第2話 朽木の村と異色の少女(Ⅰ)
考えてみれば当然の話だ。
この看板を見ればわかるように、たった1つの世界にすら、たった1つの星にすら、数百数千という言語がある。それらのうちいくつかを覚えるだけでも莫大な時間を要するというのに、異世界の言語がいきなり話せるわけがない。エルフ少女の言葉が理解できたのなんて奇跡としか言いようがないだろう。
さながら俺たちは、辞書も持たずに外国へやってきた旅行者。聞きかじった公用語だけを携え国を出て、空港に着いただけで挫折した、愚かで間抜けな旅人だ。
だが、状況はそれよりももっと悪い。空港なら同じ飛行機に乗って国に帰れば済むだけの話だが、俺たちがいるのは異世界なんだ。帰る方法はもちろん、帰る場所すらとうの昔に失ってしまっている。
唯一空港と同じなのは、言葉の通じるスタッフが――つまりは同じ世界の人間が、近くにいるかもしれないという可能性だけだ。
「まずは挨拶しに行こ。ついてきて!」
繋いだままだった手を引かれて、俺たちは再び歩き出す。
実際に踏み入って確認した村の様子は、やはりというべきかひどい有様だった。
まず、家屋。手入れがされなくなってからもうかなりの年月が経過しているのだろう、ほとんどの建物は腐食が進みきっていて、雨風をしのぐのがやっとの状態だ。
正直、とても人が住める環境とは思えない。だが、朽ちて穴だらけになった壁から覗ける内部には、確かに人が生活している様子が見て取れる。
屋根があるだけでもマシといったところなのだろう。実際、その程度すら満足に享受できない連中もいるみたいだからな。
「……」
俺は家屋から視線をずらし、その軒下にうずくまる数人の男たちに目を向けた。
男たちは皆、髪の色も、肌の色さえも違う異国籍人種だ。だが、エルフ少女のように耳が長いわけでも、角が生えているわけでもない。エルフ少女の言う通り、こいつらこそが俺の仲間――異界人で間違いないようだ。
そんな彼らが、意気消沈した様子で揃って壁に背を預ける姿は……あまり、見ていて気分のいいものじゃないな。
おそらくは彼らも、今の俺と同じか、それ以上に歯がゆい気持ちでいるのだろう。
当然だ。彼らは人種に加えて、国籍もバラバラ。となれば、全員が共通して話せる言語がある可能性は限りなく低いはず。異世界の民に加えて、同郷のはずの人間とすら会話がままならないとくれば、孤独感や虚無感を感じないわけがない。
(いずれは俺も……こうなるのか……?)
それだけは、何としても御免こうむりたいな。せめて1人だけでも、話ができる日本人を見つけたいところだ。
「着いたよっ」
辺りをキョロキョロと見回しながら歩いていると、不意にエルフ少女が立ち止まった。
少女が指さす正面には、周囲の家屋よりも一回り大きい木造の建築物がある。二階建てで、一段高いテラスにはボロボロのテーブルセットが複数。玄関には腰の高さまでしかない小さな扉があり、その上には完全に文字が消えてしまっている看板がかかっている。西部劇にでも出てきそうな酒場を彷彿とさせる外観だ。
慣れた様子で玄関をくぐるエルフ少女に続くと、内部は予想していたよりも随分と小奇麗に片付けられていた。
正面にはカウンター。だが、その上に並んでいるのは皿やカップなどではなく、羽のついたペンと数枚の書類だ。壁際には階段があり、吹き抜けになっている2階へとつながっている。元は宿としても機能していたのだろう、上った先にはいくつか部屋があるようだ。また左右には、酒場だったころに使われていたと思われる年季の入った四角いテーブルがいくつか並んでいた。
一見するとそのまんま酒場兼宿といった様子だが、カウンターの向こう側にある棚に収まっているのが無数の紙束なのが気になる。もしかすると、何らかの事務所だったりするのだろうか。
「すみませーん! 誰かいませんかー!」
そこでようやく俺の手を放したエルフ少女は、無人のカウンターに駆け寄ると、その上にあったカウベルをカランコロンと数度鳴らす。あれが呼び鈴の代わりなんだな。
「はいはーい! 今行きまーすっ!」
その音に反応したのか、カウンターの奥にある部屋から、ドタドタという荒い足音とともに若い男の声が聞こえてくる。
しばらく待っていると、棚の横のドアから1人の少年が顔を出した。
顔立ちから、おそらくは日本人。よかった、ひとまず孤立は避けられそうだ。
歳は俺とそう変わらないだろう。身長は俺より少し高く、スポーツ選手のように引き締まった体格をしている。清潔感のある髪は濃い目の茶色で、飛び跳ねるように少し癖がついていた。
そして何よりも、目が覚めるようなイケメンだ。
西洋人のようにスッと通った目鼻立ち。穏やかそうな顔の割に目つきは鋭く、それが不思議な魅力となって表れている。ラフに着崩したYシャツから覗く汗ばんだ首筋からは、同性の俺でもクラッときそうな色香が放たれていた。
少年は、あっ、と小さく口を開くと、俺とエルフ少女を交互に見て、まずは姿勢を正してエルフ少女に会釈する。
応じるようにエルフ少女も頭を下げると、俺の方に目を向けながらくるりと少年に背を向けた。
「それじゃ、私の役目はここまで。また、どこかで会おうね!」
開いた手を振り笑顔でそう言い残したエルフ少女は、軽快な足取りで俺たちの前を後にした。
その場に残ったのは俺と少年の2人だけ。
気まずくなるのを避けてか、エルフ少女が去ると少年はすぐに口を開いた。
「それで……君は、地球の人……だよね?」
「あ、ああ。そうだ」
「よかった、日本人だ。それなら、おれからいろいろ説明をするよ。そこに座ってもらってもいいかな?」
頷き、俺は少年が指さした近くのテーブルに座る。少年も、棚から数枚の紙を引き出してから俺の対面の席に腰を下ろした。
「まずは自己紹介しておくね。おれは新道翔。カケルって呼んでほしいな。ここに来る前は学生だったけど、今はこの役場で、事務員として働かせてもらってる」
カケルと名乗った少年は、カウンターの奥の紙束が積まれた部屋――おそらくは事務室――を指さしながら言う。
ここ、役場だったのか。どうりで書類が多いわけだ。
「……俺は樫木那由多。ナユタでいい。前は……」
「言いたくないなら、無理に言わなくていいよ。せっかくの異世界、新しい人生なんだもの。不必要に過去を持ち出す理由なんかない。でしょ?」
屈託のない笑顔で言ってくれるカケルの言葉に、俺は甘えることにした。わざわざ自分から元ニートだなんて口に出したくはないからな。
それにしても……顔がイケメンなら性格までイケメンかよ、こいつ。能力をもらったはずの俺よりも明らかにコミュ力に溢れてるじゃねえか。
「それじゃあ、説明を始めようか。ちなみに聞くけど、ナユタはこの世界のこと、どれくらい知ってる?」
「まだ何も。ついさっき、この近くで目が覚めたばかりだ」
「そっか。なら、まずは主要なところから教えるね」
言いながら、カケルはテーブルの上に1枚の大きな紙を広げる。
見たところそれは地図のようだ。海を表現しているのだろう、淡い藍色で塗り潰された紙に、数本の線で区切られて色分けされた歪な扇型が描かれている。全体的に太くした『?』マークのような形だ。線は国境を示しているのだろう、区切られた範囲の中心には国名と思われる名前が書かれていた。
見覚えのない文字だが、読めるな。『アッシュランド王国』に『リベル領』……どれも聞いたことのない国名だ。
「これは、ずっと昔にこの村に住んでた人が手に入れたらしい世界地図。この図によると、海の真ん中に、広大な大陸だけが浮かんでるみたいなんだ」
「これが世界地図? 大陸の地図じゃないのか?」
「うん。大陸の外には、別の大陸はもちろん島1つすら存在しない。それどころか、海をどれだけ進んでもすぐ元の場所に戻ってきちゃうんだって」
物理法則もへったくれもありゃしないな。さすがは異世界だ。
「しかもね、この大陸は星という概念の上に存在しないらしい。だから天候に気候、日の昇り方すらおれたちの世界とは違ってて……詳しい人の話では、おれたちが生きてるのすら奇跡みたいな状態だそうだよ」
「へえ……」
確かに、そもそもの環境が違うなら、酸素の有無に気圧の高さ、気温――地球人が生きていくために必要な要素が揃っているはずがないんだよな。それでも俺たちがこうして生きていられるのは、転移の際に天使が何らかの配慮をしたからだろうか。
だったら言語もちゃんと理解できるようにしておいてくれよ……と文句を言いたくもなるが、今更そんなことを嘆いたって仕方ないな。
「まあ、世界全体に関してはこんな感じ。じゃあ、次にこの大陸についてだけど……」
と、カケルは扇型の下の方、大陸から南端を分断するように描かれた緑色の広い楕円形を指さす。
「まず、おれたちが今いるのはここ。見ての通り、大きな森だよ。召喚された人の多くが最初に降り立つ場所で……さっきナユタを連れてきてくれた子みたいな、エルフっぽい種族の統治下にあるね」
広い森に、エルフの一族……なるほど、それっぽいな。
統治下にあるといっても、圧政を敷かれているような関係ではないだろう。さっきのカケルとエルフ少女のやり取りは、言葉が通じなくても信頼し合っているような雰囲気だったしな。
「この村も、元々はエルフたちが住んでいた集落だったらしいんだ。それが何らかの理由で廃墟になって、そこに昔召喚された地球人たちが住み着いて……いつしかエルフたちにも認められるようになって、今に至るというわけ」
エルフ少女が地球の人間を見て驚かなかったのも、昔から面識があるなら納得だ。
というか、そんなに昔から異世界召喚が存在してたのか。俺だけの特権じゃないことは来た瞬間に思い知らされたとはいえ、こうも多くの前例があると特別な感じすら一切しなくなってしまったな。
「あとはこの村についてだけど……現状は多分、ここに来るまでにナユタも見てきたと思う。せっかく同じ地球出身者なんだから仲良くしたいと思ってるけど、言語が違うとどうしても限界があってね。今は英語圏の人たちが主導で、なんとか全員に家だけでも行き渡らせようと頑張ってるところ」
「……大変だな」
「まあね。でも、誰かがやらないといけないことだから」
乾いた笑みを浮かべるカケルに、俺はそれ以上かける言葉が思いつかなかった。
言葉が通じないんじゃ、説明することも、手伝いを要求することもできない。
家だって、外の建物は大半が使い物にならず、新しく建てるのも難しいはずだ。木を勝手に伐採すればエルフたちが黙っていないだろうし、かといって、村の建物に使われてる木はほとんどが腐りきっていて、再利用することもできないだろうからな。
そんな苦しい状況でも、こいつらはどうにか現状をよくしようと力を尽くしてるんだ。誰に頼まれるでもなく、自分から。
感心するだけじゃダメだ。その精神は、見習っていかないとな。
……最も、俺も一緒になって村のために尽力しようと思うかどうかは別だが。
「世界に関してはこんなとこ。他に何か聞いておきたいことはある?」
暗くなってしまった雰囲気を払拭するかのように、カケルが明るい声で尋ねてくる。
聞きたいことなんて山ほどある。だが、細かいことはその時々に必要に応じて尋ねればいいだろう。
だから、この場で尋ねたい疑問は1つだ。
「じゃあ1つだけ。この世界には魔王とか、そういう倒さなきゃいけない敵みたいなのはいないのか?」
異世界美少女ハーレムという野望が崩れかけている今、知っておくべきは天使に聞きそびれたこと――俺たちをこの世界に飛ばした、本当の理由だ。
この不条理だらけな召喚が、最初に天使が言っていたような選ばれし者に与えられるチャンスだなどとは到底思えない。ならば、何か重大な目的があり、そのために、条件を満たした俺たちに力を与えて転移させたと考える方が自然だろう。
重大な目的――その最たる例といえば、魔王討伐をおいて他にはない。
この世界の人間では抗えず、天使でさえ手を焼くほどの強大な敵がいるのなら、俺たちの転移にも一応の説明がつく。天使は厄介な敵を処理でき、俺たちは望む能力を得て英雄になれる……一方的な取引だったとしても、条件としては悪くないからな。
――だが、カケルたちが村の復興に力を入れているのは、どう考えてもこの場所に定住することを前提とした動きだ。少なくとも、世界を救うための異能者ギルドを設立しようとか、そういう目論見はまったく見えない。
だから、この仮説は間違い。そもそも敵なんて存在せず、他に目的となりそうな事案も見つかっていないのでは……と、半ば諦め気味に尋ねたんだが……
「魔王、か……うーん。多分、いないと思うよ。いたとしても、ずっと昔の人たちがとっくに倒しちゃってると思う」
「……だよな」
まあ、当然だな。
魔王の討伐なんて、俺ですら一度は夢見る異世界での目標だ。もしも本当に魔王が存在していて、自分にそいつを倒せる力があるのなら、誰だっていの一番に討伐に向かうだろう。加えてこれほどの数の転移者がいるとくれば、生存している方がおかしな話だ。
だが、それならそれで踏ん切りがつくというもの。必要な情報が出揃ってもいないのに、先のことをあれこれ考えたっていい案が出るはずもないからな。
というか、そもそもの話、能力の方向性がまったく違う俺が考えたところで、その目的とやらに貢献できるとは思えない。
この際だし、そういうのはいっそ英雄志望の強いやつらに全部任せて、俺は俺個人で新しい目標を定めることを優先してもいいだろう。
と、思考停止する方向で俺が結論を出しかけていると「でも」と思い出したようにカケルが口を開いた。
「魔王っていうほど強くないけど、一応、倒さなきゃいけない敵はいるよ」
「そうなのか?」
「うん。姿は動物に近いけど、動物よりもずっと凶暴で、間違いなくこの世界一番の脅威となってる生き物たち……おれたちは便宜上『魔物』って呼んでる」
「魔物、か……」
カケルの言う通り魔王と呼べる器ではないかもしれないが、狙って人を襲うのであれば、倒さなければならない敵には違いないだろう。
それにカケルたちが知らないだけで、世界のどこかには魔王と呼ぶに値する強力な魔物も存在するかもしれない。実情がハッキリするまでは、そいつらの討伐が転移者の目的と認識しておくか。
「拍子抜けしちゃったかな?」
「バカ言うな。何事も平和が一番だろうが」
「……そ、そっか。えっと、聞きたいことはこれで全部?」
「ああ、今のところはな。また何か疑問ができた時に頼んでも構わないか?」
「もちろん! おれにわかることならなんだって教えるよ!」
顔を背けたくなるくらいにキラキラした笑顔で、カケルはさも当然のように言ってのける。
話せば話すほど感じ取れる、見事なまでの好青年っぷりだ。もしも転移者の中から英雄が――真の主人公が生まれるなら、間違いなくこいつはその中の1人に名を連ねるだろうな。
「それで、ナユタはこれからどうするの?」
「これから?」
「村に来た人のほとんどはそのままここに住むけど、旅に出る人も少なからずいるんだ。だから、ナユタはどっちにするのかなって」
村に住むのも野宿するのも、状況としてはあまり変わらないだろうからな。旅立つ者がいるのはさほど珍しいことでもないだろう。
だがそれができるのは、魔物とやらが跋扈する世界を1人で生き抜ける力があってこそだ。
戦闘系の能力ではない……ましてや、1人でいては何の意味もなさない能力しかない俺にはリスクが重すぎる。せめて用心棒になってくれる人を見つけでもしない限り、この森を抜けることすら俺では困難極まるだろう。
「そうだな……できるなら世話になりたいと思ってる。……難しいか?」
「ううん、大歓迎だよ。でも、村は知っての通りの現状だから……いくつか条件を呑んでもらう必要があるんだ。それでもいいなら手続きするよ」
「問題ない。頼む」
「わかった。それじゃあ……はい、これ」
頷いたカケルは、地図と一緒に持ってきた紙束から1枚の真新しい紙を取り出して俺の前に置く。
「なんだ、これ?」
「決まりでね。住民の管理のために、新しく来た人には住民票みたいなものを書いてもらうことになってるんだ。といっても、そんなに難しいものじゃないよ。名前とか、出身とか……ちょっとした自己紹介カードだと思ってくれればいいから」
「了解」
カケルからペンを受け取った俺は、言われた通り名前や年齢、出身国に、話せる言語――紙にわかりやすい英語で指示されたそれらの項目を埋めていく。
だが、一番下にあった最後の項目を見て、その筆先は止まった。
「……能力? これも書かなきゃいけないのか?」
身寄りも何もない俺たちにとって、能力は唯一、自分の身を守れる最後の切り札だ。正体が公然となれば、いかな能力でも容易に対処されてしまうのは想像に難くない。
それなのにわざわざ明記して実態を晒すなんて、もしもの時には殺してくれと言っているようなもんだが……
「うん。繰り返すようだけど、ここにいるのは大半が異世界からやってきた人間だ。そしてその全員が、この世界そのものを揺るがしかねないほどの強力な力を持っている。だから、せめてその正体だけでも知っておかないと……何か問題があった時に、対処できないんだよ」
「……」
なるほど。確かに、そういう考え方もあるな。
一人一人が能力を隠して疑心暗鬼になるより、全員に周知させて互いに牽制させあう方が、まだマシな関係を築けるかもしれない。
だが、そうやってコミュニティを形作るメリットと、能力を知られるリスク……どちらが大きいかを考えると微妙なところだ。
「信用できない?」
「……少し、な」
「そっか……でも、これを書いてもらわないと村には住めないから……そうだ! 証明ってわけじゃないけど、まずはおれの能力を見せるよ」
言うが早いか、カケルは右腕をテーブルの上へと突き出し、その手を――カッ! 文字通り、光らせた。
光は幾何学模様で構成された魔法陣のような円をいくつも手の先に連ねて、一瞬強く発光。
次の瞬間、カケルの手には光の代わりに一振りの長剣が握られていた。
幅の広い剣身を持った、両刃の西洋剣だ。ドラ○エにでも出てきそうだな。
「これがおれの能力。思い浮かべた剣を自由に生み出せる……って言えばいいのかな」
剣を生み出す能力か。いかにも転移者が望みそうな、主人公らしい力だな。
だが、ありきたりだからって弱いわけじゃない。むしろこの世界では、少なくとも俺の能力なんかよりはよっぽど役に立つだろう。ようするに、いつでもどこでも武器が持てるってことなんだからな。
「他のみんなも、頼めばすぐに能力を見せてくれると思う。だって力っていうのは、誰かといがみ合うためだけにあるんじゃないんだもの。1人では無理なことでも、他の誰かの力を借りればきっと解決できる。手の内を明かしあうことで、初めておれたちは手を取り合えるんだよ。……どうかな? やっぱり、そう簡単には信じられないかな?」
「……いいや」
こうも躊躇いなく他人を信じて自分をさらけ出せる人間の言葉だ。これに応えないほど、俺は人間不信を極めてるわけじゃない。
再びペンを紙に向けた俺は、記された最後の項目に、望んだ能力の名とその説明を書き込んだ。
「……コミュ力?」
それを、剣を消滅させたカケルが少し身を乗り出して確認し、尋ねてくる。
「ああ。つっても、正しく機能してるかどうかは微妙だけどな」
今こうしてカケルと話しているのは、どう客観的に見ても素の俺――転移する以前のままの俺だ。とても能力が働いているほど完璧な受け答えができているとは思えない。エルフ少女と話した時にそれっぽい台詞が言えたのも、今となっては能力があると思い込んだことによるプラシーボ効果だった可能性が濃厚だ。
それに天使も、俺が望んだ形とは少し違うと言っていた。となれば、発動する対象に制限があるか、そもそも俺が考えるコミュ力とは異なる性質か……いずれにしろ、俺が望んだ通りの性能が発揮されていないのは確かだ。
なので、当初考えていた詳細のままで項目を埋めるのは気が引けるんだが……こう書く以外に、俺の能力を説明する方法もないんだよな。
「そうかな? ナユタの話し方、おれは好きだけどなぁ」
「男の世辞なんか嬉しくないっての」
言いながら、「お世辞なんかじゃないよ~」と微笑むカケルに書き終えた紙を手渡す。
それをカケルは一言礼を言って受け取り、記入漏れがないことを確認すると紙束の一番上に戻した。
「よし、これでナユタもこの村の一員だ。それで、ここからはお願いっていう形になるんだけど……」
お願い、か。大方の予想はつくが、一応内容は聞いておこう。
「話した通り、この村は慢性的な住宅問題に悩まされててね。ナユタが住む家も、すぐには手配できそうにない。だから、その……言いにくいんだけど、しばらくは野宿か、他の人の家を間借りさせてもらうしかないんだ」
「間借り……お前の家はダメなのか?」
「ごめん。おれも今は、一室を4人でシェアしてる状態なんだ。これ以上はちょっと……厳しいかな」
「……そうか」
なら、無理にとは言えないな。仮に了承されたとしても、そんな大所帯の中に飛び込む勇気は俺にはないが。
だがそうなると、他にツテのない俺はほぼ野宿で確定だ。村の惨状を見た時から薄々予想していたとはいえ、いざ現実になると多少なりとも心に刺さるな。
「本当にごめん。できるだけ早く住む場所が確保できるように、おれもみんなにかけあってみるから……」
「気にするな。お前らが頑張ってるのは見ればわかる。俺も俺で……まあ、なんとかするさ」
実態は掴みきれていないが、俺が手に入れた能力はコミュ力に違いないんだ。なら、どうにかしてこの力を発動させられれば、一軒くらいは居候させてくれる家が見つかるかもしれない。まあ、最悪野宿でも、今日明日に命がどうにかなるってわけじゃないしな。
それでもなお謝り続けるカケルをなだめて、俺は席を立とうとする。
だが、その時だ。事務室のドアがバタンッと力強く開かれ、奥から似合わないスーツを着た筋骨隆々の大男が顔を出した。
白人らしく、精悍な顔つきだ。外の連中よりもかなり大人びて見えるが、それなりに若い。20代後半ってところだろう。
つるりと剃り上げた頭を光らせながら、大男はカケルに向かって外国語で声をかける。
「おーい、カケル! 話は終わったか?」
「うん、今終わったとこ。何かあったの?」
それに対して、カケルも同じ言語で返答した。
これは……多分、英語だな。そういえば、この村の復興作業は英語圏の出身者が中心と言っていた。おそらく英語がここの公用語なんだろう。
それにしてもカケル、英語が話せたんだな。そりゃあ日本人ながらこんなところで働けるわけだ。
「ああ。新人のやつが、賢者様への配達を忘れててな。悪いがカケル、代わりに届けに行ってくれないか?」
「えー……おれ、あの人苦手なんだけど……」
「賢者?」
露骨に嫌そうな顔で受け答えしているカケルに尋ねる。
「え? ……ああ、うん、そう。この村の近くに賢者って呼ばれてる凄腕の魔法使いが住んでてね、その人にいろいろお願いを聞いてもらってるんだ。代わりに、おれたちから物資なんかを届けてるんだけど……」
「お前はそいつに会いたくないんだな」
「正直なところね。……ってナユタ、英語話せたの!?」
今更になって自分たちが英語で話していたことを思い出したのか、カケルが驚愕の表情で尋ねてくる。
「いや、聞き取れただけだ。俺の英会話能力なんて中学生レベルで止まってる」
なぜか2人の会話の内容だけは、日本語を聞いてるみたいにハッキリわかったけどな。
「そっか……英語ができるなら役場で働くこともできたんだけど……」
「悪いが社畜はお断りだからな?」
職員なら家の融通も優先できるとカケルは熱心に勧誘してきたが、この役場がブラック企業も真っ青のハードな業務を抱えているのは火を見るより明らかだ。
実際に働いてるカケルたちには申し訳ないが、そんなところで心身をすり減らすくらいなら、俺はおとなしく野宿することを選ぶ。
「で、配達だったよな。なんなら俺が行ってこようか?」
どうせ行くアテもやることもないからな。どこかの家の軒下にうずくまってるくらいなら、パシリでもやってた方がまだ人としてまっとうだ。
それに、賢者という人物も気になる。もしかしたら、そいつに聞けば俺の能力について何かわかることがあるかもしれない。
「いいの!? ……いや、でも、来たばかりのナユタにそんなことさせるわけには……」
「そういうのはいいから、やらせてくれ。暇潰しにはちょうどいいし」
「……ありがとう。助かるよ」
複雑そうな表情で頭を下げるカケルから賢者の家の場所を聞き、大男から配達物だという紙袋を受け取って、俺はまったりとした足取りで役場を後にした。