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第9話 混沌を運ぶ来訪者(Ⅰ)

 この世界にやってきてから2週間近くが経過しようとしていた。


 異世界の毎日は驚きの連続――というのがお約束のはずなのだが、俺たちの日常は平和そのもの。日の高い時間に起きて本を読み、寝るという、ほとんど前の世界(ニート)と変わらない生活を繰り返していた。


 変わったことといえば、マルクが家に帰ったことくらいか。あの時のマルクは泣くしメイリに抱きついて離れないし八つ当たりで俺に剣を振るしでウザ……大変だった。

 まあ、それも実家と連絡を取るためだけの一時帰宅だったらしく、結局数日したら戻ってきて、今も普段と変わらず家事にメイリの世話にと家の中を駆け回ってるんだけどな。


 それ以外は特に……いや、1つだけあったな。俺自身にはあまり関係のないことだから、ここ数日に至るまでは気にも留めていなかったが。


「またか……」


 村の伝令役が持ってきてくれた封筒を見て、俺は嘆息する。

 それは連日メイリのもとに届けられる依頼だ。だが、内容なんて――テーブルの上に幾重にも重ねられた同じ形の封から(かんが)みれば、想像するまでもない。


「メイリ。依頼だ」

「また村から?」

「以外にあると思うか?」


 メイリですら声音に若干の呆れと疲れをにじませる、その依頼は――治療。

 魔物に襲われた戦えない村人のケガを治してほしいという、状況から対象まで2週間前の俺とそっくりな内容だ。


 もっとも、それだけなら困るようなことじゃない。むしろ治療なんて、メイリのところに来る依頼の中ではトップを争うくらいメジャーなものだ。物資も医療関係者も不足しているこの村では、どのような手段であれ治療ができる人材は貴重だからな。


 問題なのは、その件数。俺が来た前後あたりから、目に見えて数が増しているらしいのだ。以前を知らない俺では何とも言えないが、メイリと、あとカケルも言ってたくらいだから間違いはない。


 もちろん、村の対策は万全だ。村の外には極力非戦闘員は出さないし、どうしても出なければならない時には、戦闘系能力者を護衛につけることを義務として徹底している。

 だが――そうしたら今度は村の中にまで魔物が入り込んできてしまい、余計に被害が増加するという事態に(おちい)ってしまっているそうだ。


 その原因は、いまだ村でも解明されていない。襲いかかってくる魔物の多くがこの辺りではあまり見られない種であることから、単純に魔物の種類と数が増加した可能性が示唆(しさ)されているが……魔物が増える特別な事情など知るはずもなく、議論は停滞したままだ。


「行ってくる」

「ああ。気をつけてな」


 俺から封筒を受け取ったメイリは、一言告げると階段を上っていった。


 メイリが帰ってくるまでの間、俺たちは留守番している。最初のうちは俺やマルクも同行してたが、別段仕事もなく、メイリ自身に護衛も必要ないので、ついていっても邪魔なだけ――という結論に至ったためだ。特にマルクには、ついていくよりも家で家事をしててもらう方が何かと効率がよかったりするしな。


 だが、マルクと違って俺は家でもやることがない。ので、最近は魔法の勉強と――もう1つ、とある作業をして時間を潰している。


「――また、アッシュ語の抜き書きか?」

『そうだ』


 掃き掃除をしながら首だけこっちに向けてため息をつくマルクに、俺はテーブルの上に広げられた大量の紙の中から、1枚を抜き出してマルクに見せる。そこに大きく書かれているのは、この世界で現在使われている公用語――アッシュ語というらしい――で『YES』を意味する言葉だ。


 そう。俺の作業とは、何を隠そうこの紙の作成。とはいってもやってることは単純で、この家にあるアッシュ語の本から使えそうな文章を抜き出して書き写しているだけだ。


「それ、意味あるのか?」

『当たり前だ』


 マルクに問われるが、意味がないならこんなことやっちゃいない。意味も目的もあるからこその行動だ。


 俺の能力では、既存の文章を読んだり言葉のオウム返しができても、自力で文章を書いたり話したりができない。発音も文法もわからないからな。

 だが、会話はなにも自分の言葉だけを使わなきゃいけないわけじゃない。要はこちらの意思を相手に伝えられればそれでいいんだ。


 そこで俺が選んだのが、この抜き書き。他人の書いた言葉を借りるという手法だ。

 これを使えば、事前に書いておいた文章を見せるだけで返事ができるようになる。翻訳アプリのようにとはいかないが、これで少なくともオウム返しだけのころよりはマシになっただろう。実際、今のように、マルクとも簡単な意思疎通ならとれるようになった。


 欲を言えば筆談くらいはできるようになっておきたいのだが、それをするには圧倒的に俺の脳のキャパと、あと文法の知識が足りなさすぎる。今の俺にはここまでが限界だ。


 まあ、一応、文法だけならなんとかする方法がないわけでもないんだが……


「でもお前、アッシュ語わかるんだろう?」

『話せないんだ』

「聞き取れるのに……か? ヘンなやつだな。だったら覚えればいいじゃないか。なんなら、このボクが手伝ってやってもいいぞ」

『それもいいかもな』

「そうだろう、そうだろうっ。じゃあ早速、跪いて足にく――」

『だが断る』

「なんでだよっ!」


 やっぱりなし。マルクに頼むのだけはダメだ。マルクは俺のことをライバルとでも思ってるのか、ここ最近はなにかにつけて俺を自分より下の立場に置こうとしてくる節があるからな。大方、俺の行動を制限して少しずつメイリから遠ざけようとでもしてるんだろうが、その手には乗るか。


 で、そうこうしてるうちに用意してあった紙を使い切り、資料に使っていた本もちょうど最後のページとなった。あまり量が多くなっても使いづらくなるだけだし、今回はここで打ち止めとしておこう。

 雑多に散らばっていた紙を事前に決めていた順番で重ね、太い針で端に穴をあける。そこに針金を通して丸め――


「……できた!」


 俺監修『これさえあればまるっと解決! 日常で役立つアッシュ語集』第1編の完成だ。

 作りは簡単だが、時間をかけただけあって完成度は中々のレベルになったぞ。すべてのページにはアッシュ語の文章の下に日本語で意味を書き込んだし、その意味別に索引も用意してある。俺が使わなくなっても誰かに押し付け……もとい、引き渡すことのできる永久保存版だ。

 大きさは一般的なスケッチブックと同じくらいで、厚さは文庫本の半分程度。持ち運びには若干不便だが、あまり小さくすると人に見せるっていう目当ての使い方ができなくなるからこれでいい。


「終わったのか? よし、じゃあちゃんと使えるかボクがチェックしてやろう!」

「いらねえよ! って、あ、おいバカ勝手に触んな!」


 出来上がった冊子を頭上に掲げていると、マルクが後ろから身を乗り出して持っていこうとする。

 ちなみにその際後頭部に胸の部分が思いっきり当たっているのだが、先日風呂で見たサイズから推測される柔らかさは一切感じない。男装女子七不思議の1つ『胸どこ行った』はこいつにもしっかり適用されているようだ。


 ……それにしてもマルクのやつ、今日はやけに絡んでくるな。暇なんだろうか。

 家事を一手に引き受けてくれているマルクだが、さすがに一日中働いているわけではなく、暇そうにしている時間も結構ある。いつもはその間メイリにべったりなんだが、今日は肝心のメイリがまだ帰ってきてないからな。

 ……あれ? そういえば――


「なあ、マルク」

「なんだ。ていうか愛称で呼ぶなっ」


 俺から冊子が奪えなくてぶうたれてるマルクに向き直り、冊子のページをめくる。


『遅い』

「何がだ?」

「メイリだよ」

「メイ……確か、ご主人の名だったな。言われてみればいつもより遅いが……気にするようなことか?」


 マルクはあっけらかんと言うが、これが相当に珍しい事態なのは明白だ。

 メイリは基本的に寄り道をしない。たまについでで別の依頼を片付けてくることはあるが、そういう時には必ず家を出る前に連絡をくれていた。

 そのメイリが家を出てから、もうかなりの時間が経過している。毎日少しずつ進めていた俺の作業が一気に完遂できてしまうくらいには。


(心配だな……)


 魔物に襲われたとか、そういう心配はしていない。魔法が使えるメイリなら、少なくとも俺を襲ったオオカミ程度に後れを取ることはないだろうからな。


 気がかりなのはメイリの体調面だ。

 数日一緒に過ごしてわかったことだが、メイリには体力や筋力といった身体能力が皆無と言っていいほどにない。数秒走っただけで息切れするし、いつも読んでいる本ですら2冊以上は同時に持ち上げられないくらいだ。

 そんなメイリに、ここ数日は何度も家と村を往復させてしまっている。心配に思わない方が悪いだろう。


 しかも、メイリのあの、全身真っ白な体質。あれは確か、アルビノというやつだったはずだ。

 ほとんどウロ覚えのテレビ知識だが、アルビノは紫外線に弱いと聞いたことがある。とは言ってもこの辺りは密集した木のおかげで日影が多いし、メイリは日傘を常に持ち歩いてるから、命にかかわる問題はないと思うが……疲労と重なって、どこかで体調を崩している可能性は大いにある。

 もしもそんなところを魔物に襲われでもしたら、いくらメイリでも危ないかもしれない。


『見てくる』


 いてもたってもいられなくなった俺は、冊子を手にして席を立つ。


「勝手なことを言うな。お前1人で外に出たらこの間の二の舞だろうが。……ちょっと待ってろ。ボクも行く」


 その後ろに、剣を腰に下げたマルクが続いた。

 なんだかんだ言いながら、俺のことも気にかけてくれているんだな。今回の場合、こいつもメイリのことが心配になっただけかもしれないが。

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