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エピローグ

ザイアム敗死。

その報告を受けて、まずウェインは、自分の耳を疑った。


次に、使者の頭がおかしくなったのではないかと考えた。


クロイツからの使者である。

眼には冷静な光があり、正気を失ってしまったというわけではなさそうだ。


「……確かなのか?」


「いえ。ただ、『ダインスレイフ』が破壊されたという波長を、クロイツ様が検知されました。それから、ザイアム様の行方が知れません。ですから……」


「そうか……」


ミジュア第九地区崩壊の時でさえも、ザイアムを守りきった魔法剣である。


それが破壊されるほどの衝撃。

その場にいたであろうザイアムが、生きているとは思えない。


跡形もなく消し飛んだ、と考えるのが自然だろう。


「それで、誰が……?」


「ルーアです」


「……」


ザイアムの敗死に匹敵する衝撃を、ウェインは受けた。


ルーアが、ザイアムを殺したのか。

ザイアムを超えたのか。


以前、ルーアとは戦ったことがある。

負けた、とウェインは考えていた。

それでも、絶対的な差があったわけではない。


実力としては、ほぼ互角。

あの時は、ルーアの方に勝利という結果が付いただけ。


再戦すれば、勝つのはどちらかわからない、と思っていた。


そのルーアが、ザイアムに勝ったのか。

絶大な力を持つ、あのザイアムに。


「……そうか。『ルインクロード』か」


「間違いなく、そうでしょう」


ルーアは、『ルインクロード』という化け物の力を使った。

そして、ザイアムという超人を倒した。


ウェインは、辺りの風景に眼をやった。


ザッファー王国の東部にある、山地である。

平原の国と呼ばれているザッファーにも、山はいくらでもあった。


ノエルやセシルとこの地に来て、二ヶ月は過ぎているはずだ。


セシルが生まれた村である。

他にも集落がいくつかあり、気が向いた時などは赴くこともあった。


行軍訓練のつもりで、『百人部隊』の部下を連れて行くこともある。


自然が豊かな所であり、ウェインはそれなりに気に入っていた。


たまには、野宿をすることもある。

秋も深まり、最近はそういうこともなくなったが。


「ローシュ様には、いつでもミジュアに『百人部隊』を率いて向かえるように、とのことです」


「……考えておく」


クロイツの目的のために、『百人部隊』副隊長であるイグニシャは死んだ。

その考えは、変わっていない。

クロイツの言いなりには、なりたくなかった。


それでも、部隊を動かすことを考えなければならないだろう。


ザイアムという個人を失ったという出来事は、『コミュニティ』という組織にとって、あまりに大きい。


ミジュアに来いというのは、ウェインや『百人部隊』に、ザイアムが担うはずだった役割を負わせるつもりなのかもしれない。


ザイアムという剣士の穴埋めができるとしたらノエルだけだが、やはり扱い辛いのだろう。


単純な強さならば、ノエルもザイアムには及ばない。


だが、異常さだけならノエルの方が上だろう。


ノエルに、斬れないものはない。

あれは、化け物さえも斬れる存在だ。


「……」


ふと感じることがあり、ウェインはノエルが暮らしている家に眼をやった。


ザイアムが死んだことを、いや、殺されたことを知れば、ノエルはどうなるのか。


怒り狂い、復讐に走るのか。

頭をおかしくしてしまうかもしれない。

どうであれ、ろくなことにならないような気がした。


使者に、視線を戻す。


「……ノエルにも、会うつもりか?」


「そのつもりですが」


「……ザイアムのことは、言うな」


「しかし……」


「強制はしないけどよ。まあ、忠告しとく」


「……そうですか」


一礼して、使者はノエルが暮らす家に向かった。


ウェインは、なんとなくその場で腕組みをした。

日の光を浴びながら、思考する。

考えを働かせるというよりも、勝手に想像が頭の中に浮かぶ感じだった。


ザイアムが死んだ。

ソフィアは、大きく動くだろう。

ストラーム・レイルやエスは、ここぞとばかりに『コミュニティ』の隙に付け込もうとするかもしれない。


クロイツはどうするのか。

動くのか、静観するのか。


ぱん、と音がした。

巨大な風船が割れた音に似ている。

だが、なにかが決定的に違う。


次いで聞こえたのは、女の悲鳴だった。

おそらく、セシルのものだ。


それで、異音と悲鳴はノエルが借りている家の方から響いてきたのだと、ウェインは判断した。


セシル。本名はセシュリアンヌである。


元々はウェインが見付け、ノエルの世話役として付けた女。

戦闘員としてではなく、仕事ができるということで引き上げたのである。

今も、ノエルの身の回りの世話をしている。


同じ家に暮らしているが、男と女の関係ということではないようだ。


二人が互いのことをどう思っているのか、外から見ているだけのウェインには、はっきりとわからない。


ともかく、悲鳴はセシルのものだった。

多少のことで騒々しくなる女ではない。

つまり、多少ではない出来事があったのだ。


ノエルが借りる家に歩を進めながら、ウェインは溜息をついた。

きっと、ろくでもないことが起きたのだ。


家の外に、セシルがいた。


腰を抜かしたのだろう、地べたに座り込んでいる。


普段は黒い髪は、日の光に照らされ青く見えた。

これは、ザッファー王国東部で生活する、ある少数民族の特徴だった。

セシルは、その少数民族の血を引いている。


この村と交流があるのか、同じような髪質の村人が何人かいた。


セシルの横顔は、青冷めている。

家の中を凝視していた。


見える光景に、ウェインはまた溜息を付いた。


見るな、とセシルに言っても、手遅れだろう。

すでに、脳裏に焼き付いたに違いない。

それくらい、異常な光景だった。


玄関口から、血が流れ出ている。

そして、家の中には、抜き身の剣を左手に持つノエルの姿。


死体が一つ、いや、二つ。

頭頂から股間まで真っ二つになった、クロイツの使者の死体。


並の膂力では、なかなか人を二つに断つなどという真似はできない。


ノエルのことだ、力や勢いで人の体を二つにしたわけではないだろう。


なぜ力に頼らずこんな風に人を斬れるのかと問われると、ノエルだからとしか答えようがないが。


だが、ここまでは納得してもいい。

筋力や、武器の重さを活かし勢いを付ければ、同じようなことができる者は、他に何人もいるだろう。

ウェインにも可能なことだ。


納得できない、というよりも理解不能であるのは。


二つになった使者の体。

一つは家の奥に、斬り口を接着面にして貼り付いていた。


もう一つは、天井にへばり付いているのだろう。

天井から垂れ下がる手と足の先が見える。


先程聞こえた風船が割れるような音は、ノエルが使者を斬った音なのだと、ウェインは悟った。

人を斬って響く音ではない。

だが、きっと間違いない。


理解できない、理不尽な存在。

それが、ノエルという剣士だ。


筋力に頼らず、使者の体を二つに断ち、吹っ飛ばした。


ぶつかった家の壁や天井に貼り付き、剥がれ落ちなくなるような勢いで。


理解に苦しむが、そういうことなのだろう。


血生臭い光景には慣れているつもりだが、それでも目眩がした。


唾を呑み込み、ノエルの方へ進む。


ノエルが振り返った。

返り血を浴びた表情に、くっきりと凄惨な笑みを浮かべている。


立ち止まりながら、ウェインはぎくりとするのを感じた。


「……ウェイン、おかしいんだ、こいつ」


「……なにがだよ……?」


「おかしなこと言うんだ。ザイアムが負けたって。死んで、殺されたって。そんなことあるはずないのに」


「……」


セシルが喉を動かすのがわかった。


すぐには言葉が出ない。

ノエルの様子は、それくらい異常だった。


「だって、ザイアムだよ? ザイアムが死ぬわけが……死ぬ? ……ザイアムが、死んだりは。ザイアム……ザイアムが」


「……落ち着け」


「ザイアム、ザイアムが。あいつ、ザイアムの子供、あいつが、そうか」


「落ち着け!」


ウェインが一喝した、そういう風に、セシルには感じられたかもしれない。


ただ、大きな声が喉から溢れ出ただけだった。


このままではまずい、とウェインは感じた。


ノエルが、壊れる。

それも、最悪な壊れ方をする。

敵味方関係なく、周りの者全てを巻き込むような、最悪の壊れ方だ。


「……まだ、はっきりとした情報じゃない。俺の方でも、調査する。ちょうど、何人かはミジュアに潜り込ませているからな」


情報収集などが得意な者が、『百人部隊』にもいた。


とにかく今は、情報だった。

真実をつまびらかにする必要がある。

ノエルのためにも、ノエルの側にいる自分たちのためにも。


「……だから、落ち着け」


「……そうだよね」


ノエルが、違う笑顔を見せた。

凄惨さのない、穏やかな微笑み。


「デマに決まってる。ウェインに、ちゃんと調べてもらうことにするよ」


「……ああ。何週間か、もしかしたら何ヵ月か掛かるかもしれないけどな」


「いいよ。どうせザイアムは生きているし。気長に待つよ」


にこにこしながら、ノエルは歩き出した。

震えるセシルの横を通り過ぎる。


村の中央にある、泉の方へ向かっているようだ。

返り血を洗い流すつもりつもりなのだろう。


「……セシル」


なにも知らなければ、滑稽に見えたかもしれない。

それくらい、セシルは震えていた。


声を掛けると、弾けるような勢いでウェインに顔を向けた。


「死体は、俺の方で処分しとく。お前は、他の家を探しとけ」


「……はい」


ノエルはともかく、セシルはもうこの家で暮らせないだろう。


仕事を与えることで、死体へ向けられた意識を、少しでも逸らすことができるかもしれない。


セシルを残し、ウェインは家の中に入った。

血臭が鼻を付く。

血の臭いで吐き気を催すのは、久し振りのことだった。


死体の処分は、燃やすのが一番手っ取り早いだろう。

だが、家の壁と天井に貼り付いた死体を剥ぎ取るのは、なかなか重労働になりそうだ。

家ごと焼く方が早いか。


たいした荷物があるようでもない。

暮らす家に、ノエルはそこまで拘らないだろう。

セシルが移り住むのならば、ノエルも移り住む。


村人が許可してくれるなら、燃やしてしまおう。

炎の魔法の構成を思い浮かべながら、ウェインはそう決めた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


ザイアムとの戦闘後、帰還途中で力尽たところを警官に拾われ、ルーアはティアと第三地区の病院に運び込まれた。


それから三日ほど入院し、ルーアが第八地区に戻ったのは昨日のことだった。


ティアはまだ入院している。

警察病院であり、警備はしっかりとしていたので、まあ安全だと考えていいだろう。


知り合いの店で新しい剣を購入したのは、今日の午前。

武器が手元にあるのは、やはり落ち着く。


ストラームが『バーダ』第八部隊基地に戻ってきたのは、正午過ぎのことだった。


同じく第一地区に行っていたライアとミシェルは、三日前に戻っていた。


ストラームは、『バーダ』第三部隊や第五部隊の所を回っていたらしい。


隣接地区の部隊同士、連携しなければならないことがあるのだろう。


ミジュアは、大きなテロ攻撃の標的になったばかりなのである。


すでに、警官隊や軍とも連絡を付けているはずだ。


ストラームに、隊長室まで来るよう言われた。


二年振りの対面である。

あまり変わっていない。

ストラームは、奇妙なほどザイアムとよく似ていた。

ザイアムが老けて髪を切ったら、ストラームのような風貌になるのだろう。


「ランディの件については、お前に苦労をさせた」


挨拶はない。

開口一番、ストラームはそう言った。


「……いや、べつに。もう、終わったことだしな」


べつに、で済ませていいことではない。

だが、終わったことなのだ。

絶対に取り戻せないことであり、ライアもレジィナもミシェルも、それぞれ受け止めた出来事である。


「……顛末は、エスに聞いている」


「……そうか」


左手をわずかに動かす。


その気になれば、ランディの胸を貫いた後の感触を思い出すことはできた。


死に逝くランディの表情も。


最後にランディはなにかを言おうとしていたが、聞き取ることはできなかった。

それが、心残りといえば心残りなのかもしれない。


「ランディは……」


言い掛けて、やめた。

言いたいことが纏まっていなかったのである。

なんとなく、ランディの名前が口を衝いて出てしまった。


「ランディは、私よりも早く死んだ。私はそれを、死ぬまで許さないつもりだ」


ストラームが言った。


『バーダ』第八部隊の隊員たちは、ランディの死を受け止めた。


ストラームだけが、受け止めきれていないのかもしれない。


ランディと最も付き合いが長いのは、ストラームであるはずだ。


ルーアは、窓に眼をやった。

よく晴れている。

第九地区の曇った空が見えないかとも思ったが、窓は南向きである。


第九地区は、ここからだと西になる。


「ところで、わざわざ俺を隊長室まで呼んだんだ。なんか言いたいことがあるんだろ?」


隊長と隊員として、話したいことがあるのだ。


ただの世間話なら、他の者がいる所でもできる。


帰還まで二年以上掛かってしまったが、ランディを止めるという任務を果たしたのである。


また、部隊に戻ることになるのか。

それとも、『バーダ』隊員という肩書きがあるとできないことを、任務として与えられるのか。


確かなのは、ストラームの元に帰ってきたことで、ルーアの二年と二ヶ月に及ぶ旅は、一旦終わったということだった。


「頼みたいことがある」


言われて、ルーアは頷いた。

同時に、直感もした。

また、旅に出ることになる。


部隊に戻すつもりなら、隊長として命令する形にするだろう。


『バーダ』の隊員としてではなく、一個人としてルーアにやって欲しいことがある。


ランディを追うために表向きは除隊処分となり、旅に出た時も同じだった。

あの時も、命令ではなく頼まれたのである。


「戻ってきたばかりで済まないが、また旅に出て欲しい」


「今度は、どこに?」


「レオスガリア王国、次に、ボノアスラン王国」


「レオスガリアと、ボノアスラン?」


レオスガリアは、リーザイの北にある王国である。

国土や国力は、リーザイ王国のちょうど半分ほどになるだろうか。


ボノアスランは、リーザイの北東、レオスガリアの南東に位置する王国であり、『女性の国』と呼ばれている。

国は女王により統治され、宰相も女性である。

国務を司る者の半分は、女性だったはずだ。

国土はリーザイ王国の五分の一ほどで、世界最小の国家でもある。


レオスガリアもボノアスランも、リーザイとは敵対していた。

そして、両国は同盟関係にある。

もっとも、裏切ったり手を結んだりを繰り返すような、脆弱な同盟関係であるが。


レオスガリアとボノアスランの国力で

は、手を組まなければリーザイに対抗できない。


両国を同時に相手にできるだけの国力があるリーザイも、外征の軍を出すことはできなかった。


南に、リーザイよりも大きいザッファー王国があるからである。


ただ、ザッファー王国から攻め込まれることは、ここしばらくなかった。


あの国は乱れに乱れ、各地で争いが勃発している。


リーザイに遠征軍を出すだけの纏まりがないのだ。


ラグマ王国を相手にする時だけ、一つに纏まる。


考えてみれば、現在世界は、絶妙なバランスで成り立ち、大戦を避けていた。


島国ヘリクは海に守られており、大陸からの侵攻を受けていない。


世界最大最強のラグマ王国は、西にズターエ王国、北にホルン王国、北東にザッファー王国と大国に囲まれ、領土拡大の野心はあっても、思うように事を進められないでいる。


ラグマ王国にとって特に厄介なのが、ズターエ王国だろう。


大陸南西部に位置し、隣接する国はラグマだけであり、戦力の大半を東に向けられる。


ラグマ王国とホルン王国の国境には、天険レボベル山脈が横たわり、互いの侵攻を遮っている。


ザッファー王国に纏まりはなく、北にはリーザイ王国がある。


もしホルン王国とザッファー王国が大規模な軍をラグマ王国に向ければ、大陸南の地図は大きく書き換わることになるだろう。


稀代の王と言われるベルフ・ガーラック・ラグマを戴くラグマ王国も、持ち堪えられないかもしれない。


ラグマ王国から圧力を受けているホルン王国は、北東にあるドニック王国と国境線で睨み合うばかりで、本格的に攻め込むことができないでいる。


ドニックは小国だが、軍が精強なこともあり、ホルン王国と対等に戦えていた。


リーザイ王国は、南のザッファー王国の存在のため、レオスガリア王国やボノアスラン王国に兵を向けられない。


全てが絶妙な均衡の中にあり、なにか一つ切っ掛けがあれば、大きく世界は動くだろう。


レオスガリアとボノアスランに行けというストラームの言葉に、ルーアはきな臭いものを感じた。


リーザイ人であるというだけで、石が飛んできてもおかしくないような国々である。


「……目的は?」


「それは、私よりもエスから聞いた方がいいだろう」


部屋の中の気配を探る。

エスが現れる様子はない。


「そのうち、エスから接触してくるだろう。おそらくな」


「……いつだよ?」


「……それは、わからん」


「……なんか、雑だな」


「いや、極めて繊細な話だ。だからこそ、エスを通じて話を聞いた方がいいのだが」


「……そうか」


リーザイ王国、そして、レオスガリア王国とボノアスラン王国。

三つの国の位置関係を思い浮かべる。


繊細な話、つまり政治的な話だろう。

だからこそ、エスを介して話を聞いて欲しいのだ。


「いつ頃行けばいい?」


「早い方がいいが」


「わかった。じゃあ、準備が出来次第」


ストラームが、微かに頷く。

髭が少し伸びていた。

三日に一度剃るという習慣は、変えていないようだ。


「それと、お前に渡そうと思っていた物があるのだが」


「なんだ?」


「剣だ」


ストラームは、傍らに立て掛けてあった剣を机の上に置いた。


「と思っていたが、その剣、新調したばかりだな」


ルーアが背負う剣に、ストラームが視線を向ける。


柄を見るだけでも、わかる者はすぐにわかるだろう。


ルーアは、首肯した。


「この前、ザイアムに叩き折られたばっかりでな。それで、まあ、新しく買った。かなり良い剣だし、凄く安くしてくれたし」


「なるほど」


ストラームが、にやりとする。


「サーツ商会か」


ルーアは、苦笑いを浮かべた。


サーツ商会は、ミジュアでも屈指の商会である。


ルーアが旅立つ前、ある事件で関わることがあり、会長一家とは面識があった。


会長の娘には、好意があるというようなことを言われていた。


事件解決後、今度はランディの一件があり、ルーアはミジュアの街を離れ、うやむやになったのだが。


「まあ、いいだろ」


「べつに構わないが。そうか、間に合っていたか。なら、いい。ランディの剣を、お前にと思っていたが」


「……ランディの?」


「予備の剣だ。結局、遣うことはなかったがな。手入れは、私がしていた」


「……ちょっといいか?」


「ああ」


手に取る。

ずしりという重さがあった。


鞘から抜くと、よく手入れされた刃が見えた。

派手さはない。

ランディの実直さを思い出させる、両刃の直剣。

どこか、隙のない印象を受けた。

刃の色合いからして、おそらくミスリル銀が加工されているだろう。

一目で良剣だとわかる代物だった。


「最初はミシェルにと思ったが、あいつは重いと言ってな」


「だろうな」


ミシェルの変則的な剣に必要なのは、力ではなく速さである。


そして、ランディの残した剣である。

別の意味でも重い。


「……俺にも重いな。……色々と」


「そうか」


「けど、貰っていいか?」


「ああ。二刀流にでも鞍替えするか?」


「いや、まさか。そんな馬鹿力じゃねえよ」


ルーアの筋力では、短剣サイズならばともかく、剣二本を同時に扱うのは難しい。

魔法を使うのも困難になる。


『ルインクロード』の力に頼ったザイアム戦のような例外はあるが、剣と魔法を併用するのが、自分の戦い方の本質である。


「しばらくは遣うことはないだろうけどよ。それでも、持って行きたい。まあ、御守りみたいなもんだ」


「……まあ、いいだろう。元々、お前にやろうと思っていた剣だ。ライアも、今の剣を気に入っているということだからな」


「じゃあ、貰うよ」


鞘に収める。

響く音は、耳に心地好い。


荷物にしかならない可能性はあるが、また剣を折られることも有り得るだろう。

いざという時の保険にはなる。


「お前の友人たちは、どうするのかな? お前の旅に、また同道してくれるのだろうか?」


「多分な」


あまり迷うこともなく、ルーアは答えた。


みな、それぞれの事情があって旅をしている。

必ずしも、ルーアと共にいなければならないというわけではないだろう。

それでも、旅に付いてきてくれる。


確たる根拠はない。

それでも、確信に近いものがルーアにはあった。


◇◆◇◆◇◆◇◆


遠くで、爆音が轟いている。

それが、段々と近付いてくる。


伝わる魔力の波長は二つ。

一つはライアのものだった。

昔からの癖が抜けていない。


必要ないことであるが、ルーアはなんとなく溜息を一つ入れた。


ストラームとの話が終わり、隊長室を出たところで、ライアに捕まった。


ちょっとだけ面倒な相手だから手伝え、と言うのである。


感じ取れるもう一つの魔力の波長に、なるほどと頷ける。

確かに、面倒な相手かもしれない。

なかなかの魔法使いであるようだ。


秋風の冷たさを肌で感じながら、路地裏で待つことしばし。


背後を気にしながら現れた男に、ルーアは少し腰を落とした。


自然体に近いが、いつでも戦闘に入れる姿勢である。


男は、それなりに戦闘訓練を受けているようだ。

逃げる姿だけでも、それがわかる。


続けて現れたライアの歩調には、乱れがあった。


追跡に疲れたから、というわけではないだろう。


相手を詰んだ状態にすると手を抜く悪癖は、未だに直っていないようだ。


ルーアの存在に気付き、男が立ち止まる。

手にしている剣は、片刃だった。

前後を挟むルーアとライアに、男は焦りの表情を浮かべた。


男の名前はなんだったか。

ライアから渡された資料にはざっと眼を通したが、思い出せなかった。

必要な情報ではない、ということだろう。


黒いジャケットの胸の部分を、軽く撫でてみる。

ワッペンが剥ぎ取られた跡。

『バーダ』の隊員ではない、ということである。

それでもこうして、『バーダ』としての任務を行うこともある。


男は、ライアに完全に背を向け、ルーアに正対した。


無理もないか。

ルーアはまだ、剣を抜いてもいないのだ。


剣の柄に伸ばしかけた手を、ルーアは止めた。

まあいいか、と思ったのである。


名前は思い出せなかったが、他の情報は頭に浮かんだ。


男が普段活動しているのは、第七地区。

なにかの取り引きで、この第八地区に来た。

つまり、地理には疎い。


壁の向こうに瞬間移動するだけの度胸は持てないだろう。


障害物がある所に転移でもしてしまえば、即死である。


飛行の魔法で上空に逃げれば、その瞬間ルーアかライアが魔法で撃ち落とす。


男がこの窮地を脱する道は、ただ一つ。

ルーアかライアのどちらかを倒し、突破するしかない。


意を決したか、男が吠え声を一つ上げる。

両足で、ほぼ同時に地を蹴る。

珍しい歩法である。


魔法は使わずに、向かってくる。

背後にいるライアに魔法で狙い撃たれる可能性を考えれば、ルーア目掛けて魔法を放つことなどできないだろう。


(うーむ)


ルーアは、首を傾げた。


男は、強い。

かなり強い部類になる。

魔法使いとしても剣士としても、油断できないだけの実力があるだろう。

存分に警戒し、迎撃しなければならない相手だ。


それなのに、自分は剣も抜かず、のんびり構えている。


(なんだこれ?)


油断しているのか。

それとも、慢心しているのか。

気を引き締めろ、といくら自分に言い聞かせても、なにも変わらない。


結局、剣を抜くことも本格的に構えることもせず、ルーアは男を迎え撃った。


振り下ろされる剣を、右半身を後方に引きかわす。

男の右側に回り込む形になっていた。


ほとんど意識せず、男の右手首を、右手で掴んでいた。

左手で、男の右肩に触れる。


右手を引き、同時に左手で押した。

男の体が、綺麗に宙を舞う。


(うーむむ)


地面に叩き付けられた男が魔法を使う前に、ルーアは素早く攻撃魔法の構成を拡げた。


いつでも射貫ける。

お前よりも速い。

それを、教えているのである。


男が、諦めるのがわかる。


駆け付けたライアが、男に蹴りを入れ手早く気絶させる。


(おかしいな)


男は、強かった。

普段の自分ならば、絶対に手を抜かない。

いや、例え相手が弱くても、命のやり取りになる実戦で手を抜くなど有り得ない。


(……手は、抜いてないよな?)


ただ、はっきりと見えてしまった。

自分が、強敵に成り得たこの男を、圧倒するところが。

なにが必要か、なにをすればいいのか、手順がわかってしまったのだ。


あとは、それを実行すればいい。

有りとあらゆる不測の事態に備えながら。

そして、確定していた結果が残った。


(うーむむむ)


慢心して、ろくに実力を発揮せずに死んでいく愚か者を、これまでに何人も見てきた。


自分だけはそれはないと思っていたが、いつの間にこんな自惚れるようになったのか。


(……いや、違うよな、多分)


やけに冷静なのだ。

戦闘という独特の雰囲気の中にありながら、俯瞰的に見渡せているような気がする。

敵意を以て刃を向けられても、心拍数が上がることがない。


「……今のお前、なんか気持ち悪かったな」


失礼なことを言うライアを、ルーアは無視した。


(……やっぱり、あれだな)


ザイアムか。

あの男と戦ったことで、妙な度胸を手に入れてしまった。

ザイアムと比べれば、大抵の者が小さい。


過剰に力むことも警戒することもなく、必要最小限の力だけで迎撃できる。

そういう感覚だった。


(……まあ、悪いことじゃないよな、当然)


「ライア、もういいよな?」


男は、完全に気絶しているようだ。

あとはライアだけで充分だろう。


「……お前、またどこか旅に出るのか?」


面倒臭そうな顔で男を見下ろしながら、ライアが言った。


「……ストラームとの話を立ち聞きでもしたか?」


「いや。ただ、なんとなくそんな感じがした」


「そうか」


ライアとは、比較されることが多かった。

互いに互いを意識しているところはあるだろう。

ライアだけが感じ取れるものが、あるのかもしれない。


「今度は、どこに行く?」


「北だ。レオスガリア、そのあと、ボノアスラン」


「ふーん」


聞いておきながら、素っ気なく相槌を打つ。

横顔からは、遠くを見ているのが感じられる。

ライアは時々、そういう眼をする。


「……ランディもいないのに、なんか悪いな。お前とミシェルにばかり、街の面倒事を押し付けている気がしなくもない」


「そんなこともないだろ。まあ、お前が適任だとは思うよ。俺は、何年も街を離れるとか、できないからな」


この街には、レジィナがいる。

エマと、アヴァもいる。


妻と幼い娘たちを置いて旅に出るというのは、なかなか難しいことだろう。


「出発は、いつになる?」


「さあな。けど、多分二、三日後ってとこだな」


「そうか」


顔をしかめながら、ライアが男を担ぎ上げる。


気絶し脱力した人間を担ぐのは、かなりの重労働である。


「こいつを警官隊に預けたら、俺はすぐ出張だ。いくつかの地区を回ることになる。第八に戻るのは、一週間後とかになるな」


「そうか」


見送りはできない、と言いたいのだろう。


「俺がミジュアに戻るのは、多分半年後とかになるな。……それくらいなら、お前に任務を譲ってもいいような気がするけど」


ライアは、少し考えるような顔をした。


「……いや、やっぱりお前が行け。俺は街に残る。……そういうもんだ」


「そういうもんか」


適当にルーアは言った。


以前の旅は、気が重いものだった。

ランディ討伐という任務を受け持っていたのである。


今回の旅の目的はまだ聞かされていないが、それに比べたら気楽なものである。

なによりも、今度は一人ではない。


以前と比べたら気楽といっても、厳しい旅になるのは間違いないだろう。


『コミュニティ』との戦いは、まだまだ続く。

どんな危険が待ち構えているか、わかったものではない。

生きてミジュアに戻れる保障など、どこにもなかった。


街に残るライアも、似たようなものだろう。

危険な任務と、戦いの日々が待っている。

いつ命を落としても、おかしくはない。


その覚悟が、ルーアにはできていた。

ライアも同じだろう。


同時に、生きることへの執着もある。

意思もある。


ライアが、背中を向けた。

空いている手を、ひらひらと振る。


「……じゃあ、またな」


「……ああ、またな」


もう、会うことはないかもしれない。


それでも、互いに言った。

『またな』、と。


◇◆◇◆◇◆◇◆


デリフィスが、『バーダ』第八部隊隊員であるミシェルに付き纏っている。


変則的な剣を振る姿に、『コミュニティ』の剣士ノエルを重ねているのだろう。


対戦を申し込み、ミシェルがそれをかわしているという状態だった。


なにかしらの任務でミシェルが基地を離れる時も、デリフィスは付いていく。

仕方なく、テラントも二人と行動を共にした。


二人が本気で剣を合わせることになったら、ただの訓練で終わらない可能性が出てくる。

そうなった場合、止められるのは自分だけのような気がしたのだ。


ミシェルが任務を遂行している間は、さすがにデリフィスも無茶は言わない。


ミシェルは、多忙な様だった。

三日の間に、七人を捕らえている。

いずれも、殺し屋やテロリストといった類いの者たちであるようだ。


ミシェルの手並みは、鮮やかなものだった。


変幻自在な剣と体捌きで、とにかく敵を惑わす。


どんな魔法も剣も、ミシェルの動きを捉えるのは困難であるようだ。


傷を負うことなく、着実に相手を無力化していく。

弾みで斬り殺してしまうこともあった。


「たいしたもんだな」


任務の合間に一息ついているミシェルに、テラントは言った。


「どうも」


少し幼さを残した整った顔が、綻びる。

まだ、かなり若い。

確か、ルーアよりも年下なはずだ。


それにしては、図抜けた技量を持っている。


単純な技術だけなら自分よりも上だろう、とテラントは認めた。


ただ、ズィニアやランディ・ウェルズのような怖さは感じられない。

デリフィスのような迫力もない。


もっとも、今のところの話ではあるが。

この若い剣士が、実力の全てを曝け出しているということはないだろう。


「もう一回だけ、あいつの相手をしてやってくれないか?」


テラントは、少し離れた場所に不機嫌そうな顔で突っ立っているデリフィスを、肩越しに親指で指した。


ミシェルが、苦笑する。


「嫌です」


にべも無く断られる。

まあ、気持ちはわからなくもない。


実戦の心構えでなければ、デリフィスとは剣を合わせられない。


「……デリフィスさんに勝ったというその剣士は、そんなに僕と似ていますか?」


「……どうかな。似てると言われれば似ている。似ていないと言われれば、まったく似ていないな」


ミシェルもノエルも、共に変幻自在。

だが、根底的なところから違う。


ミシェルは、才能に恵まれているだろう。

そして、厳しい鍛練の元に、それを開花させた。


対してノエルは、おそらく天性のものだけでその剣を振っている。


「あいつ、ノエルはな……」


言い掛けて、言葉に詰まる。

ノエルの強さを伝えたかったのだが、上手く表現できなかったのだ。


(……天敵、だな)


しばらくして、その単語が思い浮かぶ。

口に出すことはしなかったが。

直接その剣を見た者でなければ、理解はできないだろう。


ノエルは、天敵なのである。

デリフィスだけの天敵ではない。

ノエルの変幻自在な剣と動きには、おそらく誰であっても惑わされる。

天下のストラーム・レイルだろうと、幼い子供だろうと。


だから、天敵。

ノエル自身も人間でありながら、人間の天敵になっている。


ミシェルの視線は台詞の続きを催促していたが、テラントは肩を竦め、強引に話を変えた。


「まあ、ともかくお前さんはたいしたもんだ」


「……そうですかね?」


「謙遜するなよ。ランディ・ウェルズの弟子だったよな。劣ってない、と俺は思う」


ランディ・ウェルズとは、剣を合わせた。

本気でぶつかり合った。

だから、わかる。


「……そうかもしれませんね。けど、副隊長……ああ、ランディさんですけど……」


足下に転がる落ち葉を拾い掛け、やめる。

意味のない行動である。


誰かの思い出を語る時、人はつい、意味のない行動を取ってしまうものなのかもしれない。


「誰よりも、危険な任務を請け負いました。誰よりも、傷を負いました。明らかな格下相手に苦戦することも、たびたびでしたよ。でもそれは、誰よりも優しいからです。あの人は、ほとんど相手を傷付けずに、事件を解決していた」


「そうか」


「副隊長がいなくなって、僕は副隊長みたいになろうとしたんです。誰も傷付けることなく、事件を解決する。僕自身は、傷を負うようになりました。けど、それからしばらくして、ライアさんに説教されたんです」


「彼は、なんと?」


「真似をするなと。ランディの真似は、ストラームにもできない。性癖みたいなもんだって」


「性癖ね。なるほど。わかるような気もする」


敵よりも、自分を傷付ける。

部下たちよりも先に、犠牲になる。

善くも悪くも、それがランディ・ウェルズという男の生き方だったのだろう。


「剣では、並んだかもしれません。だけど、僕は副隊長と比べたら小さい。一生追い付けないような気がしますよ」


ミシェルが、拳を握る。

小さい自分を握り潰したいのかもしれないな、とテラントは思った。


「テラントさんは、副隊長と剣を合わせたんですよね?」


「ああ」


「どうでしたか?」


「……強かったよ、本当に」


全てを巻き込む暴風のような剣だった。

それを、テラントは鮮明に覚えている。


「病気で死にかけとは思えないくらいにな。不治の病にも、ランディ・ウェルズは負けていなかったんだと思う」


「……そうでしたか。病気にも、負けていませんでしたか」


ミシェルが、呟く。


(……上司と部下、か)


上司というよりも、父親の死を悼んでいるように、テラントには見えた。


ミシェルが、持ち歩いていた水筒の水を飲み干す。


休憩が終わる気配を感じ、テラントはデリフィスを呼んだ。


日が暮れ掛けている。

故郷にいる老い始めた父親のことを、テラントはなんとなく思い出していた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


ユファレートは、毎日ティアの見舞いに向かい、だが毎回辿り着くことはできずに、『バーダ』第八部隊の基地に戻ってくる。


どうやら、基地の周りをぐるぐる回っているようだ。


ヨゥロ族の中でも特殊な訓練を受けた者だけにある感覚で、シーパルはそれを感取していた。


見舞いに行かないかと何度か誘われたが、頭部を強打した影響もあるため、シーパルは断っていた。


ティアが入院しているのは、警察病院らしい。


警備はしっかりしている、ということだった。


ルーアに慌てる様子がないということは、実際にそうなのだろう。

ティアの身の安全は、保障されている。


基地で養生しながら、シーパルはそれとなく、レジィナとその娘たちを見守っていた。


ティアのことはもちろん気に掛けていたが、今はそれ以上にこの親子のことが気になっていた。


顔の上半分を右手で覆い、表情を隠す。

眼を閉じ、あの心象を思い浮かべようとする。


だが、どれだけ時間を掛けても、想起することはできなかった。


たった一度だけ脳裏に浮かんだ情景。

あれはなんだったのか。


思い悩んでいることを悟られたか、レジィナに観察されていることに気付き、シーパルは顔を上げた。


母親に懐くエマとアヴァの姿に、つい表情が緩む。


(……気のせいだ)


微笑みの裏に、疑念を隠す。

気のせいに決まっている。

あんなことが、起きるはずがない。


あの情景。


泣き喚くアヴァ。


呼吸と心臓の鼓動を止めたエマ。


血に塗れ、だが自身の傷を無視して、涙を流しながら必死に娘を蘇生させようと足掻くレジィナ。


抜き身の剣を手に、呆然と立ち尽くすルーア。


起こり得ないことだ。


まるでルーアが、レジィナたち親子を傷付け、殺めたようではないか。


嫌な想像をした。

シーパルは、かぶりを振った。


あの時は、『バーダ』第八部隊の基地にまで、『コミュニティ』の刺客に攻め込まれていた。


イアン・クレアという強敵に、多くの兵士たちがいた。

背後には、無力なエマとアヴァがいた。


危険な敵と守るべき存在に、極限まで緊張してしまったのだろう。


それが、シーパルに有り得ない幻覚を見せた。


レジィナに抱かれたエマが、シーパルに手を伸ばしている。


彼女たちには、夫であり父であるライア・ネクタスが付いている。

ルーアに勝るとも劣らない実力者だろう。


レジィナは、魔法使いとして超一流といっていいだけの力を持っている。


なによりも、ストラーム・レイルがいる。


なにも起きはしない。


エマが、なにかを言いたげに口をもごもごさせている。


シーパルは、ただ微笑みを向けた。

微笑みが強張っていることは、自覚できていた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


ようやく、ティアも退院となった。

第三地区から第八地区へ続く大通りを、ルーアはティアと並んで歩いた。


馬車を使っていないのは、ティアがちょっと歩きたい気分だと言ったからである。


まあ、疲れが見えてから馬車を探せばいいだろう。


退院直後とは思えないほど、ティアの足取りはしっかりしていた。

顔色も悪くない。


それもそのはず。

体調自体は、とっくに回復していた。


それでもすぐに退院できなかったのは、検査が長引いたからである。


ティアは、第九地区に満ちる瘴気を長時間浴びた。

その影響を、病院側は懸念したらしい。


ルーアの検査期間がティアに比べ短かったのは、魔法などに抵抗力を持つ、魔法使いだからだろう。


検査結果は、ルーアもティアも特に異常無し。

安心して、基地に戻ることができる。


だが、ティアの表情にはやや硬さが見えた。


表情だけではない。

態度も、口調も、どこかぎこちない。


少しだけ会話を交わし、あとは黙々と足だけを動かした。


ティアが再び口を開いたのは、並木道に入ったところである。


足下には、黄色の葉が無数に落ちている。


街路樹の名前など知らない。

矢の鏃のような形をした葉である。


「……ザイアムに、勝ったんだね」


「……そうだな。一応、勝ったことになるのかもな、あれは」


先刻から感じていた気まずい空気が、ますます濃くなったような気がする。


ティアの表情を盗み見る。

さて、どこまで思い出しているのか。

横顔からは、いまいち読み取れない。


気まずさを紛らわす心地で、ルーアは背負う剣の位置を調節した。


新調した剣の質に不満はまったくないが、剣帯との相性が悪いのか、肩に微かな違和感がある。


これもまた、新調することを考えてもいいかもしれない。


ちなみに、ストラームから渡されたランディの剣は、部屋に置いたままである。


「……なんかね、入院中、ロザリーって人が会いに来たんだけど」


「……」


突然ティアの口から出た名前に、ルーアは動揺するのを感じた。


「ロザリー・サーツさん。サーツ商会の会長さんの、一人娘なんだって」


「ふ、ふぅん……」


つい、ずれた剣帯を気にしてしまう。

今の剣は、サーツ商会が用意してくれたものである。


「なんか、宣戦布告みたいなことされた。ルーアのこと気に入ってるみたいよ、あの人」


「……ほ、ほほう」


気付いてはいた。

と言うよりも、それらしいことを告げられたことがある。


ただあの時は、ソフィアとその側近との戦闘で負った傷の治療中であり、部隊に復帰することで頭が一杯だったのである。


「どうするの?」


「……どうするって?」


「だから、ロザリーさんのこと」


「……」


ロザリーの長い金髪を纏めた姿を思い出す。


初めて会った時は、会長のご令嬢というよりも、秘書のような印象を受けた。


「……まあ、今度会った時にでも、きちんと断らないとな」


一瞬、ティアが立ち止まりかける。

意外そうな顔をしていた。


「……なんで?」


「なんでって、きちんと返事しないと失礼だろうが」


「そうじゃなくて、なんで断るのよ。あんな綺麗な人なのに。なんか不満でもあるの?」


「いや、ないけど」


確かに、容姿はかなりのものである。

少しきついところもあるが、性格もいい。


会長令嬢であるため、一緒になることにでもなれば、将来は安泰である。


「じゃあ、なんで?」


しつこいティアに、ルーアは溜息混じりに答えた。


「そんなの、相手に失礼だからに決まってるだろ。ロザリーのことは嫌いじゃないけど、他に……」


「……他に?」


「……」


「誰か、好きな人がいるってこと?」


余計なことを口走ったと、顔が歪む。

だが、ここで変に否定するのも、不自然だろう。


「……それはまあ、一応な。大抵の奴にいるもんだろ」


「それはそうだろうけど……」


ティアは、そこで一つ頷いた。


「もしかして、レジィナさん」


「いや、人妻だしな」


それに、ルーアにとってのレジィナは、世間で言うところの、憧れのお姉さんというような存在なのだろう。


ライアと交際する前のレジィナも知っているが、恋愛対象として見たことはなかったように思える。


「……じゃあ、ユファ?」


「……いやあ、ユファレートは俺なんかじゃ無理だ。もっと穏やかで、心が広い奴じゃないとな」


ユファレートは、一生ハウザードのことを心に抱いたまま生きていくことになるだろう。


ユファレートにそのつもりはなくても、ずっとハウザードと比べられるのである。


それを、受け入れるだけの度量が必要になるだろう。


ついでに、魔法オタクっぷりにも付いていかなければならない。


それを考えると、ユファレートの相手をできる男は、かなり限られてくる。


「ユファでもないんだ……」


「……」


早足になりそうになった。

いっそ、全速力で駆け出し、ティアを置き去りにしたい。


退院したばかりであることを考えると、それは許されないが。


体を少し引っ張られるような感覚があった。


ティアに、着ているジャケットの裾を掴まれたのだ。


「あのさ……」


ティアは、俯いている。


「……ルーアが好きな人が誰か、聞きたいかも」


「……」


ティアは、どこまで思い出しているのか。

また、それを考えた。


多分、ティアもわかっているのだろう。

それでも、はっきりと聞きたいのかもしれない。


ルーアも、はっきりと言うべきなのかもしれない。


並木道の先に眼をやる。

昼下がりの大通り。

たまたまだろうが、犬の散歩をする若い女が向かってくる以外は、人通りがない。


ルーアは、ティアの方に向き直った。

その頭に、手を置く。


「……俺はな、また旅に出ることになった」


「……えっ?」


「お前も、行くよな?」


ティアだけではない。

他のみんなも、付いてきてくれる。

勝手に確信していることだ。


「……うん。一緒に行く」


「……危険なことがあるかもしれない。また、『コミュニティ』と戦うことになるかもしれない。……いや、確実にそうなるだろ。俺もお前も、いつ死ぬことになるかわからない」


「……うん」


「だから、全部終わったら言ってやるよ」


「……全部?」


「ああ。『コミュニティ』を潰して、戦いを終わらせて、旅を終わらせて、そして、俺もお前も生き残る。その時が来たら、ちゃんと言う」


ティアが、小さく吹き出した。


「……それ、いつになるのよ」


「……そんなに長引かせるつもりもないんだけどな。それでも、結構待たせるかもな。その代わりってわけじゃねえけど……」


「なに?」


「余所見とかはしないからよ。絶対に」


「……わかった。じゃあ、待つから。全部終わるまで」


「……ああ」


風が吹いた。

一陣の風。


「きゃっ!?」


そして、短い女の悲鳴。

犬の散歩中の、女のものだ。


風で、スカートが捲れ上がったのだろう。


そして、街路樹の幹に傷でもあったのか、スカートの裾が引っ掛かり、下着が見えてしまっている。


「うぐっ!?」


脇腹に衝撃があり、ルーアは呻いた。

ティアが、握り締めた拳を打ち込んでいる。


「……ねえ、あんたさ。五秒くらい前に、絶対に余所見しないとか言わなかった……?」


険しい顔で睨みながら、ルーアの脇腹をつねり上げる。


「い、いや、今のは男の本能的に仕方ないというか、不幸な事故というか……」


懸命に言い訳すると、今度は脛を思いきり蹴飛ばされた。


腹を立てたまま、ティアは大股で歩き出した。

声を掛けても、止まる様子はない。


仕方なく、ルーアは数歩遅れて付いていった。


明日には確実に痣になっているであろう、脇腹を擦りながら。


臍を曲げたティアの機嫌が良くなるのは、いつになるのか。


(……まあ、良かったよな、元気そうで)


ティアの後ろ姿を見ながら、唐突に思う。


ザイアムと戦った自分も、それに巻き込まれたティアも、無事でいる。


それは、奇跡のようなものなのだろう。


無事に終われたからこそ、また旅立つこともできる。


ルーアは、見えるはずもない第九地区を振り返った。


(……俺たちは、また旅に出る。……あんたはどうするんだ、ザイアム?)


なんとなく、『コミュニティ』には残らないような気がした。


次に会うことがあるのか。

あったとしても、敵として戦うことになるのか、味方として共に戦ってくれるのかわからない。


もしかしたら、ザイアムだけの選択肢があるのかもしれない。


(……まあ、先のことはわかんねえか)


ルーアたちには、ルーアたちの旅がある。


同じように、ザイアムにはザイアムだけの、生きる道があるのだろう。


先を行くティアが、ちらちらこちらの様子を窺っている。


赦免の気配を感じ、ルーアは足を速めた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


ただ、馬車に揺られる。

空は広く、抜けるように青い。

箒で掃いた跡のような形の雲が、風に流されている。


干し草の匂いが、鼻腔をくすぐる。

それが心地好いわけではないが、どこか眠気を誘うものがあった。


こんなにのんびりできるのは、初めてのような気もする。


これまでの日々は、あまりに激しかった。

いや、それは気のせいか。

激しかったのは、ほんの数日だけ。

まるで、人生の中で起こり得るあらゆることを、濃縮させたように。


その数日以外は、自分はのんびり過ごしてきた。


忙しなく生きるのは、他の者たちの役割だった。


のんびりしている自分に、諫言できる者などいない。


誰よりも強く、誰よりも上にいる。

それが、組織に於ける自分の立場だった。


同格といえる者も二人いたが、自分には遠慮しているところがあった。


そこまで考えたところで、彼は一旦思考を中断させた。


これ以上は、自分がザイアムという男であることを、強く意識してしまう。


意識してしまえばしまうほど、クロイツやエスに感知されやすくなってしまうだろう。


馬車の荷台に山のように積まれた干し草に寝転がる、ただの男。

今は、それでいい。


街から出掛けるという老人を掴まえ、乗せてもらったのだ。


視力があまり良くないのか、フードを被ったザイアムを、不審に思うことはなかったようだ。


干し草をどうするつもりかは、知らない。


大方、近郊の村や集落で生活する人々に配り、家畜の餌にでもしてもらうつもりなのだろう。


ザイアムとしては、寝心地が良ければそれでいい。


ごとごとと音を立て、荷馬車は進む。

それもまた、眠気を誘う。


人と同じく、馬も老いていた。


もう、激しく駆けられないだろう。

ふと、それを思った。


ゆっくり上体を起こす。

微かに感じた気配。

それなのに、大きな存在だとわかる。


「すまない。ここで降りる」


老人には、聞こえなかったようだ。

同じことを二度言うと、老人は荷馬車を停めた。


ザイアムを降ろし、何事もなかったように荷馬車は動き出した。


大きな男が、近付いてくる。

その歩調はゆったりとしたもので、荷馬車が遠ざかるのを待っているようであった。


ザイアムは、特に構えもしなかった。

折れた『ダインスレイフ』は、鞘の中。

どんな声掛けにも、応えてこない。


代わりの武器など、用意していなかった。


いつかまた、『ダインスレイフ』は元に戻るのだろうか。

振れることがあるのか。


大男を待つ間、ザイアムはそれを考えた。


(さて……)


どういうつもりか。

大男が『バーダ』第一部隊隊長のルトゥスであることを、ザイアムは知っていた。


『バーダ』の黒いジャケットではなく旅装のような物を着込んでいるが、間違いないだろう。


何度か情報書で見た顔だ。

数日前も、顔を合わせた。


迂闊に単独行動をする男ではないはずだ。


いや、ストラーム・レイルに並ぶと評される男には、単独行動は迂闊でも危険でもないが。


それでも、立場が単独行動を難しくする。


本人も、それを充分理解しているはずだ。


単独行動をしているところを、クロイツでも確認したことがないというほどの徹底振りである。


ストラーム・レイル以上に、暗殺は難しい。

ズィニアでさえも不可能だ。


それが、クロイツのルトゥスという男についての評だった。


そんな男が、たった一人でザイアムと向かい合っている。


ルトゥスが立ち止まった位置を、確認する。


近い。

その気になれば、ザイアムからでも仕掛けられる。


魔法使いであるという優位性を、ルトゥスは活かすつもりはないのか。


ルトゥスが、わずかに頭を動かす。

それは、然り気無く構えたようでもあるし、軽く会釈したようでもあった。


「……なんの用だ?」


ルトゥスが黙したままであるため、ザイアムの方から口を開いた。

我ながら、これは珍しいことである。


「……なに、たいしたことではないが」


前置きし、ルトゥスは空を仰いだ。

再び眼を合わせてくるルトゥスの表情には、こちらを圧倒しようという意思のようなものが見えた。


「君と、決闘しようと思ってね」


「……決闘?」


意味が、わからなかった。


戦いたければ、勝手にすればいい。

投げ遣りになっているわけではなく、それだけの差が両者にはあった。


周囲に、他の人影はない。

わざわざ近付いてこなくても、ルトゥスが広範囲の魔法を放てば、それだけで決着は付いていた。


『ダインスレイフ』は、折れてしまったのだ。


ルトゥスが、少ない手荷物を捨てる。

それに倣い、ザイアムも荷物を放った。

水袋が地面に落ちる音だけが、なぜか耳によく届いた。


あまりやる気にはならない。

勝敗が見えた戦いだ。


武器のないザイアムに勝ち目があるとしたら、格闘戦にでも持ち込むことくらいしかないが、ルトゥスはそんな甘くはないだろう。

逃がしてくれるとも思えない。


ルトゥスが、剣を抜く。

淀みのない動作。

そしてそのまま、剣も捨てる。


「……?」


眼を疑った。

ルトゥスは、拳闘士のように固そうな拳を構えている。


殴り合いでもしたいのか。

だが、意味がわからない。


「……なんのつもりだ?」


「決闘をしたい、と言ったはずだが」


「……」


それは、対等な条件でなければならないのだろうか。


確かに、そういうことにこだわる者はいる。


だが、このルトゥスがそういう男だとは思えなかった。


どちらかというと、目的のためにはある程度手段を選ばないような男に見える。


少なくとも、資料にあるルトゥスはそうだった。


「……何者だ?」


聞いた。


眼の前にいるのは、『バーダ』第一部隊隊長のルトゥスである。

ルトゥスの姿をしている。


だが、ルトゥスではない。

言動が、あまりにもおかしすぎる。


「……いや、違うな」


ルトゥスではない。

だが、間違いなくルトゥスである。


だから、この質問の仕方では、真実は見えない。


「……共にいるのは、誰だ?」


ルトゥスが、微かに驚いたかのような顔をする。


口許を歪ませた。

苦笑しようとしたのかもしれない。


口許の歪みに合わせるように、ルトゥスの横の空間も歪む。

ゆらりと現れる、ひょろりとした人影。


「……そうか。君か」


『フォルダーの住人』。

その地位を剥奪された者。


以前囁かれたことは、まだ耳に残っている。


いよいよ、実行する時が来たというのか。

凡人が、偉大なる父に挑むのか。


息が漏れる。

いつの間にか、ザイアムも苦笑していた。

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