最強と最強
ようやく、体に力が入るようになってきた。
背中を斬り付けられてから、随分経つ。
ユファレートたちが治療してくれなかったら、危険な状況だっただろう。
肩を回すと背中に引きつるような痛みがあり、ティアは顔をしかめた。
それでも、我慢すれば小剣を振ることもできる。
シーパルの右足の治療が一段落着いたところで、レジィナが移動を提案した。
基地の深くまで敵に侵入されたことで、今後のことを危惧したのだろう。
デリフィスも、移動に賛成した。
ティアだけでなく、シーパルも負傷した。
ユファレートは、魔力を使い過ぎている。
この状態で敵の大部隊に襲撃されたら、押しきられてしまう。
懸念は、負傷者や赤子を伴い移動している最中に攻撃されることだが、敵は撤退したばかりである。
部隊の再編成には、時間が掛かるものだ。
今が、好機なのかもしれない。
移動を開始した。
目的地は、ミジュア第八地区の警察署である。
そこまで離れていない。
最初から密に連携すればとティアは思ったが、なかなか難しいのかもしれない。
特殊部隊である『バーダ』は、警察から依頼される立場だろう。
そしてルーアが言うには、第八地区の警察は、第一地区に次いで優秀だということだった。
つまり、それだけ誇りがある。
気軽には『バーダ』第八部隊に協力を仰げないところがあるかもしれない。
しかも、現在は隊長であるストラームの他、ライアやミシェルも第一地区である。
赤子を二人も背負うレジィナしかいない『バーダ』第八部隊に用はないと考えていても、おかしくはない。
基地には、ルーアやテラントに向けての置き手紙を残してきた。
ティアたちが警察署に移動したことを、知ってくれるだろう。
手紙が敵の手に渡る可能性もある。
それで行き先を知られても、なにかが変わることはないだろう。
事前に別動隊でも組織していない限りは、道中での計画的な襲撃はない。
そんな部隊があるのならば、先程の戦闘で投入しているはずだ。
シーパルが傷付けられるくらい、こちらも追い込まれたのだ。
敵の戦力があと十人多かったら、撃退できたかどうかわからない。
偽の手紙にすり替え、ルーアたちを罠を張った場所まで誘導したりはしないか、という意見もあったが、それも考えにくい。
ルーアとテラントは、たった二人で行動している。
そして、街全体が混乱していた。
いつ大人数で囲まれてもおかしくはない。
言ってみれば、すでに罠に掛かっているようなものである。
今更、そんな小細工はしてこないだろう。
本当に危険な罠に掛かりそうな時には、きっとエスが連絡してくれる。
そのエスだが、多忙なのかこちらの呼び掛けに応じることはなかった。
それで、レジィナはいくらか不機嫌になったようだった。
途中で『コミュニティ』の部隊に取り囲まれることなどなく、無事に警察署に到着した。
特殊部隊と警察という関係上、やはり顔馴染みの者が何人かいるのだろう。
レジィナが、数人の警官と話し合いをしていた。
廊下を擦れ違う警官の中には、好意的ではない視線を向けてくる者もいる。
応接室を借りることになった。
エマとアヴァをソファーで眠らせ、レジィナが改めてエスを呼んだ。
クロイツに干渉され本調子ではないのか、どこか色の薄いエスが現れる。
「……危ないところでした」
レジィナの口調は静かで、だが微かな怒りを感じさせた。
「もちろん、知っているとも」
エスの口調も、静かなものだった。
そして、感情の揺らぎなど感じさせない。
「基地の内部まで踏み込まれました。彼は、何者ですか?」
「イアン・クレア。私も、彼のことは警戒していたよ。だが、冷静で慎重なはずの男だ。まさか、戦力不足にも拘わらず、基地に襲撃してくるとは思わなかった。クロイツに後押しされた形跡もない」
「……冷静で慎重。だから、基地に襲撃してくるはずがない。それで、マークを外したってことですか?」
「彼のことを読み違えたことは認めよう。私が万全でないことも、理解してもらいたいね、レジィナ」
「……」
「あの剣士は?」
余程気になっていたのだろう、口を挟んだのはデリフィスだった。
「ステヴェ・クレア、と名乗っていました」
答えたのは、シーパルである。
さすがに右足の具合が悪いのか、エマやアヴァが眠る物とは、別のソファーに腰掛けている。
「ステヴェ・クレアか」
記憶に刻み込むように、小さく呟くデリフィス。
エスが、それを一瞥した。
「イアン・クレアの弟だ。こちらは、まだ読みやすい。兄と違い、直情的なところがある。どちらも厄介であるというのは、変わりない」
「わたしは、イアン・クレアの方を警戒します」
レジィナは、イアン・クレアへの敵意を隠さないでいた。
娘たちに迫ってきた存在だからかもしれない。
「わたしも、君と同意見だ、レジィナ。先程の突撃があったことで、彼のことは一気に読みづらくなった。おかしな存在になる前に、消してしまいたい」
「ならば、こちらから攻めてみてはどうか?」
デリフィスが言った。
警察署にいる限り、おそらく襲撃はない。
絶対にないと断言もできない。
街の混乱を鎮めるため、多くの警官が外に出ているだろう。
警察署内部は、かなり手薄になっている。
イアン・クレアにとっては、『バーダ』第八部隊の基地を襲った時よりも、困難な戦いになる。
それでも、わからない。
一か八かの攻撃を、仕掛けてくるかもしれないのだ。
そんなあやふやな状態で守るよりも、デリフィスは攻めたいのだろう。
元々、守るよりも攻める傾向が強い男である。
「……イアン・クレアには、ステヴェ・クレアが合流しようとしているが」
エスの台詞に、デリフィスの眼が光る。
「まとめて片付ける好機に思えるがな、俺には」
「ふむ」
エスは、親指と人差し指を顎に当てた。
「街の状況が状況だ。警察は、手一杯になっている。イアン・クレア討伐のための隊の編成に、一日半は必要になるだろう」
警察に、余裕はない。
応接室には、コーヒーの一杯も出されていなかった。
「そんなには待てないな。相手がどう動くかわからん」
「だから、君たちだけで動くことになるが」
「俺は、構わん」
「ふむ」
エスが、レジィナに視線を送る。
「君は、娘たちから離れられまい」
レジィナが、即座に頷く。
「万全と言えるのは、君くらいなものだが、デリフィス・デュラム」
「僕は、行けますよ」
シーパルが立ち上がる。
体重のほとんどを、左足に掛けていた。
ティアでも見抜けたのだから、他のみんなにもわかったはずだ。
デリフィスだけに戦わせるわけにはいかない、と考えているのだろう。
「わたしも……」
ユファレートが言い掛けたが、遮るようにシーパルがかぶりを振る。
ティアのことを助けてくれたが、そのためにユファレートは魔法を使い過ぎた。
魔力が枯渇した状態というのは、魔法使いにとっては歩けないことよりも重大なことかもしれない。
「ここは今、僕たち以外の魔法使いがいない。違いますか、エスさん?」
「その通りだよ、シーパル・ヨゥロ」
街には、火も付けられている。
怪我人も、大勢いるだろう。
魔法が使える警官は、真っ先に出動しているはずだ。
「エマやアヴァのことを考えたら、レジィナさん以外にも、もう一人くらい魔法使いがいた方がいいです。だから、あなたは残ってください、ユファレート」
「……わかったわ」
強敵が、イアン・クレアとステヴェ・クレアの兄弟だけとは限らない。
武器や格闘術の遣える警官たちはいるのだ。
もしものことを考えると、必要になりそうなのは、やはり魔法だろう。
「ティア・オースター、君はどうするのかね?」
「えっ?」
突然というほど突然でもないが、エスに話を振られティアは戸惑った。
「デリフィス・デュラムやシーパル・ヨゥロに付いていくかね? ここに残るかね?」
「えっと……」
みんなよりも地力で劣っていることくらい、自覚している。
しかも、負傷した影響が残っている。
デリフィスやシーパルに付いていくかどうか聞かれるとは、思ってもいなかった。
「えっと、デリフィス?」
「残れ」
わかってはいたが、あっさりデリフィスに断を下される。
エスは、無表情で顎を撫でている。
「ティア・オースターも、兵士の二人や三人は同時に相手できるだけの実力を備えていると思えるが」
「確かに、それは認める」
デリフィスが、つまらなそうにエスを見つめる。
「だが、背中を怪我した後では、思うように剣は扱えない。しばらくは、前線に出るな」
デリフィスの口振りには、当たり前のことを言わせるな、という響きがあった。
ティアは、ますます戸惑っていた。
デリフィスの言うことは正論であり、さらには言うまでもないことである。
エスに戦力として押されたことは、これまでになかった。
認められたということなのだろうか。
エスの表情からは、なにも読み取れない。
もう、こちらを見ようともしない。
「すぐに出るかね?」
「早い方がいい。時間を与えれば、それだけ態勢を整えられてしまう。魔力も回復される」
即答するデリフィスに、エスが頷く。
「わかった。私は、なるべく早くルーアとテラント・エセンツを誘導して、君たちを追わせよう。まずは、テラント・エセンツが追い付くことになる」
「すぐに合流させられるか?」
「可能な限り速やかに、とは思うが。今の私は、本来の力を奮えない。君たちを、イアン・クレアの元まで案内しなければならないしな」
過剰な期待をされても困る、ということかもしれない。
それ以上、デリフィスはなにも言わなかった。
元々、シーパルと二人だけでも戦闘を仕掛けるつもりだったのだろう。
いつも通り、先を歩き応接室を出ていく。
続くシーパルは、やや右足を引き摺っているが、きちんと歩けている。
だが、走ることはできるのか。
移動力を奪われた事実が、戦闘に全く関係しないはずがない。
ルーアたちが追い付くのは、いつになるのか。
すでに、エスの姿は消えている。
壁が厚いためか、外の騒ぎはほとんど応接室まで伝わってこなかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
テラントが警察署の応接室に現れたのは、それからしばらくしてからのことだった。
相当急いで来たのか、汗だくになり息を弾ませていた。
さすがに休息が必要なのか、ソファーに腰掛け水分を補給している。
ティアが状況を説明する間、テラントは頷くだけで疑問などを口にしなかった。
すでに、大体のことをエスに聞いているのだろう。
少しの休憩で呼吸を整えると、テラントは立ち上がった。
それを待っていたというかのようなタイミングで、テラントの横にエスが現れる。
「イアン・クレアが現在率いている戦力がわかった。ステヴェ・クレアと、兵士が七名だ」
「そうか」
「ティア・オースターをどうするかね?」
「……ん?」
テラントが、怪訝な顔をする。
「君やデリフィス・デュラムならば、ステヴェ・クレアと互角の勝負ができるだろう。負傷していても、シーパル・ヨゥロならばイアン・クレアを押さえられるかもしれない。あとは、兵士が七名。戦力としては、君たちが勝る」
「ああ」
「だが、それは今すぐ戦闘になった場合の話だ。君が到着する頃には、他の部隊の到着により、兵士の数が十人二十人、あるいはもっと増えている可能性がある。そうなった場合、君たちは確実に勝てると言い切れるかね?」
「それは、言い切れんけど」
「そこで、ティア・オースターだよ」
エスが、ティアの方を見ることなく、掌を上にしてこちらに指先を向ける。
「ティア・オースターも、兵士の二人や三人は同時に相手できるだけの実力を備えていると思えるが」
(……あれ?)
ユファレートが、引っ掛かるものがあったのか、一瞬訝し気な表情を浮かべる。
だが、エマの相手で忙しい。
引っ掛かるものがあったことを、すぐに忘れてしまったようだ。
レジィナは、抱きかかえるアヴァに耳元で泣かれ、エスの台詞を正確に聞き取れなかっただろう。
ティアだけが、気付いていた。
先刻、エスはほとんど同じことを、デリフィスに言ってなかったか。
そして、デリフィスはエスの提案に頷かなかった。
「……知ってるよ、そんなことは。ティアの腕は、とっくに認めている。俺だけじゃなくて、デリフィスも、多分ルーアも」
「え?」
素直に、嬉しいと思った。
本当に頼りになる仲間から、認めていると言われたのだ。
「けどなあ……」
テラントが、渋い顔をする。
なぜデリフィスが同道を許さなかったか、わかっているはずだ。
「背中の具合はどうかね、ティア・オースター?」
「え? あ、はい。もう大丈夫です、ほとんど」
デリフィスとシーパルが出発してからテラントが到着するまでの間に、レジィナがまた治療をしてくれた。
それで、かなり楽になっている。
万全とは言わないが、それに近い状態ではある。
「……ティア、構えてみろ」
「……うん」
テラントに言われ、ティアは『フラガラック』を抜いた。
アヴァの泣き声が大きくなるが、まったく動じることなくテラントがティアを凝視する。
「……まあ、いいだろ」
しばらくしてから、彼は呟いた。
「俺と一緒に行くか、ティア?」
「……」
迷いが生まれる。
デリフィスには、残るように言われたのだ。
だが、それからまた治療を受けて、状態は良くなっている。
もう、戦える。
それに、ユファレートやみんなに迷惑を掛けただけで、今回はまだなにもしていない、とティアは思った。
テラントに、一緒に行くかと聞かれた。
それは、一緒に行って欲しいということではないか。
一人でも戦力が欲しいということなのかもしれない。
みんなの力になるチャンスなのではないか。
故郷を攻撃された時、ユファレートは怒り、悲しんでいた。
ルーアも、きっと同じだ。
ルーアのために、戦える。
「……うん。あたしも行くよ」
気付いた時は、言っていた。
「……よし。イアンやらステヴェのことは、俺たちに任せればいい。間違っても、倒そうなんて思うなよ? 君は、兵士たちの相手をしてくれ」
「わかった」
ユファレートが不安そうな顔をするが、なにも言わなかった。
ティアの性格を、誰よりも理解してくれているはずだ。
「では、案内しよう」
エスが言った。
きっとエスも、ティアのことを認めてくれたのだ。
だから、デリフィスだけではなくテラントにも、戦えると強調した。
「二人とも、気をつけてね」
ユファレートが、心配そうに言う。
レジィナは、苦しそうな顔をしていた。
『バーダ』の隊員として、本来なら自分が先頭で戦わなくてはならないのに、とでも考えているのだろう。
だがティアには、子供の側を離れたくないというレジィナの気持ちが、充分に理解できた。
もしかしたら、特殊部隊の隊員としては失格かもしれないが。
ティアも、オースター孤児院が危機の時に、村に来るなと姉から言われても、頷かなかった。
どうしても譲れないものが、誰にでもある。
「大丈夫だから、心配しないで」
二人を安心させるために、笑顔でティアは言った。
◇◆◇◆◇◆◇◆
バルツハインス城の門が見える。
城壁の高さは一定でなく、歪に映らなくもない。
上空から眺めれば、厚さも一定でないことがわかるだろう。
それは、この城が建造されて長く、時代によって戦闘拠点になったり城郭になったことを表している。
大砲のような攻城兵器や、強力な攻撃魔法の開発により、城壁は高さよりも厚さが重要視されるようになった。
城壁の形が歪なのは、何度か増築された証だろう。
城壁は砦のような無骨なものであるが、城自体は洒落た窓などが目立つ、優雅な造りになっていた。
さすがに、王が住まう城ということか。
中央に城塔。
その頂上に、リーザイの国王ユリウス六世、そしておそらくストラーム・レイルがいる。
そこへ至る前に立ちはだかるのは、ルトゥス率いる『バーダ』第一部隊か。
この国最強の部隊。
それに、ザイアムは挑むことになる。
目的地の前で布陣されては、戦闘を避けることはできない。
突破しなければ、ストラーム・レイルと決着を付けることもできなかった。
魔法を使えれば、あるいは移動を補助するような魔法道具でもあれば、別の手段もあるだろう。
取り敢えずザイアムは、ただの人間だった。
『ダインスレイフ』も、強烈な攻撃で敵を破壊し、強固な防御で使用者を守るだけの魔法道具だった。
だから、この足で駆け、この腕で敵を薙ぎ払って進むしかない。
ここまでは来た。
ここにいるぞ。
ストラーム・レイル。ルトゥス。
わざわざ声を上げなくても、わかる者にはわかるだろう。
だからザイアムは、雄叫びは上げず、ただ『ダインスレイフ』を振り上げた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
揺れた。
たった一人による一撃に、城全体が確かに揺れた。
城壁の上に待機していたライアは、立ち上がった。
「来たぜ! 来た来た!」
おそらくライアよりも早くその存在に気付いていたであろうミシェルは、城壁から身を乗り出している。
「あれを」
ミシェルが、十時の方向を指す。
門が、砕かれていた。
がらがらと崩壊する音が響いている。
ザイアムが、来た。
待機している場所からは、遠い。
ザイアムと正面から戦うのは、『バーダ』第一部隊である。
王の側には、ストラームや親衛隊が控えている。
自分たちの役割は、側面からの援護か撹乱だろうとライアたちは判断していた。
ザイアムが侵入してくる可能性が高い通路で、待つ必要はなかったのだ。
城壁に空いた穴を通る人影。
その頭上目掛け、大人でも二人掛かりでなければ運べなさそうな大きさの岩が、次々落とされる。
おそらく、城の警備隊の者たちが仕掛けていた罠だろう。
土煙が舞う。
普通の人間なら、押し潰されるところだろうが。
破裂。
岩が砕け、投石機で投げられたかのように吹っ飛ぶ。
華やかな城の庭園に、岩の破片が突き刺さっていく。
瓦礫を踏み付け、平然と現れるザイアム。
「……うおー。おっかねえな」
我ながら間の抜けていると感じる口調で、ライアは呻いた。
『コミュニティ』の最強が、城の庭園を闊歩している。
ザイアムの背後に回り込み、遠巻きに展開する部隊があった。
城の警備隊である。
ルトゥスと『バーダ』第一部隊だけに任せるのは、誇りが許さなかったのだろう。
ザイアムの退路を断つ動きだった。
ザイアムが、まともに見もせず、無造作に赤い大剣『ダインスレイフ』を振る。
放たれた斬撃が、精鋭であるはずの警備隊を蹴散らしていく。
また、ザイアムが『ダインスレイフ』を振った。
強固な防御フィールドで守られているはずの城が揺れ、窓ガラスが割れていく。
たった一人。
バルツハインス城に現れた、たった一人の敵。
明らかに異質だった。
ザイアム一人に、城の光景が変わっていく。
城門が開いた。
出撃したのは、『バーダ』第一部隊。
整然と隊伍を組んでいる。
中央に、ルトゥスの姿が見えた。
ザイアムの足が、初めて止まる。
ルトゥスが、抜いた剣を振る。
隊員たちが、流れるように動く。
陣形が変わった。
鶴翼に近い。
中央は、三段に構えていた。
最後尾にルトゥス。
左右の隊は、大きく拡がらず纏まっている。
鶴翼は防御に適した陣形であるはずだが、『バーダ』第一部隊の陣からは、強い攻撃の意思を感じた。
最強の個。
それに、この国最強の部隊がぶつかる。
肌がひりつくのを、ライアは感じた。
ぶつかる前から、異常な緊張感が辺りを覆っている。
実際にぶつかったら、立ち合う者の肌は沸騰してしまうのかもしれない。
ライアは、いつでも剣を抜けるよう鞘に手をやった。
遊ぶために第一地区まで来たのではない。
「……よし。第一と正面衝突すれば、さすがに隙の一つや二つ生まれるだろ。その時は、なんかいい感じに突っ込むぞ、ミシェル」
「……わかりました。付いていきます」
「……いや、お前が先に行けよ。俺が魔法で援護するから」
「嫌です。死にたくないし、兄弟子の影三歩踏まず、と昔の人も言ってるし」
「新しい言葉作るな。いいから、先に行けよ。副隊長代理命令だ」
「パワハラって言葉知ってます?」
「じゃあ、先輩の指示」
「同じです」
対峙は、短かったように思える。
ルトゥスが、剣を振る。
これまでにも何度か見る機会があったが、ルトゥスが出す合図は、いつも単純なものだった。
剣を横に振り上げる、声を出す、指差す、といったように。
単純な動きを組み合わせ、恐ろしく複雑に指示を出し、そして自在に部隊全体を動かす。
それが、指揮官としてのルトゥスだった。
まず動いたのは、中央三列横隊の、最前列。
魔法の、一斉射撃。
光が、次々と前方、ザイアム目掛け放たれる。
その時には、ザイアムも反応している。
響き渡ったのは、ザイアムの雄叫びか、『ダインスレイフ』の唸りか、獣の咆哮か。
赤い刃から発する衝撃波が、濁流のようになった光の束と激突する。
『バーダ』第一部隊百名。
『コミュニティ』最強の一人ザイアム。
最強の部隊と最強の個の戦闘。
その幕が、轟音と共に、今切って落とされた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「現れました。ザイアムです」
わざわざ口にするまでもないが、それでも敢えてストラームは言った。
衝撃に、城塔が揺れている。
ストラームは、全身に痺れを感じていた。
ザイアムの存在に当然気付いていたであろう国王ユリウスの陰が、人眼から姿を遮るベールの奥で動く。
頷いたのだろう。
ザイアムに、『コミュニティ』に攻め込まれた。
その心境は、どういったものだろうか。
「死守せよ」
「はっ。ルトゥス殿がおります。突破されることはないでしょうが、万が一の場合は、このストラーム・レイルがザイアムを止めてみせます」
城塔を降りルトゥスと合流することはできなかった。
ザイアムに出し抜かれたら、ということを考えてしまう。
ここから離れるわけにはいかない。
離れなくても、参戦はできる。
すでに準備は終わっている。
時間帯も良い。
ルトゥスも、ストラームがここにいることを計算しているだろう。
必ず、戦術の中に組み込ませている。
ルトゥス。『バーダ』第一部隊隊長。
ミジュア第一地区、そしてバルツハインス城の守護者。
ストラームが率いる『バーダ』第八部隊は、他の部隊と比べると問題児ばかりだ。
ライアとルーアは、始末書の枚数で他の『バーダ』隊員の追随を許さなかった。
ルーアが除隊処分となってからは、ライアの独壇場である。
他の部隊や警察と連携しなくてはならないことが多々あるのに、レジィナはいつも鉄面皮で、愛想笑いの一つもできない。
ミシェルは、融通の利かないお偉方が相手になると、ほとんど口を開かなくなる。
普通なら、煙たがるものだ。
ルトゥスのように、責任が重い立場にいる者は。
だが、ルトゥスにそんな様子はない。
『バーダ』第八部隊がどこまで使えるか、じっくり見ていると感じさせる。
ランディの件で、ストラームには政治的に不利な立場になっていた時期がある。
ストラームを失脚させようと画策していた者は、両の手では数えきれないほどいた。
擁護するような発言を繰り返したのは、ルトゥスである。
後ろ楯として、エスがいた。
失脚することはなかっただろう。
例え失脚しても、すぐに挽回できたはずだ。
だが、ルトゥスがいなければもう少し面倒なことになっていたのは確かである。
堅物であり、親しい付き合いがあるのは極少数に限られる。
しかしストラームは、昔から嫌いではなかった。
この国を絶対に裏切らないと信用できる、数少ない存在である。
ルトゥスと『バーダ』第一部隊ならば、ザイアムにも対抗できる。
大きく押し返すこともできるかもしれない。
それができなかった場合は、ストラームの出番である。
『バーダ』第一部隊隊員たちの、二十人同時の魔法が、ザイアムを襲う。
『ダインスレイフ』から発生する力場で防ぎ、あるいは剣圧で弾き飛ばすザイアム。
今のところ、互角か。
押し合えば、どこかで硬直する。
ルトゥスが、ライアが、ミシェルが、そこを衝けるか。
「……御寝所を、少々壊してしまうかもしれません」
「よい。この事案は、お前とルトゥスに一任しておる」
「はっ」
『バーダ』第一部隊の陣の中央は、横隊三列になっていた。
一列は二十人である。
城塔の窓から見下ろしていたストラームには、それがよく見える。
最前列の二十人が、一斉に光を撃ち出す。
魔法を放ったあとは、素早く左右に分かれる。
二列目と三列目は、その間に前進。
一列目を構成していた隊員たちは最後尾に回り、また列を作る。
そして新たに最前列になった二十人が、また魔法を放つ。
その繰り返しだった。
ザイアムに反撃らしい反撃をさせていない。
だが、このまま続くことはないだろう、とストラームは読んだ。
魔力は、無限ではない。
いつかは尽きる。
ザイアムの方が、先に力尽きる可能性もある。
根比べにも見えるが、変化は生まれるはずだ。
おそらく、『バーダ』第一部隊から仕掛ける。
三列の左右に、それぞれ二十人の隊がある。
ザイアムは光を力場越しに浴びながら、甲羅に首を引っ込めた亀のようにじっとしていた。
ルトゥスが、剣をザイアムに向ける。
それが合図。
陣の左右に配置された二十人の部隊、合わせて四十人が前進する。
ザイアムは、まだ動かない。
◇◆◇◆◇◆◇◆
『ダインスレイフ』から打ち出される、飛ぶ斬撃とでも表現すればいいもの。
あらゆる障害を打ち砕いてきた。
だが、『バーダ』第一部隊から放たれた光の束。
消し飛ばせない。
ザイアムは、さらに『ダインスレイフ』を振ろうとした。
だが、続けて『バーダ』第一部隊の者たちが光を撃ち放つ。
『ダインスレイフ』から力場を発生させ、ザイアムは光を受け止めた。
速い。
合間に反撃するのは難しい。
三度、光の束が向かってきた。
重い。
力場越しでも衝撃が体を叩く。
体重を支える足が、『ダインスレイフ』を支える腕が軋む。
これまでの魔法も、充分強力だった。
複数の魔法使いが、息を合わせての攻撃だった。
一人一人が一流の魔法使いというのが窺える一撃だった。
だが、三発目は質が違う。
(……そうか。ルトゥスか)
三発目には、ルトゥスの魔法が混ざっていたのだろう。
ストラーム・レイルにも匹敵すると評価されることさえある、『バーダ』第一部隊の隊長である。
それを知る者は、あまりいないが。
特殊部隊に所属していながら世間に名前が知れ渡っているストラーム・レイルの方が、ちょっとおかしいのだ。
四発目、五発目。さらに光がザイアムを襲う。
力場で防ぎながら、ザイアムは分析していた。
おそらく、約二十人が同時に魔法を放っている。
それが、同じ場所から同じタイミングで同一方向に魔法を放ち、ある程度制御できる限界の人数なのだろう。
すでに、干渉し合い、軌跡をねじ曲げ明後日の方向に飛ぶ光線もあった。
ザイアムを魔法使いたちで取り囲まなかったのは、包囲が薄くなるからか。
魔法を防ぎつつ包囲を突破するのは、不可能ではない。
六発目。
また、重たい。
閉ざした口から、呻きが漏れてしまうほどだ。
ルトゥスが魔法を放ったのだろう。
それで、分析はさらに進んだ。
約二十人で構成されている三つの班が、交代で魔法を放っている。
七発目、八発目。
九発目で、わずかに後退させられた。
熱気に、息が詰まる。
足下が脆くなっていた。
十発目、十一発目、十二発目。
根比べになるか。
ザイアムが防ぎきるか、防御を撃ち破られるか。
(……違うな)
魔力は、無限ではない。
長期戦は、魔法使いには不利。
ルトゥスは、根比べに持ち込むつもりはない。
それは、二十人の班が三つということでわかる。
『バーダ』第一部隊は、約百人。
あと四十人が、どこかで仕掛けてくる。
機会を窺っている。
ザイアムの喉首を掻く機会を。
こちらから仕掛けるか、それとも待つか。
光を受け止めながら、自分が洗練されていくのをザイアムは感じた。
鋭く尖っていく。
より速く、『ダインスレイフ』を振れる。
斬撃を撃ち出せる。
光の束と光の束の間。
『ダインスレイフ』を振り切り、反撃する。
できなくはないはずだ。
どこで反撃するか。
十三発目、十四発目、十五発目。
間が空いた。
左右から向かってくる集団がある。
力を蓄えていた、『バーダ』第一部隊隊員たち四十人。
『ダインスレイフ』を振る。
右から来る集団を斬撃が叩く。
だが、十人ほどが展開させる魔力障壁に阻まれた。
左から、二十人。
力場を発生させる暇はない。
後退しながら、剣を二本払う。
留まれば、囲まれる。
切っ先をかわしつつ、また後退する。
一人一人が、よく鍛えられていた。
全員が、剣か魔法で一流である。
踏み込み。音を立てる。
それはフェイント。
攻撃はせず、後退を続ける。
追撃が止まった。
間合いが開いた瞬間、また光が収束し、ザイアムを貫こうとする。
連続して二発。
力場で受ける。
斜め後方に回り込む集団があった。
二つ。バルツハインス城の警備隊。もう一つは、王の親衛隊だろうか。
王の側を離れて、なにをしているのか。
ストラーム・レイルだけで、王の警護は充分だという判断だろうか。
ルトゥスの魔法。重たい。
包囲されている。
何百という精鋭たち。
体が震える。
ザイアムは、笑った。
何百という敵対心に全身を刺されながら、笑った。
無数の魔法。
全方位からの剣、槍。
かわし、受け、払い、捌く。
全てを防いだ。
この国の最大戦力が、ザイアムに傷一つ付けられない。
反撃の一振りに、『バーダ』第一部隊の二人が傷付き後退する。
(……弱いところ)
もっとも、包囲の脆い部分。
絶え間無く攻撃され続けながら、ザイアムは探した。
(そこか!)
魔法で撃たれる。
直撃はしていない。
力場で受けている。
踏み留まらず、撥ね飛ばされる。
敵を力場で押し退けながら着地した先は、警備隊の真っ只中だった。
『ダインスレイフ』の一振りで七、八人が両断される。
息を吐く。
それだけで、震え上がる者がいる。
体を寄せ、時に静かに刃を振り上げ、時に激しく剣を振り抜く。
『ダインスレイフ』を振った先に、敵はもういない。
周囲には、いくつもの死体が積み重なっていた。
城の中が、戦場になっていた。
たった一人と何百人の戦争である。
怒号が飛んだ。
ルトゥスか。
警備隊と親衛隊に退くよう言っている。
命令に近い口調だった。
『バーダ』第一部隊が陣形を整えている。
また、魔法の一斉射撃だった。
受け止めながら、左右に回る班を眼で牽制する。
光を防ぎ、熱に耐えながら、リズムを読んでいく。
反撃するために。
ルトゥスを、叩く。
頭を潰せば、どんな部隊でも止まる。
ルトゥスの魔法の後。
ザイアムは、『ダインスレイフ』を振り上げた。
反攻の一撃。
だが、手を止める。
魔法と魔法の合間。
それが長い。
接近してくる部隊もない。
部隊は、ない。
飛行の魔法。
飛んでくる者がいる。
一人。ライア・ネクタス。
『ダインスレイフ』は、振り上げている。
渾身の一撃を放つ直前だった。
体を捻り、全身を硬直させている。
この状態からだと、反撃になる。
加減を間違えれば、『ネクタス・システム』が起動する。
百に対しては百一以上で、千に対しては千一以上で反撃する力だった。
加減は苦手である。
『ネクタス・システム』が起動してしまう。
(……敵と思うな)
雄叫びを上げ、剣を先に猛烈な勢いで向かってくる。
だがそれでも、敵とは思うな。
抱擁を求める女を抱き締めるように、親に懐く幼子の頭を撫でるように、優しく丁寧に受け止めろ。
『ダインスレイフ』を、捨てた。
地面で跳ねる。
『ダインスレイフ』の柄から伸びている管は、ザイアムの右腕に刺さっている。
剣の重みに、動きを制限される。
ライア・ネクタス。
一瞬の近接。
敵とは思うな。
左手。
親指と、それ以外の指で剣を挟み込む。
ライア・ネクタスの突進を止めたのは、一瞬だけだ。
すでに剣から手は離している。
身を屈めたザイアムの頭上を、斬り付ける勢いを剃らされたライア・ネクタスが通り過ぎていく。
「なんだその芸当はぁぁぁっ!?」
自分の突進の勢いで吹っ飛びながら、ライア・ネクタスが器用に叫ぶ。
右腕を返す。
『ダインスレイフ』が戻ってくる。
(……さて)
ライア・ネクタスの乱入も、ルトゥスは戦術に組み込んでいただろうか。
組み込んでいたとしたら、計画通りとなる。
次は、どんな手を打ってくるか。
『ダインスレイフ』の柄に手を伸ばした瞬間、寒気がした。
十八時。
斜陽により伸びた、自分の影。
一瞬できた、ザイアムの死角。
『バーダ』の隊員が着る黒いジャケット。
いつの間に接近した。
知っている顔だ。
資料で見たことがある。
ルーアの後輩。
『バーダ』第八部隊隊員。
(ミシェル・エインズワースか!)
すでに、その手の剣を閃かせている。
『ダインスレイフ』の回収を一時的に諦め、右からの斬撃をかわすために、ザイアムは身を翻した。
「!?」
さらに、身を捩る。
右からくるはずの斬撃が、左からきた。
『ダインスレイフ』を引き摺り、後ろに下がる。
ミシェル・エインズワースの、二度の斬撃。
鋭い。
だが、そんなことよりも。
二度の斬撃の間に、確認できただけでも、織り混ぜられたフェイントが実に八回。
剣も、足捌きも、全てが変幻。
ノエルの剣に近かった。
違うのは、ノエルの動きは天然だが、ミシェル・エインズワースの動きは理詰めであるということだろう。
(……ランディ・ウェルズ)
ミシェル・エインズワースの背後に見える師の陰に、ザイアムは敬意を評した。
ランディ・ウェルズは、剛の者だった。
ミシェル・エインズワースの剣とは、まったくの別物である。
よくぞ、このような剣士を育て上げたものだ。
やはり、剣を教えることに於いては、ランディ・ウェルズが最高だった。
冷や汗が流れるのを感じながら、ミシェル・エインズワースの剣をかわす。
管を掴み、『ダインスレイフ』を引く。
柄に、指が掛かった。
これで、負けはない。
相手がミシェル・エインズワースであろうと、ストラーム・レイルであろうと、ルトゥスであろうと。
『ダインスレイフ』を握った瞬間、ミシェル・エインズワースが後退する。
良い判断である。
剣では、『ダインスレイフ』の力場は破れない。
『ダインスレイフ』の斬撃を浴びせれば、一撃でけりは付く。
ミシェル・エインズワースに、『ダインスレイフ』で攻撃することはできなかった。
力場を発生させる。
『バーダ』第一部隊。
統制された指揮の元に放たれる魔法が、力場を叩きザイアムを揺さぶる。
魔法を受ける。
リズムは、もう読めている。
反撃できる。
魔法と魔法の合間に、『ダインスレイフ』を振り抜いた。
斬撃が、わずかに残った石畳を捲っていく。
光芒。正面から『ダインスレイフ』の斬撃とぶつかり、互いに弾け散る。
城を揺るがす、いや、街を揺るがす。
衝突により飛び散る物は、凶器だった。
小石さえ、城壁に亀裂を走らせる。
光芒を放ったのは、ルトゥスだった。
ついに、部隊の前に出てきた。
後方に、隊員たちを展開させている。
ザイアムの左手の方向に、ライア・ネクタスとミシェル・エインズワース。
陣形は、最初のものと違う。
次は、どうくるか。
息は乱れているが、ザイアムは未だ無傷。
ただし、敵の最精鋭も無傷に近い。
魔力や精神力は、いくらか削ったはずだ。
ルトゥス、『バーダ』第一部隊、ライア・ネクタス、ミシェル・エインズワース。
ミジュアの、リーザイ王国の最精鋭。
これ以上の戦力は、この国にはない。
(……待て)
なにかを、忘れている。
あまりの猛攻に、忘れさせられた。
ストラーム・レイル。
見上げる。
バルツハインス城の中央にそびえる、城塔。
その頂点。
「……そうか。そこから来るか」
呟く。
光が見える。激震。
塊となり、ザイアム目掛け降ってきていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
ザイアムは倒せない。
城塔からその戦いを見下ろしながら、ストラームは確信していた。
ルトゥス率いる『バーダ』第一部隊、親衛隊や城の警備隊、ライアにミシェル。
何百の精鋭を相手にして、互角に渡り合っている。
警備隊には、犠牲も出始めていた。
ルトゥスは、さすがに上手く部隊の指揮を執っている。
ザイアムの突入を阻めてはいた。
だがこのままでは、被害がますます大きくなるだろう。
「……修復する時間はないと思いますが」
「よい。他の者にやらせよう」
ベールの向こうのユリウスの返答を待たず、ストラームは魔法を発動させた。
窓とその周辺が、衝撃波により粉微塵になる。
先に力の通り道を作っておかなければ、次の魔法の余波で、城塔が崩れる恐れがある。
物音を聞き付け、下の階に控えていた侍女が顔を見せた。
ユリウスが侍女になにかを言い、追い返す。
ストラームは、ザイアムの動きを注視していた。
好機は、一瞬だろう。
ずっとここでザイアムを待っていた。
準備は万端である。
床一杯に描かれた魔方陣が、輝く。
力が漲る。
全身が、滾っているかのようだった。
精鋭たちが、ザイアムと相対している。
そしてこの距離。
ザイアムを見下ろせる角度。
それだけの条件が重なることで、奮える全力がある。
光が、膨れ上がっていく。
静かに輝き、微かに震える。
激しく爆ぜるのは、破壊の力を撃ち下ろしてからでいい。
ルトゥスが、部隊の前に出る。
対峙。
ザイアムの動きが止まる。
ストラームのことを忘れた。
意識から外した。
それを感じる。
迷いはなかった。
この時以外に、放つべき瞬間はない。
「ティルト・ヴ・レイド!」
渾身。
全身の力を振り絞り、血の一滴まで搾り取るようなつもりで、全力で魔力を放出する。
完璧な制御。
それでも力は暴れ、余波がストラームの体を叩く。
城塔が揺れる。
崩れるかもしれないと思ったが、そんなことは気にならなかった。
光芒は、ストラームの制御通り真っ直ぐに進む。
ただ、ザイアムを目掛け。
ザイアムが、『ダインスレイフ』を振り上げる。
その姿、人剣一体とでも表現すればいいのだろうか。
ザイアムの雄叫びが、ここまで聞こえてくるような気がした。
◇◆◇◆◇◆◇◆
破壊の力が、突き進んでくる。
巨大な光の塊であり、とてもかわせるものではない。
ザイアムは、『ダインスレイフ』を振り上げた。
信じることができる武器。
ザイアムの意思に、必ず応える兵器。
これまで以上に、『ダインスレイフ』の刃が赤く輝く。
自分の体を壊すような勢いで、ザイアムは『ダインスレイフ』を振り抜いた。
斬撃が飛ぶ。
空気を裂いていく。いや、壊していく。
体が悲鳴を上げるが、ザイアムは即座に『ダインスレイフ』を引き戻した。
激突する位置が近すぎる。
力場を発生させた。
『ダインスレイフ』の飛ぶ斬撃と、ストラーム・レイルの魔法がぶつかる。
押し合い。だが、やがて一方的に押され出す。
無理もない。
ストラーム・レイルの一撃は、入念に下準備を行い、満を持して放った魔法だろう。
ザイアムが放った斬撃は、咄嗟に繰り出したものだ。
斬撃が、砕け散る。
それでも、ストラーム・レイルが放った魔法の威力を、かなり削り取っていた。
力場を、光芒が直撃する。
衝撃。
経験したことのない重さだ。
足が浮いた。
それから、また叩きつけられた。
何度か繰り返す。
後退させられた。
光芒は、ザイアムを追い軌跡を変える。
背中で城門か城壁を突き破る。
光を浴びたもの全てが消失していくようだった。
膨大な熱量である。
それでも、ザイアムと『ダインスレイフ』だけはその存在を保っている。
後退はさせられたが、足の裏以外は地に付かなかった。
膝を屈したくはない。
世界最強とされているストラーム・レイルの、渾身の一撃であってもだ。
道を、滑っていく。
ザイアムの体が通った所は、路面が融解していった。
『ダインスレイフ』の使用者を守る力がなければ、ブーツは焼け崩れていただろう。
熱で肺はやられ、轟音で鼓膜が破れていたかもしれない。
ストラーム・レイルの魔法の効果範囲外の民家から、住民たちの顔が見えたような気がした。
ザイアムが彼らの立場ならば、きっと笑っただろう。
大男が、馬鹿げた速度ですっ飛んでいくのだ。
大通りの大半を消失させ、ストラーム・レイルの魔法はその効果を失った。
ザイアムは、構えを崩さなかった。
負傷はしていない。
ストラーム・レイルの全力を、耐えきった。
『ダインスレイフ』は、見事にザイアムの意思に応えてくれた。
全身が痛むが、やはり膝は付かない。
王都の、城に攻め込む。
それは、この国全てを敵に回すことだ。
だが、屈しない。
何キロ押されたのか。
すでに消し飛んだ城門があったのは、かなり遠くの所だ。
「……面倒だな」
あそこまで行くのも、面倒である。
向こうがまだ戦いを望み、向かってくるのならば、別の話だが。
それに、勝てない。
屈しなかったが、勝てもしない。
この国の最精鋭を謳うだけの力が、確かにストラーム・レイルにも『バーダ』第一部隊にもある。
これ以上は続けても、面倒なだけだ。
地を歩き、城に突入した。
それは、最後に必ず意味を持つ。
クロイツの依頼は果たした。
『コミュニティ』への義理立ては済んだ。
「……」
魔法により生じた颶風に、黙ってなぶられる。
城から、ザイアムを討つための部隊が出動する様子はない。
なぜ、クロイツの依頼を果たそうとした。
『コミュニティ』への義理立てなど考えた。
バルツハインス城には、『バーダ』第一部隊、それに『バーダ』第八部隊の主力が待ち構えていたのだ。
面倒なことになるのは、わかりきっていた。
答えに気付き、苦笑する。
つまり、クロイツやソフィア、ノエルやウェインのことを、自分で思うよりも気に入っていたということなのだろう。
だから、全てを終わらせ去る前に、義理立てしようとした。
(それと、おそらく……)
暗くなってきた、空を見上げる。
あの時とは、違う空。
あの時は、去り行く『ボス』とクロイツを、ただ見送るだけだった。
巨大な力を、ただ眺めるだけだった。
今度は違う。
この国最大の力に、正面から立ち向かったのだ。
自分が変われたことを、証明できた。
(さて……)
全身の痛みは去った。
義理も果たした。
証明もできた。
これ以上、ここにいる必要はない。
追っ手の姿はない。
悠々と帰還すればいい。
あとは、ステヴェ・クレアが、望むだけの働きをしてくれるか。
「クロイ……」
呼び掛けようとして、やめた。
(……違うな)
またいいように、利用されてしまう。
だからここで呼ぶべきは、クロイツではない。
「……エス」
聞こえるに決まっている。
その確信を持ち、ザイアムはその名前を呼んだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆
揺れは収まり、城塔が崩れる気配もない。
そこまで確認し、ストラームはユリウスの許しを受け、城塔を降りていった。
城の庭に出た。
庭園は焼け果て、石畳は砕け散り、城門は消し飛んでいる。
城壁の多くが、用をなさないものとなっていた。
惨状とも取れる有り様だが、これでも被害は最小限に止められたと言っていいのだろう。
ストラームの予想では、死傷者などがもっと出るはずだった。
ストラームの姿を認めたライアとミシェルが、敬礼する。
これは、他の者の眼があるからだ。
普段、特にライアは、まともに敬礼などしない。
ストラームも、堅苦しいことは望まない。
二人とも、寄ってこようとはしなかった。
ストラームが、ルトゥスの方へ向かっているからだろう。
ルトゥスは、静かに部下たちに指示を出していた。
表情は固いが、緊張しているわけではないだろう。
いつも通りの鉄面皮である。
こちらに気付くと、ルトゥスの方から声を掛けてきた。
「これは、レイル殿」
「さすがは、ルトゥス隊長が率いる第一部隊。見事な戦い振りでした」
あるいは、皮肉に取られる可能性もある発言かもしれない。
だが、ルトゥスならば皮肉ではないとわかる。
ザイアムの恐ろしさを、理解しているのだから。
ザイアムが、再び現れる気配はない。
追い返すことに成功したのだ。
それを考えたら、城に突入され庭園を破壊されたことなど、恥ではない。
ルトゥスと『バーダ』第一部隊以外に、そんなことができる部隊があるだろうか。
「第八部隊の協力があればこそです」
控え目な物言いだが、当人は謙遜のつもりはないだろう。
本心を語っている。
「レイル殿は、これからどうなされる?」
「第八地区に帰還致します。長らく留守にしてしまいました。ルーアが戻ったので、心配はいらないと思ってはいますが」
「『ネクタス家の者』の守護者が、みなここにいる。望ましいこととは言えないですな」
「はい」
会話を短めに切り上げ、ストラームは立ち去ろうとした。
ふと、ルトゥスがザイアムが消えた方に意識を向けていることに気付く。
更なる攻撃を警戒しているという感じではなかった。
「……ルトゥス隊長」
「なんでしょうか?」
「ザイアムを、どうしますか?」
「追います」
ストラームは、耳を疑った。
「いや、追うという表現が正しいかわかりませんが。とにかく、ザイアムの元へ向かいます。まずは、城の被害と負傷者の状況を確認してからですが」
「危険です」
さすがに警告した。
訓練を積んだ『バーダ』第一部隊が間延びするとまでは言わないが、それでも集団で追跡すれば、陣に乱れは出るものだ。
ザイアムが、それを見逃すか。
わずかな乱れを切っ掛けに、最精鋭を壊滅させる可能性もある男である。
去るのならば、見送る。
ザイアムが相手ならば、それが一番正しい対処法だろう。
「レイル殿がなにを案じているか、わかります。ですが、その心配は無用と申しておきましょう。第一部隊は、城に待機。城に被害があったことは、すぐに街中の噂になるでしょうからな。引き締めのためにも、それが必要です」
「第一部隊は、待機……?」
では、どの部隊がザイアムを追うのか。
「ザイアムの所へは、私が。私が不在の間は、副隊長以下の者たちに、部隊の指揮を執らせます」
「……あなたが、お一人で?」
「そのつもりです」
また、耳を疑った。
ルトゥスは、厳格な人物だった。
指揮官の一騎討ちなどには、批判的である。
部隊を率いる者としての行動としては、相応しくないと考えている。
確かに、部隊に与える影響は大きいだろう。
その影響が、良い方向に転がるとは限らない。
一人で出歩くことはなかった。
常に警護の者を付ける。
ルトゥスを暗殺できる者などいないだろう。
それでも、単独行動など取らない。
地位ある者として、当然のことだという意識がある。
ルトゥスからは常に、指揮官として模範になろうという姿勢が窺えた。
そのルトゥスが、単独でザイアムを追うと言っている。
これは、普段のルトゥスとは違う。
ザイアムの強さに、血が滾ったというわけではないだろう。
いつものように、冷静沈着である。
だが、発言がいつもと違う。
いつもと違う行動を取ろうとしている。
別人なのではないか。
一瞬その考えが、ストラームの頭を過った。
「……あなたは、誰なのです?」
馬鹿馬鹿しい質問だった。
そんな質問をしてしまうくらい、先程からのルトゥスの発言はおかしかった。
「私は私ですよ、レイル殿」
馬鹿馬鹿しい質問をしたからだろう。
ルトゥスは、鉄面皮に微かな笑みを浮かべているようだった。