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第5話 賢者の魔法(Ⅱ)

 村からメイリの家へは、歩いて15分もあれば着く。

 といっても俺に時計の持ち合わせはなく、その代わりにしていたスマホもとっくに充電が切れて家に置いてきてるので、完全に体感でしかないのだが。


(なんだ……?)


 しかしまあ近いことに変わりはなく、受け取った封筒をパタパタ揺らしたりしながら歩いていたのだが――村を出たあたりから、妙な違和感がついて回っている。ずっと、誰かに見られている感じだ。

 ここは森の中だし、野生動物が俺のことを眺めていても不思議じゃないだろう。だが、俺が感じているのはそういう好奇の視線ではなく、もっと暗くおぞましいものだ。

 それは俺が知る、嫌いな人間に向けられる目の冷たさすら優に超えている。例えるなら、そう――


(いや……気のせいだ)


 この世界に来てまだ1日。そんな目を向けられるようなことをした覚えはない。だから、何かの間違いだ――と、無視して歩みを進める。


 それでも気味の悪さは拭えず、だんだんと歩調が速くなっていって――行きよりもずっと短い時間で、家の前。大木の枝の下にあたる、開けた場所に着いた。

 そこで一瞬、俺の頭上に黒い影が重なる。その影は大きく、まず間違いなく野鳥の類ではない。まして、人でも。


「――ッ」


 鳥や人であったなら、どれだけ救いがあっただろう。

 その閃きに気付いた瞬間――俺は一切の躊躇(ちゅうちょ)なく、全身のバネを使って全力で後ろへと飛んだ。

 尻もちをつくもすぐさま起き上がって、さらに二歩三歩と後退する。

 ――そして、見る。

 ついさっきまで俺が立っていた場所には、一本一本が人間の指数本分くらいありそうな太く鋭いツメが突き刺さっていた。あの視線をもっと楽観視していたら、俺は今ごろとっくにあのツメでグチャグチャにされていただろう。


 視線を上げると――いる。そいつが。仕留めそこなった(エモノ)を睨む、捕食者が。

 目の前にいる、そいつは――体長2mは優に超えるであろう、漆黒の体毛に包まれた巨大なオオカミだった。

 その外見は、ハッキリ言って異常だ。大きさやツメはいうまでもなく、露出したキバまで、生き物としてはありえないほどに長く、鋭く尖っている。尾も長く太く、軽く振るわれるだけで人1人くらい簡単に吹き飛ばせてしまうだろう。


 オオカミの姿をしているが、これは(まぎ)れもない化け物だ。そしてその正体は、考えるまでもなくわかる。


(これが、魔物……ッ)


 魔王のいないこの世界で、唯一人類の脅威となっている最悪の敵。それが今、俺の目の前にいる。


 油断してた。迂闊だった。超常的な力の使い手たちが近くにいるからって、警戒を(おこた)りすぎていた。

 特異な能力はあれど、俺自身の戦闘能力は皆無なんだ。そんなのが1人でいることが、この世界でどういう意味を持つかなんて、少し考えればわかったはずなのに……ッ。

 だが、所詮は過ぎたこと。反省はこの場を乗り切ってからだ。


(クソッ、どうする!? どうすればいい!?)


 立ち向かう力のない俺にできるのは、唯一、逃げることだけだ。

 しかし――逃げるにしても、どうやって逃げる? どこに逃げる?

 村に引き返すか? ……ダメだ。四足歩行の動物の脚力に、ロクに運動もしてない人間が足で敵うはずがない。まして相手は魔物。化け物だ。すぐに追いつかれて()われるのがオチだろう。


 だったら、木にでも登るか? ……いや、それもやめた方がよさそうだ。このオオカミが奇襲してきたのは、おそらく上から。なら、木登りもできると見るべきだろう。

 ……ダメだ。後ろに退路はない。こうなったらもう、イチかバチか。


(正面から――突っ込むッ!)


 今立っている場所から家のドアまでは10mくらいしか離れていない。なんとかして中に飛び込み、壁際の棚を倒して内側からドアを(ふさ)げば、いかに魔物といえどもそう簡単に追ってはこられないはずだ。

 仮に組み付かれたとしても、ドアさえ開けられれば俺の勝ち。

 戻るときに開けるのが面倒で、地下につながる階段の戸は開けっぱなしにしてきたんだ。思いっきり叫べば、下にいるメイリにも声が届くはずだ。

 メイリなら――賢者とまで呼ばれる能力者なら、こんな犬畜生程度蹴散らしてくれる。

 そう信じて、俺は――賭けに出た。


「――うぉおおおおぉぉぉぉッ!!」


 封筒をズボンの尻ポケットにねじ込み――雄たけび1つ。オオカミが飛びかかろうと半歩脚を下げた瞬間を見逃さず、俺は全速力で駆け出した。


 まさかエモノが正面から向かってくるなどとは思わなかったのだろう。オオカミは脚に力を入れるが――ほんのわずか、出遅れる。

 その一瞬の隙が、俺の勝機だ。


 すれ違いざま、とっさに前脚を振り上げたオオカミによって腕が切り裂かれるが、その程度の負傷は命に比べれば安いもの。痛みの感覚を頭の隅に追いやって、俺はさらに速度を上げた。

 遅れて、ザッ――とオオカミが地を蹴る音が聞こえるも、すでに俺とドアの距離は3mを切っている。

 ドアは内開き。カギはかかっていない。ノブを回すまでもなく、体当たりで中に飛び込めば――


(俺の――勝ちだッ!)


 一際強く地面を蹴り、手を伸ばす。

 その、瞬間だった。


「――ガッ……!?」


 脇腹に、強烈な衝撃。ドアを目の前にして、俺はトラックにでも追突されたかのように横方向へと大きく突き飛ばされる。

 受け身など取れるはずもなく、ゴロゴロと転がって仰向けに倒れた、俺の上に――ズンッ!


「あっ、ぐッ……!?」


 ツメを突き立てながら、オオカミがその巨体で覆い被さった。

 ――追いつかれたのか? いや、違う。

 突き飛ばされた瞬間、見えた。こいつは――今俺の上にいるオオカミは――森の奥から現れた、新手だ。


 さらに、上を向いた俺は――気付く。

 大木の枝にもう2匹。同じような見た目のオオカミが陣取って、組み伏せられた俺を観察するように見下ろしている。追い込んだエモノを決して逃がさない、捕食の陣形だ。


 ――総勢4匹の、オオカミの群れ。

 テレビか何かで見たのを今更思い出した。そういえばオオカミは、群れでエモノを追い詰める動物だったな。

 つまり、はじめから――こいつらの標的になった瞬間から、俺に助かる道はなかったということだ。


「グルルルルッ……」


 青ざめる俺のすぐ目の前で、オオカミが鋭いキバをギラつかせながら(うな)る。

 感情の色がない(にご)った目で見つめるのは、あらゆる生物に等しく存在する急所――首筋だ。


(――終わった)


 キバが迫る絶望の光景を見たくなくて、俺は静かに目を閉じた。

 思えば、元の世界で車に()かれた時もそうだったが――死ってのは、あっけないもんだな。天使に与えられた奇跡の生でさえ、こうして奪われるのは一瞬だ。

 俺がこの世界に転移したことに……こいつらのエサになることに……意味がなかったとは思いたくないが……


(それならせめて、欠片1つ残さず平らげてくれよ? 食い散らかされた俺の死体なんて、メイリには見せたくな――)


 ――ザシュッ!

 俺の最後の思考すらかき消すように、鋭利な得物が肉に突き刺さる生々しい音が聞こえた。

 痛みは――感じない。即死らしい。これは……俺に訪れた、最後の幸運かもしれないな。

 こうして、俺の新たな人生は――

 何を生み出したわけでもなく、何を成し遂げたわけでもなく、ただ、自然のなすがままに――あっさりと、幕を閉じた。

 ――――――――

 ――――

 ――かに、思えた。


「…………?」


 痛い。

 だが、首じゃない。脇腹が。腕が。ツメを突き立てられた腹部が。

 それだけでなく、すぅ――軽く息を吸うと、空気が肺に吹き込むのが感じられる。

 感覚がある。息も吸える。ということは、俺はまだ――


(死んで……ない……?)


 不思議に思った俺は、恐る恐る両目を開ける。

 目の前には、まさに今俺にかぶりつこうとしているオオカミのキバがあった。しかしそのキバが、それ以上俺に近付いてくることはなかった。

 それどころかオオカミの方が、体を痙攣(けいれん)させ、虚空を見つめている。今にも死にそうな様子で。


 その理由は、枝葉の間から差し込む日差しを反射して主張する()()が雄弁に物語っていた。

 剣だ。盗賊が使うサーベルのような――その割には、華美な装飾が施された――太い片刃の剣がオオカミの背に突き刺さり、血らしき黒い泥のような液体を噴出させている。


 剣の(かたわ)らには、その持ち主と思われる人影も見えた。逆光のせいで顔まではよく見えないが、少なくともカケルや村の連中じゃない。もっと小柄で、年若い感じの少年だ。


「ギャゥンッ」


 泥の噴出が収まりかけたところで、少年は剣を引き抜き、返す刀でオオカミの首を斬り落とす。その切断面からさらに滝のように泥が噴き出し、ようやくオオカミは絶命して――その身を俺の隣に横たえた。


「グルルルルッ……」

「ヴォフッ……シュゥゥ……」

「ガウッ……!」


 オオカミが倒れる寸前、華麗に弧を描いてその背から飛び退いていた少年を、取り囲むように――残る3匹のオオカミが、唸りを上げて集結する。

『狩り』から『闘争』へと切り替わり、見ただけでも震え上がってしまいそうな臨戦態勢をとるオオカミたちを前に、少年は――


「ふんっ……うるさい子犬だな」


 軽く剣を振って泥を払うと、中性的なアルトボイスでそう呟き――駆けた。

 その脚は――


(は……(はえ)え……ッ!)


 目にもとまらぬ速さとはこういうののことをいうのだろう。風を生むほどの速度で駆け抜けた少年は、オオカミが動き出すよりも早くその目前に辿り着き――まず、1匹。頭と胴を両断する。


「グルァ――ッ!」


 その背に2匹目のオオカミがキバを()いて迫るが、少年は一切無駄のない動きで振り返ると、燕返しの要領でさらに一閃。オオカミのキバと斬り結ぶ。


 だが――それこそが、オオカミたちの作戦だったらしい。

 剣に噛みつかれ、身動きが取れない少年の背後――泥を噴き出す1匹目の死体の影から、3匹目のオオカミが少年めがけて飛びかかった。


 しかし、少年も負けてはいない。

 少年は迫るキバを後目(しりめ)にチラと見やると、まずは――ガスンッッッ!

 回し蹴りにも似た動きで膝を2匹目の側頭部にぶつけ、噛みつく力を弱めさせた。

 そこから強引に剣を引き抜いた少年は、くるりと体を半回転させ――横一文字。3匹目が突っ込んでくる勢いを利用してその四肢を切断し、すれ違いざま、下段からの一太刀で胴を真っ二つにする。

 最後に残った2匹目がもはや破れかぶれに突進してくるが、少年はそちらを見ることもなく――ザシュッ。器用に片手で剣を逆手に持ち替え、後ろ向きのまま一突き。見事額の中心に突き刺し、絶命させた。


 沈黙。命を喰らいに来たはずの獣たちは、反対に自らの命を刈り取られ――その身を灰へと変えて消え去っていた。


 気付けば、俺の隣に倒れていたはずのオオカミも灰の塊と化していた。俺や少年の体に付いた黒い泥も、同様に灰となって風に巻き上げられる。どうやら魔物には、命が尽きた後に消滅する性質があるらしい。

 でもまあ、そもそも外見からして異形な魔物だ。今更それくらいで驚いたりしない。むしろ爆発したりしなかっただけ救いだろう。


 それよりも今、俺の意識は助けてくれた少年の方に向いていた。


「服が汚れたな……」


 呟きながら剣を腰の鞘に納めるそいつは――くりっとしたサファイアの瞳が印象強い、快活そうな美少年だ。


 短く切り揃えた、灼熱のように(あか)い髪。小顔で肩は華奢だが、鍛えているのが一目でわかる均整の取れた肢体と立ち姿勢。着ているのも、名のある職人が仕立てたような繊細な作りの礼服で、武芸をたしなむ上流階級の貴族といった様相だ。


 それだけだったら、何も思うところはなかっただろう。助けてくれたことに深く頭を下げて、それで終わりでよかっただろう。

 だが、その少年の容姿には、魔物ほどではないにしろ――どうしても意識を向けずにはいられない、異様な箇所があった。


 ――耳。と、尻尾。


 側頭部に人間の耳はなく、代わりに頭の上に、さっきのオオカミと同じような三角形のイヌ耳がついている。ズボンのお尻のところには穴が開いており、そこからは丸くてモフッとした小さな尻尾が顔を出していた。

 さっきからぴょこぴょこ動いてたりするのを見るに、装飾というわけではなさそうだ。ということは、こいつは――


(獣人……ってやつか)


 エルフがいたんだし、そりゃあこういう存在がいるのもおかしいことじゃないんだろうが……実際に目にしてみると、意外と面食らうもんだな。人の体に、人以外の部分がくっついてるってのは。


「おい、お前。せっかく助けてやったのに、礼の1つもなしか?」


 呆然としていると、少年がジト目でそんなことを言ってくる。

 その言語は当然異世界語だ。聞き覚えのある発音はエルフ少女が話していたのと同じだが、俺はその言語における礼を意味する言葉を知らないし、そのことを伝える手段もない。困った。


「ああ、異界人か……」


 まごついている俺を見て、察したらしい。ため息をつきながら呟いた少年は、俺の礼などもうどうでもいいというように背を向けて……大木の脇に置いてあった袋から、筒状に巻かれた布きれを放り投げてくる。日本のものより厚手でごわごわしているが、包帯だな、これ。


「ケガの面倒までは見ないぞ。それで手当てをしたら、どこへなりとも勝手に消えろ」


 そう言うと、少年は袋を抱え上げ、自宅に帰るような気軽さで家のドアを開けて入っていった。


(客だったのか……)


 改めて考えてみると、こんなところを人が通りかかるなんておかしいと気付くが……なるほど、賢者に用があったらしい。


 でも、妙だな。メイリは生粋の日本人で、異世界語を話すことはできない。異世界人の客が来ても、依頼の交渉なんかできないはずだ。

 もしかすると、先代賢者の関係者で、代替わりしたことを知らない……とかかもしれない。そうだったら、下ではちょっと面倒なことになっていそうだ。

 どちらにしろここは俺の家でもあるんだし、戻るついでに様子を見た方がよさそうだな。俺がいたところで何が変わるってわけでもないが、少年の言い分を聞いて、メイリに伝えるくらいのことはできるだろう。


 立ち上がった俺は、ケガがひどい腕と腹部にだけ急いで包帯を巻いて、下の状況が変わらないうちにと家の中に駆け込んだ。

 そして、滑り落ちるように階段を駆け下りた先にあったのは――


「ごっ――――しゅじぃ~んっ!」


 さっきの勇敢な姿はどこへやら。イヌ耳の少年が、完全に砕けきった顔で(とろ)けきった声を上げながら、座ったメイリの腰に抱きついて頬を()りつけている、という……ある種異様な光景だった。


(……なんだこれ)


 予想外すぎて反応に困るな。とりあえず害意はなさそうだから、放っておいてもいいんだろうが……


「はふぅ……ご主人、本日もいつもとお変わりなく美しいお姿で……お仕えできるボクは光栄の至りであります……クンカクンカ」


 なんだろう、この……胸の内から湧き上がってくるような不快感は。

 別に、メイリの腹や腰に手を回してたり、髪に顔を埋めてヒクヒク鼻を動かしてることにとやかく言いたいわけじゃない。はず、なんだが……なんとなく、腹が立つな。

 メイリが少年の行動に何も言わないのもシャクに(さわ)る。お前、俺にはちょっと胸見ただけで本ぶん投げてきたくせに。


「――あっ。ご主人ってば、また髪のお手入れサボったでしょう? 食器も洗ってないですし。もしかして、洗濯物も放りっぱなしじゃないですか?」


 イラつく俺がどうやって2人の間を妨害してやろうか考えていると――不意に少年が顔を上げて、とてててっ。キッチンへ駆け込んでいき、一瞬でシンクに積まれていた食器を洗って戻ってくる。

 すると今度は、サッ! バスルームに飛び込むと、大量の衣類が入った洗濯カゴを抱えて出てきた。


「それじゃあボクは洗濯に行ってきますから、勝手にどこか行ったりしないでくださいね? お昼ご飯もボクが作るので、倉庫のものには手をつけないこと!」


 鋭く言うと、少年は俺のことなど気にも留めず、横をすり抜けて階段を上っていった。せわしないやつだな。

 その時、メイリがチラッと階段の方を見て――それでようやく俺が帰ってきていることに気付いたのだろう。


「――おかえり」


 と、小さく言った。


「あ、ああ。ただいま」


 状況が意外すぎてあっけにとられていたのと――まさかメイリからそんなことを言われるとは思っていなかったので、少し返事が詰まる。


「……なんなんだ? あいつ」


 客には違いないんだろうが、賢者の力を目当てにやってきたわけではなさそうだよな。やってることも、どちらかというと依頼する側よりされる側。従者とか、下僕とかに近い感じだ。

 そのことをメイリに尋ねると、


「ペット」


 返ってきたのはそんな、単純明快かつ意味不明な一言だった。


「ペット?」

「この間、倒れてるのを助けたら来るようになった」

「……なるほど」


 つまり、ツルでも猫でもなく犬の恩返しってことか。少年のあの異常な(なつ)きっぷりにも納得だ。

 まあ、お互いの認識にはかなり齟齬(そご)があるみたいだけどな。言葉が通じないんだから仕方ないのかもしれないが、向こうは恩人にペットだと思われているなんて想像すらしていないだろう。


 でも、不憫(ふびん)だとは言ってやらないからな。むしろ、そう思われる程度で美少女(メイリ)にあんなにベタベタ触れられるなら安い犠牲だ。

 ……べ、別に(うらや)ましいとか思ってるわけじゃないんだからねっ。


「っと、そういえば……」


 怒涛(どとう)の展開が続いたせいで忘れかけていたが、役場からの預かり物があるんだった。

 手を後ろに向けて、ポケットから封筒を取り出す。魔物に襲われたせいで土で汚れてたりあちこち傷がついてるが、多分中身は読めるだろう。

 だが、それを手渡そうとする前に、


「……けがしてる?」


 本を置いたメイリが首を傾げた。

 なんでわかったのか……は、聞くまでもないよな。腕に包帯巻いてるし。ついでに服の(すそ)からも、さっき巻いた包帯の端が()がれて垂れ下がってきてる。よく見るとシャツにもじわりと血がにじんでいた。


「ああ……外でちょっとな。でも、大したことないから気にすん――」

「脱いで」

「えっ」


 そんないきなり大胆な。

 ……いや、わかってるって。傷の状態を診てくれようとしてるんだよな。

 言葉にした通り大したケガではないのだが、メイリにそのテの知識があるなら、せっかくだ。断る理由もないし任せてみよう。


 ちょっとだけ気恥ずかしく感じながらも、俺は言われた通りシャツの前面をまくって傷を露出する。

 すると、すぐにメイリが近寄ってきて目の前に屈み込み、その小さな手で包帯の上から俺の腹部に触れた。


 もちろん、他意がないことはわかってるんだが……マズいんじゃないかな。その顔の位置は、色々と。とりあえず、これ以上下の方にだけはお互いに意識が向かないよう気を付けよう。


「……どうだ?」

「ん――このくらいなら、すぐに治せる」

「そ、そうか。じゃあもう――」

「動かないで」


 テンパる俺を制し、メイリが俺に触れているのとは反対の――左手を、ふわっと持ち上げる。

 そして、虚空に絵を描くように――もしくは、指揮者が指揮棒を振るうように――その手をゆらゆらと動かし始めた。


術式鍵語(エフェクトコード)――<ヒーリング>」


 風を切るように鋭く指を振り、小さく唱える。

 すると――カッ!

 メイリの右手から、目が眩むほどの強烈な光が放たれた。

 反射的に目を閉じるが、それも一瞬。次に目を開けた時には――


(痛みが……ない?)


 傷から発せられていた、鈍い痛みがなくなっている。

 気になって、経過を観察するように見つめるメイリの前で、包帯を取ると――やっぱり、ないぞ。腹部の刺し傷も、脇腹の打撲痕も。


「傷が……消えてる……!?」

「消したんじゃない。自然治癒の速度を速めただけ」

「治癒を……速め……?」


 当然だが、現代日本にそのような医療技術はありはしない。ましてやメイリは俺の体に触れただけだ。それも包帯越しで、傷は直接見てすらいない。

 現実的に考えれば、絶対に起こり得ない超常現象を――メイリの手は引き起こしたのだ。

 つまりは――


「それが……お前の能力なのか?」


 ということ以外、考えられないだろう。ケガを見た時も『治る』じゃなくて『治せる』って言ったしな。


「正確には、その一部」


 問われたメイリは頷くが、含みのある言葉を付け足す。


「一部? それってどういう――」


 意味だ――と続きかけた言葉はしかし、


「ごしゅじーん! 洗濯物は外に干し、て……」


 少年の空気を読まない帰還によって(さえぎ)られた。


「ご、ごしゅじ、な、なななな何を……って、お前!」


 2人の体勢を見て妙な勘違いをしたらしい少年は、真っ赤になって目をぐるぐる回しながらも――そこでようやく、一緒にいるのが俺であることに気付いたらしい。


「まだいたのか! ここはボクとご主人の愛の巣だぞ。さっさと出ていけ!」


 今度は怒りで顔を赤くして、シッシッ――と、犬猫を追い払うような仕草で手を振った。

 その不躾(ぶしつけ)な態度に、俺は再び――イラッ。沸々(ふつふつ)()き上がってくるような不快感を覚える。たかがペットに動物のような扱いをされるのもシャクだ。

 そこで俺は、


「……うるさい子犬だな。ここは、俺と! メイリの! 愛の巣だッ」


 ハッキリと、言ってやった。それも、少年に伝わるよう、()()()()で。

 もちろん、突然異世界語が話せるようになったとかじゃない。これはただの『オウム返し』だ。


 俺の能力は、見聞きした他言語を日本語で認識できる――というのが、今のところの見解だ。で、この『日本語で認識できる』という部分。能力として意識し始めたことで気付いたのだが、俺の感覚では『外国語の映画を日本語字幕付きで見ている』ような状態。つまり、耳や目に入る言葉はそのままで、意味だけを日本語で理解できるのだ。


 そのため、応用すればこんな風に――伝えたい日本語と重なる部分だけを抜き出して、オウム返しすることができる。といっても所詮は耳コピだから、発音がメチャクチャだったり、記憶力の関係で直近の言葉しか返せなかったりと欠点ばかりだけどな。


「んな――っ!?」


 それでも、少年には効果てき面だ。

 まさか異界人の俺が、この世界の言葉を理解して、あまつさえ返してくるなんて思わなかったのだろう。ポカンと口を開けて、目を白黒させている。

 しかしすぐに立ち直り、


「お、お前……それはこのボクへの……獣人(ビスティア)連邦筆頭領主一が席、スタッツフォード家次期党首ヴィスマルク・スタッツフォードへの挑戦と受け取るぞ! いいんだな!?」


 と、今にも剣を抜きそうな剣幕で言い放った。

 ぶっちゃけぼんやりとしか聞いてなかったが……さすが名乗り口上(だと思う)だけあって、いくつか重要そうな単語があったな。


 まず、この世界における獣人は『ビスティア』という名で呼ばれているらしい。その中でも、こいつはかなり高い地位にいるようだ。


 あとは連合という国名から、いくつか派閥か、それに準ずる区分けがあることがわかる。獣人だし、ベースとなる動物の種類が違う可能性が高そうだ。


 それと、こいつの名前はヴィスマルクというらしい。ちょっと長いし発音が面倒だから、縮めてマルクと呼ぶことにしよう。


 ――と、考えてばかりもいられないか。当のマルクは、俺の挑発に大層ご立腹みたいだし。多分、主を横取りしたことに加えて、名誉とかプライドとかその辺も刺激しちゃったんだろうな。


 しかし、さすがに正面から決闘なんか受けたら命がいくつあっても足りない。ので、俺は――これを華麗にスルー。

 真面目に取り合う気がないというのもあるが、そもそも俺の記憶に、これに返答できるような異世界語の言葉はないんでな。どちらにしろ、この話はここで打ち切るしかないんだ。


「無視すんな――――ッ!!」


 すると後ろでマルクが抜いた剣をブンブン振って怒るが、これも無視だ。なんか、早くもこいつの扱い方がわかってきた気がするな。


「メイリ」


 立ち上がって読書に戻ろうとするメイリを呼び止め、封筒を手渡す。

 その封は依頼の際に使われるものなのだろう。察したらしいメイリは言う。


「……誰から?」

「村からだ。緊急――だとさ」

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