第1話 消えた尽雷(Ⅰ)
春の気のように陽気な風がそっと森の草木を凪ぐ、穏やかなある日の昼下がり。
緑の絨毯が敷き詰められた、家の前の草原で。
「ぐっへぇ……!」
細い木刀を持ったまま、俺は盛大に吹っ飛んで地面を転がっていた。
下が柔らかい土だからまだいいけど、これだけ派手に叩きつけられるとさすがに痛いな。まあ、それでなくとも、全身打撲痕だらけになるくらい痛めつけられているんだが。
そんな俺を、同じような木刀で肩をポンポン叩きながら見下ろすのはマルク。
「これでボクの334勝0敗だ。ふふん、一本取るにはまだまだかかりそうだな」
「いや……お前から一本とか死んでも無理だから……」
合法的に俺をボコれるからって、調子に乗ってやがるな。マルクのやつめ。
勝ち誇った笑みを浮かべるマルクに、俺は木刀を杖代わりにして、ヨロヨロと立ち上がりながら大きく息を吐いた。
――俺たちが何をしているかというと。
まあ見ての通り、剣の稽古だ。といっても別に剣術を学んでいるわけじゃなく、体力づくりの一環で手合わせをお願いしてるだけなんだが。
そもそもマルクの太刀筋って、剣術っていうほど綺麗じゃないからな。もっと獰猛で『獲物相手に容赦などせん!』的な戦い方だから、格式ばった武術を習う相手にはあんまりふさわしくない。そういうのは多分、シリウスにでも師事した方がいくらかマシだろう。
じゃあなんでマルクなのかといえば、単純にこいつが一番体力有り余ってるからだ。実力差がありすぎて全力の攻撃ですら絶対に入らないから、中途半端に遠慮する必要もないしな。
あとついでに家事の後いつも暇そうにしてるからってのもある。
とにもかくにも、格上の相手を想定したトレーニングをするにはうってつけの相手だったというわけで――イヤイヤながらも頭を下げて、少し前から特訓を手伝ってもらっているのである。
――ことの起こりはシリウスとの決闘。
あの時、俺が最後に放った一撃は、姿勢の制御やタイミングの確認をもっとしっかり行っていれば決まっていたと、後にシリウスから聞かされた。ようは、俺の力量不足だけが原因だったということだ。
そして力量不足は、俺自身常日頃から悩んでいたことでもあった。
仮にも賢者様の助手として、メイリにくっついてなきゃ満足に外出もできないような体たらくを、いつまでも続けてるわけにはいかないからな。
シリウスが宣伝してくれてるおかげか、最近じゃあぽつぽつと依頼も増え始めていて、魔物退治をはじめとした荒事の現場に立つことも多くなってきたことだし。
だからせめて、近辺の魔物の群れと渡り合えるくらい。魂を賭して習得した<アクセル>をちゃんと使いこなせるようになるくらいまでは、できるようになっておきたい――と、そう思って、こうして訓練を始めたわけだ。
ただまあ、一概に強くなりたいといっても、具体的に何をすればいいかなんてのはとんと思いつかず――とりあえず体を鍛えよう、だなんて安易に考えて、今に至るのだが。
「ほら、構えろ。次はボクも少し手加減してやる。なんならついでに、1つ賭けでもしてみるか?」
ここまでずっと手加減しっぱなしだろお前……という悪態はさておき。
「賭け?」
「そうだな……よし、こうしよう。今からボクに一本でも入れられたら、なんでも1つ言うことを聞いてやる。その代わり、入らなかったらお前は今日夕食抜きだ」
「……へえ」
自信満々に言うマルクに、俺は口の端をつり上げた。
別に、今でもメイリに性的な依頼をしにくるド変態どもみたいに「なんでも」ってフレーズに反応したわけじゃないぞ。断じて。
ただ単に、ムカついた。
そこまで言われたからには、男として引き下がれない。一発痛い目を見せてやらなきゃ気が済まないと思った次第だ。
「言ったな? 後悔すんなよ」
「ばーか。させてみろ」
からかうみたいに、マルクはにひっと歯を見せて笑う。
それが普段見せない歳相応の笑顔っぽかったんで、不覚にもドキッとさせられたが――いやいや。だからって手は抜かないぞ。
よし、決めた。一本取ったら、そのフリフリしてるふわふわしっぽを思う存分モフってやる。恥ずかしさとかくすぐったさとかで俺にまた新しい表情を見せやがれ。
さて、そうとなれば――せっかくだしここは、本気で勝ちにいく札を切るべきだよな。
研究と特訓の成果、実践してみるとするか。
使ってやるぜ。今の俺の全力――進化した<アクセル>をな。
「避けたりすんじゃねえぞ。いくぜ」
「かかってこい。軽くひねってやる」
楽な姿勢で待つマルクとは対照的に、俺はしっかりと両手で木刀を肩のあたりに構えて、腰を落とす。
そして軽い助走から入り、少しずつ距離を縮めつつ――途中、一気に速度を上げてダッシュした。
愚直なまでに直線的な突進をする俺に呆れたのか、マルクは鼻で笑ってまだ余裕の表情をしている。
いいぞ。これなら思った通りに不意打ちできそうだ。
ダッシュの速度を調整しながら、タイミングを見計らって――
さらにここでもう一手。真打の発動だ。
「<アクセル>ッ!」
マルクの手前数mのところで大きく踏み込み、唱えた俺は――
――バンッ!
突然かかとのあたりで起こった小さな爆発により、マッハに突入した戦闘機よろしく空気を揺らして急加速。吹っ飛ぶというよりは滑るように、地面の上を飛ぶ弾丸となってマルクに突撃した。
これにはマルクも「おっ」と少しだけ驚いたように口を開いて、ようやく木刀を肩から下ろす。どうやら、少しくらいは意表を突けたみたいだな。
――見たか、マルク。
これが俺の新技。名付けて『アクセル・ブースト』だ。いやまあ、別に術式鍵語が進化したとかじゃなく、ただの<アクセル>の応用でしかないんだが。
原理は単純。手のひらの先から発動する<アクセル>を、足の先からも放てるようにしたというだけの話だ。
魂に魔法を定着させて、体を1つの魔法陣にする技能・軌跡定着。
最大の利点は毎回魔法陣を描かなくても魔法が発動できるようになることだが、メリットは他にもある。
その1つがこの『起点を自由に選べる』こと。発動した魔法が出現する座標の選択を魔法陣が担っていることから、自分の体が魔法陣になる軌跡定着では、逆説的に体ならどこでも発射ポイントにできるわけだ。
最も、自分の体だからって無条件にどこでも選べるわけじゃなく、自在に扱うには知識と熟練度、そして何より直感的なセンスが必要になるのだが――
メイリとシリウス。2人の間を行ったり来たりして、メイリからは基礎と感覚的な部分を、シリウスからは理論的な知識を、それぞれ学ぶことによってどうにか形になった。
基本となる両手足からの発動だけなら、もういちいち頭の中で演算しなくても直感でできるくらいだ。
師匠が2人ってのは、素人にとっちゃ涙が出るほど喜ばしいことだね。涙が出るほど怖いやつらが2人に増えたわけでもあるけどさ。
「おぉぉぉ――――」
大きく木刀を振りかぶりながら、間合いに飛び込む。
刀身を下に下げたマルクへと向かって、俺は――滑空の威力も上乗せした、渾身の袈裟斬りをお見舞いした。
木刀の先端がヒュンッ! と風を切る音を立て、マルクの肩を叩き潰さんと迫る。
マルクは下段に構えたまま、ギュッと少しだけ腕に力を込めた。
しかし――その時。
「ヴィスマルク様ぁぁっ!」
「え?」
突然聞こえてきた呼び声の方に振り向いたかと思うと、マルクは――くるっ。力を抜き、体を翻して横を向いた。
その姿は俺の進行方向より少し隣にずれ――
「――らあぁぁぁってちょおおおおおおおっ!?」
必然、正面に振り抜いた俺の木刀は空を切ってスカる。
さらにその勢いのせいで、俺の体はくるくるくる――
ギャグ漫画のような連続の縦回転をして、マルクの背中の後ろをすり抜けた。
攻撃が決まるか受け止められるかしか考えてなかったせいで、俺はまともに制動もかけられずにそのまま進んで――
びたーんっ! しばらく先の木に顔面からぶつかり、崩れ落ちた。
痛ぇ……! 鼻が折れ、折れる……!
ていうか、なんだ今の。誰かがマルクを呼んだ気がしたけど……
血が出てる鼻に手をやりながら立ち上がると――
そこには、マルクよりは一段階劣るような、けれど仕立てのいい礼服を着た男がいた。
……いや、男……で、いいのか? さっき聞こえた声が低かったから、多分間違ってはいないと思うが……
と、俺が疑問を抱いたのには理由がある。
その男が、人間の姿をしていなかったからだ。
もっと厳密にいえば、半分人間じゃない。人間のように二足歩行だが、顔かたちや手足が人間とは大きく異なっている。
服から覗く、全体が厚い灰色の毛で覆われた手。爪は長く大きく、振り抜けばなんでも切り裂けそうなほどに鋭く尖っている。靴を履いていない足も似たような様子で、強く大きく地面を踏みしめていた。
服に隠された腕や脚も人とは比べものにならず、少し力めば引き裂いてしまうのではないかと勘ぐってしまうほどに、みっちりと布を押し出す筋肉が主張している。ロブがスーツを着たとしてもこうはならないだろう。おしりの部分には細く、硬質な印象のしっぽがにょろんと突き出していた。
ここまででも異質さは折り紙つきといえる。
だが、何よりも人からかけ離れているのは、その顔。頭部だ。
普通にしていても他者を威圧しかねない、鋭い両目。
獰猛そうな鼻と口。そこに並ぶ、噛みつけばどんなにひどい裂傷が出来上がるか想像もつかない凶暴な牙。
そしてその全体を覆う、これまたちくちくとした厚い上質の毛皮。
――獣。
男の姿は完全無欠に、二足歩行で服を着た獣だった。
似たような外見には覚えがある。
というか今も目の前にいる。マルクだ。
獣の姿を持った人間。
つまりはこの人もマルクと同じ、獣人ということで間違いないだろう。
しかしマルクは、人の身体に獣の耳としっぽがあるという感じで――どちらかといえばベースは人間に近い。手足も、ちょっと爪が鋭いくらいで他は俺らとまったく変わらないしな。
対してこの男は、見るからに獣の要素が強い。服を着てアッシュ語を喋っていなければ、魔物と勘違いして殴りかかってしまっていたかもしれないほどだ。
同じ種族とはどうしても結びつかない、奇妙なまでの造形の違い。
この違いは一体……なんなんだろうな?
俺一人では解答が出せない。後でマルクに聞いてみようか。
一方、俺が遠巻きに眺める先で、向かい合うビスティアの2人は――
小声で、何か……重要そうな話をしている最中のようだ。
男はオオカミに似た動物の顔なので表情こそ読みづらいが、大げさな身振り手振りから、なんとなく焦っているように見受けられる。
話を聞くマルクも、さっきのやんちゃな笑顔から一転――戦いの時のような、凛々しく真面目な表情で耳を傾けている。
その周辺だけ重く、迂闊に入り込むわけにはいかない空気だ。
邪魔しちゃ悪いかと思ってしばらくそのまま眺めていると――
しばらくして、マルクが重苦しく頷く。合わせて男は、ぱあっと輝いたようなわかりやすい表情を浮かべて――マルクに背を向け、森の奥へと引き返し消えていった。
残ったマルクは神妙な面持ちをしながら、俺の方にやってきて言う。
「……すまない。急用で、連邦に帰ることになった。しばらく戻れない――と、ご主人にも伝えておいてくれ」
「え? あ、ああ……」
あまりに急な話すぎて、俺はまともな返事をすることもできず曖昧に頷いた。
それを目だけで確認すると、マルクはさっさと踵を返して、男が消えた方向に駆け足で向かい――そのまま木々に紛れてしまう。
立ち去った背中が残していったのは、地面に刺さった木刀と奇妙なまでの静寂だけ。
まるで最初から、マルクなんてそこに存在していなかったとでも言われているような……気味の悪い静けさだ。
とはいえ、こういうことも初めてじゃない。
(まあ……いつものやつだろ)
家への顔見せと近況報告のため、マルクはたびたび連邦へと帰省している。ちょっと切羽詰まっていたようだったが、今回も多分似たような事情からの呼び出しだろうという予想はすぐについた。
だから、そんなに焦らなくていいはず。と、努めて楽観的に考えて……
俺はとりあえず、放置された木刀を拾って家へと戻った。
けれどすぐに、そんなのは楽観が過ぎたと後悔することになる。
もっとちゃんと事情を尋ねておけばよかったと思い悩む羽目になる。
なぜなら――
その日を境に――マルクが帰ってくることは、なかったからだ。




