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ある事務所の記録

タシロの記録

作者: りんごまん

◾︎タシロと公園


季節は夏。

連日四十度を超す気温の中、タシロは二子玉川駅からほど近い、公園のベンチに座っていた。噴水前のベンチや藤棚の下のベンチをタシロは選ばない。選ぶのはトイレの横のベンチである。酸っぱい匂いが嫌でも鼻に入ってくる場所だ。だがこのベンチはタシロにはお似合いだ。なぜならタシロはチンピラだからである。


 タシロは二十五歳になったばかりだ。中学校に入るまでは平凡な家庭だった。トラック運転手の父親・母親・妹の三人で、漫画に描かれるような、四角い箱の形をした団地に住んでいた。オートロックも宅配ボックスもない。ベランダには、何年も置かれたままの朝顔の植木鉢や、日よけのすだれがかかっている。隣家がカレーを夕飯に作れば、タシロの家にもカレーの匂いがしてくるような団地だ。タシロが中学に入った五月のある日、父親は交通事故で死んだ。仕事での事故なら保障も手厚かっただろうが、母親とスーパーからの帰りの途中での事故だった。火葬の折りには、タシロは静かに泣いたが、翌日は太陽が上り、朝のニュースは始まり、父親がいないことくらいでは世界は止まらないと学んだ。


世界は止まらなかったが、タシロの周りは少しずつほころび始めた。まず、タシロがやんちゃになるのに時間はかからなかった。以前は、箸の持ち方だ、口に物を含んで喋るなだ、うるさかった母親だったが、生活で必死だったのだろう、細かいことは言わくなった。結局母親も、体を壊して、タシロが十八歳の時に死んだ。高校へは進学したが一年の夏でやめ、アルバイトをいくつか掛け持ちして、ヤンキーコミュニティの中で兄貴分から降ってくる、うさんくさいバイトをたまにして、日銭を稼いで、なんとかこの十年弱を生き延びてきた。真面目な妹は、奨学金で看護学校を卒業し、熊本で看護師をしている。東京で看護師をするよりも、のんびりした環境がよかったらしい。連絡しない事が一番の孝行だろうとタシロは理解している。


 余計なことは聞かないことと言わないこと。知りすぎるのはこの界隈では命とりになる。この言葉を、足場解体のアルバイト中に、親切にしてくれた先輩に教わった。日に焼けたゴリラという言葉がぴったりの先輩だった。「いいことを教えてやる」と得意げに教えてくれた。そのいいつけをタシロは守っている。そのおかげか、十年、危うい場面もあったが、チンピラとして生きながらえている。友人という言葉が適切かわからないが、知り合いの何人かは特殊詐欺で逮捕されたり、マルチにはまって結局、借金漬けになった。タシロは貯金こそないものの、無傷で生きている。タシロは缶コーヒーの口を開けて一口飲んだ。体温が少し下がったのを感じ、視線を落とした。つい三十分ほど前にあった出来事を思い出していた。



◾︎タシロとトウゴウ


 トウゴウから連絡があったのは二日ほど前だ。トウゴウは正真正銘の反社である。短髪・角刈り。百貨店でも駅ビルでも売っているのを見たことがない光沢のある黒いスーツを着て、その筋の人間独特の目つきをしている。見たことはないが、きっと背中には鮮やかな入れ墨がびっしり入っているに違いない。

 タシロとトウゴウは直接の面識はなかったが、タシロはトウゴウの名前を知っていた。先輩だったか、先輩の先輩だったかがトウゴウの組の下っ端をやっていて、自慢気に「トウゴウさん」の話を何度かしているのを聞いたことがあるからだ。

 トウゴウがどこから自分の連絡先を手に入れたのかは知らない。ただ、呼び出されたからには行かねばならない。行かないという選択肢はないことをタシロは理解している。タシロは、指定された雑居ビル三階でトウゴウと会った。


 トウゴウの話を要約するとこうだ。本当にそんな職業があるのかとタシロは思ったが、殺し屋の管理会社のオーナーが、海外で足止めを食らっているので、管理物件の様子を見に行ってほしいらしい。そして、オーナーが帰国するまで管理を頼みたい。住人の職業は、まぁ、そういうことだ、とトウゴウは言った。殺し屋なんて本当にいるのかとタシロは思った。そんな単語は日常生活では普通聞かない。タシロは人を殺したことはないし、殺し屋なんてのは見たことがない。タシロはせいぜい角材で殴る程度のことしかしたことがない。

 トウゴウの説明は多くはなかった。最後に札束の入った封筒を投げて寄越すと、以上だ、出ていけと手をふって示した。余計なことを聞けば無事ではないことをタシロはよく理解していたので、封筒を懐にしまって、多くを聞かず住所が書かれたメモを持ってビルを後にした。そして今、公園で缶コーヒーを飲むに至る。

 「あー…あちぃなー…」と小声でつぶやくと、天を仰いだ。とりあえず明日、件の管理物件とやらに行かねばなるまい。封筒を受け取ったからには行かねばならない。いや、二日前にトウゴウから呼び出された時点で、そのことはもう決まっていたのだ、とタシロは思った。

 頭上から、飛行機がごぉぉ…と横切る音がした。


◾︎タシロとオカダ


 「タシロ様ですね」。オカダと名乗った青年はアイスコーヒーをテーブルに置きながら言った。うだるような暑さの中、タシロは指定された住所に向かった。古い建物だが駅からのアクセスはよく、五階建ての五階に管理人室とやらがあるとのことで向かった。エレベーターがないので、階段を上がると息がきれた。


一番奥のすりガラスのドアをノックすると、自分とそう変わらない、まだ二十代前半ではないかと思われる青年が出迎えた。青年の黒髪がサラサラと揺れている。似たような塩顔のタレントがいたような気がしたが、タシロは思い出せなかった。タシロが軽く会釈すると、青年は来客用と思われる白い革張りのソファにタシロを促す。青年はオカダと名乗った。


インテリアのセンスは悪くない。六本木のクラブに似たようなソファがあった気がする。50インチのテレビと観葉植物。白いソファにガラステーブル。モダンな雰囲気でまとめられた管理人室は、この古いビルとは不似合いな気さえした。


「で、あのー…お仕事の方は…」どう話を切り出していいかわからないタシロは適当に言葉を発した。

「オーナーが一ヶ月前にイタリアに行ったきり、まだ帰国できておりませんで…。向こうで面倒事に巻き込まれてしまったそうです。依頼の方もさばけておらず、住人…もとい従業人の方も戸惑っておりまして、代行を務められる方をご紹介いただいた次第です」

住人って、つまり殺し屋ですか?と質問したいところをタシロは辞めた。まだ早い気がした。

「依頼をさばくことと、従業員の管理を、お願いできればと思います」オカダははっきりといった。タシロは、物件の管理ではないのか。さばくのは依頼か?人か?とも聞きたかったが、飲み込んだ。


 オカダ青年の言葉は理解できるものの、具体的にどんな仕事かまださっぱりわからない。簡単で誰にでもできる仕事ですとか、アットホームな職場ですとか言ってくれたほうがまだわかりやすい、とタシロは思った。

 「オカダさんが代行を務められればいいのでは…」とタシロはどうにか質問の言葉を投げた。

 「私はオーナーの身の回りの世話係として雇われていますので、管理業務までは手がまわりません。もちろんタシロ様のサポートは、代行期間の間は精一杯させていただきますが。それに…」とオカダは続けた。

 「もう報酬の方も受け取っておられるかと思いますし…」そこでオカダは言葉を止めたが、断るわけにはいかないんじゃないですか?と目で語った。タシロはなにも理解できていなかったがとりあえずその視線がいうことには同意だと、うなずいた。

 「ではここが、俺の当面の職場ということすね…」とタシロが両手をひざの上でこすりながら言うと、オカダは口だけニコッと笑ってうなずいた。

 「今いるこの場所が管理人室です。奥にはシャワーとベッドがありますのでご自由に使ってください。私は隣の部屋で暮らしていますので、なにかあればいつでも呼んでください。4階がダイニングです。食事と仕事の打ち合わせは四階で行います。他の従業員の方は後でご紹介しますが、三階と二階に住んでいます。一階の部屋は倉庫代わりで誰もいません。

仕事の依頼はこちらのノートパソコンで、メールでご確認いただけます。」


以上を告げると、オカダは鍵と銀色の小さなパソコンをテーブルにおいて、戻っていった。パソコンはウインドウズだった。電源スイッチを入れたがつかない。充電がないのかと思い、脇に置かれた電源ケーブルにつないでおいた。殺し屋がMacだとおしゃれすぎるのかなとタシロは思った。夕飯は六時に四階で。その時に他の従業員も紹介するということだった。他には3人いるらしい。従業員って殺し屋なんすか、と聞こうとしてやっぱり辞めた。


◾︎タシロと腕


 オカダが部屋を去った後、ふと、階下から物音が聞こえた気がして、タシロは階段を降りた。薄暗い廊下の照明、いつ貼られたものかわからない破れた掲示物、そこここに置かれているダンボールやらの雑多なものを見ながら、夜はおばけ屋敷ができそうだなと思った。

 三階の一室のドアが少し開いている。隙間から中を覗いて、タシロはハッと息をのんだ。入口に向かっておかれた革張りのソファに、端正な顔をした青年が座っていて、バチっと目があってしまったのだ。まるでタシロを待ち受けていたかのようだった。

 

 「ど~も~」っと、青年は身につけていたヘッドホンを外しながら笑った。立ち上がり、半開きのドアを開ける。青年の首にぶらさがったヘッドホンからは、機械的な音楽が大音量で流れている。

青年は黒髪・花柄の半袖シャツ・右耳に2つのリングピアスと若者らしくちゃらちゃらした格好をしている。

オカダ青年とは真逆の濃い顔だ。

太眉に、くっきりした二重の顔つきには花柄がよく似合っているとタシロは思った。年齢はタシロより少し上くらいだろうか。


 「あーあんたオーナーの代行ってやつ?オカダがなんか言ってた気がする。俺、レン。よろしく~」とタシロに握手を求める。身長はタシロより少し高い。タシロは、「どうも…」と言いつつ、握手を返す。殺し屋ってこうも明るいものなのかとタシロは思った。バイト初日で連絡先を聞いてきた先輩と似ているなと思った。


 「なに?初日で緊張してんの~? まいっか、オーナー不在になって仕事がまわってこなくて暇でさ~とりあえずさっさとお仕事よこしてよ。お・し・ご・と。このままだと俺、運動不足で太っちゃうよ。ほいで、おたく、名前は?」

 「あ…、タシロです。お仕事すよね、はい。そうすね…」と目線を落とすとソファの下で何かが光った気がした。ん?と思いタシロがソファの下を覗き込むと。


「うぁぁぁぁ!!」


 タシロは思わず尻もちをついた。ソファの下には人間の、それもおそらく女性の腕が転がっていた。光ったのは、、指にはめられた、指輪だったらしい。

 「そそそ、それ…」とタシロが指差すと、レンはあっけらかんといった。

 「あ、ごめんね~。この間解体したんだけど、きれいなパーツだったんで、ちょっと置いとこうかなと思ったら、ゴミの日逃しちゃって~次のゴミの日にはちゃんと出すから。ごめんごめん、びっくりしちゃったよね」と、自分の足で、ごろんと転がった腕をソファーの奥へ押し込んだ。

 あ、そうですよねー殺し屋ですもんねーとでも言えれば良かったのだが、愛想笑いを返すのがタシロにとっては精一杯だった。

 「ははは…」

 「なぁ、そろそろ飯の時間っしょ!腹へらね?オカダの飯うめーんだよ。ちゃんと食いたいもの、リクエストしたか?いこーぜ!」とレンは階段を上がっていった。


タシロはドアの方に一旦向き、ソファの下をもう一度見ようと振り返ろうかと思って、辞めた。


 四階の集合室は二十畳ほどのワンフロアだった。管理人室のモダンな雰囲気とは違って、重厚な木製のダイニングテーブルがおいてある。振り子式の壁掛け時計に、猫脚のサイドテーブルと随分クラシックなインテリアだ。床はペルシヤ絨毯が引かれていて、青年がくつろぐには不似合いに思えた。テーブルの上に目をやって、タシロは本日二回めの情けない声をだした。


 「えええ…?」


 テーブルに目をやると、一席の前には、ハンバーガーとポテトが盛ってある。ハンバーガーには分厚い二つのパティと、チーズが三枚のっている。ポテトはてんこ盛り。コーラは1.5リットルペットボトルが置いてある。

もう一席の前には、グリーンサラダと炭酸水。もう一席の前には、なぜか、チョコレートケーキとショートケーキが乗った皿、アイスティーと思しきグラスがおいてある。

なんだこのカオスな食卓は、とタシロがあっけにとられていると、レンはハンバーガーの皿の前に、にこにこしながら当たり前のように座った。


「タシロ様は、こちらです」と、オカダがカレーの皿の前にタシロを促した。

「カレーが嫌いな方はいないかと思いまして、カレーにしました」と説明した。

「ライと、トモヤはまだかな。俺、先食っちゃっていい?」とレンがいうと、誰からの返事を待つわけでもなく食べだした。


 レトロな振り子式の壁掛け時計がボーン…と六時を告げると、

 「あ~お腹が空いたよ」と金髪の青年が顔をだした。レンよりは少し年下か、ウエーブのかかった金髪に黒いパーカーを着ている。シャワーを浴びていたのか少し髪が濡れている。

 彼はサラダの前に座った。

 「ちょっと~、レンのお皿見てると胸やけがするんだけど~」と悪態をつきつつも、にこにこしながら金髪の優等生はサラダを食べだした。


 「うるせえ、キリンみたいな飯くいやがって。だから筋肉つかねんだよ。脂肪と糖こそが人間の幸せなんだよ。あー、トモヤ、こっちがオーナー代行だってよ。タシロってんだって」とレンはポテトでタシロを指した。

 「あぁ、ようやく決まったの。代行タシロさんね。僕はトモヤです。レンと違ってあっさり味が好みでして。よろしくお願いしますね」と、さわやかな笑顔で挨拶をした。彼も殺し屋なのだろうか。できのいい大学生にしか見えないのだが。


 「ライさんがいらっしゃらないですね…」とオカダが言う。

 「どうせ、標本づくりだか、新しい爆弾の実験とかやってんじゃねー」と口の中をハンバーガーでいっぱいにしながらレンが答えた。

 

「うるさいなあ。ちょっと遅れただけじゃん」とレンの後ろから、青年…いや少年が顔をだした。大きな目と長いまつげ、他のメンバーより背が低い。水色のシャツとGパンという格好だ。下手をすると中学生にしか見えないのだが、彼も殺し屋なのか?とタシロは思った。彼はケーキの皿の前に座った。


「おお、ライ、こっちはタシロ。タシロ、こっちはレン。標本づくりと爆弾づくりが趣味のいかれたやつな~あ、そんで、トモヤは毒マニアのいかれたやつな!」とレンがバンドメンバーの紹介のごとく説明した。

ライと呼ばれた青年は、タシロを一瞬見て、何もいわずケーキを口にいれた。

ハンバーガーが、レン。黒髪だがちゃらい青年。

サラダがトモヤ。金髪の優等生大学生風の青年。

ケーキがライ。子供?

タシロは食卓を眺めながら、従業員の顔と名前を把握した。

わけわかんねぇ…と心の中でつぶやいた。声に出すのはやめておいた。


 オカダが作ってくれたカレーはうまかった。牛肉がほろっと口のなかで解けるビーフカレーだった。レトルトでないカレーを食べるのは随分久々だったのでおかわりまでしっかり頂いた。

結局夕飯は、レンが大声で話しながら、トモヤがたまに笑顔まじりで返事をして、ライはたまに降られる会話を、不機嫌そうに目だけで返事をして、食べ終わると各々部屋へ戻っていった。


◾︎タシロと最初の案件


 翌朝、タシロはオカダが入れてくれたコーヒーを飲みながらパソコンを操作していた。

パソコンにはいろんなメールが着ていた。日本語以外のメールもあったが無視することにした。どのメールも、見た目には同じフォントで、手短な依頼の概要と、対象者の名前などの基本情報が書いてある。稀に殺害方法を指定しているメールがあるが、それらを除けば、一見しただけでは殺し屋への依頼とは思わないであろうメールが多かった。


どの依頼を受けるかは管理人が決めていいとオカダは言っていた。

タシロは昨日届いていたと思われる、一通のメールを眺めていた。今きている案件の中では、これがいいのではないかと思われたが、昨日今日で何かを判断するのはタシロにはキャパオーバーだった。…ていうか殺し屋の管理人代行ってなんだよわけわかんねぇ。なんで俺がまかせられているんだ。と目を閉じて逡巡していると、後ろからオカダの声がした。


「誘拐された製薬会社の社長令嬢を取り返してほしいと」オカダが画面を覗きながら言った。タシロが眺めていたメールには、女性の名前と、拉致監禁中。無傷での奪還希望。と概要が書いてある。


製薬会社の社長令嬢なのか。そういえばメールに書かれた名字と一致する製薬会社があったかとタシロは思った。

「あ、はい…。殺し屋って聞いてたんですが、なんか…雑多な依頼が多いんすね。猫探せってのもありましたよ」

「まあ、猫って言葉にもいろんな意味がありますけど。殺し屋っていうよりは、手段は問わないなんでも屋という理解がよろしいのではないでしょうか。製薬会社令嬢奪還。オーナー代行の初案件はこちらにされますか?」

「オカダさんはどう思います?できますかね…」

「余裕案件だと思いますよ。監禁場所は調べておきますから、そうですねぇ、今夜中には片付くんじゃないでしょうか」

「ええぇ…そうなんすか?そんなもんなんすか?てか監禁場所をオカダさんわかるんすか?これ、警察がもう二週間捜査してるけどなんの進展もないって書いてますよ」

「現場経験はレンたちのほうがありますから、奪還自体は、レンたちにまかせてしまっていいかと」タシロの返事には答えず、オカダは続けた。


よくわからないが、ただ人を殺すよりも、人助けらしきほうがいいだろうとタシロはなけなしの良心にしたがって、これを最初の案件にすることに決めた。

オカダにその旨を伝えると、監禁場所を夕方四時までに特定しておく・昼飯はサンドイッチを用意しておくので勝手に食べておいてほしい・できれば四時までは集中させてほしいということを告げて、オカダは部屋へ戻っていった。オカダが部屋に鍵をかける音が聞こえたような気がした。


夕飯を終えて、一同は四階にふたたび集合した。

時刻は二十三時である。

「うっは~久々の案件!おらワクワクすっぞ~だな!なあトモヤ!」とレンがコーラを飲みながら目をきらきらさせている。ダイニングテーブルの上には、オカダが用意したサイレンサー付きの銃があり、レンはいそいそと身につけたガンホルダーにしまっていた。

「じゃあ、俺がバーンでいくから、トモヤは、ガッチリサポート頼むな!とりあえず雑魚いのは全員やっつけて、お嬢さんをかっぱらってでオッケーな!後処理はライ、いつもの感じでオッケーな?」

バーンで、ガッチリで、オッケーなのか、とタシロは思った。

「りょーかい」と、トモヤも銃をしまいながらにこにこしている。

アタッシュケースを持っているだけのライは、「ねぇ、新しいの試したいんだけどいい?」とタシロに聞いた。

「えぇと…新しいのてなんすか、ライさん」

「新しいのは新しいのだけど。じゃあいいってことで」とライはめんどくさそうに、眉間にシワを寄せながら言った。


 遊園地に行く前のように高揚しているレンと、にこにこ付きそう母親のようなトモヤ。そして仏頂面で後に続くライを見て、タシロはわけわかんねぇとやっぱり心の中でつぶやいた。


 時刻は夜中の一時を迎えた。レン・ライ・トモヤ・タシロの四人は横浜の山手にある高級住宅街の前にバンを止めていた。運転手はタシロだ。バンには水漏れ一一〇番とかいてある。あやしまれないためだろう。オカダが用意してくれていたものだ。車に描かれた電話番号はでたらめだが、害虫一一〇番と書いてあると、近所の者が、あの家にシロアリがいるのかと、車にやってきて声をかけてくるし、鍵の一一〇番と書いてあると空き巣と疑われるらしく、水漏れと書いてあるのが一番いいらしい。

ぐるりと囲まれた白壁と、そびえる豪邸。この地下に令嬢は監禁されているらしい。


「行っていい?行っていい?」と聞くレンを、あと五分と制するやりとりをもう三回はしている。見張りの交代のタイミングであれば一網打尽にできて時間短縮になるだろうとオカダからのアドバイスを受けて、一時十五分になるのを待っている。


オカダはどこから、これらの情報を得たのかとタシロが問いかけたが、返事は帰ってこず、代わりに、BLTサンド・サラダの入ったタッパー・マフィン・そしてタシロ用だとおにぎりを持たせてくれた。誰が何を食べるのかはタシロは聞かなかった。


「十五分です。いきましょうか」とタシロが言うと、満面の笑顔で、レンが飛び出していき、トモヤとタシロが続いた。ライは、後処理担当のため、待機するらしい。そういうものだとトモヤが教えてくれた。失礼だが、少年にしか見えない彼を一人で車においておいていいのかとタシロは心配したが、ライにごみを見るかのように睨まれたため、うなずくしかなかった。

トモヤが、お手伝いさん用だろう、外門の勝手口の鍵をあざやかにピッキングすると、レンが全力疾走で正面から突っ込んでいく。と、ここでタシロは驚いた。レンの手にはどこからかっさらったのか鉄パイプを持っていて、窓ガラスをガッシャーンと割り、屋敷の中にずんずんと入っていく。


「えぇー…」とタシロはつぶやいた。ここは玄関の鍵もトモヤがピッキングする流れじゃないのか。三十秒前の鮮やかなピッキングは何だったんだ。

「セコムなってるし、なんか強そうなのいっぱい出てきたんですけどー…」とタシロはつぶやいた。


ウォンウォンと侵入者を告げる警報機が鳴っている。きっと近所にも聞こえているだろう、通報されるのも時間の問題だ。だがそんなことをはお構いなしに、レンとトモヤは、どこからかわいてきた十名ほどの黒服と戦っている。大人はスーツ姿で格闘しないといけないから大変だ。俺が角材を持って暴れていた頃は、ニッカポッカだった、とタシロは思った。


 レンは鉄パイプを、黒服の脳天に振り下ろし、トモヤは狙いを外すことなく、銃で黒服の胸を確実に仕留めた。鮮やかな身のこなしはよく訓練された人間の動きだった。


タシロは気になって、後方で思わず怒鳴った。「ちょ、レンさん!銃!銃つかわないんすか!」

レンは「こっちのほうが、やってる感じがして、やりがい感じるんだよね!」と七三分けの黒服の口にささった鉄パイプを引っこ抜きながら返事をした。


「やりがいのある仕事…」とタシロはつぶやいたが返事はなく、レンは、動かぬマネキンとなった黒服の山を追い越して、ひらりと建物内に入り、階段を軽やかに駆け下りていった。どれが見張りの後番・先番なのかはわからない。十五分まで待つ必要はなかったなとタシロは、レンに悪いことをしたと思った。


 オカダの言ったとおり令嬢は、地下室にいた。タシロが息をきらして地下室についたときには、地下室の黒服たちはもう生きてはなく、レンが令嬢の手足にはめられた手錠を鉄パイプで砕こうとするのをトモヤが制止して、手錠の鍵をピッキングしてはずそうとしていた。

「うっかり手足を砕いちゃったら困るでしょ…」

「砕かねえし!俺のエイムなめんなよ」とレンが怒鳴ると、

「お嬢さんがうっかり動いちゃったらずれるでしょ」とトモヤが制した。

「ていうかこのお姉ちゃん、きれいだな!ね、お姉さん、俺のコレクションに入る?」とレンが聞くと、令嬢は、動転して声がでないらしい。首を横に降ってこたえた。

「レン、この子はクライアントのものだから返さないとダメなやつだよ」トモヤがピシャリといった。

レンが令嬢を抱えて先頭を走り、バンに向かう。すぐ後をタシロとトモヤが続く。


「レンは女性が好きだから、コレクションしたくなっちゃうんだって。僕もきれいなものは好きだけど…あのお嬢さんは好みではないな。僕はロングヘアより、うなじが見えるくらいのショートカットのほうが好きだね」とトモヤがタシロに耳打ちした。


 タシロはトモヤが言っている意味がわからなかったし、肩までのボブヘアーが好きだが、議論している暇はないと思った。サイレンと物音で入口は警察や警備会社で囲まれているのではないかと思ったが、バンの前に来ても、静かで誰もいない。バンに乗り込むと、タシロはエンジンをかけた。どうなんだってんだ…とつぶやくと、ライが、

「ちょっとー、片付けるよー」と声をかけた。


あ、そういえば、後処理ってなんだと、タシロが口を開こうとしたとき…


ドォォォン!!


轟音とともに、豪邸は爆発した。パラパラと破片が落ちてきて車のボンネットに当たる。


「ひゃーコッパミジン!コッパミジン!」とレンが手を叩きながら叫ぶと、ライが右の口角をあげたのをタシロはバックミラーから見えた。トモヤは、「あれが新しいのかー」というと、ライは、静かにうなずいた。

「いや、やべえしょ…」タシロは他の三人とは違って絶句していた。

え、これ、明日の新聞は大騒ぎじゃね?閑静な住宅街で爆発事故なんてどえらいことになっちゃうんじゃね?とタシロは頭の中でいろんな疑問がぐるぐるしたが、わけわかんねぇとつぶやいて、アクセルをベタ振みにするのが精一杯だった。


「なあなあ、タシロ、すげーしょ?すげーしょ?」とレンは運転席のシートを蹴りながら、ハイテンションで声をかけてくる。口の中はBLTでいっぱいだ。「あー…そすね、でもちょっと派手っすかね…」というのが精一杯だった。

タシロの生返事を、レンは納得がいかないように腕を組んで、「ぁんだよ。派手で上等じゃん…」とつぶやいて、それきり口をつぐんだのに、タシロは気づかなかった。

 令嬢は、横浜駅のロータリーで、迎えと思われる人間に引き渡した。迎えと思われる人間も黒いスーツで先程の豪邸の黒スーツと違いがないように思われたが、令嬢の知り合いであるらしい。令嬢はほっとした顔で、セダンに乗って去っていった。2週間膠着していた誘拐事件が、この瞬間にめでたく解決したわけだが、横浜駅前はいつもどおり、深夜タクシーが静かに客を待っているだけだった。


 翌朝、ソファでオカダの入れてくれたコーヒーを飲みながら、テレビやネットのニュースを漁ったが、昨日の一件が取り上げられている気配はない。誘拐が解決したことも、爆発のこともだ。新聞をバサバサとめくっても、どこにも書いていない。

 タシロは、なんで?と聞こうとして、隣に立つオカダを見上げたが、オカダは女性タレントが紹介する話題のパンケーキが映るテレビを見ながら、「ランチはどうしましょうかね」と言うだけだった。


ちなみに、オーナーとやらが出資している映像制作会社が、映画の撮影のためだと自治体と近所に根回しをしていたためだと後から教えてくれた。そんなことできるの。しかも短時間にと聞くと、オーナーがそういうの得意なので、オーナーに連絡して、少し手伝ってもらいましたということだった。


 その日のライのランチは、生クリームとマンゴーがのったパンケーキだった。タシロはオムライスをいただいた。レンはエビカツバーガー、トモヤは豆腐サラダだった。


◾︎タシロと棺と二つ目の案件


令嬢奪還の一件から二週間、管理人室の電話がなった。オカダは飯の支度中だろう。タシロは、「もしもし」と電話に出た。

「あ、タシロさん!ごめんなさい、僕大事なことを忘れちゃってて」と、明るい声が聞こえた。旅行にでかけてくると三日前に出ていったトモヤからだった。電話がひどく遠い。


「どうしました?」と、トモヤから内容を聞くと、タシロは受話器を放り投げて階段を一目散に駆け下りた。


ビルの裏には少しの庭がある。庭といっても、鉄ゴミやら雑草やらで手入れはされていない、狭い空間だ。

「やべぇて、やべぇて…」とタシロは、スコップを握りしめて土を掘る。

トモヤが話した内容によると、ライに頼まれて、トモヤはライを四日前に庭に埋めた。旅行前に掘り起こすつもりが忘れてしまったから、代わりに掘ってほしいというものだった。


埋めるってなんだよ。なんかの隠語じゃねえのかよ、リアルに埋めてんのかよとタシロは思いなが必死でスコップをふった。ここ数日、食卓にライがいないので、オカダは部屋に食事を持っていくといっていたがオカダは何してたんだよ!

ガンと硬いものにぶつかった感触があり、それは棺桶だった。

「ちょ、ちょ、ちょ…」と言いながら、棺桶を掘り起こして、ライを棺桶から出すと、首に手を添えて、脈を確認した。

「ちょっと、乱暴にしないで」とライが目をあけて、声をかけた。

「うぉぉぉ、生きてんのかよ。まじかよ」とタシロが叫ぶ。

「もぉ、寝起きにうるさい…。トモヤにもらった薬で仮死状態になってただけ。あーよく寝た。」とタシロの方を見るでもなく、タシロにお礼をいうでもなく、肩をもみながら、建物の方に戻っていった。

「ていうか、棺桶て売ってんのかよ…」

「アマゾン知らないの?!」とライの声が、ドアの向こうから聞こえた。

「通販かよ…てか聞こえてんのかよ…」とタシロははつぶやいた。

 今日のランチは、タシロはカツ丼。レンはとんかつバーガー。ライはいちごのババロアだった。仮死状態から戻ったばかりなので、胃に優しいものをということらしい。


「どういうことなんすか、ライさん…」とタシロがつぶやくと、

「僕、眠りが浅いんだよ。でも、ああやって寝ると、よく寝れるの」

「ああやってって、どういうことすか。棺桶すか、うまることすか?ていうか、あれ、寝るって言葉で表現するであってんすか?」

「いいじゃんどっちでも。とにかく、時々ああしないと睡眠不足で頭がまわらなくなるの。で、トモヤに手伝ってもらってるの」と説明した。


各々食事を終えると、また部屋に戻っていったが、タシロは、新聞を片手に食後のコーヒーを飲んでいた。先程のライの説明は、まったく納得がいかない。新聞の一面には、議員の不祥事やら交通事故やら虐待やらのニュースが載っているが頭に入ってこない。

察したオカダが口を開いた。

「ライさんてね、きれいな顔してますよね」

「はあ、まあ…」

「きれいすぎるものは、人を狂わすみたいです。あのお顔のせいで、随分苦労したみたいですよ。ライは、いわゆるお金持ちの妾の子というやつだったそうですが、あの通り、きれいな顔で生まれたばっかりに、父親は、ライの母親への興味を失って、ライだけを引き取ろうとしたそうです。ライ自身にはなんの罪もないですが、ライが引き取られるまで、実の母親が毎晩ベッドにやってきて、ライの首をしめたんだとか。きれいにうまれたことを毎晩毎晩呪いながら。だから夜眠るのは得意ではないんだと」


オカダは、カツ丼の作り方を説明するように語った。キャベツをきれいに千切りにするのは難しいというのと同じトーンだ。タシロはそんなもんなのかと思いつつ、あの少年なりに苦労があったことを、とりあえず理解した。たが、だからといって棺桶でわざわざ寝る必要はなくね?と思った。


 お金持ちに引き取られたのに、なぜ今ここにいるのかとオカダにふってみたが、それはまた今度ということだった。タシロの予想した回答であった。


オーナー代行の二度目の案件は、国会議員と秘書の処分にした。知ってはいけないことを知ってしまったので、まとめて処分してほしいということらしい。

 メールには2名の名前と処分希望と書いてあるだけだったが、おそらく、余計な事でも知ってしまったんでしょうと、オカダが教えてくれた。だいたいそういうものらしい。

 タシロは、社長令嬢の一件のような派手なのは勘弁してほしいと思っていた。二度目も映画の撮影ですでは済まないだろうし、爆発をハイテンションで喜べるようなクレイジーさは自分にはない。できれば後片付けが不要で、無駄な殺しはしないほうがいい。

 ごみみたいな人間にも生活はあるのだ。先日「コッパミジン」にした中には父親だったものもいるだろう、ある日父親が帰ってくなくなった子のことについて、タシロはふと気を寄せた。だが、そのセンチメンタリズムはすぐ忘れることにした。とりあえず派手なのはやめとこうと決めて。


 今度の計画は、パーティーに潜入して、議員のドリンクに毒を盛ることにした。映画でよく見るやつだ。これくらいならタシロでもどうにかできそうな気がした。秘書は議員が殺られたことで怯えて、実家の富山にでも帰るだろうと見込んで、議員にだけ照準を絞ることにした。


「だったらぁ~僕、いいのある~!」と、トモヤが、先日の旅行でペルーの高山から採取したという植物の毒を提供してくれた。タシロは、人埋めてペルーにいったのかよと思ったが、代わりに感謝の気持ちを伝えることにした。今回の役割分担は、レンとトモヤがパーティーに潜入、ドリンクに毒を盛る。タシロとライは秘書を脅して、秘書の実家がある富山に帰るのを見届ける役だ。袋につめて、富山の駅前にでも捨てるかという案もあったが、まずは脅し…いや、説得してみることにした。


「今回は派手なのはなしでいこうと思います。オーシャンズ11風に静かに、でも確実にやる方針でいきましょう」とタシロがうまく言ってみたつもりだが、ライとレンは「はあ?」というだけで、トモヤは「ちょっと違うんじゃないかな~」とにこにことつぶやくだけだった。


さて、今夜の案件の前に…とタシロは、電車に乗って秋葉原へ向かった。買いたい物があった。暑い中の買い物はおっくうだ。それに、ちょっと荷物になるが、しょうがない。大きい書店と電化製品が一度に揃う場所は秋葉原が適当だと判断した。山手線は久々だ。自分のためではない買い物も久々だなと思いながら、タシロは駅へ向かった。


議員のパーティは日比谷の一流ホテルの宴会場で行われていた。トモヤとレンは、今日はピアスは外して髪の毛も整えさせた。スーツはオーナーが贔屓にしている店からオカダが手配した。新進気鋭の起業家が、議員の後援会に参画したテイをオカダに作ってもらった。

手配系は、一旦、オカダに言っておけばどうにかなるんだとタシロは学んだ。レンは派手な顔立ちなのでスーツ姿がややホストに見えなくもないが、優等生顔のトモヤと並ぶとバランスがいい。おじさんが多数の宴会場では、レンたちのような若い者は目を惹き、女性陣の視線を集めてしまったのがタシロにとっては失敗だった。殺し屋って目立たないやつやん?そこだけオーシャンズ11かよと独り言を言った。


 昨今の情勢を反映してか、パーティーは過度に派手ではなく、瓶ビール・ソフトドリンクと、軽食が並び、後援会長のスピーチが行われている。議員になんの恨みもないし、ずんぐりむっくりとした大して殺す価値のない人物のようにも見受けられたが、仕事は仕事だ。

パーティーもお開きになろうかというところで、地元の有力者に愛想笑いまじりに談笑している議員に、少し相談があると、レンが秘書と一緒に予約しておいた客室に招き入れる。


「瓶ビールばかり飲んで、胃がお疲れでしょう」と、レンがウイスキーを注いだグラスを差し出す。もちろん毒入りだ。変な小細工はなしだ。「ありがたい」と、議員はなんの疑問もなくグラスを口にした。レンはグラスを口元にもっていったまま、飲むことはせずに議員を見つめていた。

議員は、血をはくでも、もがくでもなく、静かに息をひきとった。タシロとライが頃合いを見計らって部屋に入ると、トモヤは嬉しそうにし、後ろ手にピースをしてアピールしてきた。隣にいた議員秘書は怯えた目で4人の顔を見つめている。


「さて」レンが秘書の喉元に短刀を当てて、「富山のお母さん、結構なご年齢でしょう。そろそろ親孝行の時期じゃないですかね」と静かに、ゆっくりと、体に染み込ませるように耳元で囁いた。


そこからが少し予定外だった。いや、これはこれでよくある展開というべきか。怯えていた議員秘書が、本性を表したというのだろうか。フンと鼻をならして言った。

「そろそろこの豚は処分時だったので助かりましたよ。私もついでに処分する予定だったんでしょうけど…僕はできる秘書なので。そろそろ黒服がやってきますけど、どうします?」

 先程の秘書の怯えた目は、鋭い眼光に変化していた。

「ぁんだよ…秘書さん、やり手かよ」派手にやるつもりはなかったのに、戦闘不可避かよとタシロはがっかりしながら頭をかいた。


「はい、僕はやり手なんです。それに、僕、やり手なので、君たちの所属は、なんとなくわかりますよ。…あと、そこにいる小さい君。君のことは特に、よく知っていますよ。」と秘書が、ライを指していった。

ライは無表情で秘書を見つめる。


「生きていたんですね。生きていたことが判明したら面白いことになりそうですね。君は、シモダ代議士の…」と秘書がいったが、言葉は最後まで続かなかった。レンがナイフを横にひいたのだ。秘書が血しぶきと一緒に倒れる。


「あちゃ」とトモヤがつぶやく。

タシロは血しぶきを頬に浴びて、ドン引きした。

「えぇー…!まじすか?レンさん、殺っちまいましたよね?これ完全に死んじまいましたよね。即死っすよね。」とタシロがいうが、レンは口をとがらせたまま応えない。二人の足元にはじんわりと血痕が広がっていく。


間を割くように、トモヤはライに、片付け用に、ちょうどいいのはあるかと聞いた。

「地味なやつね。あるけど。いくよ」とライが何かを投げると、ボンと鈍い音がして、部屋に炎が上がった。火災放置機がなりスプリンクラーが水を吐き出すが炎は室内にぐんぐん広がる。


「んじゃ、ダッシュしますかー!」とレンが大きな声を上げる。ドアの向こうから足音がたくさん聞こえてきた。黒服か、ホテルマンか、警察か、全部か。

「ドアの向こうの雑魚ちゃん、処分しながら、よーーいドーンだねー!レン、どっちが早いか競争しよっか!」とトモヤ。

ちっと舌打ちをしてタシロも今は全速力で走ることにした。


◾︎タシロの買い物


バンを降りて、4階に向かうと、オカダが飲み物を用意して待っていた。麦茶とコーラと炭酸水とミックスジュースが並んでいた。

「あーー仕事の後のコーラーうめぇー」とご機嫌にレンが叫ぶと、タシロはレンが持っていたグラスをふっ飛ばした。グラスは割れなかったが、コーラが絨毯にシミを作る。

「あんだよ!」

「派手にやらない、殺さないという話だったじゃないすか!」

「イレギュラーなんてつきもんだろ!それにあいつは、ライを…!!」というとタシロの腹を蹴った。タシロは、「グッ」という声を出して、後ろに転がる。

「てめぇ、この間から何なんだよ!文句ばっかり言いやがって!オーナーだったらなあ…!」と言いかけて、「もういい…!」と、時計の下の猫脚のチェストに飾られていた花瓶を豪快に蹴飛ばして出ていった。ガンガンガンと革靴が階段に当たる音を立てて、レンは去っていった。オカダが飾っていたユリが床に散らばった。


「レン、怒っちゃったね。とりあえず、反省会?続き?なんでもいいけど明日にしましょうか。僕、シャワー浴びたーい」といってトモヤも出ていった。


オカダとタシロ、ライが部屋に残り、一瞬の静寂がおとずれた。

「何なんだよ、はこっちのセリフだっての…」タシロは床に転がったまま、かすれ声でつぶやく。くそ、腹がいてぇな。一発でこんなにいてぇのかよ。これは1週間はクソいてぇやつだ。


「ダサいね」とライがタシロを見下ろす。

「えーと…俺、かっこよかった瞬間ありましたっけ?」

「いや、ずっとダサいね。ここまで安定のダサさだね。オカダの料理並に安定感あると思うよ」

「今の、褒められたんすかね。まぁなんでもいいんですけど…。ダサいついでに、あー…オカダさん、すいません、管理人室から、持ってきてもらいたいものがあるんすけど…別に今日じゃなくてもいいんですけど…なんか、偶然にも今がいいチャンスな気するんで…」


トントンと階段を降りてきたオカダの手には、ダンボールが一箱と手首には紙袋がさげられていた。

「それ、ライさんにあげてやってください」

「何これ?」とライは眉間にシワを寄せる。

「ライさん、オーディオブックって知ってます?本を朗読したのを録音したCDなんすよ」

「知らないよ。なんでそんなの」

「…棺桶よりコスパいいんじゃねぇかなって思って。星の王子様とかを朗読してくれるんすよ。知ってます?星の王子様。名作っすよ。自分は覚えてねえすけど。寝る前に聞いてみてくださいよ。

…なんか、ライさんと、おふくろさんの間に色々あったぽいですけど、さっきの件だと代議士ともどうこうとかあるみたいですけど…俺、何も知る気はないですけど…。今朝も新聞に、母親が、子供を放置してでかけて、子供は死んじまったとかニュース出てましたけど…。こんだけ、親が子供を虐待して殺したとかいうニュースが溢れてる中で、ライさんが今生きてるっていうその事実は、一つの証拠なんじゃないかなって。ま、ライさんは強いからサバイブしたって話なだけかもしんねすけど…その…愛とかなんとかの証拠的な…。まあ、ライさんがどう解釈してるか知らねんすけど…あんま気にすることないんじゃないかなって。棺桶で寝るほどのことじゃねんじゃねえかなって。


で、愛とかはどうでもいいんですけど、母親って子供が寝る前に本読むじゃないですか。俺もあんまりやってもらった記憶ないですけど、なんか映画でよく見るじゃないですか。だから、まあものは試しで、寝る前にオーディオブック聞いてみたらどうかなって。そう思ったんすよね。あーいてぇ。腹がいてぇな。ライさん、聞いてます?」


タシロはライの方を見たが、表情はわからない。相変わらず眉間にシワがよっている気がする。

「オーディオブックとCDプレイヤーってわけですね。そういえば、世界の童話集のオーディオブックの広告が新聞に載ってましたね」と、オカダが言った。

「そう、殺し屋がスマホでサブスクってのもなんかちげーなとおもって。サブスクって毎月引き落としかかるじゃないですか。殺し屋がサブスクってなんかちげーって。久々に秋葉原いきました…。あーいてぇ。捨ててくれてもいいんで、試してみてくださいよ」


「うるさいなあ。人を気の毒な子供扱いしないでくれる。もう寝なよ」ライがタシロの頭を蹴ったところでタシロの意識は途絶えた。

遠のく意識の中で、オカダが、ぷっと吹き出す声が響いた。


◾︎タシロとツンデレ


「ツンデレなんですよ」

翌朝、オカダは、ハムサンドとオレンジジュースを届けにきた際、笑いながらそう言ったが、タシロは意味がわからない。なぜとどめを刺されたんだ。腹だけではなく、頭もクソ痛い。オーディオブックくらいでご機嫌とれるなんざ思っていなかったが、とどめを指す必要はないだろうが…、ぶつぶつとタシロは呟いた。


昨日のホテルでの1件は、火災で処理されたらしい。原状回復の費用はすべてここのオーナーが持つということでホテル側との決着はついたらしい。死体についても、よしなに処理してくれるらしい。敵の多い議員だったから、適当に犯人があてがわれて処理されるでしょうとのことだった。

なぁ、この職場ブラックすぎねえかと思いながら、鉛のように重たい体をベッドから起こして、ノートパソコンを膝に抱えて、電源を入れる。


 そういえば、あの三人はまだ、一ミリも怪我してないな、どうなってんだ、いや、どうでもいいな。

そういえば、昨日、レンは、「オーナーだったら」と言っていたことをタシロは思い出した。オーナーだったらなんなんだ。オーナーってそういや誰だ?と思ったが、痛み止めが効いたらしい、タシロはそのまま、メールを見ることはなく、また夢の中に落ちていった。


 それからタシロは三日間ほど眠りこけた。後から考えるとオカダが持ってくるドリンクに何か入っていたのかもしれない。ただ、起きていても、大して動けないので、オカダが持ってくる軽食をつまんでは、寝るを繰り返した。


四日目の夜は雨だった。ざあざあと降る雨の中、ふとタシロは目を覚ました。階下から何か音がする。まだ痛む腹をかばいながら階下に向かう。別に無視してもいい音だった気がしたが、何故か気になって降りてしまった。音の先は、三階の一番奥の部屋だ。部屋にはバスタブが鎮座している。もう何年も使われていないバスタブだろう。室内自体も荒れ放題だ。

壁には黒ずみやら落書きやら、床には誰かが身につけていたであろう装飾品や、衣類やらが転がっている。

バスタブにいるのはレンだ。返り血を浴びて真っ赤に染まっている。右手に持っているのは、ナタ。左手で抱えているのは女性の腕。腕の先にはだらんと首をたらした女性が見える。女性のものであろう。長い髪の毛がレンの左手にからまっている。レンは楽しそうだ。少し息があがっているようにも見える。レンがナタを振り下ろすところでタシロの意識は途絶えた。



「タシロさん、ご飯おいときますね」と、オカダの声が聞こえて、タシロははっと目を覚ました。あの世からこの世に引き戻されたような感覚を抱いた。外はいい天気だ。壁の時計は十時を指している。そんなに寝てしまったのかと、タシロは驚いた。タシロは昨日自分が見たものが、夢なのか現実なのか、わからなくなっていたが、オカダが持ってきたコーンポタージュスープとトーストの甘い香りに意識をうつした。



◾︎タシロと三つ目の案件


 三つ目の案件は、横浜港にあるコンテナの一つを処分することだった。依頼文には、コンテナの管理番号と、処分希望とだけ書いてあった。依頼文の中にコンテナの中身についての言及はなかったが、知る必要はないとタシロは思った。オーナーの件もそうだ。余計な情報を取得したとしていいことはない。

ただ、管理人という役割に対して従業員が不満なら、ちゃんと話したほうがいいのかもしれないという気持ちはくすぶっていた。


 コンコンとレンの部屋をノックする。中からトモヤが顔を出した。テーブルの上にはたくさんの小瓶が並んでいて、レンは小瓶に顔を近づけている。レンは鼻がきくから、新しい毒の匂いを当てられるか実験していたのだとトモヤは説明した。


タシロはレンの脇の床に膝をついて座った。ソファの隣に座るのは違う気がしたからだ。

「レンさん、この間、オーナーだったらって言ってましたよね。あの続き、教えてくださいよ」

「やだよ」

「やだって…従業員の意見をきくのが管理者の仕事なんで。頼みますよ」

 トモヤが思わず吹き出す。

「タシロさん、すごくいいバイトリーダーになりそうだよね。正社員にはなれないけど、バイトリーダーではすごく頼りになりそう。タシロさん、あのね、たぶん、続きはね…」とトモヤが言いかけたところで、レンが長い足でトモヤの首を捉えようとした。トモヤは、にこにこしながら、手首でレンの足を制した。トモヤがレンの足首を握ると、レンは、いてぇ!といって、足を引っ込めた。

「レンはね、オーナーだったら、もっと褒めてくれたって言いたかったんだよね」

あははと乾いたトモヤの笑い声が響く。


「そうだよ!あのなぁ、管理人なら、従業員のやる気の管理も大事だろーが!てめーはダメ出しばっかしやがってよ。三褒めて、改善点を一伝えるくらいがちょうどいいって、オーナーは言ってたぞ!」レンは怒鳴った。



「………あーなるほどですね。」とは言ったものの、タシロはまさか、目の前の青年に褒めろと言われるなどと思ってはいなかったので正直面食らっていた。なるほどですというのが精一杯だった。まぁ、レンの言うことも一理ある。

「りょうかいす。じゃあ、次のコンテナ処分の件、うまくいったら、すげえ褒めます。褒めちぎります。ご希望なら胴上げでもなんでも」

素直に返事が帰ってくると思わなかったのか、レンも、多少面食らった様子で、

「おう、そ、それでいいんだよ」と言った。

 クレイジーな従業員だと思っていたが、どっちかというと、犬みてえだなとタシロは思った。


その日の夜のメニューは、レンとタシロはナポリタン。トモヤはたまには温かいものをということでコンソメスープ。ライはたまには野菜をということで、人参のパウンドケーキだった。げぇという顔をしたライとは対照的に、レンはご機嫌でナポリタンをお代わりした。


タシロはふと、こんな話をした。自分は高校はすぐ辞めたが、アルバイトは続けていた。昼間は某有名ハンバーガーチェーンでバイトして、夜は、キャバクラの使い走りをしていた。実は、ハンバーガー店では、シフト管理や、教育も行っていたので、バイトリーダーってのは間違いねぇすね、とトモヤに語った。


「タシロさん、あのチェーンの制服絶対似合わないと思うんだけど。いらっしゃいませっていうのも想像つかないな~」とトモヤは笑った。

「あのね、トモヤさん、正社員にはなれないってさっき言ってましたけど、バイトの方が時給計算で残業分もきっちり給料でるし、シフト組むからって堂々と女の子のラインきけるんすよ。社員がそれで女の子口説いたら問題になりますけど、バイトリーダーならオッケーなんすよ。しかもハンバーガー屋のバイトに来る女の子は、明るくてはつらつな子が多いんで、バイトリーダーも悪いもんじゃないんすよ」とタシロは自慢した。

驚いたことに、レンも長いことハンバーガー屋に行っていないらしい。最後に、ハンバーガー屋に行った際に、地元のヤンキーにからかわれ、ヤンキーは病院送りに、店は半壊にしてしまい、なんとなく行かないようにしているらしい。

ライは想像に容易かったが、ハンバーガー屋には行ったことがないらしい。

「ライさん、ハンバーガー屋のスイーツも最近は捨てたもんじゃないんすよ。今度、オレオが入ったシェイクごちそうしますよ」とタシロはライに言った。

「ふぅん」とライはつぶやいた。



 コンテナを破壊する簡単なお仕事です。そんな言葉がタシロの頭をよぎった。

週末深夜の横浜港。セキュリティはいるが、人影はまばらである。目当てのコンテナはすぐに見つかった。しかしそこでタシロは気づいた。コンテナの入り口は開いていることに。

 「えー…」とコンテナに頭を突っ込んだのが良くなかった。そのままドンという衝撃を背中で感じて、コンテナの中に転げた。転げたと同時に、がちゃんと音がしてタシロは真っ暗なコンテナに閉じ込められた。


 「え、えええー」いつもどおりタシロは情けない声をだした。「積荷=俺だったのかよ?」と一人つぶやいたがどうしようもない。コンテナの扉を叩いてみたが、コンテナがぐらりと揺れ、タシロは転がった。コンテナは、積荷として、まさにコンテナ船に積まれようとしていたのだった。


 トモヤとレン、ライは運ばれていくコンテナを眺めていた。コンテナは大きなクレーンで高く高く登っていく。500メートル離れたところでタシロとコンテナを監視をしていたら、突然ゴォンという音がして、クレーンが動きだしたのだ。おそらく、音はコンテナにロックをかけた音だ。トモヤとレンが、タシロをコンテナに押し込んだ影を追いかけようとした途端、クレーンが動き出し、二人がそこに気をとられた瞬間に、影は夜の闇に消えた。

「トモヤ、どーする?クレーンごと破壊する?」とレンが尋ねる。

トモヤはスマートフォンを操作しながら、答えた。

「うーん、タシロさんの携帯は通じないね。クレーン破壊したら、タシロさんも破壊しちゃうんじゃないかな。

 とりあえず、戻ってオカダに相談しようか。コンテナ船に積まれたなら行き先だいたい分かるでしょ。運転は僕がやるから。」

「新しいの試せないの」とライはつぶやいた。

「ちょっとお預けだね。それは、次のタイミングでぶっ放そっか」とトモヤは、ライの頭をクシャッとなでた。


 オカダは4階で待っていた。一人ひとりに誂える余裕はなかったのだろう。パイナップルとオレンジをミキサーにかけたドリンクが、冷えたピッチャーに入って置かれていた。

「こんなこともあろうかと、タシロさんにGPSを埋め込んでおいたんですが、残念ながら、あまり役に立ちませんね。信号を受信できないみたいです」オカダは冷静に語った。「コンテナの中に、妨害電波を発生する装置でもおいてるんでしょう」


大雑把かと思いきや、細かい点はしっかり配慮している。子供のいたずらではない、とオカダは思った。

でも、あの腰抜けのチンピラを拉致して誰がなんの得を?

そうだ、1ヶ月ほど前にやってきた管理人代行とやらは、ただのチンピラだった。胡散臭いサングラスをかけ、センスの悪いスカジャンを抱えて、黄ばんだTシャツを着ていた。いつもヘラヘラしながら、独り言をボソボソ言っている。なんでこんなのが寄越されたのかオカダはさっぱりわからなかった。余計なことをしたら、早々にミンチにしてやろうと思っていた。


ただ、ご飯を食べる行儀はよかった。箸の持ち方はきれいだった。いただきますと、ごちそうさまを言うのはタシロだけだった。さらに、見ていて気持ちのいい食べぷりだった。その点は好意が持てた。だから、処分しないで、様子を見ることにした。ついでにいうと、ジャンクフード、サラダ、ケーキ以外の物を作るのは楽しかった。洋食ばかり作っていたが、次はフレンチに挑戦したいと思っている。タシロなら、黙って食べるだろう。


思考をめぐらしてはみたが、正直いって、タシロを拉致したところで得られるものはお世辞にもあるとは思い難かった。欲しけりゃくれてやればいいのでは?手間をかけて追いかける価値があるのか?

「とりあえず」オカダは言った。

「コンテナ船の向かうところは、博多です。博多へ向かってもいいのですが、三十分ください。なぜタシロさんが拉致されたのか、拉致したのは誰かをはっきりさせないと、向かったところで危険なだけですから」

ライ・トモヤ・レンは頷いた。これで時間は稼げる。三人には言わなかったが、オカダは、タシロを救う価値があるのかを判断したいとも考えていた。


四階のダイニングテーブルを囲んで、三人は手持ち無沙汰にしていた。

「なー、なんでタシロ持ってかれちゃったわけ?」とレンが口火を切った。

「僕もそれを考えていた。たぶん、オカダさんもじゃないかな。あの胡散臭い雑魚チンピラにそれほど価値があるとは思えないんだよね。わざわざコンテナに積んで拉致するなんてコスパが悪いよ。コンビニにでもいったすきに、羽交い締めにして、かっさらえれば早いんだから」トモヤが答える。

「タシロ死ぬかなあ。オーディオブック、新しいの頼もうと思ってたのに」とライは窓の向こうを見ながら言った。


 ふむ…とトモヤは思った。オカダを含め、自分より遥かに頭の切れる人間をこれまでにたくさん見てきたので、自分を賢い人間だとは思ったことはない。だが、タシロは自分よりは全然賢くない。身体能力も高くなければ、見た目も美しいとは言い難い。

だが、レンとライはタシロになつく素振りを見せていてる。確かに自分たちの奇行を目にしても、タシロは冷静だった。いや、どんくさくて鈍い反応しかできなかっただけかもしれない。ぶつくさ言ってはいたが、奇行を咎めることもしなかったし、いったんは受け入れてはいた。だからこそ、バイトリーダーとしては立派にやれそうだろうとトモヤは思っていた。


「バイトリーダー…じゃないや、タシロさんの拉致の本当の目的は…」とトモヤが言いかけた時、オカダが五階から降りてきた。


◾︎タシロとパソコン


 タシロは、朦朧とする頭で、「いてぇなー」と思うことが精一杯だった。鼻と肋骨は間違いなく折れた。歯はぐちゃぐちゃだろう。口の中が鉄くさいしジャリジャリする。目を開けるのも辛い。コンテナに揺られて数時間、コンテナの中で袋叩きにされて二時間だ。コンテナの中には四人ほどでかいのがいるが、外にも何人かいるようだ。


 コンテナの床に転がりながら、なんで…と言おうとしたが、「ぁんでぇ…」とつぶやくのが精一杯だった。さっきから目の前の男は、わけのわからない質問ばかりしてくる。目の前の男が持っているのは、オカダがタシロに渡したパソコンだ。そのパソコンの起動の仕方を教えろと言ってくる。「ニジョウ」という人間が持っている情報が、パソコンに入っていて、パソコンを起動させたいらしい。だが、タシロにはなんのことがさっぱりわからない。電源を入れれば、パソコンって起動すんじゃねえの、起動しないならアビバかPCデポいけばよくね、と思っていたが、そう思うたびに、拳と鉄パイプが飛んできた。


タシロはなんとなく、助けは来ないのではないかと思っていた。自分にそこまでの価値はない。管理人代行なんて代わりはいくらでもいる。今、タシロをボコボコにしている奴らは、そこそこでかい組織のようだし、タシロを助けるにはコスパがあわない。オカダの作ったうまい飯も、この歯ではしばらくは食べられまい。レン・ライ・トモヤについては、何を考えているかさっぱりわからないが、自分の死を悼むほどの関係ではない。

 ごみが一つ消えたところで、お日様は登るし、雨は降る。自分が生きようが死のうが世界はまわる。どのみち己はあと三十分もすれば海に沈められるだろうから、スイッチを押す以外のやり方は知らないが、パソコンの起動のさせ方については黙っておこうと思っていた。


「タシロとかいったな」ふと聞き覚えのある声がした。タシロは、「あーそうですよね。俺をこんな目にあわす可能性があるのは、他にイないですよね」と思って、血まみれの口角をふ、とあげた。奥から出てきたラスボスらしき人物は、一ヶ月ほど前に会ったトウゴウだった。


トウゴウは、ゆっくりと低い声で説明した。

「あんなァ、タシロォ。あそこの管理人はニジョウっていうんだわ。日系の血は入っているが、イタリアマフィアの末裔でなぁ、まー、とんでもない財力と権力をもってやがる。ニジョウの下っ端の下っ端の組織が人を探してるっていうから、ふらついてるゴミを送り込んだわけよ。どうせ自分もゴミだってわかってんだろ。ゴミらしく、もったいぶってねぇでこのパソコンにある情報よこしやがれ」と、タシロの顔面に拳をめり込ませた。

トウゴウの中指にはめられた、趣味の悪い指輪がタシロの顔にめり込む。タシロは死を覚悟した、というより、生きようと思うのは辞めた。



 タシロは数分か数十分か意識を失っていたが、遠くで、ドォォンという轟音がして、ピクリと動いた。一瞬視界が明るくなったのを感じた。遠くで火柱が上がったらしい。頭上にはヘリコプターがいる。ヘリコプターからコンテナへ。さらに一段下のコンテナへ。ひらりひらりとレンが舞い落ちてきて、平行二重の目をきらきらさせながら、大きな声で言った。

「タッシローーー!生きてるかぁ!?なんでもいいけど、とりあえず、全員まとめてぶっ殺していいー!?」と明るい声が聞こえた。


本当にレンは元気だ。ヘリコプターが飛び去る音より大きい声だった。バッティングセンターに来た少年のようにワクワクした声を聞いて、タシロも少しテンションが上がった。派手にやるのは嫌いだと言ったが、自分も派手にボコボコにされた。もう嫁にはいけないかもしれない。嫁ってなんだ。とりあえず、ここで派手に暴れないでどうする。タシロは、うつ伏せにうずくまったまま声を出せない。声を出す代わりに、右手の親指を上げて、いいねポーズを掲げた。



3人を降ろし、ヘリコプターで東京に戻りながら、オカダは先程のトモヤとのやり取りを思い出していた。

階段を降りて、ダイニングに入ってきたオカダは、レン・ライ・トモヤに向かって言葉を発しようとしたが、先にトモヤはいった。「狙いは、オーナーか、この組織ってことですかね」


オカダはうなずいた。そして、管理人室の窓ガラスがきれいに切断され、パソコンがなくなっていることも告げた。住処の監視カメラは多くはない。監視カメラをたくさんつけると、家人たちの悪行が残り、むしろまずい気がしたので、極力減らすようにしていた。だから犯人はわからない。窓ガラスは防弾仕様にしていたが、専用のカッターを使ってガラスを切り取ったのだろう。オカダは続けた。


「あのパソコンを起動するには、タシロさんの鎖骨に埋め込んだ起動装置が必要なんです。先程GPSを埋め込んだといったでしょう。あのGPSはパソコンの起動装置にもなっていて、1メートル近くにタシロさんがいないと起動しないようになっている。コンテナの中は妨害電波を発する装置が設置されているから、仮にタシロさんがコンテナ内にいて、タシロさんの近くにパソコンを持っていくだけでは起動しない。でももし、タシロさんを拉致した奴らがその事に気づいたら…」

「タシロさんを引き裂いて、起動装置をゲット。残骸は海にザブンということですね。まあ気づいても気づかなくてもザブンでしょうけども」トモヤが続けた。


「パソコンそのものには大した情報はありません。バックアップもあります。ただ、下っ端なんでしょう。ニジョウにつながるものならなんでも欲しいんだろうと思います。それに、製薬会社や議員の情報に関しては小銭稼ぎにはピッタリでしょうしね。

タシロさんをさらったのは、タシロさんを派遣してきた組のものなんでしょう。他にあの小者をさらおうなんて思う人間もいないでしょうし。横浜港に出入りする海運会社の名簿の中にトウゴウという名前がありました」オカダは説明した。




「で、どうするの。助けるの助けないの」と、しばらくの静寂の後、ライが聞いた。



レンは特大の六角レンチを振り回していた。港の地面に転がっていたものだ。銃の使い方も知ってはいるが、やっぱりこっちのほうが、感触がダイレクトに伝わって気持ちがいい。本当は素手がいいが、敵がこの人数では仕方ない。

レンは、向かってくる男たちの骨を、六角レンチで砕きながら、手先に伝わってくる感触を楽しんでいた。ふと先程のライの質問を思い出した。タシロは助けるに値するのか。そんな質問はくだならいとレンは思った。俺を褒めるといった約束だけは守ってもらわねばならない。えらいね、頑張ったのねと言われるまではタシロは死なせない。


「おりゃぁぁ」とスキンヘッドの男の口に六角レンチを突っ込む。しょうがない、こっからは銃に切り替えだ。


レンは角刈りの男の額に銃口を向けながら思い出していた。最初に殺したのは唯一の身内で、自分の姉だった。自分にさんざん汚いことをさせた姉だった。当時はそれが汚いことかどうかもよくわかっていなかった。顔がいいから、自分は高く売れた。客にも困らなかった。稼ぎを姉に渡したときに、なでてくれる手が好きだった。えらいね、ありがとうねと言ってくれた。姉が喜んでくれるのならなんでもするつもりだった。でも、ホストにハマって、あっさりと姉は裏切った。自分をゴミ扱いするようになった。ひどい話だし、ありふれた話だ。殺す気はなかったのだ。だが、振りかぶった手を止めることはできなかった。気づけば姉は冷たく固くなっていた。


レンは、大好きだった姉の手を、今も部屋の棚奥にホルマリンに漬けてとっておいている。あれはレンにとって幸せの記録だ。時々新しいのが欲しくて調達しているが、姉の手が一番の宝物だ。

レンは姉の代わりに自分を褒めてくれる人間を探すことに決めた。褒められるのは気持ちがいい。女の子と、やらしいことをするのと同じくらい幸福なことだとレンは思っていた。腹の底がむずむずする感覚がして、ドーパミンが出てくるのを感じる。オーナーはよく褒めてくれる人だった。タシロが来る前は、しばらく仕事もなかったし、オーナーに褒められることもなかったので、干からびそうだった。


ここらへんの話はタシロにはしていないが、一度、浴槽で女性を処理をしている場面を見られてしまった。適齢期の男子である。女の子といいことをしたいと思うのは当然で、適当にクラブでたぶらかした女性を部屋に連れ込むのは、また、当然のことだ。普段、殺すのは、仕事がらみで処分した女性だけにしていたが、あの日はストッパーがきかなくて、行為の後に、パーツが欲しくなってしまい、女性に手をかけてしまった。トモヤがタシロに怪しい薬を嗅がせてくれたおかげでタシロはすぐに気を失ったが、多少は見られただろうか。


棚奥のホルマリンとかバスタブの件とか、いつかタシロが全部知った時、タシロは自分を蔑むだろうか。

「あーまじすかぁ…」というだけのような気もして、レンはニヤリと笑った。



トモヤも、タシロを救う価値があるかという疑問を考えていた。レンとライはトラウマ持ちで精神的に脆いから、タシロにほだされた部分もあるのだろう。一方、自分は健全な家庭・健全な青春を送ってきた。多少マニアックでな人間であることは自覚しているが、二人に比べれば凡人だ。…家族がどっぷり新興宗教にはまっていること以外は。


宗教に対して否定するつもりはない。ただ、トモヤは現実主義者だ。口を開けば、教祖様だの第三世界だのいう家族が疎ましくなってしまった。家族には、警備会社で働いており、地方に転勤していることにしている。まぁ、間違いではないはずだ。年末年始も警備があるといっておけば、家に顔を出す必要もない。


レンとライは、タシロになついているんだろう。タシロは多くは聞かない、多くは言わない、語彙力がなさすぎるだけのような気もするが。そして、否定はせず、与えられた仕事を真面目にこなそうとする。レンとライはそれが居心地がよかったのかもしれない。自分はタシロには一ミリの愛着も、温情もない。救う理由があるとしたら、仕事仲間のレンとライが、タシロを救いたそうだったからだ。だから自分は手伝うことにした。あぁ、でも、昔のバイト仲間の女の子と合コン開くくらいはお願いしたらやってくれるだろうかとトモヤは思った。

殺し屋が人を救うなんてウけるなとトモヤは目を細めた。


「おっと」考え事をしていたら、黒服に後ろを取られたが、銃をもった左腕を背中の方へ曲げて引き金を引く。右手の銃は、正面のリーゼントの額をめがけて引き金をうつ。


「くっそ、暴れてくれやがって…」トウゴウはつぶやいたが、次の瞬間脳天に衝撃を感じた。ライが、銃をトウゴウの頭めがけてぶっ放したのだった。

「なんだ!?」とトウゴウは後頭部に手をやる。

ライは、後ろ手に走りながら、サングラスをポケットからだし、装着し、小さな声でカウントダウンした。

「5,4,3,2…」

閃光と共に、トウゴウは、いくらかの布きれと肉片を残してこの世から姿を消した。


ライは、「次はぶっ放していいって、トモヤが言ったから。新規開発した、マイクロチップサイズの爆弾を頭に埋め込んでみた。」とトモヤに声をかけた。

「もう一発いいかな?いいよね」とライは返事を聞く前にスイッチを入れた。

コンテナ船の奥で、本日三度目かつ、今までで一番大きな爆発音がした。

 耳が馬鹿になるほどの轟音と熱風を感じて、ハリウッド映画でもここまで派手にはしなくねぇ…?と、思いながら、タシロの記憶は途絶えた。



 ふと、中華だしの上品ないい香りがして、タシロは目を覚ました。気づけば1ヶ月近く昏睡状態だったらしい。秋の行楽シーズンに行くべき場所を、テレビが告げている。テレビの中では、女性アナウンサーが、渓流を眺めながらパンケーキを頬張っている。


 オカダがお粥をもってきてくれたようだ。腕の骨も無事ではなかったので、オカダがタシロの口に運ぶ。噛むのはままならないが、舌でホタテの旨味を感じながら飲み込んだ。


博多での出来事は、コンテナが落下し、落下した衝撃で爆発が発生したことになったとオカダは説明した。


オカダはGPSの件をタシロに伝えようかと思ったが、さすがのタシロも激昂するだろうかと考えた。なにせ、埋め込んだのはタシロが睡眠薬でぐっすり眠っている間にやったことだ。初日の夕飯の際に睡眠薬を仕込んでおいたのだ。それに、激昂したら、傷が開くかもしれない。伝えるのは、せめて傷がふさがった後にしようと思った。


「おい、タシロぉ」と、レンが、管理人室のドアを蹴り飛ばさん勢いで入ってきた。

「約束、守れよなぁー俺を持ち上げろよぉー」とタシロのことなどお構いなしに大声で話す。

タシロは、全身包帯が巻かれており、ミイラ状態だ。話すこともままならないし、胴上げなんてとんでもないだろう。


「ちょっと、レン。今は…ていうか、コンテナの件は失敗してるしぃ」とトモヤが切り出した時、タシロはギブスがはめられた手を宙に上げた。

「ん?」と、レンがタシロに近づくと、タシロは、言葉を発する代わりに、レンの頭をなでた。優しくゆっくりと撫でた。レンの姉の細い指とは違って、ごつごつした手だったが、暖かいとレンは感じた。

「胴上げは…また…ほぉんど…」とかろうじて残った数本の前歯のかけらを見せながら、タシロはまた眠った。



◾︎タシロと契約更改


オカダは自室のパソコンからWeb会議システムに接続した。ニジョウは三ヶ月程度で帰国するだろうと言っていたからそろそろのはずだ。タシロは松葉杖で歩けるようにはなったものの、まだ回復には時間がかかる。ニジョウの帰国予定を確認したかったのだ。


「えぇーそんな楽しいことがあったのぉ…僕も参加したかったぁ…」ヘッドセットごしにニジョウの声が聞こえる。相変わらず、甘い声を出す人だとオカダは思った。画面にはニジョウのホリの深い、だが真っ黒な髪・瞳というアジア的な要素もった顔と、首に巻かれたスカーフが映っている。近況を手短に報告したところ、羨ましいという返事が返ってきたが、オカダは、よくわからなかった。


「あのねぇ、オカダぁ。僕ぅ、ちょっとモナコでまとめたい商談があるんだよねぇ。ちびっこたちには悪いんだけど…。その満心創痍のタシロっていうの、もうちょっと使えそうか確認してみてぇ。お土産のリクエストはメールしておいてねぇ。じゃねぇ~」と接続は切れた。やれやれ、次はモナコですか。でも、タシロのおかげでオーナーが自由に動けるなら、それも悪くないなとオカダは思った。


ニジョウとの会話の後、オカダは、タシロに契約更新の話をした。辞めることも可能だが、オーナーがモナコで仕事があるらしいから継続も可能だと伝えた。怪我が続いたので、辞めると言うかとオカダは思っていた。


しばらく、タシロは、目を細めて天を仰いだ。

「あー…そすねー…立派なバイトリーダーになれるようにもうちょっと頑張ってみますかね…」と返事をした。


時刻は五時四五分。オカダはダイニングテーブルに今夜のメニューを並べた。今夜のメニューは、フォアグラ丼、テリヤキバーガー、ポテトサラダ、シュークリームだ。

五時五十分に、腹が減ったと騒ぎながら、階段を最初に上がってくるのがレン。時計の鐘と同時に顔を出すのがトモヤ。少し遅れてライとタシロが続く。

全員がそろうと、オカダは伝えた。

「皆さん、タシロさんは、契約更新されました。明日以降は徐々に業務に戻っていただきます。皆さんもそろそろ体を動かしたいでしょう。」

「ちびっこ」たちは一瞬食事を止め、そして三者三様にタシロの契約更改と仕事の再開を、乱暴な言葉で祝った。



タシロは、頭をかきながら、ははは、わけわけんねぇすよね、と笑い、今度、ハンバーガー屋でありったけのメニューを買ってこようかと考えていた。


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