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遠い記憶

思考することをやめない者がいる。

常に新しいことを考え、変化を探す。

彼は、そういう者だった。


研究所にいる間は、いつも娘からの誕生日プレゼントだという白衣を身に纏っている。


ネクタイは締めない。

シャツのボタンは、上の二つを掛けない。

革靴は、一年前から同じ物を履き続けている。


研究室に籠りきりの彼は、歩く機会が限られている。

靴の底が減ることも、なかなかないのだろう。


誰よりも明晰な頭脳を持つ彼は、自身の服装に関しては無頓着だった。


彼の娘は、彼に最も相応しい贈り物をしたのかもしれない。


科学者は白衣を着るもの、そういった信念を、きっと彼は持っている。


「ケイ」


彼のことを呼んだ。


名前ではない。

コードと言われる、記号の一種である。


ケイ。それが彼のコード。


研究室の机にいたケイは、顔を上げると焦点の合っていない眼差しを向けてきた。


疲れているようだ。

どれだけ思考に労力を費やしているのか。


「なにかね、エス?」


エス。それが自分のコード。


彼は、ケイと呼ばれる。

そして、自分はエスと呼ばれる。

彼と同じく、本名ではない。


「また、『アルファ』と『ベータ』のことを考えているのですか?」


「そうだな」


ケイが認める。

この半年、ケイの思考を占めるのは、大抵は『アルファ』と『ベータ』の二体のことだった。


『天使』と『悪魔』という存在がある。

伝説や空想、宗教の中に登場する『天使』や『悪魔』ではなく、開発された兵器の呼称である。


数十回に及ぶ実験によるデータ採りと長い試用期間を経て、実戦投入されたのは半年以上前。


二十体の『天使』と『悪魔』が、戦場に運び込まれた。


戦果は上々と言っていいだろう。

なにしろ、敵国の空母を沈めるだけのことをしたのだから。


軍部は今、躍起になって『天使』と『悪魔』の製造を行っている。


研究者たちは、戦果よりも別のことに注目していた。


戦場にて、『天使』の一体が『悪魔』の方を向いたのである。

そして、その『悪魔』は『天使』の方を向いた。

それどころか、互いに攻撃反応を見せた。


こちらのプログラムを完全に無視した形だった。

明らかな暴走である。


ケイの指示で、その二体はエスやケイが所属する研究機関で預かった。


便宜上、その『天使』は『アルファ』、『悪魔』は『ベータ』と呼ぶようになった。


解析を進めるうちに、まず判明したことが二点。


一点目は、その二体の性能が極めて同一に近いということ。


同一というのは、実はこの世に有り得ない。


この上なく精巧な金型で、同じ物を製造したとする。


人の眼には、全く同じ物に見えるかもしれない。


だが、電子顕微鏡などを用いれば、ゼロコンマ数ミリの違いを発見できる。


全く同一の物を、人は造れないようにできている。


『アルファ』と『ベータ』の性能の誤差は、極小と言ってもいいものだった。

わずか、0.00817%。


もう一点判明したこと。


幾度もの実験を重ねることにより、『天使』と『悪魔』の性能は、各個体ごと事細かに数値化されていた。

『アルファ』と『ベータ』の二体は、上限値を0.2%ほどオーバーした性能を発揮したのである。


原因は、未だ不明。


エスは、暴走するための条件として、二つを上げた。


一つは、ほぼ同一の性能であること。

もう一つは、互いの距離である。


二体は、それぞれ別の機関で開発され、戦場に持ち込まれたものだった。


戦場でも研究所でも、一定の距離まで近付けると、暴走が始まった。


現在は、二体の距離を縮めることによる変化を調べている。


だが、これ以上は危険だとエスは思っていた。


「実験は一旦中止し、これまで出たデータの分析を優先するべきかと思います」


「ふむ」


横を向くケイ。

忠告を受け入れたという表情ではない。


「ほぼ同一の性能であること、そして距離だったな、お前の見解は」


「はい」


「距離という表現は、幼稚だな」


「幼稚、ですか」


内心傷付きながら、エスはケイの顔を見詰めた。

自分より遥か高みにいるこの男の、思考を全て受け止めるために。


「距離ではない。同一の時間にあること。そして、同一の空間にあること。時間と空間だよ」


「……時間と空間」


「他にも条件はいるな。おそらく、封印と解放だろう」


「封印と解放?」


「二体は、同一の空間に封印されている状態だった。最初の暴走時には、戦場という空間に閉じ込められていた」


「密閉された空間ではありません。封印ではないかと」


「それは、封印の概念が私と君では違うから言えるのだ。私の娘の論文を読みたまえ」


「すでにお嬢さんの論文には、全て眼を通してありますが」


「では、読み直したまえ」


「……」


ケイの娘の姿が、脳裏に浮かんだ。

父親に似て、頭脳明晰な女である。

外見は、あまり似ていない。


「……解放というのは?」


気を取り直し、エスは聞いた。


「能力者、を知っているね? お伽噺に出てきそうな、魔法のような力を使う彼らのことだよ」


「もちろん、知っておりますが」


「『アルファ』と『ベータ』の暴走の推移は、能力者たちが能力発動する際のプロセスの一つである、解放と呼ばれる段階に酷似している」


「そうなのですか?」


気付いていないことだった。

エスが気付いていないということは、ケイ以外は気付いていないということでもある。


「暴走という表現も、私としては気に喰わないな。ほぼ同一の性能である『アルファ』と『ベータ』。その二体が真の性能を発揮する条件、というところか。それが、時間と空間、封印と解放だよ」


「……時間と空間……封印と解放……」


ケイの言葉を復唱する。

その語句が、なにか特別なものであるかのように感じられる。


ケイの眼は、輝いている。

楽しくて仕方ない、というように。

新しい玩具を与えられた、子供の眼である。


「……実験を続けるのですね?」


「続けるとも」


「前回の実験で、以前の研究所は消失しました」


「ああ」


「死傷者も、多数出ています。私たちが無事だったのは、奇跡のようなものです」


「わかっているとも」


ケイは、机を二回、指先で叩いた。


「最初は、戦場で確認された。次は、同じ研究所で。徐々に二体の空間を、狭めていった。同じ棟、同じ階、同じ部屋……」


「……」


同じ部屋に設置したとき、それは起きた。


起動させると同時に、二体は暴走を始め、激突の余波で研究所は吹き飛んだのである。


研究所にいた多くの者が死んだ。

軍が出動することにより、なんとか『アルファ』と『ベータ』の二体を止めることができた。


二体は今、軍が保管している。

エスやケイに、処罰は降されていない。


研究所を破壊した二体のエネルギー量は、とてつもないものだった。


もし自在に操ることができれば、世界を征することも夢ではない。


そのためには、二体の解析は必要不可欠である。


解析できるのは、ケイしかいない。


まだ処罰が言い渡されていない理由は、その辺りにあるのだろう。


「戦場では、わずかに0.2%上限値を超えただけだった。空間を狭めることにより、その値は拡大していった。前回の実験では、元々の性能の、実に六の三乗倍もの数値を叩き出した」


「二体を止めるために、最新式の戦闘機を搭載した一個師団が半壊する事態になりました」


それも、戦った結果ではない。

互いに喰い合う『天使』と『悪魔』、『アルファ』と『ベータ』を押さえるためだけに出した損害である。


もし二体の力が一つになり外に向かったら、どうなるか。


「もし二体の力が一つになり外に向かったら、どうなると思う?」


ケイの言葉に、エスはぎくりとした。

それでも平静を装い、答える。


「その力を制御できるのならば、世界を征することも夢ではありません」


「では、制御不能ならば?」


「傾国の力となるでしょう」


「その程度か……」


「えっ?」


ケイの呟きは、よく聞こえなかった。


「実験は続ける」


「……そうですか」


ケイは止まらないだろう。

少なくとも、納得するまでは止まらない。


「ですが、これ以上二体の空間を狭めるのは困難なのでは?」


「ふむ」


指で机を叩く。

とんとんとん、とどこか空虚に音が響く。


「最初は戦場。次に同じ研究所。同じ棟、同じ階、同じ部屋……」


「……」


「次は、そうだな……」


「……」


「同じ、人の中に」


「……なにを……言って……?」


「理論上は、不可能ではない。『天使』と『悪魔』は、形状変化が可能だ。人の器に収められるだけに縮小し、埋め込む。もっとも、力を収められるだけの『器』に成り得る者が、いるかどうか」


唾を飲み込んだ。

喉が渇いている。


「一つの部屋に生じた、二体の力。もし一つとなり外へ向かえば、傾国の力にもなる、か。制御できれば、世界を征することも可能」


ケイは笑っている。

一体、なにがおかしいのか。


「一人の人間の中に生じた、二体の力。これまでよりも、格段に大きなものになるだろう。もし一つになり外へ向かえば、どうなるかな、エス?」


「……」


制御できるのか。

傾国の力どころではない。

世界を征する力どころではない。

暴走すれば、制御できなければ、世界は滅びる。


「人の形をした、滅び。滅びの塊、『ルインクロード』か」


ケイは、クロイツは笑っている。

なにがおかしいのか、やはりエスにはわからなかった。


◇◆◇◆◇◆◇◆


城の中庭で演習を繰り返していた、『バーダ』第一部隊の動きが止まった。


決戦が近いと感じているのかもしれない。


あとは英気を養い、その時を待つ、というところか。


ルトゥスや副隊長たちは、直前まで話し合いを続けるだろうが。


ライアとミシェルもいたはずだが、姿が見えなくなった。

どこに待機することにしたのか。


ストラームの元には現れようとしない。

ストラームを避けているのではなく、王であるユリウスを避けているのだろう。


ミシェルはともかく、ライアは王との謁見など苦手なはずだ。


べつに構わなかった。

元々、二人の扱いはルトゥスに任せるつもりだった。


ストラームは、塔の最上階にある王の居住空間から動かなかった。


今回ザイアムと真っ向から戦うのは、ルトゥス率いる『バーダ』第一部隊である。


ストラームは、最大の一手のためここで待機していればいい。


ユリウスは、奥から姿を現そうとはしなかった。


侍女三人のうち二人が側にいるはずだ。

もう一人は、下の階で休んでいる。


ストラームは、一人ではなかった。

しばらく前にユリウスの元を訪れたエスが、ぼんやりと佇んでいる。

眼が少し虚ろだった。


「どうした、エス? 考え事か?」


エスは、瞳も白い。

それでも、声を掛けると眼に光が戻ってきたように感じられた。


「……少し、昔のことを思い出していた」


「昔か……」


皮肉な気分になる。

エスが言う昔とは、いつのことをいうのか。


「第八地区に寄らずに第一地区に来たのは正解だったな、ストラーム」


「?」


「ユファレート・パーターだよ。彼女は、ルーアとティア・オースターの身になにが起きているか、知っている。二人を助けるために、君に会いたがるだろう」


ユファレート・パーター。ドラウの孫である。


会って話がしたいというのならば、会わないわけにはいかないだろう。


だが、話をしたところで、なにかが解決するわけでもなかった。


「私よりも、お前と話をするべきだと思うがな、エス」


「しかし、彼女はもう、私を呼ぼうとはしなくなった。私が何者かも、ドラウから聞いているようだ。まともな解答は得られないと思っているのだろう」


「……」


「ユファレート・パーターと話すまで、まだ猶予がある。なんと答えるか、精々考えておくことだ」


ストラームは、鼻から息を抜いた。

陽炎のようにあやふやな存在であるエスが、鼻息で吹き飛んでしまえばいいと思いながら。


「もっとも、死ななければの話だが。これからまた、君はザイアムと対峙することになる」


「そうだな」


戦力的に考えれば、圧倒的に有利な状況である。


戦力差など、無意味なものにも思える。

精鋭たちを物ともせず、ザイアムはここまで登ってくるかもしれない。


「まあ、死なないようにはする」


激突がいつになるかは、聞かなかった。


エスなら、予測できるだろう。

それは、おそらく外れる。


一日、二日と、同じ所から一歩も動かない可能性もある男である。

予測するのは無意味だろう。

気を抜かずに待てばいい。


交替の時間か。

侍女が階段を上がる音が聞こえてきた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


子供を預かるように、クロイツに言われた。


ふざけるな、とザイアムは思った。

そんな面倒なこと、できるわけがない。


両親を失ったばかりの少女らしい。

益々面倒臭そうである。


当然、ザイアムは拒絶した。

拒絶されるに決まっていると、クロイツもわかっていたはずだ。


それでもザイアムに依頼したのは、ザイアムと少女が親戚関係にあったからだろう。

そんなものが、それほど重要だとは思えなかった。


他に適任者がいくらでもいる。

むしろ、ザイアムが不適格である。


自分のような怠惰な男に、難しい年頃の少女を養うなど、できるわけがない。


クロイツが気にするのは、少女の血筋だった。


ザイアムと親戚同士である。

リンダ・オースターとも、繋がりがあった。


リンダ・オースターは、格闘術に特化した戦士だった。


いずれは組織の幹部に、とクロイツは考えていたかもしれない。


だが、ストラーム・レイルとドラウ・パーターに奪われた。


今では彼らの仲間として、その剛腕を奮っている。


自分ともリンダ・オースターとも親戚である少女の名前は、『ティア』といった。


とてつもない才能が眠っている可能性がある。


リンダ・オースターのように、奪われ敵に回られるのを避けたいのだろう。


ストラーム・レイルだろうとドラウ・パーターだろうとリンダ・オースターだろうと、絶対になにも奪われない存在として、クロイツはザイアムを挙げた。


他のことも、クロイツは期待しているようだった。


『ティア』が才能を爆発させ、だが『コミュニティ』を裏切ることがあれば、力付くでも押さえ込まなければならない。


ザイアムなら、それが確実にできる、とクロイツは考えている。


知ったことではなかった。


クロイツの考えは、ずれている。

まず、どうすれば裏切り者が出ないか考えるべきだ。


リンダ・オースターがあっさりと組織を見限り、ストラームたちに染まったのはなぜか。


ソフィアという裏切り者を制裁する『死神』がいて尚、未だに裏切り者が続出するのはなぜか。


クロイツにとっては、人間も実験動物も同じ存在でしかないからだろう。


忠告したくもなったが、やめた。

面倒臭い。


頑としてザイアムは拒絶した。

他に適任者はいる。


嫌な期待のされ方だ、と感じた。


小さな『ティア』は、ザイアムを見上げると腰にしがみついてきた。


親戚である。

もしかしたら、父親と似ていたのかもしれない。


やはり、嫌な期待のされ方だ。

懐いてくれれば、とでもクロイツは考えているのだろう。


『コミュニティ』最高幹部の一人であるザイアムに懐き慕ってくれれば、裏切ることはない、と。


断り続けると、クロイツは妥協案を出した。


家に置くだけで、なにもしなくていい。いないものと思ってくれてもいい、ということだった。

それで、ザイアムはようやく頷いた。


泣こうが喚こうが、知ったことではない。


騒音を完全に無視することくらいできる。


『ティア』は、家の中をちょろちょろ動き回った。

そして、意外としっかりしていた。


幼いくせに、掃除も洗濯も、買い物もできる。


料理もするが、酷いものだった。

それを、ザイアムに喰わそうとする。

土を喰う方がましなくらいである。


だからザイアムは、自分で食事を作るようになった。


『ティア』がうるさいので、作り過ぎた物を与えるようになった。


いつの間にか、うるさいのを無視できなくなった。


食事を作り過ぎるのが、習慣になっていった。


しばらくして、またクロイツに頼まれ事をされた。

頼まれてばかりである。面倒臭い。


また、子供を預かれ、ということだった。


ふざけるな、と思った。

『ティア』一人で手一杯である。

幼い少女の扱いは難しい。

ちょっとしたことで臍を曲げる。


断ったが、疑似『ルインクロード』であると言われた。

それで、見てみようという気になった。

それが、間違いだったのだ。


赤い髪をした、『ティア』と同じ年頃の少年だった。


赤い。

『ダインスレイフ』に何度も見させられた、赤い髪。

あれと、同じ赤色。


暗い眼をしていた。

夢も希望もない眼である。


同時に、疑問もないようだった。

端で見ていると、馬鹿げていると感じるような訓練を、当たり前のものとして受けている。


常識外れな訓練から、特別な化け物は作れる。


少年の教官が、そんなことを考えているとしか思えないような、凄惨な訓練内容である。

庇う者はいないようだ。


実の両親でさえ、少年の敵だった。

顔を合わすことがあれば、暴行を働いている。


なぜ、誰も守らないのか。

せめて、クロイツは保護するべきではないか。

疑似『ルインクロード』なのである。

保護して然るべきだ。


ある日を境に、つまり疑似『ルインクロード』になった日を境に、少年を保護する。


それは外部の者、エスやストラームに、少年は特別な存在であると教えることになる。


組織を裏切る者から、少年は特別な存在であるという情報が洩れるかもしれない。


だからクロイツは、特別でもなんでもない存在として、極自然に少年を保護したいのだろう。


ザイアムが悲惨な少年に同情し引き取る、というように。

同情はしなかった。


ザイアムの教官も、一日だけは厳しかった。

二日目からは、おもねるようになったが。

両親の顔は、知りもしない。


ある日、少年と少年の両親が暮らす部屋の前を通ることがあった。

少年は、また殴られていた。

『ダインスレイフ』を抜き、少年の両親を斬り殺した。


理由は、よくわからない。

深く考えると混乱しそうなので、ザイアムは考えることをやめた。


両親を殺されても、少年はザイアムに恨み言の一つも口にしなかった。

理不尽な暴力から救われた礼もない。

静かな少年だ。


少年から、保護者を奪った。

そして、まだ子供であることを考えると、当面の保護者は必要だろう。


うるさい『ティア』だけで一杯一杯である。


少年がうるさかったら、引き取ることを考えはしなかっただろう。


うるさいのを二人も預かったら、どうすればいいのかわからない。


もしかしたら、気が狂ってしまうかもしれない。


『ティア』のことを、煩わしいと感じることもあった。


この静かな少年が、『ティア』の相手をしてくれれば助かる。


少年は、特に抵抗することもなくザイアムに手を引かれた。

嫌悪感も、恐怖心もないようだ。


レヴィスト・ヴィール。少年の、この時の名前だった。


◇◆◇◆◇◆◇◆


空が、赤く燃えている。

リーザイ王国王都ミジュア第九地区の空。


いや、空だけではない。

空気も、地面も、街並みも。

全てが、赤く染まり崩れていく。


ザイアムは、『ダインスレイフ』を手に呆然と突っ立っていた。


ボスとクロイツ。去り行く二人を、見送ることしかできなかった。


二人の行く先に、『ティア』とルーアがいる。

ザイアムの家族がいる。


とてつもない脅威が向かっている。

それなのに、なにもできなかった。


『ティア』とルーアの安否を確かめに行くこともできない。


私ではない、ザイアムは呟いた。

思い浮かぶのは、何度も見させられた夢。

砕け散る『ダインスレイフ』。


「……私ではないぞ、『ダインスレイフ』」


ストラーム・レイルに並ぶと評された。

『コミュニティ』最強であると。


だが、これが真実。


「……私では、なにも変えられない」


何度も呟く。


熱気は、『ダインスレイフ』が遮ってくれた。

だから、建物や道が溶けて崩れても、実感が湧かないが。

ここは、地獄だ。


『ティア』とルーアは、第九地区に暮らす住民は、地獄の中に放り込まれてしまった。


ただ一つの力、『ルインクロード』の暴走によって。


自分は、ここでなにをしているのか。


空を仰ぐ。

燃える天地。


不甲斐なさを、吠えることもできなかった。


◇◆◇◆◇◆◇◆


(……私ではない)


リーザイ王国王都ミジュアの第一地区。

よく整備された、城へと続く大通り。

ゆったり歩を進ませながら、ザイアムは呟いていた。


はっきり悟ったのは、第九地区が崩壊したあの日。


その前からきっと、気付いていた。

自分ではないと。


だから、ルーアには何度も言った。

自分の価値を自覚しろと。なにがあってもお前だけは生き延びろと。


結局、ルーアはわかってくれなかったのだろう。

だから、『ティア』を救った。

『天使』の一粒を分け与えた。

それは、破滅に繋がっていると知りもせずに。

都合の悪い記憶は全て忘れて。


本人に自覚がなくても、時は無情に過ぎていく。

そろそろ、教えなければならない。

ルーアとは、家族のように暮らした時間があるのだから。


バルツハインス城。


もう、見えている。


ストラーム・レイルがいる。

『バーダ』第一部隊隊長ルトゥスがいる。

リーザイ王国が誇る巨人たちである。


リーザイ王国最強の部隊も待ち構えている。


ライア・ネクタス、その守護者であるミシェル・エインズワースもいる。


とてつもない敵の陣容だった。

自分にとって、最大の戦いになるかもしれない。

それでも、前座だった。


ルーアに、伝えなければならないことがあるのだから。


日の位置が高い。

正午をいくらか過ぎている。


終わりは夜になるだろう、そう予感した。

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