第6話 賢者の魔法(Ⅲ)
俺から封を受け取ったメイリは、すぐさま外出の準備を始めた。
昨日と同じようなシンプルなブラウスとスカートの上から、どうもお気に入りらしい白衣みたいなサマーコートに袖を通す。その肩にオシャレな白い日傘を乗せて、そそくさと家を出て行った――ので、慌てて俺もその背を追いかけた。
そして、向かった先は――
「畑……か?」
木が間引かれ広々とした土地。その一面を埋め尽くすように、細くて縦に長い植物が等間隔で無数に並んでいた。
植物の先端には、茶色と白の中間のような色をした、丸い豆のような果実がぶら下がっている。だが、そのどれもがどう見ても片手では握れないような大きさだ。それなのに植物が重さで折れずしっかり自立している光景は、驚きを通り越してちょっと怖い。
手前の地面に刺さっている看板に『イリア農園』と英語で書いてあるから、これらはおそらく食用だろう。パッと見じゃどうやって調理するのかさっぱりわからないけどな。
「いきなり出ていくからどこに行くのかと思えば……ここはトリト豆の菜園か」
当然のようについてきていたマルクが呟く。
「トリト豆?」
豆なんだな、これ。そのままじゃ食えそうにないし、多分、カカオみたいにこの果実の中に詰まってるんだろう。
「なんだお前、村に住んでるくせに知らないのか? トリト豆はこのあたりでは珍しく、少量の水でも育つ強い作物だ。使い道にはいろいろあって、すり潰せばパンの材料になるし、熱を通せばスパイスにもなる。まあ、その代わりに質は悪く、最近では非常時くらいにしか栽培されないんだが……ここの畑は現役みたいだな」
「へえ……」
「――って、なに普通に話しかけてきてるんだ! ボクはお前のことなんか絶対認めないからな!」
しっかり全部説明してくれた後我に返ったマルクは放っておくとして――なるほど、つまりはここが村の食糧源らしい。
こんな森の中でどうやって小麦を栽培しているのか疑問だったが、そんな豆で代用していたのなら納得だな。
「しかし……これはマズいな。枯れかけてる」
視線を戻したマルクの言う通り、植物の幹や葉には少し茶色っぽくなってきている部分があった。果実の大きさを見るに育て方が間違っているわけではなさそうだが……何か問題があるのだろうか。
考えこむ俺をよそに、メイリは菜園に隣接している掘っ立て小屋の前まで歩いていき、ドアをコンコンと数度叩く。
するとすぐにドアが開いて、中から妙齢の女性が顔を出した。
この菜園の運営に携わっている人物なのだろう、タンクトップにカーゴパンツというラフな服装だ。アフリカ系らしく、肌は浅黒い。太い三つ編みにした髪も黒く、メイリと並ぶと明暗の差で目がチカチカする。
「やあ、メイちゃん。来てくれたんだね」
腰に手を当て、女性はメイリを日本語で歓迎する。
「ん、大事な依頼だから。今日はどうしたの?」
「ああ……ほら、ここのところ雨が降ってないだろう? おかげで水やりが満足にできてないんだ」
川から汲んでこようにも、ここからだと遠すぎるからねえ……と女性は続ける。
遠くて細部までは聞き取れなかったが、ようするに水が足りてないんだな。
この場所に一番近い川があるのは俺たちの家の近くで、往復するとなるとかなりの時間がかかる。加えて、この農園は広い。村人総出で水を運んだとしても、全体に行き渡らせるには数時間は必要となるだろう。
そこで賢者の――つまりはメイリの、転移者としての能力の出番というわけだ。
でも、メイリの能力といえば、俺のケガを治してくれたあの力だ。水とかかわりがあるようには思えないが……
「お水、かければいいの?」
「そうなるね。頼めるかい?」
「わかった」
頷くと、メイリは菜園の外周に立って、左手を振るう。俺のケガを治すときにやっていたのと同じ仕草だ。
だが、その動きは家で見せたものとは少し違う。
「術式鍵語――<レイン>」
唱えた言葉も、明らかに先ほどとは別物だ。
――となれば、得られた効果が異なるのも必然か。
一瞬淡く光ったメイリの左手から、灰色をした大量の煙がモクモクと立ち上る。
(煙……いや、水蒸気か?)
爆発的に膨れ上がったそれは、地上から5mあたりの――木々の枝の周辺に留まり、農園の上空だけを埋めつくすように広がる。さながら、雲のように。
そして、ザアアアァァ――! 完全に上空を埋めたところで、雲から大量の水滴が農園めがけて降り注いだ。
(雨……)
今更疑うはずもない。これはメイリが能力で降らせている雨だ。
でも、どうなってるんだ? メイリの能力は確かに回復系だったはず。なのに、今使っている力は全くの別物だ。こんなのは、1人で複数の能力を持っているか、1つの能力に複数の力があるかしないと説明がつかない。
メイリの「一部」という言葉が正しければ、後者の可能性が高いだろう。だが、それが事実なら、メイリの能力は――
「さすが……ご主人の『魔法』は、いつ見てもキレイだな」
答え合わせをしてくれたのは、隣に立つマルクの感嘆の声だった。
俺が転移の場で最初に考えた『無限に能力を生み出せる』能力を想像したのだが……正解は違ったみたいだな。
「魔法?」
「お前は本当に何も知らないんだな。ご主人は唯一、魔法が使える異界人だ。しかも、ボクたちの知らない魔法まで知ってる天才なんだぞ」
まるで自分のことのように、ドヤ顔のマルクは自慢げに語る。
どうやら……さすがファンタジー世界だけあって、この世界にも存在しているみたいだな。『魔法』という名の力が。それもおそらくは、俺みたいな人間が想像するような、呪文を唱えて色々不可思議な現象を引き起こすタイプが。
つまり、メイリが見せたのは、能力ではなく魔法。俺のケガを治したのも、今こうして雨を降らせているのも、魔法によって引き起こした現象だったんだ。
だが、メイリは俺の「それが能力なのか」という問いに対しても頷いている。魔法が、能力でもあるのだ。
これらが意味するところは1つだろう。
(メイリの能力は『魔法を操る』能力――)
異界人でありながら、この世界の技術を振るう唯一の存在。それがメイリなのだ。賢者と呼ばれるのもさもありなんだな。
「すごいだろう? あの子の能力は。アタシらと違って、なんでもできちまうのさ」
いつの間にか俺の隣には、さっきまでメイリと話していた黒い肌の女性が立っていた。
「アンタがナユタだね? アタシはイリア。今朝はよくもアタシの勧誘を蹴ってくれたね」
「いや、それは俺も後から聞いた話で……!」
「ははっ、冗談さ。気にする必要はないよ。アタシとしても、あの子の近くに誰かいてくれることの方が嬉しいからね」
メイリに視線を移し、微笑む。看板の名前を見た時点で薄々察していたが、やはりこの人がカケルが紹介してくれようとしていた人物だったらしい。
女性――イリアさんが見つめる先で、メイリは再び左手を動かしていた。おそらく雨量の調節をしているのだろう。メイリが手を動かすたびに、降雨の量が極端に減ったり増えたりしている。
そこで会話が途切れてしまったので、俺は――我が子の舞台を見守るような優しい表情のイリアさんに、最初から抱いていた疑問を投げかけた。
「日本語……話せるんすね」
「昔やんちゃしてたころにかじってね。まさかこんなところで役に立つとは思わなかったから、儲けもんだよ」
特に、あの子とまともに話ができるのはアタシくらいだからねぇ……と、イリアさんは再び笑う。
「まっ、そういうわけだから、あの子にフラれたらいつでも来なよ。ウチも男手はほしいからね」
それだけ言うと、イリアさんはメイリの方へと歩いていった。
ちょうど全体に水をまき終えたらしく、左手を振って雨雲をかき消したメイリに、抱えていた大きな紙袋を手渡す。
「ありがとさん。いつも通り、お代はこれでいいかい?」
「ん、十分」
受け取ったメイリはその中から丸いパンを取り出して頬張った。やっぱり、あのパンもここで作ってたんだな。
「ああもうっ、ご主人ってば、勝手に食べないでって言ったのにー!」
それを見て、昼食を作るつもりでいたマルクが慌てて駆け寄っていく。そもそも言葉通じてないだろ。
(魔法……か……)
その間――俺は、メイリの能力についてもう一度考えていた。
魔法は、確かにメイリの能力だ。だが、この世界においてはある種の技術という位置付けでもあるらしい。それは、メイリ以外にも魔法が使える人物がこの世界にいるという証明であり――裏を返せば、条件次第で他の人、つまりは俺でも使える可能性があるということだ。
天性の才能が必要というなら、諦めるしかないが……もし勉強や修行で扱えるようになるのであれば、何としても扱えるようになりたい。そうすれば、またさっきのような――魔物に襲われるようなことがあっても、多少はマシな結果が得られるようになるだろう。
というか、それくらいしかこの世界で生き残る道がないともいえる。この歳で今更体を鍛えたりしたところで、魔物とかいう化け物に勝てるようになれるとは思えんからな。
何はともあれ、まずは情報だ。とにかく、魔法に関して知っていることをメイリから根掘り葉掘り聞き出してやろう。もしかしたら、その過程で魔法を扱う方法がわかったりするかもしれないし。
と、頷いた俺はメイリの方に向かって歩き出す。だが――
「メイリ。魔法のこにゅわっ!?」
メイリの前に立ったところで、突然足が地面に吸い込まれた。
――しまった。ここにはさっきまで雨が降ってたんだった。どうやら、そのせいで地面がぬかるんでいたらしい。
踏ん張ろうとするが、地面がこんな状態じゃそもそもどうしようもない。結局、そのまま俺はメイリを押し倒すように――びしゃーん! 真正面からぶっ倒れた。
なんとか地面に手をついてメイリにのしかかることは避けたが、2人とも見事に泥だらけ。さらに、踏み潰したトリト豆の果実から飛び出たと思われる白濁した液体までかかり、全身ベタベタだ。
しかも、互いの顔は今にも唇同士が触れ合ってしまいそうなほど近くにあって――
化粧なんてしていないのに、肌、キレー……とか、少し潤んだ瞳が妙に色っぽい……なんて、どうでもいい感想が浮かんでは消えていく。
……だが、幻想的なその時間も長くは続かなかった。
「不快」
という呟きとともに、細めたメイリの目が一瞬緑色に発光し――
次の瞬間、
「ぎゃああああああああああああっ!?」
突然メイリの手から放たれた――おそらくは魔法の――突風で、俺の体が宙を舞った。
5mほど。
<>
この後にもついででもう一か所、依頼を受けた場所に行く予定だったんだが……さすがに泥まみれ変な液体まみれの悲惨な姿で向かうわけにもいかない。
というわけで、俺たちは一旦家に帰って風呂に入ることにした。
隣で「ご主人に土をつけるとは何事かー!」とかガミガミ怒るマルクをやり過ごしながら、辿り着いた家の前で、まずはカピカピに乾いてしまった泥を払う。
それから、地下室に降りてバスルームの扉の前に立つが――
「まあ、メイリが先だよな。常識的に考えて」
レディファーストを抜きにしても、俺の巻き添えを食っただけのメイリを優先するのが正当だ。
お先にどうぞ、という感じで振った手の動きで、マルクにも俺の意図が伝わったらしい。
「当たり前だろうが。――ささっ、ご主人。体キレイにしましょう? ついでに髪も洗っちゃいますからね」
ふくれっ面から一転。ニコニコ顔でメイリの背中を押し、バスルームに入っていった。
すぐに水が流れる音も聞こえてくる。この様子だと、しばらくは時間がかかりそうだな。
なら、その間に俺は解読の予習でも――
「ってちょっと待てぇぇえええ――――ッ!!」
自然に入っていったから反応が遅れたが、マルクテメェ、何しれっとメイリに同伴してやがる!?
俺はちょっとパンチラ目撃しちゃっただけで踏まれたというのに、お前は裸見放題なんてうらやま――じゃなくて、年頃の男女で混浴なんて不健全なことお兄さんは許しませんことよ!?
もうこうなったら、メイリにキレられるのは承知の上だ。この命に代えてでもあいつだけは引きずり出す。これ以上、あいつにだけおいしい思いをさせてなるものか!
勢いそのままに、俺は浴室に猛進。湯気を振り払うような衝撃とともにドアを開け、ズドンッと中に一歩足を踏み入れた。
「マルクテメェ! 今すぐそこから出……て……」
そこに広がるのは白磁の桃源郷。
「えっ……?」
全身を石鹸の泡に彩られた一糸まとわぬ少女が、驚愕の表情を浮かべてこちらを振り返る。
だが、メイリじゃない。メイリの胸はこんなに女性的な膨らみを携えてはいない。
胸だけでなく、肩やお尻も――小さく華奢だが、メイリとは明らかに違う健康的に血の通った肌だ。
となれば、違うのは当然、その顔も。
視線を上げて見る顔は、見覚えのある、だが、見たことのない美少女。
水に濡れてしっとりとした髪は赤に眩く輝き、頭頂部では犬のような耳がぴょこんと跳ねて水滴を飛ばす。湯気のせいか、はたまた羞恥ゆえか、ほんのり上気した頬には、男には絶対真似できない色香があった。
この状況でなお別人を疑うほど、俺の脳は鈍感主人公しちゃいない。
つまり、そういうことなのだ。
「お前……女だったのか……」
考えてみれば、こいつは一度も自分を男だなんて言っていない。格好と、助けてくれた時の凛々しさ、話し方やメイリへの異常な懐き具合から、俺が勝手にそう思い込んでいただけだ。
さらに言えば、過剰なスキンシップにメイリが何も言わなかったのも、同性ならば当然のこととわかる。探せばヒントはそこら中にあったのだ。
ということは――いつかこうなるのも、出会った時から決まっていたのかもしれないな。
「きゃああああああああああああっ!」
女みたいな悲鳴を上げて――実際、女だったのだが――振り上げられたマルクの足と、その背に隠れていたらしいメイリの手から「不快」という呟きとともに放たれた突風が、音速を越えて俺に迫る。
「ぎゃああああああああああああっ!?」
直後、俺の体はドアをバタバタ叩きながら、床と平行に吹っ飛んだ。
5mほど。