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救いのない未来

ストラームが『バーダ』第八部隊基地に戻った時にはすでに、深夜になっていた。


久し振りの帰還である。

ザッファー王国に向かうために出立したのは、初夏のことだった。

今はすっかり、秋が深まっている。


これだけ第八地区を留守にしたのは、いつ以来になるか。


『ティア』をオースター孤児院に連れて行った時以来になるだろうか。


久し振りに見る我が家にも等しい『バーダ』第八部隊の基地は、酷い有り様になっていた。

明らかに戦闘の跡である。


あちこちの窓が割れていた。

壁に穴が空き、そこから覗ける床は、板が捲れ上がっている。

地面の形も変わっているようだ。


主に魔法で破壊されたものだろう。

建物全体に染み着くように残った魔力の残滓を、ストラームは感じ取っていた。

知らない魔力である。


ライアとミシェルが、顔色を変えると、慌てて基地に向かう。


ストラームは落ち着いていた。

少なくともレジィナ、そしてエマとアヴァは無事だろう。

そうでなければ、エスが慌てて戻るよう告げていたはずだ。


建物の中から、複数の人の気配があった。

外へ向けられている視線も感じていた。

敵意のあるものではない。


基地に入る前に、ストラームは辺りを見渡した。


深夜だが、街のあちこちが活発に動いている。


昨日一日の出来事を振り返れば、当然のことなのかもしれない。


街全体で、どれだけの被害が出たことか。


ミジュアの街が落ち着くのは、数日先の話になるだろう。


ライアやミシェルに少し遅れて、ストラームも基地に入った。


事務室でライアとミシェルに事情を説明しているのは、長い黒髪を伸ばした、美しい少女である。


黒いローブを身に纏っていた。


(……ドラウの孫か)


直接会ったことはないが、情報だけは持っていた。


名前は確か、ユファレート・パーター。

ドラウの息子の妻になった女と、よく似ている。


不意に、懐かしさのようなものが込み上げてきた。


あのドラウに、こんな大きな孫ができていたか。

自分も、年老いたわけである。


ライアたちに説明しながら、ユファレートがストラームに頭を下げる。


ストラームは軽く頷いただけで、会話を避けた。


おそらく、ユファレートは自分と話したがるだろう。


彼女は、五年前、ルーアとティアになにがあったか知っている。


ドラウが死ぬ直前に書いた手紙に、そのことは認められていた。


よろしく頼むと添えられていたが、正直どうすればいいのかストラームはわからなかった。


ストラームもまた、深い迷いの中にいる。


レジィナが、奥から現れた。

激闘があったことを物語るように、端整な顔に疲労が濃く出ている。


無事であるという確信はあったが、それでもストラームは安堵していた。

エマとアヴァも、無事なのだろう。


「レジィナ。ルーアの友人たちは?」


端的に、ストラームは聞いた。

感情を込めた会話は、後でゆっくりすればいい。


レジィナも、重要な点だけを返す。


「怪我人は出ていますが、命に別状はありません。治療も終わり、みなさん休まれています。ルーアは……」


「ああ。聞いている」


ルーアは、第九地区に向かっていた。

連れ去られたティアを助けるためである。


危険だが、人質を取られた以上、相手の言う通り動くしかなかった。

そちらは、ルーアを信じるしかない。


援護するにも、ルーアの味方になりそうな者には、ほぼ全員に『コミュニティ』の監視の眼が付いているだろう。


下手に動けば、ティアがどうなるかわからない。

慎重に対応するしかなかった。


だが、すでに動いている者がいた。

あるいは、イレギュラーとなる存在かもしれない。

『バーダ』第一部隊隊長の、ルトゥスである。


普段は単独で行動しない者が、一人でザイアムの元へ向かっている。

イレギュラー以外の何物でもない。


目的が、いまいち見えなかった。

ザイアムと決着を付けたいという理由では、あまりにルトゥスらしくない。


ティアのことは知っていただろうが、その救助のために単独行動しているとは思えない。


裏があるのだろうが、見当を付けるのが難しかった。


ただ、ルトゥスと謂えども、『コミュニティ』の眼を避けながらの移動は困難なはずだ。


ザイアムの元へ向かっているとしても、到着はいつになるのか。


「私も、奥で休む」


告げて、ストラームは事務室を出た。

ユファレートが呼び止めようとするのを感じたが、気付かないふりをした。


ストラームにも、疲れがある。

少し、状況の整理もしたかった。


見張りは、ライアやミシェルがしてくれるだろう。


わざわざ指示を出さなくても、二人ともそれくらいはしてくれる。


上の階で、何人かが目覚める気配があった。

ルーアの友人たちだろう。

基地の主ともいえるストラームの帰還を、感じたのかもしれない。


街のために、協力してくれた者たちだ。

感謝の言葉くらい、伝えるべきだ。

だがそれも、後回しにした。


基地の補修も、後回しである。


隊長室に入る。

基地のあちこちが壊されていても、隊長室は無事だった。


さらに奥には寝室があるが、そちらには向かわず、ストラームは背凭れのある椅子に腰を掛けた。

馴染んだ感触に、気が緩みそうになる。


ゆっくりと、部屋を眺めた。

留守中にもレジィナが清掃してくれていたのだろう、目立った埃などはない。


わずかに感じる眠気を振り払い、ストラームは思案した。


やはり、まずは現状の確認だろう。

今は、事態が刻一刻と変わっている時に違いない。


「エス」


呟くが、現れない。

それを、ストラームは訝しく思った。


エスは、事情がありすぐに呼び掛けに応えられない時は、いつもそれらしき雰囲気を伝えてくるものだ。


廊下を歩き、こちらに向かってくる足音を、ストラームは聞いていた。


(……そういうことか)


部下たちの歩き方の特徴くらい、心得ている。

これは、ライアたちの足音ではない。


時間帯を気にしてか、できるだけ静かに歩こうとし、だが足音を消しきれていない。


歩調だけで、歩幅は大体わかる。

そこから、体格を導きだすこともできる。

これは、ユファレートの足音だろう。

ドラウの孫娘が、こちらに向かってきている。


エスが、呼び掛けに応じないわけである。

彼も、ユファレートと語り合うことを、避けている。


狸寝入りでもしようかという考えが頭を過るが、さすがに意地が悪いか。


それに、遅かれ早かれ、ルーアの友人たちには伝えなければならないことだ。

そう先の話でもないのだから。


ノックされる。年若い女の声。


妙な緊張感を覚えながら、ストラームは返答した。

静かに扉が開かれる。


やはり、ユファレートだった。

ストラーム以上に、緊張しているのだろう。

窓から入り込む月の光が、ユファレートの固い表情を白く照らしていた。


「初めまして、ストラーム・レイルさん。ご挨拶が遅れました。祖父が、生前大変お世話になったと聞いております。ドラウの孫の、ユファレートです」


きちんとした挨拶をしてくる。


きっとこの娘は、死んだドラウの代わりに来たのだろう。

この世界を縛る、破滅と戦うために。


確認し合わなければならない時がきたのだ、とストラームは思った。


◇◆◇◆◇◆◇◆


「まずは、礼を言わせてもらうよ。ありがとう。レジィナに協力してくれた、と連絡を受けている」


そう言って立ち上がると、世界最強と謳われているストラーム・レイルは、いとも簡単に頭を下げた。


その事実に、ユファレートは軽く驚いた。


祖父であるドラウを見ていなければ、もっと驚いただろう。


ストラーム・レイルと同じく『英雄』と呼ばれてきたドラウも、他者に高圧的な態度を取ることはなかった。


「わたしは、その……わたしたちは、当然のことをしただけで……」


上手く舌が回らなかった。

ストラーム・レイルの物腰は柔らかいが、ユファレートは緊張していた。


大きな体をしている。

それに、プレッシャーを感じているのか。


丁寧で穏やかな態度だが、時折鋭い眼光を見せる。


どちらがストラーム・レイルの本質に近いのか、ユファレートには判断できなかった。


「ドラウが」


ストラーム・レイルの口調は、静かだった。

唇の線に、剛直さが見える。


「ドラウが逝った時の様子を、聞いてもいいかい?」


「……穏やかな表情をしていたと思います。わたしたち一人一人に、伝えたいことは伝えられたのだと感じました」


「そうか……」


ストラーム・レイルが、ちょっと窓に眼をやる。


ユファレートは、もどかしく感じた。


ストラーム・レイルは、ユファレートの知らないドラウを知っている。

祖父が若かりし頃、なにを語り、なにを感じてきたか。

興味は尽きない。


だが、今話したいのは、それではないのだ。


「わたしは……」


まったくの気のせいかもしれないが、聞かれるのを拒んでいるような雰囲気が、ストラーム・レイルにはあった。


それでも、聞かなければ。

意を決したその時、ストラーム・レイルが胸の高さで掌を上に向けた。


「ライト」


部屋に明かりを灯してなかったことを、今になって気付いた、というような感じで、無造作に魔法を発動させる。


明らかに手抜きとわかる、適当な魔法の構成。


それなのに魔法の明かりは、部屋の中を的確な光量で照らす。


たった一つの魔法で、わかることがあった。


ストラーム・レイル。世界最強であり、世界最高の魔法使いでもある。

祖父ドラウと比較される話も、よく聞く。


ドラウならば絶対にしなかったであろう、適当な構成による魔法の発動。

それなのに、圧倒するようなものがある。


ドラウとはまた違った意味で、惹き付けるものがある。


比較するのは、そこでやめた。


ドラウとは、タイプが違う。

おそらく、ユファレートが目指すべき魔法使いの姿ではない。


自分よりも優れた魔法使いが、まだまだ世界にはいるということを、しっかり受け止めればいい。


部屋が明るくなったことで、話しにくさをユファレートは感じた。

機先を制された気分なのだ。


それでも、聞かなければならない。

そのために、ここを訪れたのだ。


「祖父から、五年前にティアとルーアになにがあったか、聞きました。このままだと、二人とも救われない」


ストラーム・レイルは無言だったが、微かに口を動かした。


こっそり溜息をつこうとしたのかもしれない。


「ぶしつけな質問になりますが、お願いします、教えてください。どうすれば、ルーアを助けることができますか?」


ストラーム・レイルは、無言のまま椅子の背垂れで手遊びをした。


しばらくしてまた腰掛けると、大きく息を吐き出した。


「君の質問の意味が、私にはよくわかる。嫌になるほどね。だがその質問は、私よりもエスの方が、詳しく答えられると思うが」


「このことを聞こうと、何度か呼びました。でも、反応してくれません。わたしのことを、避けているみたいなんです」


「そうだな。あいつは、そういう奴だ」


鷹揚に、ストラーム・レイルは頷いた。


「普段はやたらと偉そうなくせに、いざとなると逃げ回る卑怯者だ。臆病で、腰抜けで、まともに会話もできないような小心者。器が小さく、無責任でどうしようもない……」


「もういい」


エスが、現れた。

いくらか呆れたような様子を見せている。


「まったく、君は……」


ストラーム・レイルは、椅子の上で腕組みをした。

そうすると、腕の太さに驚かされる。

腕だけを見ると、老人だとは思えない。


「エス、話してやれ。彼女のことを、認めているのならな。ドラウの後継者となれる、数少ない人材だろう?」


「……認めているとも」


「ユファレート。エスが君の質問に答える前に、確認したいことがある」


「……なんでしょうか?」


「君が実際に、どこまで理解しているのか、だ」


「……」


ドラウは、ほぼ全てのことを、ユファレートに話してくれたのだろう。


だが、ドラウが全てを知っていたとは限らない。

誤った知識を身に付けていた可能性もある。

それは、否定できない。


「君は、ルーアの中にある力を、知っているのかい?」


「……彼が十一の時に、『コミュニティ』により植え付けられた力があると、聞いています。力の名称は、『ルインクロード』。元々は、『コミュニティ』のボスが持つ力だと。ルーアは、その被験者にされた」


「では、なぜルーアが選ばれたか」


「それは……」


ユファレートが言い淀むと、ストラーム・レイルは軽く肩を竦めた。


「ルーアの魔力が、『ルインクロード』とよく馴染む性質だからだよ」


「……馴染む? ルーアが、特別ということですか?」


「そうではない。個性、というのが正しいかな。攻撃魔法が得意な者もいれば、防御魔法が得意な者もいる。剣を使う者がいれば、槍を使う者もいる。背が高い者がいれば、低い者もいる。野球が好きな者がいれば、サッカーが好きな者もいる。外で体を動かすよりも、屋内で本を読む方が好きだという者もいるだろう。そういった、個性の一つだよ」


「ルーアの魔力は……」


「『ルインクロード』に向いた魔力だった。そして、『コミュニティ』のボスも」


ユファレートは、一旦眼を閉じた。


そんな理由で、ルーアは実験体にさせられたのか。

人生を、狂わされたのか。


「もっとも、ルーアの魔力は、『コミュニティ』のボスの魔力と比べると、小さなものだったが」


ユファレートが眼を閉じている間も、ストラーム・レイルの話は続いていた。


「『コミュニティ』のボスより小さな魔力のルーアに、『ルインクロード』の力を宿らせる。その実験の意図は……」


「……なるほど。成功すれば、ルーアよりも強い魔力を持つ『コミュニティ』のボスは、今までよりも大きな『ルインクロード』を手に入れられる可能性がある、という証明に繋がりますね」


ストラーム・レイルが、片方の眉を小さく上げる。


「驚くだろう、ストラーム・レイル? 彼女の、魔法や魔法に準ずることについての知識や理解力、閃きや発想は、天性のものだよ。ドラウ・パーター以上のものかもしれない」


黙っていたエスが、口を開く。


褒められて悪い気はしないが、それよりも今は話を聞くことの方が大事だった。


「『ルインクロード』と馴染む魔力ということですけど……」


エスが、手を拡げる。


「そうだ。『ルインクロード』と人の体を繋げるためには、魔力が必要になる。それは『ルインクロード』が、魔法と近しい力であるということなのだがね」


人は、魔力により魔法を使う。

魔力を魔法に変え、制御する。


『ルインクロード』も、同じようなものなのかもしれない。


「では、次だ。魔力とはなにか、わかるかね、ユファレート・パーター?」


「それは……生まれつき素質ある者に宿る……」


教科書通りのことを言おうとしたユファレートに、エスはかぶりを振った。


「私が聞きたいのは、そういうことではない。なぜ、一部の人の中に、魔力があるのか、ということを聞きたいのだよ」


「それは……」


考えたのは、束の間だった。


「……わかりません」


素直にユファレートは認めた。


誰もが正確なことはわからない。

だから、憶測で語るしかない。


ただ、真実を知る例外はいる。

それは、魔法が生まれた時代を生きた者と、その者から真実を聞かされた者である。


エスが、語る。

ユファレートに、真実を聞かせるために。


「約七百年前に、世界は変わった」


「はい」


約七百年前。どこまで正確か不明だが、七百二十一年前だと伝えられている。

世界は、滅びかけた。


その時までを生きた人類は、旧人類と呼称されている。


旧人類と現人類の大きな違いの一つが、魔力の有無だろう。


旧人類には、魔力を持つ者がいなかった。


「それは違う」


ユファレートの思考を読んだか、エスが言った。


「旧人類にも、魔力を持つ者がいた」


「……『最初の魔法使い』ですね」


実在したかどうか定かではない。


実在したのだとしたら、歴史上最初の魔法使いとなる。


だから、『最初の魔法使い』。『ルーンユーザー』という呼称もある。

他にも、様々な呼び名があった。

正確な名前は、伝説の中にも残っていない。


「『最初の魔法使い』。いや、『最初の魔法使い』たち、と言うべきか」


「……たち?」


『最初の魔法使い』と呼ばれる者が、複数いたということだろうか。


興味が湧くが、ユファレートが聞く前に、エスは話を続けた。


「彼女は、変わりゆく世界に順応できず、滅んでいく人類を嘆き、憐れんだ。変わった世界の空気は、人類にとっての毒だったのだよ。彼女は人類に力を分け与えた。新しい空気への耐性を持つ力、魔力を」


「……それが、現人類の始まり。そして、魔法使いの始まりなんですね」


エスが、眼を瞑る。

しばらくそのまま、動こうとしなかった。


「……エスさん?」


「……私は、彼女のことを『最初の魔法使い』と言った。だが、それは便宜的なものだ。彼女のことをどう呼ぶべきか、私には決められない」


「……どういうことですか?」


「彼女は、元々はただの人間だった。だが、ある出来事により、魔法のような力を得た。魔法使いにさせられた。……いや、『天使』に、させられた」


「『天使』?」


『悪魔』と並ぶ、古代の兵器。それが『天使』。

ドラウからは、そう教えられた。


ユファレートは、混乱しかけているのを自覚した。

エスに言われたことを、反芻していく。


「現人類は、『最初の魔法使い』に力を分け与えられた。『最初の魔法使い』は、『天使』だった。……じゃあ、今の魔法使いは、『天使憑き』ということですか?」


「どうだろうな。彼女から力を分け与えられた者たちは、『天使憑き』と呼ぶべき存在なのかもしれない。だが、彼らから生まれた者に宿る魔力の質は、明らかに『天使憑き』とは違うものだった。人間としての魔法使いの誕生の瞬間なのかもしれない」


「……『天使憑き』と、今の魔法使いは違う……?」


魔法使いは化け物ではない、と言われているような気がした。


どうでもいいようなことである気もする。


普通に生活している魔力のない人々にとって、魔法使いは化け物のような存在なのかもしれないのだから。


ティアのことを、ドラウに教えられた。

そして、ユファレートはティアのことを、化け物だと思ったことはない。


「……魔法使いと、そうじゃない人がいるのは……」


「君も知る通り、魔法使いの子が、必ず魔力を持って生まれるわけではない。だが、毒となった空気への耐性は持って生まれたのだろうな。そして、時間の経過と共に、毒も薄れていった。魔力を持たない者でも生きていけるのは、そういう理由だよ」


エスが、ある方向に眼をくれた。

きっと、ミジュアの第九地区の方向だろう。


瘴気が満ちるそこは、七百年前の毒の空気に包まれた世界と、同じ環境なのかもしれない。


「さて、長くなってしまったが、ここからが本題だ。『ルインクロード』について語ろう。ルーアと、ティア・オースターについても」


エスが、なにかを抱き留めるように、また腕を拡げる。


ユファレートは、唾を呑み込んだ。


「はっきり言おう。『ルインクロード』とは、『天使』と『悪魔』を人間の魔力で繋ぎ止め、人の肉体に留めることにより生まれる力のことだ。もしくは、その力の持ち主のことを指す。これは君も、ドラウから聞いているはずだ」


「……じゃあ、『ルインクロード』は、ルーアは……」


「『天使憑き』であり、同時に『悪魔憑き』でもある、と言えるかもしれない。言えないかもしれない」


「……え?」


「これまでの旅を振り返ってみたまえ」


エスが、腕を下ろす。


「君と、君の友人たちが、旅の中で相対し、戦ってきた『悪魔憑き』十四名、『天使憑き』二名。その中に、どう足掻いても君たちの手に負えない者はいたかね?」


「それは……」


いなかった。

確かに手強い者が多かったが、ただの人間の魔法使いでしかないユファレートやシーパル、ただの人間の剣士でしかないテラントやデリフィスに、絶対に倒せないというほどの者は、いなかった。


「その程度なのだよ、『天使憑き』も、『悪魔憑き』も。仰々しい呼称だがね。なぜなら、彼らに宿り同化したのは、『天使』や『悪魔』の、ほんの一部だけなのだから。逆に言えば、それ以上の力は、人の内に留められないということでもある」


「『ルインクロード』は……」


「そう、『ルインクロード』は違う。『天使』や『悪魔』の力を、そのまま入れ込む。それどころか、『天使』と『悪魔』は、人の内側でその力を肥大させる」


「なんで……」


「なぜ、人体は、ルーアの肉体は耐えられるか。『天使』と『悪魔』が奇跡的に全くと言っていいほど、同一の総量のエネルギーの時にのみ見られる現象が、二つある」


「……」


頭がくらくらする。

ユファレートは必死に、エスの解説に付いていった。


「まず一つは、互いが敵対すること。睨み合い、牽制し合う。だから、彼らの力は、人体の破壊、ルーアの破壊に向かわない」


「……もう一つは?」


「互いに、競い合うように力を増大させていくこと。これにより、『ルインクロード』は『天使憑き』や『悪魔憑き』では比較にならない、巨大な力となる」


「……」


「五年前、ルーアは同じく『ルインクロード』である、『コミュニティ』のボスと戦った」


「ルーアは、勝った……」


「と言うよりも、『コミュニティ』のボスが、自ら敗北を選んだのだがね。彼は、より巨大な力を持つ『天使』と『悪魔』を取り入れ、だが押さえきれず、ルーアと戦う時にはすでに、肉体の崩壊が始まっていた」


「その時の肉体では、『器』では、『ルインクロード』を留められなかった……」


その意味を、ユファレートはよくわかっていた。

だから次に、ハウザードが選ばれたのだ。


エスが頷く。


「『コミュニティ』のボスは肉体を捨て去ることを決め、ルーアに勝利を譲った。だが……」


ユファレートは、汗を掻いていた。


エスは、淡々と続ける。


「勝利を譲られたとはいえ、ルーアの被害も甚大だった。ルーアの『ルインクロード』、彼の中の『天使』と『悪魔』も、その力のほとんどを失った」


「けど、そんなことよりも……」


「そうだな。なによりも彼を悲しめたのは、家族同然である『ティア』の死だろう。『コミュニティ』のボスは力を押さえきれず暴走させ、ミジュアの第九地区は崩壊した。多くの住民と同じように、『ティア』も死亡した」


「……」


次にルーアがしたことを、ユファレートはすでに知っていた。

そして、理解もできた。

ユファレートも、ハウザードを救うためならば、なんだってしただろう。


「『ティア』の死を受け入れきれなかったルーアは、ある奇跡を起こした。ほぼ脱け殻となった『天使』のほんの一部を、一粒を切り離し、壊れた『ティア』の肉体に移植した。一粒は『ティア』の肉体と同化し、再生させた。心臓を再び鼓動させ、『ティア』を目覚めさせた。全てを忘れた、ティア・オースターとして」


「……奇跡、なんですね」


魔力がなければ、人の肉体に『天使』の一粒は癒着しないはずだ。


魔力のない者に『天使』や『悪魔』を埋め込んでも、肉体が拒絶する。


フニックの恋人であるカレンが、そうだった。

『悪魔』に侵食された腕をデリフィスが斬り落とすことにより、彼女は助かった。


今、ティアは『天使』の一粒に肉体を奪われることもなく、生きている。


だから、ルーアがしたことは奇跡と言えるのだろう。


「七百年前に、『最初の魔法使い』である彼女が、人類に起こした奇跡と同じだよ。『天使』の力を、分け与えた。この辺りに、女性の方が男性よりも他者の魔法を受け入れやすい理由があると、私は思っているが」


治癒の魔法などは、対象が女性の方が、効果が大きいと言われている。

確かにそうだと、ユファレートも思っていた。


「君たちの魔法は、元々は一人の女性から分け与えられた力だ。だから、同じ女性の方が馴染む、と私は考えている。確定できることではないがね」


そして、エスはわざとらしく、咳払いを一つ入れた。


「話を戻そう。さて、ティア・オースターの中にある『天使』の一粒だが、今のところ問題はない。いくらか予想外のことはあるがね」


「『ヴァトムの塔』の力を、吸収した……」


「そうだな。おそらく、ルーアの中にあった時に、極限近くまで力を膨張させた名残だろう。『ヴァトムの塔』の力さえも取り込み、以前の状態を取り戻そうとした」


「……大きな力だと思います。でも、ティアの肉体はそれを押さえきれてますね?」


「すでに、『天使』の一粒というよりも、ティア・オースターの一部なのだろう。細胞一つ一つとさえ同化している。ティア・オースターの肉体を破壊するという行為は、自身を傷付けるも等しい」


「……ティアは、大丈夫なんですね? 『天使』の一粒に、殺されることはない。だったら、やっぱり……」


「問題は、ルーアにあるな」


ルーアにある『ルインクロード』、『天使』と『悪魔』。

これが、ティアとルーアを苦しめることになる。


「……ルーアは」


「ルーアの中の『天使』と『悪魔』は、その力のほとんどを失った。だが、完全に消滅することもなかった。少しずつ、力を取り戻している。敵対し合い、牽制し合いながら、全く同じペースで」


「……」


「時に、大きく力を取り戻すこともあった。オースター孤児院を巡る攻防で、ザイアムと対戦した時。『百人部隊』副隊長イグニシャ・フラウ、及びその部下との戦闘。『ルインクロード』は強く覚醒し、ルーアの肉体を復元させた。蘇生に近いことさえ行った」


「『天使』も『悪魔』も、力を取り戻していく。だけど……」


「最高潮の、一歩手前までだ。そこで、奇跡的に成り立っていた均衡は、崩れ去る。なぜなら、ルーアの『天使』は、一粒欠けているのだから。『悪魔』は『天使』を凌駕する。『天使』を破壊するだろう」


「……ルーアは、どうなりますか?」


「もちろん、極限まで膨張した『悪魔』を、同じく膨張した『天使』無しに押さえ込むことなどできない。ルーアの肉体は崩壊するだろう。死を迎えるということだ」


「それは……」


眼を閉じる。

そのまま聞いた。


「それは、いつのことになりますか……?」


「一年後か、一年半後というところか」


無情にも、エスが告げる。


「一定のペースではない。だから、正確な日数は判明しないが。少なくとも、二年は持たないだろう」


「たった、一年……」


呆然と、ユファレートは呟いた。


「一年経たずとも、過去に二度あった時のように『ルインクロード』が発動すれば、『天使』と『悪魔』は大きく力を取り戻すことになる。それにより、さらにルーアの時間は短くなるだろう」


「……『ルインクロード』が、あと何回発動したら、ルーアは……」


「四回、多くて五回」


眼を開いた。

代わりのように、唇を噛んだ。

呼吸が苦しい。


このままだと、遠くない未来にルーアは死ぬ。

それは、なにもしなければの話だ。


きっと、なにか手段がある。

ルーアを助けるための、なにかが。


真実を知れば、ティアはきっと、自分を生き返らせたせいでルーアは死ぬのだと思うだろう。

ティアもルーアも、救われない。


「……ルーアを助ける方法を、教えてください」


「理論的にはある。だが、実践することは、ほぼ不可能だろう」


「理論的には、あるんですね!?」


ユファレートは、エスに飛び付きそうになっていた。

希望は、まだ残っていた。


「一体、どうすれば……! 教えてください!」


「ルーアの『天使』は、一粒欠けている。その欠けを、ぴったり埋めればいい。少しでも誤差があれば、やはり均衡は崩れる」


「欠けを、ぴったり埋める……それって……」


「方法は、おそらく一つ。ティア・オースターの中にある『天使』の一粒を、なんらかの手段でルーアに返せばいい」


「……そうした場合、ティアはどうなりますか……?」


「わからないかね? 『天使』の一粒は、ティア・オースターの細胞一つ一つと同化したと言った。それにより、死んだはずの『ティア』は、ティア・オースターとして生きている。『天使』の一粒を失えば、当然ティア・オースターは死ぬことになるだろう」


「……っ!」


ユファレートは、また唇を噛んだ。

血の味がした。


このままだと、ルーアが死ぬ。

助けられるとしたら、ティアだけ。

だが、ルーアを助ければティアが死ぬ。


どちらも、ユファレートが望む未来ではない。


「ティアもルーアも助かる方法を教えてください!」


堪らず、声を荒らげた。


同じ建物の中にいるみんなにも、聞こえてしまったかもしれない。

それくらいの声量で。


エスが、沈黙する。


「……なんで、なにも言ってくれないんですか……。わたし、お祖父様に聞きました。あなた以上に、知識がある者もいないって。そのエスさんが教えてくれないなら、それは……」


泣きそうになるのを、ユファレートは感じた。


本当に、ティアもルーアも救われる未来は、存在しないのか。


「エス」


しばらく黙って話を聞いていたストラームが、口を開いた。


「マーシャの件は、どうなった? まだ、詳細を聞いていないが」


(……マーシャ?)


どこかで聞いた名前だ。

だが、誰のことか思い出せない。


エスは、ストラーム・レイルを一瞥した。

またすぐに、ユファレートに視線を戻す。


「ティア・オースターの肉体を、細胞単位にまで分解させる」


「……え?」


「そして、細胞一つ一つの遺伝情報を、『天使』の力を必要としない状態へと書き換える。同時に、『天使』の力を抽出し、ルーアへ移植する」


「……」


「その後、また細胞を結合させる。一連の作業を、死んだことを知覚できないほど一瞬で行えば、理論的にはルーアもティア・オースターも救える可能性がある」


「……そんなこと……」


どう考えても、不可能だ。


「そう、不可能だ。唯一、マーシャには可能性がある。……あった」


「マーシャ……」


「覚えていないかね? 君は、『火の村』アズスライで会っている。彼女の保護者である、テイルータ・オズドとも」


「あっ……!」


ようやく、ユファレートは思い出した。


『火の村』アズスライ。ドラウが、最期の地に選んだ場所である。

そこで出会った青年と少女。


その二人の名前が、テイルータ・オズドとマーシャだった。


「……あの子に、そんな力が……?」


深く関わったとは言えないため、マーシャのことを詳しくは知らない。


ユファレートには、ただの子供にしか見えなかった。


「クロイツは、彼女の能力を、神に次ぐ力と評価していたな。底知れない、そして解析不能な力だよ。奇跡とも取れる現象を、彼女は起こしてきた」


「……奇跡」


「死者を、一時的に蘇生させたこともあった。無から有を生み出すこともあった。有を無に帰すこともした。彼女の能力ならば、ルーアもティア・オースターも救えたかもしれない」


「……それなら……それなら……マーシャに頼めば……!」


「だが、彼女の能力は、失われてしまった」


「……え……?」


「間違いあるまい。親愛するテイルータ・オズドの命の危機にさえ、マーシャの能力は発動しなかった。彼女は、自身の肉体を、能力の無い状態に作り替えていた」


放心して、ユファレートは床に膝を付いた。


わずかに見えたかに思えた希望は、一瞬にして打ち砕かれた。


「……マーシャと、同じ能力を持つ人は……?」


「いない。今後、現れることも、まずないと思われる。マーシャの能力は、それくらい特別なものだった。クロイツも、同じような判断をしただろうな」


ユファレートは、俯いた。

しばらく、声も出せなかった。


ストラーム・レイルが椅子を軋ませる音を聞き、ユファレートは顔を上げた。


「……ストラームさん」


「……なんだい?」


「……ストラームさんは、このこと知ってましたよね……?」


「……そうだね。知っていたよ」


「だったら、なんでルーアを弟子にしたんですか!? 『コミュニティ』との戦いに巻き込んだんですか!? 戦い続ければ、勝てない相手にも出会う! そうなったら、ルーアは『ルインクロード』を使う! ルーアの時間は、もうほとんどないのに……」


「ユファレート・パーター」


エスが、静かに口を挟む。


「その件でストラーム・レイルを責めるのは、筋違いというものだ。ストラーム・レイルの弟子になることを、ルーア自身が望んだ。『コミュニティ』が、ルーアのことを放置するはずがない。これは、避けられなかった事態なのだよ」


「……」


わかっている。

ストラーム・レイルは、なにも悪くない。


ストラーム・レイルや『バーダ』第八部隊に守られていなければ、ルーアは『コミュニティ』に、殺されるか捕らえられるかしていただろう。


『コミュニティ』と戦う術を、ストラーム・レイルはルーアに教えた。


それでも、ストラーム・レイルを批難した。

みっともなく、ヒステリーを起こした。

感情の制御ができなかった。

頭の中は、ぐちゃぐちゃである。


「……すみません」


なんとか、ユファレートは立ち上がった。


ストラーム・レイルにもエスにも、眼を合わせられなかった。


「ルーアには、すまないことをしたと思っている。あいつの状態を知りながら、私には助ける術を見付けることができなかった」


自分を責めることで、ユファレートの慰めにならないかと、ストラーム・レイルは思っているのかもしれない。


なにも言えず、ユファレートは二人に背を向けた。

よろめきながら、隊長室を後にする。


(……まだよ)


暗い廊下で、ユファレートは自身に、必死で言い聞かせた。


まだ、一年もある。

きっと、あるはずなのだ。

ドラウにも、ストラーム・レイルにも、エスにも見付けられなかった、ティアもルーアも救われる未来が。

諦めるのは、まだ早い。


廊下に、明かりは灯っていない。

進む先は真っ暗であり、なにも見ることができなかった。

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