一人征く
ルーアが第八地区の警察署に到着した時、辺りは薄暗くなっていた。
破壊された『バーダ』第八部隊基地に残されたメモに従い、移動した。
先を行くテラントには、随分離されてしまっただろう。
途中で、負傷した住民の治療や、警官隊に協力して『コミュニティ』の兵士を捕縛していたのである。
ストラームの知名度もあり、『バーダ』第八部隊のことを知る住民は多い。
正式には除隊処分となっているが、黒いジャケットを着ているルーアの姿は、住民にとっては『バーダ』の隊員でしかないのだろう。
急いでいたが、子供の怪我を治してくれとすがられると、無下にできなかったのである。
警官たちの中には、ルーアのことを知る者もいた。
『バーダ』に対抗意識を持つ者は多いが、中には友好的な者もいる。
通り掛かりに受けた、テロリストを取り押さえるためという至極真っ当な救援依頼は、やはり断れなかったのである。
警察署には、レジィナとユファレート、エマとアヴァがいた。
四人とも無事だった。
だが、ルーアが事情を聞き終えた頃に警察署に戻ってきたテラント、デリフィス、シーパルは、それぞれ負傷していた。
特に、シーパルは自分の足で立てないほどである。
そして、ティアがいない。
「……そうか」
今度はデリフィスたちから話を聞き、ルーアは呟いた。
ティアが、クレア兄弟に捕まった。
それを聞いても、腹が立つことはなかった。
仲間たちのことを、腑甲斐無いと思うこともなかった。
デリフィスに起きた不運はシーパルから、シーパルに起きた不運はデリフィスから聞いた。
二人とも言い訳にしようとはしなかったが、明らかに運に見放されている。
それなのに、互角に近い戦いをしたのだ。
その場にいた兵士はすべて倒しているし、ステヴェ・クレアには重傷を負わせている。
ティアが連れ去られたという結果が残ったが、誰一人手を抜いた者はいないだろう。
ただ、どうしようもない戦いの流れが、クレア兄弟に味方したのだ。
ザイアムは、ルーアだけに来るように言っている。
そして、ティアが人質になっているのだ。
行かないわけにはいかないだろう。
「それにしても、これで何度目だ。捕まり属性め」
「なにふざけてるのよ!」
ユファレートは、真っ青になっていた。
「わたしも行くわ、ルーア。ティアを助けなくちゃ」
「話聞いてただろ? それだと、オースターが殺される」
ルーアは、『バーダ』のジャケットを脱いだ。
襟のところが曲がり、そのため違和感があったのだ。
指で、皺を伸ばしていく。
レジィナは、静かにルーアを見つめていた。
「一人で、大丈夫?」
「なんとかする。レジィナはユファレートと一緒に、みんなの治療をしてくれ」
「……わかったわ」
「治療が一段落付いたら、基地に戻るがいい。ミジュアにいる『コミュニティ』に、基地を襲うだけの余裕はもうない。それに、間もなくストラームたちが帰還する。ここよりも安全になるはずだ」
現れたエスが言った。
ソファーに寝転がる娘たちの髪を撫でながら、レジィナが頷く。
ルーアは、ジャケットの袖に腕を通した。
この黒のジャケットは、『バーダ』の隊員であることを示す。
ワッペンが剥がされていても、除隊処分になっていても、きっとそれは変わらない。
住民たちに頼られ、警官隊に協力を求められたのが、その証明ではないのか。
『バーダ』。戦時には軍になり、平時には警察となる、リーザイ王国の特殊部隊。
国のために戦い、街の治安を守るために力を奮う。
ジャケットを着込む。
心に、一本芯が通ったような気がする。
『バーダ』第八部隊隊員。それは、特殊部隊という看板を隠れ蓑に、ストラームとランディが『コミュニティ』に対抗するために育てた者たち。
ミジュアの混乱にも、『コミュニティ』にも、ルーアが真っ先に立ち向かわなければならないはずだった。
今日一日を振り返る。
囚われの身となったティア以上に戦ったか。
テラントやデリフィスやシーパル以上に、傷付いたか。
ユファレート以上に魔法を使ったか。
みんな、『バーダ』隊員であるルーア以上に、この街のために戦った。疲弊した。
ここからは、自分が戦う。
剣の位置を確かめる。
いつも通り、左手ですぐ抜ける位置に背負っている。
住民の治療に魔法を使ったが、ほとんど回復していた。
万全に近い状態。
「……よし」
「……ルーア。ティアを、お願い」
「ああ」
自分で驚いてしまうほど、落ち着いていた。
それは、ルーアよりもユファレートが動揺を顕にしているからかもしれない。
あまりにも不利な状況に、開き直っているからかもしれない。
「……強いぞ。けど、まあ、任せる」
「ああ」
「勝て」
「ああ」
「僕は、なにも心配していません。ルーアがティアを助け出してくれると信じています」
「ああ」
テラントとデリフィスとシーパルに、頷いていく。
「ルーア、気を付けて」
「ああ」
レジィナは、感情をあまり表情に出さない。
それでも、心配してくれているのは伝わる。
みなに見送られながら、ルーアは部屋を出た。
警察署の廊下を進んでいく。
何度か訪れたことのある場所だった。
思考を働かせていても、道を間違えることはない。
考えるのは、敵のこと。
そして、これまでの旅のこと。
戦いのこと。
(……恵まれていたんだなぁ、俺は)
前には、テラントやデリフィスがいた。
後ろには、シーパルやユファレートがいた。
強敵だと警戒していた相手を、ティアが倒してくれたこともある。
一人きりで戦わなければならないことは、数えるほどしかなかったのではないか。
『コミュニティ』という巨大な組織を敵にした旅で、誰一人欠けることがなかった。
ルーアを、孤独にしないでくれた。
だからこそ、これから始まる戦いに挑めるのだ。
警察署を出た。
足は、自然とある方向に向いた。
(こっちだよな?)
胸中で問い掛けるが、返答がなくても良かった。
ティアを捕らえたクレア兄弟は、ザイアムの指示で動いている。
ザイアムは、ルーアだけに来るよう言い、待ち受けている。
ならば、ザイアムがどこにいるか、ティアがどこに連れていかれるのか、決まっている。
崩壊した、ミジュア第九地区。ルーアが、ザイアムや『ティア』と暮らした、あそこしかない。
『君の推測通りだ』
姿はないが、エスの声が聞こえた。
『クレア兄弟は、軍や警察をかわさなけらばならない。第三地区で追い付けるだろう』
第八地区を西に行けば、第三地区だった。
さらに西に進めば、第九地区である。
(エス、お前……)
聞こうとして、やめた。
どうせ、まともな返答は得られないだろう。
みんなの話によれば、エスはやたらと、クレア兄弟との戦闘にティアを参加させたがったらしい。
デリフィスは同行を認めなかったが、次に警察署に現れたテラントは、ティアを連れていっている。
時間の経過と共にティアの負傷の状態が良くなったというのもあるが、エスの後押しがあったというのが、最も大きい理由だろう。
ティアでは、クレア兄弟の相手をできるわけがなかった。
戦闘に加わらなければ、人質になることもなかった。
エスの後押しが、現在の状況を作った原因の一つでもある。
エスのことだ。
この展開を、まったく予測できなかったということはないだろう。
なにか企んでいないか、という疑念があった。
それも、ティアが犠牲になるような企みである。
根拠はないが、予感はあった。
問い詰めても無駄になるとわかっている。
それでも、エスの企みのせいでティアが死ぬようなことがあれば、許すつもりはなかった。
それ相応の報いは受けてもらう。
剣も魔法も通用しないことは、関係ない。
『ザイアムは、一人でバルツハインス城に乗り込んだ』
ルーアの思考を読めていないのか、読めていても意に介していないのか。
エスが、ザイアムのことを語る。
『ルトゥス率いる『バーダ』第一部隊、親衛隊、城の警備隊、ストラームもいた。だが、誰一人として、ザイアムにかすり傷一つ付けることもできなかった』
(ああ、そうかい)
『この国の最大戦力とザイアムは互角に戦い、堂々と撤退した。君も、彼と同じような戦いに挑む。たった一人で、大勢を相手にしなければならない。もっとも君の敵は、ザイアムが相手にした戦力と比べれば、小さなものだが。唯一、クレア兄弟の背後にいる、ザイアムだけを除いてはな』
(……)
クレア兄弟。
兄のイアン・クレアはシーパルやユファレートに、弟のステヴェ・クレアはテラントやデリフィスに匹敵する。
兵士も引き連れていると考えた方がいいだろう。
ルーアが、これから戦わなければならない者たちである。
あるいは、ザイアムとも戦うことになるのかもしれない。
『さて、私が言ったことを覚えているかね?』
(……ザイアムを超える力を手に入れろ。確か、そんなことだったな)
『そうだ』
(そんなもん、都合良く手に入るかよ)
『ならば、私は君を切り捨てることになる』
(知るか、お前の都合なんかよ。お前のカードになったつもりもねえよ)
ザイアムは、超人だ。
化け物で、最大最強だ。
ザイアムを超える自分を、想像することはできなかった。
(……それでも、言っておくぞ、エス)
『なにかね?』
(俺は俺だ。ザイアムにはなれない。ストラームにもな。凡人でしかない俺の力で、戦うさ。必要なら、ザイアムともな。勝敗は……知らねえよ。けどな……)
ミジュアの空は、暗くなっている。
特に、西は暗い。
第九地区を侵す瘴気は、空さえも変える。
昼間でも、晴れ間が見えることはない。
鈍色の空となる。
あの空の下で、戦うことになるのか。
師のようであり、父のようでもあるザイアムと。
未熟な弟子として。弱い子供として。
勝算など見えない。
それでもだ。
(……オースターだけは、助け出してみせるさ)
ザイアムのような超人ではない。
凡人に過ぎないのかもしれない。
それでも、積み重ねたものがある。
培ってきたものがある。
それは、例え凡人だとしても誇るべきものだ。
その力で、ティアだけは助けてみせる。
まずは、速やかな移動手段を見つける。
西へ駆けながら、ルーアは馬車や馬屋を探した。
◇◆◇◆◇◆◇◆
ティア・オースターを捕らえて、連れてこい。
ステヴェは、そういう指令をザイアムから受けたらしい。
まったくの初耳だった。
イアンが受けた指令は、第八地区を混乱させることだけである。
納得できなかった。
極秘の指令があることについては、良い。
だがなぜそれを、ステヴェに託す。
ザイアムには、話した。
イアンたちの兄であるフロリンを殺したことで、ステヴェはザイアムを恨んでいることを。
極秘の任務を与えるなら、ステヴェではなく、自分を選ぶはずだ。
イアンは、フロリンが殺されたことについて、ザイアムを恨んでいないのだから。
ただ畏怖するだけで、復讐など考えたこともないのだから。
これは、裏がある。
ステヴェを問い詰めると、白状した。
ザイアムが語ったらしい。
ザイアムの殺し方を。
ティア・オースターを人質にし、『ダインスレイフ』を捨てるように要求すればいい、と。
ティア・オースターは、ザイアムにとって娘のような存在なはずだ。
本当に、『ダインスレイフ』を捨てるかもしれない。
それなら、確かにザイアムを殺せる可能性はある。
『ダインスレイフ』は、最大の攻撃であり、最大の防御でもあるのだから。
素手のザイアムなら、そしてステヴェなら、ザイアムを殺せるかもしれない。
だが、異常な話だ。
自分のことを憎んでいる相手に、自分の殺し方を教える者が、どこにいる。
ティア・オースターを人質にすれば、殺せる。
そんなことを言われれば、ステヴェはなにがなんでもティア・オースターを捕らえようとするだろう。
そして、ザイアムの前に生きたまま連れていく。
それが目的ではないか。
なんらかの理由で、ザイアムはティア・オースターを必要としているのではないか。
そして、自信があるのだ。
素手であっても、人質を取られていても、ステヴェに負けないという自信が。
このまま、ステヴェをザイアムの元へ向かわせるわけにはいかない。
ザイアムを殺せる可能性は、ある。
だが、分が悪い。
負傷した左腕は、しばらく使い物にならない。
やはり、ザイアムと戦わせるわけにはいかない。
第九地区に向かっていた。
そこに、ザイアムはいる。
そして、ルーアに追われているはずだ。
追い付かれる、とイアンは判断した。
軍や警察の眼をかわしながらの移動であり、思うように進めていないのだ。
『バーダ』第八部隊に所属していたルーアは、ほとんど障害なく追ってくるだろう。
それに、エスがいる。
ルーアは、最短距離を進める。
戦うべきだ、とイアンは考えていた。
それも、死闘であればあるほど良い。
途中でイアンたちと合流した兵士は、十八人になっていた。
ルーアはたった一人で、イアンたち二十人と戦うことになる。
まともに戦えば、死闘になるはずもない圧倒的な戦力差である。
だから、ルーアに上手く戦わせなければならない。
戦闘になれば、ステヴェと兵士が前に出ることになるだろう。
イアンは後方で援護をすることになるはずだ。
そこで、巧妙に匙加減をしなければならない。
下手な援護をして、苦戦するようにしなければならない。
そして、死闘の果てにステヴェを勝たせるのだ。
目指すのは、精も根も使い果たすような勝利である。
ステヴェが、ザイアムに挑む気力さえも失うような、ぎりぎりの勝利。
それなら、復讐は次の機会に、とステヴェは考えるかもしれない。
ザイアムとの衝突を、回避できる。
混乱する街を、上手く移動できていた。
気を失ったままのティア・オースターは、たまたま途中で拾った荷車に乗せてある。
手足を、魔法で拘束していた。
得意な魔法ではなく、いつまでも強度を保てない。
約五分ごとに魔法をかけ直していた。
荒縄でもあればと思うが、探す余裕はない。
そこここで、軍や警察の眼が光っている。
とにかく、早く第九地区まで行くことだ。
崩壊した地区である。
瘴気が充満した地であり、人の姿はない。
そこなら、ルーアも全力で戦える。
死闘に持ち込めるというものだ。
封鎖されている地域である。
高い柵と、明かりの灯る軍の詰所が見えてきた。
ここまでは、軍や警察との戦闘は避けられていた。
一度だけ、戦うことになる。
余計な犠牲は出したくない。
死闘にするのは、この次の戦いだ。
一点突破し、駆け抜ける。
第九地区に足を踏み入れるのは、軍も躊躇うだろう。
兵士たちに、戦闘態勢を取らせる。
そしてイアンは、指示を出していった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
意識を取り戻しても、ティアは眼を開かなかった。
なにかに引っ掛かったのだ。
懸命に、気絶している振りを続けた。
それは、ティアにとって会心の演技だった。
周囲に、何人もいる気配。
馴染みのない声が聞こえる。
なにが起きたかを、必死に思い出した。
テラントと共に、クレア兄弟の元に向かったのだ。
ティアたちが到着した時、すでに戦闘は始まっていた。
シーパルは倒れ、デリフィスも怪我をしていた。
二人のために突っ込んだテラントも、魔法で撃たれた。
向かってくるステヴェ・クレアの姿を思い出す。
左腕から血を垂れ流し、鬼気迫る表情だった。
身震いしそうになるのを、堪える。
意識があることが、ばれてしまう。
押し倒され、首を絞められたのだ。
思い出すと、首が痛むような気がした。
それで、気絶してしまったのだろう。
今は、クレア兄弟に捕らえられ、連れていかれている最中か。
腐敗臭が鼻をつく。
これが、引っ掛かるものの正体だった。
周囲に、『コミュニティ』の兵士がいる。
手足に巻き付いているものがある。
拘束されているようだ。
魔法を発動させる声を、何度か聞いた。
多分、イアン・クレアだ。
ステヴェ・クレアのものらしい声も聞こえる。
魔力の縄で、ティアの手首と足首を拘束している。
(確か……)
魔法使いでもないのに、なぜか受けさせられたユファレートの講義を思い出す。
そこまでの強度はない魔法のはずだ。
魔法を使えば、簡単に壊せる。
筋力がある者ならば、強引に引きちぎることも可能。
(……さすがに……あたしには無理?)
車輪が回る音と震動を感じる。
馬車か荷車で運ばれているところのようだ。
体の下敷きになっている左腕が痛むが、ティアは身動ぎ一つしなかった。
必死に思考する。
魔力の縄の魔法は、何度もかけ直されている。
手間ではあるだろう。
他に拘束に適した手段がないということだ。
雑貨屋にでも寄れば、すぐに縄などは購入できる。
雑貨屋に立ち寄る暇さえも、クレア兄弟にはないのだろう。
『フラガラック』は、失ってしまったようだ。
思い出してみれば、ステヴェ・クレアに叩き落とされたような記憶がある。
太股に巻き付けたホルダーと、そこに差した短剣の感触はある。
身体検査さえ、ろくにされていない。
それは、クレア兄弟の慢心か、身体検査をする暇もないということか。
(……二百九十二)
魔力の縄がかけ直される時間を計る。
その前は、二百八十八だった。
どこまで正確か自信はないが、約五分でイアン・クレアは魔法をかけ直す。
そうしなければ、ある程度の強度は保てない、ということなのだろう。
かけ直す直前ならば、ティアの腕力でも引きちぎることができるかもしれない。
きっと、みんなが助けに来てくれる。
ただの人質としてみんなの助けを待つつもりが、ティアにはなかった。
いくらみんなでも、人質がいては思うように戦えない。
なんとかして、拘束から逃れなければ。
テラントもデリフィスもシーパルも、怪我をした。
ユファレートは、魔法の使いすぎで疲れている。
それでも、きっと助けにきてくれる。
(……三百六)
数える。
また、魔力の縄が発動される声が聞こえた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
エスには、ティア・オースターに注目していた時期があった。
彼女には、ルーアの力の一欠片があるのだから。
欠片は『ヴァトムの塔』の力を吸収した。
ティア・オースターという小さな器の中には、膨大な力が溢れている。
だが、対ザイアム戦で覚醒し、ドラウ・パーターの導きによりほぼ自在に引き出されるようになったその力は、実に微小なものだった。
ティア・オースターという存在では、力を小出しにすることしかできないということだ。
それが判明した時点で、エスはティア・オースターへの関心を失った。
もちろん、なんらかの形で化ける可能性は否定しないが。
それよりも今は、ステヴェ・クレアである。
ザイアムを憎み、ザイアムを殺せる可能性がある者。
ザイアムを殺すためなら、どんな手段でも用いるだろう。
ザイアムの存在感は、絶大だった。
その損失は、『コミュニティ』という巨大な組織の、根幹を揺るがすことにもなるかもしれない。
だから、ザイアムを殺すために必要だというのなら、ティア・オースターを渡してもいい。
この戦いで、エスはルーアのことも見極めるつもりだった。
ザイアムを、ストラーム・レイルでさえも超える存在になっていくのか。
『システム』の歪みを修正する者なのか。
ライア・ネクタスに次ぐ、重要人物になるのか。
ザイアムを超えられない程度ならば、『システム』の修正も不可能だろう。
ここで切り捨てることも考えなければならない。
今のところ、望み通りの展開である。
ステヴェ・クレアはティア・オースターの身柄を押さえた。
これから彼は、ザイアムを殺しに行くだろう。
ステヴェ・クレアに、ティア・オースターを捕らえるよう手引きしたのは、他ならぬザイアムである。
自分の命を餌に、ステヴェ・クレアを誘導している。
ルーアのことも、呼んでいた。
こちらは、ティア・オースターが餌である。
ザイアムもまた、ルーアのことを見極めようとしているのかもしれない。
結末は、予測できなかった。
ステヴェ・クレアがザイアムを殺すのか。
ザイアムが返り討ちにしてしまうのか。
ルーアがステヴェ・クレアを殺す可能性もある。
ザイアムと戦う可能性も。
イアン・クレアは、三者とどう関わるのか。
ルーアのことを、見極める。
死ねばそれまでのことだった。
ザイアムと戦い生き延びるのならば、必要な駒だということである。
ザイアムが死ぬ結末ならば、言うことはない。
ステヴェ・クレアが返り討ちになっても良かった。
彼もまた『コミュニティ』の一員であり、危険な敵には違いないのだから。
ザイアムと並び立つクロイツやソフィアが絡めば、さらに展開は読めなくなっていた。
クロイツは、今回の件については、深く関わろうとしていないようだ。
自身と同じ『コミュニティ』最高幹部の一人であるザイアムに、遠慮しているのか。
ストラームとの接触を、避けているのかもしれない。
ソフィアは、北に向かったという情報を最後に、正確な行方がわからなくなっていた。
今頃は、北のレオスガリア王国か、北東にある『女性の国』ボノアスラン王国か。
ザイアムと同様に警戒しなければならない二人であるが、出しゃばることはないようだ。
第九地区で、全ては決する。
ザイアムと『ティア』とルーアが暮らした地。
『ルインクロード』と『ルインクロード』が衝突し、『システム』が歪んだ地。
ライア・ネクタスとルーアが、初めて出会った場所でもある。
始まりの地。
あるいは、終わりの地にもなるのかもしれない。
ルーアが、馬を駆る。
道は示したが、エスがしたのはそれだけだった。
戦うのは、ルーアのみ。
始まりの地へ、一人征く。
エスは、遠くからそれを眺めていた。