突破
崩壊した第九地区から、王都の中心である第一地区へ。
明確な境界はない。
立ち入り禁止区域が拡がっている。
その入口、金網の柵と鋼鉄の扉がある。
槍を持った衛兵が二人、眠そうな顔をしていた。
退屈さに緊張感を失うのも仕方ないか。
腐った空気が充満する第九地区から現れる物好きなど、これまで滅多にいなかっただろう。
近付いていくザイアムに、衛兵たちが眼を丸くする。
制止の呼び掛けを無視して、ザイアムは交差される槍を掴んだ。
反応が鈍い衛兵たちをぶん投げる。
鋼鉄の扉は、さすがに素手では破れないか。
ザイアムは、『ダインスレイフ』を引き抜いた。
一振りで扉を破壊する。
投げ飛ばされ地面を転がった衛兵が、笛を鳴らす。
それも無視して、ザイアムは立ち入り禁止区域に踏み込んだ。
扉を破壊した衝撃音は、遠くまで響き渡ったはずだ。
誰でも異常に気付く。
『ダインスレイフ』を抜いたまま、ザイアムは進んだ。
物見の矢倉に、粗末な建物。
荒れた土地が、広大に続く。
守る立場からすれば、防衛戦をしやすい場所だとザイアムは思った。
市民も、民家もない。
建物から、衛兵たちがぱらぱらと現れる。
大規模な軍勢が待ち構えている様子はない。
ライア・ネクタスやミシェル・エインズワースが、第一地区に呼ばれている。
ストラーム・レイルは、ザイアムが第一地区を目指すことを読んでいる。
どこを進むかも、ある程度予測しているはずだ。
だが、ここは手薄である。
もっと引き込む気か。
誰の指示だろうか。
ストラーム・レイルか、『バーダ』第一部隊隊長ルトゥスか、エスか、国王ユリウス6世か。
ザイアムの目的地は、知られている。
そこに戦力を集中させ、全力で叩く。
ザイアムを倒すだけなら、それが最も効果的だろう。
だが、たった一人に懐深くまで到達されることになれば、リーザイ王国は各国の笑い者である。
街の被害も、大きなものになる。
誇りよりも、より確実な防衛を選ぶつもりか。
ザイアムのことをそれだけ警戒しているというのならば、光栄なことである。
向かってくる衛兵たちを、払っていく。
『ダインスレイフ』の力に頼るまでもない。
何人がかりだろうと、衛兵たちの刃がザイアムに届くことはない。
十数人いるようだが、すでに半数以上は戦意を喪失しているようだった。
向かってこない者は、相手にしない。
虐殺が目的ではないのだ。
特別手加減するつもりもない。
そんな義理はないはずだ。
邪魔をするのならば、ただ突破する。
障壁は、乗り越える。
何人が負傷したか、死んだ者がいるのか、まったく関心はなかった。
速度を変えず、進んでいく。
第一地区へ続く門が見えるようになってきた。
遮る者は、もういない。
◇◆◇◆◇◆◇◆
ストラームがいるのは、『バーダ』第一部隊基地ではなく、バルツハインス城だった。
それも、王の側にいるという。
さすがに、会いにいくのは抵抗がある。
そちらは、後回しでもいいだろう。
ライアはミシェルと共に、ルトゥスの元へ向かった。
『バーダ』第一部隊の隊長である。
今回の作戦中は、ライアもミシェルもルトゥスの指揮下に入ることになる。
ルトゥスは、部隊基地ではなく城の中にいた。
広大な中庭の隅で、初老の男二人と立ち話をしている。
服装からして、ルトゥスといるのは王の親衛隊と城の警備隊の者だろう。
対等に話している様子を見ると、それぞれの隊の隊長になるか。
二人とも、将軍格になる。
間もなくここに、『コミュニティ』でも最も巨大な存在が現れる。
防衛のための布陣でも話し合っているのだろう。
中庭では、ルトゥスの部下になる『バーダ』第一部隊の隊員たちが、調練を行っていた。
リーザイ王国特殊部隊『バーダ』。
隊員数二百六十七名。
そのうち百名が、第一部隊に所属する。
五つの班に分かれて動いているようだ。
横列になった班が三つ。
残りの二班は、横列の後方だった。
横列は、三段に構えていた。
上空から見れば、三本の線が引かれているように見えるだろう。
合図と共に、前面に出ている横列が左右に分かれる。
二列目と三列目が前進し、一列目だった班はその後方に回る。
それが、何度も繰り返される。
おそらく、横列に加わる全員が、魔法を使えるのだろう。
前面に出る者を次々変えることにより、二十人同時の魔法攻撃を、連続して敵に浴びせる。
横列の後方に控えていた二班が、動いた。
それぞれ一塊になり、一糸乱れぬ動きで横列の左右に移動する。
横列に攻撃され身動き取れず、反撃も封じ込められた大男の姿が見えるような気がした。
二班が、ライアが大男を見た位置に左右から突進する。
たった一人を包み込む、巨大な袋である。
その袋が、徐々に搾り込まれる。
この国の最精鋭だけで造られる袋。
中にいる者で、耐えられる者がいるとは思えない。
あのソフィアやクロイツさえ、撤退を余儀なくされるのではないか。
ザイアムという大男は、この布陣にどう対応するのか。
話し合いが終わったのか、ルトゥスから初老の男たちが離れていく。
ミシェルを伴い、ライアは近付いていった。
ライアたちに気付いていないということはないだろうが、ルトゥスの猛禽類のような鋭い視線は、彼の部下たちに向けられていた。
『バーダ』第一部隊の隊員たちは、同じ動きを繰り返している。
ライアの眼には完璧な連携に見えたが、何度か調練は止まった。
隊員同士で、議論が繰り広げられている。
まだ改善の余地がある、と彼らは感じているのだろう。
そして、ルトゥス抜きで話し合いを行っている。
これは、指揮官不在の状況でも、各々が判断することにより、部隊として動けるという証明である。
「御挨拶に参りました、ルトゥス隊長」
「ああ」
ルトゥスの返事は短く、視線の向きが変わることもなかった。
こちらは見てもいないのに、圧するような迫力がある。
壮年の男である。
体格としては、ランディに近いか。
髪を後ろに撫で付けているため、眉間の皺が隠れることなくみえる。
ストラームとは違い、世間に英雄として扱われていない。
その分、ストラームのように世間に名前は広まっていない。
だが、二人を知る者の中には、ストラームとルトゥスを同格と考えている者が大勢いる。
さすがにそこまでの力はないだろう、とライアは思っていた。
ストラームの強さは、常軌を逸している。
「私たちも、第一部隊の方々と行動を共にすれば良いでしょうか?」
そんなことをすれば、確実に隊列が乱れるだろうが。
端から見ていると感嘆してしまうほど、『バーダ』第一部隊の動きは洗練されている。
ライアとミシェルが加われば、異物として部隊の邪魔者になるだけである。
「いや、その必要はない。君たちは、好きにすればいい」
「……」
それは、どういう意味なのだろうか。
好意的に受けとれば、好きに戦えばいい、第一部隊がそれに合わせる、と言っているようにも聞こえる。
言外に、余計な真似をするな、という意味が含まれているようにも感じられた。
でしゃばって第一部隊の攻撃に巻き込まれても知ったことではない、という意味である可能性もある。
「君たちを派遣するようレイル殿に依頼したのは、私だ」
ライアの思考を読むように、ルトゥスは言った。
戦力として考えている、ということか。
「……それでは私たちは、第一部隊の邪魔にならぬよう、端にいさせてもらいます。いざという時は、全力で支援いたしましょう。もっとも、その時は来ないでしょうが。『バーダ』第一部隊、それに陛下の親衛隊、城の警備隊、突破できる者がいるとは思えません」
「『コミュニティ』のザイアムの相手は、『バーダ』だけで行う」
「……そうなのですか?」
「それが、最も被害を抑えられる。それに、ザイアムが陽動である可能性も捨てきれないのでな」
確かに、全戦力を一人だけに向けるわけにもいかないだろう。
クロイツが機会を窺っている可能性は、大いにある。
「……ここで、迎え撃つのですか?」
「そうだ」
「城に被害が出ますが」
ルトゥスの太い眉が、ぴくりと動く。
「城から離れれば離れるだけ、ザイアムの中で迂回し戦闘を避けるという選択肢が大きくなるだろう。ザイアムの目的は、戦うことではないのだからな」
ザイアムと正面から激突するために、ルトゥスは城に布陣を組むことを選択しようとしている。
城への浸入を許すなど、国家としては恥でしかないだろう。
それでも、ルトゥスはここでぶつかることを選ぶ。
顔に泥を塗られても、止めることが優先ということか。
「私からも聞きたいことがある、ライア・ネクタス」
「なんでしょうか?」
「勝てると思うか?」
「……第一部隊と一人で戦って、無事ですむ者などいないと思いますが」
「私は、そこまで過信できないな。レイル殿でさえ、三ヶ月掛けても倒せなかった相手だ。殺せるとは思えない。追い返せれば御の字だと考えている」
会話の合間に、ライアは横目でミシェルの様子を窺った。
先程から、一言も発しようとしない。
「第一地区に配置された部隊や警察は……?」
「そのまま待機だ。余計な死人が出る。もっとも……」
ルトゥスが、鼻から息を抜く。
「彼らにも誇りがある。ザイアムの素通りを許せないという者も現れるだろうがな」
「第一部隊がここを離れないということは、彼らを見捨てるということになりますが」
「仕方ないことだ。優先順位は変えられん」
なによりも守らなければならないものがなんであるか、ルトゥスはわかっている。
「私たちの好きにしていい、でしたね?」
「ああ。期待している」
ライアに一呼吸遅れて、ミシェルも敬礼をする。
ルトゥスは、最後までほとんどこちらを見ようとしなかった。
自分の部隊の練度を気に掛けている。
挨拶を済ませルトゥスに見られない所まで移動し、ライアは溜息をついた。
疲れる。これまで何度かルトゥスと言葉を交わす機会があったが、共通して感じることだった。
「て言うかお前、一言も喋らんかったな」
「理由は、言わなくてもわかるでしょう?」
軽薄そうに、ミシェルが笑う。
「あの人、父の昔からの友人なんですよ。僕が子供の頃のことだって、知っているはずです。父に家まで招かれたこともありましたし」
「聞いたことが、あるような、ないような」
ミシェルは、貴族の出身だった。
「けど、友人の息子に対してあの愛想の無さ。話しても、息苦しくなるだけなので」
「まあなぁ……」
堅苦しく、生真面目で愛想が無い。それがルトゥスという人物だった。
影響をまともに受けているのが、『バーダ』第一部隊なのだろう。
ルトゥスは、自分好みの部隊を作り上げたと言える。
精強であり、この国では他の部隊の追随を許さない。
「ま、お陰さんで楽できそうだけどな」
精鋭百人がいるのだ。
ライアとミシェルの出番はないだろう。
「おや?」
「ん?」
「いや、てっきりライアさん、『コミュニティ』のザイアムに挑むものかと。先に挑んでいる軍人や警官たちを救うためにね」
「……俺に、隊長くらいの力があればな」
現実的に考えて、ストラームや『バーダ』第一部隊などの陰に隠れながらでなければ、ザイアムとは戦えない。
「まあ、俺たちの役割は、どさくさ紛れになんかする、ってとこになるだろうな」
「それを聞いて安心しました」
ミシェルが、笑顔を浮かべる。
「ライアさんが暴走とかしたら、どうしようかと。レジィナさんに申し訳が立たないので」
「身の程は弁えているさ」
ライアは、南東の空に眼を移した。
ザイアムがくる。
どんな障害も突破して、ここに現れる。
その確信があるからこそ、ストラームやルトゥスは自分たちを呼んだのだ。
いつ頃現れるか。
ザイアムの怠惰さは、聞いたことがある。
歩くことさえ面倒臭がるという。
その気になれば、誰よりも早く駆けることもできる。
南東の空の下は、騒がしいことになっているのだろう。
城の中は、今はまだ静かだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
立ちはだかるのは、ミジュア第一地区に配属されている軍人や警官たちだった。
彼らはおそらく、ザイアムのことを知っているのだろう。
この国の秩序を守るため、民衆を守るために、彼らはザイアムに向かってくる。
突破した。
『ダインスレイフ』を抜くことはほとんどなかった。
何人かは抜かなければならない相手がいたが、ザイアムが手こずるような者はいなかった。
住民には、避難勧告が出されているようだ。
通りに飛び出してくるような一般市民はいない。
遮る障害は、即座に断ち割る。
視界には、すぐにミジュア第一地区の整備された広い通りが映る。
何人の邪魔があっても、ザイアムの歩速は変わらなかった。
まったく足止めされることなく、軍隊を、警官隊を越えていく。
ふと、ザイアムは足を止めた。
早すぎる。
これでは、そのうちバルツハインス城に着いてしまうだろう。
ストラーム・レイルがいる。
『バーダ』第一部隊も待ち構えている。
強敵の影に、気が急いているか。
第八地区の争いは、これから激化していくだろう。
ステヴェは、まだザイアムが望む働きをしていない。
ストラーム・レイルや『バーダ』第一部隊との決着が付く頃には、準備が整っていなければ。
後方からの声に、ザイアムは一瞥だけした。
足を折られた警官が、それでも立ち上がり剣を構えている。
勇敢な男だ。
斬り掛かるだけの力は残っていないか。
男は無視することにして、ザイアムは歩みを再開した。
今度は、ゆっくりと進む。
背後で、警官が倒れ込む音がする。
ザイアムは、振り返らなかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
ティアは、ユファレートの腰にしがみついていた。
地面が次々と崩れ落ちていく。
ユファレートが飛行の魔法を使っていなければ、今頃奈落の底だろう。
突然現れた白い肌の男の攻撃は、強烈だった。
魔法で地震を引き起こしたようだが、その影響がずっと残っている。
ユファレートが舌打ちする。
これまでに、聞いたことがあったかどうか。
だから、聞き違いかもしれない。
魔法の影響下から離れるため、地震の発生源から遠ざかるように移動していた。
それは、テラントやシーパルから離れていくということでもあった。
分断されてしまったのである。
シーパルたちの方に逃げるべきだった、とユファレートは感じているのだろう。
今更引き返すのは遅い。
飛行の魔法は魔力の消耗が激しく、しかもティアを抱えているのである。
飛行の魔法を使用中は、防御の魔法を使えない。
それにしても、あの肌の白い魔法使い。
使用するところを直接見たわけではないが、ティアはもう一人、実戦の中で地震の魔法を使った者を知っていた。
ユファレートの兄のハウザードである。
他にも、高度な魔法を使用していた。
「……ねえ、ユファ。あの魔法使い、もしかしたらハウザードさんと同じくらい……」
「そんなわけない!」
ユファレートが鋭く否定する。
ティアは、自分の失言に気付いた。
「……ごめん」
「……得意な魔法だったってだけよ、きっと」
ユファレートが、飛行の魔法を解除する。
地震の魔法の効果範囲を出たのか、地面はしっかりしたものになっていた。
「大きい魔法を使い過ぎて、今頃疲れ果てているはずよ」
「……そうなのかな?」
「……そうじゃないと、困る」
「えっ?」
「本当に、お兄ちゃんと同等の魔法使いになるわ。わたしたちに、勝ち目がなくなる」
「……」
遠くを見るユファレートは、唇を噛んでいた。
眼を細めている。
見ているのは、シーパルたちがいた方向である。
シーパルとテラントは、ティアたちと逆方向に移動したようだ。
豆粒のような小さな人影が見えた。
夜間だったら、まず見落としただろう。
シーパルは、短槍を振っているようだ。
ユファレートも、杖を頭上に掲げている。
「……なにしてるの?」
「合図よ。魔力を一定の間隔で放出することで、簡単な意思の疎通ができるの」
「へぇ……」
遠くの魔力も正確に読み取る二人ならではだが、いつの間にそんな合図を決めていたのか。
やがて、ユファレートは杖を降ろした。
「無事みたい。シーパルとテラントはね」
「デリフィスは?」
テラントは、シーパルの方へ跳躍していた。
だから、シーパルの魔法の力で守られた。
だが、デリフィスは現れた剣士に向かっていってた。
果たして、無事でいてくれるのか。
「……無事よ、きっと。デリフィスなんだから」
ユファレートが言った。
「……そうよね」
これまでも、横手から魔法を浴びせられたことはあったはずだ。
デリフィスが無反応だったとは思えない。
「とにかく、みんなと合流しないと」
そう言いながら、ティアは心が折れそうになるのを感じた。簡単なことではない。
地面のあちこちが崩れ、穴ができている。
地盤が脆くなっているだろう。
下手な所を踏めば、すぐに崩落しそうだ。
「回り込みましょ」
ユファレートが、無事な通りを杖で差した。
避難する住民たちと、誘導する警官たちの姿が見える。
「テラントとデリフィスの予測じゃ、戦いは長引くってことだったし。ここで魔力を使いきることはできないわ」
「そうね」
同意し、ティアは頷いた。
不安ではあるが、飛行の魔法を使いシーパルたちの所へ向かえば、ユファレートに戦えるだけの魔力が残らなくなるかもしれない。
飛行中に魔法で狙撃される恐れもある。
しっかりと徒歩で向かうべきなのだろう。
乗り合い馬車などは期待できない。
魔法で破壊された方向に進む乗り合い馬車が、あるはずもない。
「……兵士たちが、たくさんいたよね」
魔法使いの合図で兵士たちが大勢駆けてくるのを、ティアは見ていた。
「……戦闘になるかもね」
その覚悟は、決めておいた方がいい。
何十人という兵士と戦闘になった時、二人だけで戦えるのか。
あの魔法使いや剣士が現れたら。
「大丈夫よ」
ユファレートの声は、力強かった。
「長距離転移用の魔方陣を、『バーダ』の基地に描いてきたから。いざとなったら、それで戻れる」
「そっか」
ティアは少し安心した。
楽観はできないが。
絶え間無く敵に襲われれば、長距離転移の魔法を発動することはできないだろう。
使用すれば、ユファレートはかなりの魔力を消耗することになる。
その後の戦闘をこなせるかどうか。
飛行の魔法の使用を控えた意味がなくなってしまう。
「……考えすぎても仕方ないわ。とにかく行きましょ」
「……そうね。なんかユファに頼ってばっかりになりそうだけど」
「そんなことない」
ユファレートが、かぶりを振る。
「わたしも、これからたくさんティアに頼るから」
「えっ?」
「わたしは、これから道に迷ってみせるから!」
「そんなこと、力強く断言しなくても」
ユファレートが微笑を浮かべる。
ティアの緊張を解すためだったのかもしれない。
避難する住民が増えてきた。
その流れに逆らい、ティアとユファレートはミジュア第八地区の通りを進んでいった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
眼の前に壁があり、それが動いていくような感覚だった。
自分の上にある瓦礫を、デリフィスは足で押し退けていった。
素晴らしい剣の使い手を見付けた。
だから、デリフィスは相手をしようとその剣士に集中していた。
視界の隅に白い肌の男が現れたのは、デリフィスが剣士に突っ込んだ直後である。
白い肌の男は、魔法を使った。
地面が揺れ動く。
以前ズターエ王国王都アスハレムで、ユファレートにとって兄弟子であるハウザードが使った魔法と同じものだろう。
地震が起きた。
頭で考える前に、体が勝手に行動を起こした。
地面にできた割れ目に落ちるのを避ける行動である。
捲り上がった地面に潰されるのは、回避しきれなかった。
それでも咄嗟に剣を盾にしたことにより、最悪の事態は免れた。
重荷をどかし軽くなった体で、立ち上がる。
右肩が、微かに痛んだ。
だが、それだけだ。
デリフィスとしては、軽傷にも入れなくていいような打撲である。
顔をしかめることもない。
「よお」
声を掛けられた。
テラントである。
崩壊した街並みの中で瓦礫を踏む姿は、妙に様になっていた。
「まあ、無事だとは思っていたさ。デリフィス、お前ならな」
「……」
デリフィスは、辺りを見回した。
住民たちが、右往左往している。
シーパルが忙しそうに魔法で怪我人の治療をしながら、住民たちを落ち着かせるために声を上げていた。
火の手が上がっている。
そういえば、瓦礫に潰される前に、やたらと地面を転がされたような気がする。
敵の魔法使いが、炎の魔法を破裂させたのだろう。
あちこちで戦闘が起きていた。
ミジュアの軍や警察と、『コミュニティ』の兵士たちの争いらしい。
兵士たちの方が、優勢に見えた。
それは、勢いに乗っているからだろう。
地力は、ミジュア防衛の軍隊の方が上のはずだ。
時間が経過すれば、きっと戦況は引っくり返る。
『コミュニティ』の戦力が変わらなければ、の話であるが。
先程見掛けた剣士と魔法使い。
これまで多くの使い手を見てきたが、遜色ない雰囲気を持っていた。
戦い甲斐のある相手だ。
「……デリフィス、お前は一旦戻れ」
「……なぜだ?」
聞けない話である。
「街がこんなになったんだ。ルーアの奴、基地を飛び出したくて堪らないだろうからな」
「他の奴が戻ればいい。……みなは、無事なのか?」
「無事だ。お前以外に、怪我人もいない」
動きに出したつもりはないが、テラントはデリフィスがわずかに右肩を痛めたことを見抜いていた。
「こんなものは、負傷のうちに入らん」
「デリフィス」
テラントの口調は、厳しかった。
「戻れ。俺とお前だけは、万全の状態でいるぞ。……わかるな?」
「……」
テラントが、なにを警戒しているか。
あの剣士だろう。
あれは強い。
接近戦に持ち込まれたら、シーパルもユファレートもティアも、一瞬で斬られるだろう。
下手をしたらルーアでも、まともに相手できないかもしれない。
対抗できるとしたら、俺とお前だけ。テラントは、そう言っているのだ。
それも、万全な状態でなければならない。
負傷したところが悪かった。
利き腕の肩である。
掠り傷にも満たないものだが、ほんの微か、ほんの微かだけ剣に狂いが生じるだろう。
それが命取りになる相手、テラントはそう感じている。
そしてそれは、デリフィスも感じていることだった。
シーパルならすぐに治せるだろうが、怪我をしている住民たちの中には、危険な状況の者もいるだろう。
放ったらかしにして、こんな軽傷の治療に取り掛かることができる性格ではない。
デリフィスも、この程度の怪我を優先して治してくれとは言いづらかった。
「……わかった。どのみち、誰かが『バーダ』の基地を守らなくてはならないだろうからな」
さすがに、街が破壊されたが待機し続けろとルーアに言うのは、酷だろう。
戦いが終息する気配はない。
今慌てなくても、剣を振るう時期は訪れるはずだ。
その時に、全力で戦えばいい。
「戻る。任せたぞ」
「おう」
テラントといえど、単独で戦いを挑むことは難しくなったはずだ。
敵に力ある魔法使いがいると判明したのだから。
遠距離からの魔法を警戒しないわけにはいかず、シーパルから離れられない。
そして、シーパルは住民の治療でしばらく忙しいだろう。
その間、敵から積極的に仕掛けられでもしない限り、テラントも暇になるはずだ。
戦う機会はしばらく先。
だから、ここは譲ってやっていい。
いくらか口惜しく思いながら、デリフィスは爪先を『バーダ』第八部隊の方に向けた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
大きな魔法により街が壊されたことについて、ルーアはもちろん気付いていた。
気持ちが落ち着かない。
今すぐ基地を飛び出し、剣を抜き払いたい。
それでもルーアは、無理矢理気持ちを鎮めた。
床に胡座を掻き壁に凭れ、腕を組んで眼を瞑る。
次に眼を開いた時、睡眠不足な体でも絶好調の時のように動かせるように。
感情任せに外に出れば、レジィナは一人で赤子二人を守らなくてはならなくなる。
街を守るのは、ミジュアの軍や警察。
優秀である。
なにより、二年間共に修羅場を潜り抜けてきたみんなが、街のために力を貸してくれていく。
信じて待て。
体と脳を休ませるために、意識と感覚を鈍くしていく。
それでも、誰かが基地に近付いてきているのは感じていた。
敵ではない。
レジィナの雰囲気でわかる。
戻ってきたのは、デリフィスだった。
眼を開いたルーアを見据え、親指で後方を差す。
「行け。ここは俺が変わる」
意外なことである。
デリフィスは狙われるかどうかわからない基地にいるよりも、外で敵と戦うことを選ぶと思っていた。
「……いいのか?」
確認すると、デリフィスは無言で頷いた。
基地の奥を気にする。
赤子たちは、おとなしく眠っているようだ。
街が混乱しているこの時に熟睡とは、なかなかの図太さである。
「……わかった。変わろう」
言って立ち上がった瞬間、大きくなった心臓の鼓動を一回聞いた。
体温が上がるのを感じる。
自分の故郷を荒らされて、腹が立たないわけがない。
敵を、この手で倒せる。
「気を付けろよ、ルーア」
ルーアは、デリフィスの顔を見つめた。
言われなくても気を付ける。
気を抜いたりなどしない。
デリフィスも、それはわかっているはずだ。
わかっていても忠告した。
「……なにかあるのか?」
「二人、手強いのがいる」
「どんな奴らだ?」
「見ればわかる」
ルーアは、小さく頷いた。
強い者には、相応の雰囲気というものがある。
下手に言葉で説明されるより、その雰囲気を感じるほうが、余程わかりやすい。
「ルーア、街をお願い」
普段感情を出さないレジィナの表情も固い。
握った拳は、軽く震えていた。
我が子を守ることを優先しているが、街を荒らされて内心穏やかではないのだろう。
ルーアと同じように、すぐにでも基地を飛び出したかったはずだ。
「行ってくる」
ワッペンが剥ぎ取られた、『バーダ』のジャケット。
ワッペンの代わりにあるのは、『バーダ』第八部隊の腕章。
腕にあることを確認して、ルーアは外への扉を開いた。