第17話 深緑事変(Ⅳ)
「お、父さん……?」
ロスター、将軍……!?
その背後には武器を手にしたエルフィア兵士の姿がある。見渡せば、弓を構えて木の陰から様子をうかがっている兵士も何人か確認できた。
マズい……いつの間にか、完全に囲まれてるぞ……!?
「どうして……こんなに近くまで来ていて、気付かないはずないのに……!」
ずっと『辺際無限』を手にして自己強化していたはずのカケルの、誰にともなく呟かれた疑問に、
「――魔法」
応じてかどうかは知らないが、メイリがぽつりと呟きを重ねる。
――ああ、クソ。そういうことか。
メイリの生み出せる魔法が割と直接的な現象ばかりだったから、魔法にはそういう類しかないのだと勝手に思い込んでいたが……
大人数の気配を消す――そんな便利で都合のいい魔法も、この世界にはあるみたいだな。
内心悪態を吐きながら、俺は血で赤黒く染まった肩を手で押さえて立ち上がり、将軍を睨んだ。
「なんで……お前が、ここにいる……ッ」
「ハッ! 当然、無様に逃げ支度をする貴様らを嘲りに来た――と言いたいところだが、それはついでだ。貴様らに預けていたものを、返してもらいにきた、な」
答えて、将軍が目を向けた先にいるのは――リセナ。
――なるほど、それが理由か。この場にいるのも、準備があると言って行動を起こさなかったのも。
村に逃げ込んだリセナが今どこにいるかを探ってたんだな。作戦を始める前にリセナの安全を確保しようとしていたところ、気配を消して尾行してた兵士がここで見つけたから、慌てて将軍自ら連れ戻しにやってきたわけだ。
こんなことなら、無理をしてでもリセナには村に隠れていてもらうべきだったのかもな。今更言ってもどうにもならないが。
武器を手にした兵士にじりじりと距離を詰められ、俺たちは身動きが取れない。
そのうちに、困惑した表情のリセナと、慈悲をかける牧師のような優しい顔になった将軍が対峙していた。
「――リセナ」
「お父さん……」
「別れを済ませる時間は十分やった。もう心残りはないだろう? さあ――戻ってきなさい。今なら罪には問わぬ」
「い、いや……」
「聞き分けなさい。お前ももう17。若気の至りで非行に走るのはやむなしと、今まで大目に見てきたが……頃合いだ。将来のためにも、悪しき道からはここで足を洗っておこうではないか」
「何を言ってるの? 違うよお父さんっ、私はそんなつもりじゃ――」
将軍のその物言いは、上司が部下を叱るというよりは、まるで火遊びをした教え子を諭す教師のような。
だが、リセナが首を振り続けると、だんだんと態度に苛立ちが混ざり始める。
「まったく、手間のかかる娘だ。やはり一度、現実というものを突きつけてやらねば理解できぬらしい。仕方のない……」
「っ! 何をする気!? お父さん、やめてっ!」
「――やれ」
ダダダッ――!
低い声で将軍が命じると、弾かれたように兵士が動き出した。
リセナへの誤射を案じてか、弓や魔法は使わずに近接武器で仕掛けてくる。
おかげで村の側の対処は比較的落ち着いているが……
数が……多い。おそらく、拠点を守護していた兵士に加え、魔法部隊にも武器を持たせて前線に参加させているのだろう。
対するこちらは数人で、そのうちほぼ全員が手負いの状態なんだ。中には能力の発動が満足にできない――ガス欠状態に陥りかけている者もいる。
――戦闘では優位というこちらのアドバンテージを、完全に奪われた。
このまま戦ってたら、やられるぞ。ここにいる全員……!
「<ブラスト>」
うずくまる俺に突進する兵士を、呟きとともにメイリが渦を巻く突風で吹き飛ばす。
反対側から迫る兵士も、同様に風でなぎ倒され――
「っ――<テンペスト>」
さらにメイリが両腕を振るうと、俺とメイリの周囲を先ほどよりも数倍強い暴風が取り囲んだ。
その風は矢だけではなく、人すらも寄せつけない嵐の防壁。
しかし、ところどころに綻びがあるのか、兵士たちは風の弱いところを狙って突入を試みる。
そいつらを、片手で嵐を制御しながら、もう片方の手で突風を放って弾き出す、メイリは――明らかな焦りの色を、寄せた眉根に表していた。
原因は――わかる。
俺だ。俺をかばっているせいで、メイリは十全に力を発揮できていないんだ。
(何か、俺にできることは……!?)
今の俺は足手まとい以下だ。何をしてもメイリたちの邪魔しかできないし、邪魔にならないよう離れることもこの乱戦のただ中ではできそうにない。
いっそ自殺でもすれば憂いを取り除いてやれるんじゃないかとも思ったが、俺が死んだら村とエルフィアの橋渡し役がいなくなる。すべてにカタをつけるまで、俺が死ぬわけにはいかないんだ。
かといって、他にできることなんか何一つ思い浮かばない。
どうすれば……いいんだよ……!
「――どうして?」
そんな俺を横目で見ながら、メイリが唐突に問いかけてくる。
状況にまったくそぐわない、至極簡潔で意味不明な質問だ。淡々としたいつも通りの口調なせいで、真意を探ろうにも欠片ほども読み取れない。
焦燥感を抑えきれない俺は、その問いかけに皮肉交じりに答えた。
「そこは『大丈夫?』とでも聞いてほしかったところだな……!」
「わたしなら、大丈夫だった」
「そうじゃねえよ! いや、そうなのかもしれないけど……」
――ああ、なるほど。
メイリは、俺が矢からかばったことを――怒ってるんだな。
確かに、あの程度の不意の一撃、メイリならどうとでもなったんだろう。
俺なんかが体を張ってかばう必要なんか、どこにもなかったんだろう。
俺が負ったこれは名誉の負傷でもなんでもない、ただの無駄骨。
成果なんて何もなく、イタズラに状況を悪化させただけ――メイリが言いたいのは、そういうことなんだろうな。
だけど――
「それでも――体が動いちまったもんは仕方ないだろ! 別にかっこつけようとか、いいとこ見せようとか少しも思ってねえよ! ただ、お前を守らなきゃって必死だっただけだ! それくらい見てわかれ!」
真っ白な頭で、浮かんできた言葉をとにかく告げた。
自分でも何を言っているのかわからない。何か、とんでもなく恥ずかしいことを口に出した気もする。
でもこれは、正しく本音。偽りのない俺の本心だ。
メイリからすれば等しく言い訳。ただの逆ギレなのかもしれないけれど。
あの時の選択は、この結果は、俺にはこれ以上ないくらいにたった1つの正解だったんだ。
「――そう」
吐き出すような俺の言葉に、メイリは一言呟いて背を向けた。
そこにいるのはいつものメイリで、焦りも、怒りも、その後ろ姿からはまったく感じられなくて――
許してくれたのか――なんて、期待とも不安ともつかない感情を胸に抱きながら、俺はメイリの背中をぼんやりと見つめる。
――そんな時だった。
「ナユタ」
背を向けたまま、メイリがぽつりと名前を呼ぶ。
出会ってこの方、一度たりとも、その口から発せられたことのなかった人の名を。
――俺の、名前を。
それは、ほんの些細な気まぐれだったのかもしれない。
誰もが「そんなことで」と一笑に付すような、なんでもない変化なのかもしれない。
けれどその変化は、俺にとっては――
石ころではなく人として、この小さな女の子のそばにあることを許された――その証明のような気がして――
「10秒だけ、時間をつくって」
「――――任せろ!」
呆然と無力感に苛まれていたさっきまでが嘘みたいに、体に熱が走るのを感じる。
弾かれるように立ち上がった俺は、思考。――それも、一瞬。
メイリの願いに応じるために必要な方法を、手段を、すぐさま頭の中で構築する。
時間を作る――それは言い換えれば『安全を確保する』ということだ。
バトルマンガの主人公なら、自ら敵を足止めしたり注意を引いたりして、そのための場所を『作る』のだろうが――当然ながら、俺にはそんな力も技術も話術もない。
だから、狙うならばもう1つの方法――メイリを『安全な場所に連れていく』ことだ。
まずは探す。メイリに時間を与えることができる、どんな魔手も届かない聖域を。
(――あった)
縦横無尽に視界を巡らせると、そこはすぐに見つかった。
あの場所なら、剣はもちろん弓さえ届かない。この乱戦下では狙撃のための魔法も構築する余裕はないはずだ。10秒などと言わず、十分な時間をメイリに与えられる。
(あとは……)
残す問題は、そこに行くための手段だけだ。
それも、ある。たった1つだけだが、既に思いついている。
だが……足りない。今の俺には、そのための力が。
――違う。
足りないんじゃない。これも、見つかっていないだけだ。
必要なものはすべて手にしている。あるはずの中から見つけ出せ。今の俺を、模索しろ。
身体。知識。魔法。能力……ダメだ。どれを取っても必要とする力には及ばない。
選んでいては、届かない。何に対しても全力を出してこなかった俺の中には、信じられるたった1つが存在しない。
……なら。
ならば。
組み合わせてみれば――どうだ?
1つで無理なら、2つ。共通点を見つけ出して、つなぎ合わせることができれば――
――――――――
――――
――見つけた。
思った通りだ。
やはりすべては、俺の手の中にあった!
「カケルッ!」
思考の終着点に辿り着いた俺は、悪戦苦闘するカケルに向かって声を張り上げる。
目指す場所に向かうための『箱舟』を、用意してもらうために。
「なんでもいい――そのへんにある木を、ぶった斬れぇッ!!」
「――了解!」
大きく頷いたカケルは、右手の剣を放り投げて新たな剣を手にする。
体を大きくひねり、その分厚いナタのような剣を力任せにカケルが振るうと――
「『虚空斬月』!!」
一閃。大気を震わせる真空の刃が刀身から一直線に放たれ、付近の最も巨大な樹木を根元から両断した。
角度がよかったのか、それ自体カケルの意図したことだったのか。ぐらりと揺らいだ巨木はゆっくりと倒れ――兵士たちをクモの子のように散らしながら、ちょうど俺とメイリの目の前へと横たわる。
「来いッ、メイリ!」
兵士たちが戻ってこないうちに俺はその幹へと飛び乗り、メイリの手を引いて抱き寄せた。
続けざま、肩から溢れる血を左手ですくい取ってインクにし、乾いた木の表面に魔法陣を描き出す。
その魔法陣が意味するのは――<フロート>。
物体に強力な反重力を作用させ、浮かび上がらせる魔法だ。
もう3週間以上も前になる夜。メイリが見せてくれたあの演舞が妙に印象に残っていた俺は、無理を言って<フレイム>のついでにこの魔法も教わっていた。
……といっても、教わったのは文字通り初歩中の初歩だ。
持ち上げられるのはせいぜい枯れ葉1枚くらい。これほどの大きな物体では、魔法の効力を全体に行き渡らせることすらできた試しがない。
どれだけ精密に描いたところで、俺が覚えた魔法陣では、この箱舟の動力にはなりえない。
――それが、どうしたッ!
魔法陣に力がないなら、他の方法で補えばいいだけの話だ。
今ならわかる。俺ならできると。俺の能力は、このためにあったのだと。
魔法と、能力を、結びつける。
これこそが、俺の見出した可能性。そしてその鍵は――『術式鍵語』だ。
術式鍵語。
それは魔法陣という『数式』と、魔法という『答え』を結びつけるだけの、ただの『=』。重要なのは意味だけで、何かを変える力なんてこれ自体にはない――石ころのような、魔法にとってはどうでもいい存在。
……本当に、そうか?
術式鍵語は、言葉だ。言葉とは、誰かと話し、関係を結ぶためにある、千変万化のコミュニケーションツールだ。
それがただ、1つの式の前後を結ぶためだけにあるだなんて――そんなの、絶対におかしいじゃないか。
俺とメイリが出会ったあの日。俺の何気ない一言がメイリの態度を揺さぶったように。
俺が言葉を聞き取れたことをきっかけにして、マルクが俺たちの家に居ついたように。
リセナと話せたおかげで、戦いの先に存在する未来を見つけ出すことができたように。
言葉ってのは、何かと何かをつなげるためだけの存在じゃない。
つながって、わかり合って、何かを知って、知らせて――自分と相手、そのどちらも変えることのできる、無限の可能性なんだ。
だから――だったら――
たかが1つの――たかが魔法――
――変えるくらい、してみやがれッ!!
「<フロート>ォォオオオォォォォォォォォォ――――ッ!!」
叫ぶッ!!
天に向かって、ただひたすらに、のどが張り裂けそうなくらい強く、声を張り上げる!
その時――俺は、目にする。
俺の声に反響するように、呼応するように、周囲のマナが強烈に波打つのを。
次の瞬間。マナは、荒々しい激流となって魔法陣へと流れ込んだ。
血とマナが混ざり合いこの次元の存在でなくなった魔法陣は、七色を経て白色に発光し――瞬く間に光を溢れさせ、巨木全体を包みこむ。
そして、ガクンッ!
一瞬大きく揺れて、巨木が地面から浮かび上がった。
上手くいった――と喜ぶ間もなく、上昇の速度は段階的に増していく。
直後――ぐぐぐぐぐぐッ!
強烈な空気圧を俺たちに叩きつけながら、逆バンジーのような勢いで跳ね上がった。
振り落とされないようメイリの肩をしっかりと抱き、目を閉じて速度に耐える。
そうして、次に目を開いた俺の前にあったのは――
「――っ――」
一面に広がる、鮮やかな蒼空。
眼下には豊かな緑。はるか彼方には、直下の緑よりも幾分か薄い緑青の草原が姿を見せた。
(――なんだ。思ったより広くないんだな、この森)
などと、状況を忘れてその光景に見惚れるのもつかの間――
この高度でも揺らぐ様子のない巨木の幹に、しっかりと足を踏ん張って立ち上がる。
そして、大きく息を吸い――今度は眼下に向かって、再び声を張り上げた。
「勝負といこうぜッ、ロスター将軍!」
ここからでは豆粒のようなサイズの将軍が、それでもこちらを見上げて歯を食いしばるのがわかる。
「お前の信じる世界と、俺の信じる賢者――どっちが上か! その目で、確かめてみろオォォォッ!!」
大きく一息。吐き出しきって、腰を落とす俺は――
同時に立ち上がったメイリへと、流れるように視線を向けた。
「メイリ」
今度はしっかりと目を合わせてくれたメイリに、最大限微笑みかけながら――託す。
「今の俺にできるのは、ここまでが限界みたいだ。だからさ――」
決着をつける、最後の一撃を。
「あとは任せたぜ。賢者様?」
「ん。任された」
頷くと――最強の賢者が、そこにいた。
「三重魔法陣条件展開」
呟いたメイリが両腕を左右へ広げるように振るうと、その正面に、連なった3つの魔法陣が浮かび上がる。
――何が起こったのかはわからない。
でも、見間違いじゃない。まるで最初からそうなるよう計算されていたかのように、メイリの手でかき乱されたマナが魔法陣を形作ったんだ。
3つの魔法陣へ向けて、メイリは緩やかな動作で左手を――否、両手を添える。
そして、精密な機器を操作する技師にも勝る集中を魅せながら調整を始めた。
「結合演算――正常稼働確認」
まるで、ピアノで旋律を奏でるように。
七色に輝くマナの光の中を、メイリの手は優雅に舞い踊る。
時間にしてわずか数秒。
けれど完成した魔法陣は、まさしく芸術品と称するにふさわしい精緻さと優美さを伴ってそこにあった。
「接続」
メイリは再度、今度はクロスさせるように両腕を振るう。
すると、その動きに対応して、魔法陣が――形を保ったまま、スライド。中央の魔法陣を挟み込む形で、左右の魔法陣が同心円状に重なる。
それは噛み合った歯車か。
動力などあるはずもない、ただ空間に描かれた図形というだけの、3つの魔法陣が――その瞬間、それぞれ異なる速度で回転し始める。
マナの輝きは速度に比例して眩しさを増し、稼働する魔法陣を中心に強烈な光の奔流を生む。
ここに神秘の完成があることは、もはや疑いようがなかった。
「詠唱連語認証開始」
澄んだ息吹から紡がれるは、奇跡を呼び覚ます理の調べ。
「【映すは幻想。穿つは虚構】」
1つ、唱えるたびに1つ。魔法陣の輝きが飽和する。
「【波及せよ。この手及ぶは遥か地平】」
2つ。マナの嵐が大気さえも振るわせる。
圧倒されて息ができない。けれどメイリから、魔法陣から、目をそらすことはありえない。
「【鉄槌はここに。必滅の未知を、照らし出せ】」
3つ。言葉を締めくくると同時。三重の魔法陣それぞれの中央が、小さく真円の空洞となって開く。
その形は、言の葉の鍵を受け入れるための――まさしく、鍵穴だった。
「承認。魔法陣起動」
溢れた光がメイリの右手に集中し、凝縮されて小さな鍵の形を成す。
告げられた最後の文言とともに、それは鍵穴へと投げ込まれ、そして今――
「術式鍵語――<虚妄に墜す全天の星>」
天上の扉が、開かれる――!
ゴオオオオォォォォオオオォォォォォ――――ッッッ!!
突如、轟く爆音。
見上げると――空に厳かな光の扉が開き、そこから超巨大な何かがゆっくりと接近してきていた。
圧倒的なまでの質量。
それはこの大陸を、この世界を、一息に打ち砕いてしまえるほどの、惑星に等しき大きさをした隕石だった。
ここで俺はようやく、メイリが俺の思いつきのような発言を本当にしてくれたのだと気付く。
まさかこれほどのことをやってのけるなんて思いもしなかったが……
おかげで、自分たちの真上に星が落ちてくるこんな絶体絶命の状況であっても、俺の心に動揺はなかった。
見下ろせば、敵も味方も関係なく慌てふためき、あるいは呆然と立ちすくむ姿が見てとれて――
視線は自然と、隣に立つ少女へと向かう。
(……遠いなぁ)
これだけのことを成し遂げてなお、上空を見上げるその表情に揺らぎはなく。
すぐ近くにあるはずの横顔に、途方もない距離を感じながら――俺は、迫る結末を静かに受け止めた。
そして――