[付録]異世界で過ごすナユタの日常 その1
異世界にやってきた、その日の夜。
物申したいことは山ほどあったが、ひとまず後回しにして……俺は、賢者メイリと親睦を深めることを試みた。
曲がりなりにも一緒に暮らすことになった以上、メイリのことをもっとよく知らねばならない。好き嫌いとか、趣味とか……いろいろ情報を握っておかないと、もしも追い出されそうになった時に懐柔もできんからな。
というわけで早速、その辺のことについてメイリに尋ねようとしたのだが――
「話し疲れた。また明日」
と、バッサリ切り捨てられた。
それからは再び読書――本人曰く、解読作業――に戻り、俺が何を言っても返事どころか相槌すら打たなくなってしまった。
一度こうなると区切りがつくまで止まらない性分らしく、待っていても一向に対話に応じる姿勢を見せない。ので、諦めて俺もコミュニケーションを放棄し、どっかりとソファに腰を下ろす。
そうして、しばらくはぼーっと天井を仰ぎ見ていたのだが……そんな中、とある重大な問題に気付いた。
(暇だ……)
賢者の家といえど、生活水準は地球の平均には遠く及ばない。テレビもパソコンも、ましてやゲーム機なんてあるはずがないのだ。
一ヒキニートとして、それらの存在が当たり前の生活をしてた俺にとって――この娯楽の少なさは、ある意味死活問題だぞ。
(本でも読むか……)
この部屋で暇を潰せそうなものといえば、山のように積まれた古代語の本くらいだ。
どうせ解読を手伝うことになるんだし、予行練習として先に何冊か読んでおくくらいメイリも許してくれるだろう。
思い立った俺は、メイリの目がこちらに向いていないのをいいことに手近にあった本を拝借して開く。
タイトルは――『ワ○ピース』。
「ってなんでだよッ!」
思わず本を床に叩きつけそうになったよ!
もう一度ちゃんと確認してみるが、同タイトルの別作品でもない。中身まで正真正銘、俺の良く知るあのマンガだ。書かれている言語こそ日本語ではなかったが。
でも、なんでこんなところにこんなもんが……
(……そういえば)
ふと、思い出す。
俺たち異界人は、死亡する直前に身に着けていたものや手にしていたものをそのまま引き継いで転移しているようなのだ。
事実俺も、服装は外出時に着ていた長袖シャツとズボンのまま。ポケットにはとっくに充電の切れたスマホと、取るに足らない金額の日本円が収まった財布が入っていた。
おそらくはこのマンガも、同じ理由で俺たちの世界から持ち込まれたものだろう。それが巡り巡って、魔導書として賢者に拾われたわけだ。
確かに、内容だけならそれっぽいもんな。この世界の人間からすれば異界の文字で書かれた本だし、ゴ○ゴムの能力なんて見るからに魔法だし。
しかし……だ。
どうしよう……想像すると、面白すぎる。死ぬときにこれを持ってた転移者も、こんなマンガなんかを魔導書と勘違いした賢者も。今にも噴き出しそうなくらいだ。実際ちょっと噴いた。
とはいえ、これ以上は堪えないとな。曲がりなりにも、そんな滑稽な2人のおかげで俺の目下最重要問題が解消されたんだから。
マンガ、それもここまで有名なものであれば、たとえセリフが読めなかったとしても大体の内容はわかる。今日一日くらいなら、これを読み返していれば時間を潰せるだろう。中途半端な巻数なのだけがとにかく残念だけどな。
「ふわあ、あ……」
1つあくびをしながら、海外版ワン○ース――能力(仮)が発動しているのか、一応読める――を、3、4人は優に腰かけられそうな長いソファに寝転がって流し読む。
で、このソファがまた、軽く意識を持っていかれそうなくらいフカフカで心地がいい。ベッドや布団の類は貸してくれなかったから床で寝るつもりだったが、このソファが借りられれば快眠できそうだな。
しかし……所詮読んでいるのは、たった一冊のマンガ。数十分とかからずに最後まで読み終えてしまい、その後1時間もしないうちに読み返すのにも飽きてきてしまった。いくらマンガといえども、さすがに一冊だけで一晩過ごすというのは無理があったか。
「新しいの……ん?」
そうして、俺が別の本を探し始めたのと、メイリが席を立ったのはほぼ同時。
目で追うと、メイリは一度奥の部屋――おそらくは、寝室――に入り、丁寧に折り畳まれた数枚の布を抱いて戻ってきた。多分、服だな。
それから俺の前を横切って、対角線上の廊下にあるドアを開けた。
「……どっか行くのか?」
なんとなく、そのまましばらく戻ってこないような気がしたので、呼び止める。
「お風呂」
「……風呂?」
「うん、お風呂」
「いや……え、あんの?」
「ある」
にわかには信じられず、立ち上がってドアの先を覗き込む。
だが、中の様子を目にする前に――バタンッ! 中に入ったメイリによってドアが閉められてしまった。
ドアの前で耳を澄ますと、シュル、シュル……布の擦れる音が聞こえてくる。遅れてカチャッと、奥にあるらしき扉が開くかすかな音が耳に届き、ザバァ……水の流れる音も聞こえてきた。
どうやら……あるみたいだぞ。本当に、風呂が。それもドラム缶みたいな簡易的なものじゃない、ちゃんとした浴室が。
ファンタジー要素の強い世界だからと期待はしていなかったが、意外にもこういうインフラは発達していたということか。賢者の家が特別なだけという可能性の方が高い気もするが。
せっかくだし、俺も使わせてもらえないか後でメイリには聞くとして……それよりも、だ。
(気になる……ッ)
風呂の内装もそうだが、何よりもこの状況だ。
数枚壁を隔てた先に、一糸まとわぬ姿の美少女がいる。まさに据え膳。生まれてこの方、女の子の裸なんて二次元くらいでしかお目にかかったことのない俺にとってすれば、今すぐにでもかぶりつきたい極上の美食だ。
それでなくとも、扉一枚向こうの洗面所には美少女がついさっきまで着ていた服やなんやが……っておい待て何を考えているんだ俺は。俺にそのテの趣味はないはずだろ。多分。おそらく。きっと。
これは……アレだ。そう、ドアの隙間から漂ってくる石鹸のいい匂いに頭をやられているに違いない。
落ち着いて、ゆっくり、深呼吸すればほーら……って、
「いい匂いが鼻にモロに!」
なんて1人でコントじみたことをやってたら、余計に扉の向こうが気になってきた。そろそろ理性の限界みたいだ。
(もう……超えちゃってもいいんじゃないかな。一線)
たぎるリビドーのままに俺は、ドアに手をかけ、そして――
「いやいや、さすがにマズいだろ……」
すんでのところで仕事した理性……というか恐怖心に制止され、やむなく断念した。
扉を開けて中に飛び込めば、そこには天上の楽園が広がっていることだろう。
だが、相手はメイリ。能力者――しかも、賢者とまで呼ばれる凄腕だ。外見がいくら美少女でも、それは甘い果実の中に爆弾が埋め込まれているようなもの。
対して俺は完全無欠に無力な一般人だ。手を出せばまず間違いなく、数秒後には命がない。
美少女に殺されるならそれはそれで本望だが……せっかく生まれ直した命だ。たった一瞬の極楽のために使い捨てるのは、さすがにもったいないだろう。
それに、俺の目標はあくまでも美少女ハーレムだ。もしも完成させられれば、裸なんていつでも好きなだけ見放題。こんなところで、わざわざ命をかけてまで急ぐ必要はないんだからな。
しかし、それとこれとは別で……一度限界寸前まで上り詰めたパトスは、そう簡単には治まってくれない。
かといって他人の家では発散する手段も場所も勇気もない。ので、俺は……ソファに戻り、『考える人』みたいな姿勢になってしばらく心を無にしていた。
――がちゃっ。風呂場のドアが開いたのは、それから30分くらい後のことだ。
(うおっ……)
と、のどまで出かかった声をなんとか飲み込む。
濡れて眩しさを増した髪を拭きながら出てきたメイリは、当然というべきか、パジャマ姿だ。
しかしこのパジャマがまた、ネグリジェとかいう生地の薄いワンピース型で……とにかくエロかわいい。
しかも、下着をつけていない、のか……小ぶりな胸の中央、というか先端……小さな薄ピンク色が、透けて見え、ちゃって、ませんか……ッ!?
(どういうつもりなの? 誘ってんの!?)
こんな格好、意識せずとも目を向けてしまうに決まってる。加えてこのシチュエーション――覗きよりも背徳的で、よからぬ思いを抱くなという方が無理な話だ。
それに――考えてみれば、俺たちは一つ屋根の下に、男女で、2人きり。しかも女の子は言うに及ばない美少女で、何かの前準備を済ませたかのように、風呂上がり――
(って、だから、それはマズいんだって!)
――パァン! 膨れ上がってくる感情を吹き飛ばすように、自ら頬にビンタを一発叩き込む。
(欲に負けるな俺! デッドエンド回避のためにも、ここは甘んじてヘタレの称号を受け入れろ……!)
しかし、そんな俺の葛藤に気付いていない……加えて、俺の視線にも、自分の服が透けていることにも気付いていないらしい、メイリは――俺の謎の行動に首をかしげつつも、ち、近付いてくる。なんで!?
「……っ」
手を伸ばせばすぐにでも、ほんのり上気した、その白磁器のような肌へ触れられるという距離まで2人の間は縮まって、そして――
「これ、使って」
「……へ?」
手渡される、重ねられた数枚の白布。
受け取るとそれは、分厚いバスタオルと白いスウェットの上下だった。スウェットの方はサイズこそ少し小さいが、男女兼用らしく俺でも問題なく着られそうだ。
「石鹸は中。お湯は流さなくていい」
「ああ……うん、え?」
困惑する俺を置いて、用は終えたとばかりにメイリは背を向けて寝室へと入っていった。
どうやら……聞くまでもなく、風呂、使わせてくれるということみたいだな。ありがたい。
でも、入るのはもう少し後にした方がよさそうだ。こんな頬どころか全身真っ赤になるような体温のまま入ったら、すぐにのぼせて倒れちゃいそうだし。
<>
「おお……」
賢者の家の浴室は、俺の予想の斜め上をぶっちぎっていくような代物だった。
人1人が余裕で住めそうな広い一室。四方を囲む壁は木製だが、窓も換気扇もないのに湿気で傷んだ様子が一切なく、新築のような趣きを保っている。
そして何よりも、浴槽だ。木組みの長方形で、その大きさは浴室の半分を占めるほど。メイリなら、足を伸ばしたまま中で横になることもできるだろう。
しかも、もうもうと湯気の上がる湯船には、壁に刺さった細い管から絶え間なく湯が流し込まれ続けている。まるで1人用に作られた、かけ流しの温泉みたいだ。
というか、実際その通りなのかもな。入浴剤なんか入れていないのに、若干湯の色が緑がかってる。それにメイリもさっき、湯はそのままでいいみたいなことを言ってたし。
(贅沢にもほどがあるよな……)
数時間前までは野宿かボロ家かなんていう極限の選択を迫られてたのに、今じゃ目の前に温泉だ。幸運の連続すぎて、どこかでツケを払わされそうな気がしてちょっと不安になる。
でも、それとこれとは話が別だ。たとえ明日死ぬことになったとしても、こんな贅沢を堪能しない理由にはならないだろう。
と、俺は服に手をかけながら……
「……」
壁の隅に目を向ける。
そこにあるのは洗濯カゴだ。後でまとめて洗おうとしたのか、中には複数枚の衣類が無造作に放り込まれている。
だが、それが問題だ。
入っている衣類は当然すべてメイリのもの。そこには、さっきまでメイリが着ていた服も含まれていて……それ以前に、見覚えのある三角形をした白い布が一番上に鎮座してくれちゃってるわけで……
「――だあああっ!」
雑念を振り払うため、俺は一瞬のうちに服を脱ぎ捨てて浴室に突貫。
人が見てたらドン引きされそうな動きで全身をサッと洗い流して……半分飛び込むような形で湯船に体を浸けた。
そして、一息。高めの湯温が体に染み渡る感触に意識を集中して、心を落ち着ける。
(何やってんだ、俺……)
ハーレムを作るなんて息巻いておきながら、現実は1人の女の子にビビってこのザマだ。いくら命の心配があるからって、男としてはダサいことこの上ない。
まあ、そのおかげでこうして温泉にまでありつけてるんだから、特に異論があるわけでもないんだが。
ただ、今後についてはちょっと考えておく必要があるよな。
家と賢者。カードにしてみれば最上級の手札が初日に手に入った影響は大きい。
しかし、代わりに俺の能力が、チートと呼べるほど優れた性能をしているわけではないことが判明してしまった。
メイリのおかげで、当分の間命をつなぐくらいはできるだろうが……問題なのは、その先だ。
もしも俺が、1人でどうにかしなければならない何らかの事態に陥った時。能力に代わって俺の力になってくれるような……何かは、探しておく必要があるだろう。
その『何か』の具体例を今のうちに想定しておこうと、天井を見上げながら考えを巡らせる。
が……
異世界転移なんていう一大イベントの後なせいで、疲れているのだろうか。それとも、風呂の適度な心地よさのせいか……頭の回転が鈍くなって、何のアイデアも浮かばなかった。
「まあ、いいか……」
結局、思案した時間なんてのはごくわずか。大きく伸びをしてから、湯と一緒に余計な思考も押し流してしまうように、深く湯船に浸かった。
少し悠長にも感じるが……なんていったって今日はまだ、新しい人生の出発点。ゲームの攻略みたいに、最初からエンディングを見越して行動する必要性なんかないんだ。
だから、今は――
「……明日は、どうなるかな」
それだけ、考えてればいいさ。