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故郷の天地

雲がのんびり流れている空を、ルーアは藁の束に寝転びながら眺めた。


リーザイ王国である。

久し振りに見る、故郷の空。


詩的なことでも言いたいところだが、他国の空との違いを、ルーアには見付けられない。

どの国の空も、同じようなものだ。


旧人類の時代が終わった時に、機械による飛行技術は失われた。


そのため、領空権を巡り争いが起きることも、ほとんどない。


陸地や海とは違う。

空には主がなく、同時に万人のものでもある。


うとうとしかけていた。

日差しは程好く暖かく、空気は程好く冷たい。


九月になっていた。

秋である。


秋という季節が、ルーアは好きだった。

春も、同じくらい好きである。

なんといっても、過ごしやすい。


ちなみに、夏の間は冬が好きで、冬の間は夏が好きだったりする。


老いた馬の嘶きが、空に吸い込まれるように響いた。


御者台に人がいる。

休憩は終わりということだ。


リーザイに帰国、他の者たちが入国したのは、四日ほど前のことである。


王都ミジュアまで農作物を運ぼうとしている者を見付け、身と荷の警護と引き換えに、馬車に乗せてもらっていた。


ルーアが寝転がっている荷台には、干し草や藁が詰められている。


もう一台の馬車には、主に野菜や果物が載せられていた。


そちらの荷台に乗るのは、ティアとユファレートとシーパルである。


必然的に、こちらの馬車にルーアと乗るのは、テラントとデリフィスになる。


むさ苦しいが、ティアやユファレートと同じ馬車にいるよりは、いくらかましだった。


迂闊にうたた寝などすると、いつ拵えるのか、ティアがお菓子のような虫を口に捩じ込んでくる。


起きていると、ユファレートの魔法講座が始まる。


シーパルを生け贄に差し出すことで、ユファレートは満足してくれる。


荷台が動く。

誰かが、乗り込もうとしている。


眠気に抗わずに閉ざしていた瞼を、ルーアは薄く開いた。


テラントやデリフィスが乗ってきたにしては、荷台の揺れが小さかったような気がしたのだ。


「……」


頬がおかしな引きつり方をし、耳の付け根の辺りが痛い。


寝転がるルーアの隣に、ティアが腰掛けていた。


テラントもデリフィスも、シーパルもユファレートも、別の馬車の荷台である。


激烈に嫌な予感がする。

逃げ出そうとしても時すでに遅く、ティアに袖口を掴まれていた。


馬車がごとごと動き出す。

市場に連れていかれる家畜の気分で、ルーアは遠くを眺めた。


「あたしね、誕生日近い」


「……ふぅん」


「まあべつに、深い意味はないんだけど」


言いながら、これ見よがしにネックレスを人差し指に引っ掛け、チャラチャラ鳴らす。


脳の皺が少なさそうな、ピンクのハート型のネックレスである。


「え? これ?」


「……聞いてねえよ」


「ユファがくれたの。ちょっと早いけど誕生日プレゼントだって。ミジュアってほら、治安悪いから、なんかどたばたしてお祝いとかできないかもだから」


まあ確かに、以前は犯罪都市と呼ばれるほど治安が悪かった。


「ちなみに、このブレスレットはテラントとデリフィスとシーパルから。三人で選んで、三人でお金を出し合って買ったんだって」


ティアの右手首に、昨日までは見なかったブレスレットがある。

余り高そうな物には見えない。

いや、そんなことはどうでもいい。


三人で選んで、三人で金を出し合って買っただと。


(あいつら……)


初耳である。

なぜ声を掛けてくれなかった。


これはあれか。いじめか。


「……安物だな、多分」


「値段なんていいのよ。こういうのは、込められてる気持ちが大事なの。誕生日おめでとうってその気持ちが嬉しいの」


「……なるほど」


模範的な解答である。

何十万ラウもする手提げ鞄をねだられたことがあるような気がするが。


「……そうだよな。こういうのは、気持ちだよな」


取り敢えず、自分の荷物を漁ってみる。


適当に手に付いた物を、鞄から取り出した。


フォーク。


ティアの手を丁重に取り、握らせる。


「……これは、あれだ……由緒正しい雑貨屋で売ってた……えっとだな……由緒正しいフォーク。百ラウという掘り出し物で……その……ちょっと先が欠けたりしてるのが、すごく趣深い……いてっ!? 刺すな!」


「刺すわよ! 誕生日プレゼントが使い古しのフォークって!」


「いやー、もう誕生日とかいいんじゃないかな、拘らなくて」


「拘るわよ! 誕生日よ! 拘るに決まってるでしょ!」


「だから、それは、あれだ、ほら。永遠の十八歳とか、そういう方向性でいいんじゃないか? もう二度と、誕生日はこない……」


「悲しいこと言わないで!」


ティアが、半眼になって睨み付けてくる。


「て言うかルーア、そんなにあたしの誕生日、祝いたくないの?」


「そういうわけじゃなくてな」


もっと単純に、危険を感じるだけなのだが。


「……誕生日プレゼントとして、料理の味見しろとか言わないか?」


恐る恐る聞いた。


「言わないわよ! なんの得があるのよ!?」


「じゃあ、誕生日プレゼントが気に喰わないから、罰として味見しろとか……」


「言わない!」


「プレゼントを貰ってやるから、その代わり味見しろとか……」


「意味がわかんない!」


「じゃあ、味見を……」


「しつこい!」


顔を赤くしているティアに、ルーアは溜息をついた。


「……わかったよ。じゃあ誕生日に、なんかやるから」


「ほんと!?」


「うん。まあ……」


生返事をする。

もしかしたら忘れてくれないだろうかと期待しながら。


妙ににこにこしているティアから、ルーアは眼を逸らした。


進んでいる方を見れば、そんなに不自然ではないだろう。


ミジュアの街が見えてきた。

ルーアにとっては、故郷になる。


「ルーアって、『バーダ』の隊員だったんだよね?」


「……ああ」


ジャケットの胸の辺りを撫でる。


本来ならそこに、ワッペンがあったはずだ。


ランディを追うために街を離れる日に、剥がし取った。


「『バーダ』って、どんな部隊?」


「どんなってな……。難しいこと聞くな、お前は」


なんとなく、ワッペンを剥がした跡を撫で続ける。


ジャケットを着込むには少し暑いかもしれないが、極力脱がないようにしていた。


耐刃繊維を多く縫い込んであるため、防具としても優れている。


脱がない理由は、それだけではないが。


「まあ、前にも言ったかもしれないけど、警察の仕事も軍の仕事もする、半警察半軍隊みたいな部隊だ。その中でも、第八部隊は……」


ストラームに育てられた、ストラームと共に戦うための部隊。


『コミュニティ』という何万人で構成されているのかわからない組織と、たった六人で戦ってきた部隊。


「……第八部隊は?」


「ちょっとだけ、特別かもな」


ストラームとランディに育てられてきた。

その前は、ザイアムに。


自分が生まれ育った国。

故郷の空と地面。


落ち着かない気分にルーアはなっていた。


旅に出たのは、二年前。

それまでは、ミジュアの街を出ることもほとんどなかった。


今の自分を見た時、『バーダ』第八部隊のみんなは、どう思うのだろうか。

どんな反応をするのか。


胸の傷痕に触れる。

去年の年末に会ったザイアムは、四年ぶりだというのに随分淡白な反応だった。


ルーアは苦笑した。

ストラームたちのことを考えても、ザイアムのことを思い出してしまう。


無理もないか。

『バーダ』の隊員だった期間よりも、あの街でザイアムや『ティア』と暮らした時間の方が長いのだ。


ティアと話したためか、色々考えたせいか、いつの間にか眠気は消えてなくなっていた。


ミジュアの街に入った。

街の南に位置する、第三地区である。


第八地区へ向かうには、ここから東に進まなければならない。


街まで運んでくれた商人たちに礼を言い別れ、ルーアたちは大通りを歩いていった。


第八地区行きの乗り合い馬車が、ちょうど出発したばかりだったのである。


しばらくは徒歩で移動することになった。


第一地区行きと比べると、昼の時間帯の乗り合い馬車の本数が、随分少ない。


以前は気にならなかったが、交通の便が少々悪いように思える。


ラグマ王国のロデンゼラーやズターエ王国のアスハレムは、もっと交通機関が発達していた。


(……余所者の視点か、これ?)


そんなことを考えた。


十九年近くを生きた。

旅を続けた二年という時間は、決して短くない。


自分の中の価値観が変わっていても、不思議ではなかった。


『バーダ』の制服は、少しばかり目立ってしまう。


脱いだジャケットを小脇に、ルーアは一行を先導した。


普段は先頭をテラントやデリフィスに譲るが、ここはルーアの故郷である。


もっとも、第八地区以外は地理に明るくないが。


交通の利便性については不満があるが、標識などは充実していた。


そこまで迷うことなく向かえるだろう。


「ここって、第三地区なんだよね?」


隣を歩くティアが聞いてきた。


「ああ」


「んで、今向かってるのが第八地区、街の南東部だっけ?」


「そうだよ」


「第一地区が真ん中?」


「そうだな」


「第二地区は?」


「北」


「ふーん」


「ちなみに、第四が東で、第五が西。第六が北東で、第七は北西」


宙に指で地図を描いているティアに、説明していく。


隣国出身であるデリフィスは、知っているのかもしれない。


興味なさそうに無言で付いてくる。


テラントは、通りの幅などを気にしているようだ。


侵略国家であるラグマの元軍人の眼には、どう映るのか。


整備された広い道は、さぞ軍を進めやすいだろう。


シーパルは、行き交う人々を眺めていた。


外の世界に興味を持ち、一族を離れた男である。


ユファレートはティアの後方で、船の舵を操るように地図を回しながら歩いていた。


歩幅が乱れかける。

誰だ、ユファレートに地図を持たせた奴は。


「あと五センチ先を、左ね」


「……縮尺無視して言われてもな」


「そのまま、二十一頁の右上に行って」


「……いや、わからん」


ここまで案内が下手な女は、他にいないだろう。


ちなみに、左へ行くと下水処理場である。

左と直進を間違えているようだ。


ユファレートの指示に混乱しそうになりながら、標識を頼りに歩いていく。


ほぼ真っ直ぐ進むだけなのだが、不安にさせられた。


ユファレートの案内には、聞く者を見知らぬ暗い森の中を歩いているような錯覚に陥れる、なにかがある。


もうしばらく歩けば、第八地区に着くようだ。


更に移動すれば、『バーダ』第八部隊の基地である。


仲間がいる。

共に旅をしてきた今の仲間とは違う、同じ訓練を受け同じ部隊で肩を並べ戦った仲間たち。


懐かしさを感じると同時に、緊張もした。


ランディを殺したルーアを、みんなはどう思っているのか。


掌が、汗で湿っていた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


「……ここ?」


ティアが、訝し気な声を出す。


無理もない。

特殊部隊の基地と言われても、すぐには信じられないだろう。


『バーダ』第八部隊の基地は、古びた小さなアパートのような、みすぼらしい建物だった。


全ての部隊の基地が、そうなのではない。


以前ルーアも訪れたことがある第一部隊の基地は、最前線の砦のような立派な建物だった。

第八部隊だけが、特別なのである。


ストラームとランディが、人選に人選を重ねているからだろうというのが、同じ隊員であるレジィナの見解だった。


二人が望んでいたのは少数精鋭の部隊ではなく、極少数でも全員が最精鋭の部隊なのだろう。

大きな建物は、必要ない。


「えーっ……」


想像とかけ離れていたのか、ティアは不満そうに建物を眺め回している。


しょぼい外装だが、裏にある訓練場は立派なものだった。


屋外にも訓練場はあり、魔法の訓練はそこで行われる。


基地の敷地の九割が、訓練場だった。


「簡単に攻め落とせそうだな」


「攻めようなんて部隊には、拍手してやるよ」


元軍人らしいことを言うテラントに、返す。


『バーダ』第八部隊には、ストラームがいる。レジィナやミシェル、ついでにライアもいる。


昔はランディもいたし、ルーアも所属していた。


これは、その気になれば精鋭百人とも対等に戦える戦力だろう。


人数の差で基地は奪われるかもしれないが、それは些細なことだった。


基地は街中の建物の一つに過ぎず、城でも砦でも、交通の要でもない。


基地を奪うことと引き換えに、敵は壊滅に近い打撃を受ける。


ランディは死に、ルーアも隊員ではなくなっているが、それでも『バーダ』第八部隊は、この国でもっとも強力な部隊の一つであるはずだ。


「……ルーアさん、ですかね?」


背後からの声に、ルーアは振り返った。


穏やかな表情をした、少年とも青年とも表現できそうな年頃の男が、そこにいた。


ルーアのよく知る顔だった。

立ち方も剣の提げ方もよく知っている。


身長は、少し伸びたか。

ルーアと同じくらいだろう。


『バーダ』隊員のジャケットを着た男。


「……よお、ミシェル」


ミシェル。

『バーダ』第八部隊隊員であり、ルーアの後輩である。


ルーアは『バーダ』を除隊処分になっているので、元後輩というのが正確なところであるが。


姓はエインズワース。

貴族のような姓である。

実際に貴族出身だったりする。


ルーアのことはともかく、他の五人のことをミシェルは知らないだろう。


少しだけ警戒している気配がある。


テラントとデリフィスが、剣の柄に手を掛けていた。


ミシェルは、敵意や殺気などは発していない。


それでも、二人は反応してしまった。


なんとなく、納得してしまうものがある。


ミシェル、そしてテラントとデリフィス。


三人とも優れた剣士であり、順位を付けることは難しい。


単純な剣の才能だけなら、ミシェルのそれはテラントとデリフィスを上回るかもしれない。


ミシェルの剣は、感性が眼に付く。

積み重ねているはずの努力が、霞むほどに。

天才肌という表現がよく合う。


才気に、テラントとデリフィスは反応してしまったのだろう。

おそらく、他にも理由はあるが。


ミシェルには、あの男と似ているところがある。


遭遇したのは一度だけ。

いきなり、剣を投げ付けてきた。


『コミュニティ』の剣士、ノエル。

あの黒ずくめの男の剣は、天性のものだろう。


おそらく、才能だけでその強さを維持している。


「入らないんですか?」


ミシェルが、基地の扉を視線で示す。


「……ああ、そうだな」


表向き、ルーアは『バーダ』第八部隊から除隊されたということになっている。


足を踏み入れることに、若干抵抗があった。


だが、隊員たちも旅の連れたちも、事情を知っている。


ミシェルは、中に入るよう催促した。

自分だけが躊躇うのも馬鹿馬鹿しい。


「じゃあ、お前たちは……」


さすがに、ティアたちを基地に連れていくわけにはいかないだろう。


代表するかのように、ティアが頷いた。


「うん、わかってる。あたしたちは、適当に宿を探すから」


「ああ、皆さんもどうぞ」


あっさり言うミシェルに、ルーアは溜息をついた。


「……いや、さすがにそれは、ややこしいことになるだろ」


「いいんじゃないかなぁ」


他人事のように言うミシェル。


「……ストラームは?」


「第一です」


「第一?」


『第一』とは、ミジュアの第一地区や『バーダ』第一部隊基地、バルツハインス城などを指す。


この場合は、おそらく『バーダ』第一部隊基地だろう。


「なんで?」


「それこそ、ややこしいことになっていて」


足音をほとんど立てず、ミシェルが基地の建物へと入っていく。


誘われているような感覚で、ルーアも続いた。


(……そう言えば)


昔のままのミシェルである。

基地にルーアもランディもいた、『バーダ』第八部隊が六人だった時期のミシェル。


ランディが部隊を去り、ミシェルは精神的に不安定になっていた。


集中力散漫になり、危なっかしい場面がいくつも見られるようになった。


それが、なくなっている。


建物入り口前に、膝の下辺りくらいの高さの段差がある。


扉は、蝶番が錆び付いてもいないのに音を鳴らしていた。


基地の床が軋んでいる。

外ではほとんど聞こえない、ミシェルの足音である。


誰の設計かは知らないが、これらは全て、ささやかな侵入者対策なのだろう。


入ってすぐ、事務室だった。

六人分の机がある。


ルーアが隊を離れた時から変わっていないのならば、入り口から見て手前にある向かい合わせの机は、右がルーアで左がライアの物である。


これもまた、侵入者対策と言えるのかもしれない。


利き手がある方の半身が、入り口側である。


ルーアの隣の机はミシェルが使い、ライアの隣にはレジィナが座る。


奥の隊長用の席に座るのは、当然ストラームだった。


部屋の角にある机は、副隊長だったランディが使用していた。


ランディはもういないが、机はそのままだった。


そこか、あるいは隊長であるストラームの机の横にランディはいることが多かった。


全体を見渡していた。

ストラームは、隊員たちの管理の全てをランディに任せていた節がある。


ルーアとランディの机は、綺麗に片付けられていた。

使用者が長らく不在だったからだろう。


ストラームの机には、あまり物がない。

基地にいる間、ストラームは隊長室に籠ることが多かった。


ライアの机は散らかっている。


レジィナの机の上は、整理整頓が行き届いている。


ミシェルの机は、使用頻度が高そうな物がすぐ手の届く位置に置かれている。


それぞれの性格がよく見えた。


ルーアのいなかった二年の間、席替えなどなかったようだ。


床に、銀髪の髪をした赤ん坊が、うつ伏せで転がっていた。


廊下の奥から、赤ん坊のものらしき泣き声が響いてくる。


どちらも、特殊部隊の基地に相応しいものとは思えない。


「ああ、もう。また……」


ミシェルが、赤ん坊を抱き上げる。


多分一歳半くらいの、女児である。


「なあ、その子って……」


「はい。ライアさんとレジィナさんの子供ですよ。なんでか、床に顔を付けるのが好きみたいで……」


右の頬が、赤くなっている。

まあ、レジィナが細めに清掃しているだろう。

問題ないはずだ。


「かっわいい!」


ティアとユファレートが、ミシェルに抱えられる赤ん坊に寄っていく。


「名前、なんて言うんですか、ミシェルさん?」


「エマです。奥で泣いているのが、この子の双子の妹で、アヴァ」


ライアとは、あまり似ていないような気がする。


エマは、初対面の者たちに怯える様子など見せず、愛嬌たっぷりに笑っていた。


「わんわん!」


「この人たちはわんわんじゃないよー、エマ。人間さんだよー」


ミシェルとエマのやり取りに、デリフィス以外は微笑んでいる。


赤ん坊の泣き声が近付いてきた。

事務室に、赤ん坊をあやす女が入ってきた。


以前と比べると、少し痩せたように見える。


あるいは、我が子を宥めすかすのに疲れてしまったのか。


レジィナだった。

女にしては背が高い。

髪型が変わっていた。

片方だけ三つ編みにしている。


それを、泣き喚く赤ん坊に引っ張られていた。


エマの双子の妹だという、アヴァだろう。


初めて見るルーアたちを、怖がっているようだ。


外見はそっくりでも、姉であるエマとは対照的な反応だった。


本当に双子なのかと疑ってしまうほどに。


アヴァが、泣きながら喚く。


「にゃんにゃん!」


これは、間違いなく双子だ。


レジィナが、微笑んだ。


「……おかえり、ルーア」


「あ、ああ。ただいま」


久しぶりに向けられるレジィナの控えめな笑顔に、ルーアは異様に照れるのを感じた。


それでも、他の男どもの表情が変わるのを見逃さない。

反応するなというのが無理だった。


レジィナは、美人なのである。

ユファレートも美貌では劣らないが、大人のレジィナにはまたべつの魅力がある。


ライアなどと結婚したのが、実にもったいない。

何人の男の夢が破れたことか。


レジィナのために、多夫一妻制の導入が検討されてもいいくらいである。


「ルーア、あなたの部屋片付けてあるから。皆さんも、泊まっていきますよね? 空いている部屋がありますから」


「……いや、レジィナ。さすがにそれはちょっと」


特殊部隊の基地なのである。

特別な理由があっても、宿代わりに使われたりはしない。


「安心して。他の方たちの部屋も、きちんと掃除してあるわ。あなたたちが来ることは、エスさんから聞いていたから」


エスのことを、レジィナたちも知っているのか。


ルーアが初めてエスに会ったのは、ランディを追うためにミジュアの街を発った日である。


「俺が言いたいのはそういうことじゃなくて……」


レジィナは、掃除に手を抜かない。


突然の旅人を迎え入れられる程度には、片付いているだろう。

だが、問題はそんなことではない。


「ここは、『バーダ』の基地だぞ? 武装した部外者を中に入れるだけでも、下手したら始末書もんだろ」


「ライアさんの許可は取ってますし、いいんじゃないかと」


やたらにこにこしているエマを抱え直し、ミシェルが言った。


「ライア? ライアの許可がなんだってんだ?」


「それは……ああ、ちょうど戻ってきた」


ルーアの位置からでは見えていなかったが、開け放しになっている扉の近くにいたデリフィスとシーパルが道を開ける。


男が建物の中に入ってきた。


体格は、テラントやデリフィスと同じくらいだろう。


髪の色は黒。長く伸ばすことはない。

顔立ちははっきりしているが、美形扱いされるほどではないだろう。


初対面の者には、爽やかな印象を与えることが多いようだ。


実際に付き合ってみれば、そうでもないということがわかるが。


「ぞろぞろいるかと思えば。そう言えば、今日戻って来るんだったな」


「……よお」


「おう」


二年ぶりになる。

その歳月は、単純な会話にもぎこちなさを与えた。


「ライアさん。こちらの方々、二階に泊まってもらってもいいですよね?」


基地の二階の部屋は、隊員たちが家代わりにしている。


ティアたちが泊まれるだけの部屋数はあるはずだ。


ライアが、ミシェルに頷く。


「ああ、そうしてもらえ」


ルーアは、半眼になった。


「なんでお前が許可を出す?」


「副隊長様だからだろ」


荷物を自分の机に置いて、なにやら資料を漁っている。


「……副隊長? お前が?」


「正しくは、副隊長代理だけどな。俺だってそんな面倒な肩書きなんかいらんが、隊長が新しいの連れてこないからな」


ライアは、職務中や部隊と無関係な者が近くにいる時だけ、ストラームのことを隊長と呼ぶ。

目当ての物が見付かったのか、ライアは何枚かの資料を空の封筒に入れた。


「また出掛けるの?」


「ああ、帰りは明日になる」


レジィナに答え、アヴァに手を向ける。


アヴァは、ぐずりながらライアの指を掴んだ。


「留守番頼むぞ、ミシェル」


「了解です」


エマが、笑いながら腕を伸ばす。


小さな手に、ライアの掌が重なる。


子供好きな印象などないが、少なくとも自分の子供に懐かれていないということはないようだ。


「忙しそうだな、副隊長代理」


「お陰さんでな」


ライアが、一瞬ランディの机に眼を向ける。


皮肉のつもりではないだろう。

言いたいことは、割りとはっきり言う男だ。


わかってはいるが、ルーアは責められているような気分になった。


お前がランディを殺さなければ、と。


ランディは、みんなから頼られていた。ストラームからも。


部隊に於けるランディの役割は、大きいものだった。


いつからか、歯車が狂っていった。

狂いは次第に大きくなり、最終的に最悪の結末を呼んだ。


ルーアにとっての、最悪の結末だったのかもしれない。


ストラームへの忠誠を貫き、一瞬とはいえ弟子に超えられたランディは、満足したかもしれない。


ルーアは、ランディの死に納得したことがなかった。


『バーダ』第八部隊に所属する誰もが、ランディの最後の言葉を聞けなかったのだ。


そんな孤独な死に方をしていい男ではなかった。


「……悪かったな」


つい口にしたその瞬間、ライアに脛を蹴られた。


「……痛えな」


「謝るからだ、ボケ」


言い捨て、ライアはまた出掛けていった。


全ての責任は自分にある、などと考えたことはない。


ランディは、ルーアに殺されることを望んでいただろう。


それでも、わだかまりが解けたことはない。


「まずは、荷物を置きましょうか」


ミシェルが言った。

ランディがいた時と同じ、穏やかな口調と表情で。


ランディの死を受け入れ、消化したのだろう。


おそらく、ライアやレジィナも、ここにいないストラームも、なんらかの形で受け止めた。


だから、ルーアのことを昔のように迎えてくれた。


ランディが死んで、一年と八ヶ月。

自分だけが立ち止まっていると、ルーアは感じた。

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