超える力
少し風が強くなったか。
ミジュアの街を、テラントと並んで走る。
ルーアにとっての故郷。
見慣れた所も多々あるはずなのに、所々で違和感を覚える。
旅をした二年ほどの月日が、違和感を運ぶのかもしれない。
ルーアたちの前方を走るのは、ステヴェ・クレア。
凄腕の剣士である。
背中を見せて逃走しているので、魔法で攻撃したいところだが、ステヴェは絶妙なタイミングで路地を曲がる。
まるで、背中に眼があるのではないかというような走り方だった。
魔法を使えば、建物を傷付けてしまうだろう。
住民のことを、どうしても考えてしまう。
たまに警官がステヴェを遮るが、ほとんど足止めにもならず斬り捨てられる。
あの男とは、絶対に剣を合わせないようにしようとルーアは思った。
『コミュニティ』のテロ行為で、街は混乱していた。
近くで火事があったのだろう、視界が悪くなっていた。
ステヴェが、また路地を曲がる。
軽い目眩を感じた。
煙を吸い込まないよう注意していたはずだ。
念のため口を抑え、ステヴェを追跡する。
「なっ……」
ステヴェが消えた路地に入ったところで、テラントと二人で絶句する。
ステヴェの姿が、影も形もなく消えていた。
「どういうことだ……?」
警戒しながら、テラントに問われる。
「……さあな」
真っ直ぐの道だった。
だが、ステヴェの背中は見えない。
建物の窓があるが、固く閉ざされており、侵入した形跡はなかった。
痕跡一つなく、物音一つ立てず突然消えるなど、普通は不可能だろう。
建物を見上げるが、魔法も道具もなく越えられる高さではない。
隠し持っていた魔法道具でも使用したのだろうか。
今になってそれを使ったのならば、ここは危険かもしれない。
身構えた。
ステヴェが姿を消した手段がはっきりしない間は、迂闊に後退することもできない。
ステヴェが消えた路地。
突然、すぐ眼の前に人影が現れた。
白い姿に、今度は仰け反りながら身構える。
「……エス、お前……」
ルーアが非難しようとしたところで、エスは白い掌を向け遮ってきた。
「ステヴェ・クレアを、見失ったようだね」
「……ああ、見失った」
テラントだった。
声に、険悪なものが混ざっている。
「どこに行ったか、わかるか?」
額に手を当てていた。
もしかしたら、テラントも感じたのかもしれない。
煙を吸い込んでもいないのに、目眩を。
エスが、肩を竦める。
「エス、まさか、お前……」
ルーアと同じことを考えたか、口調がますます厳しいものになる。
ステヴェを見失った。
見失うはずがないものを見失った。
そして、現れたエス。
感じた目眩。
エスが、ステヴェの逃走を手助けしたのではないか。
エスが、ルーアたちの後方を指す。
『バーダ』第八部隊の基地がある方向だと、ルーアは気付いた。
「ステヴェ・クレアの兄、イアン・クレアが、基地への襲撃を考えている。レジィナがいる。デリフィス・デュラムも、シーパル・ヨゥロも、ユファレート・パーターも。心配はいらないはずだが、一応の要請だ。基地に引き返してもらえないか、テラント・エセンツ?」
テラントは、左の拳を固めていた。
多分、本気で腹を立てている。
エスは、ステヴェの追跡を妨害したのではないか。
証拠はなく、エスが肯定することはないだろう。
だが、エスにやましいことがないのならば、はっきり否定するはずだ。
否定しないことが、証拠のようなものである。
最低限、理由くらいは話すべきだろう。
問い詰めても無駄だと、テラントは悟ったのかもしれない。
苛々と溜息をつく。
「……まあ、いいさ。戻るぞ、ルーア。元々、俺たちの役割は基地を守ることだ」
「いや、ルーア、君は残れ。話がある」
テラントが、舌打ちした。
「リーザイ政府の者同士としての話だ、テラント・エセンツ。君には聞かせられない」
「……そんなの、いつもの頭の中に直接話すやつで済ませろよ」
「残念ながら、現在その能力は、クロイツに封じられている。封印を解くには、今しばらくの時間が必要だ」
テラントが、今度は頭を掻く。
苛立ちを隠そうとしない。
それだけ、ステヴェを倒しておきたかったということかもしれない。
「……わかった」
エスを一睨みして、テラントは引き返していった。
「お前なぁ……」
呻く。
ルーアにも苛立ちはあったが、テラントが腹を立ててくれた分、冷静にもなれていた。
「ステヴェ・クレアは、強い」
ゆっくりと、エスが言った。
「そんなもん、わかっている」
「それでも、君とテラント・エセンツの二人掛かりなら、ほぼ確実に勝てるだろう。だが引き換えに、君たち二人のどちらかが死亡する可能性もあった」
「だからってな……」
「ルーア」
エスが、静かに見つめてくる。
「君は、ザイアムに勝てるか?」
「……無茶言うな」
即答できることを即答しなかったのは、エスの質問が唐突だったからだ。
皮肉を言われているように感じたからでもある。
「では、条件を変える。君の前には、テラント・エセンツとデリフィス・デュラムがいる。背後には、シーパル・ヨゥロとユファレート・パーターがいる。彼らの援護を受けながら、君は戦える。……ザイアムに、勝てるか?」
「……」
少し迷った。
テラントとデリフィスは、あるいは最高の剣士かもしれない。
シーパルとユファレートは、あるいは最高の魔法使いかもしれない。
将来それになる可能性が、間違いなくある。
それでも、ザイアムを倒せる気がしなかった。
犠牲を抑え撤退できるかもしれない。
それでも、ザイアムに勝つことだけは想像できない。
「……無理だと思う」
「そうか」
頷くエスに、非難の色は見えない。
「ザイアムを倒すことができれば、『コミュニティ』は大きく揺らぐ。ザイアムの敗北や死には、それだけの意味がある」
「そりゃあな……」
「ステヴェ・クレアには、ザイアムを倒せる可能性がある」
真顔で言うエスに、ルーアは絶句した。
「もちろん、有りとあらゆる条件が重なった場合の話だが」
「まさか……」
信じられなかった。
信じたくない、のかもしれない。
「今、ザイアムはバルツハインス城を目指している。ルトゥス率いる『バーダ』第一部隊だけではなく、ストラームもいるバルツハインス城をだ」
「……それは」
ライアとミシェルが第一地区に呼ばれたのは、それが理由か。
超人たちに囲まれ、二人はさぞ肩身が狭い思いをすることになるだろう。
御愁傷様、と言うしかない。
「激闘になるだろう。リーザイ史に残る出来事となるだろう。それでも、おそらくザイアムは死なない。敵の中心部に単身乗り込み、そして無事に撤退する」
「……だろうな。で、そのザイアムに、あのステヴェってのは勝てるって?」
「とてつもない価値があるとは思わないかね?」
「……」
思う。
だがそれは、ザイアムに勝てるならの話である。
やはり、ザイアムが負ける姿は想像できない。
「ルーア」
「……なんだよ?」
いつもは測るような視線のくせに、真っ直ぐにエスに見られ、ルーアは嫌な気分になった。
「君は、ザイアムには勝てないと言った。おそらく、どれだけの条件を重ねても、無理なのだろう」
「……」
「それはそれで仕方ない。あれは、特別だ。ストラームでさえ、勝てるとは言わないだろう。だから、仕方ない。……今は、だ」
「……今は?」
「おそらく、あと半日というところだろう。それまでに、身に付けたまえ」
「なにを?」
エスの眼に、力が籠る。
そして、彼は言った。
「ザイアムを、超える力を」
◇◆◇◆◇◆◇◆
長距離転移の魔法でユファレートと、背中を負傷したティアが『バーダ』第八部隊の基地に帰還してきたのは、十一時過ぎのことだった。
それから三時間ほど経過したか、かなり深い傷だったらしく、ユファレートとレジィナはティアの治療を続けている。
戻ってきたシーパルも、治療に加わった。
それで、ユファレートは落ち着いたようだ。
ティアは助かる、ということだろう。
デリフィスは、右腕を回した。
肩を痛めたことをテラントに指摘され基地に戻ることになったが、すでに痛くも痒くもない。
その程度の負傷だったということだ。
いや、負傷以前のものだった。
それでも帰還したのは、テラントの言葉に説得力があったからである。
あの剣士は強い。
万全の状態でぶつからなければならない。
もう一人、剣士と共に現れた魔法使いにも、危険なものを感じた。
皆は、二階にあるユファレートが借りている部屋に集まっているはずだ。
長距離転移で帰還したが、ティアを他の部屋に運ぶ余裕もなかったようだ。
デリフィスは、一階にある事務室にいた。
今、一番警戒しなければならないのは、ティアが戦闘に巻き込まれることだろう。
襲撃があれば、ここで受け止められる。
飛行や瞬間移動の魔法などで、直接二階に躍り出るのは難しい。
隙の大きい魔法だ。
シーパルやユファレートが、その隙を見逃すとは思えない。
遠距離からの魔法による狙撃も、凄腕の魔法使い三人が揃っている状態なら、まず通用しないだろう。
デリフィスは、外に注意を向けていた。
戦闘が起きている。
ミジュアの警官隊と、『コミュニティ』の兵士により構成された部隊によるぶつかり合いだった。
人数はほぼ同数、戦力はやや警官隊が勝るか。
だが、新たに駆け付けた『コミュニティ』の部隊が、戦闘に加わる。
二十人ほどの部隊か。
警官隊が、押され出す。
助太刀するべきか。
迷いながら、デリフィスは『バーダ』第八部隊の基地を出た。
敵の余剰戦力がこちらに向かってくれば、少し面倒なことになる。
こちらには、戦えない者が三人いるのだ。
混戦になるのは、防衛する側の方が危険だった。
混乱した状況では、敵に追加戦力があった場合に対応が遅れる。
今のところ、警官隊と争っている部隊以外に、周囲に敵の姿はない。
警官隊と協力して、叩いておくべきではないか。
迷ったまま、デリフィスは歩を進めた。
なにか、違和感がある。ざわつくものがある。
再度周囲を窺うが、やはり他の敵の姿はない。
気のせいか。更に前進する。
基地から、五十メートルほど離れたか。
はっとして、デリフィスは振り返った。
気配を、はっきり感じ取ったのだ。
基地の入口の前に、あの肌の白い魔法使いがいる。
そして、地中から湧き出る兵士たち。
その数、十四、五人。
デリフィスは、思い出していた。
あの魔法使いは、魔法で地震を起こした。
そして、魔法使いにも様々な得手不得手がある。
例えばシーパルは、防御や回復の魔法を得意にしている。
以前のルーアは、細かい魔法を苦手にしていた。
あの肌の白い魔法使いが得意とするのは、おそらく地面に干渉する魔法。
魔法で、こちらの死角である地中にトンネルを作っていた。
すでに基地の敷地までの侵入を許している。
敵は、いつでも襲撃を掛けられる状態である。
剣を手に、デリフィスは基地へと駆けた。
魔法使いは合図を出し、兵士たちを基地の建物内へと進ませる。
一人で受けて立つつもりか。
魔法使いを睨み、駆ける速度を上げる。
魔法使いだ。
当然、打つ手は魔法だろう。
デリフィスが距離を詰めるまでに、使われたとして一度か二度。
危険だが、デリフィスは躊躇わず前進した。
接近しなければ、対魔法使いとの戦闘には活路がない。
魔法を喰らえば、デリフィスの負け。
魔法をかわし近接すれば、デリフィスの勝ち。
実にわかりやすい。
魔法使いが、地に手を付ける。
「グランド・ウォール!」
足場が揺れる。
地面が隆起し、デリフィスと魔法使いを遮る壁を作っていく。
攻撃は、こない。
魔法使いの気配が遠ざかる。
(……逃げる? 目眩ましか?)
いや、違う。
大地の壁は、基地の建物を囲むように精製されているようだ。
皆と切り離された。
デリフィスとの戦闘を回避した。
魔法使いの狙いは、建物内にいる誰かか。
剣を、大地の壁に叩き付ける。
硬い。鉄に斬り付けているかのような手応えだ。
そして厚い。
高さもあり、基地の屋根まで届きそうである。
乗り越えられるものではない。
それでも、何度か剣を叩き込めば、壁を破れる自信があった。
魔法使いにとっては、十数秒の、長くても数分の時間稼ぎ。
大規模な魔法にしては、非効率的な時間稼ぎかもしれない。
だが、一秒あれば二人は斬れる。
十数秒という時間の意味は、決して小さくない。
十五ほどの兵士。
そして、強力な魔法使い。
シーパルがいる。ユファレートがいる。
『バーダ』第八部隊の隊員であるレジィナも、大した魔法使いなのだろう。
しかし、負傷したティアがいる。
なにもできない赤子たちがいる。
シーパルたちは、移動や治療でそれぞれ消耗しているだろう。
嫌な予感がした。
振り切るために、デリフィスは渾身の力で剣を振るった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
いくつもの足音が、階下より響く。
シーパルは、焦るのを感じていた。
一階には、デリフィスがいたはずだ。
外に出た気配は感じたが、その隙に侵入してきた者たちがいる。
剣を合わせる音は聞こえない。
なんらかの方法で、デリフィスはかわされてしまったのだろうか。
部屋の中が、暗くなっていた。
建物を囲み、土の壁ができている。
それが、窓から差し込むはずの日の光を遮っているのだ。
異変に反応したティアが、寝台の上で上半身を起こす。
まだ、動き回れるほど回復はしていないだろう。
レジィナは、蒼白な顔色で娘であるエマとアヴァを抱きしめていた。
数日見た限りでは、冷静沈着な女性だという印象を受けていたが、随分と動揺しているようだ。
母親だということだろう。
子供だけは、なにがなんでも失えない、というところか。
(……十五人……!)
ヨゥロ族の中でも、ある特殊な訓練を受けた者だけに備わる力。
シーパルにはそれがある。
見えない所にいる者たちの存在を、感じ取れたりできるのだ。
今は、十五人が階下を動き回っている。
あまり迷うことなく、階段のところへ向かっているようだ。
『バーダ』第八部隊。ストラーム・レイルが率いるその部隊は、長年『コミュニティ』に敵対している。
『コミュニティ』が、基地の内部まで詳細に調べていても、おかしくはない。
すぐにでも階段を駆け上がってくる。
建物の中。思うように魔法は使えない。
ティアを見た。
剣を合わせるだけの力は残っていない。
レジィナも、武器を手に戦うことが得意なようには見えない。
ユファレートは超一流の魔法使いであり、前衛がいてこそ、その力の全てを発揮できる。
長距離転移の魔法を使用したことにより、かなり消耗もしていた。
接近戦は苦手だが、みんなの一歩前に出なければならないのは、自分だろう。
短槍を片手に、部屋を出る。
廊下の先に、階段を上がり終えた兵士たちの姿が見えた。
そちらに、掌を向ける。
『バーダ』第八部隊の基地を壊すことになるが、ある程度は仕方ない。
時間さえ掛ければ、建物の修復は可能だ。
「フォトン・ブレイザー!」
光線が、先頭の兵士を撥ね飛ばし、壁に穴を空ける。
狭い廊下ではない。
光線をかわした兵士が、向かってきていた。
「フォトン・スコールド!」
部屋の中から、壁越しに放たれるユファレートの魔法。
廊下の天井近くに転移した光球が、破裂して兵士たちに降り注ぐ。
壁に遮られているため、眼をつぶって放ったようなものであり、さすがにこの魔法だけで敵の殲滅とはいかない。
それでも、光は兵士二人の頭部を撃ち抜いていた。
兵士たちの前進に乱れが出るが、それでも四人は接近してくる。
突き出された小剣を、短槍を振って払う。
おかしな力の加わり方をしたか、短槍の柄が折れた。
大柄な兵士が、剣を振り上げる。
短槍を捨て後退しつつ、シーパルは魔法を発動させた。
「ヴォルト・アクス!」
強烈な電撃が、兵士たちを包む。
手にする刃物さえも焦げ付く。
「フォトン・スコールド!」
ユファレートが、先程と同じ魔法を使う。
シーパルが近接戦闘用の魔法を使ったことで、ある程度敵の位置を予測できたのかもしれない。
分裂した光弾に、接近してきていた兵士たちは背中を穿たれていく。
これで、近くに迫ってきていた兵士たちは全て倒した。
後続の兵士たちが、怯むことなく廊下を駆ける。
(集中!)
自分に言い聞かせる。
テラントもデリフィスも、ルーアもいない。
背後には、傷付いたティアと、赤ん坊であるエマとアヴァがいる。
そして、動きや使用する魔法をいくらか制限されてしまう屋内。人数差。
多少の接近戦は避けられない。
だから集中しろ。
敵の位置を知り、動きを読め。
それで、苦手分野でもなんとか戦える。
(……時間……空間……封印……解放……)
ヨゥロ族の真髄だという言葉を、胸中で呟く。
建物全体が、見渡せるような気がした。
時間がゆっくり流れるような感覚。
背後の部屋には、ユファレートとティア、レジィナ、エマとアヴァ。
これまでに放った魔法で、七人倒した。
二階の廊下に、七人の兵士。
(……七人?)
敵は十五人だったはずだ。
あと一人。どこかにいる。
足の下。下の階。真下にいる。
悪寒。魔力の波動。
咄嗟に後方に跳ぶ。
廊下の床を突き破る、硬化した土の塊。
錐状であるそれは、先程までシーパルがいた所を貫いていた。
反応が一瞬遅れていたら、串刺しになっていただろう。
ヨゥロ族でも、限られた者だけにある感覚。
この感覚による恩恵は大きい。
階下からの魔法。
知っている魔力の波動だった。
地震を起こした、肌の白い魔法使い。
ステヴェ・クレアの兄、イアン・クレア。
「グラビティ・カウ!」
レジィナが、ユファレートに倣ったか、魔法を床の向こう、階下へと放つ。
不可視の重力の力場を形成する魔法である。
防ぐのもかわすのも簡単ではない。
イアン・クレアの動きを、少なからず封じただろう。
今のうちに、眼前の脅威を取り除く。
シーパルは、大地の錐に掌を向けた。
「ガン・ウェイブ!」
衝撃波が、錐を砕く。
兵士の頭蓋が歪む。
半身がひしゃげる者もいる。
砕けた土塊が兵士たちの体を叩き、動きを止めていた。
「フォトン・スコールド!」
三度、ユファレートの魔法が炸裂する。
あと一押しで、兵士たちは全員無力化できる。
(……時間……空間……封印……解放……)
より深く集中するために、より広く全てを見渡すために、呪文のように幼い頃に教わったそれを呟いていく。
この感覚は、これまでに何度もシーパルを救ってきた。
仲間を守ってきた。
意識が澄み渡るのを感じる。
イアン・クレアは、なんとかレジィナの魔法を防いだようだ。
デリフィスが、土の壁を突破するのを感じる。
基地の建物へ戻り、そのままイアン・クレアに襲い掛かる。
無数の光弾を撃ち出しながら、イアン・クレアは逃げる。
次の魔法を発動させるために、シーパルは手を上げた。
あと三人。
距離もある。
威力よりも、速度重視でいい。
手数で押せば、近付かせることなく倒せる。
掌の先で、電撃が弾けた。
「ライトニング……!」
敵と正対し、魔法を解き放つ直前であっても、周囲は鮮明に視えている。
室内には、ユファレートとティア。
そして。
視えるものが歪む。
感覚が歪む。
深く深く、落ちていく錯覚。
(一体……?)
部屋の中に、泣き喚くアヴァ。
そして、呼吸と心臓の鼓動を止めたエマ。
血に塗れ、だが自身の傷を無視して、涙を流しながら必死に娘を蘇生させようと足掻くレジィナ。
抜き身の剣を手に、呆然と立ち尽くすルーア。
(なんで……!?)
部屋の方へ、顔と眼を向ける。
泣き喚くアヴァ。
母の腕の中で、おとなしくしているエマ。
凛々しい表情で、階下を警戒するレジィナ。
無事だった。レジィナも、エマも、アヴァも。
無事で、無傷だった。
「シーパル!」
ユファレートの叫びで、シーパルは我に返った。
激痛が走る。
迸る電撃とシーパルの腕を掻い潜り、接近していた兵士が、右の太股に短剣を突き立てていた。
「……ライトニング・ボルト……!」
電撃を、ほぼ真下に放つ。
兵士の体を灼き崩す。
ユファレートが、部屋から飛び出した。
杖の先を向けて、兵士たちを牽制する。
デリフィスの接近を阻んだイアン・クレアが、外へ脱出するのを感じた。
目眩ましだろう、土の壁が崩壊する。
もうもうと立ち込める土煙の中に、イアン・クレアは消えていった。
まだ、ヨゥロ族の感覚は生きている。
視界が、広く深い。
もう、死んでしまったエマも、傷付いたレジィナも視えない。
ルーアも、いない。
指揮官の退却に合わせ、生き残りの兵士二人は窓から外へ飛び降りた。
追撃はせずに、ユファレートはシーパルの右太股に突き刺さった短剣を抜いた。
二人掛かりで、傷口を塞ぐ。
傷みは、あまり気にならなかった。
自分の傷よりも、レジィナたちの安否を確認したかった。
レジィナは、娘二人を抱きしめ、安堵の表情を浮かべている。
三人の母子は、無事だった。
かすり傷も負っていない。
先程視えた血塗れの姿は、なんだったのか。
ただの幻覚か。
自分の内にあるヨゥロ族特有の感覚に、頼っていた部分はある。
絶対のものだと信じきっていた、といってもいいかもしれない。
だが、絶対ではなかった。
訳のわからない幻覚を見せることもある。
そういうことなのだろうか。
胸騒ぎがする。
胸騒ぎだけに縛られるわけにはいかない。
イアン・クレアは健在で、テラントやルーアがステヴェ・クレアを倒せたかどうかも定かではないのだ。
そして、ミジュアの街全体が混乱している。
少なくとも、今のところはレジィナたちは無事なのである。
今後おかしなことがレジィナたちの身の周りで起きないよう、注意すればいい。
戦いはまだ終わっていない。
傷は、思ったよりも深かった。
それでも、自分の足だ。
他人の傷よりは、遥かに治しやすい。
すぐに歩けるくらいには、回復できるはずだ。
傷口に、魔力を流し込む。
胸騒ぎは、いつまで経っても消えることがなかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
笑いが漏れる。
走っていても、イアンは体の震えを感じた。
事前にステヴェとは話し合い、はぐれた時のために、合流する場所を決めていた。
今の時間帯であれば、西へ二キロほど移動した所にあるアジトだ。
イアンに従う兵士は、二人だけだった。
十四人の兵士を連れて行き、生き残った二人である。
十二人が死んだ。
負けたと言うべきなのだろう。
当然の結果だった。
『バーダ』第八部隊隊員のレジィナ・ネクタスの他に、デリフィス・デュラム、シーパル・ヨゥロ、ユファレート・パーターがいたのだ。
こちらが勝るのは、人数だけだった。
生き残った兵士の話では、ティア・オースターが前に出てくることはなかったらしい。
予測通り、負傷していたのかもしれない。
エマ・ネクタスとアヴァ・ネクタスという、足手纏いもいた。
それでも、十中八九負ける戦力差だった。
自分が死ぬ可能性も、充分にあった。
全滅していても、なんの不思議もない。
魔法をかわし向かってくる、分厚い剣を手にしたデリフィス・デュラムの姿を思い出す。
また、体が震えた。
無謀な戦いだった。
なぜ、そんな戦いを仕掛けたか。
まるで、弟のステヴェのようだった。
弟は、イアンが肝を冷やすような突撃を、これまでに何度も繰り返してきた。
そのたびに敵を斬り、生き延びてきた。
自分と弟は違う。
ステヴェの戦いを見るたび、イアンはそう思った。
違うと思いながら、やはり似ているということなのだろうか。
ぎりぎりの戦いを生き延び、快感のようなものを、確かにイアンは感じていた。
なぜ、あんな戦いを仕掛けたのか。
イアンは、自問を続けた。
兄を殺されても、ステヴェのように仇討ちなど考えず、自分の身の安全だけを気にするような男が。
とにかく、僥倖だった。
まず、基地の敷地に進入した時、偶然デリフィス・デュラムが基地を離れていたのが大きい。
それがなければ、敵にしっかりとした陣形を組まれていただろう。
デリフィス・デュラムの背後から、三人の魔法使いは存分に力を奮ったはずだ。
そうなれば、手が付けられなかった。
自分が生き延びたのは、やはり僥倖だったと言うしかない。
ステヴェのような、敵中でも折れない力があったからではない。
兵士二人が死ななかったのも、部隊の後方にいたからというだけの話だ。
二人によれば、シーパル・ヨゥロが負傷したということだった。
奇跡と表現してもいいだけの成果かもしれない。
アジトに戻っても、体の震えは収まらなかった。
ステヴェは、まだいない。
死んでいる可能性は、ほとんど考えなかった。
エマ・ネクタスと、アヴァ・ネクタスがいた。
ストラーム・レイルもライア・ネクタスもいなかった。
つまり、殺せる可能性があった。
それが、自分を無謀な戦いに突き動かした理由ではないか、とイアンは考えるようになった。
エマ・ネクタスとアヴァ・ネクタスの双子は、もしかするとライア・ネクタスよりも重要な存在かもしれないのだ。
殺せれば、世界が変わる可能性がある。
その中心に、自分がいる。
また、背筋に快感が走った。
そんな野心が、自分の中にあるというのか。
アジトを守っているのは、五人の兵士だった。
これで、八人になった。
もっと戦力を集めたいが、軍や警察が街を走り回っている状態では、なかなかそうもいかない。
今は、英気を養う時だろう。
魔力の消耗も、かなりのものなのだ。
しばらく、じっと待った。
そして、ステヴェが現れた時になってようやく、イアンの体の震えは止まった。