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鈍色

ゆっくりと歩く。

ゆっくりとしか歩けなかった。


鉛のように重たい体を、引き摺り進む。

傷口は魔法で塞いだが、右肩は熱を持ち熱かった。


息が切れる。

視界が霞む。

魔法の明かりだけを頼りに、暗い暗い廃墟の街を、孤独に進む。


無事な左手で押さえるのは、痛めた右肩ではなく、胸の古傷だった。

『ダインスレイフ』で貫かれた痕。


あれは、年末だったか。

ザイアムと戦い、敗れたのだ。


ジャケットを握るようにして胸を押さえる左手が震えるのは、恐怖からか、懐古からか。


ザイアムと『ティア』は、従姉同士だった。

ルーアは、二人からすれば他人だったはずだ。

だが、共に暮らした。

家族だった。


今、ザイアムの元に向かっている。

生活した家の方へ向かっている。

堪らなく懐かしいものがある。


全てが失われて、五年。


その間に、ザイアムは敵になっていた。


(……あの時……あの時……に、ザイアムがいれば……)


今とはまったく違う時間を、過ごしていただろう。


『コミュニティ』のボスが、ルーアたちの前に現れたあの時。

ザイアムがいれば。

世界最強であるザイアムがいれば。

きっと、ルーアたちのことを守ってくれた。

『ティア』は、死ななかった。


なぜ、あの晩、留守にしたのか。

なぜ、敵に回った。

なぜ、刃を向ける。

家族のように思っていたのは、ルーアだけだったのか。


思考は脳を疲れさせるとわかっていても、考えることをやめることはできなかった。


いくら無心になろうと試みても、次から次に脳裏に浮かぶものがある。


失われてしまった、もう戻ることのない日々。


街が壊れてしまったように、思い出も壊れてしまった。


壊れた『ティア』の姿を思い出し、唇を噛む。

呻きを、噛み殺した。


無力な子供だった。

悲しくなるくらい、無力だった。

家族を、守ることもできなかった。


今でも、弱い。

ザイアムと比べると、如何にも小粒だった。

ザイアムに吠え声でも上げられたら、きっと震え上がってしまうのだろう。


それでも、会わなければならなかった。

今の自分を見せなければならない。

使命感のようなものが、ルーアにはあった。


ザイアムもきっと、会う必要があると思っているのだろう。


だから、クレア兄弟を使ってティアを攫い、ルーアだけを呼んだ。


ストラームの弟子として、『コミュニティ』の最高幹部に会う。

戦いは避けられない。


直感というような、大仰なものではない。

決定事項のようなものだ。


刃を交える前に、一言二言でも、言葉を交わせるだろうか。


なにを言ってやろうか。

言いたいことは、いくらでもある。


言いたいことを纏めることに、意味があるとは思えなかった。

きっと、勝手に口を衝いて出るものがある。


それは、思考と感情の奥底にある、一番言いたいこと、そして聞きたいことなのだろう。


空は暗い。

第九地区の瘴気は厚い雲を呼び、月や星の光を通さない。


朝になれば、空は鈍色になることを、ルーアは知っている。


あの時を境に、空も変わった。

巨大な力に、なにもかもが狂った。


ザイアムも、変わってしまったのだろうか。ふと思った。

それとも、なにも変わらなかったのか。

弱い自分たちだけが、変わったのか。


ストラームに拾われなければ、従わなければ、今でもザイアムと共にあったのだろうか。


悔恨はなかった。


ザイアムと暮らした。


ストラームに育てられた。


どちらが欠けても、今のルーアはなかった。


歩調を変えた。

転がる死体を見付けたのだ。


死体よりも先に別のものも見付けていたが、顔を伏せ気味にして直視しないようにしていた。


眼が合いでもしたら、歩けなくなるのではないかと思った。


転がるのは、ステヴェ・クレアだった。

確認するまでもなく、死体である。

腹の辺りが陥没し、そこから体が折れ曲がっている。


顔は、ルーアが進む先を向いていた。

眼も、剥き開いたままだ。

それに、執念のようなものを感じる。


さて、見られている当人は、なにを感じたか。


すでに、間合いに入っている。

それでも、ルーアは進んだ。


ぼんやりと突っ立っていた大男が、顔を上げる。


太くしなやかな手足。

腰まで伸びた黒髪。


背負う大剣。

『魂喰い』、『知ある魔剣』。

『ダインスレイフ』。


ザイアム。


足下に、ティアの姿。

動く様子はない。

意識がないのか。

死んでいるはずはない。


「……よお」


魔法の明かりを造り直し、上へと放る。


微かにザイアムの頭部が動いたような気がした。

頷こうとしたのかもしれない。


ここに、揃った。

ここは、三人で暮らした家があった場所だ。


面影はない。

家の土台さえも、まともに残っていない。

道は目茶苦茶で、わずかに形を残した他の建物も、同一方向に薙ぎ倒されている。


それでも、ここに辿り着いた。

自分の帰巣本能に、笑いそうになる。


「その女を、返してもらう」


「……なぜだ?」


もそもそとザイアムが口を動かす。


小声であり、ルーアは耳を澄まさなければならなかった。


「……なぜって、そいつの無事を祈って、帰りを待っている奴らがいるからさ」


「……お前は、ストラーム・レイルの弟子で、部下だ」


ザイアムが言う。

さも面倒臭そうに。


「……そうだな」


「この女は、お前の仲間だ。お前を呼び寄せるための、人質だ。そう簡単に返すわけもないだろう」


「そうか……」


呟く。


「そうかよ……」


そうか。敵なのか。


腹の底から、込み上げるものがある。

感情ではない。

欲求のような、なにか。


「なんで……」


口を衝く。


「なんで、あの時あんたはいなかった?」


前に再会した時も、同じことを聞いたかもしれない。


その時は、ザイアムはなんと答えたか。

どんな顔をしていたか。


「あんたなら、『ティア』を守れた」


「……そうだな」


「あんたがいれば、『ティア』は死ななかった」


「……そうかもしれん」


「なんであの時、あんたは俺たちの所にいなかった?」


「……なぜだったかな。忘れてしまった。だが、もしかしたら……」


息を吐く。

ザイアムの肺を震わせる吐息は、ルーアの鼓膜を震わせた。


「……面倒に、なったかもしれないな」


「……そうかよ」


面倒臭くなったか。守ることに、家族として生きることに。


怒りはなかった。


家族ごっこは、面倒だっただろう。

それは、事実かもしれない。

だが、それだけのはずはない。

不快では、なかったはずだ。


ザイアムが、『ダインスレイフ』の柄に手を掛ける。

『ダインスレイフ』を抜く。

ただそれだけの仕草に、訴えるようななにかがある。


ルーアも、左手で剣を抜いた。


剣が通用しないのはわかっている。

剣だけではない。


魔法も、経験も、強さも。

なにもかもが通用しない。


それでも、全てを見せる。

剣も、魔法も、経験も、強さも、培ってきた全てを。


「ルーン・エンチャント」


剣身を、魔力が覆う。

淡く輝く。

この第九地区では、輝きは如何にも弱々しい。


前は、ザイアムと『ダインスレイフ』に、纏わせた魔力ごと剣は砕かれた。


また、同じ結果かもしれない。

意味はないのかもしれない。

だが、構える。


右腕は使えない。

左手だけでは、正眼に構えることもままならない。

それでも、眼線と切っ先はザイアムに。


空気が、張り詰める。

その音さえも聞こえる。


ザイアムが、構えを取った。


◇◆◇◆◇◆◇◆


ザイアムは、待ち続けた。

ルーアが来るという、確信に近いものがあった。

多くの兵士、イアン・クレア。いくつもの困難を乗り越え、ザイアムの元まで来る。


敵の立場でありながら、ルーアが来ると信じていた。

その強さを、意思を信頼した。


他の可能性も、考えないわけではない。

つまり、イアン・クレアが勝利者となる可能性である。


イアン・クレアは、強いだろう。

おそらく、弟のステヴェ・クレアに勝るとも劣らないに違いない。


ザイアムには、魔力が視えない。

だから、魔法使いであるイアン・クレアの、強さの本質はわからない。


それでも、見えるものは見える。

強者には、相応の雰囲気というものがあるのだ。

イアン・クレアには、それが充分にあった。


ステヴェ・クレアの死を知った時、なにを感じるだろう。


怒り狂うだろうか。

それとも、兄を殺された時のように、諦念するのか。


イアン・クレアとステヴェ・クレアにとって、兄に当たる人物を、ザイアムは殺していたらしい。


イアン・クレアは、兄と弟の両方をザイアムに殺されたことになる。

それでも、復讐を考えないのか。


ルーアはどうだった、ふと考えた。


ルーアの両親を、ザイアムは殺めた。

だが、恨まれたことはないように思える。


ルーアの両親は、まともと言えるような親ではなかっただろう。


生きていても、我が子に害を与えるだけの親でしかなかった。


それを理解しているのだろうか、ルーアから憎しみを向けられていると感じたことはない。


むしろ、父を慕う子供のような感情を抱いていたように思える。


妻帯したこともなければ、血の繋がる子供もいないので、確信は持てないが。


未だにルーアは、家族のように暮らした日々を、覚えているのだろう。


だから、再会した時は、はっきりとした感情をぶつけられた。


味方だったはずのステヴェ・クレアには恨まれ、敵であるはずのルーアには、家族に向けるような感情をぶつけられる。

考えてみれば、皮肉なものである。


ルーアと同じく、敵であるティア・オースターはどうなのか。

意識のないまま、なにも語ろうとはしない。


眼を閉じると、『ダインスレイフ』の影響下にあるためか、すぐに浮かぶ情景が二つあった。


一つは、握り潰され、砕け散る『ダインスレイフ』。

もう一つは、あの日の第九地区。


ザイアムの夢には、色が着かない。

白黒の夢である。


記憶も同じだった。

白黒の記憶。鈍色の記憶。

『ボス』の赤い髪も、天まで焦がす炎も、崩れゆく街並みも、全てが鈍色だった。


足音を耳にし、ザイアムは眼を開いた。


俯いていた。

腐った地面が見える。


腐っている。

きっと、自分のどこかも、同じように腐っている。

諦めた、あの日から。


だから私は、諦めなかったお前に託そうと思った。

諦めなかったお前を、眩しく思う。


顔を上げた。

視界の中央に、懐かしい、どこか拗ねたような表情。


伸ばした赤毛は、鮮やかな赤ではない。

少し暗い赤色。

だがその赤は、鈍色の情景の中で、鮮烈に映る。


少しだけ、会話を交わした。

それはきっと、父と子としての会話ではない。

温かい家族のやり取りではない。


敵との対話。

敵であることの確認。


ルーアが、剣を構える。

右肩を負傷したようだ。

右腕は、使えない。


左腕を使えなかったステヴェ・クレアと、同じような状態だ。


『ダインスレイフ』を捨てたザイアムを、腕一本しか使えなかったステヴェ・クレアは殺せなかった。


最強の魔法剣である『ダインスレイフ』を扱うザイアムに、片腕を使えないルーアは届くのか。


『ダインスレイフ』を、構えた。

剣身は赤い。

二つの赤。

夢にも記憶にも、色があることを伝えてくる。

砕けるのは、どちらの赤になるか。


先手は譲った。

ルーアが、前に踏み出す。

剣を持った左手を、そのまま向けてくる。

魔法。それが初手。


息を吹く。

『ダインスレイフ』が、ザイアムに応える。


◇◆◇◆◇◆◇◆


「フォトン・ブレイザー!」


先手は譲られた。

光線が、ザイアムの頭部に向かって突き進む。


ザイアムの足下には、ティアがいた。

下は狙えない。


魔法を放つと同時に、ルーアは前進した。


体力も魔力も限界が近い。

格上の相手を前に余力がなく、短期決戦に持ち込むしかない状態では、一か八かの賭けに出るしかなかった。


ザイアムが軽く『ダインスレイフ』を振り、光線を吹き散らす。


続けて『ダインスレイフ』の力を使うことはせず、突進するルーアのことを、足を止めて待ち構える。


最初の賭けには勝った。

ルーアの目的は、接近すること。

『ダインスレイフ』で斬撃を飛ばされたり、力場で前進を止めにこられたら、賭けは負けだった。


敢えて、踏み込む。

ザイアムの剣の間合いに。

『ダインスレイフ』を振りやすい位置に。


十一歳から十四歳までの三年間は、ずっとザイアムのことを見ていた。


ザイアムの癖なら、なんでも知っている。


階段の昇り降りは、必ず右足から始める。

ドアノブは、右手で掴む。

食事は肉を先に食べ、野菜は後回しにする。


ある位置に踏み込んできた相手は、右上から振り下ろす斬撃で攻撃する。

次の一撃を考えない、全力の斬撃。


その一振りを引き出すために、ルーアは敢えてそこに踏み込んだ。


それは、刹那。


見上げるように大きいザイアム。

数秒前から、次のザイアムの攻撃はわかっていた。


ソフィアが『邪眼』の能力で敵の次の行動を視るように、ルーアもザイアムの動きを読みきっていた。


全身全霊、必殺の剣。

だが、くることが最初からわかっていれば、そのタイミングも完璧に掴めていれば、必ずかわせる。


全力の攻撃であるが故に、ザイアムの次の動きには遅れが出る。


ザイアムが、ルーアの体を断ち割るために、『ダインスレイフ』を振り下ろす。


あまりに予想通りの一撃。

これを、前に出てかわす。

そして、懐に潜り込む。

それで、勝てる。


『ダインスレイフ』が、迫る。


(これを……かわせば……!)


絶対にくるとわかっていた攻撃だ。

かわせないはずがないのだ。


賭けには勝った。

唯一の勝機。

あとは、実行するだけだ。


「…………!」


空気が唸る。

眼の前を、『ダインスレイフ』が通り過ぎる。


大地が、震えた。

『ダインスレイフ』を打ち込まれ、大きく陥没する。


ルーアは、地面を転がった。

立ち上がろうとして失敗し、一度膝を付く。

身震いがした。

なんとか押し殺し、立ち上がる。


(くそっ! くそっ! わかってたはずだ! それなのに……!)


ザイアムは、なんの細工も工夫もしていない。

いつも通り、迎撃のための最高の一振りを放っただけ。


そのわかりきっていた一撃を、前に出ながら回避することができなかった。

必死に後方に転がり、なんとかかわしていた。


相手に完全に読まれても、反撃を許さない。

その自信があるからこそ、全身全霊で『ダインスレイフ』を振れるのか。

これこそが、ザイアムの真骨頂なのか。


チェスで例えるならば、相手がどう駒を動かしてくるかわかっている状態だった。

それなのに圧倒された。

あまりにも理不尽な強さ。


汗が吹き出た。


如何にも重そうに、ザイアムが『ダインスレイフ』を担ぎ上げる。


見下ろすその姿に、ルーアは奥歯を噛んだ。


賭けには勝った。


それなのに、通用しない。


「……なんのつもりだ、今のは?」


ザイアムの呟きが聞こえた。

攻撃は仕掛けてこない。

また、先手を譲られている。


ルーアは、ゆっくりと移動した。

ザイアムを中心に、円を描くように。


一対一。正面からかかっては、勝ち目はない。

死角に回るくらいはしたい。


だが、回り込もうとするルーアに対して、ザイアムは体の向きを変えるだけである。

その視界から、外れることができない。


「ル・ク・ウィスプ!」


苦し紛れに放った魔法は、牽制にもならず力場に弾かれる。


ザイアムが、息を吐いた。

それは、溜息か。

愚かな子供だと言われているような気がする。


無造作に、『ダインスレイフ』を振り下ろす。

剣圧。飛ぶ斬撃。

受け止めようとすれば、防御ごと押し潰される。


「フライト!」


飛行の魔法を発動させ、横に飛びかわした。


地面を捲り取り、斬撃が後方を通り過ぎていく。


飛行の魔法で移動した先に、人影。

ザイアム。

高速で飛行するルーアの前に、たやすく回り込んでいた。


有り得ないほどの迅速な移動。

あるいは、ルーアがどうかわすか、わかっていたのかもしれない。


ザイアムの癖をルーアが知っているように、ルーアの癖をザイアムは全て理解しているのだろうか。


進路を変えようにも、魔法の制御が間に合わない。


このままだと、ザイアムと接近することになる。


だが、ザイアムは構えていなかった。

『ダインスレイフ』の剣先は、地に付いた状態である。


これは、好機なのではないのか。

声が漏れた。

雄叫びのようにも聞こえたかもしれない。


魔力を纏った剣を先に、勢いよくザイアムに突っ込んでいく。


ザイアムが足を振り上げ、ルーアの剣を蹴り付ける。


勢いを逸らされ、ルーアは地面に激突した。

痛みに顔をしかめながらも、体を起こす。


ザイアムが履いているのは、普通のブーツのようだった。

そんな物で、魔力を纏った剣を蹴ったのか。


飛行の魔法の勢いも乗っていた。

ブーツも足も斬り裂かれ、激突の衝撃で骨が折れてもおかしくない。

それなのに、ザイアムは無傷。

ブーツにも、傷一つ付いていない。


蹴り方にこつでもあるのか。

それとも、ザイアムだからと一言で済ませればいいのか。


跳ね起きた。


理解し難い事実に、驚いている暇はない。

ザイアムは、移動した。

ティアの側を離れた。


やはり、ザイアムとはまともに戦えない。

ティアを回収し、速やかにザイアムの攻撃範囲から離脱する。


瞬間移動の魔法を使った。

ティアのすぐ側までは移動できた。


ティアの眼は、薄く開いていた。

意識を取り戻したか。

身動きは取れないようだ。

第九地区の瘴気が、ティアの体を蝕んでいるのかもしれない。


もう少しで、手が届く。


「オース……!」


必死で手を、体を伸ばす。

だが、背後から圧力。


「わかりやすいな、お前は」


体が、動かない。

ザイアムに、襟首を掴まれている。

瞬間移動の魔法でも振りきれない。


異様な力で引っ張られた。

後方に投げ飛ばされる。

これで何度目か。地面を転がる。


立ち上がると、足腰が震えた。

魔法は、もう使えないかもしれない。

魔力は、ほぼ尽きてしまった。

それが疲労となり、足腰から粘りを奪っている。


「さて」


ザイアムの右手に、『ダインスレイフ』。


剣先は、上がっていない。

脚力だけで飛行や瞬間移動の魔法を使うルーアに追い付き、あるいは先を行き、左手だけで圧倒してくる。


「正面からの魔法は通用しなかったな。後の先は取れなかった。死角に回り込むこともできない。魔法を使っても、どうやら私には追い付かれるようだ。次はどうする? 魔法で撹乱でもするか? だが、肝心の魔力が尽きたようだ」


「……うるせえな」


「お前は、一つの手段を無視している。見て見ぬ振りをしている。私は、それに少し苛立つ」


「……」


一つの手段。

わかっている。

『百人部隊』副隊長イグニシャ・フラウとその部下たちを、圧倒さえした力。


「他全ての手段を潰せば、お前はそれに眼を向けるのか?」


「……」


わかっている。

通用するとしたら、あれしかない。


だが、使っていいのか。


制御できるのか。

ザイアムの足下には、ティアがいるのだ。


ザイアムが踏み出す。

迷うルーアに、躊躇いなく近付いてくる。


「次は、剣を試すか? そう言えば、前回も今回も、お前と剣を合わすことはほとんどなかったな。『ダインスレイフ』だ。無理もないが」


『ダインスレイフ』を、構えてもいない。


魔法は使えない。

制御不能な力など、実戦では使えない。

あとは、剣しかない。


声を上げ、駆ける。


ようやく、ザイアムが『ダインスレイフ』の切っ先を上げる。

ぼんやりと構える。


ザイアム以外の者が相手ならば、憤っただろう。

それだけ、構えと言えない構えだった。


ザイアム目掛け、剣を振る。

たやすく払い除けられた。


大きく後退し、それでもまた踏み込む。

剣を振り続ける。


踏み込み。


地面を踏む力、蹴る力が膝を昇る。

腰を回す勢いと一つになり、剣に乗る。


左手一本だが、よく振れていた。

怒濤といってもいい攻撃なはずだ。


右の手首を捏ねるようにして、ザイアムが『ダインスレイフ』を遣う。


剣先だけで、手首の力だけで、ルーアの剣の全てを受け、払う。


十数回、斬り付けた。

通用しない。

呼吸が持たず、ルーアは一旦後退し、間合いを取った。


息を整える。

息を吸い込む。


剣の先を引き摺り、全力で駆けた。

ザイアムに突撃する。


ザイアムの空の左手が、わずかに動いた。

多分、ちょっとだけ迷ったのだ。

素手であしらうか、『ダインスレイフ』で受け止めてやるか。


間合いに入った瞬間に、剣を振り上げる。

最大限勢いを付け、ザイアムに剣からぶつかる。


『ダインスレイフ』で受け止められた。


ザイアムの立ち方。

棒立ちに近い。

それなのに、いくら押してもびくともしない。


ザイアムが、『ダインスレイフ』を振る。

軽く振っただけに見えた。

それなのに、弾き飛ばされる。


「くそっ!」


地面を押し、立ち上がる。

眼前に、ザイアムがいた。

急いだ様子はない。

だが、突き出す『ダインスレイフ』はなによりも速い。


剣の腹で受けた。

止めきれず、大きく後退させられる。

剣に纏わせた魔力は、今の一撃で消失していた。


さらにザイアムが踏み込む。

振り上げた『ダインスレイフ』。


恐怖が込み上げる。

以前戦った時は、斬撃で剣を砕かれた。

そして、片眼を潰された。


振り下ろされる『ダインスレイフ』。

跳び退いたルーアの体を、掠め掛ける。


当たってはいない。

だが、斬撃の勢いだけで転ばされた。


口の中に入った苦い土を吐き捨て、立ち上がろうとする。

足下が覚束ない。

焦点が定まらない。


ザイアムが、『ダインスレイフ』を振り上げている。

かわす力も、防ぐ力も残っていない。


『ダインスレイフ』から、斬撃が解き放たれる。


まともに浴び、土砂に巻き込まれながらルーアは地面を転がった。


横たわり、ぼんやりと考える。

跡形もなく消し飛んでいるはずだ。

ザイアムが、本気だったなら。


骨の二、三本くらい折れているかもしれないが、まだ生きていた。


左手は、しぶとく剣を握りしめている。

剣を手に転がりながらも、本能的に自分の体を傷付けることは避けたようだ。


剣は、無事だ。

折れていない。

やはり、ザイアムは手加減したのだろう。


顔の向きだけを変える。

遠くから、ザイアムがルーアを見つめている。


ルーアは、安堵していた。


ザイアムは、ザイアムのままだ。

誰よりも強い。

だから、相手が誰でもティアのことを守れる。


クロイツやソフィアに捕らえられていたら、なにをされるかわかったものではなかった。


ザイアムならば、安心だ。

娘のように育てたティアを、傷付けたりはしないだろう。


ザブレ砂漠でもそうだった。

ザイアムは、ティアに危害を加えなかった。

クロイツでも、手出しできなかった。


「……なにか、勘違いしているようだが」


ザイアムの呟きが、微かに聞こえた。

聞き違えたかもしれないくらい、微かに。


ザイアムが、ゆっくりと引き返していく。


ティアは、もがきながら身を起こしていた。

ルーアのことを見ている。

なんとかして助けられないか、とでも考えているのかもしれない。


ティアの元に辿り着いたザイアムが、足を振る。


「なっ!?」


胸の辺りを蹴り付けられ、ティアがもんどり打って倒れる。


「……あんた……なにして……」


呆然とした。

ザイアムが、『ティア』を傷付けるわけがない。


『ダインスレイフ』を、ティアに向ける。


「やめろ……!」


這うようにして進む。


『ダインスレイフ』は、赤く輝いている。


呟き。


「……家族のようにして暮らした。だから、危害を加えることはないと……」


ザイアムが、『ダインスレイフ』を振り抜いた。


赤い飛沫。

ティアの体が転がる。


出血は、肩の辺りからか。

深い。

いや、そんなはずはない。

軽傷に決まっている。


「本気で、そんなふうに思っていたか?」


倒れたティアは、動こうとしない。

悲鳴も聞こえなかった。


微かに胸が上下しているように見える。


「私は、『コミュニティ』最高幹部の一人。そしてこの娘は、お前の仲間、つまり、ストラーム・レイルやエス側の者だ」


「……やめろ……」


ザイアムが、『ダインスレイフ』を振り上げる。


「やめろ!」


地面を蹴る。

駆けた。

だが、すぐに弾き飛ばされる。


『ダインスレイフ』から発生する力場。壁。

それが、ルーアをティアに近付かせない。


訓練を積み重ねてきたはずだ。

限界ぎりぎりまで自分を追い込んだこともある。


誰よりも努力してきた、などとは言わない。

だが、修練の日々は薄っぺらいものではなかった。


いくつもの死闘を乗り越えてきた。

戦い、勝利し、生き延びてきた。

それでも、どうしようもない壁がある。

勝てない相手がいる。

ただの、人間のままでは。


力場を押す。

びくともしない。

これが、現実。

ティアが殺されても、なにもできない。


(……そんなこと、認められるか……!)


押す。

力場は破れない。

人の力では。

ならば。


『人として、もっと強くなりなさい』


ドラウには、そう言われた。

魔法使いとして、制御力を磨けと。


修練を怠ってはいない。

だが、まだまだ未熟だ。

まだまだ弱い。

この力を求めるべきではないのかもしれない。

それでも今、使うしかない。


力場が拡がる。

無抵抗に押された。

足の裏を滑らせ、後退していく。

ティアとの距離が開いていく。


遠いが、構わない。

この程度の距離、一瞬で零にできるようになる。


ザイアムが、振り返る。

鉄面皮に近い顔から、表情らしい表情が消えている。


察したのかもしれない。


なにかが起きる。

なにかが変わる。


力を抜き、ただ立つ。

見つめる。

ルーアにとっての、最大の壁を。

最強を。

ザイアム。


力の巨大さに、震えたことがある。

人が扱える領域を超えた力だと。

代償はなにかと。


震え、怯える時期は過ぎた。

今は奮い、扱い、制御する時。


砂漠で失ったはずの右手で、致命傷になるはずだった胸の古傷に、爪を突き立てる。

柄を当てるようにして、失明するはずだった左眼を左手で押さえる。

より強く、鮮明に、あの力を思い出すために。


力の名前。それはもう、思い出している。

叫べ。声を振り絞り、渾身の力で。有らん限りの雄叫びで。


自分の内にある、その力は。


「『ルインクロード』!」


沸き立つ。


天地が、震えたような気がした。


◇◆◇◆◇◆◇◆


ルーアが、動かせなかったはずの右手を上げた。

黒いジャケットの胸を掴む。

それは、前兆だったのかもしれない。


雄叫び、絶叫。

ルーアの内側から、なにかが溢れる。

その体を、包んでいく。


『ダインスレイフ』の柄を、強く握る。

震える。

怯懦ではない。

心が、勇み立っている。


これを待っていた。

ザイアムも、きっと『ダインスレイフ』も。

力の、証明をするために。


ルーアが剣を、『ダインスレイフ』から発生した力場に突き立てる。


剣も、力に包まれていた。

光でも闇でもない、不可視の力が。

見えなくとも、巨大な力が存在していることがわかる。


右手でも、力場を押す。

そして、突き破る。


ストラーム・レイルのような、繊細な破り方ではない。


ストラーム・レイルは必要最低限の魔力で、『ダインスレイフ』の力場に人が一人通れるだけの穴を空けた。


ルーアは、無理矢理穴を抉じ開けた。


足下にはティア・オースターがいる。

ザイアムは、数歩前に出た。


ルーアが、突進しながら腕を振る。

衝撃波。大地を破砕し、突き進む。


ザイアムは、『ダインスレイフ』を振り上げた。

一閃。ルーアが放った衝撃波を斬り裂く。

大きな負荷が、肩に掛かる。


前進した。

ルーアも、直線的に向かってくる。


ぶつかる。

勢いに、顔を背けそうになる。

眼を瞑りそうになる。

そういった本能を押さえ付け、ルーアを真っ向から見つめる。


資格が、ルーアにあるのか。

見極めなければならない。


咆哮。

振り下ろされる、ルーアの剣。

『ダインスレイフ』で正面から受け止めた。

そのまま、振り抜こうとした。

だが、振り抜けない。


互角に押し合う。

剣と剣が、刃と刃が競り合っているとは思えないような異音が、辺りに響く。


声が漏れる。

ルーアの咆哮に呼応するように、雄叫びを上げる。


足を振り上げた。

ルーアの腹に、蹴りを打ち込む。


足を上げたことでバランスを崩し掛けたが、片足で踏ん張った。

ルーアだけが後退する。


横隔膜を蹴り抜かれても、たいして効いてない様子であるルーアに、『ダインスレイフ』を向ける。


(……どうだ、『ダインスレイフ』?)


過去に刃を砕いた男に、ザイアムが膝を屈した男に、ルーアは匹敵するようになるのか。


そして、ザイアム自身はどうなのか。

五年前と同じことが起きた時に、今度こそ立ち向かえるのか。


ルーアが、唸り声を上げ剣と空の右手を振る。


最初は、不可視の力。

それが色を付ける。

眩い光、そして無明の闇。

二種の力がザイアムを呑み込もうとする。


『ダインスレイフ』を振り抜いた。


光と闇を吹き散らし、『ダインスレイフ』から放たれた剣圧は消えた。


刃が、これまでになく赤く輝いている。

ザイアムの要求に、意思に、『ダインスレイフ』はどこまでも応える。


ルーアが、地を蹴る。

獲物を狙う獣のように駆ける。


ザイアムも、震える大地を蹴った。


『ダインスレイフ』の刃。

これで斬れないものはない。

ザイアムが信じれば、求めればそうなる。


『ルインクロード』の力に包まれたルーアの剣。刃。

正面から、激突した。


◇◆◇◆◇◆◇◆


力に振り回されているのを、ルーアは感じていた。


戦いながら意識が何度も途切れているのも、自覚していた。


どんな状態で意識を取り戻しても、視界の中央には必ずザイアムがいた。


何度もぶつかる。力が、刃が、体が。

対等にせめぐこともある。

だが、最終的には押し返され、弾き飛ばされる。


ザイアムは、前進をすることはあっても、後退は一歩たりともしていない。


これだけの力を奮っても、届かないのか。


ザイアムの後方には、ティアがいる。

そして、意識が飛んでいる間は、ティアのことを忘れたように力を使っていた。


ザイアムが防がなければ、ティアを巻き込んでいただろう。


ティアを助けるための戦いだったはずだった。


だが、端から見る者がいたならば、ザイアムがルーアからティアを守っているように感じることだろう。


制御しきれていない。

だから、力に振り回される。

ティアを巻き込みそうになる。


力の全てを、ザイアムに向けろ。

体中に血管や神経が張り巡らされているように、力の隅々にまで意識を伝えろ。


完璧に制御してみせろ。

手足を自在に動かすように。


ザイアムと激突する。

そのたびに、ミジュアの第九地区が激震する。


何度目かの衝突で、剣が砕け散った。

『ルインクロード』と『ダインスレイフ』による負荷に、耐えきれなくなったか。


瞬時に手元に折れた剣を転移させる。

そして、瞬時に剣を再生させる。


物質転送と、物質修復の魔法。

『ルインクロード』の力は、普段使えない魔法すら、ルーアに扱わせる。


『コミュニティ』のボスと戦った時もそうだった。


非常識な力の魔法を、使い続けた。


破壊の力を纏わせ、剣を突き出す。


『ルインクロード』の力は、ルーアの身体能力や反射神経を、極限近くまで引き上げる。

神速と言ってもいい突き。


だが、『ダインスレイフ』に受け止められる。

今度は柄まで、剣が木っ端微塵になる。


『ルインクロード』の力で剣を強化している。

未熟な制御力では、剣に負担を掛けてもいる。


また弾き返されながら、剣を使うことは諦めた。


両の掌の先に、『ルインクロード』の力を凝縮させる。


イメージするのは、『コミュニティ』の『百人部隊』隊長ウェイン・ローシュ。

以前戦ったあの男は、両の拳に破壊の力を込めていた。


跳躍した。

ザイアムに跳び掛かる。


掌の先のものを、ザイアムと『ダインスレイフ』目掛け振り下ろす。


受け止めたザイアムの体が震える。

後退はしない。


着地と同時に、腕を振り上げる。

ザイアムは、『ダインスレイフ』を振り下ろす。

衝突。


激痛に顔を歪める。

衝撃で、両手の骨が折れる。

筋繊維がずたずたになるのを感じる。

だが、一瞬で完治される。


『ルインクロード』の力を纏わせた拳を振る。

破壊の力の突先として、ザイアムに奮う。

肉体の破壊と再生を繰り返しながら、攻撃を続ける。


防ぎ続けるザイアムの表情も、歪んでいた。

決して、楽はさせていない。

ザイアムも、きっと必死なはずだ。


(……知っているか、ザイアム? 俺はな……)


『ダインスレイフ』に力を叩き込みながら、ルーアは胸中で語り掛けていた。


(あんたに、憧れていた!)


叫んでいた。


(あんたみたいに、なりたいと思っていた!)


剣は砕けた。

次に砕けるのは、ルーアなのか。


それとも、『ダインスレイフ』か、ザイアムか。


(あんたみたいに、強くなりたいって思っていた……!)


なぜ、髪を伸ばすようになったか。


(あんたみたいな力があれば、守ることができるって……!)


なぜあの日、あの夜、自分たちの側にいてくれなかったのか。

なぜ、守ってくれなかったのか。


『ダインスレイフ』の一撃。

全力の斬撃。


受け止めきれず、敢えなく後退させられる。


強い。

奥歯を噛む。

最強を睨め上げる。


まだ足りない。

もっと上げろ。

絞り出せ。


踏み出し。

瞬時に間合いを詰める。

攻撃を繰り出す。


『ルインクロード』と『ダインスレイフ』の激突。


ザイアムも受けに回るだけではなく、斬撃を、突きを放つ。


『ルインクロード』の力を込めた拳で受け、掌で払う。


どれだけ拳と刃を合わせたか。

文字通り気が遠くなるような、長い長い時間。


ルーアの会心と言っていい一撃が、『ダインスレイフ』の剣身の腹を叩く。


ザイアムの体の芯にまで、衝撃が響くのを感じる。


ほんのわずか。

ザイアムが、初めて後退した。


宙に舞う物がある。

赤い。


ほんの一粒。

赤い剣身に、微かな欠け。

『ダインスレイフ』の欠片。


最強の魔法剣に、『知ある魔剣』に、ルーアの攻撃は通用している。


さらに、踏み込もうとした。


それは、地に落ちるまでのわずかな時間。

ルーアとザイアムの間にある『ダインスレイフ』の欠片から、赤い光が失われる。

そして、鈍色に輝く。


なにかが、頭の中に流れ込んでくる。


それは、『知ある魔剣』に刻まれた記録。

そして、ザイアムの記憶だった。


◇◆◇◆◇◆◇◆


呼びつけたのは、クロイツだ。

歴史が変わる日かもしれないと。

『コミュニティ』最高幹部の一人として、同じく最高幹部であるザイアムを招いている。


ソフィアも来るという。

『ボス』もいる。

『コミュニティ』の上位四人が揃うとなれば、数年振りのことになる。


面倒臭い、とザイアムは思った。

クロイツの招待を断る理由を探したが、上手い言い訳は思い付かなかった。


ただ、当のクロイツは、今回の実験について懐疑的であるようだった。


『ルインクロード』は極限の力ではないのか。

『ルインクロード』を超える『ルインクロード』は、存在するのか。


それは、招待先に向かう途上で起きた。

目指す先が、光った。

次に感じたのは、衝撃だ。

音は、その後に聞こえた。


『ダインスレイフ』を抜いたのは、光を感じた瞬間だった。


瞬時に反応できたのは、勘が働いたからだとしか言えない。


建物は根刮ぎ薙ぎ倒され、木々は消し飛ぶ。

路面が融解し、視界は熱で歪む。

先程まで空を覆っていた雲は散り、今は夕暮れの時のように赤く染まっている。


なにが起きたのか。


『ダインスレイフ』で守られたはずの体が、痛む。

軋むような音を立てているようにも思える。


原因はわからない。

とにかく、なにかが起きた。

そして、ミジュアの街の第九地区を崩壊させた。


膨大な熱量に呼吸困難になりながら、ザイアムは必死に状況を把握しようとした。


辺りを見渡すが、地平まで破壊され尽くされているかのようだった。


ぞっとする。


『ティア』は、ルーアは、どうなったのか。

家は、この第九地区にある。

とても無事であるとは思えない。


動悸が激しくなる。


なにか巨大なものに、ミジュアの第九地区は蹂躙されてしまった。

自分以外に、生き残りはいるのか。


誰かが来るというのを、ザイアムは感じた。

直感的に、それが原因だと悟った。


ザイアムの正面に、降り立つ者がいる。

全身が爛れ、衣服も体毛もまともに残っていない。

体のあちこちが崩れている。

それなのにそれは、悠然と腕組みをしていた。


面影は、まるでない。

だが、わかる。


「……『ボス』」


「ザイアム」


それが、腕を拡げる。

親しい友人を、迎え入れるように。


「やはり、お前は生きていたか。そうだろうとは思っていたが」


穏やかといってもいい口調。


体の震えを、ザイアムはなんとか押さえ込んだ。


これが、街を破壊した。

『ティア』とルーアを殺した。


新たに現れる者がいた。


クロイツである。

『ボス』の隣で、ザイアムを見ている。


「さすが、『ダインスレイフ』。凌いだか。いや、賛辞すべきは、『ダインスレイフ』の性能をそこまで引き上げる君だろうか」


『ダインスレイフ』の刃が、赤く染まる。

それは、攻撃するための色。

『ティア』とルーアを殺した者が、眼の前にいる。


「……これは、驚いた」


遠くを見ながら、クロイツが言った。


「『ルインクロード』がもう一つ。そうか。発動したか。生き延びたか」


クロイツの台詞に、ザイアムも『ボス』も反応した。

ルーア。死なないでくれたか。


「ほう……」


『ボス』の崩れた顔に、亀裂が入る。

笑っているのだと、ザイアムは気付いた。


「……面白い。会ってみようではないか」


「……!」


『ダインスレイフ』を構えようとした。


『ルインクロード』と『ルインクロード』の邂逅。

それが意味するのは、なにか。


何事もなく済むとは思えない。

そして、なにかが起きるとしたら、まずルーアだった。


『ボス』の『ルインクロード』に比べれば、ルーアの『ルインクロード』は小さい。


生きていてくれた。守らなくては。


『ボス』に、崩れている手で肩を叩かれた。

クロイツは、憐れむかのような視線を、一瞬向けてきた。

二人とも、ザイアムの脇を通り過ぎていく。


喉が詰まった。

息を吐く。

声は出せなかった。

振り返る。

『ボス』の背中。


ここで止める。

ルーアの元へは行かせない。


おそらく、『ティア』のことは守れなかった。

せめて、ルーアだけは守る。


父と呼ばれたことはない。

兄と呼ばれたこともない。

だが、それに近い存在ではあるはずだ。


自分は、あの二人の保護者であるはずだ。

守らなくては。助けなければ。


『ダインスレイフ』も、証明したいはずだ。


必要とされずへし折られた過去の記録が、記憶が『ダインスレイフ』にはある。


価値を示すため、『ダインスレイフ』は七百年間進化し続けた。

そして、ザイアムという使い手を選んだ。


この『ダインスレイフ』ならば、『ルインクロード』も斬れる。


構えた。

『ボス』の背中だけを見据える。

だが、動けない。


遠い、と感じた。

絶対に、届かない。

それは、千古不易の真理。


『ボス』と、クロイツが去っていく。

なにもできずに、ただ見送る。


「私ではない……」


ザイアムは、呟いた。

倒せない。この脆弱な力では。


「私ではない……」


誰も守れない。最強でもなんでもない自分では。


「私ではない……」


戦う資格さえない。超人ではないザイアムには。


「私ではないぞ……『ダインスレイフ』……」


家族同然の者たちさえ、守れない。助けられない。

それが、ザイアムというちっぽけな男の真実。


ザイアムは、破壊の中にいた。

破壊の渦の中で、己の無力さを嘆いた。


嘆きは静かで、誰にも聞かれはしない。

ただ『ダインスレイフ』だけが、それを深く記録する。

鈍色の記憶として、その身に刻む。


◇◆◇◆◇◆◇◆


『ダインスレイフ』の横凪ぎの一撃に、払い除けられた。


転ばないように、足の裏で地面を擦りながら後退する。

バランスは崩していない。

すぐに反攻のための前進ができる。

だが、ルーアは動けなかった。


空手であるが、剣を持っている時と同じような姿勢で構える。


視線を、下げていた。

見ているのは、ザイアムの膝の辺り。

なんとなく、顔を直視できなかった。


故意ではないが、勝手に過去を見たことで、罪悪感のようなものを覚えているのかもしれない。


(……そうか)


垣間見た、ザイアムの記憶。


(守ろうとしてくれたんだな……)


戦おうとしてくれた。

だが、守れなかった。戦えなかった。

諦めてしまった。

あまりに巨大な存在を前にして。


それでも、諦める直前までは守ろうと考えてくれた。


ザイアムは、誰よりも強いと思っていた。

最強の存在であると。

だが実は、最強ではなかった。


ザイアムに敵う者はいないと思っていた。

絶対無敵であると。

だが実は、無敵ではなかった。


ザイアムは、人の域を超えていると思っていた。

超人であると。

だが実は、超人ではなかった。


(……もしかしたら、俺が……)


ただのザイアムを、本当は普通の人間でしかないザイアムを、最強にして、無敵にして、超人にしてしまったのかもしれない。


子供から、憧れの視線を向けられているのだ。

それは、かっこつけてしまうだろう。

見栄を張りたくなるというものだろう。

子供の期待に、応えたくなるだろう。


子供の悪気のない憧れが、ザイアムに背伸びをさせ、無理をさせ、そして、たった一度の挫折で絶望してしまうほど、疲れさせてしまった。


(……ザイアム、俺はな……)


「……行くぞ、ザイアム」


「……来い」


わずかに欠けた『ダインスレイフ』。

実は最強ではなかったザイアム。

それでも、その大きさは変わらない。


腕を上げる。

絶大なる力の制御。

全てを、ザイアムに向ける。

ザイアムという壁を、撃ち抜いてみせる。


踏み出した。

神速の踏み出し。


ザイアムの突きは、それよりも速い。

二段突き。


反応できたのは、ザイアムという男をルーアが良く理解しているからだ。

力と両腕で、突きを受け止める。


(……俺は、あんたに憧れて……そして……!)


ザイアムの側面に回る。

そこは、必ずザイアムが渾身の斬撃で応対する場所。


先程は、くるのがわかっていても掻い潜れなかった。


今は、『ルインクロード』の力で身体能力も反応速度も上がっている。


半歩だけ、踏み込んだ。

だが、斬撃に跳ね返される。


後退しながら、微かにルーアは笑った。

やっぱり、強い。

ザイアムは、まだ懐を取らせてくれない。


跳ね返された先から、ザイアムを見つめる。


(……こんなこと、口に出しては言えないけどよ……)


誰かに聞かれでもすれば、きっと笑われてしまうだろう。


(……あの時の俺は、多分……)


弱くて、未熟で、ザイアムに守られているだけの子供の分際で。


(……いつかは、あんたと同じくらい強くなって、それで……あんたに頼りにされたらと、あんたと肩を並べて戦えたらと、そんなことを考えていた……)


左から回り込むと見せ掛け、右から突進した。

簡単に止められる。


間合いを取り、再びフェイントを織り混ぜながら前進する。


ザイアムには通用しない。

それでも、機動力と技術を最大限利用した突撃を繰り返す。


何度押し返されたか。

ザイアムから距離を取り、ルーアは息をついた。


いくつもの傷を負った。

『ルインクロード』の力が傷口をすぐに塞ぐが、それでも全身を痛めている。


脳や心臓を負傷することは避けた。

この回復力は、どこまで当てにしていいのかわからない。

いきなり尽き果てることも有り得た。


息を整えた後、ルーアは爪先に力を込めた。

足の指で、大地を掴むような感覚。

全力で、足下を蹴る。


機動力と技術を活かした、つまりフェイントを混ぜた前進を、散々続けてきた。

ザイアムの頭には、それが残っているはずだ。


今度は、小細工無し。

正面からの力押しで、ザイアムを攻める。


おそらく、ザイアムはルーアの全力の突進を読みきっていることだろう。


それでも、意識にはフェイントを掛けられ続けたことが刷り込まれている。


そうなるまで、撹乱を繰り返してきた。

次のルーアの一手に対して、ザイアムの反応は、必ず一瞬遅れる。


覚悟を決めたのは、ザイアムとぶつかる直前だった。

反撃に、体を両断される恐れもある。

それでもここは、全力で当たる。


躊躇わず踏み込む。

『ダインスレイフ』をまともに振る時間は与えない。


赤い剣身に、掌を先に体ごとぶつかる。

互角の押し合い。

いや、反応が遅れた分、わずかにザイアムが後退しているか。


(……俺、強くなったよな……?)


あのザイアムと、対等に戦えている。


(……こんな力に頼らねえと、あんたとまともに向かい合うこともできねえけどよ……それでも……)


力み過ぎたか、鼻の奥から血の香りがした。


ザイアムが、また後退する。


(……俺、強くなったよな?)


力の限り押す。


頭に浮かぶものがある。

三人で暮らした、小さな家。

粗末な門。


火花が弾けるように、『ダインスレイフ』の刃から欠片が散っている。

欠片の一つ一つが、過去の記憶を呼び覚ます。


庭で剣を振るザイアム。

夏の暑さに汗を拭う姿。

三人で囲む食卓。

笑顔の『ティア』。

ザイアムの言葉。


なにがあっても生き延びろ、と言われた。

他の誰を犠牲にしても、生き延びろと。


ザイアムは、ルーアの中にある力のことを知っていたのかもしれない。

それに、価値を見出だしたのかもしれない。

だから、生き延びろと。


だが、それだけではない。

貴重な化け物の力を持つ者だから、守ってきたのではない。


叱られたことが、何度かある。

おそらく、父親代わりとして叱ってくれた。

鉄面皮の裏側には、必ず優しさがあった。


嫌いだと思ったことは、一度もない。

叱られた時も、訓練で打ちのめされた時も。


鈍色の記憶。

ザイアムの記憶。

そして、ルーアの記憶、『ティア』の記憶。


ザイアムの雄叫びが響いた。

振り払われる。


ルーアは、地面を転がった。

ザイアムは、まだ強い。

まだ強くなる。


『ダインスレイフ』を空に翳すザイアム。

渦巻く、巨大な力。


『ルインクロード』の力を最大限引き出し、ルーアは掌をザイアムに向けた。


ザイアムが、『ダインスレイフ』を振り下ろす。

解き放たれる斬撃。


ルーアも、全力で『ルインクロード』の破壊の力を撃ち出した。


中央で、両者の力が激突する。

音が聞こえた。

破壊と破壊が重なる。

オーケストラが音を重ね響き渡らせるように、破壊が拡がっていく。


体にまで届きかけた破壊の波を、ルーアは腕を振って掻き消した。


ザイアムも、『ダインスレイフ』で破壊の力を断ち割っている。


ルーアは、微苦笑を浮かべた。

今更ながら、なぜザイアムと戦わなければならないのかと感じたのだ。


ザイアムの記憶を見た。

ルーアにとってザイアムが特別な存在であるように、ザイアムもルーアや『ティア』のことを大切に考えていてくれた。


戦わなければならない理由はなんだ。

敵だからか。立場が違うからか。


ここでルーアがストラームの味方をやめると言えば、戦いは終わるのだろうか。

『コミュニティ』に付けば、ザイアムは剣を引いてくれるのか。


戦いたくない理由が、いくつも浮かぶ。

同時に、なにもかも手遅れであるような気がした。


振り下ろした剣は止められず、放った魔法は標的を撃つまで消えることはない。

きっと、もうその段階まで来ているのだ。


覚悟は、できている。

多分、ザイアムも。

勝利する覚悟が。失う覚悟が。


いつの間にか、空が明るくなっていた。

ザイアムと戦い始めたのは、夜だったはずだ。

今、東の空が明るい。


見上げた空は、鈍色だった。

第九地区は、晴れることがない。

いつでも、厚い雲に覆われている。


ルーアは、ゆっくりと歩きだした。

ザイアムがいる前ではない。

ザイアムを中心に、円を描くように移動していく。


ザイアムを見据え、東の空を背に、ルーアは立ち止まった。


これは、勝利する覚悟の証明。


ザイアムの背後には、ティアがいた。

ザイアムに勝ってしまえば、ザイアムという壁を打ち破ってしまえば、ティアもただではすまないかもしれない。


だから、移動した。

正面から、ザイアムに勝つために。

今、その背後にティアはいない。


『ダインスレイフ』で斬られ、出血した。

あれから、随分と時間が過ぎてしまった。

それでも、ティアはきっと生きている。


ティアを助ける。

ザイアムと戦う理由は、それだけでいい。


「……決着を付けよう、ザイアム」


秋風。爽やかなものではない。

瘴気が混ざった、濁った風。


「これから俺が見せるのは、正真正銘、俺の全力だ。力、技、経験、俺の全てを懸ける」


ザイアムが、微かに笑ったような気がした。

その表情を隠すかのように、『ダインスレイフ』を上げる。


「俺は俺の全力で、あんたを超える」


ストラームがいた、ランディがいた、ドラウがいた。

そして、ザイアムがいた。


ルーアにとって、師となる人たち。

そしてもしかしたら、父親にも似た人たち。


彼らはそれぞれのやり方で、ルーアの人生を導いてきた。


師は、弟子よりも優れている。あるいは、齢を経ている。

そうでなければ、師弟の関係は成り立たない。


師は、弟子を育て、導かなければならないのだから。


齢を経ている分、当然、弟子よりも早く老いぼれる。

早く衰える。

早く死ぬ。

順番通りなら、それが普通のはずだ。


だからこそ、弟子に一つだけ責務があるのだとしたら、それは師を超えることなのだろう。

師が老いぼれる前に。衰える前に。死ぬ前に。


ランディとドラウの時は、その責務を果たせなかった。


今度こそ。


師が満足できる姿を、全力を見せる。


鈍色の記憶。

『ダインスレイフ』の欠片に刻まれた記憶が、まだ残っていたか。


鈍色の情景の中で、ザイアムは微笑んでいた。

鉄面皮だが、確かに微笑んでいた。


師から得たもの、戦いの日々の中で培ってきたもの、そして、化け物の力さえも。


全てを、一つに。


力と一体になり、『ダインスレイフ』を振り翳すザイアムに、ルーアは突っ込んでいった。


◇◆◇◆◇◆◇◆


ここは、ミジュアの第九地区。


魔法剣を振るう超人と、化け物の力を持つ若者が、破壊の跡だけが残る廃墟の街を、更に破壊で塗り潰していく。

彼は、それを遠くから眺めていた。

どれだけ離れていても、安全地帯にいるとは感じられなかった。


(私は……)


『バーダ』第一部隊隊長ルトゥス。

そのことを思い出しそうになり、彼はかぶりを振った。


自分が自分であることを意識すればするほど、この時間、ここに彼がいた痕跡が残る。

エスやクロイツに、検索されてしまう。


『バーダ』に所属している証しである黒いジャケットは、当に脱ぎ捨てている。


今、彼は初めて訪れた古着屋で、適当に見繕った衣服を着込んでいた。

旅装のように見えなくもない。

髪型も、少し変えてある。


とにかく、ルトゥスであるという痕跡を、徹底して消した。


自分がルトゥスであるという意識も、可能な限り思考の底に沈めた。


傍目には、今の彼は一人で行動しているように見えるだろう。


彼がルトゥスであるということを、誰も知らない。

世界に、記録は残らない。


そこまでしてようやく、エスやクロイツの眼から逃れることができた。


同じようにして、ストラーム・レイルは半年ほど、エスの監視を避けたことがあった。


他に似たようなことができるのは、ザイアムやソフィアくらいなものだろう。


この第九地区は、分厚い瘴気に包まれている。

互いに能力を封印し合っているエスとクロイツには、二人の戦いを視ることはできない。


二人。


一人はザイアム。

剣の形状をした魔法道具の中では、間違いなく最大の力を持っているだろう。

『ダインスレイフ』に認められた、唯一無二の存在。


『コミュニティ』最高幹部の一人。

そしておそらく、歴史上最高の剣士。


もう一人はルーア。

『バーダ』第八部隊の元隊員にして、『英雄』ストラーム・レイルの弟子。

『ルインクロード』の力を持つ者。


力を操れているのか、力に振り回されているのかは、微妙なところだった。

どちらにせよ、ザイアムと互角に戦えているのはたいしたものである。


二人の決闘。

あるいは、親子喧嘩か。

師が弟子に稽古を付けているだけ、と言う風変わりな者もいるかもしれない。


結末は、おそらく単純なものだろう。

すなわち、勝者は生き、敗者は死ぬ。


「……それを見届けるのが、私だ。そして……」


呟くように言う。


「……生き残った者を、どうするべきか判断する。場合によっては、結末に干渉しなければならないだろう」


一人言を言う癖はなかったはずだ。

協力者に聞かせるためだと、彼は気付いた。


協力者のことを、ほとんど意識から消していた。

その方が、エスにもクロイツにも気取られずに済む。


生き残るのは、ザイアムか、それともルーアか。


「……どちらにせよ、人類にとって害悪にしかならんかもしれんな」


つまり、戦い、殺さなければならないかもしれない、ということだ。


もう一人、忘れてはならない者がいる。

ティア・オースターである。


戦いの結末がどうであれ、少女は生き延びるだろう。


ルーアが勝てばもちろん、ザイアムが勝った場合でもだ。


ザイアムにはティア・オースターを殺せないと、彼は判断していた。


少女の無防備な精神は、エスやクロイツにあっさりと記憶を覗かせてしまうだろう。


あの二人に、彼が結末に干渉することを知られたくない。


できるなら、ザイアムとルーアの決闘の決着の仕方についてもだ。


ザイアムもルーアも、エスやクロイツの能力に、ある程度抵抗できるだろう。

知られたくない、と思うだけでいい。

記憶を覗くのは、それだけ難しいものだ。


あの亡霊たちも、知ることができるのは、精々記憶の表層だけである。


だが、ティア・オースターはどうか。

おそらく、まともに抵抗できずに、頭の中を読み取られる。


「ティア・オースターの記憶に、プロテクトを掛けなければな。奴らの干渉を、妨害できるように。そして、それができるのは、私ではない」


わざわざ口にするのは、協力者の技量を考えてのことだ。


思考を読み取るのは、未熟な協力者には難儀なことだろう。


空気が静まるのを感じ、彼は口を噤んだ。


激突することを繰り返していたザイアムとルーアが、距離を取り睨み合っている。


静かな対峙。

嵐の前の静けさ、という表現がぴったりである。

会話を交わしたかもしれない。


決着が近い、と彼は感じた。

どちらかが生き残る。

そして、どちらかが死ぬ。


力を纏ったルーアが、突進する。

それは、覚悟の前進。


ザイアムは、堂々と待ち構えている。

これも、覚悟を決めてのことだろう。


最後の激突。

正面からの衝突。


互いに、小細工はない。

だから、単純明快な結果が残る。

強い方が勝つ。


決闘の証人になるために、彼は眼を見開き、結末に向かう二人を見つめた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


ルーアが向かってくる。


ザイアムは、『ダインスレイフ』を振り上げた。

ザイアムにとっての、最大の武器。

そして、今のルーアに対抗できる唯一の力。


ルーアには、敵が必要だった。

それも、『ルインクロード』の力を以て、ようやく対等に戦える敵でなければならない。


いずれ、『ネクタス家の者』と、真の『ルインクロード』が戦う時がくる。


七百年の間引き分けという結果を残してきた両者だが、次こそは決着が付くだろう。


ハウザードの肉体という『器』を得た『ルインクロード』が、『ネクタス家の者』を撃ち破る。


だから、ライア・ネクタスには、共に戦う者が必要だった。

それは、ストラーム・レイルでも、妻のレジィナ・ネクタスでもない。

ルーアにしか、務まらない。


だから、ルーアは『ルインクロード』の力に慣れなければならなかった。


自在に扱えるようにならなくてはならない。


『ルインクロード』を使わざるを得ないほど、誰かがルーアを追い込む必要があった。

力を制御するための、修練を積む必要もある。

対等の敵として、誰かがルーアの相手をしなければならない。


イグニシャ・フラウのようにすぐに倒されてしまっては、ルーアの成長には繋がらない。


ルーアの対戦相手として相応しい者を、ザイアムは自分以外見付けられなかった。


敵という立場である。

『ダインスレイフ』ならば、ルーアの『ルインクロード』と拮抗した力を出せる。

なにより、『ルインクロード』という力の、強さも怖さも知っている。

ザイアムが、ルーアと戦うしかない。


『コミュニティ』に所属していたのは、今この時のために思える。


ソフィアでは駄目だった。

『邪眼』の力を以てしても、『ルインクロード』には押されまくるだろう。


圧倒されながらも、あの『死神』なら、的確にルーアの弱点を衝く。

そして、ルーアに勝ってしまう。


クロイツも、必ずルーアに勝てる条件の場所を持っている。

そこでしか戦おうとしないはずだ。


『最初の魔法使い』に必要とされず、砕かれた『ダインスレイフ』。

戦うこともなく『ボス』に屈したザイアム。

それが、自分たちの宿命だと思った。


全てが、ここに繋がっている。

真の『ルインクロード』を倒す宿命にある、ルーアを成長させるために。


ルーアが、懐に踏み込んでくる。

迎撃の準備も心構えもできていた。

ルーアが自分の全てを懸けて攻撃してくるのならば、ザイアムも自分の全てを一撃に込めて応じる。


『ダインスレイフ』を、振り下ろす。

ザイアムの全体重を、全ての力を、全ての意思を乗せた剣を。


『ダインスレイフ』の刃から、剣圧が解き放たれる。

至近距離から、ルーアを襲う。


『ダインスレイフ』の赤い剣身と、ルーアの赤い頭髪が重なって見えた。

破壊の刃が、ルーアを裂くために唸る。


激突する。


重い手応え。

人を斬った時とは違う。


ルーアの両の掌。

『ダインスレイフ』から放たれた剣圧に撃たれながらも、ルーアは刃を受け止めている。


押し合う。

互角。


「そんなものか……!」


息を吐くと共に、声が漏れる。

『ダインスレイフ』が輝く。

まだまだ力は上がる。

力と力の激突に、眼が眩む。


「その程度では……私には……!」


真の『ルインクロード』には、勝てない。


最大の敵との接触に、『ダインスレイフ』が急激に成長していくのをザイアムは感じた。

自分の斬撃が、かつてない程重たくなる。


ルーアの体を、『ルインクロード』の力を押していく。


この程度なのか。

『ボス』に屈した男に、諦めてしまった者に、ルーアは敵わないのか。


ルーアの吐息。

震える。

なにかが、変わった。


「……ザイアム……俺はな……」


変わっているのは、ルーアの体勢だった。

一方的に押せたはずだ。

ルーアは、右手一本で『ダインスレイフ』を受けていた。


左半身を後方に、弓を引いているような姿勢である。

左手に込めているのは、人の魔力か、化け物の力か。


「ティルト……」


(そうか……)


お前は、私を超えていくか。


ルーアが、左手を突き出す。

『ダインスレイフ』に叩き付ける。


「……ヴ・レイド!」


至近距離から、凝縮された力が撃ち放たれる。


『ルインクロード』の力に、人の魔法が組合わさった一撃。


宣言通り、ルーアが全てを込めた一撃。

『ダインスレイフ』から発生する力場をつんざく。


自身の敗北を、ザイアムは悟った。

それが、清々しい。

全力で戦い、敗れるのだ。


自分を、超えていく者がいる。

眩しいと思える。


『ダインスレイフ』は、まだルーアの一撃に耐えていた。

衝撃は、ザイアムの体まで伝わっていく。

体を貫いているようにも感じられた。

身がずたずたに引き裂かれているようでもある。


響く。

鈍色の夢の中で、何度か聞いた音だ。

『最初の魔法使い』に握られた『ダインスレイフ』の剣身。

その後に響く音。


『ダインスレイフ』の悲鳴にも似た音が、今は歓喜の雄叫びにも聞こえる。


見付けたのだ。私も、『ダインスレイフ』も。


満足できる戦いの果てに、共に砕け散ることができる。


力の破裂。


『ダインスレイフ』が、柄だけを残して粉微塵になる。


ザイアムは、後方に倒れ込みながら鈍色の空を見ていた。


『ダインスレイフ』の破片が、空に散っている。


無数の破片の一つ一つに、意味があるように感じられた。


鈍色の空とザイアムの間で、輝く。

色を変える。

赤色から、鈍色へ。


ザイアムは、それを綺麗だなと思いながら、眺めていた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


意識のないティアの負傷を、手早く癒す。

呼吸がやや弱々しいが、命に別状はないだろう。


そこまで確認してから、ルーアはザイアムの元へと向かった。


致命傷を負ってはいないだろうが、まだ身動きが取れない様子のザイアムを、見下ろす。


『ダインスレイフ』の柄は、その手の中にあった。


ぼんやりと空を眺めていたザイアムが、目玉を動かす。


「……今のうちに、とどめを刺すことだな」


「……そんな余裕、ねえよ」


嘘ではない。

だが、事実全てでもない。


『ルインクロード』の力を維持できなくなったのは、『ダインスレイフ』を砕いた直後だ。


ぎりぎりのところで、ザイアムを倒した。


今のルーアは、化け物の力を奮えない、普通の人間だった。


平凡と大差ないだけの才能があり、訓練は可能な限り怠ることなく受け、そして誰よりも師に恵まれた、ただの人間である。


剣は失った。

時間の経過と共にわずかに回復した魔力は、ティアの治療の続きのために消費することになる。

だから、簡単に人を殺すことはできない。


拳や踵を遣えば殺すことは可能だが、肉体的にも精神的にも疲労する。


ザイアムをこれ以上害さない言い訳は、それでいいだろう。


「……甘いな、お前は」


「……そうかもな」


「……お前の戦いは、続く。私など及びもしない存在と、戦わなければならないことになる。その甘さは、致命的なことになるぞ」


「……うるせえよ」


ルーアは、後ろを確かめた。


ティアがいる。

傷付いた状態で、さらにザイアムに斬り付けられ、それでも呼吸をし、生きている。


ザイアムなら、楽にティアを殺せた。

だが、殺さなかった。


「オースターの奴、生きてるじゃねえか……」


ティアだけではない。

ルーアのことも、ザイアムは殺さなかった。


ロウズの村でも、先程の戦いでも、ザイアムは殺せるところで、ルーアを殺そうとしなかった。


敵であるはずのルーアを、殺さなかった。


「……俺が甘いってんなら、それは、あんたのせいだろ……」


ザイアムから伝え授けられたことの一つ。

否定する必要はない。


「……見逃すつもりか? 私はまた、お前の敵として現れるかもしれんぞ……」


「……それは困るな。まあ、そうなったら、その時にどうするか考えるよ」


今度は、殺されるかもしれない。

だが元々、ザイアムに支えられてきた身だ。


ザイアムに殺されるのならば、きっとそれは、仕方ないことなのだ。


「……『ダインスレイフ』に感謝しろよな」


ザイアムに対する殺意があったかどうかはともかく、最後の一撃は、間違いなくルーアの全力だった。


それを、『ダインスレイフ』は砕け散る直前まで受け止め続けた。

結果、ザイアムは致命傷を避けられた。


ルーアにはそれが、『知ある魔剣』である『ダインスレイフ』が、身を呈して持ち主であるザイアムを守ったように見えた。


「……そうか、『ダインスレイフ』が」


ザイアムが、手にある『ダインスレイフ』の柄を見つめる。


再生能力はあるのだろうか、ふとルーアは思った。


魔法道具の中には、粉々になっても元に戻る物がある。


『ダインスレイフ』にそれだけの再生能力があっても、不思議ではない。


もしかしたらまた、『ダインスレイフ』を構えたザイアムが、敵として眼の前に立つのかもしれない。


ルーアは、空を仰いで声には出さず笑った。

きっと、情けない顔をしている。


それでも、ザイアムのことは殺せない。


殺せる唯一の機会は、『ダインスレイフ』により阻止された。


ルーアは、ザイアムに背を向けた。


「……じゃあな」


「ルーア……」


ザイアムの呟きは、小さかった。

だから、ルーアに聞かせるつもりではないのかもしれない。


「……すまなかった」


唇を噛む。


(……なにがだよ)


感謝しなければならないことが、山ほどある。


だから、謝られてもどう返せばいいのかわからない。


ルーアは、振り返らなかった。

ザイアムも、もうなにも言わない。

そのまま、ティアの所へ向かう。


ティアの頭の横に、膝を付く。

呼吸の方は問題ない。

脈拍も正常だ。

だが、意識を取り戻さない。


残された魔力を振り絞り、治療を再開する。


大丈夫なはずだ。

なにしろ、『ヴァトムの塔』で撃たれても生きていた女だ。


このまま魔法で体力を付与してやれば、必ず意識を取り戻す。


ティアの眼は、閉ざされたままだ。


魔法の使い過ぎで、何度か意識が途切れかけた。

そのたびに自分を叱咤し、魔法を維持し続けた。


このまま意識が戻らなかったらと考えると、身が震えた。


ティアが、微かに呻く。

そして、ゆっくりと瞼が開かれた。


「……ルーア……?」


ルーアは、俯いた。

口や頬が引きつり、自然と息が漏れる。


生きていた。


手首を握る。

温かい。

脈がある。

ここに、生きている。


「……生きている……生きているんだ……お前も……ザイアムも……」


言葉が、零れていく。

止めることはできなかった。


「……生きている。……死ななくて……良かった……本当に……二人とも……」


「……あれ?」


ティアが、不思議そうに呟く。


「……もしかして……ルーア、泣いてる?」


「……うるせえな。そんな訳ねえだろ……」


ルーアは、顔を拭った。


「……眼にごみが、入っただけだ……」


振り返る。

いつの間に立ち去ったのか、そこにはもう、ザイアムの姿はなくなっていた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


刮目するに相応しい戦いだった。


ルーアとザイアム。

二人の対決を、彼だけが最初から最後までこの眼で見ることができたのだ。


二人とも生き残ったという結末は、予想外のことであるが。


組んでいた腕を解く。

掌の汗を、服に擦り付けた。

着なれた『バーダ』のジャケットではないことを、それで思い出す。


自分自身のことも思い出しそうになり、彼は意識を一旦閉ざした。

エスやクロイツに気取られてしまう。


(さて、共に生き残ったが……)


注意すべきは、やはりザイアムか。


表向きは除隊処分となっているが、ルーアには未だに、『バーダ』第八部隊に所属しているという意識があるだろう。

つまり、ストラーム・レイルの部下ということである。


対立するという事態になることは、まずない。

少なくとも、当面は。


だから、ルーアよりもザイアム。


今ならば、軽く倒せる。

この距離から広域の魔法を放てば、『ダインスレイフ』を失ったザイアムには、防ぐ手段がない。


魔法を使わなくても、殺せる。

ザイアムは空手で、自分は剣を装備している。


だが、殺すにしても生かすにしても、全ては見極めてからのことだ。


ザイアムが、ルーアとティア・オースターを残し、静かに去っていく。


一歩一歩踏み締めるように、彼はザイアムを追った。


距離があるためまったく意味はないが、自然と息を殺していた。


まるで戦場にいるかのような重苦しさが、彼の体を包んでいた。

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