらには立体での浄化が可能になる。ひいては私も使命を果たすのが楽になるから、お前の相棒は真剣に探しているつもりだ。ただ【イレイサー】は浄化の力を発してくれなければ、私にもわからない。覚醒前の【イレイサー】を察知できるのは、【ダーク】だけだ」
青年は顔をしかめた。
おそらく、思い出したくもない記憶を思い出したのだろう。
ため息をひとつ落し、彼は、まばたきひとつしない彼女から顔をそむけた。
「スイ」
怜悧な声が青年を呼ぶ。
突き放した口調なのに、不思議と奥に遠慮のような気遣いめいたものを感じる、彼女独特の呼びかけだ。
この、あるかなきかのささやかな気遣いにほだされ、彼は彼女に付き合い続けている。
まったくこの上ない愚か者・この上ないお人よしだと、自嘲的に彼は思った。
「お前、まず髪を何とかしろ。一回千円ほどの安い理髪店でいいから、そのだらしない髪を切ってこい。今回の潜入先は、世間的に真っ当中の真っ当といえる学校だからな」
フン、と青年は鼻を鳴らす。
「真っ当ねえ。学校はホントに真っ当な場所なのかねえ。ある意味、一番イカレた場所かもよ」
「お前と哲学問答や、暇つぶしの言葉遊びをする気はない」
ぴしゃりとそう言うと彼女は、刹那、背筋が冷えるような美しい笑みを浮かべた。
「今回お前は、学校の教師として潜入するのだ。目立たないように心掛けろ、とりあえずは形だけでいい。お前の相棒は多分、そこにいる」
ヒュウ、と彼は軽く口笛を吹いた。
「もしかして、かわいい女の子だったりする?」
「あるいは、かわいい男の子かもしれないな」
彼の夢を叩き潰すようにそう言う彼女へ、青年は思い切り顔をしかめてみせる。
「へっ。ヤローがかわいくても俺的にはゼーンゼン、楽しくないっちゅうの!」




