戦闘激化
申し合わせてはしていなかったが、ステヴェが移動する方向をイアンは確認していた。
だから、合流は難しくなかった。
ミジュアの第八地区全域を相手にした戦いが幕を開けたばかりだというのに、すでにステヴェの全身は、返り血で染まっている。
誰かから奪ったのか、持つ剣は自分の物ではないようだ。
刃零れを気にしているのかもしれない。
愛用の剣は、今は鞘の中だった。
「私は、少し大きな魔法を使い過ぎた」
肩の辺りに、重みを感じる。
魔力が尽きたわけではないが、まだ無理をする段階ではない。
「しばらく身を隠すことにする」
「ああ」
ステヴェが短く返事をする。
倒れている警官を、片方の足で踏みつけている。
戦闘に於いて、イアンは誰よりもこの弟を信頼していた。
街は混乱している。
しばらくは治まらないだろう。
ステヴェなら、魔法の援護がなくても上手く立ち回れるはずだ。
「『バーダ』の基地には近付くなよ?」
ステヴェはなぜか、戦力不足と理解していながら、『バーダ』第八部隊の基地に仕掛けたがった。
戦闘が始まる前のことだ。
どさくさに紛れ、ステヴェは『バーダ』の基地を目指すかもしれない。
他の者ならともかく、ステヴェは兄であるイアンの言葉をよく聞く。
釘を刺したが、ステヴェからの返事はなかった。
それでも、言い付けは守るだろう。
少し気分を悪くした表情はしているが。
喚声が聞こえた。
近くで争いが起きている。
ステヴェが、剣を空振りさせて血を切った。
気が横溢している。
これならば、誰が相手でも後れは取らないだろう。
イアンは安心して、弟とは逆方向、争いから遠ざかる方向に進んだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆
歩みは、遅々として進まない。
『バーダ』第八部隊の基地を目指しているのだが、『コミュニティ』の兵士たちに封鎖されている道がいくつかあった。
戦闘が行われていることもある。
ユファレートは、ティアと一緒だった。
二人で話し合い、戦闘は避けた。
みんなと合流するのが、ひとまずの目的である。
第八地区の警察は優秀だと、ルーアは言っていた。
それぞれの局地戦で、互角か互角以上に戦えているようである。
助太刀は不要だろう。
急いで基地に戻りたいところだが、先は長い。
擦れ違う住民の中には、早急に治療が必要な者もいた。
そういう人々は見捨てられない。
ティアも、止血などできるだけのことをして手伝ってくれる。
秋の太陽が、大分高い所まで昇った。
みんなと分断されてから、すでに四、五時間は経過しただろう。
さっさと長距離転移の魔法を使うべきだったかもしれない。
後悔に近いものもあるが、あれは魔力を消費しすぎる。
自分一人だけならともかく、ティアも連れて戻れば、魔力が尽きてしまうかもしれない。
ティアは、愚痴の一つも溢さない。
だから、ユファレートも辛抱できる。
『バーダ』第八部隊の腕章を見て、傷付いていながらも安堵する住民もいるのだ。
徒歩で戻ることを選択したが、ただの徒労であるはずがない。
「ユファ、あれ……」
『コミュニティ』の兵士に立ち塞がれていることに気付いたのは、ティアが先だった。
前だけではなく、通りの後ろにもいる。
前に十人、後ろには七人。
挟み込まれた。
間の悪いことに、軍隊や警官隊は近くにいないようだ。
そして、いくつかの民家の窓から、住民たちの姿が窺えた。
突然のテロに、逃げ後れる住民もいるだろう。
特に、足腰が弱い年寄りや幼い子供が家族にいる場合、避難は簡単なことではない。
住民が残っている以上、考えなしに魔法を使うことはできない。
戦闘になるのならば、もう少し優位な状態で行いたかった。
シーパルは、なぜか視界の外のことまで察する。
ルーアやテラントやデリフィスも、異様に鋭い。
彼らがいれば、挟み撃ちは避けられたかもしれない。
魔力の探知には自信があるが、それでは魔法を使えない兵士の気配を読むことはできない。
「……どうする、ユファ?」
ティアが、『フラガラック』を抜く。
「……突破しよう」
住民がいる。
全開で魔法を使えない。
広い通りで挟み撃ちにされている。
複数から斬りかかられる。
ティア一人では、前衛を完璧にこなすことはできないだろう。
ここは、地の利がない。
「……じゃあ、ティア」
「うん」
ティアと眼を合わせ、互いに頷く。
「一、二の……三!」
「せーのっ!」
掛け声は別々だったが、なぜかタイミングはぴったり合い、ユファレートとティアは同時に駆け出した。
前方の突破を試みる。
後方より壁は厚いが、破りさえすればそれだけ『バーダ』の基地に近付ける。
基地に帰れば、きっと誰かがいる。
兵士たちと接触する前に、簡単な魔法なら二回は使える。
ティアが前を行き、兵士たちからユファレートの姿を隠す。
走りながら、ユファレートは杖を振り上げた。
ティアが横に移動するタイミングで、魔法を発動させる。
「ライトニング・ボルト!」
電撃が、兵士たちを次々と貫いていく、はずだった。
「なっ!?」
電撃に撃たれたのは、一人だけ。
他の兵士は、見事に避けている。
貫通性のある魔法を集団に放てば、隊列は乱れるものだ。
だが、兵士たちに慌てる者は少なかった。
指揮官らしき者の姿はないのに、よく纏まっている。
部隊としてかなり鍛えられているのだろう。
このまま突っ込むのは危険か。
ティアと二人で、走る速度を落とす。
背後から、兵士たちが駆けてくるのを感じる。
逃げ道は、ない。
上は空いているが、飛行の魔法は高度を変えるのが難しい。
ティアを抱えながらでは、飛び道具で狙われておしまいである。
前方の兵士たちも突進してくる。
ティアが、『フラガラック』を振った。
光が剣身から放たれ、兵士を撫で斬る。
効果範囲が広い技ではない。
倒せたのは一人だけ。
杖を降り下ろす。
「ヴォルト・アクス!」
弾ける電撃が、先頭に出ていた兵士二人を灼いていく。
近接戦闘用の魔法である。
近接されていた。
兵士が叩き付けるように振る剣を、ティアが受け止める。
ユファレートは、後退した。
ティアの横に、他の兵士が回り込もうとしている。
剣を合わせている兵士に力負けしているのか、ティアは身動きが取れないようだ。
足音が、耳元から聞こえるような気がする。
後方の兵士たちも、すぐそこまで迫ってきていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
シーパルは、怪我人の治療を行っていた。
テラントはその側で、周囲を見張っていた。
怪我人を見付けては、治す。
シーパルは、それを繰り返している。
かなりの時間が経過した。
疲労もあるだろうが、シーパルは休もうとしない。
最近になって気付いたのだが、治療に集中している時、シーパルは周囲へ意識を向けることを忘れることがある。
それは、シーパルの生来の優しさから来ていることだろう。
怪我人を、気遣い過ぎているのだ。
甘いと思ったが、責めることではなかった。
こちらでフォローしてやればいいことだ。
当初の計画では『バーダ』の基地に小まめに帰還することになっていたが、状況が変わりすぎた。
大きな魔法で街は破壊され、助けを求める者が大勢いる。
基地に何度も戻る暇はない。
それでも、なにかが起きたら即帰還することになるが。
近くで、ぶつかり合いが起きていた。
警官隊と、『コミュニティ』の兵士の争いである。
警官隊は十人、兵士たちは二十人ほどだが、警官隊の方が押していた。
魔法使いが二人いるようだ。
手を貸す必要はないだろう。
シーパルの側で待機していればいい。
兵士たちの数が、あっという間に半数ほどになる。
警官隊の方は、一人か二人傷付いただけのようだ。
一瞬戦闘から眼を離したのは、治療を受けていた老人の、シーパルへ向ける感謝の言葉が聞こえたからだ。
ざわり、と全身が総毛立つ。
本能的に、理由を見付けた。
あの剣士だ。
白い肌の魔法使いの弟だという、突然現れ次々と警官たちを殺害していった剣士。
今回も突如現れ、警官隊に突っ込んでいく。
警官の体が、二つ、宙を舞った。
向かってくる魔法に怯むことなく、前進する。
それは、魔法で戦えない者の行動として正しい。
距離を開けるだけ、時間を掛けるだけ、対魔法使いとの戦闘は不利になる。
だが、迷いがまったくないというのが恐ろしい。
光や熱が、驚くような速度で向かってくるのだ。
場馴れしなければ、つい逃げ腰になってしまうものである。
剣士は光線を容易く避け続け、剣を突き出した。
魔法を使う警官の体を、鋼が貫く。
もう一人は、いつの間にか腕を斬り落とされていた。
距離があったとはいえ、不覚にも斬撃が見えなかった。
「シーパル!」
テラントは、鋭くシーパルに呼び掛けた。
剣士を囲むのは、十人ほどだった警官隊。
だが、おそらく剣士はここまで来る。
確実に勝つには、距離があるうちにシーパルに攻撃させることだ。
剣士に見られているのを感じた。
テラントが剣士のことを警戒しているのと同じように、剣士もテラントたちを警戒している。
警官隊に包囲されながら、剣士はテラントたちを指差した。
兵士たちが、警官たちを無視してこちらに向かってくる。
シーパルが立ち上がり、怪我人たちの前に出る。
剣士を攻撃させたいところだが、警官隊を巻き込むことになる。
頷くシーパルではない。
数を減じたとはいえ、兵士はまだ十人は残っている。
『カラドホルグ』を抜き、テラントは突進した。
兵士たちと激突する前に、敢えて勢いを殺す。
惑わされたか、兵士たちの足並みが乱れる。
それを見逃さず、改めてテラントは突っ込んだ。
兵士に斬り付け、その反動を利用してすぐ後退する。
「フォトン・ブレイザー!」
シーパルの魔法が、兵士二人を撥ね飛ばす。
再び、兵士たち目掛け突進する。
兵士たちと刃を合わせながら、テラントは剣士に注視していた。
すでに警官隊のほとんどが犠牲になり、立っているのはあと二人だけである。
讃えるべきだろうか、ミジュアの警官たちは、勝ち目がない相手にも逃げる様子はない。
『カラドホルグ』を左右に振り、挟み込もうとしてきた兵士たちを斬る。
シーパルの魔法が、兵士を吹き飛ばす。
兵士たちはあと五人か。
逃げ腰になっている。
向かってこない者は、片付けるのに時間が掛かる。
警官隊を壊滅させた剣士が、テラントたちに狙いを定めた。
向かってくる。
「なっ!?」
シーパルの呻き。
剣士は、両腕を失った警官の首根っこを掴み、盾にしていた。
出血が多い。
もう、助からない。
だが、まだ生きている。
シーパルが攻撃を躊躇うには、充分だろう。
こちら側の性格をよく知っているのか、本能的に察したのか。
シーパルが攻撃できないのならば、テラントが対応するしかない。
剣士を自由に走らせると、魔法使いであるシーパルを、真っ先に狙うだろう。
シーパルが前衛を失うことになるが、テラントは剣士に向かって前進した。
接触の直前で、剣士は事切れた警官を投げ捨てた。
その瞬間を見計らって、テラントは右に跳んだ。
剣士は、盾である警官を捨てたのだ。
シーパルが見逃さず魔法で撃ってくれれば。
だが、剣士はテラントの動きを読んでいたか、跳躍しぴったり付いてくる。
今度はテラントが邪魔で、シーパルは魔法で剣士を攻撃できない。
「野郎……!」
テラントは、笑っていた。
こいつは、本物だ。
剣士と剣を合わせる。
全身に、痺れを感じた。
何度も剣を撃ち合わせる。
本当に火花が散る。
剣士は、まだ若かった。
二十歳そこそこだろう。
精悍な顔付きで、眼付きが悪い。
テラントと互角に剣を合わせ、引こうとしない。
剣と剣だけではなく、剣を持つ手の指もぶつかった。
ティアやユファレートのような女らしいほっそりとした指なら、骨が折れてもおかしくないような衝撃である。
兵士たちは、テラントと剣士の戦闘を避け、シーパルの元へ向かっている。
勝てる、とテラントは思った。
この剣士に一対一で勝てる、という意味ではない。
残った兵士は五人。
シーパルが片付けてくれるだろう。
そうなれば、テラントは魔法の援護を受けた状況で戦えるようになる。
一対一で決着を付けられなくても、全体として勝てればそれでいい。
理解できていないとも思えないが、剣士は戦いをやめようとしない。
斬撃に鋭さが増していく。
なにか策でもあるのか。
考えなしの戦闘狂か。
視界の外から、兵士たちが躊躇する気配が伝わってきた。
背中に熱を感じる。
シーパルが、なにか大きな魔法を使おうとしていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
街に被害が出ている。
二年半、ザイアムや『ティア』と第九地区で生活した時間も合わせれば、五年半暮らした街だ。
さすがに腹が立つ。
八つ当たりできる適度な相手が、身近にいない。
重傷者と出会えば治癒の魔法を使い、生き埋めになっている者がいれば救助した。
ルーアは黙々と、それを繰り返した。
無理な魔法の使い方はしていない。
一月前の自分と比べてもよくわからないが、半年前の自分よりは確実に魔法使いとして進歩している。
同じ魔法を使っても、魔力の消費を抑えられるようになった。
それでいて、魔法の効果を以前より出せるようになっている。
ドラウ・パーターと出会い、自分がどれだけ未熟な魔法使いか痛感させられた。
それから、基礎の反復をほぼ毎日欠かさず行っている。
積み重ねてきたものが、成果として少しずつ出ている、ということなのだろう。
魔力の波動を感じた。
光が、空に一筋の線を描いている。
シーパルの魔法だ。
光の奔流を放った。
視認もできだが、それより先に魔法を使える者特有の感覚で見付けた。
魔法使いは、他者の魔力が視える。肌で感じることができる。
ここでも、自分の成長を実感できた。
魔力への反応速度が、前より上がっている。
より遠くまで、感知できるようになった。
解析力も上がっただろう。
シーパルが光の奔流を放った。
半年前のルーアでは、断言できなかった。
それほど遠くではない。
そして、シーパルは意味もなく攻撃魔法を使う男ではない。
街が魔法で破壊された今は、特にだ。
あそこに、敵がいる。
怒りをぶつけられる相手が。
すぐに向かってやる。
治療途中だった住民の傷口を、ルーアは手早く塞いだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆
兵士が、短槍を突き出してくる。
剣の練習相手として、シーパルから借りた短槍を繰り出すテラントの姿を思い出しながら、ティアは兵士の突きを掻い潜った。
脇腹に『フラガラック』を深く叩き込む。
だが、それがティアの限界だった。
複数の兵士に接近されている。
前から、左右から、剣を向けられている。
背後からも、敵が迫ってきている。
「ティア!」
ユファレートに抱き付かれた。
そのまま押し倒される。
ティアに馬乗りになった状態で、ユファレートは杖を振り回していた。
「フウグ・ガン・ウェイブ!」
倒れ込んだティアの鼻先を、烈風のようなものが吹き抜けていく。
兵士たちがたたらを踏む。
今の魔法は、全方位へ放つ衝撃波というところだろうか。
殺傷力はそれほどないのか、兵士たちに負傷した様子はない。
ユファレートが、威力を絞ったのかもしれない。
民家の窓ガラスに亀裂が入っていたが、倒壊などはしていない。
「走って!」
手を引かれる。
包囲が薄いところを狙い、二人で走る。
ユファレートが、杖を横殴りに振った。
魔法で体勢を崩したところに杖で打たれ、兵士が尻餅を付く。
包囲を突破した。
すぐ背後を追われている。
「ファイアー・ウォール!」
ユファレートの魔法。
炎の壁が高々とそびえ、接近していた兵士が三人ほど巻き込まれる。
壁を避けて、左右から兵士が回り込んでくる。
ティアは、太股に巻いたホルダーから、左手で短剣を抜き取った。
左からくる兵士に投げ付け、右の兵士に『フラガラック』を向ける。
火傷を負ったらしい兵士の動きは、鈍かった。
斬り付けられる前に、『フラガラック』を振り抜く。
手応えがあった。
だが、衝撃もあった。
振り向くと、血が付着した剣を手に、兵士が笑っていた。
左から来ていた兵士だ。
投擲した短剣は、防がれてしまったようだ。
痛みが、ティアの全身を走る。
背中を斬られた。
ぞっとする。
傷は、どれほどの深さなのか。
斬撃をかわすが、『フラガラック』は振れなかった。
脛を蹴り付け、兵士の追撃を阻む。
「フライト!」
また、ユファレートに抱き付かれていた。
宙に浮いた体が、横滑りするかのように移動している。
「ティア、しっかりして!」
飛行の魔法の効果を維持しながら、ユファレートに呼び掛けられた。
切迫感のある声である。
傷は、深いのかもしれない。
数本の矢が飛んでくる。
ユファレートは飛行の魔法を制御し、なんとかかわしていた。
体が、熱を持っていた。
その熱が、血と共に傷口から抜けていく。
息苦しい。
眠気を感じる。
眠気に従うと、少し楽になった。
兵士たちの追跡を振り切るため、ユファレートは必死だった。
何度も道を曲がり、飛行の魔法の高度を変える。
うつ伏せにされた。
どこかの建物の、屋上だろう。
石造りの建造物だろうか。
頬が温かい。
今日は天気が良かったことを、ティアは思い出した。
朝から大変な一日であり、天気を気にする暇もなかった。
「キュア!」
癒しの力が流れ込んでくる。
体に活力が戻り、それが痛みを思い出させた。
今度は、その痛みが和らいでいく。
しばらく、治療を受け続けた。
「ティア、治療の途中だけどごめんね。ここは、危険だから……」
少し眩しい。
ユファレートの足下に、光輝く魔法陣が拡がっているようだ。
ユファレートがなにをするつもりか、ティアにはわかった。
多分、前に一度だけ見たことがある魔法陣だ。
長距離転移の魔法を使おうとしている。
大きな力に包まれるのを、ティアは感じた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
光が、テラントの背後から突き抜けていく。
シーパルの魔法である。
重たい物が転がる音が一つ。
まともに浴びた兵士がいるようだ。
かなりの威力の魔法だろうが、敵を倒す目的で放ったにしては、成果として小さい。
合図の意味があるのだろう。
ルーアやユファレート、そして『バーダ』第八部隊隊員であるレジィナは、テラントたちの位置を知ったかもしれない。
シーパルが狙ったかはともかく、効果はそれだけではなかった。
剣士が、顔をしかめている。
正面から膨大な光を見てしまったのだろう。
見逃さず、全身の力を乗せた斬撃を繰り出す。
受け止められたが、剣士は大きく後退した。
その隙に振り返る。
背後から兵士に斬り掛かられていると、気付いていた。
兵士の首が、二つ撥ね上がる。
すぐに体の向きを戻した。
すでに剣士は体勢を立て直している。
束の間背を向けたテラントへ、お返しと言わんばかりの、渾身の斬撃を放ってくる。
受け止めたが、今度はテラントが後方に弾かれる番だった。
『カラドホルグ』ではなく普通の剣だったら、そして少しでも受け損なっていたら、今の一撃で剣身を砕かれていたかもしれない。
地を蹴り、『カラドホルグ』を先に進む。
さらに剣を合わせていく。
「バン・フレイム!」
シーパルが、次の魔法を解き放つ。
肉が激しく燃える臭い。
兵士たちの断末魔。
敢えて隙を見せたが、剣士は斬り掛かってはこず、逆に後退した。
テラントは、シーパルを一瞥した。
掌の先の空間から伸びた炎の鞭が、残った兵士たちを捕らえている。
これで残るは、この剣士だけである。
テラントは踏み出した。
連続して突きを繰り出す。
剣士は、後退しながら受け止めた。
後方に跳躍し、柔らかく着地する。
さらなる追撃を重ねるため、テラントは踏み出しかけた。
「フォトン・ブレイザー!」
声が響く。
シーパルの魔法ではない。
横手から剣士を襲うのは、駆け付けたルーアが放つ魔法。
剣士は身を翻し、だが魔法の力に大きく振り回されている。
かわしたが、剣を砕かれていた。
テラントの斜め後方に、炎の鞭を消したシーパルが付く。
ルーアも、駆け寄ってきている。
テラントは、仕掛けなかった。
剣士は、まだ落ち着いている。
折れた剣を捨て、背中の剣を抜く。
構えが、変わった。
シーパルには、もしかしたらルーアにもわからないかもしれない。
ミリ単位の微かな変化。
威圧感は増している。
それが、本来の得物か。
ただの剣に見えるが、手に馴染んでいるかそうでないかでは、大きく違う。
一気呵成に攻め立てたいところだが、慎重にならざるを得ないものが、剣士にはあった。
「テラント・エセンツか……」
こちらを見据え、剣士は呟くように言った。
「シーパル・ヨゥロ……」
視線を移していく。
「そして、ルーア。ザイアムの息子か」
知っている。
ホルン王国の『火の村』アズスライを発つ日、ルーア当人から聞いた。
『コミュニティ』最高幹部の一人であるザイアム。ザイアムの娘のような存在である『ティア』。
ルーアには、彼らと生活していた過去がある。
「俺たちのことを知っていて、それがなんだ?」
『カラドホルグ』の先を向ける。
剣士は動じない。
「べつに。まずい状況だ、というだけだ」
剣士は、じりじり後退している。
「俺は、ステヴェ・クレアだ」
剣士、ステヴェ・クレアは、突然名乗った。
こちらの気を反らそうとしているように、テラントには思えた。
「俺には、兄がいる。魔法使いだ。見ただろう?」
魔法で地震を起こした、あの魔法使いだろう。
確かに、ステヴェのことを弟だと言っていた。
「イアン・クレア。それが、兄の名前だ」
「……知らない名前だな」
ステヴェが、鼻を鳴らす。
「誰もが貴様のように名前が知れ渡っているわけではないさ、テラント・エセンツ。だが……」
ステヴェが、視線を移す。
遠くのビルに。
「無名だからといって、無力だとは思わないことだ」
ビルの最上階に、人影。
つい、反応してしまった。
ステヴェの兄だという、イアン・クレア。
力のある魔法使い。
誰の邪魔も入らないような遠距離からの、魔法攻撃。
同じ可能性を、シーパルもルーアも考えただろう。
三人揃って、一瞬ステヴェへの意識が薄れる。
ステヴェは、身を翻していた。
「ちっ!」
ビルの最上階に見えた人影は、ただの一般人なのかもしれない。
つまり、逃げるためのはったりである。
シーパルが腕を上げる。
魔法が放たれるその前に、ステヴェが剣を一閃する。
風が巻き起こった。
魔法剣か。
たいした風ではない。
予備知識もなく浴びれば、つい眼を細めてしまうかもしれない、という程度の風である。
ただ、こちらの動きを束の間止めるには充分だった。
ステヴェが、路地へ逃げ込む。
これで、魔法を使うのが難しくなった。
迂闊な使い方をすれば、建物を破壊してしまう。
中に人がいれば、最悪のことだって起こり得る。
「追うぞ!」
迷いもある。
逃げる強敵を追うのは、危険でもある。
このまま逃がす方がいい可能性もある。
だが、ここで倒しておきたい、とテラントは思った。
こちらには、ルーアがいる。
二年ぶりの帰省だというが、ある程度道がわかるだろう。
大気が震えたような気がした。
シーパルとルーアが、『バーダ』第八部隊の基地を振り仰ぐ。
「ユファレートの長距離転移です……!」
シーパルは、顔色を悪くしていた。
魔法使いではない者にも知れ渡っているような、最高難度の魔法である。
莫大な魔力を消費するため、ユファレートにとってはある意味切り札とも取れる魔法だった。
緊急性のある、なにかがあったのだ。
最も有り得そうなのが、戦闘による負傷である。
「……オースターだな」
ルーアが、表情を固くする。
大きな怪我をした。
治療には、複数の魔法使いの力が必要。
そういう理由で長距離転移を使用したのならば、負傷者はティアだろう。
長距離転移は、大怪我をした者が使えるような魔法ではないはずだ。
「戻りましょう!」
「……いや、レジィナがいるからな」
提案するシーパルを、動揺している気配を微かに見せながら、ルーアが制する。
基地には、デリフィスもいる。
戦力的には充分であるかもしれない。
問題はやはり、ティアが怪我をしているかどうか、怪我をしているのだとしたらどの程度なのか、になるだろう。
テラントは、基地を指した。
「わかった。シーパル、戻れ」
回復魔法といえば、やはりシーパルである。
ルーアによると、『バーダ』第八部隊隊員であるレジィナもシーパルに負けず劣らずということらしいが、テラントからすれば面識がほとんどない。
他の誰よりも、まずはシーパルの回復魔法を信用する。
シーパルとユファレート、そしてレジィナ。
三人の魔法使いが協力すれば、どんな傷でも治せるような気がする。
ルーアの回復魔法は、三人より一段落ちるだろう。
それよりも、ステヴェを追うことにルーアの力は必要である。
「人手が必要になったら、合図を頼む」
シーパルに言った。
魔法を打ち上げてくれれば、ルーアが気付くだろう。
「わかりました。では……」
シーパルが、基地への道を駆けていく。
「俺たちは、ステヴェを追うぞ、ルーア」
「ああ」
長々と立ち話をしていたわけではない。
急げば、追い付くかもしれない。
「強いぞ。気を付けろ」
「同じことを、デリフィスにも言われたよ。見ればわかるってことだったが、確かにな」
走りながらの会話である。
テラントはルーアと、ステヴェが消えていった路地へと飛び込んだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆
住人は避難したのだろう。
無人になった民家を適当に見付け、身を隠していたイアンは、顔を上げた。
反応するなというのは、無理な話だった。
誰かが、長距離転移を使った。
同系列である瞬間移動や飛行の魔法、クロイツなどが使用する物質転送の魔法も難易度が高いが、それらが霞むほど高度な魔法である。
使える者は、この世に十人いるかいないかというところだろう。
イアンも使えない。
使えたとしても、極力使用を控えるだろう。
魔力の大半を失ってしまうはずだ。
イアンは、心の内で拍手喝采していた。
この魔力の性質は、ユファレート・パーターのものである。
一度接触しただけだが、あの女の魔力を記憶するのは容易だった。
不純な物を可能な限り取り除いた超純水を思わせる、どこまでも透き通る魔力。
それだけでも、ユファレート・パーターの資質が自分よりも上であるとわかる。
伝わってくる魔力の構成からして、普通の長距離転移とは違うようだ。
驚くべきことである。
ユファレート・パーターは、長距離転移を独自にアレンジしていた。
魔法使いという存在がこの世界に誕生して、約七百二十年。
誰一人として成し得なかったことを、まだ小娘と言っていいくらいの女がやってのけた。
心から素直に感嘆できる、素晴らしい魔法使いである。
だが、その代償は大きいだろう。
戦う力が、まだ残っているのか。
そして、長距離転移を使ったということは、使わざるを得ない何かがあった、ということである。
無茶ではない程度に仕掛けてみるのも、一興かもしれない。
ステヴェは、なぜか『バーダ』第八部隊の基地を攻撃したがった。
決して理由を話そうとはしなかったが、なにかがあるのは間違いない。
イアンが『バーダ』第八部隊の基地へ向かうことで、見えるものがあるかもしれない。
ステヴェが問題を抱えているのならば、力になりたかった。
唯一残った、肉親である。
「……無茶な戦いはしない」
民家の中で呟き、イアンは近くに待機させている兵士たちが何人いるかを考えた。