第1話 異世界はテンプレとともに
「レディース・アンド・ジェントルメン! でもなんでもなければ平々凡々NOT長所なそこの君! ようこそお越しくださいました! といってもこっちが勝手に呼んだんだけど!?」
樫木那由多。18歳。
コミュ障こじらせて高校を中退した挙句、1年以上も自宅警備員を続けてる――よくいるとまでは言わないが、昨今さほど珍しくもないクズ野郎だ。
「ここは君のように、無念の死を遂げた不憫で不運で不幸な若者たちに、もう一度人生をやりなおすためのチャンスを与える場所! 通称も座標も長くなるので以下省略!」
その日。いつもの通り自宅でネトゲに明け暮れていた俺は、底をついた夜食の補充のために、夜も遅くにコンビニを目指して家を出た。
悲劇が起こったのは直後のことだ。路地の角を曲がった先で、無灯火でやってきた車に追突された。
「え? チャンスって何のことだって? よくぞ聞いてくれたね拍手! 君に与える新たなチャンス――何を隠そう、それは当然、ベターでポピュラーに異世界召喚の権利だ! しかもしかもなんとなんと! 何でも好きな能力を1つ宿せるオマケ付き! 学歴資格は問いません!」
そして、気付けばこの場所だ。
真っ暗で何もない空間に、簡素な椅子に座った俺と、大げさな身振りで何やら演説する1人の女だけが存在している。
その女の背中には、白く大きな一対の羽が生えていた。
一面の黒を夜に見立て、星を散りばめたように輝く黄金の髪。白い法衣に包まれてなお強く主張する肢体は、人としての形を保っているのが奇跡と思えるほど完全無欠。だが、何よりも目を見張るのは、女神にも等しいその美貌だろう。
人智を超越した究極の美に彩られし翼の乙女。
その姿は、紛れもなく天使だった。
「これを断る君じゃないよね!? だったら話は簡単だ! 君がほしいのは勇者の剣か? はたまた幻想殺す右腕か!? どんな力だってお望み通り! 運命は君の選択次第!」
うねる銀河のように黄金の髪を振り回して、最後に大仰なポーズをとった天使が制止する。
「さあ問おう! 君はどんな力がほしい?」
それが、ここまで一人芝居のように振る舞っていた天使からの、俺への問いだと認識して、俺の思考はようやく回転を始めた。
まずは状況を整理しよう。
どんなトチ狂ったいきさつがあったのかは知らないが、俺は今、どうやら異世界に招待されているらしい。
その理由は、不幸に死んだ若者であったからということのようだ。車に轢かれて死ぬなんて最近じゃそう珍しくもなんともないと思うんだが、ここに来られたってことは多分、その条件は満たしたのだろう。案外ユルいんだな、不幸の基準。
しかもその召喚には、好きな特殊能力をなんでも1つ持っていけるらしい。
天使の言いぶりから察するに、強さも形態も自由自在。エ○スカリバーだろうとか○はめ波だろうと、それを能力とするなら望むことができるようだ。
つまるところ、現状はいたってシンプル。
異世界に行きたいか?
行くとするなら、どんなチートを持っていきたい?
この2つの質問が、俺に投げかけられたということだ。
……………………
…………
……
バカバカしい。
どこの誰だ? こんな低俗にもほどがあるドッキリを思いついたのは。今どきウェブ小説家でもここまでありきたりなシナリオは書かないぞ。
まず、展開が雑すぎる。事故死して異世界召喚なんて、異世界っていうジャンルが流行り始めた初期からある導入じゃないか。リアリティを求めるならもっと、誰も予想できないような意外性のある召喚方法にするべきだ。
しかも、能力を選択可能? 頭おかしいんですかこの企画の立案者は。仮に本当だとして『無限に能力を生み出せる能力』とか言われたらどうするつもりなんだ。チートにも限度ってもんがあるだろうが。
こんなの、どこからどう見たって手の込んだ三文芝居でしかない。相手するだけ無駄ってもんだ。
どうせ、俺が恥ずかしい厨二能力を口走ったあたりで『ドッキリ大成功!』の札を持ったスタッフどもが押しかけてくるんだろ。俺みたいなクズを高い金をかけてイジる理由なんか知らないが、生憎と俺は今以上の笑い者になる気はないんでな。
だから――ここは、黙り続けるべきだ。
黙っていれば、こんな茶番もきっとすぐに終わるはずだから。
そう、黙っていればいいだけだ。今までと何も変わりやしない。
誰かの目に留まり続けるくらいなら、いっそ路傍に転がる石ころのように。自ら進んで無関心の対象へとなり果てる。
それが、未来永劫揺らぐはずのない俺の処世術で――人生そのものなんだから。
……………………
…………
……
と、考えるのが、この場での正しい選択。見るべき現実なのだろう。
でも、もしも。もしもだ。
もしもこの現状が、すべて本当のことなのだとしたら。
望みを告げることが、正しく選択肢となりうるのなら。
人生が変わる可能性が、わずかでもここにあるのなら。
天使の問いはもう1つ、別の意味を持つんじゃないのか?
――異世界を望むか否か。
それはすなわち。
過去を投げ捨てて未来を変えるか、過去に閉じこもって未来を守るか。そういう選択肢に置き換えることができるんじゃないのか?
考えろ、樫木那由多。ここで口を開いて得られるかもしれないものはなんだ?
1つは、新しい未来。望み通りの力を携えて、別の世界で繰り広げる、夢にまで見た新生活。
もしくは、人生最高の赤っ恥。一生誰かの笑いの種になり続ける、平凡な1人の人間としての完全な終わりだ。
まったく、両極端にもほどがある。だが、人生を変える選択肢なら、これくらい極端でなきゃ釣り合わないのかもしれないな。
では、口をつぐんで得られるものは?
現状がどうだろうと関係ない。今までと同じ、空気としての生活に戻るだけだ。それは停滞という自己満足に甘んじて、いずれは潰える無価値な未来に他ならない。
口を開けば良くも悪くも人生の転機。閉ざせば得るものも失うものも何もない、いつも通りのクソったれな日常。
――選択肢なんて、ないようなものだ。
もちろん、十中八九ただの悪ふざけなのはわかってる。
でも、可能性がゼロでないのなら。
これが本当に、俺に与えられたチャンスなら。
――少しくらい、奇跡を信じてみたっていいじゃないか。
答えるべきだ。手の届く場所にあるチャンスなら、なんとしてもつかみ取るべきだ。
結果手痛いしっぺ返しを食らうなら、それはそれでいい転換点だ。なんなら芸人でも目指してやるさ。
さあ、聞き逃すなよ天使様。これが俺の選択だ。
「俺は――」
「あ、決まった? じゃあ早く望み告げて出てってよ後がつかえてるんだよねほらはりーはりー」
「……………………」
さっきの演説に負けず劣らずの早口で、天使が催促してくる。
だが、その声のトーンはさっきまでと比べて明らかに低かった。というか完全にやる気がなかった。
そもそも天使は、いつの間にか出現したこたつに半身うずめて、寝転がったままポテチをバリバリ食べていた。
それでいいのか天使様。ていうか、
「オフ早えーよッ!」
「しょーがないじゃん君考えるの長いんだからさー。こっからまだ仕事いーっぱい残ってんのに、君にだけあんな営業スマイル続けてられるかってーの」
「だとしてももうちょっと遠慮しろよっ! こちとら異世界と今の生活を天秤にかけて必死に悩んでんのに……!」
「あー、結構いるんだよねえ。そういうどうでもいい損得勘定してるやつ。でもさ、それぶっちゃけ無駄だから。だって君あの世界じゃもう死んでるから。異世界行くか輪廻の輪に帰るかしか君に選択肢ないから」
「えぇ……」
いやまあ、死んでるのは何となく予想ついたけど。でも普通、拒否したら今までの生活に帰してくれると思うだろ。
第一、それならここまでの俺の葛藤は一体何だったんだよ。それこそ完全に無駄じゃねえかよ。文字数返せ。
「だから『これを断る君じゃない』ってちゃんと言ったでしょ。ってわけでほら、ほしい能力てるみー」
「……わかったよ」
とんだ肩透かしを食らった気分だ。
だが、その代わりにわかったことが1つある。
たった一瞬目をそらした隙に、どこからともなく現れたこたつ。その脚は、風船のようにふわふわと浮かんで上下している。
天使の羽も、滑空する鳥の翼のように時折バサッと羽ばたいている。
こんなの、CGでしか――いや、たとえCGであったとしても、ここまで真に迫った光景を映し出す技術は現代日本には存在しない。
意識はハッキリしている。もちろん夢でもない。と、なれば……
(本物……なのか)
そう結論付けて、間違いないはずだ。
ということは、天使が持ちかけてきた召喚の話も……全部、本当……の、可能性が高い。
いや……ここまで来たら、疑うのも野暮だな。
どのみち信じると決めた話だ。こうなったら、信じよう。全部。
(ってことは、もう1つの問いも……)
召喚に付随させられる特殊能力――この話も、本当と思っていいだろう。
なら、答えることを恐れてないで真面目に考えるべきだ。ある意味、これがこの場における一番重大な選択肢だからな。
能力を手にして異世界召喚なんていう、絵に描いたような強くてニューゲーム的展開だが――選んだ能力次第では、とんでもない苦難の道を歩むことになりかねない。まかり間違っても死に戻りなんかは候補対象外だ。
となると、苦痛を伴うタイプと……ついでに、いかにもな勇者って感じの能力は全部却下。汗水垂らしてレベル上げして打倒魔王だなんて、ゲームの中だけで十分だからな。
そもそも俺は、冒険や戦いがしたいわけじゃない。クソッタレなこの世界を抜け出して、新たな場所で、今までとは違う人生を満喫したい――異世界に願うのは、それだけなんだ。
「俺の望みは――」
だから、望むのはそのための能力だ。そして、その答えはすでに、俺の頭の中に存在している。
武器でも、魔法でも、超人能力でもない――けれど、時として世界すら変える、究極的に普遍的なあの力。
「円滑なコミュニケーションだッ!」
圧倒的な――コミュ力! これをおいて他にはない!
異世界といえば聞こえはいいが、ようはただの新天地。頼れる人も住む家もないままで、満足のいく人生が送れると考えるのがそもそもの間違いだ。召喚早々ヒロインに助けられたり、豪邸を譲ってもらったり――なんて都合のいい展開が、万に一つもあるはずがないんだからな。
しかるに、異世界でまず最初にやるべきなのは、身の回りをしっかりと固めること。それを成し遂げるなら、武力に頼るよりも、人と交流する方が平和的かつ効率的なのは言うまでもないだろう。
人と話せば、信頼が生まれる。信頼はつながりとなって、家も、金も、恋人も、いつか必ず手繰り寄せてくれる。ゲームで主人公が、村人に話しかけるだけでアイテムをもらえるのと同じようにな。
これこそ、俺の理想とする順風満帆異世界ライフ。話すことですべてを手に入れる――黙り続けてきた過去をひっくり返すのに、これ以上はないくらいふさわしい人生だ。
(――もちろん、その程度で満喫したなんていうつもりはさらさらないけどな!)
だが、幸福な人生なんてあくまでも通過点。目指すはその先。人としての範疇を超えた、天の上の極楽だ。
それは武力では手に入らない。知恵も知識も用をなさない。選ばれし者にだけ与えられる、天使の祝福。
けれど、手繰り寄せられないわけじゃない。
俺が望んだ力を使えば。人と人とのつながりが得られれば――掴み取ることだってできるはずだ。
そう、俺の真の望みは――
(――異世界美少女ハーレムッ!!)
強くてニューゲームなら、それくらいは目指して当然だ!
俺が望んだのはコミュ力。すなわち女を口説き落とす能力! しかも天使から直々に送られるチートだ! その力があれば、親さえ認めるフツメンの俺でも、天然ジゴロ主人公並のイケメン化は当然。否、必然! 出会った女の子を片っ端からハーレムに加えていくくらい、ド○ゴンボールで人を生き返らせることよりも簡単なはずだ!
(俺は勇者じゃなく……異世界で、ギャルゲ主人公を目指すッ!!)
見てろよかつてのハーレム主人公ども。お前たちが血反吐吐きながら行き着いた世界に、俺はこの口1つで辿り着いてみせるぜ!
「……え、そんなことでいいの? 無双は? 俺ツエーは?」
俺の怒涛の宣言に、天使は首だけをこっちに向けて目を白黒させる。どうも予想してた答えと俺の答えが違ったみたいだな。
大方俺みたいな人間は全員最強を望むとでも思ってたんだろうが、甘いぜ。そもそも俺みたいな人間は、わざわざ特別な能力で目立とうとなんてしないんだよ。
「最強振り回すだけのソロ伝説なんてもう古い。これからの時代は、一周回って仲間と目指す絆の勝利。だろ?」
下心をひた隠し、心にもないことをドヤ顔で言い放つ。
「ああ……そう。うん、コミュ力ね。うん、いいと思うよ、うん」
そんな俺に呆れたのか、そもそも興味がないのか――テキトーな返事を返してきた天使は、ごろんと寝返りを打つと半目になって虚空を見上げた。
いつの間にかその両手には、最新型の携帯ゲーム機が握られていた。ちょっと世俗に染まりすぎじゃないですか天使様。
「じゃあ……はい、これ」
片手で器用にゲームを操作しながら、天使はもう片方の手だけをこちらに向けて人差し指をくるくる回す。
すると、その指先にぼんやりと淡い光が灯った。
光は指の軌跡をなぞるように螺旋を描き、なぜか身動きが取れない俺に向かってゆっくりと近付いてくる。
やがて俺の眼前までやってくると、額にぶつかる寸前で――パチンッ!
火花が弾けるように、小さな破裂音を立てて霧散した。
ゲーム機の画面に視線を向けたまま、天使は気だるげに呟く。
「それが君にあげる能力。君が思ってるのとはちょっと違うかもしれないけど……まあきっと、役に立つはずだから」
今の光が、俺の能力? 別段何かが変わった感じはしないんだが。
それより、俺が思ってるのとは違うってどういう意味だ? 会話する能力に違うも何もないだろう。
「――ッ!?」
だが――それを天使に問い返す前に、俺の視界が突如として揺らいだ。
見れば、俺の体は手足の先から、徐々に光となって消えていっている。
――これってもしかして、もう召喚が始まってるのか……!?
「ちょっ――ちょっと待てこの駄天使!」
「心外だなぁ。これでも仕事は最低限マジメにやってるつもりだしー」
「最低限にもほどがあるわ! まさか、このまま何も教えないつもりか!?」
口を尖らせる天使に向かって、のどが張り裂けそうなほど必死になって叫ぶ。
当然だ。事前に説明を受けておきたいことなんて他にも山ほどあるんだぞ。
召喚されるのはどんな世界だ? その世界で俺は何をすればいいんだ? そもそも召喚って、ちゃんとこの体でされるのか!?
「向こうのことなんて行ってからのお楽しみでしょー。まあ安心しなよ。いきなり死ぬようなことはないはずだからさ……多分」
「嫌なフラグ口走ってんじゃねぇええぇぇぇ――――ッ!!」
マズい。マズいぞ。
このままじゃ、スタート地点が魔王城なんて理不尽展開も十分にありえる。そうなったら、俺の能力で対処するのはまず不可能だ。魔王がおつむ足りてない美少女とかでもない限り。
だが、俺の訴えむなしく体の消滅は止まらない。それどころか、消えるペースは加速する一方だ。
ああ……もう、首から下はすべて消えてしまった。視界もぐるぐる回って、今俺がどこを向いているのかもわからない。
「大丈夫。自分を信じなって。案外いい線いってるからさ――君の選択」
ほんの少しだけ優しい声音で言った天使は、首だけをこちらに向けるとわずかに口元を緩める。
それを最後に――俺の意識は、深い暗闇の奥へと消えていった。
<>
「ここは……」
揺れる青々とした木々と、その隙間から差し込む暖かな陽光。背中には乾いた土と草の感触。
意識を取り戻した俺は、どこか知らない森の真ん中で大の字になって寝転がっていた。
どうやら、開幕絶望フラグは回避できたらしい。体にも違和感はなく、元の俺の体そのもので召喚――つまり、転移したようだ。あの天使、最低限とか言いながら最後に割といい仕事してくれたな。
しかも、だ。
「あっ、気が付いた!」
ぼんやりと上を見上げる俺の顔をのぞき込みながら、1人の少女がひざを折ってそばに座っている。
そう、少女だ。人外の世界に飛ばされたんじゃないかなんて警戒もちょっとしたが、目の前にいるのはちゃんとした人間な上に、正真正銘の女の子だ。
それも、とびっきりの美少女。二次元の世界から飛び出してきたと言っても過言ではない、花のような乙女がそこにはいた。
日差しを受けて輝くのは、一本一本がエメラルドのごとき輝きに包まれた翠緑の髪。それを、シンプルなリボンでポニーテールにしてまとめている。大きな山吹色の目は元気と好奇心に満ち溢れて眩しいほどだ。動きやすくするためにか布面積が大幅に削減された服からは、少女のあどけない顔立ちに反比例するかのように女性らしい、丸みを帯びた肢体が惜しげもなく外界に晒されていた。
だが、何よりも目を引くのはその耳だ。
鳥の翼のように大きく、鋭利な剣のように鋭く尖った形。それはこの場所が異世界であることを証明する、本来ファンタジーの世界にしか存在するはずのない幻の造形だ。
――エルフ耳。
少女は、完全無欠にエルフだった。
(――勝った)
安全なスタート地点に、美少女。天使が間違えてさえいなければ、俺の手にあるのは究極のコミュ力。
完璧だ。俺の理想とする、完璧な異世界スローライフが――勝ち組の人生が、今ここに幕を開けたッ!
「君、大丈夫? どこかケガしてない?」
心配そうな表情でエルフ少女が問いかけてくる。
おっと、落ち着け俺。まだ彼女を口説く段階には至っていないんだ。
重要なのは好感度を上げること。そのためにも、まずは初対面を好印象にしなければ。
大丈夫だ。安心しろ。今までの俺なら緊張のあまり「おっふ……」とか口走って爆死するところだが、今の俺にはチートレベルのコミュ力が備わっている。初めての会話でヒロインをデレさせるくらいわけはないはずだ。
さあ、いけ! 俺!
「――ああ、大丈夫。それよりも、君の名前は?」
体を起き上がらせながら、エルフ少女の目をまっすぐ見て歯を見せつけるような笑顔を向ける。
よし……いいぞ。さすがは俺のコミュ力。質問に答えつつ、相手の名前まで聞き出すとは。
少々関係を急ぎすぎた気がしなくもないが、これくらいガツガツしていかないとハーレムなんてできやしないからな。
「え、えっと……」
だが、エルフ少女の反応は思ったよりも鈍い。
おかしいな。いきなり引かれるような第一声じゃなかったと思うんだが。
やっぱり、急ぎすぎたのかもしれないな。ここはもう少し慎重に話を進めていこう。
「……ごめん、いきなり名前を聞くなんて失礼だったね。でも俺、ここに来たばかりでまだ何もわかっていないんだ。だから、少しでいい。ここのこと、何か教えてくれないかな?」
つとめて平静に、ゆっくりと、エルフ少女に問いかける。
これで話をしたいという意思は伝えられただろう。少なくとも逃げられるなんてことはないはずだ。
あとはここから会話につなげれば……とでも思ったのだが、エルフ少女の返答は予想だにしない一言だった。
「あはは……ごめんね。君が何言ってるのかわかんないや」
頬をかきながら苦笑いを浮かべるエルフ少女。
(……どういう、ことだ?)
聞こえていないわけじゃない。にもかかわらず、俺の言葉がエルフ少女には通じていない?
そんなはずはない。だって俺は、一言一句、全部残らず日本語で話しているんだぞ?
いや、日本語じゃないかもしれない。知らず知らずのうちに異世界の言語にすり替わっているのかもしれない。
だが、少なくとも、俺にもエルフ少女にも通じる言語で話しているはずなんだ。でなければエルフ少女の言葉がわかるはずなんてない。
それなのに、俺の言葉だけ、向こうには通じていない……!?
(まさか……いや、そんな……)
しかし事実、俺が何を言っても、エルフ少女は苦い顔で首をかしげるだけだ。話が通じている様子はない。
やっぱり、そういうことなんだ。
相手の言葉がわかっても、俺の口から出ている言葉は――日本語は、この世界では通じない。
完全に想定外の事態だ。こんなの、コミュ力以前の問題じゃねえか。
そもそも言葉が通じてないんじゃ、デレさせるどころの話じゃない。関係を結ぶことさえ絶望的だ。ましてや美少女ハーレムなんて、夢のまた夢……ッ!
「あっ、そっか! もしかして、君も異界人?」
途方に暮れていたその時、思い出したように少女が問いかけてきた。
次に首をかしげたのは俺の方だ。
(異界人……?)
確かに、こちらの世界からすれば、俺が元いた世界こそ異世界だ。その表現は何も間違ってはいないだろう。
だが、そんな表現が、まるで旅人かどうか尋ねるような気軽さで飛び出してきたのはなんでだ?
それにこのエルフ少女の様子……まるでその異界人を見るのが初めてではないとでも言いたげだ。
(まさかとは思うが……いるのか? 俺以外にも、異世界からやってきた人間――転移者が)
などと押し黙って考えていると、エルフ少女は得心したように大きく頷いた。
俺の無言を、肯定の意ととらえたのだろう。エルフ少女は俺の手を引いて立ち上がると、森の奥に続いているらしい道を指さして言った。
「そういうことなら私に任せて! 君の仲間たちがいる場所へ案内してあげる!」
……ああ。いるわ、これ。間違いなく。俺以外の転移者。
当然といえば当然だな。天使が提示した異世界に行ける条件は、たった1つ『無念の死を遂げた若者』ってだけなんだ。そんな人間、俺以外にも腐るほどいるだろう。
(まあ、いいか……)
だからといって、俺に不利益なことがあるわけじゃない。むしろ同じ境遇の人間がいることの方が何かと好都合だ。
それなら今は何もかも忘れて、この子の温かくてすべすべした手を堪能することに集中しててもいいよな……などと、手を引かれて走る俺はぼんやりと考えていた。
<>
エルフ少女に連れられて、俺は森の深部にあった小さな廃村の前までやってきた。
いや、廃村というと語弊があるな。木造の建物は大半が朽ち果てて、漂う空気も最悪だが、まばらに人の姿だけはある。死にかけの集落とでも形容した方が正しいか。
道の先にこの村が見えたときには、本当にこんな場所に異界人が……いや、そもそも人間がいるのかと疑ったが、そんな疑問は、村を囲う朽ちた柵の前に立つ小さな看板を目にしてあっけなく消え去った。
『ようこそ地球村へ』
その看板に記されていたのは、疑う余地なく日本語だった。
よく見れば、日本語の周りには、様々な筆跡で見覚えのある言語――英語やハングルといった、俺たちの世界で使われている文字も並んでいる。読めるはずはないのだが、これらも日本語と同じようなことが書いてあるということはわかった。
……本当に、ここにいるんだな。俺以外の地球人が。それも世界中から集まったと思しき連中が。
おそらくここにいる誰もが、こんな幕開けになるとは予想していなかっただろう。
だが、これこそが事実。抗いようのない現実なのだ。
俺たちの前に立ちはだかったのは、ライバルでも、魔王でも、ましてやハーレムへの道でもない。
言葉という、究極的に普遍的なたった1つの壁だった。