兵士の今日と明日
アラームの音が聞こえる、一日の始まりを知らせる音。もっと寝ていたいが、起きて仕事に行かなければ。
目を閉じたままそれを止めようとしたが……腕が動かない。
動かせないのは腕だけではない。全身どの部分も、枷か何かで固定されているかのようだ。
目も塞がれている。目を開けているという感覚だけはあるが、視界に変化は無い。
上下と体の感覚からしてうつ伏せになっているようだが、寝ていた訳では無いらしい。目覚ましと勘違いしたアラーム音は、いつの間にか止んでしまった。
何故、こんな状態にあるのか。そもそも、こうなる前に俺は何をしていたのか。
疑問を頭に浮かべた瞬間。視界が急に明るくなった。
位置関係を示すものらしい光点と格子が現れる。
これは……そうだ、思い出した。もう仕事中なんだ。
今日も毎度のごとく、空に開いた穴からバケモノが這い出てきた。穴に追い返そうと戦っている最中に、崩れた廃墟のガレキの下敷きになったんだ。生き埋めにされている。
目の前に情報が表示されるのは、着ている鎧のデータリンクと補助AIが機能しているから。そして身体が動かないのは、強い衝撃で保護機能が働き関節部がロックされたから。
鎧が表示する情報によると、敵も味方もこの周辺にはいない。少し離れた場所で戦闘が続いている。
奴らが開けた穴と味方の位置関係から察するに、戦況は一応こちら側が押しているらしい。穴を塞いでしまえば、奴らはこちらで長時間生きられない。向こう側から漏れ出てくる高濃度のマナが無ければ、遅かれ早かれ呼吸ができず死ぬ。
それにしても、だ。
どれほどの時間気絶していたかは定かじゃないが、流れ弾で蒸発させられなかったのは幸運だった。そんな間抜けな死に方はしたくない。
行動を阻害するレベルの怪我は無い。鎧が示した俺自身のステータスは、戦闘可能な範囲内にある。鎧自体も、自己診断が正しいならダメージは軽微だ。
頑丈な装備を作ってくれた連中に感謝、と言いたいところだが、四肢のアシストをもっと強化しておいて欲しかった。ガレキを退けて脱出するにはパワーが足りない、と鎧が警告を出している。
穴が開いて大分経つのか、周囲のマナ濃度は高い。
通常動力ではあり得ないレベルの、駆動部が過負荷で破損するような出力も出せるだろう。
いつまでも下敷きのままでいる訳にはいかない。確実に脱出できるなら駆動部と引換えにしてもかまわないが、AIの試算によるとガレキの重量が最大出力を超えているようだ。
鎧が壊れて生き埋めのままでは割に合わない。
このまま戦闘終了まで大人しくしていれば、とも考えた。
鎧のデータリンクは生きている。無理に脱出しようとせず、戦闘終了まで待てば救助してもらえるだろうが、それは「残りのメンバーがバケモノを穴に押し込められた」場合の話だ。
残念なことに、リンクによって伝えられる戦況は膠着状態になりつつある。生き残る確率を上げるためには、自力でこの状況から脱出しなければならない。
「何か、手は無いか?」
鎧に内蔵されたAIは優秀だ。実行可能な選択肢を俺よりも早く確実に提示してくれる。
この鎧は軽装で大した装備が内蔵されていない。高出力かつ色々付いた重装型ならともかく、これで現状をどうにかする手段は俺の頭じゃ思い浮かばない。だから鎧の知恵を頼る。
早速出てきた提案は、「突撃槍と鎧の推進器を同時使用する」というもの。
そうか、突撃槍を持っていたか。なら話は早い。
出力も推力も鎧と同等以上の大型武装。軽装でなら上に乗って高速で飛び回ることも可能な代物だ。ガレキの下から脱出することは訳も無いだろう。
起動する推進器の選定、出力の調整といったお膳立ては鎧が済ませている。俺はそれを、頭の中で承認するだけで良い。
『起動』
その単語を思い浮かべた次の瞬間、身体に圧がかかる。急加速による反動の内、鎧の保護機能が軽減しきれない分だ。
ようやく、窮屈なガレキの下から開放された。制動をかけると同時に脚が下へ向くよう姿勢を変え、着地する。
周囲を見回すと、林立する廃ビルの向こうに明滅する光が見える。熱に変換して投射されるマナの光。
データリンクから得られた位置情報の裏付けが取れた。ビル群の向こうで戦闘が続いている。
さて、どうやって戦線復帰すべきか……。
「一発、でかいのをお見舞いしてやるか」
鎧に問わずとも閃いた。
長時間倒れていたため、こちらの存在は敵にも味方にも感知されていない。データリンクの発信機能は気絶した時点で鎧がカットして、今もそのままだ。
その一方で、友軍から発信される情報で敵味方の位置は分かる。一度だけなら不意打ちができるということだ。
おあつらえ向きにでかい武器も持っている。敵の数を減らせられれば良し。それが叶わずとも、動きの制限くらいは可能なはずだ。
「射線の計算と、発射準備を始めてくれ」
推奨された発射位置は、ここから近い廃ビルの一室。よほど派手な機動をしなければ飛んでも気づかれはしないだろうが、徒歩で向かう。
マナの動きから気取られないよう、最初の一発だけは時間をかけてチャージを行う必要がある。推進器も多少エネルギーは食うから、これで良い。
住人の大多数は死に、生き残りも地下へ潜って使うもののいない建築物。有用なものはことごとく持ち出されて照明すら残っていない。
暗い屋内階段を、視覚強化を使い駆け上がる。車両以上に重い重装型ではできない芸当だ。軽装鎧の原型も、こういうことをするために開発されたらしい。
ナビゲートによって示された部屋へ到着する。チャージ状況もちょうど良い具合だ。
鎧が、壁の向こうに存在する敵と味方の位置を示した。
ごく一部の例外を除き、バケモノどもの図体は人間よりも大きく小回りは利かない。動きの激しいマーカーは全て友軍だ。警告を出すことはできないので、誤射にすることの無いように発射のタイミングを選ぶ必要がある。
脇に抱えた突撃槍の先端を、敵を表すそれへと向ける。可能な限り多くを巻き込めるように。
「魔法の槍の鋭さ、とくと味わえ」
意思が引き金を引き、槍の先から光がほとばしった。
効果の程は。
白く染まった視界の中、表示される情報に目を向ける。
突如響く音。
考えるより先に、槍の推進器を全開にしていた。
これまで何度も聞いてきた、警報音。
考えるより先に動かなければ、死ぬ。
ビルの壁を打ち抜き、空中に飛び出ても音は鳴り止まない。
石突のペダルに足をかけ、突撃槍の推力を使い、飛ぶ。
後方から伸びる光の柱。その色は奴らのもの。
他の連中が居るにも関わらずこれだけの反撃が来るということは、脅威と認識される程度の損害は与えたか。
回避を最優先に行いつつ、データリンクで得られる情報から砲撃の効果を確認する。
敵を表す光点の数は減った。無力化された個体がいるということだ。
加えて、一体がこちらを目指して移動している。少ない頭数のひとつを割くほどに、脅威とみなされたらしい。
こちらで引き受ける分が多いほど、前で戦っている連中が楽になる。
二射目を撃たずとも目的は達成できた。だが、引きつけた敵の種別がまずい。
『三脚』
名前通りの三本足で、光線を放ちながらビルを跨ぎこちらに向かってくる。
火力が高いのはまあ良い。こいつの射撃精度は低く、一体を相手取るならまず当たらない。
問題は、奴の守りが火力相応に堅く手持ちの武器がほぼ通用しないということだ。ついさっきやったような、チャージを伴う突撃槍の一撃なら抜けるだろう。だが、あれをやるには足を止める必要がある。
後ろから来る光が途切れることはない。一本一本が掠るだけでも危険な出力、それを奴は照射し続けている。
考え無しに足を止めれば、次の瞬間には蒸発させられてしまうだろう。
あまりチョロチョロと逃げ回るのもまずい。
あの火力が穴を閉じに行っている連中に向いてしまえば、生存の可能性はゼロに近づいていく。
生きるために、すべきことは一つ。
「立ち向かう!」
死を真正面から見据えてこそ、活路が開ける。
各部推進器で方向転換。突撃槍の切っ先を奴へ向け、推力全開!
回避運動を度外視した、渾身の槍突撃。
撃ち下ろされる光線を潜り、脚の一本を貫いた。
よし、こいつは脚が二本じゃ歩けないはず……まずい!
倒れこんでくる丸い巨体。その一部が横に裂け、細いものが飛び出す。鋭利な先端を持つ、無数の触手。どういう仕組みか、鎧の装甲を容易く貫いてくる。
全力突撃の代償で、推進器はほぼ利かない。ならばどうするか。
鎧により増幅された脚力で突撃槍を蹴る。
武器が手元から失われるが、回避手段はこれしか無い。
槍の代わりに、腰から短剣を抜く。
数少ない軽装鎧の内蔵武装。他にもいくつかあるが、これ以外で奴の張る光電障壁や生体装甲を突破するのは厳しい。
蹴り飛ばした突撃槍を回収している余裕もない。こいつでやる。
球形の体から腕、あるいは角のように生えた三脚の射撃器官。そこへ目がけて跳びつき、マナの光を纏わせた短剣を押し当てる。
笛の音のような悲鳴とともに、奴は身を震わせた。そして振り落とすつもりなのか、切れかけの器官ごとこちらを振り回してくる。
両方が無事なら絶え間なく光線の照射が続く。片方だけでも潰さなければ。
「うおっ!?」
切断まであと少し、というところで奴の腕がちぎれた。
振り回される勢いのまま、器官ごと壁に向かって飛ばされる。
壁に叩きつけられた所で大したダメージは無い。だが、足が止まるのはまずい!
思考に反応した鎧が、動力のインジケータを映す。
緊急回避なら問題ないレベル。推進器、起動!
間一髪で脱出した次の瞬間、千切れた奴の一部が触手で壁に縫い付けられた。
自身の一部ごと、俺を仕留めるのを狙っていた?
まあいい、動作変更。
短剣を持つ右腕に設定した「光熱」の変換を一旦解除。
右腕を振り上げ、左腕を「光熱」に設定。
刃に手を添え、一気に振り下ろす。
短剣から伸びたマナは光の刃へ変換され、伸びきった触手をまとめて切り裂いた。
奴の巨大な胴体部が、二本の脚で持ち上がる。
押しつぶす気か。ダメージはともかく、食らえば次の一手が回避できない。
鎧が、推進器のみでは逃れられないことを警告している。
ならばこうだ。
動作変更、右に「運動」左に「収縮」。
推進器の噴射に合わせて横へ跳躍。同時に振るった短剣のマナは、ビルの骨組みに巻きつく。
そこに「収縮」をかければ、次の瞬間には鎧が空中へと飛んだ。この変換をかけたマナの弾性は、車両程度は軽く持ち上げる。
スクリプト呼び出し「閃光弾」。
マナの単純な変換とは異なる、弾体の形成手順。鎧に内蔵された演算装置が、複雑な操作を僅かな時間で完了させる。
短剣の先端に生成された光球。三脚へ向けて射出し、その鼻先で炸裂させる。
「うおっ!?」
視界が白く染まった。
出力の設定が高かったのか、爆ぜた距離が近すぎたのか。鎧のセンサーにも影響が出たが、身を隠すのに支障が出る程ではない。
動力切り替え、バッテリー駆動。
重要なのは、奴がこちらを見失ったということだ。
聴覚センサーが拾うノイズ混じりの音から察するに、まるで検討違いの方向に攻撃している。
あれの役割は制圧。本来なら俺のように小さな目標を相手にする必要は無い。そういった相手を捉える索敵能力も無い。障害物ごと吹き飛ばす火力があるからだ。
だから、視界から外れた後にマナ動力を切ってしまえばまず見つからない。
彼我の体躯には大きな差がある。そのためこちらは「一度直撃を受けたらおしまい」という綱渡りを強いられているが、身を隠すという点だけはこちらが有利だ。
ビルを跨ぐ大きさの奴が身を隠す場所などない。強靭かつ巨大な肉体を支えるために多くのマナを必要とする。一方こちらはいくらでも身を隠す場所があり、マナ動力をカットしても動き回ることが可能だ。
触手か、あるいは脚を使っているのか。周囲への無差別な攻撃は続いているようだ。破砕音が聞こえてくる。
AIがこの音から奴との位置関係を推定し、向かうべき方向を指示してくれる。奴に捕捉されることなく、近づいていけるルートを。
距離を詰めたら、やることは単純だ。
片方残った射撃器官からの光線をかわし、神経系の中枢を最大出力の短剣で貫く。
うまくいけば、奴はあの巨体を制御しきれず無力化する。しくじったときは……考えないようにしよう。
いずれにせよ、決着は一瞬でつく。
「……これは!?」
聴覚センサーが妙な音を捉えた。推進器の動作音、この辺りに味方は一人も……いる! 一人ではなく、一本が。
先ほど手元から離れた突撃槍だ。こちらへ戻ってこようとしている。
続いて聞こえた、ノイズのような音。聞き間違えるはずもない、先ほど何度も聞いた光線の発射音、奴は突撃槍を撃った。
「マナ動力、推進器全開!」
これ以上ない好機。狙う部位は腰部の上、短剣を構えて突撃する。
光の刀身が奴の身体に突き刺さり、勝利を確信した次の瞬間。
俺の腕が弾け飛んだ。
何が起こったのかを理解する前に、鎧が緊急回避シーケンスを起動していた。周囲から迫る触手を避けるため、各部の推進器が不規則に起動して脳を揺さぶる。
やられた。
右腕の肘から先が、奴の触手に貫かれてぶら下がっている。中枢を貫く前に、腕を刺されて刃の軌道をずらされた。重要な部分のほとんどを抉ったので行動は制限されるはずだが、奴はまだ動けている。
肘の自切機構が作動して、串刺しだけは免れた。元より義肢なので痛みも無い。
だが武器も失った。マナを収束・増幅する短剣が無ければ奴の防御は抜けない。神経系の破壊により動きが鈍ったとはいえ、迎撃用の触手はまだ多数残っている。生体装甲を貫いた箇所へもう一撃、当てれば倒せるかもしれないが、奴はそれを許しはしないだろう。こちらが穴だらけにされてしまう。
何か、何かないか。奴に止めを刺す手段。……通知音?
半透明のウィンドウが視界の中に開く。位置情報の平面図、表示されているのは俺と三脚と、もうひとつ。そうか、これだ!
「槍よ、戻れ!」
光線に撃ち落とされず、飛び続けていた突撃槍をこちらに向けて呼び戻す。推力最大、全速力。槍と俺との間には、奴がいる。
迎撃の触手を置き去りにした槍が、三脚の生体装甲に突き刺さった。
「まだだ!」
まだ終わりじゃない。奴の触手は未だ蠢いている。
推進器を噴かして回り込み、無事な左手からマナの塊を放つ。狙う先は槍の持ち手、乗せる信号は『発射』。
着弾を確認した次の瞬間、光が三脚の身体を内側から食い破った。体内に食い込んだ槍の穂先からマナの光が放たれたからだ。
脚との接続部を完全に吹き飛ばされ、三脚の胴体が地面に崩れ落ちる。
……勝った。俺が、生き残った。
鎧のAIに索敵を任せ、息をつく。戦闘終了まで、この緊張状態を維持できる連中も居るらしいが、俺はとてもじゃないがそんなことはできない。
こんな事になる前は一般人、仕事にあぶれた無職だったからだ。まともな訓練だって、一度もしたことはない。
俺みたいな人間でも、戦う意思さえ持っていれば装備が一人前の兵士として働かせてくれる。
「ん? 戦闘終了?」
データリンクが、穴の閉塞が完了した事を伝えてきた。前に出て戦っていた連中が、幕を引いたらしい。
さて、片付けだ。まずは奴らの肉片を凍結し、取れた右腕を回収しなければ。
……肘から先の無い右腕を見て、ふと考える。
世の中がこうなる前は、口座の残高を減らしながら明日の食事の心配をしていた。世界がひっくり返ってからは生身の身体をすり減らし、明日の命を心配しなければならない。
こんな戦いも、長くは続かないだろう。噂でしかないが、決戦兵器が製作されているという話も聞く。
だが、それで戦いが終わって状況が良くなるんだろうか?
世界がこうなったあの日のように、余計に状況が悪化するのでは。それこそ、何もかもが焼き尽くされてしまうんじゃないか。そんな不安が拭えない。
「おっと」
鎧のAIが、電子音で行動を促してきた。
どんな結果が待っていようと、先が見たければ前に進むしかない。