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第3話 朽木の村と異色の少女(Ⅱ)

「ここか……」


 カケルに教えられた賢者の家がある場所は、ちょうど役場の建物の裏側。俺が通った村の入り口とは反対にある、小さな門を越えた先の森の中だった。


 まず目についたのは、世界樹とでも名付けられそうなほどに周りの樹木とは一線を画す大きさの大木。

 この木の近くに目当ての家があるとだけ聞いてきたのだが……その家は、探すまでもなくすぐに見つかった。

 下だ。大木の真下――バカみたいに太くて大きい根に埋もれるようにして、三角屋根の小さな家が建っている。まるで家そのものが木の根に同化しているみたいだ。


 一応周囲に魔物の姿がないことを確認して、家に近づきそのドアをノックする。だが、反応がない。

 昼寝でもしてるのかと思いそれからも何度かノックしていると、その最中、壁にかけられている小さな看板に気が付いた。

 書かれていたのはシンプルに『OPEN』の4文字だけ。営業中……ということは、この家は店にもなってるのか。


 ならばと思いドアノブを回すと、予想通り鍵はかかっていなかった。前に向けて力を入れると、キィッ……と小さく音を立ててドアが開く。


「賢者さーん。いないのかー……?」


 呼びかけつつ、意を決して扉の向こうに足を踏み入れる。

 そうして見回した建物の内部は、俺が想像していた賢者の家とは少し趣が違っていた。


 まず正面には、店の受付と思われる古びたカウンター。左右の壁には大きな窓があるが、木の根のせいで光が入らないから不要なのか、半分以上が木製の棚でふさがれてしまっている。その棚の上には、背表紙の色あせた本や、見ただけでは使い道のわからない変な形の雑貨が詰め込まれるようにして置かれていた。

 床にはこれまた用途不明の大型雑貨がずらり。天井からは、どういう原理で光っているのかすらわからない豆電球のような光の玉がぶら下がり、店内を照らしている。賢者の家というよりは、面白グッズばかりを集めたアンティークショップとでも呼んだ方がしっくりきそうだ。


 そんな店内を物色しつつ、しばらくの間賢者が現れるのを待つものの……やはり、出てこない。この様子だと、店を開けたままどこかに出かけたらしいな。

 まあ、いないなら仕方ない。また別の日にでも出直そう。長くここにいたら寝床を探す時間がなくなりそうだし。


「帰るか……」


 ここに置いておけば気付くだろう……と、紙袋を置くためカウンターに近付く。

 だがその途中、


「あ」


 床の木目にでも足を引っかけたのか、俺の体は盛大に前へとつんのめっていた。

 どうにかカウンターの側面に手をついて頭をぶつけることは避けたものの、ここでさらなる問題が発生。

 カウンターには何やら仕掛けがあったらしく――起き上がろうと力を入れると、手をついた部分がガコンッと(くぼ)み、腕ごと内側に引きずり込まれていく。

 窪みは気付けば人1人くらい楽に通れる大穴となり、支えを失った俺の体は――自分から飛び込むように、穴の中へと転がり込んだ。


「うわぁぁあああああ――――ッ!?」


 穴の奥はキツい傾斜のついた落とし穴のようになっており、俺は曲がりくねった狭いスロープの上を、全身をこすりながら転がっていく。


「ってえ……ッ」


 そうして、体感で数mほど落下した後――突如として真っ暗だった視界が開け、どこかの床に思いっきり頭をぶつけた。

 直後、


「……幸運。その通路はわたしも知らなかった」

「ッ!?」


 声をかけられ――不意のことに驚愕した俺は、痛む頭を押さえながらもかろうじて片目を開く。

 ここは……狭い、部屋? 地下に隠し部屋があったのか。

 それにしては狭すぎるような……いや、違う。部屋は部屋でも、ここはその一角。机の下みたいだ。


 声が聞こえたのは――上からか。誰なのかを確かめるためにも、とにかく体を起こしてここを抜け出さなければ。

 と、体勢を整えながら頭を光が入ってくる方向に向けた、その時だ。


「……」


 視界一面に広がる、純白の世界。

 この世のものとは思えないほど汚れのない、シンプルながらも繊細な意匠の白布。トンネルを抜けた先の雪国よりも、眩く美しい光景が目の前にあった。

 ……なんて詩的な表現がつい頭に浮かんでしまったが、これってアレだよな。全世界の非リア男子が(あが)める至高の秘宝、乙女的下着いわゆるパン――


「――不快」

「げむっ!?」


 などと見惚(みと)れていると――ゲスッ!

 これまた真っ白なニーソックスに包まれた小さな足が俺の顔にめり込んだ。(いて)ぇ!

 でも……ちくしょう。バニラみたいな、甘ったるくていい匂いがする。おかしいだろ足の裏なのに。


「ぷはぁっ……」


 ひとしきり鼻をぐりぐりされてから、俺はようやく机の下を脱出させてもらえる。

 そしてやっとのことで全貌が明らかになった部屋は、地下とは思えないほど広く、天井の高い一室だった。


 まず目につくのは、温かみのある白で塗られた壁をすべて覆い隠してしまうような、無数の本棚。そのすべてに、大小さまざまな大きさの本が、今にも弾け出してしまいそうなほどぎゅうぎゅうに押し込まれている。棚の前にも本が無造作にいくつも積み重ねられており、さしずめ本の森といった様相だ。

 それらの隙間に収まる形で、横長のゆったりとしたソファーが1脚と大きなテーブルセットが1つ。あとは、俺が通ってきた隠し通路(?)の前に置かれた書斎机。そして天井付近に、上の商店のものよりは少し大きい光の玉が1つ。これがこの部屋の全容のようだ。


 だが、本棚と本棚の間に隠れるようにして、ドアや廊下が見える。ここ以外にも部屋があるようだ。さすがは賢者の家の隠し部屋。地下室っていうより、地下に作られた家だな、ここは。


「……それで。何の用」


 明らかになったのは、なにも部屋の様子だけではない。

 乱暴なお出迎えをしてくれた、そいつの姿も、だ。

 そいつは――女の子だった。それも、


(かわっ……)


 いい――と反射的に口に出してしまいそうなほどの、可憐な容姿をした美少女だ。

 ……まあ、こんな場所にいるやつが、ちゃんとした人間なのかどうかは怪しいところだが。


 歳は十代前半から半ばといったところだろうか。顔立ちは幼く、小柄で線が細い。その割に表情は落ち着いていて、外見よりも随分と大人びた雰囲気をまとっている。

 もちろん、その部分だけ見ても十分に美少女と呼ぶに足る要素を備えていると言えるだろう。しかし少女はそれにとどまらず、見る人すべての目を奪うような、超常ともいえる特徴を有していた。


 白いのだ。身に着けているものだけじゃない。まるで無垢という言葉を体現するかのように、少女を構成する何もかもが。


 手入れの行き届いた長い髪は、宝石さえくすんで見えるほどの(まばゆ)い純白。肌は血の感触を感じさせないほどに透き通っていて、西洋人形と錯覚してしまいそうだ。


 着ている服も、その外見に合わせるかのように白系統で統一されている。白い無地のブラウスに薄灰色のミニスカート。その上に、室内にもかかわらず、薄くて丈の長いサマーコートのような上着を羽織(はお)っていた。


 ジッと見つめれば、その色のなさに溶け込んでしまいそうな少女の容姿だが……彼女を美少女たらしめる特徴は、もう1つ存在する。


 目だ。全身を白で彩られた少女の中で唯一色を持った双眸(そうぼう)が、少女の魅力を完全なものとしている。その双眸もまた、常人とは一線を画す代物だ。

 右目は燃えるような真紅。左は吸い込まれそうな群青。少女の目は左右で色が違っていた。


 見れば見るほど目が眩むようなその少女の姿に、危うく心とか諸々を奪われてしまいそうになりながらも――俺は何とか理性の力で意識を保ち、対話を試みる。


「あ……ああ。役場から、賢者に届け物だ」


 少なくとも異世界人、下手をすれば人外すらありえる少女に対して、緊張からか日本語で答えてしまったが――俺は手にしていたままの紙袋を前に突き出す。

 転んだ時から胸元に抱きかかえていたおかげか、シワがついてこそいるものの、破損した形跡は紙袋にはない。おそらく中身も無事だろう。


「ん。もらう」


 それを少女は、椅子に座って本に目を落としたまま、こちらを見もせずに片手で受け取った。


 淡々とした、無感情な言葉だ。俺がいきなり現れたことに対しても無表情を貫いていたことといい、表情に出ないか、感情の機微に(とぼ)しいタイプらしい。

 随分この場所になじんでいるように見えるが、賢者の弟子か何かなのだろうか。それなら、こいつに聞けば賢者の行方がわかるかもしれないな。

 だが今は賢者の行方よりも、少女とのやり取りにこそ俺は関心を抱いていた。


「日本語……わかるのか?」

「当然」


 俺の問いに、少女はこれまた淡々とした日本語(・・・)で返す。それで、俺は確信する。

 この少女は、俺がこの場にやってきた時からずっと日本語で話しているんだ。それは聞き間違いでも、エルフ少女や大男の言葉のように『意味がわかる』のでもない。カケルと話していた時と同じ、正しい意味で日本語として聞き取れる言葉だ。


 これは……ツイてるぞ。異世界人でも日本語がこんなに流暢(りゅうちょう)に話せるのなら、地球人がこの世界の言葉を話せるようになる手段だって存在しているはずだ。そしてその手段を、この少女が知っている可能性は大いにある。

 もしも聞き出すことができれば……俺の野望(ハーレム)にも、復活の兆しが見えるかもしれないぞ!


(問題はどうやって聞き出すかだが……って)


 悶々(もんもん)としながら解決策を模索していると、少女が受け取った紙袋からパンを取り出してチビチビと口に入れるのが見えた。

 あの村、小麦を栽培してるようには見えなかったが……現に生産品がこうしてあるんだから、何かしら手に入れる方法もあるんだろうな。

 ……じゃなくて。

 いくら弟子だったとしても、賢者のものを許可もなしに食べるのはマズいんじゃないか?


「待て待て。それ、賢者宛てって言ったよな。勝手に食っていいのか?」


 見て見ぬふりをするのもどうかと思ったので、一応釘を刺しておく。

 だが……少女から返ってきたのは、俺が予想すらしていなかった衝撃的な返答だった。


「問題ない。わたしがその賢者だから」

「…………は?」


 耳を疑った。

 しかし、聞き間違うはずもない。確かに言ったのだ、この少女は。

 ――自分こそが、賢者だと。


「……いやいやいや。冗談だろ?」


 賢者といえば、ヒゲもじゃでボロいローブを着た100歳を越えてそうなおじいちゃんってのが通例だ。割と想像通りのエルフ少女が出てきたんだから、ここでもそういう思った通りの賢者が出てきてしかるべきだろう。

 なのにこの、ちっこくてかわいいのが賢者って……どこがどうしてこうなった。


「本当。わたしは2代目だけど」


 パンをかじりながら、少女は立て続けに理解しがたいことを言ってくる。


「……どういうことだ?」


 少女の言葉に思考が追い付かなくなった俺は……とうとう考えることを諦め、すべて尋ねることにした。

 そんな俺に、少女は簡潔な、しかし明瞭な説明をしてくれた。


 いわく、この家には本来の持ち主である初代賢者――俺が想像したような人物が元々住んでいたらしい。だが、少女がやってくる何年も前に亡くなっていたそうだ。

 そうして空き家となったこの家に、少女が住み着き……賢者がかつて担当していた仕事や、残していった研究の続きを、賢者に成り代わって行っているらしい。


(ようするに勝手に住んでるだけじゃねえか……)


 実際に賢者の仕事をこなしてるなら相応の実力はあるんだろうし、村の連中にも認められてるみたいだが……やはり、俺の考える賢者像とはかけ離れていると言わざるを得ないな。

 だが、事実は事実。俺に可能性を示してくれるかもしれない賢者様とは、この少女のことだったのだ。


「まだ信じられない?」

「いいや、信じるよ。疑う理由もないし」


 むしろ探す手間が省けただけラッキーとまで思うくらいだ。

 別に、おじいちゃんの賢者以外認められないなんて奇怪な思考回路をしてるわけじゃないからな。


「でも、それなら早速、お前を賢者と見込んで頼みたいことがある」


 俺の能力と、異世界の言語を話す方法について。賢者を名乗るくらいなのだから、何かしらわかることがあるだろう。少なくとも後者に関しては多少なりとも情報を握っているはずだ。


「それは、依頼?」

「ああ……まあ、そうなるな」


 報酬として支払えるものなんて1つも持ってはいないが。

 何かを要求されたら……その時は、仕方ない。体で支払おう。雑用でも何でもしてな。


「なら、あれに書いておいて」

「あれ……?」


 視線は変えず、少女は壁の一角を指さす。

 そこにあったのは1枚のコルクボードだった。メモの役割を果たしているようで、文字の書かれた小さな紙がピンで貼りつけられている。

 だが、その数が尋常じゃない。ざっと数えるだけでも10枚以上……重なっていて見えないものを含めれば、優にその倍はありそうだ。


(あれ全部、順番待ちの依頼か……!?)


 冗談じゃないぞ。こんな数が終わるのを待ってたら、いつ話が聞けるかわかったもんじゃない。

 ただでさえ衣食住その他何もかもで困ってるんだ。ここで何もせずに帰ったら、その日まで生きていられる保証すらないぞ。

 1つでいい。せめて1つ……今この場で情報を引き出すしか、俺に残された道はないッ!


「ちょっと待て! そんな大層なもんじゃなくて、俺はただ、いくつか聞きたいことがあるだけなんだよ!」

「だめ。依頼には違いない」


 訴え空しく、少女は(がん)として首を縦に振らない。

 この慣れた様子、今までも俺のように急き立ててくる依頼者を相手にしたことがあるみたいだな。これは一筋縄じゃいかないぞ……っ。

 だが能力が使いこなせない俺では、上手く優先順位を引き上げさせるような交渉なんて思いつかない。ひたすら頭を下げて、聞き届けてくれるのに賭けるだけだ。


「頼むよ! 片手間でいいんだ、少しでいい。話を聞いてくれ!」

「無理。今は、この本の解読に集中してるから」


 毅然(きぜん)とした態度を崩さない少女に、俺は(あせ)りを(つの)らせていく。

 同時に語調も荒くなっていって――つい、言ってしまった。


「解読って……そんな小説(・・)、いつでも読めるだろ!?」

「……小説?」


 失言だった。

 俺の言葉を受け、少女はついに本を閉じてこちらを振り向く。その表情には相変わらず感情の色はないが、異色の瞳には明らかな怒気が混じっていた。


「違う。ここにある本は全部、先代賢者が集めた魔導書。この世界の、人類の英知」

「んなわけあるか。少なくとも、そいつは間違いなく小説だ」


 言い張る少女だが、俺とて憶測やハッタリで言ってるんじゃない。確固たる確信があってのことだ。

 なぜなら、今少女が閉じたその本は――


「『魔法使いリベルの冒険譚』――そんなタイトルの本が魔導書なわけねえだろうが」

「――え」


 表紙に大きく書かれた文字を読み上げながら告げると、そこで少女は、ようやく表情らしい表情――驚いたような様子を見せる。


「……どうして、読めるの」

「さあな。むしろ、なんで賢者のお前が読めないんだよ」

「読めないのが普通。この本に使われてるのは古代文字。先代でも解読できなかった。だから、わたしが引き継いだ」

「へえ……」


 真偽を確かめるため、少女の前から勝手にその本を拝借して開く。

 横書きに綴られた文字は、少女の言う通り古代文字というやつのようだ。カケルに見せてもらった地図に書かれていた文字とは明らかに様式が違う。パッと見では子供の落書きのようにしか見えない。

 だが……読める。それはもう、ラノベでも読むようにスラスラと。


「『そよ風の(うた)う西の草原を、ほうきに乗って飛ぶ1人の少女がいました。少女の名はリベル。のちに偉大な導師として名を()せる、小さな魔法使いです』――どうだ? これでもまだ魔導書って言い張るか?」

「……」


 本を返しながら糾弾する俺に、少女はうつむきながらも小さく首を横に振った。

 しばしの沈黙の後、少女が問う。


「……それが、あなたの能力なの?」

「能、力……?」


 すぐに否定しようとして――何も言えなかった。

 むしろ、そう考える方が辻褄(つじつま)が合う。合ってしまう。

 知らないはずの言語が聞き取れる。見たこともない文字が読める。

 これを、能力といわずに何と呼ぶ?

 でも、それとコミュ力にどんな関係が――


(いや……まさか……そういうことなのか……!?)


 この世界において、転移者は読み書きはおろかロクに言葉を話すこともできない、いわば赤ん坊のような状態だ。

 だがその中に、喋れずとも聞くことができる……書けはせずとも読むことができる……そんなやつがいるのなら。そいつの言語能力は最低限幼児並み。赤ん坊から見れば、まさに『圧倒的なコミュ力』の持ち主……と、いうことに……なる。なって……しまう。

 もちろん納得はできないし、天使から直々に授かった能力がその程度だなんて死んでも認めたくない。だが……現状だけを見れば、その可能性を否定できないのもまた事実だ。

 なので俺は、


「そう……かも、しれない……」


 と、曖昧な返事をするに留まった。

 だが、実際に俺の能力(仮)を目の当たりにした少女にとっては、その返事で十分だったのだろう。続けて言う。


「それなら、わたしの方からあなたにお願いがある」

「お願い?」

「わたしはここにあるすべての本を解読したい。でも1人ではどうしようもなかった。だから、あなたのその力、貸してほしい」


 それは、今までの冷淡な口調が嘘と思えるほどに熱のこもった言葉だった。

 本当の意味での一生のお願いとは、こういうののことをいうのだろう。それをこんな美少女に言われてしまっては、二つ返事でオーケーしてしまいそうな衝動に駆られてしまう。

 だが、ここで軽々しく了承してしまうには……少女の頼みは、いささか大きすぎる。


「……協力するのはいい。でも、すべての本って……いくらなんでも多すぎるだろ。相応の対価がないとやってられないぞ」

「――わかってる」

「じゃあ、聞くが。お前は代わりに、何を出せる?」


 いつの間にか、俺たちの立場は完全に逆転していた。依頼しに来たはずの俺が、逆に頼みを聞く立場に。

 ならば、と……俺は、少し強気に交渉を行う。

 元手となるものが何もない今。少しでも多くの情報を、少しでもいいものを、この身1つで引き出していくしかないのだから。


「あなたの聞きたいことに答える。全部」

「……それだけか?」


 少女に聞きたかった2つの事柄の内1つ――俺の能力については、()しくも先ほどの少女の質問で1つの解答を得ている。加えて、少女が俺の能力に驚愕していたことから、少女がこの能力についてさほど詳しくないこともうかがえる。おそらく、これ以上は聞くだけ無駄だ。


 残る1つ――少女が日本語を話せる理由だが、ぶっちゃけこっちはそれほど急がない。仮に彼女の頼みを引き受けた場合、必然的に彼女が常に近くにいることになる。そうなれば、異世界人との交渉は彼女に任せることができるからだ。


 つまるところ、少女の願いを聞き入れるだけで俺の当初の目的はほぼ達成できることになる。ならば、それ以上――書物の解読という労働に見合う付加価値を得られなければ、この交渉は有意義とは言えない。

 さらなる対価を要求する俺に対し、少女はしばし悩んで答えた。


「……望みがあるなら言えばいい。わたしにできることなら何でもする」

「えっ」


 それは取引において最大限ともいえる譲歩だ。少女にとって、書物の解読とはそれほどまでに価値のある行為なのだろう。

 だが、迂闊(うかつ)。迂闊すぎるぞ少女よ。

 男ってのはな……その『何でも』ってフレーズに否が応でも反応してしまう生き物なんだよ……!


「……」


 本能には(あらが)えず、徐々(じょじょ)に下へ下へと下がっていく俺の視線。

 華奢(きゃしゃ)な肩から、流麗な線を描く鎖骨へ。その線に沿うように、さらに下――女性の象徴たる、胸元へ。

 そして俺は――


「……………………はあ」

「不快」

「ッッッでぇ!?」


 お世辞にも豊かとはいえない、なだらかな丘陵を見て嘆息するのと同時。分厚い本の角が俺の額にめり込んだ。割とシャレにならない深さで。


「へんなことはさせない。したら、即刻飛ばす」


 何をだよ。


「わかってるって、冗談だよ。じゃあ……そうだな……」


 仕切り直して、少女に求めるものを告げようとした、その時。

 ――ぐうぅぅ~。

 と。気の抜けた音が俺の腹から鳴り響く。

 そういえば、この世界に来てから――いや、元の世界でゲームしてた時から何も食べてなかったな。ここに来るときには日も沈みかけていたし、ちょうど腹が減る頃合いだったみたいだ。


 その音と弛緩(しかん)しきった空気のせいで完全に気分が削がれた俺の頭からは、交渉を有利に進める気概などすっぽりと抜け落ちてしまっていた。


「あー……じゃあこうしよう。そのパン、1つわけてくれ。あと、寝袋とか貸してもらえると助かる」

「寝袋? ベッド、ないの?」


 袋から取り出した丸いパンを俺に手渡しながら、少女が首をかしげる。


「ベッドどころか一夜を過ごす宿すらありゃしねえよ。寝袋がないなら、どこか泊めてくれそうな家でも紹介してくれ」

「それならここに住めばいい」

「…………へ?」


 (くわ)えたパンを危うく落としそうになりながら、俺はポカンと口を開く。


「取引が成立したら、あなたにはここに通ってもらうことになる。それならいっそ、最初からここにいた方が都合がいい」

「いや、確かにそうかもしれないけど……いいのか?」

「家主のわたしが言ってる」

「――」


 これは、想定していた以上の――いや、想定外の収穫になりそうだぞ。

 とっくに諦めていた、屋根のある生活だ。それも村にあるようなボロ家じゃない。賢者の家などという、まさに理想の異世界住宅。しかも美少女と同棲なんて願ってもいなかった最高のオプション付きだ。

 住み込みの助手みたいな立場に甘んじてしまうのは目に見えてるが、それを補って余りある破格の条件には違いない。

 ……これを断る理由なんか、思いつくはずがなかった。


「いいな……その条件、乗った!」

「なら――」

「ああ。交渉成立だ!」


 差し出した右手に少女の右手が重ねられる。

 軽く力を入れて握ると、少女の方も少しだけ力を込めて握り返してきた。


「っと、そうだった。俺は、樫木那由多だ」


 今更だが名乗っていなかったことを思い出し、手を放すついでに言っておく。


「?」

「いや、名前だよ。知っとかないといろいろ不便だろ?」

「そうでもない」

「俺が困るんだよ。で、お前は?」

「――天音(あまね)明莉(めいり)


 アマネ・メイリ……じゃない。天音、明莉……?

 そう、頭の中で変換が完了した瞬間。その日一番の衝撃が俺を襲った。

 この響きに、姓名の順番。

 それに確か、日本語が話せるのかという俺の問いにも『当然』って……

 ――間違いない。

 いや……でも……えっ、嘘だろ……!?

 こいつは――


「お前――異界(にほん)人かよッ!!」

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