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嘲笑う幸運の女神

このアジトにいる兵士七人を、交互に見張りに出した。


ステヴェは動きたがったが、イアンは許さなかった。

状況の変化を感じたのだ。


現在地は、ミジュアの第八地区でも過疎化が進んでいる所である。

寂れた商店街の一角であり、街の混乱から遠い。


それが、大きく揺れた。

その後も、何度か振動を感じた。

街全体が揺れているのではないか。

漠然とだが、そう思った。


ザイアムが動いたのかもしれない。

ならば、自分たちの街を混乱させるという役割は果たし終えた可能性がある。

街からの脱出を考えてもいいかもしれない。

ザイアムからの指令がなければ、身動きが取れないが。


兵士をもっと集めたかった。

だが、出歩くのが危険だと思える。


先程の戦闘では、間違いなく運に恵まれた。

幸運が、今も持続しているかわからない。


通りに出た瞬間、第八地区に帰還したストラーム・レイルと鉢合わせになる可能性もある。


魔力を回復させるために、イアンはおとなしく体を休ませた。

その間も、頭を働かせるのはやめない。


敵には、エスがいる。

こちらの居場所を掴んでいてもおかしくない。


『ネクタス家の者』に迫ったイアンのことを、エスは必要以上に警戒するだろう。


討伐の部隊を出動させるくらいは、しているかもしれない。


今のところ、兵士たちが敵を見付けることはなかった。


退屈そうにしていたステヴェが、剣を手に立ち上がった。


「兄貴。敵だ」


「……警官隊か?」


ステヴェは、鋭い。

その勘は、確かなものである。

ステヴェが言うのならば、何者かがいるということだ。


「……部隊じゃないな。二人……おそらく、『バーダ』第八部隊の客たちだ」


「そうか」


警官隊よりも、余程危険かもしれない。

ルーアの仲間たち。

来たのは、誰か。


一人は、おそらく無傷のデリフィス・デュラムだろう。


もう一人は、負傷したシーパル・ヨゥロか、魔力を激しく消耗したユファレート・パーターか。

重傷を負ったティア・オースターではないだろう。


ルーアとテラント・エセンツは、まだ『バーダ』第八部隊の基地に戻っていなかった。


敵は、デリフィス・デュラムと、万全ではない魔法使い。

不意討ちさえ避けられれば、勝機は充分ある。


イアンが魔法使いを押さえ、ステヴェがデリフィス・デュラムと戦う。

兵士たちに、それぞれの援護をさせる。

勝てない戦いではない。


「……よし、出るぞ」


兵士三人は、ステヴェに従う。

あとの四人は、自分のことを守らせる。


四人には、得手とする武器の他、弓矢や投擲に向く短剣を持たせた。


アジトを先頭で出るのは、ステヴェである。


速やかに敵を排除したい。

戦闘を長引かせると、警官隊を呼び寄せることになるかもしれないのだ。


勝利で、戦いを終わらせられるのか。

そして、また幸運の女神は微笑んでくれるのか。

今度は、イアンを嘲笑うのかもしれない。


日が沈みかけている。

ミジュアの秋の夕刻。


寒さのためか緊張のためか、体が勝手に身震いをした。


◇◆◇◆◇◆◇◆


エスの案内で、デリフィスとシーパルはミジュア第八地区の裏通りを進んだ。


表通りの華やかさとは打って変わり、かなり荒んでいる。


街灯はほとんどなく、路面の舗装もまともにされていない。


建造物の残骸や剥がれた石畳が、瓦礫となり片付けられることもなく転がっている。


王都だろうと、繁華街から通りを一つ離れれば、そんなものだった。


デリフィスの故郷であるザッファー王国の都市と比べたら、まだましである。

貧富の差は、ミジュアの方がありそうだ。


しばらく歩き続けた。

並ぶ建物は、廃屋が多いようだ。

人通りはほとんどない。

これなら、思いきり剣を振れる。


やがて、目的地に到着した。

通りを挟み、イアン・クレアとステヴェ・クレアの兄弟が身を潜めているという建物が見える。


エスの情報によれば、敵の戦力はクレア兄弟と兵士が七人。


待機することにした。

少し待てば、エスに誘導されテラント、さらに続いてルーアが到着するはずだ。

戦うのは、それからでいい。


もっとも、大きな隙が見えたらデリフィスは仕掛けるつもりだった。


無用心にクレア兄弟が外に出てくる可能性もある。

そこを襲えば、戦いは優位になる。


建物の陰から、クレア兄弟がアジトにしている家屋を見張った。


シーパルの額には、汗が浮かんでいる。

夕刻であり、汗を掻くような気温ではない。

そして、歩くだけで疲れるほど、シーパルは柔ではない。


足の負傷の影響だろう。

傷は塞いだはずだが、歩いたことで痛みが蘇ったのかもしれない。


一旦治療させるべきか。

ただ、クレア兄弟がいる家屋と近すぎる。

魔力の波動で、魔法使いであるイアン・クレアに、こちらの存在がばれてしまうだろう。


治療のために距離を取ることを考えたその時、家屋の扉が開いた。


先頭は、ステヴェ・クレア。

それに兵士が三人付いている。


さらに、兵士四人に囲まれたイアン・クレアが続いていた。

弟を魔法で守れる距離である。


陣形になっている。

そして、ステヴェ・クレアの眼は、デリフィスとシーパルが隠れる建物の陰に向いている。


「……気付かれているな」


上手く気配を殺したつもりだが、なかなか勘がいい。


シーパルに視線を向けると、強張った顔で頷かれた。


負傷の影響が全くないことはないだろうが、決心はしているようだ。


戦力では劣る。

だから、テラントの到着までは待つつもりだった。

だが、見つかったのならば仕方ない。

この程度の戦力差、何度もひっくり返してきた。


ステヴェ・クレアが先頭に立ち、向かってくる。


デリフィスは、建物の陰から飛び出した。

シーパルが続いている。


ステヴェ・クレアを、兵士三人が追い抜く。


ステヴェ・クレアは、兄の魔法の援護を受けやすい距離を保ち移動しているようだ。


イアン・クレアが、デリフィスたちから見て左に回った。

弟との一定の距離は変わらない。


イアン・クレアに引き連れられ移動した兵士たちが、矢を放った。

狙いは、デリフィスの後方にいるシーパルか。


力場を発生させ、軽く防ぐシーパル。

反撃の魔法が、兵士の一人の胸部を貫いた。


イアン・クレアの顔に、微かな驚きの気配が浮かんだ。

陣形からして、弟も兵士も魔法から守るつもりだっただろう。

だが、シーパルにあっさり一人倒されてしまったのである。


さらにシーパルに矢が飛ぶ。

風を起こしシーパルは矢を吹き飛ばしていた。


今のところ、一人で飛び道具による攻撃を凌げている。

この間に、敵を減らす。


クレア兄弟は連携が取れているだろう。

今、もっとも倒しやすいのは。


剣先を上げて、前に出る。


突出した兵士三人。

まずはこれを潰す。


横薙ぎの一振りに、兵士二人の腹が割れた。

なんとか受けた兵士の剣は、大きく刃毀れしている。


後退する兵士。

入れ替わり前に出る、ステヴェ・クレア。


短い笑い声とも奇声ともつかないものが、デリフィスの耳に入った。


剣と剣が閃く。

正面からぶつかる。


後方に弾かれた。

衝撃で、背中まで痺れている。


下がったのは、ステヴェ・クレアも同様だった。

離れた位置から、剣を振る。

突風が起きた。

魔法剣か。


だが、突風はただの突風だ。

そんなもので怯みはしない。


前進する勢いで、突風という空気の壁を破る。


ステヴェ・クレアも、笑い声か奇声を上げて前進する。


剣と剣を打ち合わせる。

互いに、斬撃に体重が乗っていた。

必殺の斬撃の応酬。

相手を勢いで呑み込み、叩き潰そうという戦い方。


剣を合わせていく。

腕が痺れる。

頭の芯も痺れる。


ステヴェ・クレアは、笑っていた。

デリフィスも、口許が緩みそうになっていた。


強い。

ここまでの相手は、そういるものではない。


そして、正面から相手を捩じ伏せようという剣。


そういう戦い方が、デリフィスも好きだった。


この男とは、噛み合う。

存分に剣を振れる。


シーパルは、イアン・クレアの魔法と兵士が撃つ矢を防ぎ続けていた。

さすがに、その守りは固い。

こちらが決着を付けるまで、持ちこたえてくれるかもしれない。


それどころか、シーパルは敵の攻撃の合間に反撃さえしていた。

光弾が、兵士の数をさらに二人減らす。


刃毀れした剣を捨て、小剣を抜いた兵士が、デリフィスの横腹を突こうと突進してきた。


邪魔だ。

剣で振り払う。


その隙に、ステヴェ・クレアが剣を突き出す。

わずかに胸元をかすめた。


ユファレートの亡き祖父であるドラウ・パーターが、ミスリル銀を縫い込み強化してくれた服である。

その程度で、破れはしない。


ステヴェ・クレアの攻撃をなんとか無傷で凌ぎ、デリフィスは剣を振り上げた。

両手で持ち、強振した。

受け止めたステヴェ・クレアの足が浮かぶ。


だが、押しきれない。

ステヴェ・クレアの反撃の剣も重い。


何合も何合も剣をぶつけ合わせる。

互いに引かない。

互角の勝負。

楽しいとさえ感じる。


それでも、決着は付けなければならない。

ここで、斬る。


今は互角。

だが、決着の瞬間には上回ってみせる。


ステヴェ・クレアの剣先が、デリフィスの剣の腹を擦っていく。


激しく戦い合ってきた。

疲労はあるはずだ。

ステヴェ・クレアの勢いに、衰えは感じられない。

斬撃は、変わらず重い。


譲るつもりはない。

デリフィスは、さらに強く剣を振った。

力で、この男を倒してみせる。


突風。

ステヴェ・クレアの魔法剣から起こったものではない。

路地の隙間を通った風。

純粋に、ただの風である。


だが、視界が遮られる。

舞い上がったタブロイド紙。

顔に掛かる。


ふざけるな。

こんな馬鹿げた偶然で、この勝負の決着が付いてしまうのか。


踏み出しの音。

剣が、空気を貫く音。


ステヴェ・クレア。


見えないが、感じる。

突きを放っている。


視界は塞がっている。

直感。

顔を貫こうという突きだ。


首を捻る。


タブロイド紙を突き破る剣先。

殺しの突き。


額に、衝撃があった。

そして、次に視界が赤く染まった。


◇◆◇◆◇◆◇◆


デリフィスがよろめく。

血の飛沫。

ステヴェ・クレアに、斬られた。


デリフィスとステヴェ・クレアの戦いは、ほぼ互角であるようにシーパルには見えていた。


だが、突然の突風に飛ばされたタブロイド紙が、デリフィスの顔に掛かりその視界を奪ったのだ。

信じられないような偶然だった。


とどめを刺そうと、ステヴェ・クレアが斬り掛かる。


シーパルは、イアン・クレアの魔法と兵士が放つ矢に動きを封じられている。

援護が間に合わない。


後ろに倒れ込みそうになりながら、デリフィスが剣を振り上げた。


予想外の反撃だっただろう。

剣で受け止めたステヴェ・クレアが、大きく弾き飛ばされる。


口笛が聞こえるが、驚愕を隠しきれていなかった。

頬に、汗が伝っている。

立ち位置を変えつつ、デリフィスを観察していた。


ステヴェ・クレアが迂闊に斬り込むのを躊躇わすだけの迫力が、デリフィスの反撃にはあった。


足を前後に大きく開き、デリフィスは倒れることを防いでいた。

だが、微かに膝が震えている。

頭部への衝撃で、脳震盪を起こしかけているのかもしれない。


イアン・クレアが、デリフィスを指す。


「グランド・ジャベリン!」


大地の錐が生まれる。

それに、シーパルは掌を向けた。


「リウ・デリート!」


今度は、援護が間に合った。

魔力の供給を断たれ、大地の錐はデリフィス目掛け突き進む前に、ぼろぼろと崩れていった。


イアン・クレアの横にいた兵士が、弓を引く。

これも、デリフィスを狙っている。


「ライトニング・ボール!」


シーパルが撃ち出した光球が、兵士の胸に着弾し破裂した。


肩越しに、デリフィスがシーパルの居場所を確認している。


額からの出血に顔を汚しながらも、眼の光はしっかりしていた。


なんとか、意識がはっきりするところまで回復したようだ。


それでも、ステヴェ・クレア相手に苦戦は必至だろう。


シーパルも、右足の負傷の影響があった。


クレア兄弟に勝つためには、彼ら以上に連携する必要がある。


イアン・クレアが、シーパルに向き直る。


兵士を攻撃したばかりだった。

どうしても後手に回ることになるが、覚悟していたことである。


「フォトン・ブレイザー!」


「ルーン・シールド!」


光線を、魔力障壁で止める。


速く、強烈な一撃だった。

イアン・クレアは、間違いなく魔法使いとして一流である。


そして、シーパルは魔法を連発した直後だった。


魔力障壁が砕ける。

だが、イアン・クレアが放った光線も、相殺している。


イアン・クレアの魔法の勢いまでは殺せなかった。


衝撃が体を叩く。

右足に痛みが走った。

体重を支えきれない。


倒れ込むのは、避けられない。

受け身を取るために、シーパルは体を丸めた。


倒れるのは、仕方ない。

座っていようと寝転がろうと、魔法は使える。


そして、一般的に魔法は、攻撃よりも防御の方が早い。


だから、同程度の実力である魔法使いと魔法使いの戦闘は、なかなか決着が付かない。

魔法を撃ち合っても、互いに防いでしまうのだ。


しばらく防御に徹し、態勢を整える。


背中から倒れ、肩から転がり衝撃を逃がし、すぐに身を起こしてイアン・クレアの追撃に備える。

そこまでイメージしながら、シーパルは倒れていった。


「!?」


背中が地面に付く前に、衝撃があった。

後頭部からだ。


(なにが……!?)


視界が明滅する。

シーパルは混乱した。


誰かに蹴飛ばされでもしたのだろうか。

だが、背後に人の気配などなかった。


朦朧としながらも、後頭部を叩いた物を探す。


瓦礫が転がっていた。

おそらく、崩れた家屋の壁かなにかだろう。

かなり風化しているようだった。


たまたま、そこに転がっていた。

それに、後頭部から突っ込んでしまった。


シーパルには、ヨゥロ族として特別に受けた訓練により得た感覚がある。

視界の外の物でも、なんとなく把握できるのだ。

それも、余裕があればの話だ。


右足を使えない状態で、イアン・クレアと兵士たちの攻撃を捌きつつ、デリフィスを守ることも考えていたのだ。


イアン・クレアが、会心の笑みを浮かべながら手を翳す。


この偶然の連続はなんだ。


緊迫した斬り合いの最中に、デリフィスは飛んできたタブロイド紙に視界を奪われた。


裏通りには、剥がれた路面や崩れた家屋の壁などが、瓦礫として転がっていた。


それが、受け身を取ろうとした先にたまたま転がっているなど、想定内になかった。

イアン・クレアも、狙ってなどいなかっただろう。


不運の連続。

自分たちは、ここまで不運だったのか。

それとも、クレア兄弟が運に恵まれているのか。


「ファイアー・ボール!」


イアン・クレアが、魔法を解き放つ。


おそらく、意識を失いかけながらも、咄嗟に魔力障壁を発生させたのだと思う。

しかし、容易く打ち破られた。


爆風を浴びる。

その時にはすでに、シーパルは思考する力を失っていた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


イアン・クレアの魔法で吹き飛ばされたシーパルが、ぐったりとして動かない。

意識を失ってしまったのか。


受け身を取ろうとしたシーパルが、後頭部を転がる瓦礫にぶつけるのを、デリフィスは見ていた。


通りの幅や建造物の位置くらいは、把握していただろう。

だが、瓦礫の一つ一つにまで意識を及ぼすというのは、なかなかに難しい。

強敵と向かい合っていれば、尚更だ。


デリフィスの顔にタブロイド紙が掛かったことといい、はっきり言ってついていない。


ステヴェ・クレアとは、互角の勝負ができていた。

シーパルも、イアン・クレアと対等に渡り合っていた。

ただ、運に見放された。


幸運の女神がもしいるのならば、デリフィスたちのことを嘲笑っていることだろう。


そしてきっと、クレア兄弟のことは愛しているに違いない。


イアン・クレアが、動かなくなったシーパルに、さらに手を向ける。

息の根を止めるつもりか。


ステヴェ・クレアに牽制され、デリフィスは身動きが取れない。


雄叫びが聞こえた。

横手から、猛烈な勢いで駆けてくる者がいる。

『カラドホルグ』と剣を抜いた、テラント。

真っ直ぐにイアン・クレアを目指している。


奇襲を掛けることも可能だっただろう。

だが、接近する前に雄叫びを上げてしまったら、奇襲は成り立たない。


そして、奇襲に成功したとしても、シーパルはイアン・クレアに魔法を撃たれ、殺されてしまうだろう。


シーパルを攻撃させないために、テラントは声を上げた。


イアン・クレアの注意を、自分に向けさせるために。


まだ距離がある。

魔法で制することができる、魔法使いが圧倒的に優位な距離が。


魔法を使えないテラントには、絶望的な距離が。


それでも、横に駆ける、ステップを変えフェイントを入れるなどの工夫をすれば、まだ魔法をかわせる可能性は残されていただろう。


それは、イアン・クレアに時間を与えるということでもある。

やはり、シーパルが殺されてしまう。


シーパルを助けるために、テラントは絶望的な距離でありながら、愚直に前進していた。


イアン・クレアが、シーパルから意識を外す。

駆けるテラントの勢い。

シーパルを攻撃すれば、テラントはイアン・クレアに接近し、斬り捨てただろう。


イアン・クレアは、落ち着いていた。

自分が絶対的に優位だと理解しているのだろう。


「ル・ク……」


イアン・クレアの前に、何十という光弾が生まれる。


それでもテラントは、無謀とも思える前進をやめない。


「……ウィスプ!」


光弾が、撃ち放たれた。

いくつもの軌跡を描き、真っ直ぐ駆けるテラントを襲う。


また雄叫びを上げて、テラントは両手の武器を振り回した。


右手の『カラドホルグ』が、光弾を打ち落としていく。

光弾を受け止めた左手の剣が、砕ける。


足下にも魔法は突き刺さり、テラントのバランスを崩す。


高速で一斉に向かってくる何十という光弾のすべてを、受けきれるわけがない。


テラントの胸に、腹に、いくつかは命中して弾ける。


さすがに、テラントの前進が止まった。

上体を、血で染めている。


テラントの衣服も、デリフィスと同様に、ドラウ・パーターの元にいた時に強化されていた。

魔法の威力を、かなり殺しただろう。


それがなければ、光弾はテラントの体を貫いていたかもしれない。


血塗れになりながらも、テラントは『カラドホルグ』を構えていた。


「詰めたぜえ……!」


息を切らしながらも、凄絶な笑みを浮かべる。


シーパルを攻撃さないためには、テラントは真っ直ぐに駆け、イアン・クレアに圧力を掛けるしかなかった。


フェイントを掛けることすら封じられていた。


絶望的とも思える距離を、ひたすら直進し、魔法を浴びながらもイアン・クレアに迫った。


重傷を負った。

それでも、距離を詰めた。


魔法使いが絶対的に優位な距離から、剣でも魔法でも仕掛けられる距離まで。


剣士と魔法使いが、互いにリスクを背負える距離まで。


イアン・クレアの額に、汗の玉が浮かぶ。


次の魔法を外したら、接近され斬り殺される。

それを理解している。


テラントも、まずイアン・クレアの魔法を、なんとかかわさなくてはならない。


膠着した。


テラントは、負傷し出血している。


いつまで体力と気力が持つのか。

持久戦は、不利ではないのか。


シーパルは、意識を失ったままである。


剣身と柄が擦れる音がした。

ステヴェ・クレアが、剣先を上げたのだ。


動く。


構え直そうとして、デリフィスはよろけた。

額を斬られた影響が、まだ残っている。

眼には血が入り、視界がぼやける。

焦点を上手く合わせられない。


(……それでもだ)


一枚のタブロイド紙から、すべては狂っていった。


デリフィスが負傷しなければ、シーパルは鉄壁の防御でイアン・クレアと兵士の攻撃を弾き続けただろう。


シーパルが倒れなければ、テラントは無謀な突進をする必要はなかった。

じっくりと奇襲の好機を窺えたはずだ。


幸運の女神には、嫌われてしまったようだ。

それでもテラントが、圧倒的に不利な状態から、強引に互角に近い状態にまで戻した。


あとは、このステヴェ・クレアを斬るだけである。


ステヴェ・クレアの、一歩目の前進。


見定めるような視線を感じた。

対して、デリフィスの視界は悪い。


二歩目の前進。


笑い声か、奇声か。

ステヴェ・クレアの口から響く。


斬り掛かってきている。

剣が見えない。

今は見えないだけだ。

これまでに、何度も見た。


予測しろ。

感じ取れ。

ノエルと戦った時のことを、思い出せ。


負けた。

何度も剣を見失った。

それでもしばらくは、ノエルの剣を捌き続けられた。


ステヴェ・クレアの剣も、見失っていようと防げる。


経験、そしてそれにより打ち出された勘。

研ぎ澄ませ。


視界が悪い分、他の感覚が鋭くなっていた。


ステヴェ・クレアの踏み出しの音。

斬撃に空気が裂けていく音。


見えないが、感じる。


斬撃に、斬撃を合わせた。

負傷の影響か、体に力が入らない。

このままだと、力負けする。

咄嗟に、さらに体から力を抜いた。


突然の脱力。

閃きに近い。

ステヴェ・クレアの剣を、受け流す。


体勢が崩れている。

デリフィスも、ステヴェ・クレアもだ。


それでも、デリフィスは剣を振った。

脱力から、緊張へ。

剣が、唸りを上げる。


テラントが、互角の状態にまで戻したのだ。

ここでステヴェ・クレアを斬るくらいのことをしなくては、幸運の女神だけでなく、テラントにも笑われる。


ステヴェ・クレアは、決着を付けるつもりで剣を振ったのだろう。

それを、受け流されたのだ。

剣の返しが遅い。


ステヴェ・クレアが、身を捩る。


剣を振り切った。

重い手応え。


ステヴェ・クレアの体が、地面に転がる。

それでも、すぐに跳ね起きる。

左腕が、上がっていない。

二の腕を、かなり深く斬った。


ステヴェ・クレアは、デリフィスの方へ向かってこなかった。


進む先。


血がさらに入るが、デリフィスは眼を見開いた。


『フラガラック』を抜いた、ティアがいる。


なぜいるのだ。

置いてきたはずだ。

負傷していたのだから。


テラントが連れてきたのか。

戦えるまで回復したと、テラントが判断したのか。


ティアのことは、認めている。

テラントも認めているだろう。

兵士が相手なら、充分に戦力として計算できる。


だが、クレア兄弟は駄目だ。

この二人には、ティアでは対抗できない。


すでにここにいる兵士は全員倒した。

ティアの出番はなかったはずなのだ。


足が震えた。

ステヴェ・クレアを追えない。

頭部を斬られた衝撃が、足にまで響いている。


イアン・クレアと対峙しているテラントも、ステヴェ・クレアを追えない。


逃げきれないと悟ったか、ティアは果敢にステヴェ・クレアに斬り掛かる。


だが、ステヴェ・クレアの剣の一振りに、あっさり『フラガラック』を失った。


そのままの勢いで、ステヴェ・クレアはティアを押し倒す。


ティアが必死にもがくが、体格差がありすぎる。

ステヴェ・クレアはびくともしない。


大きな背中に遮られ見にくいが、おそらくステヴェ・クレアは、剣を持つ右手の薬指と小指をティアの襟首に引っ掛け、絞め落とそうとしている。


ティアは、足をばたつかせている。

左腕の傷口を掴んでもいるようだ。


ステヴェ・クレアは、動じない。


ティアの抵抗が、徐々に小さくなっていく。

やがて、動きを止めた。

失神してしまったか。


ティアに剣を突き付け、ステヴェ・クレアが立ち上がる。


「……人質だ、デリフィス・デュラム、テラント・エセンツ」


「……それが、どうした?」


よろめきながら、デリフィスは言った。


「人質を取られても、俺たちは戦うのをやめない」


四人揃って殺されるか、ティアだけに死んでもらい、クレア兄弟を倒すか。

どちらを選ぶべきか、決まりきっている。


テラントも、構えを崩さなかった。


ティアを連れてきた。

結果的にティアは人質になってしまったが、責められない。


決戦の時に、兵士が何人いるかわからなかったのだ。

ティアの力が必要になる可能性もあった。

今の状況は、結果論でしかない。


デリフィスは、ステヴェ・クレアに剣を向けた。


「ステヴェ・クレア。お前は、強い」


「……」


「俺は、お前ととことんまで戦い、はっきりとした決着を付けたい」


言っても、ステヴェ・クレアはティアに剣を突き付けたままだった。

当然ではあるが。


「……お前たちとの決着なんか、どうでもいい。俺が斬りたいのは、他にいる」


テラントが、微かに反応した。

ステヴェ・クレアの言葉ではなく、イアン・クレアが身動きしたことに反応したのだ。


「決着を付ける必要はないということか?」


「そうだ。お前たちは、強い。思っていたよりも、ずっと。これ以上戦い、危険を冒す必要はない。俺と兄貴は、ここから去る。この女は、俺たちが安全なところまで移動するための、人質だ」


「……わかった、見逃そう。人質など取らなくてもな。だから、ティアから離れろ。俺もテラントも、お前たちを追わない」


「どこに、そんな保証がある? この女は、連れていく。心配しなくても、全てが終わったら解放してやるさ。危害を加えるつもりもない」


「それこそ、保証がない。お前たちが約束しても、他の者が、危害を加えるかもしれん」


「……この女は、ザイアムの所へ連れていく」


また、イアン・クレアが弟の言葉に反応した。

ザイアムという名前に反応したのか。


「思い出してみろ、デリフィス・デュラム。ザブレ砂漠でも、ザイアムはティア・オースターに手出しをさせなかった」


以前にも、ティアは敵に捕らえられたことがある。

捕らえたのは、ノエル。


ホルン王国の、『火の村』アズスライでのことだ。


ザイアムという男の命令で、ノエルは動いていた。


そして、村を発つ前に、ルーアから聞かされた。

ザイアムという男は、ルーアやティアにとって、父親のような存在なのだと。


そのためだろうか、ティアは『コミュニティ』の人質になっても、乱暴をされることはなかった。


だが、今度もなにもないという保証は、どこにもない。

やはり、頷ける話ではなかった。


「……ティアを、解放しろ」


「いいや、連れていく。解放するのは、俺の用事が終わってからだ」


「お前たちを、逃がしてやる。俺たちは、お前たちを追わない」


「保証がない。連れていくさ。ザイアムの指示でもある」


「平行線だな」


「まったくだ」


ステヴェ・クレアが眼を細め、口の端を上げる。

苦笑したようだ。


「どうしてもティアを連れていくというのなら、俺たちは全力で阻止しなければならない」


「ティア・オースターが死ぬことになってもか?」


「殺せるのか? ザイアムとやらが必要としているのだろう?」


「……そうだな。殺せない。だが、俺としては、命さえあればそれでいい。手足の一本や二本は斬り落としてもいいんだ」


「……」


どうするか。

人質となり、今度も無事でいられる保証はない。

助け出せるかどうかもわからない。

ここで今助けようとすれば、ステヴェ・クレアは本当に、手足の一本や二本は斬り落とすだろう。


テラントの横顔を見るが、デリフィスと同じく迷っているようだ。


「……ティアを、解放しろ」


「いいや、連れていく」


「不毛だな」


するりと台詞が割り込んできた。

そして、白い影が膠着した場に浮かび上がる。


ステヴェ・クレアが、眼を細めた。


唐突に現れたのは、エスだった。


「一つ、私から提案しよう」


「聞くつもりはないな、『リーザイの亡霊』。貴様の口車に乗って、得なことがあるとは思えない」


「そう言わずに聞きたまえ、ステヴェ・クレア。私は、ザイアムと話をした。その上で、提案を出す」


「……」


「双方に、可能性が残る提案だ。私たちには、ティア・オースターを助け出せる可能性が。イアン・クレア、ステヴェ・クレア、君たちには、無事退却できる可能性が。ただし、全員に一つずつ条件を呑んでもらわなくてはならない」


「条件?」


デリフィスは、眉根を寄せた。

エスは、なにを言うつもりか。


「まず、デリフィス・デュラム、テラント・エセンツ、君たちは、決着を付けることを諦めたまえ。追うな、という意味でもある」


「待て。それでどうやってティアを助ける?」


デリフィスの問いをエスは無視して、ステヴェ・クレアに顔を向けた。


「イアン・クレア、ステヴェ・クレア。君たちを追う者が現れる。だが、遭遇してもティア・オースターを傷付けるな」


「……なんのための人質だと思っている?」


ステヴェ・クレアが、唸っているかのような声を出す。


「人質など必要ない。それくらい、君たちは優位な状況で戦える」


「……デリフィス・デュラムもテラント・エセンツも、追跡しない。俺たちを追うのは、そこで伸びているシーパル・ヨゥロか?」


「違う。魔力を大量に消耗したユファレート・パーターでもない」


「では、誰が……?」


「ルーアだ」


「ザイアムの息子が?」


「そうだ。彼が一人で、君たちと戦う」


「はっ!」


ステヴェ・クレアが嗤う。

愚者を見る眼で。


「たった一人で、俺たち兄弟と戦うだと?」


「そうだ」


「待て、エス」


堪らず、デリフィスは口出しした。

掌を向けて、エスはこちらの発言を制してくる。


「軍や警官が、君たちの逃亡を妨害するかもしれないが、それは許してもらいたいところだな。さすがに、それを止める権限は私にはない」


「それは、そうだろうな」


「軍も警察も、現在は街全体の混乱を見ている。君たちを止めるためだけに、人員を集中することなどできない。君たち兄弟ならば、突破するのもかわすのも容易いだろう。私が関わることもない。こちらが出す駒は、ただ一枚のみ」


「途中で、兵士も拾うことになるぜ?」


「もちろん、理解しているとも。君たちが兵士を何十人率いていようとも、そして、ザイアムと合流していたとしても。ルーアは、彼は、一人で君たちに挑む」


ステヴェ・クレアが、また嗤った。

今度は、さっきよりもはっきりとした笑い声。


「ザイアムの息子。ストラーム・レイルの弟子。だが、俺は知っているぞ。奴は、超人ではない」


「そう、二人の超人と比べたら、如何にも凡庸だ。だが、それでも甘く見るなと言っておく。ティア・オースターを助けられる可能性があるからこそ、私はあれを送り出す」


「追跡するのがザイアムの息子だけだったら、ティア・オースターに手を出すな、だったな」


「そうだ。そしてこれは、ザイアムが出した提案でもある。ルーアだけならば、ティア・オースターを殺さない。盾にもしない。ルーア以外の者が一人でも追ってきた場合は、ティア・オースターを殺す、ということだ」


「……俺たちが、追ってくるのがザイアムの息子だけだとしても、ティア・オースターを盾にするかもしれないとは考えないのか?」


「その場合は、ティア・オースターのことは諦める。その代わり、出しうる全ての戦力を君たちにぶつける。ストラーム・レイルもだ」


「……」


ステヴェ・クレアの笑みが、微かに強張る。


「いいだろう。その提案、呑もう」


ステヴェ・クレアが剣を収め、意識のないティアを担ぐ。


手は出せなかった。


ステヴェ・クレアの筋力ならば、その気になれば片腕でも、瞬時にティアの細首をへし折るくらいはできる。


「……待てよ。俺は納得していねえぞ」


テラントが呻くが、ふらついた。

さすがに、傷を負いすぎている。


テラントを迂回するように避け、イアン・クレアは弟と合流した。

ほっとした表情をしている。

命を賭けた五分五分の勝負は、避けたかったのだろう。

手早く弟の出血を止めると、魔力の縄を作り出しティアの手足を絡めとる。


「行こう、兄貴。約束は守れよ、『リーザイの亡霊』」


「私は、嘘が嫌いだ。君たちを追うのは、ルーアのみ。君たちこそ、約束は守ることだ」


「わかっているさ。追ってくるのがザイアムの息子だけなら、ティア・オースターは殺さない。盾にもしない。約束する。一人でなにができるか、楽しみにしているさ」


「甘く見るなと、私は言った。ルーアは、凡庸だ。だがあれは、ランディ・ウェルズの剣と、ドラウ・パーターの魔法を継ぐ者でもある」


忠告のつもりなのだろうか。


ステヴェ・クレアは、低く笑い声を漏らすだけだった。

兄を促し、去っていく。


満身創痍であるはずのシーパルが、身を起こした。


みなを守るという意地だけで、意識を取り戻したのだろう。


取り引きを台無しにすることになるのでおそらくはないだろうが、遠くへ行ったイアン・クレアにもし魔法を放たれたら、魔法を使えないこちらは大変危険である。


「ティアを……」


「無理せず、まずは傷を癒すことだ、シーパル・ヨゥロよ。それから、テラント・エセンツの傷を」


エスの言葉に合わせるように、テラントが膝を付く。


戦闘の緊張感が、テラントに剣を構えさせていたのだろう。


「それが終わったら、戻ろうか。ルーアに説明をしなくてはな。さて、納得してくれるかどうか。君たちにも、是非口添えをお願いしたいところだ」


「……ティアになにかあった時は、覚悟をしておけよ、エス」


「さて、私を斬るつもりかね、デリフィス・デュラム? どうやって?」


「俺ではない。ルーアが、腹を立てる」


「そうか。では、精々気を付けていよう」


シーパルが治療の魔法を発動させ、自身の傷を癒していく。


テラントは、動けないようだ。


いつもは好き勝手に消えたり現れたりするエスは、立ち去ろうとしない。

本気で、ルーア説得のための口添えをしてもらうつもりなのかもしれない。


知ったことか、とデリフィスは思った。


エスが、ザイアムという者と話し合って決めたことだ。

説得なら、二人ですればいい。


デリフィスは懐から布を取り出し、額の傷口に強く押し付けた。

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