王都包囲
ただ、ミジュアの第九地区にいる。
それにどれだけの意味があるか、ザイアムにはわからない。
意味は、他の者たちが決める。
例えばクロイツが、ストラーム・レイルが、エスが、リーザイ政府が。
ここで居眠りしているだけのザイアムを、クロイツは作戦の要にするかもしれない。
エスたちは最大限警戒して、動向を見張るかもしれない。
ザイアムは、第九地区を適当に散策した。
『ルインクロード』と『ルインクロード』の衝突により発生した瘴気は、四年半以上が過ぎた今でも、この地で渦巻いている。
『ダインスレイフ』で守護されていなければ、心身に異常をきたしているかもしれない。
食事や水など、生きるために必要な物は、『コミュニティ』の構成員たちが持ってくる。
居場所を、クロイツから聞いているのだろう。
一応、呼び掛けに頷くくらいはしてやっていた。
その気になれば、クロイツの眼から逃れることは可能である。
瘴気が満ちているこの地域にいる間は、いつもより更に容易いだろう。
目的のない散策だったはずだが、足は自然に自分が暮らした家がある方に向いた。
付近まで至っても、自宅らしい物は見付けられなかったが。
無理もないか。
道は捲れ上がり、以前の面影をまったく残していない。
原形を保っている建物はなかった。
どうでもいいか、とザイアムは呟いた。
家が無くなっていても、特に感じるものはない。
元々、住む所に拘りがなかった。
自宅など持っても、掃除や整頓が面倒なだけである。
家についての感想はなにもないが、共に暮らした者たちについては、思い入れがあった。
忘れた日は、ないはずだ。
当時は、家族のような存在だった。
今は、敵対している。
それを運命だとは思わなかった。
ザイアムが自分で選んだことだ。
良い大きさの瓦礫を見付け、ザイアムは腰を下ろした。
正面にある崩れた建物は、たまに利用した雑貨店の跡に思える。
勘違いかもしれない。
失策に気付き、ザイアムは顔をしかめた。
瓦礫の感触が、変である。
瘴気に曝され続けた影響か、なにかぐにゅぐにゅしている。
衣服に染み込んでくる気配はないが、気持ち悪い。
面倒だから、立ち上がらなかった。
囁きかけてくる者がいる。
無視しても良かったが、ザイアムは応じた。
「……なにか用か、クロイツ?」
『頼みたいことがあってね。聞いてもらえないだろうか?』
クロイツの姿はなく、声だけが聞こえてくる。
「聞くだけなら」
『バルツハインス城攻略のための部隊を、指揮して欲しいのだがね』
「……私がか?」
リーザイの王がいる。
当然、親衛隊が詰めているだろう。
特殊部隊『バーダ』もいる。
いずれも精鋭部隊である。
城を落とせるだけの戦力を向ければ、ストラーム・レイルも黙っていない。
大きな戦いになる。
その指揮を頼まれるとは。
そこまでクロイツに信頼されているとは思わなかった。
「……ソフィアは?」
『彼女は、北に向かった』
「そうか」
理由は想像がつく。
聞かなくてもいいだろう。
クロイツは、空っぽの『ルインクロード』を管理しているか。
「……目的は、なんだ?」
『……バルツハインス城の攻略だが』
「……」
落とすのは、難しい。
必ずしも不可能ではないが、不可能に近い。
親衛隊は、軍の最精鋭だろう。
『バーダ』は、軍や警察の選り抜きばかりである。
一流の剣士や魔法使いばかりであり、軍としても個としても戦える。
人数も揃っている。
そしてストラーム・レイル。
ザイアムが動けば、ストラーム・レイルも動く。
攻略は難しい。
納得して、ザイアムは頷いた。
「なるほど、負け戦が前提か」
『……なんのことかね?』
「最後の戦いのために、今のうちにリーザイ政府の視線を下に向けておきたいということだろう? 去年の夏頃から年末まで、お前とソフィアは表立った動きをしていなかったようだが、どこでなにをしていた?」
姿の見えないクロイツの動揺を、ザイアムは感じていた。
『……恐れ入るね。それで、引き受けてもらえるだろうか?』
「いいだろう」
即答すると、クロイツが絶句する気配が伝わってきた。
「どうした?」
『……いや、意外でね。こうもあっさりと承諾してもらえるとは思わなかったよ』
おそらく、交渉材料をいくつか準備しているはずだ。
それがなにか少し興味があったが、聞く意味はない。
すでに引き受けたのだから。
それに、質問するのが面倒臭い。
「クロイツ、構成員を私の元へ集めろ。兵士はいい」
『どうするつもりだね?』
「指揮官を決める」
『……指揮官は君だが』
「そうだ。総指揮官は私だ。だから、編成も指揮系統も、すべて私が決める。気に喰わない点があるなら、すぐに解任するのだな」
『……わかった。君に任せよう』
肩を竦ませるクロイツの姿が、見えるような気がした。
戦力的に圧倒的に劣る。
ならば、戦法は一つだけだった。
すなわち、撹乱戦である。
地の利がないのに撹乱戦というのも愚かしいが、それでも勝機がある唯一の戦い方といえた。
敵の戦力を分散させるため、戦域は拡げられるだけ拡げる。
部隊を指揮できるのがザイアム一人では、話にならない。
クロイツが去った気配を感じ取り、ザイアムは眼を閉じた。
ミジュアの地形を思い浮かべる。
八つの地区。
部隊をいくつかに分ける。
街には、『バーダ』や警察隊が配置されている。
軍も動くだろう。
城には、親衛隊が控えている。
それでも、ザイアムには道筋が見えていた。
(大きな戦いになる。だが、それでもお前は舞台の端か?)
故郷である。
さすがに、舞台の中央まで進み出てくるかもしれない。
そこで、ザイアムが待ち受けていても。
懐かしくもない廃墟の街で、ザイアムはしばらく眼を閉じたまま動かなかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
四十人ほどが集まった。
まずザイアムは、適当にコースを決め、その者たちを走らせた。
距離にして、二十キロ弱になるか。
一時間くらいで戻ってきた者がいた。
しかも、剣を背負った状態である。
かなりの持久力だった。
それから少しして、次の者が戻ってきた。
魔法使いなのか、杖を握っている。
おそらく、かなり抑えて走っただろう。
息が、ほとんど乱れていない。
全員が戻ってきたところで、一斉に争わせた。
自分以外は全員が敵という状況で戦わせ、個人個人の能力を測る。
優劣を見極めるのは、ザイアムだった。
混戦状態で、如何に立ち回るか。
実戦的な能力と、咄嗟の判断力が問われる。
訓練を開始して五分も経たないうちに、ザイアムは止めた。
明らかに突出している者が、二人いる。
二十キロを一番と二番で走り終えた二人である。
剣を遣う方は、かなり若い。
精々二十歳といったところだろう。
魔法使いの方は、二十代半ばというところか。
不健康そうな肌の色だが、体力があることはすでに証明されている。
集団を、四組に分けた。
一組が、大体十人である。
今度は、集団戦の訓練をさせた。
それぞれの陣地に、旗を立てさせる。
先に、敵陣の旗を奪った組が勝ちである。
目立つのは、また同じ二人だった。
それぞれの組を、優位に立たせている。
剣士は、先頭で敵陣に切り込んでいた。
味方が何人か負傷したが、あっという間に旗をうばった。
魔法使いは、的確に指示を出し、堅実に攻撃を防いでいる。
時間が掛かったが、犠牲を出すことなく相手を無力化した。
他の者たちを追い払い、ザイアムはその二人だけを呼んだ。
「お前たち、名前は?」
「イアン・クレアです」
まず、魔法使いが名乗った。
剣士の方は、睨むようにザイアムを見ている。
訓練の後で気持ちが昂っているのか、殺気さえ感じられた。
「……ステヴェ・クレアです」
「……」
「私たちは、兄弟なのです、ザイアム様」
イアンの方が言った。
「そうか」
口許が、少し似ているかもしれない。
それ以外は、共通点を見付けられなかった。
「お前たちを、今回の作戦の副官に任命する」
「……私たちが副官、ですか?」
イアンは、妙に焦っている様子だった。
「……荷が重すぎます」
「お前はどうだ、ステヴェ?」
「やります」
ステヴェの方は、兄と違い堂々としていた。
燃えるような瞳で、ザイアムを睨み続けている。
「いくつかの部隊を編成する。主力の部隊を、お前たちに任せる」
イアンは荷が重いと言ったが、ザイアムは二人に指揮を執らせるつもりだった。
他の者たちと比べると、この二人の技量ははっきりと図抜けている。
「第八地区を混乱させろ。攻撃対象はどこでも構わん」
「それは……」
イアンが絶句する。
警察や、ただの軍隊を相手にするだけではない。
『バーダ』第八部隊と向かい合わなければならない可能性もある。
つまり、ストラーム・レイルが出てくるかもしれない、ということだ。
「面子は、お前たちで選べ。気に入った者を連れていけばいい」
「俺と兄以外は、兵士だけで結構です。その方が動きやすい」
ザイアムは頷いた。
わかるような気がする。
イアンもステヴェも、かなり若い。
指示に従わない者も出てくるだろう。
上司の命令に従順な兵士だけで部隊を編成する方が、二人としてはやりやすい部分があるはずだ。
他の者たちには、第二地区から第七地区までを攻撃させる。
兵士たちも、集められるだけ集める。
ミジュアに配置されている期間が長いイアンの話では、王都を包囲できるくらいの数がいるということだった。
二人も帰し、ザイアムは思考した。
どう作戦を組み立てるか。
負けが前提の戦いとは、気楽なものである。
なにしろ、勝つ必要がないのだ。
兵士が何人犠牲になろうと、どうでも良かった。
兵士ではない、つまり人間にも犠牲が出るだろうが、力がある者は生き残る。
負け戦だが、どうせなら派手にやりたかった。
ストラーム・レイルやエスの、肝を冷やすくらいのことはしたい。
しばらくして、イアンが戻ってきた。
ステヴェはいない。
イアンだけである。
神妙な顔をしていた。
「……私たち兄弟を、作戦から外していただきたい」
「なぜだ?」
「……」
「理由を言え。それ次第だ」
「……私たちの兄は、フロリン・クレアです」
「……?」
ザイアムは、眉根を寄せた。
知らない名前である。
「……愚かにもザイアム様に逆らい、死にました」
イアンが付け加えるが、それでもザイアムは、誰のことかわからなかった。
「なるほど。私はお前たちにとって、兄の仇ということか。私が、憎いか?」
「私は、なにも。ですが、ステヴェは……」
ザイアムは、ステヴェの燃えるような瞳を思い出していた。
あれは、兄の仇を見る眼だったのか。
「ザイアム様の寝首を掻くようなことを、ステヴェは考えるかもしれません。お願いします。私たちを、遠ざけてください」
イアンは、額に汗を浮かべていた。
ザイアムは、それを冷たく見下ろした。
特に問題はない。
もしかしたら、足を引っ張るような真似をするかもしれないが、どうでもいい。
どうせ、負けていい戦いだ。
殺したいのならば、殺しに来ればいい。
「作戦は、変えない。お前たちの役割も、変えない。私は、第一地区に向かうだろう。殺したければ来るがいいと、弟に伝えろ。いつでも相手をしてやる」
「……」
イアンは、汗に塗れていた。
強張った表情で、奥歯を噛んでいる。
「……ザイアム様が、第一地区を……ならば……ストラーム・レイルは……」
呟きを聞いて、少しザイアムは感心した。
ザイアムが第一地区を攻撃すれば、ストラーム・レイルも第一地区に現れるということを、イアンは追い詰められたような顔をしているくせにわかっている。
それは、イアンとステヴェが行動しやすくなるということだった。
「とにかく、第八地区はお前たちに任せる。早目に兵士の選抜を済ませるのだな」
そこまで面倒を見てやるつもりはない。
イアンはまだ何か言いたげだったが、ザイアムは掌を向けてそれを制した。
◇◆◇◆◇◆◇◆
自分の発言とザイアムの反応を思い出しながら、イアンは歩いていた。
命を狙われるかもしれない、というようなことを聞かされれば、どうなるか。
不安になる。
そして、不安の源となる者を遠ざけようとする。
始末しようとする者もいるかもしれない。
それが普通の人間の、普通の反応というものだ。
だが、ザイアムは違う。
実に泰然としたものだった。
それでこそ、超人であるザイアムだった。
ただの人間に命を狙われても、眉一つ動かさない。
自分が特別だという意識はないかもしれない。
だが、無意識のうちに自覚している。
死なないという自信があるのだ。
そんなザイアムだからこそ、打ち明けることができた。
フロリンという兄がいたことは、イアンやステヴェにとって致命的な欠点になる可能性がある。
若い自分たちが副官を任されることに、不満を持つ者がいるはずだ。
フロリンのこと、ステヴェがザイアムを恨んでいることをネタに、脅迫のような真似をするかもしれない。
欠点をさっさと晒すことで、それは防げる。
ザイアムならば、気に留めないと思っていた。
土壇場になって明かされるよりは、ずっと良いだろう。
もちろん、ザイアムが激怒して、イアンやステヴェを殺そうとする可能性もわずかながらあった。
そういう意味では、賭けに勝ったと言える。
ザイアムの居場所を聞けたのも良かった。
ステヴェは、イアンを見捨てて第一地区に向かえはしないだろう。
第八地区を守護する『バーダ』第八部隊は、他の隊に比べ、極端に人数が少ない。
たった四人である。
その分、第八地区の警察は優秀だった。
甘い相手ではない。
ザイアムと決闘するために第一地区へ向かえば、イアンを殺すことになる。
そんなこと、ステヴェにはできない。
第八地区の攻略に集中することは、ザイアムの刃からステヴェを守ることにもなる。
ストラーム・レイルの相手をしなくていいのも、良いことだった。
あとは、どう上手くやるかである。
おそらくステヴェは、兄であるイアンの指示に従おうとするだろう。
自分の采配次第で、生き残ることができる。
懸かっているのは、自分と弟の命。
実に遣り甲斐のある仕事だった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
兵士を集結させるのに、数日は掛かるだろう。
各地から、構成員が向かってきている。
クレア兄弟以外にも、使えそうな者が現れるかもしれない。
まだ慌てる必要はない。
水を口に含ませながら、ザイアムは考えた。
空気が悪いせいか、喉が渇きやすい。
爪先で、地面に地図を描いていく。
まず、兵士に王都を包囲させる。
大半の軍は、街の外に眼を向けるだろう。
警察は、各地区の警備に当たるはずだ。
その状態にしてから、イアンたちに行動を起こさせる。
イアンとステヴェたちは第八地区を、その他の者が率いる部隊は第二地区から第七地区までを攻撃する。
警察や各地区の『バーダ』が、防衛に当たるだろう。
守りながら、彼らは思うはずだ。
王都を包囲する兵士たちは、軍を外に向けさせ、王都に戦力の空洞化現象を起こさせるためだと。
確かにそれが目的ではあるが、その先もある。
ザイアムは、地面に描いた地図の真ん中を踏み抜いた。
他の者たちは、負けていい。
いくらかの時間さえ稼いでくれれば、充分である。
軍隊の大半は王都の外で備え、警察と『バーダ』の第二部隊から第八部隊は、各地区の混乱の鎮圧に掛かり切りになる。
第一地区へ救援には向かえない。
第一地区。王の親衛隊に、『バーダ』第一部隊。
この国の最精鋭の部隊が待ち構えている。
他に気にする必要のある部隊はない。
ただ、注意するべき個人はいる。
ストラーム・レイル。
最強の部隊と最強の個人が控える第一地区に、こちらも今回の作戦の最大戦力をぶつける。
つまり、ザイアムが突っ込む。
一人がいい。
他の者がいても、邪魔になるだけだ。
(そして、その後は……)
クロイツを呼んだ。
瘴気の影響か、声が聞き取りにくい。
『……なにかね?』
「ステヴェ・クレアという者は、わかるな?」
『わかるが』
「話をしたい。繋げてくれないか?」
『……私にも、会話が聞こえてしまうが』
「構わない」
クロイツの気配が去っていく。
それから、百を数えられるほどの時間が過ぎたところで、ザイアムは脳への刺激を感じた。
響く声と息遣いは、クロイツではなく別の者である。
『……ステヴェです』
低い声。
ザイアムを憎む男。
兄が相手なら、陽気な声を上げることもあるのだろうか。
「頼みがある」
命令ではなく、頼むことにした。
深く考えたわけではなく、直感的に選択した。
殺したい相手からの命令ならば、反発もしたくなるだろう。
だが、頼まれたらどうなのか。
意地を張りたくなるのではないか。
だから、できないとは言わない。
もっとも、ザイアムがそう思っただけで、実際は違うかもしれない。
『……なんでしょうか?』
「なに、たいしたことではないが」
焦らすためではなく、ステヴェの尖った感情を逸らすために前置きする。
意味はないかもしれないが。
「ティア・オースターという女を知っているか?」
前置きした効果を確認することもなく、ザイアムは本題に入った。
◇◆◇◆◇◆◇◆
ザイアムから指示を受けて、数日が経過した。
九月中旬の、ある日。
イアンは、城壁よりも高い建物の、屋上にいた。
城壁の向こう、遥か遠くに並んだ人影が見える。
人影の列は、地平の代わりであるかのようにずっと続いていた。
リーザイ王国王都ミジュアを包囲するために集められた、兵士たち。
『コミュニティ』以外に、一国の首都を取り囲むことができる組織が、他にあるだろうか。
クロイツに力を封じられているエスは、ろくに動けなかったようだ。
ザイアムという重石がある間は、ストラーム・レイルもミジュアの街を離れられない。
誰にも、兵士の集結を阻めなかった。
これは、一時的な包囲に過ぎない。
リーザイの軍隊に、すぐ蹴散らされるだろう。
それでいいのだ。
そのわずかな時間に、ザイアムは決着を付ける気でいる。
これから起きる、大きな大きな出来事。
多くの人々は、ある組織が起こしたテロ行為だと記憶することになるだろう。
だが、これは戦争だった。
最終決戦の、前哨戦となる戦い。
死ぬのは、誰か。
生き残るのは、誰か。
そして、砕け散るのはザイアムとストラーム・レイルのどちらなのか。
城門が開く。
戦争が、始まる。